夢素描 14

 

西島一洋

 
 

 

雨が降っている。

川の中だ。
浅い川だ。
川岸も川底も全てコンクリートだ。
川幅は広い。
暗渠もある。

濁ってはいない。
透き通っているが、臭い。
汚泥の匂いだ。
糞尿の匂いだ。
強い消毒薬の匂いも混じっている。

全身裸で横たわると、流されていく。

川底はスルスルとしている。
滑らかだが、藻ではなく、汚泥の沈殿物が、うっすらと覆っている。
沈殿物の中には、ドロドロになった便所紙もある。
表面は、細い髪の毛のようなものが、流れに沿って揺らいでいる。

半身は水面(みずも)より上に出ている。
時折、全身が沈み、
川底に当たり、クルクルと回転されながら流される。

すこーし傾斜が強いところに出ると、スピードが出る。
といっても、時速40キロメートルくらいだ。

流されていると、建物があるはずなのに、見る余裕が無い。
せいぜい川岸まで程しか視界に入らない。
流されることに必死だからだ。
ただ、建物に囲まれている気配は十分にある。
建物は、全てモノクロームで、凸凹(でこぼこ)したバロック建築だ。

人の気配は全く無い。
ずーっと一人っきりで流されている。
川の中にも、川岸も、それらを囲むように林立しているだろうと思われる建物の中にも。
人の気配は無いのだが、虫のような気配があるのが不思議だ。
ただ、生命体ではない。

動かない虫だ。
死んでいるのではない。
ただ動かないだけだ。

動いているのは、川と僕一人だけだ。
あとは、きちんと見えてはいないが、
気配としては、じっとしている、というのを感じる。
それらは動いていないのに、それらの気配だけは感じる。

川幅の広いところに出た。
突然、虫の気配も、建物の気配も無くなった

空間というか、天空というか、空というか、何も無いというか、そのような気配が生じてきた。
何もないのに、あるという気配ではない。
何も無いという、そのものの気配なのだ。
言葉的には矛盾しているが、無という有が感じられるのだ。

怖くは無い。

この辺りに来ると、川は二股に分かれている。
上流から下流に向けて二股になるというのは、不自然ではある。
しかも、二股になることによって、水量も増える。
流れの勢いも増す。
これも不自然だ。

血管で言うと、静脈でも動脈でも無い。
静脈は、山から、小さな川が、徐々に一つになって海に流れ込むという態だ。
動脈は、津波のように川が海から逆流して、陸の奥に行くに従って分散していくという態だ。
そのどちらでもないのだ。

雨も強くなってきたが、音が無い、静かだ。
しかし突き刺さるような雨の力だ。
豪雨を超えてはいる。
視界は薄暗いが景色はハッキリしている。

二股のどっちかを選ぶ余裕も無く、僕は左の方の流れにぐいと引き寄せられた。

雨はまだ降っている。
まだ降っている。
いつまでも降っているので、
雨に飽きてしまった。

もう少しで、橋の下をくぐる。
木造の橋である。
木は腐ってカスカスだ。
崩れる寸前の太鼓橋だ。

僕が行くまで崩れずに、
ずーっと待っていてくれる。

おそらく。

 

 

 

夢素描 13

 

西島一洋

 
 

銭湯の男達

 

おそらくは、子供の頃の記憶と混淆している。

銭湯には裸の男達が居た。

僕は湯船から上を見上げる。
天井は高く、中央に天窓の天空への窪みがある。
セミが飛び交っており、湯船にはザリガニも居る。

時折り、女湯との境にある小さな木の扉が開く。
もちろん僕たち子供は出入り自由だ。

湯船の縁に、片膝をくっと立てて座って居る小男は、長い間塑像のように微動だにしない。痩せてはいるが、骨格も筋肉もやけに美しい。指は細く長く、その指で膝をまあるく包み、片手で足を抱えている。

鏡にむかって顎を突き出している老人が居る。肌に艶は無く、よれよれで皺が寄っている。が、骨格はがっしりしている。骨も太い。筋肉は、もうしわけていどについていて、どちらかというと筋が目立つ。今、彼は髭を剃っているのだ。使い捨てのカミソリを拾って、それでゴリゴリやっている。よほどか丈夫な肌なのだろう。鏡の下に突き出したタイルの棚の上に拾ったカミソリを五本ほど並べ、とっかえひっかえ使っている。どれも大して切れないのだろう。

僕等は、湯船の中を潜ったり、湯船の内側のタイルを蹴ってスイーっと泳いだり、回転したり、足をバタつかせたり、まるで動物園のトドかアシカのように戯れている。誰も文句を言う人はいない。僕等も気を使って、湯船に浸かる人が登場したら、さっさと引き揚げる。そうだ、木の丸い桶…アレを二つ合掌させて、浮き輪がわりにもしていたなあ。湯船より大きな木船を浮かばせたこともある。二十人くらいは優に乗れる。船の上で踊っている奴もいる。

先の塑像のように動かなかった男が、湯船の縁からするりとタイルの床に滑り降りて、尻をベチャっとタイルにくっつけ、両脚を大きく開いて前屈運動を始めた。濡れた長い髪が、前屈するたびにタイルを叩く。

新たに、入り口の扉がスライドすると、デブと言ったら失礼かなあ、ともかく巨体の男が入って来た。その男は、そのまま湯船に直行し、ドブーン。湯船から大量の湯が溢れた。ざあーっと音を立てて、タイルの床は一瞬洪水となった。男は湯船の中でタプタプと浮いている。でかいが、大して重くないのだ。赤い顔をしてニコニコしている。禿げというか、ちょうどキューピーのような頭の毛だ。色も黄土色…、むしろオーレオリンかな、透明感がある。

服を着た若い女の人が一人ふわっと入って来た。女湯に男が入ることはたとえ服を着ていたとしても出来ないが、男湯には女の人の出入りは自由なのだ。まあそれが不思議なのだが。どうしてかなあ。ともかく、この女の人は、男湯にいる誰かの娘のようで、父親を探して右往左往しているが、見つからないようだ。服は着ているが、裸足だ。足が妙に生々しい。彼女は父親を見つけたのかどうか分からないが、大声をだしながら、湯船の湯面をパンパン叩いていた。何か黒い紐のようなものを引き摺っていた。

突然、湯煙が膨大に立ち上がり、周りが全く見えなくなった。しかし、明るい。湯煙というか、靄というか、霧というか、立ち込めている。ただ、妙に暖かい。もしかして、この靄が晴れて、無くなった時、誰もいないのではないか。また、人だけでなく、銭湯の空間も消えていて、でもただ光に溢れていて、存在という概念がハレーションを起こすのだ。と、ふいに、その恐怖感に襲われた。

靄は、ふっと無くなった。
視界がくっきりとなり、見渡した。

全て居た。
全てがあった。
銭湯はあったし、男達もやはり居た。
何事もなかったように。

 

 

 

夢素描 12

 

西島一洋

 
 

 

林君は中京テレビのテレビ塔のてっぺんに立てこもっている。周りが騒いでいる。中継もしているようだ。

テレビ塔というのが良いと言う人の声。今どきこんな純粋な人がいるんだという人の声。総じてというか、全ての人の声は賛辞ばかりである。そして、すごく、とてつもない人気だ。

テレビ塔に向けて、どんどん人が集まってくる。テレビ塔に向かう道は、すべて人が押し合いへし合いしながら、ぐぉーと進んでいる。まるで祭りの夜店のように店も出ている。僕も、そのテレビ塔に行こうと人混みを掻き分けていく。

ふと見ると、もうひとつの人の動きが合流していた。それは、原さんの今度の新しい芝居の最初の顔見せ会。役者や照明や音響や美術など、始める前の打ち上げというか、宴会というか。とにかく関係者全員が集まるという。

もうひとつの人の動きは、先のテレビ塔への人の動きと渾然一体のようになっているが、目的地は違うのだ。ただ、こちらの方の、もうひとつの人の動きは、テレビ塔に向かう人々の様に、目的地にむかって様々な方向から移動しているのではない。一旦どこかに集まって、それから、どこかへみんなで移動しているのだ。

しかし、その目的地が誰もどこかよくわからない。開始時間に遅れているようで、焦って迷っているようでもある。

でもこの集団は、一旦どこかの建物に入ってしまった。偶然だったが、おそらく、ここが会場だということだ。でもまだ宴会は始まっていなかった。豪奢というか、贅を尽くした、すごく豪華なところだ。

ホテルのロビーのような、ロビーというか床が広くて、そこに点々と人がいて、風景は鮮明に思い出す。調度品というか、机というか、ドジョウ屋のような、ドジョウ屋は行ったことないが、だだっ広いところで、大広間だが、天井は低い。

とにかくまだ始まってなくて、というより待たされてというか、待たなくてはいけない。待ち時間は2時間位とか。とにかく始まるのは午後8時半ということらしい。ということで、始まるまで、どこかで時間をつぶしてくるため、みんな一旦ばらばらになった。それぞれがどこかに出ていった。

実は僕は無意識のうちに、このもうひとつの人の動きの方にも合流していた。

僕も外に出た。

そこを出て、うろうろして、ただ、ただ、うろうろしていたばかり。しかし、うろうろしてるうちに、位置感覚を失ってしまった。つまり、道が分からない。宴会場に戻らなくてはいけないのだがそこがどこかわからない。

ふと見ると、ずっと出演者が並んでいたのでそこの一番後ろにつくことにした。ついてはいたが、とにかく先に行こうと思って一旦列を離れた。

その列が、トンネルというか、小屋の隅というか、アーケードというか、細いので、人が一人ずつしか通れない。つまり、一列しか人の流れができないのだ。しかしその列から外れて先に行こうと思った。

ちょっとしたアイデアがあった。

つまりその細いトンネルのようなところから、横に飛び出して、もうひとつの空間というか通路にひょいと身を投げた。追い越そうと思って行ける隙間を見つけたのだ。隙間だが、結構広くてゆったりとしている。これならスイスイと先に行けることができそうだ。

追い越している最中に、途中に、円楽が話しかけてきた。円楽はこの芝居の昔の役者だった。もと一緒だったが今は外れていた。円楽は、林君が立てこもっている中京テレビのテレビ塔に一緒に行こうと言った。僕は道が分からないので、円楽が案内してくれるとのことだった。

とにかくテレビ塔まで一緒に行こうということになった。ただ、何故か分からないが遅れているような感覚があった。途中から、案内する人が平山君も加わった。そのうち円楽はいなくなって、平山君一人になった。とにかく人混みを掻き分けて進んだ。みんな中京テレビのテレビ塔に向かっている。

人を掻き分け掻き分けテレビ塔に向かった。

テレビ塔の下では人が集まっていた。テレビ塔は、塔というよりも、高い建物が3つぐらいあって、その3つのうちのそれぞれに屋上に人が集まっていた。

ざわざわしていた。明かりも付いていたし、照明も当たっていた。そのどこのビルに林君が立てこもっているのか近くにいる人に聞いてみると、あそこの遠いほうのちょっと低い所のビルだと言っていた。

そこへ向かおうとしたが、宴会の開始時間が迫っていたので、一旦宴会場に戻ってから、もう一回こようと思った。

宴会場に戻ろうとしたら色々と話し声が聞こえてくる。テレビ塔に立てこもっている林君のことを、若い女性たちが、現代のキリストだと言ったり、この時代でもこういう心の綺麗な人がいるんだとかとにかく、相当周りの人が持ち上げ持ち上げてまるでスーパースターのようになって、どんどんどんどん人が集まってくる。

僕は一旦会場に戻ろうとして、会場と言うのは宴会場なのだが、人ごみに紛れて道もわからない。

通りがかりの小学生くらいの女の子に、道を聞くと、直接に案内してくれると言う。そこでその子についていく。一旦その子の家にたどり着く。学校から帰る途中だったようだ。
でも彼女の家も宴会場に行く道の途中でもあったようだ。彼女の家は、下がっていく坂道の途中だった。何人かは他の子供達もついてきた。
僕が林君のことを言うともう彼女が知っていた。だから余計に親切もしてくれた。
とにかく、途中までは送ってくれたとき、もうちょっとのところだから、あとは僕一人でも道はわかるので、と僕は言って、彼女に帰ってもらった。もう時間が遅いので、おそらく心配している彼女の家に、お礼とお詫びの電話をかけた。彼女の名前は忘れた。

それからひとり歩き始めると、ある建物があった。ここも何かの宴会場だったような気がするが、とにかくそこを通り抜けようとして、人に道を聞くと大体こっちの方向だと言うことが正しいと言う事だけはわかった。

しかし、さらに迷って歩き続けていると、この辺が前後するが、宴会場に入るときに、靴を脱ぎ棄て裸足になってしまった。トイレに入ったような気がするが、とにかく脱ぎ捨てた靴を探そうとする。

どこに行ったかどこに脱いだかわからない。店の人に聞くとこちらではないかと言うが、結局見つからない。

それから携帯が壊れてしまってどのボタンを押してもどんどんどんど変な画面が出てくるだけで全く反応しない完全に壊れている完全に壊れている。つまり携帯も使えないってことだ。

とにかく林君と原さんに電話をしようとしたがどうしようもない、連絡が取れない。

とにかく宴会場に戻るのが先決だ。さらに人混みを掻き分けて行く。

中京テレビのテレビ塔に立てこもっていた林君が自刃したという。覚悟をしてテレビ塔に立てこもったと言うことらしい。

僕はすぐにテレビ塔に戻ろうとしてさらに人を掻き分けて行く。

そういえばテレビ塔から宴会場に戻るときに途中で、古い製麺所があった。うどんを作るところ。黒い囲炉裏のようなすごくでかい穴蔵があってその中でうどん粉をこねるのだと言っていた。

とても凄い所だし、人気の場所で人気の場所でたくさんたくさんの人が生のうどんを買いに来てた。

僕は時間がないのでとにかく先を急ぎたかったのでまた来るよと言って通り過ぎた。割烹着の女店主がいた時代は昭和20年代から30年代な感じかな。

 
 

さて、後記。

おそらく、もう忘れたことがたくさんある。

とにかく異様な夢である。
上記はメモにしかすぎない。

林くんはふんどし姿だった。
遠目でしか見ていないが、
かなり小さくしか見えていないが、
あれが林君だということがわかった。
頭にハチマキをしていた。
なぜあの時すぐにテレビ塔に登りにいかなかったのか。
すぐに死ぬと思わなかった。

僕としては、とにかく宴会場に戻ってから、
「今、林君がテレビ塔にいる、行かなくてはならない」と皆に言って、すぐにテレビ塔に戻ろうと思っていた。
林君はアジテーションで僕の名前も出していたようだった。
悔やまれる。

原さんのお芝居はたくさんの出演者がいた。
おそらく100人ぐらいか。

もちろん、後記も夢である。

 

 

 

夢素描 11

 

西島一洋

 
 

ピアノ

 

ピアノを買った。

おそらく170,000円か180,000円位だったと思う。と言うのは、今日買ったピアノはあまり値段を覚えていない。前に買ったピアノはいくらだったかなあと思い夢を見て思い出すことにした。

夢の中で、さらに夢を見るという行為である。そうすると、170,000円か180,000円程度だった。168,000円だったかもしれない。

グランドピアノではないが、木製の黒いごついやつである。業者がというか、ピアノ屋が直接運んでくれた。

部屋はかなり大きい。おおよそ30畳ぐらいあるかな。天井は極端に高くはない、そこそこ高い、3.5メートル位かなあ。外光は入ってきてないが、暗くは無い、と言って明るくもない。どんよりとした明るさか。

値段を思い出すために、以前の夢を思い出そうと思って寝た。と言うことで一応値段は思い出した。

同時に他にも思い出すことがあった。以前の夢では、もう1台既にピアノがあった。そのもう1台のピアノは、エレクトーンというか、いわゆる電子ピアノで、でもそこそこの大きさがあり、なぜか電気スタンドが3つほどくっついている。

僕は大きな黒いピアノを見ながら、その電子ピアノを弾いていた。曲は特にない。と言うよりピアノ弾くテクニックは持ち合わせていないので、ランダムというか適当に弾いているだけである。

最初のピアノは、つまり最初の夢に出てくるピアノは、左上のところに大きな傷が付いていた。

でもすぐに気がつかず、業者が帰ってから気がついた。すぐに連絡すればいいものを、躊躇している間に3日ほど経ってしまった。となると、最初から付いていた傷なのか、自分でつけた傷なのか、微妙な感じになってしまったが、最初から付いていた傷と言う事は確かである。でも日を追うごとに、苦情というか、連絡をするのが億劫になってしまった。

でも大金を払っているし、このままでは自分も気持ちが悪い。何度か電話をしようと思ったが、電話がしづらく、もう一つ別の夢を見ようと思った。

そうして、またもう一つ夢を見たと思う。いや、二つも三つも見たと思う。夢の記憶は消滅してはいないが、思い出すことができない。

ある時、それら夢の記憶が浮上する時があるだろうが、それらが、なぜ浮上したのか、その時はきっと忘れているだろう。

記憶ヲ忘却セヨ、ソシテ、ソノ忘却ヲ記憶セヨ。

 

 

 

夢素描 10

 

西島一洋

 

欲望と願望とカタルシス

 
 

だろうなあと思う。

夢というのは、自己浄化作用があって、懺悔すらも吸収してくれる。
だから、夢は薬みたいなものかなあ。
というより、精神のというか、心のリハビリみたいなものだ。

だから、いくらでも夢を見て良いし、いくらでもその夢を忘れても良い。

感動して書きとめてたくなる夢もあるが、それはそれで良いと思う。その夢には、自浄作用があるに違いないので、繰り返し思い出しても良と思う。

見たくない夢もある。
それも、思い出しても良い。
思い出したくなければ封印しても良い。

ただ、夢の記憶というのは無くならない。
これは、経験上断定できる。
詳しくは、前に書いた。

もうそろそろ寝よう。
というか、寝なければならぬ。
明日のというか、明日もというか、肉体労働。
その前に風呂に入ろう。

そして、何日かが過ぎた。

何日過ぎたのだろう。数日とも言えるし、十数日とも言える。
ただ、一ヶ月は経っていない。
とにかく、何日かが過ぎた。

このところ、よく眠れる。
このところとは数日かな、いや、十数日かな。
ただ、一ヶ月前より、もうちょっと近い頃からだ。

トラックの仕事をしている。
ドライバーというと聞こえは良いが、
実労は人夫である。
重い荷物を押したり引っ張ったり、荷役とも言う。
六十二か六十三歳の頃から、十年間の予定で始めた。
「絵幻想解体作業/行為∞思考/原記憶交感儀/労働について」だ。
長ったらしいタイトルだがしょうがない。
まあ肉体労働である。
仕事そのものより、体の痛みとの闘いである。

で、六年間ほどは、朝三時から午後三時だった。
仕事をしている時に日の出がある。
そうして、昼過ぎには帰って来て夕刻五時か六時頃には寝る。

ところが、突然、コロナ禍で会社の仕事が減り、やむなく夜の仕事になった。突然の十二時間逆転である。
昨年の十一月より、そのようになった。

午後三時から午前三時。
センターに向かう時、太陽を背にしている。
そして、夕刻になり…。
太陽とは縁遠くなってしまった。
ただ、月はよく見る。

このところ、よく眠れる。
昼夜逆転し、しばらく、三ヶ月くらいかな、眠れない日が続いた。
太陽がのぼって明るいときに寝なければならない。
これが辛い。

このところ、よく眠れる。
十二時間熟睡する時もある。
おおよそ、寝れば起きるまで。
つまり、途中で起きて何度も寝るということが無くなった。
これが続くと良いなあと思うが、
今これを書いていて、夜明けになってしまった。
どころか、もう午前九時だ。
やばい。

今頃はぐっすり眠っている時間帯なのだ。
こんな時間まで起きているのは異常な事なのだ。
女房はさっき、というか、一時間前に仕事に出かけた。

もうそろそろ寝ないと。
でも今日は休み。
といっても、と言いながら、少し横になった。

再び筆を取る。

その少しの間に、たくさんの夢を見たなあ。
でも、起きると同時に全部忘れてしまった。
いや、正確にいうと、忘れてはいない。
日常言語に置き換えられないパルスとしてどこかに存在している。これは間違いないというより、まさしくであって、そうして、かろうじて、精神の安寧を維持している。

雉鳩が鳴いている。
庭木で。

もう寝よう。
今日は良い天気で明るい。
雨戸を閉めるか。

 

 

 

夢素描 09

 

西島一洋

 

記憶喪失

 
 

夢ではない。が、前回幻覚と幻聴について書いたので、ついでと言っては何だが、記憶喪失について書いてみよう。

僕は、十六歳の時、一週間の記憶を喪失したことがある。

高校の柔道部の練習で投げられて、後頭部より畳に落ちた。そこまでの記憶は、はっきりとある。どうやって家に帰ったかも記憶に無い。それからまるっと一週間分の記憶を失った。

この喪失感というのは、文字にすることはとても難しい。喪失しているのは間違いないのだが、感覚的な喪失感というのが全く無いのだ。つまり、分かりにくいかもしれないが、喪失しているのに、喪失していないということだ。

でもこれはとても恐ろしい。

自分の知らないところで、ある時間、もう一人の自分が生きている。僕の場合は一週間だ。

もう一人の自分というのが生きていた痕跡がある。

痕跡は色々あったんだろうが、その当時の記憶として鮮明なのは、柔道の段取りの昇段試合の記録である。記録といっても小さな折りたたみ式のペラペラな紙のカードだ。

今は知らないが、柔道というとみんな講道館、あの嘉納治五郎創設のやつだ。家元制度といえば言えなくはないが、昇段試合にかかる費用はわずかだったと思う。「つきなみ」といっていたから、月一回だったのだろう。名古屋ではスポーツ会館でやっていたと思う。昇段試合といっても、負けても引き分けでも良いのだ。ポイント制で、負ければさすがに0点だが、引き分けでも僕の記憶では、0.5点、もちろん勝てば1点。何度でも昇段試合が出来るのだ。つまり、ポイントを積み重ねていけば、昇段できるという仕組みだ。

茶帯から黒帯になるのも、ちょろっとずつポイントを積み重ねていけば、そのうちなれるという、今から考えると、ゆるいシステムだった。そのおかげで、一応僕も黒帯にはなった。

その「つきなみ」のカードには対戦成績が記録してあった。

しかし、一週間前の「つきなみ」の記憶が無い。くどいようだが、明らかなる自分の行為の記録の痕跡。このもどかしさは、もどかしくもないのだ。

わかりにくいかな。自らの経験の痕跡として肯定はするが、つまり、きっとそうなんだろうとは思うが、自分の中では全く身に覚えがない。

以前の夢素描で、夢の記憶について書いたので、詳しくは書かないが、記憶というのは、極めて抽象的なもので、パルスというか、一生の経験の仔細まで、1秒にも満たないプシュッというか、ピュッというか、ツツツというか、それに完璧に集約されている。よく死ぬ前に、一生分の記憶が蘇るというが、僕は間違いなく本当だと思う。

ただ、いまだもって、あの一週間は喪失したままだ。

喪失は言葉にはできない。

 

 

 

夢素描 08

 

西島一洋

 

起きていて見る夢について

 
 

一般的には、幻覚とか幻聴というのだろう。
しかし本人にとっては、寝ている時に見る夢のリアリティと同じく、生々しい。

僕は、マリファナも含めて一切の薬物はやったことがない。
そして、酒を飲んだ時とか夢うつつの時とかでもない。

一番素晴らしく感動したのは、19歳の頃のある体験である。

当時、六畳一間、古い木造アパートの二階に住んでいた。北側にある、細く急な階段を上り、ギシギシと短かいが暗い廊下を踏み進み、突き当たりの焦茶に焼けたベニア扉の奥が僕の部屋だ。

扉にはノブが付いていた。このノブは内側からボッチを押すとカギが閉まる仕組みだ。よくカギを部屋の中に置いたままロックしたことがある。そんな時は、階段をとっとと降り、狭い路地を通って、表通りの飯田街道をひょいと渡り、すぐ向かいにある街路灯のついた電信棒、これに括り付けてある琺瑯看板のちょっと余った番線、つまりちょっと太い針金を、キコキコ…と…折り曲げ、何度もやってれば、切れて、それを携えて、トコトコと飯田街道を渡り戻り、急な木の階段をすっすいと登り、黒光りの廊下の奥の我が部屋の前に立って、ちょいとひと息。何度もやってれば手慣れたもので、針金一本で簡単にカギは開く。この鍵開けのテクニックで、ちり紙交換をやっていた頃、人を助けたこともある。また後年、ミャンマーでトイレに閉じ込められた時、何とか脱出したこともある。

扉を開けると、半畳のたたきというか床があり、そこから奥が六畳。出窓形式で炊事の場所は一応ある。トイレは共有。

扉は暗い廊下の奥だが、部屋自体は南向きで、飯田街道に面していて、日中は日当たりも良い。夜でも飯田街道の街路灯の灯りがあり、深夜でも真っ暗になることは無い。窓下には三叉路ということもあって、名古屋市バスのバス停が四つもある。下町だが、商店街というか、街の中だ。でも、深夜は静かだ。70年代の頃なので、国道153号線でもある飯田街道でも、深夜は車の通りも無く静かだった。

僕は17歳の時に、あることをきっかけに一生の仕事を絵描きと決めた。まあ、覚悟みたいなものです。まさに命がけです。そして、その後10年ほどの間に、強固で濃密な極私的絵幻想が形成された。端的にいうと僕のいう本当の絵というのは、美術史の文脈でいう絵画では無い。絵なのだ。絵というのは絵画では無い。つまり絵は芸術でも無く美術でもない。しかし、これを伝えるのは難しいし、伝える能力も無い。命がけで本当の絵をかくというのが僕の命題です。僕の現在行っている絵幻想解体作業はこの辺りを因として発しています。解体作業というのは破壊作業と違います。一度解体して、部品を整理して、もう一度構築できるかどうかを問う行為です。5年ほど前から行っている行為「行為∞思考/労働について」も絵幻想解体作業のひとつです。もちろん解体作業と並行して、絵も描いているのでややこやしいですが、そんなもんです。順番通りにはいきません。というか僕の中では、この絵幻想解体作業も絵を描いているのに等しいので、日常、さらには寝ている時も含めて絵を描いているのに等しいのです。言ってみればそれほど強固な極私的絵幻想なのです。これを社会的に一般概念に置き換える作業はしないというより、そこまでの素養は僕には無いです。

本題に戻る。というか本題は何だったっけ?
ということで一旦文頭から読み直し、推敲作業をしよう。

推敲作業をしていると段々文章が膨らんでくる。
なんだか、これはまずい。
でもしょうがない。

深夜。
窓下から、というより窓下はるか飯田街道の西の彼方から微音。
あたりは静かだが、その音も静かな音だ。
深い低音。
ブンブンブン…
ゆっくりと、ゆっくりと、本当にゆっくりと近づいてくる。
その音は近づいてくるにしたがって、徐々に分かってきた。
歌声だ。合唱だ。足音だ。
だんだん近づいてくる。
男たちの集団の歌声だ。
言葉は分からないが労働歌である。
反戦歌でもあった。
凄い。
凄い。
どんどん近づいてくる。
ドウドウドドン。
強烈な大きな音のうねりだ。
体の芯まで響く音というか振動というか。
たまらない。
窓下の前を横切る集団。

感動した。

僕も参加したいという衝動に駆られて窓を開けた。

突然、音は消えた。
誰もいない。

 

 

 

夢素描 07

 

西島一洋

 

 
 

虹…、漢字で書くとあじけない。
というか、ハエかカかアブのようだ。
まあいいや。

今、六十七歳だ。これまで虹を見たことは確かにある。ちょろっとした虹も含めて、何回見たのだろう。なんとなく記憶を辿る。

おそらく、二十回程かなあ。多分。もうちょっと多いかなあ。でもその倍の四十回としても、意外と見ていないのだなあ。

で、夢で見た虹の記憶は、おそらく一度だけだ。いつだったのだろう。

二階の窓を開けると、木製の朽ち始めた物干し台。ここは心の故郷のようなところである。今はもう無い。家も土地もすでに人手に渡って、解体撤去されて、今は違う建物が建っている。というか元々借家なので人手に渡るという表現は正しくはないが、大正時代から祖母が借りていた家なので、愛おしい。鶏小屋を解体した材木で造ったボロ屋である。二階の六畳に僕ら親子五人。祖母は一階の二畳くらいのところ。僕が住んでいたのは、五歳頃から十九歳頃まで、十九歳にはすぐ近くの六畳一部屋のアパートに独り住まいで転居した。記憶の中ではもっと長い間ここで暮らしていた感じだが、計算してみると実際は15年に満たないのか。しかし、記憶の中では、家の隅々まで、…ある。

ここからは何度も飛んだなあ。夢ではないが、この物干し台を伝って、二階の屋根にもよく登った。ある時、飯田街道を挟んだ向かいの自転車屋さんが僕の姿を見て、泥棒がいると、大騒ぎになったこともあった。裸足で瓦は熱かった。この物干し台では、よくしょんべんもした。

この物干し台から虹を見たのは夜である。真っ暗な天空を見上げると、虹。美しい。圧倒的な存在感だ。虚無感など微塵も無い。口の中のチョコレートの中のアーモンドの粒が次から次へと出てくるようだ。

七色では無い。三十六色だ。しかも、ど太い。天空の半分を占めている。色は鮮やかで、色と色の境界もくっきりだ。この時僕は思った。これで良し。これ以上のことは望まない。後は苦労しよう。苦労して、苦労して、そのまま死ぬのだ。

追記、何かあったが、忘れてしまった。思い出したらまた書こう。

追記の追記。
何を忘れてしまったんだろう。むしろ、忘れたことも忘れてしまった。忘れてしまったといううちはまだ良い。忘れたという感覚が無くなった時が危ない。

追記の追記の追記。
おそらくは、僕が見たのは真正の虹だった。オーロラのようなふわふわしたものではない。どでかく、どっしりとした、かっちりとした虹だ。あまりにも壮大な情景。そして、おそらくは僕一人で見た。音は聞こえない。見た時間は、実際には十秒間程だったが、百億光年だったかもしれない。

追記の追記の追記の追記。
先に「僕一人で見た」と書いたが、記憶を辿ると、「虹が出てるよ」と呼び掛けたような気もする。音のない世界で、僕の声は誰かに聞こえたのだろうか。僕の声は誰かに届いたのだろうか。そして、誰か来たかもしれない。でもその誰かが、この虹が見えているかどうか…。返事を聞いた記憶は無い。

この虹を見たのは、おそらく十歳くらいの時だったかもしれない。素晴らしい光景だったので、六十年近くたった今でも、鮮明に覚えている。

名神高速道路の高架下の日陰でこれを書いていたら、先ほど蚊に喰われた。左頬骨と右後ろ頸筋辺り。五十メートルほど逃げて、今日向にいる。僕は蚊に弱いのでムヒは常備している。液体タイプのやつだ。さっそく塗った。まだ痒い。今日は十月二十日。この時期の蚊は特に痒いのだ。蛇足から始まって、蛇足で終わる。

 

 

 

夢素描 06

 

西島一洋

 

飛ぶ(飛ぶ方法)

 
 

トントントンと走って、トトントンのト、で、すうーっと垂直に天空に。簡単だ。でもこのタイミングが微妙に難しい。

いったん、この状態になれば、あとは結構自在だ。フワフワとして若干降下し始めた時は、地上の細い細かい尖端を見つけて、そこをツンと軽く蹴れば、さらにグーンと高くにいくことができる。

時に、崖っぷちのようなところに降り立って、悩んでいても、それそこに、とんがった尖端が、あるではないか。そうそう、そこを蹴れば良いのだよ。またまた、ツーンと高くに、すぐに行っちゃう。ピョーン、ピョーン、ピョーン、というよりも、トンスーッ、トンスーッ、トンスーッ、という感じ。

景色はかなり悲惨だ。街は全て崩れている。人の声も聞こえるが叫び声でも、呻き声でもない。ひそひそと話している。その、ひそひその声は、倍音の二乗の繰り返しで豪倍音になっている。その割には、静謐感もある。

その辺りを、ヒョイ、ヒョイ、とすり抜けて、やっぱり天空へ。ああ、天空は良いな。何も無くって。だが、漂うことはできない。あるところまでくると、急に失速し、というより落下し始める。落下する時間感覚は、ここまで上昇してきた時間感覚よりはるかに早い。ビューとさらに加速度的に落下し始めるのだ。

でも、安心、どっかに突起物があるだろう。そこに、ツンとやればまたピューンだ。

まだ他にも色々な飛び方がある。たくさんたくさんあるので迷ってしまうが、今回はもう一つだけ書いておこう。

屋根、何故か黒瓦。二階の物干し台からポンと降りればこの黒瓦屋根、だから、一階の屋根なのだ。面積は身体感覚からいえば若干広い。頂点つまりうだつのところまで上がり、滑り台では無いけれど、道路、ここが結構具体的なのだが、飯田街道に向けてスルスルというか、ヒヨヒヨというか、つまり、若干瓦より数ミリ程度浮いた状態で街道に向けて滑り落ちるのだ。

瓦屋根の先端の縁からヒュイと街道に落ちるのだが、ダメかというすれすれで、ビュイと宙空に身体が放り出されるのだ。これが飛ぶ瞬間だ。この時は結構長く飛べる。というか、いったん飛び始めるとあとは自在だ。

でも、そんなにそこから遠くへ行くことは無い。周辺をヒョロヒョロと飛び回っているだけだ。でもそれが逆にリアリティが生じてしまうのだ。薄暗いが、妙に輪郭がくっきりしているのだ。石っころも、うどん屋のコールタールの塗ってあるトタン壁も、曙町子供会開催のお知らせのための自転車の後ろに乗っている少女の呼び鈴も、銭湯の壁で鳴いている蝉も、理科室のアルコールランプの匂いも、川名神社の石垣にいた小さな草亀も、広路小学校の近くでアイロンで火災になって避難した山崎川のほとりとか、
 ‥とここまで書いて中断した。そして数日がたった。文頭から読み直し、若干推敲したが、読めば読むほど、元のが良いかと思われて悩んでしまう。

で、一応なる推敲作業を終えて続きを書こう。

なんといっても、やっぱり草むらだ。草むらの中ではなく、風景としての草むらだ。牛蛙が鳴いている。草むらの奥は川だ。ただここに突起物はないので、バサバサというかフワッというかボテチョというか、草むらのさらに草むらの凝集している若干固いところに着地するというか、まあ若干包まれるという感じか。でもそこでは寝れない。不安定ということもあるが、風が強い。この風に乗ればきっと飛べる。待とう。良い風が吹くまで。

草むらの風景はなぜだか暗い。蔓がある。牛蛙のこえ。自転車。遠くに光が見える。あそこはきっとエレベーターだ。あそこのに行けば、違う階に行ける。もう飛ばなくとも良い。あのエレベーターに乗ろう。

さて、今回は、意図的に中断する。次にいつ書くか不明だが、今月23日が締め切りなので、それまでには追筆すると思う。今日は、2020年9月4日。‥。

追記、エレベーターは、次回か次々回回しとしよう。

追筆、まずは、先端つっかけビューンの飛び方の方法の伝授をしよう。

飛び方はとても簡単だ。まず落ちる。飛ぼうと思ってはいけない。初心者は高いところからではなく、上記のように、一階建ての屋根ぐらいが丁度良い。飛ぶのに失敗しても、一階の屋根から飛び降りても若者だったら平気だ。(僕は夢では無く実際に子供の頃は一階の屋根から飛び降りていた。もちろん僕だけで無く、他の子供もビョンビョンとびおりていた。2メートル強3メートル弱くらいはあったと思う。)臆することはない。地面すれすれでビユイーンというかフワッと宙にうかび、そのままスイーッと飛ぶことができるのだ。

もうひとつ勇気のいる方法がある。高いところ、ビルの屋上とか高い崖の上とか、そこから飛び降りるには極めて勇気がいる。飛べるとは思っていても、不安はある。飛び降りてそのまま落下ということも否めない。やはりこの時は自分を信じる力だ。きっと飛べるというより、飛べないわけがないという感じかな。でも、心理的に恐怖はあるのだ。それなのに、ふっと宙空に。あら飛べた。やっぱり飛べた。飛ぶのはとても簡単なのだが、そこまでの心の揺らぎがあることは事実だ。

さらなる飛び方、色々あるが、きりがないのでとりあえず今回は筆を折る。

そう言えば、ここ最近、というか、長らく、おそらく20年ほど、飛んでないなあ。

 

 

 

夢素描 05

 

西島一洋

 

飛び転死

 
 

今回は飛ぶ夢について書こうと思っていた。最近は飛ぶ夢をあまり見ない。もしくは見ていても思い出せない。とはいえ、昔たくさん見たので、それらをのんびり思い出しながら書こうと思っていた。もちろん、書けないことはない。

しかし昨日見た夢が、特に鮮明だとか強烈だとかではないけれど、妙に心の奥底に引っかかっていて、やっぱり吐露した方がよいかとおもう。

これは夢ではないのだが、一回りほど年下の友人が、ある時ある集まりの中である出来事を述懐した。というより告白か。十人くらい居合わせたと思う。

子供の頃の体験談である。しかし、この日まで人に言ったことはなく、ずっと苦しんでいた。話したことで癒されるわけでもないが、この話は、もちろん本人にとっては切羽詰まった現実そのものなので、奇異とか面白いという類のことではない。

ただ僕は面白かった。何が面白いかというと、僕にはその情景がくっきりとイメージできたからだった。おそらくは、現実のイメージとは違うのだろうが、そんなことはどうでもよい。

薄暗い。水が流れている。勢いよく。溜まりもある。濁ってはいないが透き通ってはいない。流れてきた。少女だ。小さい少女だ。3歳ぐらいだろうか。最初はゆっくりと、そして、目の前に来た時は異様に早い。手は出せた。だが、怖くて動けない。少女はそのまま流されて、そして、死んだ。

さて、昨日見た夢だが、ここまで書き進んでいるうちに、なんだか、書く必要もないのかなあとも思えてきた。

ただ、どうしても気になるので、書いておこう。おそらく今書かなければ、きっと忘れてしまう。いや、書くことによって忘れてしまうということもあるので、記憶を留めるためには文字化しない方が良いのかなあ。

労働と死という夢であった。

この国では、死も労働として認められており、貨幣経済も認知されている。したがって、死ぬことによって労働の対価が支払われる。死ぬことに宗教とか哲学とか思想とかもちろん芸術とか一切の共同幻想は介在しない。死ぬことの大義名分も無い。

ただ、死ぬのである。なぜか、淀んだ水の中に飛び込んでそれでおしまいなのだ。死への労働志願者は途切れることなくどんどんやってくる。気になるのはその労働への対価は誰に支払われるのだろう。

夢だから情景は、くっきりというかもやもやというか、ただ、あっさりと死んでいく人たち、僕はまだこちら側にいたが、ああそういうもんだなあ、と、特に悲しくもなく、苦しくもなく、罪の意識も無く、ああ、いずれ、こんな感じで死んでいくのかなあという感じか。

でも夢のリアリティから離れてみれば、やっぱり死にたくは無いなあ。