広瀬 勉
東京・杉並高円寺北?
今年も早々と紅白歌合戦の司会が決まった。
外をものすごい勢いで通過する風が身に染みるほど冷たい。
去年の薄手のコートをクローゼットからだして着てみたら少しナフタリン臭い。
色も買った時より褪せてきた気がするし、デザインもどこか気に入らない。
新しいのが欲しいなと思うけれど、こんな寒い中外出するのは億劫だ。
できればもこもこの布団の中でずっーと過ごしたい。
1年でこの時期だけ熊になりたいと思う。
彼らのように冬を冬眠という形で過ごしてみたいと思う。
もこもこの布団の中で色々考える。
そういえば、「ナフタリン」に似た名前の果物をこないだ食べたな。
なんだったかな。
あっ、そう「ネクタリン」。
ものすごくこういう時間が好き。
ある映画監督の密着番組を見た。
その人の人生は山あり谷ありで、わたしの心にぐっとくる何かがあった。
「絶望から希望が生まれる。」
「毎日地道なことを続けていれば幸せな瞬間が来るんだよ、来ると信じてるんだよ。」
「映画というのは、明日はきっといいことがあるよと大声で言っているようなもんなんだよ。そうでないにもかかわらずね。」
録画したこの番組をもう何十回も見ている。
実は彼の作品は一度も見たことがないのだけれど。 朝がくることが怖いと思うときがある。
新しい一日が始まるのが恐怖としか捉えられない時がある。
いいこともあるんだろうけど、それ以上に辛いことがあって。
後者に比重をおきすぎて、前者が完全に隠れてしまった。
でもそうではないんだと、そのほんの一瞬の喜びのために生きるのも悪くない。
そう思えた。
朝が辛いことは変わりないけれど、どこかいつもより洗面所までの足取りが軽くなった。
最近初めて心の底からライブに行ってみたいと思えるミュージシャンと出逢った。
なんといっても彼の考え方、歌の詩がいい。
某テレビ番組のメインテーマ曲にもなっている。
かざる部分がなく、人間の心の奥深くでくすぶっている部分までもきれいに言葉になっている。
改めて言葉のパワーや威力の強さを知った。
人の心を両手で優しく救ってくれる言葉は本当に素敵だ。
そのミュージシャンの出演番組やライブの日程をポチポチと検索してみた。
瞬時に欲しかった情報が手に入る便利さに改めて感動しつつ、それを紙に書き留めた。
当分の間は、その人の出演番組はすべて見るつもりだ。
学校の教壇に立っている先生は昔からずっと先生だと思っていた。
自分が赤ちゃんから保育園、小学校、中学校、高校、大学へと間違いなく成長しているにも関わらず先生は生まれた時から学校にいると思っていた。
年をとらないと思っていた。
悩みなんてこれっぽちもないスーパーマンだと思っていた。
いつも強く元気で、学校の催し物がおこなわれるときには先頭に立って活躍する。
何十人もの生徒から毎日提出される日記に怠ることなくきちんとコメントを書く。
給食は残さず生徒よりもやや多めの量を食べる。
動きやすい機能性のいい服を着て長い長い廊下を大股で歩く。
○と×をつけ続けるテストの採点にあんなに時間がかかるものだとあのときはこれっぽっちも思っていなかった。
職員室はそんなものすごい大人の集まりだと思っていた。
そんな職員室の扉を開けるときはものすごく緊張した。
扉のノブをおそるおそる回し、少しだけ押して中の様子をうかがう。
ほとんどの先生は机の上の書類とにらめっこ。
そんないつもの様子に安堵しながらするっと中にお邪魔する。
あの空間にはきっと色んな悩みや、困りごとが渦巻いていたにちがいない。
そんなそぶりはみせないけれど。
先生もみんなと同じように生まれてきて、大人にかわいがられた時期があって、試験を受けてあの教壇に立っている。
そんな「先生」という魔法のトリックが解けたのは案外自分が社会人になってからなんじゃないかなと思う。
もっと前から知っていたはずなのにうまく完璧な解答までたどり着けていなかったきがする。
そんなことを貫々と考えるのは季節のせいなのだろうか。
2015年ももう11月に突入している。
空気を口で吸うな、つまり食べるなと、酷く卑猥に叱られました。
空気は鼻で吸うもんだって教えてもらった日から、先生は、まあまあ昔も、特に卑猥ではあった。これからもいんちきな顔をするはずだよ、昔からね。
その教わった日の先生は、
その教わった日に生きた私は、
呼吸困難になりながらも、何処かで見た呼吸の断面図を
スマホからとりだしたはず。
卑猥で漬けた口は赤面していた。
私の口でも、先生は入る。
逆撫でして照らした口への道中で
空気と呼べる存在は、
見あたらなかった。
存在しなくてよかった。
ありがとう、死ね。見あたるなんて食べ損ねた貧困層がやる事だから。
先生みたいな、私みたいな
そこらへんの美術教師よりも面白い授業ができてしまう人は、
楽しそうに磁場にとびこめるんだよ。
手を振って純子さんと別れ
桟橋の上のホテルに戻る
母と
預けてあったキャリーをひいて部屋へ入れば
窓はひろい
川ではないかと
訝しむひとがいるのも不思議はないほど
手を伸ばせば届きそうな対岸
向島の灯台からきらっと灯がもれる
尾道
坂道や階段を歩くつもりでいたけれど
あんまり歩かなかったね
でも、お腹すいた
せっかくだから穴子食べよう
東京と違って小ぶりなのをね
蒸すのじゃなく焼いたのをさ
海ぎわの遊歩道をのぞむ通りを歩いて
刺身は食べられない母と夕食をとる店をさがす
街灯のオレンジ色に染まりながら
フロントにあったグルメマップとガイドブック
すみずみまで目をとおして
たぶんこっち
純子さんと三人歩いたアーケードのひとすじ海側に
ここならたぶんと当たりをつけた
覚えにくいひらがなだらけの名前
これかな、ランチ穴子飯と大きな字
夜も食べられるかな居酒屋だけど
階段をのぼり
あのう食事だけでも大丈夫ですか
どうぞと迎えられて海の見える席へ
たんたんと母は
いやほっとした顔
メニューに穴子の炊き込みご飯を見つけて私も
旅のミッションその二を完了した気分
となると
明日も早起きだしお酒はちょっと
などと思ったのをころっと忘れ
ねえ、なんか飲む? ビールかな喉乾いたねと
メニューをめくり直す始末
いいねぇと乗ってくれる母とグラスをあわせ
やっぱり穴子だよね
うなぎなんて食べられないと
もっぱら穴子派だった父
瀬戸内海の地の魚をたくさん食べていたから
東京は魚が美味しくないとこぼして
それでも夜中に鉄火巻きを提げて帰ってきたり
食べろと起こされるのはもちろん私
母は玉子とかんぴょう巻きと穴子
父は
東京の穴子も食べていた
蒸して甘がらいたれを塗ったのを
この店の名前、どういう意味なんですか
ああ、魚の名前なんです
このあたりで獲れる
ええと
関係ないかもしれないんですけど
私たち四国の人間で
父がよく言ってたんですが
でべらがれいって
そうそれです
たまがんぞうかれいっていうんですよね
それでたまがんぞう
そうなんです
しらすのサラダだの梅酒のソーダ割りだのに
ほろっとゆるんで
パパは来たことあったんだろうか尾道へ
どうだろう
宮島の写真はあったと思うけど
ああ母と
こんなふうに旅先でいるところ
父は知らない
炊き込みご飯を分ける
こうばしい
ひきしまった穴子の甘がらくない身がごはんになじんで
美味しい
ふふっというふうに母は
満足を控えめに表明してくれる
よかった
ミッション達成ということにしておこう
次の朝
日照時間の長いこの地方らしく快晴
ホテルの前から
しまなみ海道を辿って今治に到る高速バスに乗る
背骨のように並ぶ
向島、因島、生口島
次の大三島で途中下車
この島から愛媛県
四国一大きな神社
大山祇神社へ
駆け足でご挨拶をと考えたのだけれど
お詣りの次第は他日改めて記すとして
備忘録よろしく書いておきたいのは
お詣りを終え今治へ
向かうバスに乗る前に
お昼を何か食べなくてはと
走りまわったこと
ええ
伊予一の宮大山祇神社の門前だからといって
道の駅があるからといって
隣り合わせる伯方島の塩のチョコレートや
柑橘類を使ったお菓子や野菜は豊かに並んでいるものの
おむすびやサンドイッチは扱われていないのだ
コンビニも見当たらない
しまなみ海道を自転車で行くひとたちに人気の
海鮮丼が食べられる店が鳥居前にあるけれど
時間が足りない
そういうもの
置いてるのはショッパーズだけですと
お土産屋さんが指し示すのは鳥居前のバス停から徒歩三分では着かなかった
親切な道の駅のさらに先
あと六分
しかたない待っててね
母と母のキャリーと私のキャリーを日蔭に残し
ダッシュ
ショッパーズ大三島店へ
惣菜売り場とパンのコーナーはどこ
奥へ奥へ
ひんやりした一角にそれはある
穴子中巻き三百九十八円
パンのコーナーは通り過ぎ
割り箸ください
二膳と言ったか言えなかったか
レジ袋はくるくるねじれて
まだ来てないよね
車内が混み合ったら食べられないと
気づいたのはその時
ええままよってこういうことを言うのか
ほどなくバスは着き
がらんとした後部座席にキャリーを引き入れ
ごめんなさいお行儀わるいけれどそそくさと
穴子中巻きいちパックを分けて
ひとごこち
バスは
伯方島から大島へ
さしかかろうとしている