NEO CEDAR に支えられて

 

根石吉久

 

 

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また助かった。

脳虚血発作で、救急車で病院に運ばれたが、100時間くらい点滴を打ちっぱなしにしている間に、梗塞は起こらなかった。多分100時間の点滴は、血を洗濯したのだと思う。虚血発作は、脳の血管にどろどろした血が詰まりかけたのではないか。なんとか詰まらないで流れたのではないかと医者は言った。
入院の後半の点滴は、血が固まりにくくなる薬とコレステロール値を調整する薬に変わったらしく、午前中に二袋、夜9時過ぎから午前0時頃までの二袋になった。

奥村さんに書かなくてはならない礼状を書いてない。山根さんに書かなくてはならない礼状を書いてない。中島さんの原稿をネットに掲載してない。英語のレッスンの「二人一枠維持基金」の8月の入出金をやってない。浜風文庫の原稿を書いてない。やらなければいけないことが山のようになっている。目をつむるように、鉄砲玉のように畑に行く。
草を干物にして土に入れたところが、土がほっこりと軟らかくなっている。手のひらで動かすだけで軽く土が動き、糸状菌が埋めておいた太い草の茎にびっしりと白く食いついている。軟らかい。煙草をストップされた体が、かろうじてなぐさめられる。

煙草をやめようとしている。英語のレッスンがなければ煙草はやめられると人に言ったことがある。いらつくのだ。英語でなく他の言語だったらこんなにもいらつくことはないのじゃないかと思う。英語が産業の召使い用に使われることが多い言語だからか。強者の言語だからか。世界一の巨額な金をどぶに流す言語だからか。いらついて、英語の流行の中で「語学だ」とわめいたのだった。英語をやるっていうのは、語学をやることだとわめいたのだが、当たり前じゃないかと言われただけだった。当たり前じゃないかと言う人が、実際に英語を始めると、「聴き流すだけで使えるようになる」などという濁流に簡単に呑まれてしまうのを見たりするのだった。

磁場を欠くこと 投稿者:根石吉久 投稿日:2014年 8月30日(土)19時16分53秒

語学の本来の形は、磁場の磁力を欠いて、個の意識という点のような場で行われることがその一切であること。

このことによって、語学が扱う言語は「死物としての言語」である。
語学の当初からその規定は決してまぬがれることはない。

語学は、死物を蘇らせる行いなのである。
当初から、死物を扱う行いなのである。

生きた英語!

そんなものは語学の場にありはしない。
まるでそんなものがあるかのように思わせられて、幻を追う者たちばかりが大勢いる。

語学の真骨頂は、「蘇らせる」ということにある。

生きた英語!
磁場を欠いて、そんなものがどこにあるというのか。
語学が扱う素材は、印刷物であり複製音声にすぎない。

「蘇らせる」ことの後に、「生きた英語」が生まれるなら生まれるのである。
個において「蘇らせる」プロセスを欠いて、「生きた英語」が印刷物や複製音声で手に入れられると考えるとは!
英語漬けは英語馬鹿を生むだけじゃないか。

「生きた英語」というまやかし。
ここから一切の英語回りの迷信が発生する。

語学 投稿者:根石吉久 投稿日:2014年 8月30日(土)19時25分39秒

語学が扱う言語は、あらかじめびっしりと死んでいる。
それを蘇らせる力は、個におけるイメージの励起だけだ。
理解は媒介されるものにすぎない。
語にせよ、語句にせよ、語法にせよ、文法にせよ、あらゆるものをイメージとしてしまう架空の暴力的な行為。それが語学だ。

異言語の磁場は、そこをくぐった者を待っているのである。

以上は、語学論の掲示板『大風呂敷』から。
昨夜、レッスン前に殴るように書き付けた。それをここへ転写する(一部、書き換えと削除)。迷信を殴っても手応えはない。

NEO CEDAR を一本もらって火をつける。柿崎君は芋の葉っぱだと言うが、製品名にある CEDAR は杉などの針葉樹のことだ。パッケージにはどんな植物の葉っぱなのかは書いてない。「吸煙し、せきを鎮め痰を出やすくする薬です」という注意書きは書いてある。「成分および分量(一本分)」というところに、塩化アンモニウム、安息香酸、ハッカ油、カンゾウエキス、添加物として香料、その他2成分などと書いてあり、数字が書いてあるだけだ。

煙草のニセモノとしてこれを吸うのだが、けっこう気が紛れる。

深夜のコンビニで柿崎君に会って、NEO CEDAR を教えてもらった。コンビニの店先で、柿崎君はニコチンがよくないのだと力説した。タールは embalming といって、ミイラを保存したりするのに使われるくらいで、腐敗菌を寄せ付けないから体にいいのだと言う。柿崎君は NEO CEDAR を長いこと吸っていると言う。
死体を保存するのと生きている体では違うだろうと反論したりしない。うんうんと言って、柿崎君の力説を聞いていた。もしかすればそうかもというくらいにココロノカタスミで思う。柿崎君は、NEO CEDAR のことは本当は教えたくないようだった。アメリカンドラッグと他にもう一つの薬局にしか置いてなくてあまり入荷しない。入荷したものもすぐに売れてしまって買えないことが多いそうだ。

体にいいかどうかより、とにかく気が紛れる。喫「ニコチン」ではないが、喫「煙」であることには変わりはない。火をつけ口にくわえて吸う一連の動作は煙草を吸うのとまったく同じだ。だから気が紛れるのだろう。煙草のニセモノだが、喫「煙」としてはホンモノである。それに安い。吸っていた煙草は410円だが、NEO CEDAR は280円。一本吸っている時間も、すかすかの煙草の倍はある。葉っぱの密度があるせいだろう。

昨日は NEO CEDAR だけで昼間明るい間は紛れた。
夜、英語のレッスンに入る前に煙草を1本吸い、レッスン中にもう一本吸った。煙草の本数は激減している。入院前は一日に20本入りのパッケージ一つは吸っていたが、退院後10日経ってもパッケージにまだ二本くらい残っている。一日1パッケージが十日に1パッケージくらいになった。
これでやっていけるものかどうか。とにかく英語のレッスンの5時間あるいは6時間ぶっとおしの間に煙草の一本は要る。レッスンが済めば、NEO CEDAR で気は紛れる。

げろを吐くように、語学論と称するものを10年ほど書いた。レッスンを夜中の0時頃に終えて、ネット上の掲示板に向かい朝まで何か書くようなことを10年ほど続けた。ビールを飲みながら朝まで書いていたから、言葉もアルコールに漬かっているものが多い。
脳梗塞も脳虚血発作も、そんな生活に根があるのかもしれない。今は発作的にたまに書くだけになった。

げろがげろのままに放置されている。整理することも、まとめることもできないだろう。せめて、少しは見通しがよくならないかと思っているが時間がない。
小川さんが、「らくださんと根石さんの掲示板上のやりとりがわかりやすいので、そこを抜き出して独立した記事にしてみる」と言ってくれた。そういう作業をしてくれる人にお願いするしかない。

鉄砲玉のように、畑に行きたいのだ。
畑にしゃがんで、草だらけの草を刈り、出てきた土を手で掘り、その軟らかさに触っていたい。何が穫れなくても、かろうじてなぐさめられる。ただその辺に生えている草を使うだけで、土が人間用になっていく。それが確認できれば、なぐさめられる。

また最初からやり直しだが、それはそれでいい。
ここ数年で一番ひどい草だ。草ぼうぼうとはこのことだ。
しかし、これをどうすればいいかはわかっている。
ぎっくり腰と脳虚血の発作で、草とのいたちごっこに負けただけだ。どうすればいいかはわかっている。
草ぼうぼうの畑を見て、宮崎さんは「もうこうなれば駄目だな」と言った。宮崎さんも百姓育ちだ。「そんなことはない」と私は言った。俺は言った。草は刈ればいい。刈って干せばいい。干物になったら土に埋めればいい。この草ぼうぼうの中のどことどこにほっこりしている土があるか、俺はわかっている。
やり方はわかっている。

ぎっくり腰と脳虚血。
ただそれだけのことだ。

春にやったことの失敗は、生ごみ処理用に売っているポリエチレンの黒い袋を、土の上に広げて端を土に埋めたことだった。農家のマルチングと同じことをしたのが失敗だった。草の根がポリエチレンを突き抜けて、土とシートを縫ったようにしてしまうことを知らなかった。
シートは簡単にめくれるようにしておかなければならない。簡単にめくれて、簡単に草の干物を土に入れられるようにしておかなければならない。
草の干物を土に入れたら、その上にただシートを広げるだけでいい。シートの端は土に埋めなくていい。端を埋めないと風が吹けば、シートは舞い上がってしまう。だから、シートの上に刈った青草を散らして置く。青草は乾いてシートに貼り付いたようになる。それだけで強風が来ても舞い上がるようなことはなくなる。やり方はわかっている。手が足りないだけだ。

そんな馬鹿なことをやらないで、機械を使って耕せばいいとおやじは言った。
草を細断せず全草のまま土に入れるので、機械を使っても、草が機械の刃にからまり、機械は止まってしまう。機械は使えない。
もみがらなら機械を使っても大丈夫だが、朝暗いうちからあちこちの精米所からもみがらを集めなければならない。すでにやっている人がいるから競争になる。その競争はやりたくないし、夜中過ぎたころ寝る習慣だから無理だ。
だったら化学肥料か。

農薬漬け、化学肥料漬けの野菜を作るくらいなら、買って食ったほうがましだと俺は言った。
おやじは黙ってしまった。
俺も黙ってしまった。
立って話して、そんなふうになったとき、黙って煙草を一本渡したことがあった。土に座って、黙って二人で煙を吹かすのだ。山を見たりして。黙って。

煙草のニセモノの NEO CEDAR を吸うことに文句はない。
野菜のニセモノがいやなんだ。
一般に出回っているスーパーの野菜はニセモノだらけだ。見映えだけはいいのだが、野菜の味がしないものが出回っている。

久保田大工は、はだしで畑をやっていた。昔、大工仕事の足場から落ちたそうだ。歩くときは体をこごめて歩くが、畑の中では、四つんばいに這って草を取っていた。靴を履かないのは土を這うのに邪魔なのだろう。隣の畑なので、ときどき二人で土に腰を降ろして話をした。
タマネギが余るから持っていかないかと久保田大工が言った。もらいますと俺が言った。
もらったタマネギはまるまると太っていたが、半分使って、余った半分を台所にそのままにしておいたら、切ったところが真っ黒になった。3日ほどでそうなった。気持ちが悪いので捨てた。間違いなく農薬のせいだと思った。
自分で作ったタマネギは、まだ土がよくできていなかったので小ぶりだが、切ったところが黒く変色するようなことはなかった。一週間も経つと乾いて少し色が変わる。だけど、白いままだ。
久保田大工は、好意で俺にタマネギをくれたのだ。
好意でくれたタマネギを捨てなければならないのがつらかった。
つらいが、気持ちが悪い。まっくろになる。売っているタマネギでも、あれほど急激に変色するものはない。
まさかタマネギのせいではあるまいが、久保田大工は俺にタマネギをくれた年に死んでしまった。

脳梗塞の薬を飲むのと、まっくろに変色するタマネギを食うのとどちらが体に悪いか。わからない。たばこを吸うのと、英語のレッスンをしていらつくのとどっちが体に悪いか。これもわからない。ほんとうにわからない。

やたら救急車を呼ぶわけにはいかない。
ひとまずは NEO CEDAR だろう。

変色しない百姓仕事見習い募集中。

 

 

 

肩こり腰痛持ちの紳士淑女のために

根石吉久

 

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参った。ぎっくり腰がよくならなかった。畑は草ぼうぼうになった。畑の土に草を干物にしたものを入れて土を作っていたが、ぎっくり腰でぶらぶらしていた間に、例のごとく草を使って草を育てている状態になった。草の干物を入れた場所は生えている草の背丈が他の場所と全然違う。見事な草だ。人の背丈どころではない。近くに立てば、大きく見上げるほどの草が育った。おお、すごい、と見上げた。何度見ても見事だ。
先月もぎっくり腰のことを書いたはずだと思い、「浜風文庫」を読んでみたが、梅雨入り後まもなくしてやったぎっくり腰は、何月何日にやったのか書いてなかった。「二週間寝た」と書いてあるから、7月の初めにすでに2週間以上経っていたことはわかる。6月の初旬にやったんじゃなかったか。
今、8月2日に入ったところだが、6月にやったぎっくり腰がいったん治ってから、何度も小さいのを繰り返したので、つい2週間ほど前までよくならなかった。
6月に2週間寝た後、7月の初めには立ったり歩いたりはしていたのだが、簡単に軽いやつをやるようになってしまった。畑に1回行って3日ほど寝ているようなことを2度繰り返した。もう完全に癖になってしまったのだなと思った。一晩寝て歩けるような小さいやつをやった時も、畑に行くとまたもう一度軽いぎっくり腰をやったりする。そんなのは何回あったのか、もうわからなくなった。

草ぼうぼうというか、ジャングル状態というか、見事な草の林を見て、いよいよ畑がやれない体になったのかと思った。

腰は何がどうなっているのかわからなかった。軽いのをやって翌日起きても、ものを持ち上げるようなことができない。怖くて駄目なのだ。車の乗り降りもゆっくりゆっくりやった。軽いぎっくり腰をやるのが、日課のようになってしまったのだった。

セブンイレブンで、「体の痛みの9割は自分で治せる」(鮎川史園・PHP文庫)というのを立ち読みした。よさそうな気がしたので買った。これはよさそうなだけでなく、実際によかった。買ってよかった。よかったわ、あなた、と淑女に言ってもらいたい。
この本のセルフ整体術と名付けられているやり方で体をいじり始めてから、小さいぎっくり腰を繰り返すことが止まったのであった。徐々によくなり、草を刈ってから腰を伸ばすのも怖くなくなってきた。

腰が痛いとか肩が痛いというような痛みを治すやり方が書いてあるのだが、やるべきことは簡単なものだ。
例えば、腰が痛いのであれば、腰や腰の周りのあちこちを指の腹で押してみる。脚の付け根や尻などを自分の手の親指や他の指で押してみると、ひりひりする痛みやツーンと響く痛みが生じる場所がみつかる。ズーンとくる重量級の痛みがみつかることもある。
筋肉が固く緊張していたり、細い筋みたいなものが腫れたみたいになっているところが痛い。ここをこの角度から押すと一番痛いなというところを、その角度でぐりぐりと押す。ぐりぐりと大きな動きで押すところもあるし、小さくクリクリと押すところもある。小さい脂の固まりみたいな感触のところはクリクリと押す。

10回ほどぐりぐりやクリクリして、押して痛い状態のまま、足先が向いている方向を変えてみたり、膝を曲げてみたり、首を傾げてみたり、背中を曲げてみたり、いろいろに体を動かして、痛みがなくなるか軽くなる姿勢を探すのである。こうやると痛みがなくなるなという姿勢が見つかったら、その姿勢のまま90秒間、形を固定して動かないでいるのである。

足首や首をほんのわずか傾けるだけで痛んだり痛みが消えたりする場所が見つかることがある。

痛みが消える格好が、痛む筋肉がゆるむ格好なのである。それを90秒保つ。緊張していた筋肉をゆるめるのだ。

何もしないでいると90秒というのは結構長い、格好が崩れないようにしながら、iPhone の画面を見ていたりすることもあるし、何もしないで長い時間が経過するのを味わうこともある。
時間を測るのは、軽トラの中なら勘でやるし、自宅のベッドの上だったら、キッチンタイマーを使って測ったりする。勘でやっても40秒から60秒程度なら割と正確に測れる。90秒にするには、1分は経ったなという感覚があってから、しばらくおまけを付け足してやるのである。

英語のレッスンで、生徒の音がたるんだ状態になっているのを指摘し、「ゆるめない!」というような指示を厳しく申し渡したりしているくせに、自分ではもうあちこちの筋肉をゆるめっぱなしにゆるめている。どこがどういう名前の筋肉なのかは全然知らないが、一つずつゆるめ、数多くの筋肉をゆるめる。

軽いぎっくり腰を繰り返した後に始めたせいか、押すと、もうやたらあちこちが痛かった。痛い場所はすぐ見つかったが、翌日はまた違うところが押すと痛くなった。隠れていたものが、浮いて出てくるような感じがあった。実際は同じ場所を押しているのかもしれないので、それほどでもないのかもしれないが、初めの三日くらいで、数十カ所も痛い場所を見つけたような気がした。

痛みが消えるか軽くなる格好を90秒保ったら、ゆっくりと押して痛かったときの格好に戻す。ゆるめていた筋肉に急に力を入れないようにしながら戻す。その筋肉を使わないで戻せればその方がいい。
元の格好に戻ったら、最初に痛みを見つけたときのように、同じ場所を指の腹で押してぐりぐりやってみる。痛みが軽くなっていれば、その場所の治療は終わり。同じように痛むようなら、もう一度同じことをする。

痛みが軽くなっていたら、他の痛む場所を探して同じことをする。

要約すれば、以下の通り。

指で押して痛いところを探す。
指の腹でぐりぐり(くりくり)する。
指の腹で押したまま痛みが消えるか軽くなる体の格好を探す。(見つかったら、指は体から離してよい)
その格好を90秒保つ。
指で押して痛かった時の格好に戻す。(ゆるめていた筋肉をなるべく使わないで戻す)
指で押して再度ぐりぐりさせ、痛みが軽くなっていることを確認する。

指で押して痛いところを探すとか、指の腹でぐりぐりするというようなことは、この本を買う前からやっていた。痛いところには自然に手が伸びるものだ。人にやってもらったこともある。
土方をやっている人に体を揉んでもらったとき、「ああ、これだ」とその人が言った。私はと言えば、「ひえええ、痛いいい、痛いけど気持ちいいいい」と叫んでしまう。その人がぐりぐりしているところに、凝りがあるのが自分でもわかった。細い筋などにできている凝りは、固めのきょときょとした脂みたいな感触がある。実際に脂であるかどうかは知らない。脂みたいな感触のところではなく、しっかりした太い筋肉などは、張っていたり棒のように固くなっていたりする。
押すと痛い場所は、骨のそばや、太い筋肉のそばにみつかりやすい。

人にやってもらったり、自分でやったりして、痛いところを指の腹でぐりぐりさせるのは知っていた。ここまでは、多くの人も知っていることだろう。
本で初めて知ったのは、押して痛い状態で、痛みが消えたり軽くなる体の格好を探すということだった。知らなかった。

ぐりぐりさせた後、筋肉を弛緩させることを知らなかったのである。

その後もう一度ぐりぐりさせるのは、鍼を打ってもらう場合、鍼の先生が、鍼の先を軽く動かしてしばらく放置し、鍼を抜いてから、その場所を指の腹でぐりぐりするのと同じことだろう。そうやってその場所に血がめぐりやすくするのだ。これも鍼を打ってもらいに鍼灸院に通ったことがあるので知っていた。

90秒、筋肉をゆるめっぱなしにするということを知らなかったのだ。そして、これが効くのだと思う。鍼を打つのと同じくらい効く。畑の草もだいぶ刈った。軽いぎっくり腰を繰り返していたときの何倍も仕事ができる。草の干物をかなり土に混ぜ込むことができた。

娘や女房にもやってみろと言っているのだが、彼女たちはやろうとしない。長年一緒に暮らしてきているので、彼女たちは私を信用しないことに決め込んでしまっているのだ。私はそれほど信用できない人間なのである。

馬鹿だねえ。やってみて駄目なら駄目と言えばいいのだ。決め込みということは恐ろしい。やだねえ。決め込むことに決め込んでいるのである。恐ろしいねえ。

読者の皆様におかれましては、どうぞお試しあれと申し上げておきますぞ。

このところ寝不足が続いておりますので、今回はたったこれだけ書いて、明日の暑さに備えさせていただきます。頓首。
と、ここまで書いて寝た。もうそれだけでゲンコーにするつもりだった。
夜中3時頃に寝て、よく寝た気がして起きたら午後の3時だった。飯屋でこの時間に開いているところはほとんどない。4時で店を閉めるが、4時までは飯が食えるキャロルに行った。休みだった。かっぱ寿司しかない。かっぱ寿司に戻って、サーモンとイカを攻めた。「本気の炙り」とかいうのがあり、サーモンはいろんな炙りがある。トロサーモンの炙りが、炙りが浅くてうまい。イカはソデイカ、マイカ、アオリイカだったか、3つ食った。サーモンはまずチリの養殖ものだし、イカにはストロンチウムが蓄積されないとフェイスブックで読んだから、サーモンとイカを食うことが多くなった。
カツオのヅケも食ったが、太平洋で穫れる回遊魚を食うときは、放射能を食うつもりで食う。店内放送が「さまざまな品質管理をやっている」と放送している。何が品質管理かと言えば、日本で穫れた魚はホームページで県名まで明らかにしているというだけのことだ。
以前は、店内に魚の名前とその魚が捕れた海の名前を書いて張り出してあった。マグロのところを見たら、「太平洋」と書いてあった。あんたねえ、福島第一原発のすぐ脇の海も「太平洋」なんだぜ。

かっぱ寿司の店内放送は、国が決めた100ベクレル以下なら安全なのだと言っているにすぎない。はっきりとそういう数字を言わないで言っているにすぎない。何県で穫れた魚でも、漁港がその県にあるというだけのことだ。その県の陸地の上を海の魚が泳いでいたわけはない。県名を明らかにして何がなんだというのだ。
野菜のように、その県の土地で栽培するわけでもない。福島以外は安全だなどということがあるわけはない。魚は泳ぐし、回遊するのだ。だから、食うことはロシアンルーレットだ。回転寿司を回転する寿司のどれが実弾なのかわからない。どの県の漁港にあがった魚なのかをホームページに公表してあるからといって、なんで「安心」なのかわからないままとにかく食う。

無意味な放送をかっぱ寿司に行くたびに聞かされる。胸くそが悪くなる。お茶を飲む。

お茶を飲み、ガリを囓り、かっぱ寿司を出て、今日はコーヒーで休まずそのまま国民温泉に行った。セルフ整体をやり始めてから、温泉が気持ちよくなった気がする。先月、体調の「陰の極」というようなことを書いたが、セルフ整体を始めたら、「陰の極」を遠ざけておけるような気がするのだ。今のところ「陰の極」は一度も来ていない。

飯を食って、温泉で温まり、セブンイレブンの駐車場に駐めた軽トラの中で、コーヒーを飲みながらセルフ整体を40分くらいやった。それだけで、英語の仕事が始まる時間になってしまった。起きて、飯食って、温泉に入って、セルフ整体をやっただけだ。畑に行く時間はない。

頓首だ。英語のレッスンはさっき終わったが、頓首だ。
あんなに寝たのにまた眠い。
そうだ。つけ加えておかなければ。
セルフ整体がうまく体に届くと、眠りが深くなる。
であるからして、頓首。
来月再拝。

 

 

 

 

「何が閣議決定か。馬鹿らし。独裁ごっこだ。」と、フェイスブックに書いた夜に

根石吉久

 

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「閣議決定」という言葉を、この歳になってようやく覚えた。内閣のメンバーが集まって決定したことというようなことらしい。つまり、国会の議事を経ずに決定されたということである。
つい20分ほど前まで前日だったのだが、前日の夕方近く、集団的自衛権というものが閣議決定された。閣議で決定するものだから憲法の元で合法なはずだが、集団的自衛権が合法なのか違法なのかについて国会の議論は経ていない。
集団的自衛権を使えば、例えば、アメリカが他の国から攻撃されている場合、日本がアメリカと一緒になって攻撃する国と戦争することができるらしい。アメリカ本土でではない。どうせアメリカのことだ。いつだって、よその国に軍を送り、よその国で戦争をしているのだ。たいていは、アジアかアラブだ。

そこで日本の軍隊が戦争をする? なんのこっちゃ。

憲法に書いてあることを普通に読んでみれば、これは憲法と相容れない。
軍靴の音が聞こえるかといえば、私には今はまだ聞こえない。私が鈍くて、戦争を知っている年寄りたちはすでにその音を聞いているかもしれない。

私もすでに年寄りの仲間だが、ぎっくり腰の年寄りになってしまった。
話は急にぎっくり腰のことになる。

最初にぎっくり腰をやったのは、千曲川の河原でだった。家の中に猫のトイレを作るのに砂が必要だから、バイクで砂を運んでくるつもりででかけた。スコップで麻袋に砂を入れ、バイクの荷台に載せようとしたら、それまで感じたことのない痛みが背骨のあたりを雷の光のように走った。冠着山や三峯に黒い隈ができたように思った。河原が急に暗くなったようだった。

その時は何日くらい寝ていたのか覚えていない。

自宅自作をやっていた間は、相当重いものを持ち上げたりしたが、これも何回くらいぎっくり腰になったかを覚えていない。何度もやったことは確かで、なおりきらないうちに軽トラを運転して、軽トラのドアを開け、座、席か、ら下、りるとき、のつら、い感、覚は、その場、所と一緒、に、覚えて、い、る。  う。

夜中じゅう起きていて、昼頃起きるようなことが癖になっていて、これは今でもなおらないが、この寝起きのパターンと力仕事とがどうも相性が悪いらしい。
ぎっくり腰をやるのは、起きてからそれほど時間が経たないうちにやることが多い。

脳梗塞をやる前から、起きてから何時間もぼうっとしている状態から抜けないことは常態だった。ねぼけている状態が3時間も4時間も続くのだ。
昼に起きて飯を食って、自宅自作の現場に行き、高い足場の上に登ったりもしたのだが、現場仕事をやっていてもしばらくの間は、どうもぼんやりしていることがあった。丸鋸の刃が回る音で、神経だけが醒めてきて、体はまだ一部眠っているような状態でやっているのが常態になっていたように思う。
体がしゃきっとしてる時は、相当重いものを持ち上げたりしてもぎっくり腰になることはない。体が一部眠っているような、だるくて仕事に取りかかるのがいやだと思うようなときに、ちょっとした動きでぎくっとなる。一度やれば、3日ほどは寝たきりになり、トイレに行くのもつらい。体をほぼ普通に動かせるようになるまでに一週間、痛みがなくなるまでに二週間はかかることが多い。
40歳台から50歳台にかけて、語学論の掲示板を夜中じゅうやり、朝方眠ることを10年ほど続けたが、この間が一番ぎっくり腰をやった。頻繁にやるので、「俺はプロだ」と言ったことがあるが、自分ながら何のことだかわけがわからない。
どうもコンピュータの前に座って朝になるような生活と、体を使う仕事とは、そうとう相性が悪いらしいとだんだんわかってはきたのだ。

でかいやつもあれば小さいやつもある。小さいやつなら、3日ほど寝ていれば普通に体を動かせるようになるが、一番ひどかったのは、3ヶ月ほど痛みが取れなかったのがあった。歩いたりはできるのだが、痛みが取れず、医者に行っても変わらず、岡田幸文さんに電話でボヤいたら、岡田さんが雑誌の記事の腰痛体操をコピーして送ってくれた。その体操をしてみたら、体の中で何か動いた感じがあり、それきり痛みがなくなった。糸が何かにひっかかっていたのが外れたという感じだったのは、実際に神経という糸がひっかかっていて、それが外れたのじゃないだろうか。
仰向けに寝て、両腿が腹の上にくるようにし、両脚を折り、膝小僧を手で持って胸の方に軽く引いたままにし、しばらくそれを維持しているというだけで、体を大きく動かすような体操とは違う。それだけの動作が、この時はテキメンだった。医者に行き、牽引だの、赤外性で暖めるだのいろいろやってもらっても、痛みがとれずにいたのだが、腰痛体操を一回しただけで、すっと痛みがなくなったのにはびっくりした。
医者に行き、友達に教わった体操をしたらなおったと言うと、医者は嫌な顔をし、だったらその体操を続けろと言った。わざわざそんなことを言いにくるなという感じだった。参考になるかなと思ったので、痛みがとれたのにわざわざ行って話してあげたのに。

60歳を過ぎていたかどうか、60歳前後に、温泉に入っていてぎっくり腰をやった。何が原因かわからないので、感覚的にしか言いようがないが、どうも体の状態が陰の時と陽の時とがあるようで、ゆっくりと陰と陽の時期が交替しているようなのである。温泉に入るとそれがわかる。陽の時は、体の芯までお湯の温度が届く気がする。体が温まるのも、湯上がりに体を冷やすのも気持ちがいい。陰のときは、長くお湯につかっていられないし、長くつかっていられる時でも体の芯のほうに冷えたものがいつまでもある。温まった感じがしない。
温泉でぎっくり腰をやったのも、陰の時、あるいは陰の極の時だったのだろうと思う。お湯に入っていても、うそ寒い感じだった。湯口のお湯を飲もうと思って、カップを取ろうと、少し離れた位置から手を伸ばしたら、ぎくっと来た。どこで何が待ちかまえているか、わかったものではない。温泉でぎっくり腰をやったと言うと、人は笑う。信じない人もいる。馬鹿言うなとも言われた。

今年。梅雨に入る前、5月の晴れた日の日差しがきつい時はよく温泉に行った。2時から3時半頃まで温泉にいて、4時過ぎに畑へ行くということを晴れた日の日課のようにしていた。せっかく湯に入ってさっぱりして、また夕方汗をかくのが欠点だが、暑さよけにはいいアイディアだと自分では思っていたのだ。

梅雨に入って空気に湿気があるようになって、すぐに今年のぎっくり腰をやった。温泉から出て、そのまま畑に直行し、草を刈って立ち上がったら、ぎくっと来た。

二週間寝た。英語のレッスンの時だけ起きた。

どうも温泉で体を温めるのと、ぎっくり腰になるのが関係がある。起きて温泉に行っても、体は目をさまさない。逆にまた眠りに入ろうという態勢をとってしまうようだ。そういう状態の体で力仕事をしてぎっくり腰になるのは、起きて間もない時間にぎっくり腰をやったのと同じ原因なのではないか。それを激化しているようなものではないか。

陰の周期が来ている時、体がまだ寝ている、あるいは眠りに入ろうとしている時にぎっくり腰をやるのではないかと考えるようになった。神経と体は、ずれている。少なくとも私の場合は、ずれている。

いろいろやってみるが、今回は体の痛みが取れてから天狗山と呼んでいる公園へ通っている。天狗を信仰しているわけではない。
雑木のゆるい斜面の木を切り、桜を植えて公園にしたところだが、車道がつづら折りになっている。そのつづら折りを串刺しにするように、斜面を直登できるような散歩道ができている。ここを歩くと、斜面を一番きつい角度で登っていくので、ほぼ15分で息が切れ、呼吸が荒くなる。体に血がめぐるのがわかる。公園の一番高いところに着いたら、なだらかな車道のつづら折りを歩いて車を駐めたところまで降りてくる。降りてくる間に、呼吸は元に戻っていくが、その間に体が目を覚ます感覚がある。歩きながら、ああ、目を覚ましていくなあ、と思う。

隣町の戸倉で飯を食うことが多いので、飯の後、セブンイレブンでコーヒーを飲み、食休みしてから天狗山に行く。それで体が目を覚ました感覚を得てから畑に行く。これが今のところいいみたいだ。一度、小さく、体をしゃきっとさせるのはいいみたいだ。まことに小さな生活の知恵だ。

ぎっくり腰はつらい。本当にどうにもならないということを思い知らされる。寝返りが打てないとか、小さい咳をするだけで激震のように痛みが走るとか、椅子から立ち上がるのに1分も2分もかかるとか、その1分2分がとてつもなく長い時間に感じるとか、まあいろいろ言ってみるが、つらいのだ。もう俺は終わったんじゃないかと思ったことが何度もある。

今回のぎっくり腰は一度は痛みが取れたのだが、どうも不快感のようなものがすぐに復活する。
昨日、畑が暗くなりかけて仕事を切り上げたとき、軽トラに乗ってすぐに、集団的自衛権はどうなったんだと思い、iPhone のフェイスブックを立ち上げた。ニュースフィードに山本太郎の「無法者め!」というようなタイトルの記事があって、閣議決定がなされたのだと知った。

帰りの車の中で、そうだ、首相だとか大統領だとかやる人は、重いぎっくり腰を何度かやった人に限るという国際法を作るといいと思ったのだ。あんまりぴんぴんしてるような人が首相やら大統領やらやるもんじゃない。ぴんぴんしてるやつには資格がない。安倍の腹痛程度じゃ駄目だ。自分の体ひとつが自分で動かせない感覚を知ってる人がやるべき職だ。自分では動かせないが、他人にはなおさら動かせないのだ。女房だって駄目だ。自分でそうっと動かすしかない。机に両手を突いて、1分も2分もかけて、腰を30センチほどあげて、その後10秒くらいかけて、ゆっくりと腰を伸ばすような不自由こそが、外交ってものじゃないか。現実ってものがなければ、腰が痛ければ、痛い間は寝ている。俺はそうする。現実ってものがあるから、椅子に腰掛けなければならない。そしてなお、30センチ腰を上げる長い長い旅をしなければならない。安倍はこの旅を知らない。

国際法はまだまだの出来だ。法整備はできていないが、首相になりたい人や大統領になりたい人は、その前にぎっくり腰をやろう。
そうじゃないと、生活を思いやるということができないようなハンチク野郎が生活に迷惑をかけるのだ。

畑から帰る途中で、そんなことを思ったので、最初に集団的自衛権のことを書いたのだった。神経がひっかかるようにひっかかっている。腰痛体操ではどうにもならない。

ん?
集団的自衛権?
集団的の「的」って何だ?
自分の腰を撫でながらだが、近頃の日本語はどうもなまくらだと思う。

そういえば、フェイスブックに、次のようにも書いたのだった。

「解釈」!
そんなもの、学校の教室ででもやってろ。
「解釈」が直接的に生活に触ることは、犯罪者の直接性と同じものだ。

 

 

 

収穫することにやぶさかではないが・・・

根石吉久

 

サツマイモ予定地
サツマイモ予定地

 
ブラウザに公開される「ページ」というのが、フェイスブック上に作れるらしいと分かり、一つ作っているうちに二つできてしまったのが二年ほど前のことだった。片方を、語学論と称してきたものを掲載するのに使うつもりだったが、井上陽水の my house のURLなどを貼り付けて遊んで、放置してしまった。もう片方は、使い途が思いつかなかったので、そっちもそのままにしてしまった。
今年、畑に出たのは二月の終わり頃だっただろうか。アイフォンで写真を撮って、畑からフェイスブックに送ってみた。アイフォンでは文章が書きにくいので、写真だけ送っておき、夜、英語の仕事が終わってから、ビールを飲みながら短い文章を書くことが多かった。ごく短いコメントは、畑でアイフォンで書くこともしたし、畑から帰る途中、コンビニの駐車場に車を駐め、コーヒーを飲みながら書くこともあった。

畑でサツマイモを作り、去年作った石釜で焼き芋を焼き、焼き芋屋になることを予定しているとフェイスブックに書いたら、山下徹さんが、今年の秋、焼き芋を買いに行くつもりだと書き込んでくださった。神戸から長野まで、焼き芋を買いに来てくださるというのである。山下さんが、私の焼き芋屋の最初のお客様になるのだろう。

何年か前、サツマイモを作り焼き芋を焼いたことはある。その時は、ドラムカンを改造した窯で作ったが、焼き芋はうまくできた。
そのとき芋を作った畑と今年は畑が違う。今年、サツマイモを植える予定のところは、ずっと草を生やして放置しておいたところであり、草の根が土の中にびっしりと広がっている。耕さずに、ノコギリ鎌で草の根を切るだけで、サツマイモの苗を植えるつもりでいたが、少しは鍬を入れないと駄目だろうか。あのままでは、草の根に縛られたようになり、芋がふくらむ場所がないのではないか。
前に遊んだ時とは、窯も違うし、畑も違う。畑が違うからできる芋も違うはずだ。焼き具合も違うはずだ。どうなるだろうか。
その後、山下さんはフェイスブックの違う写真にコメントして下さり、秋、奥様も同行する予定だと書かれた。ううむ。お二人で来られて、しかも、うまく芋ができてなかったら、芋を買ってきて焼いて、ごめんなさいと言うしかないなと思ったが、問題はそれだけではない。山下さんは、奥様に農業指導をして欲しいと書かれていたのだ。

考え込んでしまった。

考え込むと言っても、どうせ私のことだから、30秒ほど考え込むことをしただけなのだが、その後、畑にいて、喉に魚の骨がひっかかったようなこころの状態になっていた。気になって何度も思い出すのである。農業指導かあ、と思うのである。

俺はいったい何をしてきたのか、と思うのである。

実に様々なことをしてきた。一貫していたのは、農薬・化学肥料を使わないということだけで、その他に一貫していたことは思いつかない。土手草を使ったり、キノコ栽培後の廃菌床を使ったり、30センチもスコップで掘って廃菌床を敷き詰めてみたり、土手草を畝の上に敷き詰めてみたり、最近では、畑の通路の草を刈り、天気がよければ一日か二日、天日で乾かして草の干物を作り、それを5センチ、10センチ程度に浅く埋めて土とまぶしたり、とにかくいろいろやってきた。
その時々で、手応えがあると人に話したりもした。こうやるとこうなるということを話して、人様がそのやり方を採用してくれ、試してみてくれることもあった。そのことで、その人に迷惑をかけたかもしれない。
例えば、川口由一の方法を試したときだが、「草は刈ってその場に置く」ということを試したのだった。川口はその方法は「誰にでもできる」と言うのだが、とんでもないことだった。確かに「刈ってその場に置く」というだけのことなら、「誰にでもできる」。刈ればいいのだし、その場に置けばいいのだから、ぎっくり腰をやっているとか、体が動かせないとかでなければ、私にもできる。しかし、このやり方は、いつも注意深く畑を見ていなければならない。草によっては、新しく出てきた芽が、刈って置いたものを持ち上げてしまって、枯れ草の下がスカスカになったりする。草が土に触れていなければ、雨が降ってやんでも、すぐに乾いてしまう。そうなれば、草はなかなか土になっていかない。その場合には、伸びてきた新しい芽をもう一度刈るようなことをして草を弱らせ、刈られて枯れた草が土に接しているか、土にごく近いところにあるように直さなければならない。手間がかかる。
「刈ってその場に置く」という行為自体は「誰にでもできる」が、絶えず畑を見ていて、細かく手を入れていくことは誰にでもできるわけではない。私の場合は、英語の練習用の教材を新しく作り始めたり、去年のように庭に石釜を作り始めたりしてしまうと、畑に行くことは激減する。それが、そのままこの方法の失敗につながっていった。一言で言えば、専業で「草は刈ってその場に置く」のでなければ、まずほとんど失敗する。

部分的なことを人に話しても、うまくいくとは限らない。
しかし、部分的なことだけ聞いて、それを試してみてくれた人はいて、その人の元でも、私の失敗と同じことが起こった。つまり、ただ単に畑が草ぼうぼうになったということである。草を刈って、その場に置いて、その場で草を育てているだけになったのである。作業全体の中には、どれだけ畑に時間が使えるかということも含まれている。川口はそのことには触れず、「誰にでもできる」と言っている。だから、「とんでもない」なのである。

川口の方法の後、ネットで知ったのは炭素循環農法と言われているやつである。炭素循環農法でキノコの廃菌床を使う場合は、菌床に糸状菌がまだ生きているうちに畑の土の浅いところに混ぜる。
山にある腐葉土などをひっくり返してみると、枯れた小枝などが湿り、白い糸のような菌が枝に沿って伸びているのが見えることがある。この白い糸のようなものが糸状菌なのだが、キノコ栽培後の廃菌床の糸状菌を生きたまま土に混ぜ込むのは難しい。
キノコの栽培工場と打ち合わせをして、廃菌床が出る日に一挙に畑に混ぜなければ、「生きたまま」の糸状菌を使うことはできない。野積みにすれば、糸状菌は発酵熱で死んでしまうのだ。それに、キノコの栽培工場から出たばかりの廃菌床を、その日のうちに土に混ぜ込むには、私の方で浅耕できる中型以上の耕耘機を持っていなければできないが、私は持っていない。少しだけ試してみて、廃菌床を使うことはあきらめた。

炭素循環農法のもう一つの資材は、畑やその周りに生える草である。川口由一の「刈ってその場に置く」でも、草は使ってきたので、草を干物にして土に浅く埋める方法でやってみることにした。

なぜかわからないが、川口の「刈ってその場に置く」だと、ドバミミズが殖える。雨上がりなどに、土の中から出て這っていたミミズが、急に太陽に照らされ、土の下に逃げ遅れて死んでいるのを見ることがある。場合によっては20センチもあるような大型のミミズである。この辺ではドバミミズと呼んでいる。鯉釣りの餌に使える。

単にミミズと呼んでいるのは短いやつだ。シマミミズも縞のないやつもひっくるめてミミズと言っている。大きくても5センチ程度、鮒釣りなどに使うのは、3,4センチ程度のもので、堆肥の裾などに棲んでいる。最近では堆肥の山を見なくなったので、ミミズもあまり見なくなった。
ミミズは、有機物がよくこなれていない土、土を掘れば土が腐敗に傾いていて、土が臭いようなところにいる。

炭素循環農法では、「ミミズのいるような土はよくない土だ」と言っている。ここで言う「ミミズ」が、この辺で単にミミズと言っている短いミミズなら、それはその通りなのだが、ドバミミズのいる畑の土は臭わない。ドバミミズは、有機物がこなれて、浄化され、清浄になった土にいる。
有機物は積み上げると腐敗しやすい。だから堆肥の裾にはミミズがいるのだ。これが、炭素循環農法がけなしている「よくない土」だ。それはその通りだが、炭素循環農法は、ドバミミズのいる土のことがわかっていない。ブラジル生まれの農法のせいなのかどうかはわからない。

草などを浅く散らし、絶えず土に直射日光が当たらないようにする場合は、草と土の接するところで、腐敗の過程が生じないまま、草は土に変わっていく。発酵熱も出ない。これが、川口由一の方法がうまくいった場合に起こることだ。これだと、ミミズはいなくなり、ドバミミズが急激に増える。釣りの餌に欲しいときは、畝の草を刈る。ドバミミズは草が刈られる音が嫌いなのか、草の根の震動が土を震わせるのが嫌いなのか、土から出てきて人の目に見えるところを這う。やたら体をくねらせているので、あわてているのがわかる。ちょっと草を刈れば、簡単にいくつも拾えるくらいに出てくる。こういうふうになった土はいい土だ。変な臭いはまったくしないし、林の中にいるときのようなにおいがかすかにする。野菜も育ちさえすればうまい。

だから川口由一の方法はいいのである。いいのであるが、手間が馬鹿にならないのである。手間まで含めて、「誰にでもできる」と言っているのではないのである。くどいようだが。

川口の方法を試しているとき、女房をどやしつけたことがあった。女房が通路の草を根こそぎ抜いたから、どやしつけたのだ。「草は刈ってその場に置く」ということを試しているときだったし、それを試しているのだと女房に伝えてあったにもかかわらず、草を根こそぎにしたからどやしつけたのである。それをやられたのでは、実験ができない。
うちの女房は大変強情で、伝えるべきことを伝えてあっても、それを無視して、勝手に自分のやりたいようにやる。別に百姓仕事に限ったことではない。相手が考えていることを「汲む」ということをしないのだ。あるいは、表面的な論理しか「汲む」ことができないのだ。「草は刈ってその場に置く」はきわめて表面的な論理だが、その時は、それさえ汲まなかった。無視した。だからどやしつけた。
どやしつけたあたりから、女房は畑を手伝うことはしなくなった。今では、私が一人でやっている。

炭素循環農法は、草を「置く」のではなく、「混ぜる」。これは別に独自性を主張できるほどのことではない。農薬や化学肥料が普及するまでは、どこででもやっていたことだ。独自性を主張できるとすれば、草を刈って少し放置し、干物にすることと、その干物を土の浅いところに埋めるのだと言い、「浅いところ」を強調したことだ。

「干物」という言い方は、私が勝手に言っているのであり、炭素循環農法では「秋のもの」と言っている。
春や夏に刈った草も、日干しにして枯れてきたものは「秋のもの」だと言っている。炭素循環農法を広めるためにネットのユーチューブによく出てくる人は、最近の日本人は、「秋のもの」という言い方で言っていることが伝わらないとぼやいている。枯れ葉や枯れ草の「枯れた状態」のことを「秋のもの」と言っているのだが、そんなふうに情緒的に言う必要はない。春に刈って乾かしたものは「春のもの」だし、夏に刈って乾かしたものは「夏のもの」だ。どっちも「干物」だと言えばいいことだ。

今やっているのは、炭素循環農法から得たヒントにもとづいている。しかし、去年の半年ほど、つまり春から秋まで、石釜を作っていたので、畑に通えなかった。そのせいか、野菜がまずい。サラダで食べられるはずの葉物野菜が渋みが強すぎてまずい。これじゃあ駄目でしょ、と思った。

川口由一の方法とまったく両立しないものは、今年の3月半ば頃から着手したポリエチレンの黒マルチの使用である。ビニールやポリエチレンを使った農法を、長年にわたってしゃらくさいものとして眺めていたので、ポリエチレンのマルチをするのは、私としては、完全な敗北である。これが完全な敗北であることは、別の原稿に書いた。

黒マルチは炭素循環農法とは両立する。ユーチューブで講釈する人は、草を「秋のもの」にして、土の浅いところに埋めるということだけしゃべっているのだと思っていたが、マルチをすれば「もっといい」と言っているのをたまたま聞いた。
ちょっと待てよ。マルチは、土と空気を遮断する。そのことで棲みつく微生物はまるで違ってくるはずではないのか。「もっといい」程度の違いで済むのか。嫌気条件を作って、「もっといい」などというのなら、これまでどうして草の干物を土の浅いところに埋めると言ってきたのだ。土の浅いところとは、好気性の微生物が活動する場所ということではないのか。そういうことも気になったが、炭素循環農法はポリエチレンやビニールを使うことは気にしないのだなと思った。

近所にゴミの溶融炉が建設予定だと聞き、自分で持っていた印刷機でビラを刷り、バイクで一軒ずつ村や町の家の郵便受けにビラを配って歩いたことがある。塾に英語を習いに来る生徒が激減した。
ビラにプラスチックを燃やすなということを書いたこともあり、プラスチックやビニールやポリエチレンの「使用後の行き先」「使用後の処理法」が気になるようになった。炭素循環農法は、そんなことは気にしない。
私は、破れたポリエチレンのマルチは、新しいポリエチレンの袋に入れ、畑の通路に浅く埋めようと考えている。草が生えにくくする用途になら長く使える。今のところ、それ以外の使い途は思いつかない。土で汚れたポリエチレンを行政に渡そうが、農協に渡そうが、どうせ焼却するか溶融するかどっちかだと思っているから、行政にも農協にも渡す気はない。

どうにも気になるのが、今年の野菜がまずいということだ。去年一年、畑に通う日が少なかっただけで、こんなにまずくなるのかというくらいにまずい。畑に毎日のように出られなくても、たまには草の干物を土に入れていた。しかし、入れっぱなしで、一月後くらいに土と混ぜ、有機物と土がよく接触するようにする作業はさぼった。渋みはそのせいではないかと推測している。土はなまものだとか、土は生き物だという言い方は、近代科学からは違うと言われるだろう。近代科学以後では、土は肥料分を含む細かい鉱物に過ぎないのだ。しかし、その言い方は科学的に正確であるだけだ。
川口の方法でやるとドバミミズが急激に増えるというようなまったく別の信号を受け取っている場合には、土は生き物だという言い方は非常に正確な言い方だと思う。

黒マルチの他に今年始めたことは、えひめaiというものを使うことである。
以前、EMがはやったことがあるが、微生物や酵素のブレンドを作ることでは、えひめaiもEMも似たような考えにもとづいている。
EMは「有用微生物」の英語の頭文字だが、要するに自然界にいる微生物の中から優等生を集めブレンドしたものである。えひめaiとブレンド具合がどんなふうに違うのかはわからない。というのは、EMは製法が閉じられていて、EM菌というものを消費者が買わなければいけないようになっているからだ。製法が非公開で、その利権を世界救世教が買ったというような噂を聞いた。

えひめaiは、製法が公開されている。

えひめaiで使うのは、イースト菌、納豆、ヨーグルト、砂糖である。これらを一定の割合で混ぜ、35度の熱で24時間、急激に繁殖させる。イーストや枯草菌や乳酸菌が砂糖を餌に繁殖し、酵素やアルコール(微生物の糞)を作り出し、酵素やアルコールが、土中の微生物のうち有機物を発酵させる性質のものを活性化させるのだろうと考えている。
えひめaiの作り方は、ネットで「えひめai」を検索すれば出てくる。えひめaiの元になっているのは、スーパーで買えるような「微生物の優等生」だが、優等生は自然界にただ置かれると弱いものだ。微生物のまま土に混ぜても、おそらく自然界の微生物の餌になるだけだろう。だから、35度の熱で24時間繁殖させるようなプロセスは人工的に行わなければならない。
えひめaiを作ることは、発酵菌を繁殖させ、腐敗菌を抑えるような性質の酵素を作ることだろうと推測している。

黒マルチの下に、ジョウゴで月に一度くらい注入してみようと思っているが、今年の野菜の味の悪さはどうなるだろうか。良くなってくれ。今年の野菜はうまくない。つまり、まずい。

農薬や化学肥料を使わないことの他に、もうひとつ一貫していたことがあると気づいた。土が良くなるのか、悪くなるのかにはいつも興味があったが、収穫できるかどうかにはほとんど興味がなかったということが一貫していた。だから、土や草をいじっているだけで、なんにも穫れないことがあっても、それはそれほど気にならなかった。
百姓をするのは、野菜を「穫る」ことが目的だろう、と言われてもピンと来ない。「穫る」ことにやぶさかではないが、そんなに興味がないのである。それよりも、畝の草を刈るとドバミミズがどんどん這いだしてくるとか、草の干物を埋めようとして、土を浅くどかすとき、以前に埋めた草のせいで土がほっこり軟らかくなっているとか、土をどかすのに力が要らなくなっているということの方がずっと面白かったのだ。台所から出る生ごみを畑に持って行き、以前に生ごみと土を混ぜておいた山を割って、新しくて臭い生ごみをおしあけ、鍬で混ぜる。その時、えひめaiの数百倍液の水をかけてやると、生ごみのいやな臭いが消える。そういうことも面白かった。完全に腐敗の方向をたどり始めている有機物を、発酵の方向へ瞬時に転換させていることが、人間の嗅覚でもわかるのだ。

私は、広い意味でなら、発酵マニアの一人なのかもしれない。

発酵マニアの遊びであり、百姓仕事でも農業でもない。そういうふうに書いてみると、なんか、自分で、納得できる。自分がそういう者なので、山下さんの奥様に「農業講座」(徹さんの言葉だったと思う)はできないのだということがわかる。それを明らかにすることができれば、喉に骨がひっかかったようなこころの状態は、直るのではないか。

なにしろ、収穫を邪魔扱いしないまでも、目的とはしていないので、家族からは馬鹿にされっぱなしである。収穫するというだけのことなら、私よりも女房の方が上手なくらいだ。だから、女房は私を堂々と馬鹿にする。土佐のハチキンにつける薬はない。

こうしたらこうなったと言うことは、手間が許すかぎりなるべく公開していくつもりだが、同じようにやってみてわかったことは、やってみた方が公開して欲しい。私も参考にしたい。
自分が何をして来たのかということが、少しはっきりした。書いてみないと、はっきりしてこないものというものはあるものだ。

■フェイスブック「素読舎」

 

 

 

 

ガソリンは昨日入れたのか。今日か。

根石吉久

 

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風邪をひいた。風邪の場合は、なぜ「ひく」と言うのだろうか。風邪に「かかる」とも言うのだろうか。風邪を「ひく」という場合、どこから「ひく」のだろうか。「たす」とか「ひく」とかの「ひく」ではないのだろう。引っ張ってくるの「ひく」か。なんにも知らないのである。
先ほど、軽トラにガソリンを入れたのは昨日だったのか、今日だったのか思い出そうとして、まったく決められなかった。そのとき、蚊がプーンというような音をたてて、顔のそばを動いた。そうだ。さっき立ち上がったのは、電気で蚊を殺すために無臭のガスを出すキンチョーノーマットだかなんだかのスイッチを入れるためだったのだ。さっき立ち上がって、何をするんだか忘れ、座ったばかりなのだ。座って、こうして字を書いたら、キンチョーノーマットだかのスイッチだったと思い出した。再度立ち上がり、スイッチを入れて来ようかどうか、と書いているが面倒くさがっているのがわかる。
軽トラにガソリンを入れたのが、昨日だったか今日だったかを決めたい。どうしてもというわけではないが、「のどごし生」350ミリリットルを一挙に飲んだオツムで、果たして思い出して決められるのかどうか、試してみる価値があるかどうか。
決めるためには、今現在から徐々にゆっくりと時間をさかのぼっていく方法がいいのではないか。今ここにいる前は、国民温泉に浸かっていたというような大雑把な思い出し方ではなく、国民温泉を出発し、今ここ(自宅)に至るまでの途中で、ファミリーマートで「のどごし生」を買ったとき、二十歳前の可愛い女の店員が、カードを俺に返しながら、汚いものに触らないように細心の注意を払っているのを気づかれないようにしているのに、客の俺は気づいたが、俺が自分で見ても、ジャンパーの袖口が実に汚いのであった。というようなことまでも思い出すのがいいのではないか。
赤いちゃんちゃんこを来て、鎮座とかしたいのだが、させてもらえないので、オレンジ色のジャンパーを着ている。
オレンジ色のジャンパーだから汚れが目立つ。毎日のように畑で土をいじるときに着ていたから、袖口まわりがしっかりと土の色で汚れまくっている。国民温泉から出たばかりでやたら額に汗をかくので、大粒の汗をジャンパーの袖口でぬぐい、その腕でそのままカードを渡したので、畑の土で汚れた袖口が汗の水でてらてら濡れていたのであることまでも思い出すのがいいのではないか。うむ、女の子は、汚いものに触らないように細心の気を配ったほうがいい。もっともだ。それが、国民温泉から今ここまで来る途中にあった「もっともなこと」だ。が、それくらいしかなかった。風邪のせいだろうと思うが、気を緩めると簡単によろめくので、車に乗ってファミリーマートを出発し、自宅までたどりつくのもけっこうきつい長旅だったと思えば思えなくもないようなものだった。が、それでも、それくらいしかなかった。車の運転自体は覚えていないものなのだ。女の子の思惑というのは覚えていられるものなのだ。
国民温泉から今ここへ、という流れではなく、今ここからファミリーマート経由で国民温泉へと、時間をさかのぼって、しかもなるべく細かくさかのぼって、汚いものに触らないようにしていた「みずみずしい女の子の指」が、白くて細くてきれいだったことなども漏らさず思い出すように努力しながら、さらにさかのぼっていけば、軽トラにガソリンを入れたのが今日なのか昨日なのかが確かめられるのではないか。

それにしても、イメージというものはその本性として、純化されるものなのだ。ガソリンのことなんかどうでもいいんじゃねえのかよ。どうでもいいんだが、ほんとうにわからない。指はきれいだった。さきほども書いた通り、「確かめて確かにした」ところで、「そうかそうかで終わり」なので、確かめる価値があるかないかはとにかく、わけがわからない。いや確かめようがない。いや確かめられる。またファミリーマートに行けば、きれいな指を見るのだ。きれいだなと思えば、瞬時に、とてつもなく果てしなくきれいになる。ガソリンをいれたのはいつか、と夾雑物としての疑問がまぎれても、夾雑物は払拭されて、白い指が確かなイメージになる。店を出ようとした。俺の前の透明な自動ドアが開く。指がきれいだったと思った。一瞬に、イメージはきれいにしたくてきれいにしてしまう。俺? 俺じゃない。イメージの本性が勝手に純化するということをする。アメリカも日本も中国も国家はきちがい。国家こそイメージでできている。長いものが、人々のイメージを巻き取る。長たらしい舌のようなもの。人もきちがいになり、生活を壊してまで、イメージのために生きる。イメージは恐ろしい。白い指はどこまでも白い。与えられるな。自分で作れ。作れない間は、白い指がきれいになるのに、どれほど時間というものが要らないかを微細に見るがいい。指じゃねえ。どれほど時間が要らないかをだ。そこが淵。どれほど時間が要らないかというイメージの挙動を見るのは、時間をかけて自分でイメージを作るやつだけなのか。

せっかくの原稿だ。後はまた元。

で、ここまで書いたところを読み直してみようとして、背中をソファーとかいうものにもたせかけ、画面を眺め、指が鼻の穴あたりに行き、左手の指で、親指と人差し指とで、鼻毛に触り、鼻毛が鼻の穴の出口まで出てきていて、「つまめばつまめて、よればよれる」ことに気づき、ハサミを取りに立ち上がって、ついでにキンチョーノーマットのスイッチを入れてくれば、一挙両得だとほくそえんでいた。まだ、立ち上がれない。面倒だ。ハサミとキンチョーノーマットは遠い。俺はぐずなのだ。ぐずにおいても、イメージの純化は速い。恐ろしい。

長旅ごくろうさまでしたというほどでもないさ。立ってから座るまで、多分20秒くらいなもんだった。馬鹿か、じゃない、早まるな、ATOK。「馬鹿蚊」とさっきのプーンを馬鹿よばわりして、長旅どうのこうのとごくろうにもアタマに浮かんだアイデヤを字にして書いて、ちったあ気のきいたことを書いたつもりの数分で、ここまで書いたのだ。馬鹿蚊、キンチョーノーマットのスイッチを入れてやったぞ、ぬふぁは、ということを書こうとして書いたのだ。一匹しか来なかったが、皆殺しだぞ。キンチョーノーマットだ。毒だ。
その後、プーンは来ない。俺は今ここにいる。ここは自宅という場所だということになっている。馬鹿蚊はどこにいたってそこが自宅。刺すことが生活。どこにいたって、その生活のところへ、毒は届く。地上何メートルのところにいるのか。GLから基礎が40センチは見える。そこからブロックを11段積んだから、2メートル20センチがブロック壁。臥梁が30センチ。その上に土台が4寸角の角材で12センチ。その高さから12ミリ合板。ミリ計算だと、400+2200+300+120+12で、どのくらいか。2900+132だ。大したことない。地上から3メートルちょいのところにある電気炬燵にあたっているのだ。人体とふるさとの土だけを見れば、宙に浮いているのだ。さとうさんから原稿催促いただいた今月今夜、今年の5月1日夜9時36分、「旅に出る」。

軽トラで帰ってきたことは間違いない。国民温泉に軽トラで行き、ファミリーマートに軽トラを駐めたのだ。いや、そうじゃない。帰ってきたことの中を出かけようとしているのに、駄目だ、酔っぱらいは。いつまでたっても、国民温泉から自宅への流れに引き戻される。旅に出よう。
国民温泉まで一挙に行こう。国民温泉にはどこを通って行ったのか。セブンイレブンからだ。セブンイレブンでは、ピザ風のパンとエクレアとかいう白いクリームの入ったパン状のものをコーヒーで食った。セブンイレブンから国民温泉に直行したのではない。セブンイレブンから観世温泉に行き、駐車場がマンパイだったので、ムラタクンチの前を通り、国民温泉に行ったのだ。国民温泉は駐車のアキがあったので、国民温泉に入った。そのアキだが、「アキができたんだな」と思った。セブンイレブンに行く前に、国民温泉の前を通っているからだ。国民温泉にアキがないか最初に見て、アキがないから観世温泉かと思い、甘いものが食いたいなと思ったから、セブンイレブンに行ったのだ。で、セブンイレブンから観世温泉、駐車場マンパイ、ムラタクンチの前、国民温泉へと戻って行ったのだ。その戻っていった時間の流れは、お湯でのんびりと伸び、国民温泉から自宅へと、途中、俺はふらついているのであったが、そのお湯で弛緩した伸びの中を無理矢理さかのぼって、先ほどはセブンイレブンまでさかのぼることができた。
国民温泉の前を一度通ったにせよ、セブンイレブンには、どこから行ったのか。どこからセブンイレブンに行ったのかを思い出さないと、どこかへさかのぼれない。旅が途切れてしまう。
絶壁かと思ったが、ファミリーマートじゃないか。今日3回、同じファミリーマートへ行ったんじゃないのか。女の子の指が白くてきれいだと思ったのは、3回のうちの1回目じゃないのか。1回目煙草。2回目コーヒー。3回目「のどごし生」じゃないか。二回目コーヒーと三回目「のどごし生」の間に、セブンイレブンおよび国民温泉、これは確かだ。
二回目のコーヒーで異常に汗が出たのだろう。風邪のせいだと思ったが、シャツがぐっしょりしたので、お湯に入る前にこんなに汗をかいたんじゃ、脳梗塞をやった体には危ないなと思い、ファミリーマートを出て、国民温泉の前でセブンイレブンに行こうと思い、甘いパンと甘くないパンをコーヒーLで食べたのだ。温泉に入れば、湯口から温泉が飲めるが、その前にファミリーマートのコーヒーSとセブンイレブンのコーヒーLで水分を補給したのだ。
ファミリーマート2回目から3回目の間に国民温泉がはさまり、わかってきた。ファミリーマート1回目と2回目の間にいったん帰宅している。その前に、畑からファミリーマート1回目への移動がある。
ファミリーマート1回目と2回目の間の帰宅は、畑で穫れたレタスとチマサンチュのおろぬきを娘に渡すためだった。お湯に入って帰宅したんでは、今日の夕飯に食べられないからと思ったのだ。それでファミリーマート1回目、帰宅、ファミリーマート2回目という流れができたのだ。(せっかく今日穫れたものを持ち帰ったのに、お湯から帰ってきてみたら、どうやらまた外食したらしく、レタスとチマサンチュは食ってないらしい。俺の娘だが、あの女の娘でもあるからな。)
ファミリーマート一回目と畑の間に、土手下の道を軽トラで走ったのではないか。どこを通って、まるで別の道のファミリーマートにいたのだろうと考えたら、土手下の道を田んぼ中の道へ逸れたのも思い出した。逸れてから、どこをどう通ったのかが思い出せない。と書いたら思い出した。まっすぐ行けばセンボヤナギ(千本柳)だと思っていたら、T字路のつきあたりだったから、左折したらまたT字路のつきあたりだったから、コブネヤマのお墓の縁を右折して、さてどうしたのか。畑からセブンイレブンに行くのによく使う道だが、気がついたらファミリーマートにいたのだ。思い出せない。
1回目のファミリーマートの前は畑だったのはほぼ間違いない。これは2度目の畑だ。1度目の畑で、袋を開いて作った黒マルチを2枚、畝にかぶせたら、雨が来た。風邪のことも考えて切り上げ、オオヒノバンキンへ行った。1度目の畑を切り上げた直後は、オオヒノバンキンへ行くことは考えず、着ているものが湿ってしまったから、セブンイレブンのコーヒーを飲んで一時的に体を温めようとした。田んぼ中の道を軽トラで走っていて、オオヒノバンキンが見えた。最近、薪割り機とチェーンソーを盗まれた、がっかりしたという話をしようと思ったのは、オオヒノバンキンのタダッシャンの弟が薪仲間だからだ。薪仲間といっても、一緒に薪を作ったりするわけではなく、二名で各自勝手に薪を作るだけだが、タダッシャンの弟も薪ストーブを焚いていて、会えば、まずたいていは薪の話をしている。正確には、薪話仲間なのである。ナガノコウギョーへ勤めていた人が、会社から出る廃品を利用して作ったエンジンの薪割り機を見せてもらった。車の塗装の仕事を中断させ、その上、お茶をもらって、体が少し温まった。オオヒノバンキンは人がよく寄る工場で、今日も人が次々と来て、四つほどある椅子が全部埋まって、また人が来た。また来るわと言い、オオヒノバンキンを出た。お宮の脇の細い道を通った覚えがないから、多分、オオヒノショウカイの前を通って、多分、セブンイレブンへ行こうと思っていたのだ。そしたら、陽が射して明るくなって、景色が急に暖かそうになった。もう一回畑に行って、黒マルチの続きをやろうかなと迷い、やりたくなった。畑に戻り2度目の畑となったのだ。1度目と2度目で、合計4枚のマルチを土にかぶせた。
さて、1度目の畑からオオヒノバンキン経由、2度目の畑まではわかったが、1度目の畑へはどこから行ったのか。今日のことであっても、ずいぶん昔のことなので、この辺からが思い出せない。休憩を兼ねて、書くのをやめて、少し時間をかけて思い出そうとしてみる。

キャロルにいたなあ。キャロルには、嫌いな市会議員がいたなあ。サバを煮たやつと、大根おろしと、タマネギを水にさらしたやつと、味噌汁を食った。綿半にいたら、雨が降ってきたが、その話を店のおば(あ)ちゃんにしたなあ。この店にくる途中で雨が切れた。道路も濡れていなかった。さっきの雨は、綿半に降らせた雲が通ったんだろう。でもすぐに止んだねと話したから、綿半からキャロルに行ったのだ。行く途中にファミリーマートがあるが、多分寄っていない。「さっきの雨」の話の時、綿半に降った雨とキャロルに降った雨を直接に比較していた。だから、ファミリーマートへは寄っていないはずだ。途中で雨が切れたのも、ちょうどファミリーマートあたりだったから、ファミリーマートに寄っていたら、ファミリーマートに降った(ほとんど降らなかった)雨を覚えているはずだが、道路が急に乾いた道路になったことしか覚えていない。ファミリーマートには寄っていない。
日に3度ファミリーマートに寄って、その他に1回はファミリーマートの前を通り過ぎている。1回目のファミリーマートの前にはどこにいたのか。それを棚に載せたままにしておいて、今はキャロルの前は綿半だったということを確かめておこうと思って、綿半、キャロル、第1回目ファミリーマートじゃないかと思いついた。そうだよ。
飯を食った後は、いつもコーヒーを飲むのが習慣のようになっている。文書の初めに戻って、「1回目」を検索文字にして検索して出てきたところに次の文がある。

「今日3回、同じファミリーマートへ行ったんじゃないのか。女の子の指が白くてきれいだと思ったのは、3回のうちの1回目じゃないのか。1回目煙草。2回目コーヒー。3回目「のどごし生」じゃないか。」

これは間違いかもしれない。今日、「煙草を買うのを忘れた」と思ったことがある。煙草が2回目ではないか。
すでに書いたものは訂正しない。
どうやら、1回目コーヒー、2回目煙草、3回目「のどごし生」らしい。3回目「のどごし生」は、国民温泉の後で、湯上がりに飲みたくなった順序をはっきり覚えているので、これは間違いない。

軽い寒気が持続しているが、ここまで炬燵で書いていたら、炬燵の熱で体が温まり、人体は温かいにもかかわらず、芯に軽い寒気があるという状態になっている。飲めば飲めるな。飲めば飲めるが飲むのか。軽い寒気と軽い喉の渇きがあるが、飲むか飲まないか。めっそうもない、さとうさんへ渡す原稿のシッピツ途中だぞ、めっそうもないという思いもあるのである。だが、飲みながら書くというのはネットをやって癖になってしまっている。迷う。そして不意に、何に迷っていたのかがわかる。飲みながら書いてはならないのではないかと迷うのではなく、ローソンまで歩いて行ってくるのが面倒なので、立ち上がろうかどうしようか迷うのであった。
体力的には、ほぼ電池切れの状態で、ブンショーにノリが全然なくなっている。電池が切れている。飲んだ方がいいのではないだろうか。書き始める前に「のどごし生」350ミリリットルを飲んでいて、酔いが少し残っていて、車で買いにいけない。少し腰が寒いが、歩けばこの寒さは取れるかもしれない。行ってこよう。歩きながら、1回目のファミリーマートの前にどこにいたのかをもう一度考えよう。考えるというか、思い出すというか、気持ちを整えてみよう。ひとまず、綿半、キャロルで飯、1回目ファミリーマートコーヒーだとすると、1度目ファミリーマートと2度目ファミリーマートの間は、俺はどこにいたのか。そこがまったく記憶が空白である。今日も少しの間、まだらぼけがあったのか。いや、今がまだらぼけだ。1度目ファミリーマートの間は、1度目畑、オオヒノバンキン、2度目畑だ。考えてこよう。そもそも、自宅から綿半へは直行したのだったかどうか。そこが靄がかかっている。現在、5月2日、0時41分。
今立ち上がろうとして、国民温泉から帰宅したときに、汗が気持ち悪くて、脱いだ下着が炬燵の脇にあることに気づいた。気づいて触った。水で冷たい。2度目のファミリーマートの時に、これは異常だと思うほどぐっしょり汗が出たんじゃなかったのか。コーヒー一杯でこんなに汗が出ると思ったのだから、2度目のファミリーマートでもコーヒーは飲んでいる。2度目では、煙草とコーヒーを買ったのかもしれない。ともかく、今からローソンで「のどごし生」を買ってきて、これを最初から読んでみることにする。
立ち上がったら、部屋の隅に「キリン一番搾り」500ミリリットルの蓋をあけてない缶があった。おととい、タテオと飲んだとき、飲みきれなくてタテオに持って行けと言ったが、タテオが「ええ、いい、いい」と置いていったやつだ。冷えてはいないがぬるいというほどでもない。
ローソンへ行かなくて済んだ。

さて、読み直す。

さて、読み直した。午前2時7分。なんでそんなに時間が経ったのだ。あっという間に2時間くらい経つことがある。
読んでいる途中、文書の最後に戻り、以下のものをメモした。

ファミリーマート1度目と2度目の間に、2度畑。
2度の畑の間にオオヒノバンキン。

それはわかっている。その前だ。ファミリーマート1度目の前に、キャロル、その前に綿半。綿半でテツに会った。ミキオにバーベキューやりに来いと俺が連絡することになった。その前だ。また霧だ。

1度目ファミリーマートから1度目の畑へ行くまでに、どこをどう通ったかがまるで思い出せない。それより前に、自宅から綿半まで、どこをどう通ったのか、まるで思い出せない。

そもそも、綿半へは自宅から直行したのかどうか。ガソリンを入れてから綿半へ行ったのか。戸倉のローソンの駐車場を斜めに横切って、信号を回避したのは、昨日だったのか今日だったのか。

今日というか、日付が変わってからなら昨日というか、その前半が思い出せない。だから、ガソリンスタンドへ行ったのが、昨日なのか今日なのか、まだわからない。

書いている途中で、ガソリンの件に関しては、解決策がみつかっている。軽トラの中に、ガソリンの領収書がある。それを見れば、そこにガソリンを買った日付がある。ガソリンを買った日付はそれでわかるが、一日の半分がもうろうとしていることについては、もうろうとしていることがわかるだけだ。

一日の前半がもうろうとしていてわからないことがわかった。一点をみつめるようになって、じっと考える。どうしても思い出せない。靄の中に絶壁の岩があるみたいだ。
「キリン一番搾り」500ミリリットルの後はもっと駄目だ。これから領収書を見てくる。

ない。領収証がない。
5月1日のも、4月30日のもない。
4月27日のが二枚もある。川中島と戸倉でガソリンを入れている。まるで覚えがない。と書いたら思い出した。多分4月27日、孫と孫の友達を連れて、信州新町へジンギスカンを食いに行く途中、川中島でガソリンを入れた。戸倉で入れた覚えはない。それなのに戸倉でガソリンを入れた領収書がある。
わけがわからない。俺はいったい何をしたのだ。
あっ、そうか。信州新町へは、軽バンで行ったから、その間に女房か娘が軽トラを使っていれば、ガソリンを補給したこともありうる。軽バンに入れたガソリンの領収書は、さっき財布から出して、軽トラに常備している紙カップの領収書入れに入れたのだった。領収書の容れ物は別々だった。

冷静になればわかることもあるが、日常は謎に満ちている。半日前がとてつもなく遠い日がある。いや、そんな日ばかりなのじゃないのか。こんなふうに検証してみようとすることは普段はないから。結局、わからなかった。靄に包まれて、旅は終わった。終わってみたら、迷子だった。
風邪のせいにしておこう。

 

 

 

この文明はどこへ行っちまうんだか

根石吉久

 

写真 2014-04-11 2 39 13

 

もうひとつ敗北する。
畑に黒マルチを使うことを決めた。
そのことが敗北なのであるが、それを敗北だと、もし人に話したとしても、何言ってんの? と言われてしまう可能性がある。黒マルチを使う人たちは何の抵抗も持たずにヘーキでそれを使ってきた。それを使うことが何で敗北なんだ? どの点が敗北なんだ? と言われてしまったら、うまく返事ができない。いつもそうだ。うまく返事ができず、後で考えて、こう言うべきだったのかなどと思ったりする。たいていいつも後の祭りなのだ。

と、いきなり結論が出たが、ここまで、千曲川本流のそばで書いた。軽トラの助手席に脚を投げだし、ドアに背をもたせて、pomera で書いた。

さっきまで畑にいた。生ごみと土を混ぜる場所を今年から畑の隅に決めたので、生ごみを土と混ぜた。その後、黒マルチを1メートルほど枯れ草を混ぜた土の上にかぶせた。腹が減ったので、平和橋を渡り、姨捨に登る道の入り口に近い中華料理屋で五目あんかけ焼きそばを食べた。テレビが春の高校野球をやっていた。外の方が暖かいので、早めに外に出た。店の入り口の両脇に、店の奥さんが手をつけはじめた春のガーデニングが途中のままになっていた。やりかけていて開店の時間になってしまったのだろう。植えた花の株元が新しい水で濡れていた。
セブンイレブンでコーヒーと菓子を買い、千曲川の本流のわきまで土手を降りてきた。

起きたのは11時頃だったか。起きて、脱糞し、トイレのドアを閉め、家の中を何かの用で歩いたり、靴下をはいたりした。娘がテンパって、いやな声をたてて孫に命令したりしている。とにかく軽トラに乗るのだと思い、軽トラに乗ったら、気の向くままに畑まで運転して、手袋をした手で土をいじっていた。
じきに空腹、じきにあんかけ焼きそば、じきにコーヒーとお菓子を持って千曲川の川原。

川原はうららかである。軽トラの窓を開けておいても、今日は寒くない。雲雀の声はここ何年も聴いていない。雲雀がいなくなった。平和橋の上を車が走っているのが見える。車が走る音は聞こえない。ここに着いた時、軽トラのエンジンを止めたら、急に瀬音が聞こえた。瀬音だけになった。正面の飯縄山の上半分が平和橋に削られてしまって見えない。

セブンイレブンでコーヒーを買って、お金を払いながら、敗北のことを書こうかなと思ったのだった。何度もこれは敗北だとは思ったのだ。しかし、気が散って、敗北のことに意識がとどまらない。ちょっと書きかけて、すぐ違うことを書いてしまう。
そうだ。山道へ入ろうか。
さとうさんから「原稿は?」の連絡があったのだ。充電しようとして、iPhone を家のベッドの上に置いてきてしまったから読めないが、充電しようとしたときに、さとうさんから連絡が来ていることを iPhone の画面が表示したのだ。多分、フェイスブックで連絡をくれたのだ。ああそうか、月が変わったのだなと思った。

山道に入って、日当たりのあるところに軽トラを止めて、浜風文庫の原稿を書こうかなと思ったのだったが、行くなら大岡の方か。まだ大岡の方は何の花も咲いていないだろう。それでもいい。少しの日当たりがあれば、軽トラの中は快適だ、と思って、軽トラの荷台に割った薪を積んだままだということを思い出した。
薪を小屋に積み、荷を軽くしなければ、山道で余計なガソリンを使うだけだ。では、原稿を書く前に、山道に入る前に、小屋に薪を積む前に、帰宅する前に、食後の一休みを切り上げなければならない。その前に、これを書くのを中断しなければならない。
ちょっと川を見ることにする。おとといの雨でササニゴリに濁っている。鴨が流れに流されて遊んでいる。たばこを一本吸ってからエンジンをかけようか。誰に同意を求めているのか。自分か。

庭の隅に止めた軽トラの荷台から薪小屋の前まで薪を放り投げ終わるのに20分ほど。小屋の中に積み上げるのに同じくらい。小一時間で終わる。
軽トラに乗り、交差点に来るたびに、まっすぐ行くか曲がるか、曲がるならどっちに曲がるか、一瞬迷い、一瞬後、適当に突っ切ったり曲がったりして、結局、トッ坂を登った。トッ坂を登りきって下がったところにある製材所に車を駐め、昔セガをもらいに来た者だけど、今でももらえますかね、と訊いた。ああもちろんとの返事がもらえた。また今度来ますと言って、エンジンをかけた。
竹房に行ってみようかと思っていたが、途中軽井沢方面に曲がり、枝道に入り、チェーンソーを回して杉を切っていたおやじさんに、軽トラに乗ったまま窓を開けて話しかけた。雑木もらえないですかねと言うと、倒してあるのもすでに行き先があると言う。以前は、倒した雑木をそのまま林に放置して腐らせていることが多かった。県(?)が始めた森林税とかいうものが動き始めたせいか、里山も少し手入れがよくなってきた。薪ストーブが普及し始めたせいもあるのか、雑木の行き先がある。いいことだ。俺は千曲川のアカシアを切ればいいやと思う。おやじさんに別れ、また太い道に戻る。途中、また迷い、高野という村への道に入る。村を抜け、村の背後の丘を登ると、景色が開け、丘の上には畑が広がっていた。ため池の土手に軽トラを駐車。
高野の裏にはこんなに空が広がる場所があるのか。昔からこの地形で、畑になる前の広がりが野だったら、高野という村の名前はぴったり地形通りだが、地形と関係があるのかないのか。

急に眠くなる。我慢だ、我慢。

黒マルチを使うのは敗北だと書いたが、黒マルチの利点はある。いや、利点があるから人々は黒マルチを使っているのだ。
まず最初に気づいたのは、マルチを使うと土が乾かないから、種蒔きした後、動き出した芽が乾いて死んでしまうことが少ないことだった。水やりをしなくてもたいていは大丈夫だ。これはやってみるまで考えもしなかったことだった。やってみて、なるほどと思ったことだった。

土と混ぜた有機物が微生物に食われるプロセスは、マルチをかぶせるのとかぶせないのとでは違うはずだ。そもそも棲みつく微生物が違ってくるはずだと思う。風が直接土に当たらないから、気体となって空中に逃げる養分というものもほぼなくなる。養分が土から抜けにくくなるだけで、その後の発酵のプロセスも違ってくるはずだ。養分が雨水と一緒に土の中に沈むことも極端に少なくなるはずだ。マルチをしなければ抜けるはずのものが抜けないのだから、生き残る微生物の種類は違ってくる。
きわめて大ざっぱな分類をするなら、好気発酵よりも嫌気発酵に傾くだろう。作物の株元はマルチに穴があいているので、土の中と大気の底が完全に遮断されるわけではないが、マルチの下は圧倒的に嫌気発酵に適した条件になるはずだ。
好気発酵や嫌気発酵の好気とか嫌気とは、酸素の有無(多少)の違いを言うので、気体の有無や多少のことではない。「気」という語で空気の中の酸素を言っている不正確な近代日本語単語だ。こういう語はブンガクテキであってもらわない方がいい。
嫌気発酵が利点となるかどうかはわからないが、マルチのすぐ下まで地中から登ってくる水が、発酵を持続させ微生物の世代交代を促し続けることはまったくの利点となる。一番期待しているのは、地中から登った水がマルチ直下で水蒸気になろうとしてなれず、また土に戻される作用がもたらすものだ。地温が上がることと相俟って、土が変わるスピードはあがるはずだ。
春、空気が乾き土が乾く日が続くと種蒔きで失敗することが多かったが、その失敗率はぐんと減る。それはマルチをしてすぐにわかった。水やりの手間が省けることを考えると、マルチをする手間は惜しいものではない。その後は、作物を覆ってしまう草の発生を阻止できるのだから、手間をかけるだけの価値はある。
嫌気発酵に傾くことは推定できるだけで、実際のことはマルチの下だけで起こるから見えない。マルチを取り払っても見えない。微生物がやっていることは、人間の目に見えない。見ても見えない。間接的にわかるだけだ。

炭素循環農法というのをネットで調べたことがあったが、土の表層に近いところに有機物を混ぜ続けるというもので、基本は昔の普通の農法と変わりはない。炭素循環農法がはっきり言い切ったことは、5センチとかせいぜい10センチくらいのごく浅いところに有機物を混ぜ続けるということである。それまでの有機農法でこれを言い切ったものはない。
川口由一の農法は、有機物(草)を土の上に置き続けるというものだが、その祖型は福岡正信にある。福岡のものは、藁や麦藁を長いまま田んぼに撒くいうものだ。
炭素循環農法が福岡や川口を越えたところは、ごく浅いところに有機物を混ぜることによって、有機物と土の接触面を最大化したところにある。微生物が有機物を食いやすくしたのだ。
有機物を土に混ぜるなどということは、昔から人がやってきたことだ。昔の普通の農法である。だから、繰り返して言うが、炭素循環農法が独自に確立したことは、有機物を表層に近いところにだけ入れるというところにある。それだけは、他の有機農法が言葉にできなかったことだ。
炭素循環農法は手間がかかる。これはこの農法の欠点だ。
手間をかけないということを農の思想にまでした点では、福岡正信が今でも他を圧するチャンピオンのままだ。しかし、まずたいていの人が耐えることができないほど、福岡の思想は気が長い。大百姓の持つ広い田畑がその背後にある。だから、有機物と土(微生物)の接触面が極端に小さいような農法も、それでいいと考えることができたし、それで収穫量が確保できるまでやれた。
有機物がどれだけ乾きやすいかということで言えば、福岡、川口のやり方は乾きやすい。しかし、「自然がすることにゆだねる」という思想に、つまり自然の時間の速度に従うという古くからの農の思想に従順である。雨の多い日本の気候にも則っている。
炭素循環農法は、福岡や川口の方法ほどではないが、それでも土が乾きやすい。種蒔きや苗が幼い時期には不利である。その点を黒マルチは解決してしまう。

福岡には確信がある。麦一粒だって、人間が作るのではない、自然が作るのだという福岡の言葉には、確かなものがある。
だけど、どこからが自然でどこからが人為なのか。福岡が粘土団子にいろいろな作物の種を混ぜ、適当に草の中にそれを放り投げる様子は、YouTube で見ることができるが、一つの団子に何の種を混ぜるかを決めるのは福岡であり、草の中に立ち、どこに投げるかを決めるのも福岡である。人間の感覚、人間の思考がそれを決めるのだから、そこまでは人為以外のものではない。
福岡の言う「自然」も、川口の言う「自然」も、粘土団子を放った直後からのプロセスを決定するもののことである。要約すれば、川口も福岡も「人事を尽くして天命を待つ」と言っているだけだ。そして俺は、それに何の文句もない。
人事を尽くすプロセスにおいて、福岡の方が川口より遊んでいるという違いはある。福岡の大人ぶりは、人事を尽くすにも遊びながら尽くすところにある。川口は病気から有機農法に入り、福岡も病気が契機だった。福岡の病気は明日死ぬかもしれぬほどのもの、生死の境をさまようものであり、福岡は病気というよりも、むしろ「死から」、あの農法の方へ歩いて行ったのだろう。大百姓の出だということもあるが、死から始まった農法だというところに福岡独特の遊びやひょうきんがある。ゆったりしている。

高野で少し書いて、車を動かそうとして池の向こう側に人がいるのに気づいた。車で行き、この池は魚を釣っても怒られないかと訊く。村の中に漁業組合があり、組合で鯉を放流しているが、鮒くらいなら釣っていけないこともないと言う。ブラックバスもいますかと訊いたら、いるとのこと。
高野から軽井沢へ。軽井沢入り口で右折、小花見池へ。この池も向こう岸まで行ったことがないので車で行ってみる。林の中に道を開いてあるが、どれもすぐに行き止まりになる。別荘地として売りに出すのに付けただけの道だとわかった。
逆戻りし、信州新町の方へ降りる。町が近づくにつれ、暗くなってきた。腹が減ったので、ジンギスカンを食いに行くかと思っていたが、新町に着いて蕎麦屋の看板を見て蕎麦を食う。味はまあまあ。少しうまい。払うとき、金が足りなくて、近くのセブンイレブンまで金を降ろしに行ってくると言ったら、女の人が困ったような顔をした。初めての店なので、「何か置いていきますか」と言ったら、店の旦那さんが「大丈夫だ」と言った。食い逃げしそうではないと見てくれたのだ。ありがとう。歩いてセブンイレブンまで行き、歩いて店まで戻った。
新町から篠ノ井のコーヒー哲学まで、国道19号をノンストップ。帰り道が長く、山の中の道ばかりずいぶん走ったのだと思う。ここまではコーヒー哲学篠ノ井店、ここからも同店で。

店の電灯が暗く、バックライトのない pomera で書くのは少しつらい。客が他にいないので、電灯の明るい方のテーブルに移る。

黒マルチは農業用のポリエチレンが0.02ミリで一番薄い。(ポリマルチという言い方があるので、ポリエチレンだと思っていたが、ポリエステルじゃないよな? 自信がない。それぞれの違いもわからない。)
主に生ごみをごみとして行政に渡すための黒い袋もスーパーで売られていて、こちらは0.04ミリ厚。袋状だから、切らずに使えば、二枚重なった状態で土を覆うので一番丈夫。切り開けば、90センチ×160センチのシートになり、これ一枚分に種を蒔き、一日のひと仕事分にするのに具合が良い。家庭菜園をやり、黒マルチに抵抗がない人にはお薦めできる。

ビニールハウスのビニールやマルチのポリエチレン(?)を見て、しゃらくさいと思ったり、こざかしいと思ったりしてきたのだ。それで極度に貧弱な収穫量の有機(勇気)農法を続けてきたのだ。こざかしいと思ってきたものを使うのだから、これは敗北である。敗北は敗北としてはっきりさせなければならないが、どこまで敗北するのか。今でも農薬や化学肥料は使う気はない。

黒マルチを使うところまで敗北する。

この問題は、ごみ問題につながっている。

千曲市は汚れたプラスチックを燃やすごみとして出すようなでたらめな指示を住民に出している。100円寿司に置いてあるようなわさび入りの小さいプラスチックみたいなものから始まって、汚れたプラスチックになると最初からわかっており、燃やすごみとしてしか処理のやりようがないものの生産を国が野放しにしてあるのがおかしい。
家で、破れて使えなくなった長靴が可燃ごみ用の袋につっこんであるのを見て、いったい何やってんだと女房に文句を言ったら、使えなくなった長靴は汚れたプラスチック(可燃ごみ)に分類しないと、ごみ収集車が受け付けてくれないのだと女房が言った。おかしい。
そういうプラスチックや合成ゴムの処理法を禁じないと、ごみ処理場の近くの住民は処理後の気体を吸わなければならない。そこに子供も生まれてくる。
国に抗議することを決議しようとするような議員は、千曲市に一人だっていない。腰抜けのお上意識ばっかりだ。
そういう国なのだから、天皇家で国に文句を言えばいいと思う。この国の山河が汚れる、と。放射能もやめてくれと「請願」すればいいと思う。天皇家が「請い」「願う」からといって、誰も文句は言わないだろう。どうなんだろう、右翼の皆さん。

私が生まれた村は、今住んでいる村の隣村だが、そこに大型のごみ焼却溶融炉を建設する予定があると知り、自分で印刷したビラを一軒ずつ配って歩くようなことをしたことの元に、「汚れたプラスチックは燃えるごみ」などというでたらめがあったからだ。
これはまた原発の問題につながっている。ごみの溶融炉は、目に見えるほどの煙は出さない。煙突上部の見た目はきれいだ。福島第一原発みたいに、バクハツなんかしちまうと無惨なものだが、バクハツしなければ、いくら放射能を垂れ流しても、原発も見た目はきれいだ。美しくはないが、不気味ではあるが、見た目はきれいだ。
説明会に出れば、行政は安全だ安全だと繰り返す。裏で町や村の有力者に金をつかませる手法は、溶融炉建設も原発の炉の建設も同じだそうだ。

汚い。

柔らかいプラスチックを作るために原料の石油に何を混ぜるのか。固いプラスチックを作る場合はどうか。色はどんな物質によって着けてあるのか。プラスチックなどの合成化学製品の中には、うぞうむぞうの物質が含まれている。それが1000度を超えるような高温の炉の中でどんな化学変化を起こすのかなど、誰も解明することはできない。この化学変化の元になる物質が「うぞうむぞう」だからだ。何が何度のときにどの順番で炉に投げ込まれるかは「わからない」。厳密に考えれば、物質と物質の出会いとそれらの合成や変化は、つまり何が新たに生成するかは、まったく未知のことがらであるはずだ。それなのに、安全だ安全だと繰り返す行政の太い神経はまったくしゃらくさい。近代初期のしゃらくさセンスのままだ。

「わからない」というのが、ひとまずの唯一の正しい科学的な言い方だ。わからないのだ。誰にもまだわかっていないのだ。
原発の後処理が、廃棄物(放射能の固まり)を土の中に埋めるしかないくらいのことがわかっているだけだ。やめてくれ。やめろ。やめやがれ。

「これっぱかしのものを食うのに、こんな大量のプラスチックごみが出るのはおかしいぜ」と女房に最初に言ったのは、30歳頃のことではなかったか。スーパーができ、八百屋や魚屋がつぶれ、なんでもかんでもプラスチックやビニールに入って売られるようになった頃のことで、それからもう30年も経つ。そして、事態は悪くなっているばかりだという感じだ。出水の後の千曲川の川原に行くと、流されてきたプラスチックやビニールが散乱してひどいもんだ。あれも「汚れたプラスチック」なのか。千曲市を流れる千曲川の川原のプラスチックもビニールも散乱したままだ。溶融炉のことを安全だ安全だと言い続けてきた千曲市環境課は、あれだけのプラスチックやビニールや合成ゴムをみんな「溶融」するのかよ。能なしども。

そう思ってきたので、農業用の黒マルチを横目に見ては、しゃらくさいと思ってきたのだ。
単に栽培のことだけ考えれば、種に水をやることの手間が省けるし、春になっても地温がなかなか上がらない善光寺盆地の畑の地温をあげてくれるし、畝に草が生えて作物を覆ってしまうのを防いでくれるし、後は嫌気発酵がうまくいってくれれば文句のつけようがない資材だ。しかし、使った後の黒マルチを、行政や農協が業者に渡した後にどんな処理がされているのかは闇の中である。少なくとも私は何がどう処理されるのかまったく知らない。

歳に勝てない。
私は敗北する。
そして、敗北すると決めてから、使った後の黒マルチをどう使うかを本気で考え始めた。
薄いポリエチレンに泥や土が付くから使った後のマルチは重くなる。破れたポリエチレンのシートを新しいポリエチレンの袋に入れれば、重さが着いて風に飛ばされにくくなるのではないか。古くなったポリエチレンのシートを「重さとして使う」ことで何か不都合なことは出てくるだろうか。中に入れたものが袋から飛び出して散乱しないようにするにはどうすればいいんだろうか。
そんなことばかり考えているのである。
各種プラスチックや合成化学製品が、それぞれどう処理されているのか、空気や水を汚しているのかいないのか。そういうことがわからなければ、しろうととして、そんなことばかり考えるしかない。

便利なんだか不便なんだか。この文明はどこへ行っちまうんだか。闇に突入しているのか。

主義主張も糞もない。
川は本当に汚れた。
経団連。金の亡者ども。
おまえらこそ、放射能をたんとかぶれ。
なんで、東北の人たちがかぶらなければならない?

誘致に賛成した東北の亡者は別だが。

 

 

 

ギャクリツが面白かったのだ

根石吉久

 

撮影:根石吉久

以前、山本かずこさんと電話で話していたとき、山本さんが、お茶の席ではっきりとものを言うのはよくないことだと言われたのを覚えている。

ずけずけとものを言うと、よほど気心の知れた人どうしならともかく、相手の気持ちを害することがある。私はこの点が駄目で、よくやってしまうが、田舎者ということなんだろうと思っている。私が田舎者であることはまた別に書くとして、今は私のずけずけは棚にあげておく。
山本さんがお茶の席では「はっきりとものを言うのはよくない」と言われたのは、ずけずけがよくないというだけのことではない。言葉を明瞭に発音するのもよくないことだと言われたと思う。茶室というところでは、やたら照明が効いて、ものがすべてよく見えるというのがよくないのと同じよう に、言葉の音の輪郭もやたらくっきりしているのはよくないのだろう。それは場にそぐわないのだ。
これは茶室という場の性質なのか、日本人の性質なのか、日本語の性質なのかと、その後考えた。いまだよくわからない。
テレビのニュースで報道するとか、学校の教室で、考えや意見を言う場合は「はっきりと言わないのでよくわからない」というふうな文句が出やすいだろう。しかし、日本語でふつうに人と話すときには、特にはっきり言うというようなことに気を使うことはないだろう。(私が今、ことさらにはっきりと口を動かして日本語をしゃべるのは、脳梗塞をやったせいだ)

言葉が伝わるかどうかではなく、心が伝わりさえすればいいのだ。どこの国だって基本的にはそうだが、日本は特にそうだ。どうしても以心伝心という語を思い浮かべてしまう。以心伝心に価値がある。日本では言葉はそのための補助的なものにすぎない。言葉は断片である方が、よく心を伝えたりする。
英語の語学屋から見ると、この日本人の、あるいは日本語の性質は、茶室の外側にも容易に見つかる。日本人の日常の中にその価値(以心伝心)があるのが見える。
日本人が二人で話しているのを近くで聞いているときに、言葉がはっきりしないので何を話しているのかわからないことがある。特に内緒話をしているのではなくてもそういうことがある。当人どうしは、それで十分に話ができているのだということはわかる。

そうすると、日本語の元には「むつごと」があるのじゃないかと、一挙に仮説を立てたくなる。
むつごとを言うときに、しっかりとはっきりと明瞭に発音するのはバカである。私はバカなのか、むつごとが下手である。あるいは、私がバカに分類され
るお人なのでむつごとが下手なのである。だいたいが、たいがいの女には、トンチンカンな奴だと思われ、実際にそうだから困る。そういうことを言う女は、しっかりしたやつらが多く、実に嫌なやつらである。
で、つらつら思うに、日本人一般は、思いの外、むつごとが上手なのではないか。いやあ、あんなもの、わからんぜ、男は黙ってサッポロビールとか言ってるが、ビールを飲んじゃったら、後はむつごとが上手だったりしてさ。と、かように仮説的妄想はふくらんで、はたまたしぼむ。
なんでしぼむ?
むつごとを言うときに、しっかりとはっきりと明瞭に発音するのはバカである、とちゃんとしたことを言った後で、女のことなんか書くからだ。そんなことして、ろくなことはない。
しぼんだところが、こういうふうに文章を書きつらねる場所なのだろうか。あるいは、語学屋の業(ごう)なのだろうか。

話を急に変えるべきだ。

小川さんという奈良にお住まいの方が、素読舎のコーチをやっておられる。英検1級や通訳ガイド資格をお持ちで、いうなれば日本で作った英語ではトップクラスの実力をお持ちの方で、新聞社が主催する英語教室の講師をやっておられる。
「音づくり」については、小川さん自身が私からレッスンを受けたいと申し出られた。私は緊張したが、小川さんはもうずいぶんと長いことレッスンを受けておられる。レッスンでは、いわゆる「音読」をしてもらうのだが、ある時からレッスンが先に進まなくなった。そこにどういう問題があるのか、私は長いことわからなかった。私の側にいつももどかしさのようなものがあり、しかし何がどうであるからもどかしいのかわからなかった。
今年の正月、パソコンに向かっていて、思いついたことを「紙に」メモした。
「口を大きめに使って、引き締める」と書いた。そしたら、次にメモすべきものがほぼ自動的に浮かんだ。「口の動きを浅くしないでつなげる」と書いた。
この時、小川さんの顔を思い浮かべていたのではない。塾の生徒の顔を思い浮かべていたのでもない。誰と特定できない、無数の日本人の顔を思い浮かべていたのだと言えばそう言えると思う。
この二つのメモを机の前に張って、メモを見ながら正月明けのレッスンを始めた。その後、小川さんの顔を思い浮かべた。そうか、解けたぞ、と思ったのだった。

あくまでも英語との対比であるが、日本語の音は平板である。口の筋肉を動かすのに使うエネルギー消費はとても少ない。省エネという観点から見れば一級品の言語だと思うが、これは英語の練習をするのに非常に不利な条件になる。これは日本語と英語というふうに、言語と言語を対比させたのだが、もう一つ別の対比がある。実際に言葉として使う場面と、あくまでも言語修得の練習の場面との対比がある。二つの性質の違う対比があり、それらが関連しあうので、ことは面倒になる。
言語と言語の対比で、口の筋肉のエネルギー消費に関して、日本語は省エネ型言語だと言い、英語はエネルギー多消費型だと言ったところで、実際に言葉として使われる場面ではすぐに反証のようなものが飛び出してくる。日本語でどなりつけるのと、英語でささやくのとでは、明らかに日本語の方がエネルギー多消費型になる。日本語はこうだ、英語はこうだなどと、そんなこと一概に言えないよ、となる。

しかし、語学屋としてはっきり感じ続けてきたものがある。日本人の口の筋肉は英語で育った人の口の筋肉と比べたら、はるかにパワーがないということである。
これは、オーストリアで生まれ、ドイツ語で育ち、渡米、10年以上アメリカ在住の後、日本に来た男と悪友みたいなつき合いになり、ある日、私の家で炬燵にあたって喧嘩をしたときにはっきりわかったことである。
英語で喧嘩したのだが、どうも顔に風が当たるのであった。炬燵板の上を風が吹いてくる。ははあ、と思った。こやつのドイツ語で育った口の筋肉が風を起こしているんだと思い、喧嘩を少しの間忘れてしまった。語学屋的感嘆を言っても通じやしないので、お前の口のバネはすごいなとは言わなかった。論理は大したことないが、口のバネはすごいと思ったのだ。喧嘩の脈絡を離れて、こちらが気抜けしたようになったのがわかったのか、喧嘩は口喧嘩以上の大事にはならなかった。そして、何で喧嘩したのかは忘れてしまった。
ドイツ語育ちで、英語に渡ったやつの口の筋肉のバネについては忘れることができない。あいつは、福島第一原発の事故の直後、家族全員でオーストリアに行ってしまった。もう、あいつと喧嘩もできない。東電よ、電力会社どもよ、お前らが何を壊したのかわかっているのか。

パワーがなくたって英語は使える。英語を使う場面では、そんなにやたらパワーが必要なわけではないと言う人もいるだろう。「私は喧嘩はしないし」と。それならそれはその通りだ。
パワーがないと困るのは、練習の場面、語学の場面なのである。パワーの有無によって、インプットの深度が違ってしまうのである。あるいは、音の安定性がまるで違ってしまうのである。
音の安定性についてはわかりやすい。個々の音の繊維を備えて、その強弱まで備えて、同じ調子でいくらでも同じ文が言えるかどうかで安定性を測ることができる。
インプットの深度というのがわかりにくい。しかし、結果の方から見ると見えやすい。文まるごとがひとつのものとして口の動きに乗るかどうか、つまり、アウトプットが簡単に成り立つかどうかで測ると、インプットの深度が十分であるかどうかがわかる。
このインプットの深度という観点は、私が読みあさった限りにおいて、どんな英語のハウツウ本にもなかった。おそらく今もない。

先日、経済的な理由のためにレッスンをやめざるを得ないという生徒さんに最後のレッスンをした。小さいお子さんを育てているお母さんである。この生徒さんは、私が正月に書いたものをよく理解してくれた。「口を大きめに使って引き締める」と「口の動きを浅くしないでつなげる」を両立させる練習を自分で継続していくつもりだと言われた。
私はなぜそういう方針が必要なのかということを話した。口を大きめに使って引き締め、音が安定したら、動きを浅くしないでつなげる。その後の段階がある。それは、「どんどん(あるいは、がんがん)、口を動かし、音を圧縮する」である。
これはレッスンでは扱えない。
レッスンでこれをやれば、30分のレッスンで文を一つか二つしか扱えないようなことになってしまう。生徒が自分でやるべきものとして、この三段階目があるのだと言った。しょせん、語学なんて90パーセント以上が自分でやることですからね。10パーセント未満のところに、何をどうするかという「やり方」の問題があるんで、そこがトンチンカンな人はとても多いから、このレッスンの存在理由があると、いつも言っていることも言った。 レッスンは、生徒に三段階目をやれるところまで連れていく。だけど、三段階目をやるかどうかは、生徒次第なのである。
「で、ここからは損得の話で、まあ、あんまり品のない話ですがね」と前置きした。
三段階目ですね。がんがん口を動かして、音を限度まで圧縮すると、覚えようとしなくても覚えてしまう。頭が暗記するのとはまったく違って、「口 の動きとして覚えてしまう」。だから、文がまるごとすぐに口に乗るようになる。つまり、アウトプットができるレベルのインプットができたことにな る。そこまでやっちゃうのが、絶対に得です。そこまでやらないと、絶対に損です」。
「文まるごとが、楽に口に乗るようになっていると、その文は変形させることも楽にできます。単語を入れ替えて別の文にしたり、時制を変換したりするのも楽にできるようになります。文法の理屈なんかは、とても楽に了解できるようになります。だから、自動的にアウトプットに転じるようなインプットをするのが絶対に得です。語学には『絶対に得』ってものはあるんです。だけど、多くの人たちが『絶対に得』という練習領域に入らない。だか ら、損をし続けています」というふうな、損得の話をした。そうとうに手前味噌なことも言った。
そんな話も、正月にメモしたものを普段のレッスン時に何度も見ていたからできたのだった。
その頃に、小川さんの停滞がどんな形をしているかも見えてきたのだった。長いことわからなかったものが、ようやく見えてきたのだった。
それは、初心者や中級者と同じ問題が上級者にもあるということだった。それは中級であるとか上級であるとかは関係なく、日本語で育った平板な音がベースにあるということだった。それに意識的でないと、何をどうすることで音を鍛え込むのかに意識的になれないことでもあった。
具体的には、「引き締める」と「つなげる」の二律背反を二律背反のままに放っておくのではなく、二つを「両立」させてしまう必要があることに意識的ではないのである。下手な命名をすれば、上級者の場合は二律両立がメインテーマとなるべきなのだが、それが正面の問題になっていないのである。
これは小川さんに限った話であるはずはないと思った。英検1級を持っている人を例にとれば、その8割以上の人に小川さんの「音の問題」は当てはまるだろうと思った。9割以上かもしれない。

なぜ意識的でなければならないのか。それは、なぜ長いこと「磁場」と言い続けてきたのかというのと同じことだ。
こんなふうに音を鍛え込む必要があるのは、英語の「磁場」がないからだ。あるのは、英語にとっては強力な酸性雨となる「日本語の磁場」だけで、 「英語の磁場」がないからだ。
「磁場」に生きていれば、「磁場の磁力」がインプットを助けてくれる。日本に生きていれば、それがないどころか、「日本語の磁場」は、少しくらいの練習の成果を短時間に真っ赤に錆び付かせてしまうくらいに強力なのだ。少し練習した程度の英語は、みんな日本語が「引きずり降ろしてしまう」。
だから、あの自動的にアウトプットに転じるまでのインプットの質が必要なのだ。逆に言えば、英語の「磁場」があれば、そこまでのものは必要ないのである。

日本で英語をやるということは、茶室の静けさ、以心伝心の補助でしかない言葉、明瞭さの排除などに逆らうことだ。いや、そんなところにとどまらない。
日本語の自然な生理そのものに逆らうことなのだ。
19歳の頃、アメリカ文化にはまるで興味がなかった私が、なんで英語のインプットにはのめりこんだのか。日本語の自然な生理に逆らうことで初めて私に生じる欧米系の思考が面白かったのだ。文明や文化の元になっている言葉そのものが面白かったのだ。
吉本隆明の使った言葉で「逆立する」という語がある。読みが正しいのかどうかわからないが、私は「ギャクリツする」と読んできた。語学が面白かったのは、ギャクリツするのが面白かったのだ。もしも万が一、私が語学の地平で正立してるのなら、今日まで生きてきた過程の全体が、いきなりギャクリツしちまうじゃないか。
ギャクリツしてるのは、逆に語学的行為そのものだろうと考えたのは、語学でメシを食い始めて以後のことだ。
ああ、ほんとにギャクリツしてる、と眺めるのも面白かったのだ。どっちが正立なのか、どっちがギャクリツなのか。世間では「たかが語学」だ。だけど、正立、ギャクリツは、どっちもどっちだの関係でシーソーみたいに揺れるときがある。脳梗塞をやった私の、日常のめまいのように、世界がゆらゆらしたのだ。

それがなければ、語学なんかやりはしなかっただろう。

 

 

屑だなと思った2月2日

根石吉久

 

薪割り

 

タナカさんが芝の上で坊やと遊んでいた。長野の2月2日、真冬だが、芝の上でタナカさんと坊やが遊んでいた。ありうることなんだな、天気がよかったからな、と、2月3日、朝4時40分に思う。俺は駄目だな。2月に枯れ芝の上で遊ぶのは俺はもう駄目だなと思う。

2月2日午後2時頃のタナカさんちの枯れた芝。タナカさんと坊やが枯れた芝の庭にいたことを思い、ありうることなんだなと2月3日、朝4時40分、いや、もう50分。

タナカさんちの庭先で、口からでまかせを言った。「これだけど、うーんと、長野県交通災害、うーんと、共済って。交通事故の保険みたいなやつ。6日の日に、また俺、回って、入る人の申込書とお金集めて歩くんだけど。中に説明のチラシあるから読んでもらえばわけるけど。6日の日にまた来るけど」みたいなことを言った。でまかせだというのは、何をどう言おうかとあらかじめ何も考えてなくてしゃべっているからでまかせだというのだが、そこでほぼ定型ができた。二軒目三軒目から、定型でしゃべる。

屑だと思いながらのことだった。
毎回同じことを言う。屑だと思い、同じことを言う。

「長野県交通災害共済の加入申込書ですが、6日の日に申込書とお金を集めに回ります。市報の中に説明書がありますので、よろしくお願いします」みたいな定型。その時によって、多少の違いはあるが、定型はあって、違いは定型との違いに過ぎない。屑だなと思いながら、一軒一軒で定型を言う。こんなもの、市の職員がやればいい。金は市に納めろというのだから、県と市がグルになって、常会長にやらせている。説明書と申込書を配布するくらいはやってもいいさ。申し込みたい人は市に電話するなりして、後は市と個々の家の間でやればいいじゃないか。
チャイムを押す。「どなたですか」とチャイムのスピーカーから声が出てくる。「常会長の根石です」と言う。奥さんとか旦那さんが出てくる。定型をしゃべる。屑だなと思っている。2月2日に申込書を配って、6日に申込書と金を集めて歩き、その日では具合が悪い人がいれば猶予の何日かを設け、潮時を判断して金融機関か市役所に行って金を納め、各戸分の領収印をもらい、また常会の中を回って領収書を配って歩くのだ。交通災害共済だけで、3回も回らなければならない。屑だ。
2月2日2時頃から、竹林の湯のチラシ、講演会のチラシ、議会だより、公民館報、シルバーセンターニュース、社協だより、ネット上での確定申告のやり方の説明書、健康ニュース「お持ちですか?おくすり手帳」、忍たま忍太郎キャラクターショー&キッズコンサートのチラシ、いもじや新聞などを一部ずつ重ね市報にはさみ込む作業を始めたが、それに1時間以上かかっている。途中で、交通災害共済の申込書と金を回収して歩く日を決めちゃった方がいいなと思ったから、パソコンを立ち上げた。
「常会員各位 平成26年2月2日 長野県交通災害共済申込書の回収について 交通災害共済申込書と関連のチラシを、市報その他と一緒に、いったん各戸に配布します。2月6日の午後と夜を使って、申込書を回収する予定です。この回収日にお留守になる等、都合が悪い方は、272-××××、または090-4181-××××へお電話いただきたくお願い致します。夜に仕事をしている関係上、金曜、土曜、日曜、月曜の夜は回収にうかがうことができません。事情をおくみ取りいただき、ご協力をお願いします。」というものを35部印刷した。挟み込みの途中まで済んだ分に、プリンタで刷ったものを追加し、また各種チラシ等の丁合をとり、市報にはさむことを継続。

そうか。タナカさんちの枯れた芝の上でタナカさんと坊やが遊んでいたのは、2時過ぎということはないな。1時過ぎに白藤で蕎麦を食って、帰宅してすぐに丁合を始めたのだが、途中でプリンタで通知みたいなものを印刷しているのだから、最初の家のタナカさんちへ行ったのは、3時を過ぎていたかもしれない。
チャイムを押しても誰も出てこない家もある。その場合は、交通災害共済の申込書を市報に挟み込み、郵便受けに入れ、次の家に行く。人が出てくれば、定型文を言う。屑だ。なんで屑だと思うのか。とにかく、いきなり、屑だという思いが胸に湧く。

つまりこうか。きのう、薪割り機が故障したのだ。だから、今日はチェーンソーを回したかったのだ。

薪割り機には、油圧で丸太を押すために移動する鉄の四角の固まりがあるが、それが二箇所で二本の丸棒に溶接されている。溶接の片方が剥げてとれたのは、もう2週間以上前だった。明らかに、溶接の仕事の質が悪いのだとわかった。無理な力がかかり、丸棒が曲がってしまったとかいうのではない。単純に溶接の質が悪いから、丸棒の形はそのままで、溶接で変形した鉄の部分が「剥げた」あるいは「とれた」状態だ。薪を鉄の固まりに当てる角度を工夫すると、一箇所しか丸棒とつながっていない状態でも薪は割れた。片方の溶接が弱く、もう片方の溶接は頑丈につながっているのだとわかる。ぎいぎいという音ときいきいという音の混じった不快な音を我慢して、2週間の間に3度ほど薪を割った。それが昨日いよいよ止まってしまった。ぎいという音をたてて、薪割り機の鉄の固まりが動かなくなった。
孫に手伝わせて、薪割り機を軽トラックに載せた。長野の外れの吉沢金物店まで行く。途中近道をしようとして、住宅街へ迷い込み、ふらふらしてまた国道に出た。金物店に着き、薪割り機を見せると、店の人もすぐ溶接が弱く「とれた」のだとわかってくれた。保証は効かないと言われる。それはわかっていると応え、「部品の金は払うが、修理の手間賃は払いたくない」と言う。吉沢金物店の人は、「メーカーに強く言っておきます」と言ってくれた。こういう話がすぐに通じるのは気持ちがいい。しばらく油圧のオイルを見てないから、オイルを足しておいてもらいたいと注文を追加した。わかりましたと、店の人が荷札にそれをメモし、機械にくくりつけた。見通しがよくていい。ごたごたすることはないだろうなと思う。つまり、手応えがある。「急ぎますか」と聞かれる。「急がない。この機械が使えない間は、チェーンソーで木を切る仕事をやってればいいから、急いでもらわなくても大丈夫だ」と応える。具体的に修理に必要な時間が一週間程度になるか二週間程度になるかわからないと言っているのだとわかるし、3ヶ月、半年先のことを言っているのではないのだともわかる。「急ぎますか」だけでそれがわかる。話がぽんぽんと通じるのが気持ちがいい。
いつ頃からか、日本語で話が通じなくなることが増えているという気がする。明らかにメーカーの仕事の質が悪い場合でも、メーカー側に立つ店があったりもする。あるいは、今回の件で言えば、修理を3ヶ月も半年も放置しておいて、「急がないと言ったじゃないか」と言い出す店員がいたりすることだって、今時はありうるのだ。何かが崩れてしまっている。
吉沢金物屋で、「一週間か二週間程度の話ですよね」なんてことは言わなかった。言おうか言うまいかなんて迷うこともなかった。そんな考えは、今これを書いているから出てきた考えで、吉沢では考えなかった。「急ぎますか」。「急がない」。要点はそれだけだ。男は黙ってサッポロビールだ。

翌日、白藤で蕎麦を食いながら、市報配布をやらなければいけないな、やだな、と思った。やだな、だけど、やらなければいけないな、と思った。丁合をとるのに1時間、配るのに1時間もあればいい。夕方にはチェーンソーのエンジンがかかるかどうか調べることができるだろうと思ったが、交通災害共済の申込書などというものがあったので、いつも通りの丁合1時間配布1時間では済まなくなった。通知を書き、プリンターで印刷しなければならないということも出てきた。各戸で、申込書の回収の日をなるべく口で伝えることも出てきた。

途中で、今日中にチェーンソーを調べることはできなくなるかもしれないと思った。実際にその時間がないとわかり始めた頃から気持ちがつまらなくなっていった。

俺は、チェーンソーを回したかったのだ。ギィーンと音をたてて、あの腐れ校長の首をチェーンソーで一瞬に落とす幻なんか胸に秘めてみたかったのだ。木くずを飛ばす乙女心だわ、うふん、てなもんや三度笠! それができなくなった。

一軒ずつ配布物を配りながら、定型文を言いながら、屑だと思った。本来、市が自分でやるべきことを常会長にやらせていやがる。屑。ごたごた言うと、やたら時間がとられるから言わないが、ここに書き記すことはする也。

災害共済の申込書には、一軒ずつその家の世帯主の名前が印刷されている。どの家にもまったく同じものを配ればいいのではない。郵便受けにまったく同じものを投げ入れるだけでは済まない。その家専用の申込書を束から一枚ずつ抜いて渡さなければならない。市報や議会だよりなど読まない家もあるはずだ。わが家も読まない。つまらないから。ただ市報に挟んでおくだけではまずいだろう。一軒ずつチャイムを押して人に会えれば、6日にまた来ると、じかに話した方がいいだろう。だからそうした。常会35軒を回り終わったらぐったり疲れた。帰宅したら6時過ぎていて、塾の仕事に遅刻した。帰宅するまで、屑だという思いが持続した。

夜10時頃、村田君と塾の会計をする日だが、疲れたので次回に回してもらう。
昼間、白藤で蕎麦を食っている時だっただろうか。フェイスブックのメッセージで、さとうさんからこの原稿の催促があった。それはやる。だけど、ちょっと休みたいと思い、布団に横になったら、そのまますぐ眠ってしまった。
朝方4時に目が覚めて、台所に行ってコーヒーを淹れ、炬燵に戻って書き始めた。ぼんやりしながら書いていたら、少しアタマがはっきりしたような気がした。ここまで書いたらまたタルンでいる。
脳に酸素がうまく行かないのだろうか。
また脳梗塞予防の薬は飲んだ方がいいのだろうか。もう3ヶ月くらい飲んでいない。

 

 

踏ん切りがつかないままの新年

根石吉久

 

反英語フリーク「大風呂敷」
反英語フリーク「大風呂敷」

 

2014/01/03

午後1時半頃、飯を食いに出る。白藤は5日まで休み。舞鶴でざる蕎麦。舞鶴で女房に会った。職場では、時間をずらして昼飯にしているとのこと。
正月という気がしない。何が欠けているから正月という気がしないのか。年末に道路は混んだし、八幡のお宮に人出はあった。それでも、正月が来るのだとか、正月が来たのだという気がしない。
準備が簡単になったからなのか。12月31日、原信というスーパーで買った寿司を食べながら、紅白を見てつまらないと言った。少したって、テレビが除夜の鐘を鳴らした。近所の寺の鐘も鳴った。眠くなったと言って、家族は眠った。
これが正月だという集約点のようなものがないからだろうか。無意識に迎えた数まで入れると、62回は正月を迎えたはずであり、その間に「これが 正月だ、正月とはこのことだ」という正月のイメージの核が自分の中に、いつの間にか形成されてはいるだろう。そして、そのイメージの核に照らし合 わせると、現実の正月が、こんなのは正月じゃないという感じになるのだろうか。

昔、くわえ煙草をして煙をあげながら、「ああ、煙草が吸いたい」と思ったことがあった。本当に煙草がうまいと思うことがたまにある。煙草を吸いながら、体は「こんなのは煙草じゃない」と判定していたのか。いちいちそんなことを意識したわけではなく、気がついたら、煙草をくわえながら「ああ、煙草が吸いたい」と思っていたのだった。
今年の正月もそんな具合なのだろうか。秘密保護法案というろくでもないものが制定されたからか。どこが正月かと、「体が」判定しているのか。およそ、正月なんてものとは違う、と。

舞鶴でざる蕎麦を食べて、セブンイレブンでコーヒーを飲みながら、軽トラの中で以上の分を書き、観世温泉で湯につかり、帰宅して薪ストーブを焚き、うそうそしてから、二階の炬燵にあたった。pomera をパソコンにつないで、炬燵でこれを書いている。以下のものは、1月1日の夜、パソコンで書いたものだが、どうせ読めば気が滅入る。気が滅入る状態で書いていたことを、薄く覚えている。

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2014年になった。
1月1日。夜10時37分。

さとうさんが書かせてくれているこのエッセイは、「続きもの」でないのが気が楽だ。前回の話とは何の関係もないことを書いていいのだから、その点で気が楽だ。語学論ということになるとそうもいかない。前回書いたものと何の関係もないことを書いてはいけないというルールはないが、前回書い たものの発展形にするとか、前回書いたものをもっとわかりやすく砕くとか、前回書いたものと何の関係もないように見えても、前回書いたものに触発 されているとか、なんらかの関係において、前回書いたものと関係がある。そうでないといけないような気がしている。だから、私が書くもののうち で、語学論は「続きもの」なのである。登場する人の相互に反応が起こるネット上の掲示板では別だが、語学論そのものはゆっくりと進んできたので、 少し書いては長く中断するようなことをやってきた。だから、自分でも「続きもの」だとはわからないようなことになっている。

最初に書いた「英語のやっつけ方」という黄色い冊子は、3日か4日で書いた。これは、立て続けに書いたという意味では、「続きもの」であるが、 多分、書く前に項目を立てたのだろう。書いているうちに、次に書くべきものが出てくるというふうなのが「続きもの」としてのあるべき姿だと思っているが、「英語のやっつけ方」はそうではない。

その後、どんなきっかけで小学館の大西さんという編集者が連絡をくれたのかわからなくなってしまったが、自宅自作を始めるより前のことだったという気がする。「小学6年生」という学習雑誌の終わりの方に、親が読むためのページがあり、そこに二回連続で何か書けと、大西さんが電話をくれたのだった。それは二回で終わりなので、「続きもの」というほどのことはないが、その時に大西さんに3日か4日で立て続けに書いた「英語のやっつけ 方」という冊子をさしあげたのだと覚えている。

大西さんは、地名辞典を何年もかけて編集し、全国あちこちを訪れ資料を集めたりした人だが、地名辞典ができあがった後は「コロコロ」という小学 生向けマンガ雑誌の編集部に移った。大変だな、全然違うところへ行くんだなと思った。大西さんは、ときどき「コロコロ」を送って下さった。さらに その後、小学館が文庫を出すことが決まり、文庫の編集部に移られた。
「長いこと編集者をやってきたけど、地名辞典のときは、学者さんやお役人さんとばかりつきあってて、みんな固いんだよね。「コロコロ」に描いている人は、マンガは描けるが文章は書かないし、一般向けの文章を書く人をあまり知らないんだよ。文庫を企画するのには、困るんだよ。根石さんが自分で作った語学のやつ、俺にくれたやつね、あれ、文庫にしてみたらどうかと思ってるんだ。」
小学館文庫が出始めた頃、そんなふうなことを大西さんが言われたことがあった。それから何年もたって、本当に「英語のやっつけ方」を文庫にするという連絡をくれた。タイトルは大西さんの案で、「英語どんでん返しのやっつけ方」に変わった。自分で作った「英語のやっつけ方」は、数十ページの薄い冊子だったので、文庫にするには分量が足りなかった。その数年前に知り合って、隣町の戸倉で「素読舎戸倉分室」をやっていた村田君と話をし て、話をテープ起こしし、ページ数を増やすことにした。実際に話したことが元になってはいるのだが、後から書き加えた部分が多かった。

本が売れない時代になってきていて、単行本は大手出版社でも1500部とか2000部刷ってアタリをとり、イケルと踏んだら5000とか1万とか、あるいは大当たりし始めているものだったら、数万部とかの刷り増しをやるということを人に聞いていたが、私のような無名の者が書いたものでも、小学館文庫はいきなり1万5千部刷った。大丈夫かいなと思っていたが、数ヶ月でほぼ売り切ったということだった。目をつけてくれた大西さんに 迷惑をかけることにならなくてよかったと思っていたら、お金を80万円もくれた。こんなことは後にも先にもないだろうと思った。後にも先にもなかった。

「英語のやっつけ方」やら「英語どんでん返しのやっつけ方」と言うと、いわゆるハウツウものだと思われることは最初から承知のうえだった。自分で作った「英語のやっつけ方」は、自分でもハウツウもののつもりで書いた。しかし、ハウツウものになりきれてはいないところがある。ハウツウものになりきれていない、あるいはハウツウものをはみ出している部分を、その後、インターネットの掲示板を開設した時に、「語学論」と名付けたのだっ た。

ネットの掲示板は、ネットにつないでいる人には誰にでも開かれている。掲示板の名前は「大風呂敷」にしたが、公序良俗に反するとかで、図書館のコンピュータからはアクセスできないようになっているということは、後で松岡祥男さんから聞いた。
どこが公序良俗に反するのかというと、どうでもいいようなことなのである。要するに、「馬鹿か」とか、「顔洗って出直して来い」というようなノノシリが多発されるとか、当時の言葉で言うと「すぐ炎上する掲示板」だというのが、公序良俗に反する理由なのである。
松岡さんは、「大風呂敷」が図書館からアクセスできないようになっているのは「名誉」だと言ってくれた。私も「名誉」だと思った。ついでに思い出した。亡くなった中村登さんは、多分「イエローブック」という雑誌の座談会の中で、「図書館で、本がずらっと並んでるのを見るとウンコが出たくなる」と発言していたと覚えている。よくわかる話だと思った。私は中村登は「筋肉の詩人」だと思っているが、図書館内部の光景は、中村登の内臓の 筋肉にまで反応を起こさせる光景なのである。不随意筋まで動くような異様なものである。整然と整理されていればいるほど異様だ。血反吐を吐くのと同列の言葉も、整然と整理されてしまうのだ。

私が作った語学論用の掲示板は、荒しが入ったり、主催者がいちばん炎上したりした。十年ほどの間、一晩中起きていて掲示板に書くというような日々が続いた。ほとんど毎晩、ビールを飲みながら書くので、数年やっていたら腹が出てきた。
オーストリア産まれで、アメリカ経由で日本に来たウドという男と知り合いになった頃のことだが、私が自分の腹を叩きながら、「ビールを飲みなが ら掲示板に書くので、こんなに腹が出てきた」と言ったら、ウドは、「その腹は金がかかっている。大事にしろ」と片目をつむりながら言った。

60歳になる少し前だったと思うが、脳梗塞をやった。ある日、英語のレッスンをやっている時に、口がうまく動かないとはっきり思った。以前か ら、動かしにくいと感じることがときどきあったが、その日は違う気がした。動かしにくさが違う気がした。医者に行って、CTスキャンの結果、脳梗塞だと診断され、そのまま入院になった。症状は、口が動かしにくいということ以外に出なかった。口の動かしにくさが悪化していくこともなかった。 脳の血管が詰まったのだが、運がよかったと言えばよかったのだ。

その頃から掲示板「大風呂敷」に書くのがめっきり減った。掲示板に書くことを基本的にやめ、夜中の散歩を始めた。出ていた腹が1年ほどでひっこんだ。
掲示板は設置したままにしたので、書きたい人は誰が書いてもいいのだが、書く人もほとんどいなくなった。私が書くものに「そんな難しい言い方で なくて書けないのか」と文句を言った人には、もっと易しい言い方で書けるなら書いてみてもらいたいもんだと思っていたが、その人も書きはしないのだった。

脳梗塞の影響としては、口が動かしにくい時があるという以外は、その後も特に出ていない。今でも、英語のレッスンの時に、口が動かしにくいときがあるが当時ほどではない。
ただ、語学屋という仕事にとっては、口が動かしにくいというのは非常に困る。生徒に「もっと口の動きを引き締めろ」などと指示するのだが、引き締まった口の動きで、なめらかに口を動かすということが、自分でできなくなっている。
スポーツの監督とかコーチとかいう人たちがいる。自分ではもう激しくプレイすることはできないが、監督やコーチならできるので、監督やコーチをやっている。私が今やっているのもそれと同じようなものだ。
「口の動きを引き締めろ」と生徒に言う。自分ではそれができない。しかし、「引き締まった口の動き」がどういうものかははっきり見えているのである。生徒がたまたま実現したときに、ただちに「それだ!」と言うことはできる。
「それだ!」と何度か言っていると、いい動きが根付き始める。 しっかりと根付くと、生徒にも「引き締まった口の動き」の型が見え始める。脳梗塞をやった後でも、そのプロセスを形成することはまだできるのである。

素読舎には、コーチは私以外に二人いるが、まだ二人とも生徒の口に「いい動きを根付かせる」ことができない。コーチ自身の発音は、一般的なレベルはとうに抜け出ているが、「学校の犠牲者」を抜け出ているわけではない。生徒が「学校の犠牲者」になるのを食い止めることがまだできない。

磁場論と音づくり論が私が「大風呂敷」でやったものだが、そういう「語学論」は、日本ではまだ認知されていない。
私が「語学論」という言い方をし始めた頃、インターネットで「語学論」を検索語として検索してみたことがあった。「英語学」とか「ドイツ語学」 という語は以前からあり、検索してヒットしたものの中に「英語学論文」というのがあった。「英語学・論文」ということであり「英・語学論・文」ではない。
試しに先ほどまた検索してみた。今でも「語学論」と言っているサイトはないようだ。「語学論」という語をずっと使っているのは、素読舎関係の ホームページや掲示板だけのようだ。

「語学論」がないことによって、日本人の欧米系の言語習得がどれほどの損をこうむっているのかはかり知れない。例えば英語だが、英語関係の書籍、英語関係の学校の回りに動く金は、日本の yen が世界一の額だと聞いたことがある。今でもそうなのかどうか。多分そうなのじゃないかと思う。
英語の回りに世界一の規模の金が動き、多分、金の額が実質的な効果をもたらさないことの規模も世界一なのだ。
それは突き詰めれば、日本に「語学論」という領域がまともに成立していないせいだ。「磁場」でなければ手に入らないものが手に入ると思い、自分 を放送やら映画やら歌やらで「英語漬け」にするような奇態がなくならないのも、「語学論」がまともに成立していないからだ。

一例だが、もう20年近くもNHKの語学放送を聴き続けている人を知っている。この人は放送を欠かさず聴き続けている。お金はほとんどテキスト代にしか使っていないので、英会話学校に通うほどの大損はないものの、その人の語学放送の使い方に未来はないと私は考えている。聴き続けるのが趣味だというのなら何の文句もないのだが、聴き続けることで語学的成果を得ようと考えているのであれば、その点に関しては未来はない。そもそも語学というものがまるで立ち上がってくることがないのだ。ただ聴いているだけなのである。歌番組じゃないんだから、と思う。
そうであるならば、語学が立ち上がらないと言うのであるならば、ひるがえって、語学が立ち上がるとはどういうことなのかをはっきりさせなければ ならない。それをやれば、それが「語学論」になるはずなのだ。

NHKの語学放送を20年近く聴き続けている人に向かって、「語学が全然立ち上がっていないよ」と直言するのが「語学論」なのである。そして、 そんなものが「語学論」であるなら、「語学論」は最初から多くの人から嫌われる宿命にある。少なくとも「大風呂敷」という掲示板に書いていた頃は、人から嫌われるのを承知でやっていたとは言える。

掲示板「大風呂敷」に書かないようになってから、そうじゃないかもしれないなと思うこともあった。
「語学が立ち上がっていない」と言うのではなく、語学を立ち上げるには、こうすればいいのだと言う方がいいのではないか、と。だけど、それは やってはみたのだ。「英語のやっつけ方」だって、「英語どんでん返しのやっつけ方」だって、こうすればいいということを言ったものなのだ。だけ ど、人々はそこに普遍性を読んでくれなかった。何か変わった一方法を言っているだけだと読まれた。そんなはずはないと私は思っているのだ。音を立 体化するとか、イメージの生起と音、あるいはイメージの生起と文字を「同時化」するのだという言い方は他のものと代置できない。
イメージの発生時、「磁場」を一切アテにできないのが、日本における欧米系の言語習得だから、イメージは「自分が自分に対して」「意識という場だけで」作るしかないのだということだって他の言い方で言いようがない。

「回転読み」だとか「電圧装置」だとかいう言い方にこだわる気はない。それは、「語学には繰り返しが必要だ」という言い方でもいいし、「イメージと音を一体化する」という言い方でもいい。そういうことにはこだわりは持っていない。

やはり、私の言葉の癖が強いのがいけないらしい。

私も、NHKの語学放送を聴き続けている人に向けて、「そのやり方に未来はない」とは直言できなかった。生身でつきあう人に対して、その人と「語学論」によって直接的に関係を結んだら、その人との関係の総体がぶっこわれるのは目に見えていた。我の強い人が思い込んでしまったことにやたらに口を出すもんじゃない。
「継続は力なり」と言うが、力にならない継続もある。

生身でのつきあいの平面で避けたものを、掲示板では避けなかった。その結果、「馬鹿か」も出てきたし、「顔洗って出直して来い」も飛び出したのだった。なんでわざわざそんな損をするような言い方をするのだという忠告は何度も聞いたが、こちらこそそう言いたかった。なんでわざわざ損をする ようなことを放っておくのかと言いたくなることばかりだった。NHKやら中学・高校の授業やら、英会話学校やら、澄ました顔をしてやっているそれらの全部が駄目だと言いたくなった。言いたくなったので言ったのである。

日本全体が、英語一つでどれだけの損をしているかわからない。「語学論」がないからだ。これに関しては、文部科学省と大学に責任がある。原子力村と同じように、英語の回りにも「御用学者」がうろうろしているのだろう。

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以上が、この正月に書いたものである。
なんで語学のことなんか書いたのかと言うと、少し前に「大風呂敷」に語学論めいたものを書き、それを facebook に転写するということをしたからである。
「続きもの」をまたやろうかという気になったときに書いたのだった。それが尾を引いていて、ふんぎりがつかないから、多分、話がそっちへ流れたのである。

いつもよりずっと長い原稿になってしまうが、ネット上への掲載なら、さとうさんの迷惑にはならないだろうと思い、以下に「大風呂敷」に書いたも のを転写させていただく。少し書き足したところがある。

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..1.なぜ「磁場」と言ってきたのか

13/12/25 投稿者:根石吉久 投稿日:2013年12月25日(水)22時46分57秒 編集済

『「磁場」に入り、種のまま持ち続けたものから芽が出ればいいのである。たてつづけにめまぐるしくイメージがどんどん脱皮を繰り返すというよう なことも起こるはずだ。それが「磁場」であり、「磁場」でしか起こらないことだ。』

上に引用したのは、掲示板「大風呂敷」の過去ログからの私の文だと思われる。

素読舎の語学論の多くが、「音づくり論」と「磁場論」に言葉を費やしたものだ。

書いてみようと思ったのは「磁場論」そのものではなく、なぜ「磁場」という語が素読舎の語学論に必要だったかについてだったので、古いテキスト ファイルに「磁場」という検索語で検索をかけたら、たまたまこの文にぶつかったというにすぎない。「大風呂敷」の過去ログ全体を「磁場」という検索語で検索すれば、おびただしい文がみつかるだろうと思う。引用したものは、その欠片みたいなものである。

なぜ(英語の・日本語の)「磁場」というような言い方をわざわざしてきたのかについて書いておこうと思ったのである。

例えば「英語圏」という語がある。「あの人は英語の磁場にいた人だ」という言い方よりも、「あの人は英語圏で生活した人だ」という言い方の方が わかりやすい。だから、わざわざ(英語の)「磁場」などと言わなくてもいいではないか、「英語圏」でいいではないかという意見があるだろうと思 う。しかし、私には「英語圏」という言い方を使ったのでは言えないものがあったのである。
「磁場」という語を使い始めた時、「磁場」という言い方 でないと切り開くことのできない地平を予感していたのだと言ってもいい。
「磁場の磁力が働く」というような言い方は可能であるが、「語圏の圏力が働く」という言い方では何のことかわからない。「磁場の磁力が働く」と いうような言い方は随所に必要だったので、「磁場」という語が必要になったのだ。

私は語学屋であるので、語学をやる立場から、例えば「英語圏」と呼ばれている場所を見る。語学屋であるから、語学特有の性質について考える。考えるときに、「磁場」という場に、語学にはない性質を見つけることができれば、そのことで逆に語学とはどういう行為であるかを照らし出すことがで きる。そういう場合にも、「語圏」ではうまく考えられない気がした。「磁場」あるいは、「磁場の磁力」というふうに物理学用語で比喩的に言う方が 考えが先に行ける気がしたのだった。

語学を考える途中で、「みつけたぞ」と思ったものは、「当事者性」だった。
語学になく、「磁場」にあるものは、「当事者性」だと言っていい。

「当事者性」が磁力を帯びるのだ。

具体的に例を出すほうがいいだろう。例えば、日本語の新聞を読んでいる場合に(英語でも同様に説明可能だが、日本人には日本語の「磁場」を意識 して欲しい)、これまでの考えを当てはめれば、二つのまったく異なる読み方がある。

新聞に、明日の東京の天気は雨だろうという記事があったとする。その「明日」、亡くなった友人の葬式があり、それに列席する予定の人を想定して みる。駅から式場までタクシーを使うべきか、歩いても行けるかどうかを葬式に列席する「当事者」として悩んだと想定してみる。列席すべき「当事 者」であるから、インターネットで式場の周りの地図を探し、歩いて行くこともできそうだから、傘は絶対に持っていかなくてはならないなとか、読んだ新聞記事そのものからどんどん離れて、実際にやらなければならないことを考え、判断し、準備するだろう。それが「磁場」の中にいるということな のである。それが、「当事者」が「磁場の磁力」の中を生きるということであり、磁力を帯びるということである。

これと根底からして違う新聞の読み方が、語学の教材として読む読み方である。

例えば、アメリカ人が語学の教材として、明日の東京の天気は雨だろうという記事を読むとする。単に目で読むだけでなく、しゃべるのに使える語法 がここにあると思い、「明日の東京の天気」という具合に「の」で名詞をつなげていく語法を習得しようと思い、繰り返しその文を口で唱えてみるとい うことをしたとする。これは「練習」である。だから、音もなるべく日本人が発音するように発音してみようと努力するだろう。
この語学的な場面では、このアメリカ人にとって、明日という日に、東京に雨が降るかどうかはどうでもいいことなのである。そんなことよりも、日 本語の「の」の使われ方に慣れることの方に意識の力を注ぐべきことになっているのである。つまり、自分の行動や判断に直結する「当事者性」はここ にはまったくないと言っていい。「当事者性皆無」というものが、語学の場面なのである。現実に対する芝居のような位置にいるのである。ままごとの ような位置と言ってもいい。

語学をどれだけ激しくやっても、大量にやっても、そこには「当事者性」というものはない。

この語学の場面に当事者がいるとすれば、「当事者」を想定し、それを意識において演じる当事者がいるだけである。それは、現実の場面で、へたな 言い方をしたら、ただちに危険にさらされるかもしれない人が持つ「切実さ=当事者性」のようなものをまったく欠いている。
語学の真の場所は、意識である。意識に「想定された当事者」をどう演じればうまく演じたことになるかという架空の世界があるだけなのである。それは天然自然の中に置かれた人間の意識と同じくらい架空のものである。
そこにも架空の世界の「当事者」はいるが、その「当事者」は想定されたものとして意識の内部にいるだけであり、「足が地についた場所」に身体ごといるわけではない。

それが語学である。すべては想定されたものであり、イメージされたものであるにすぎない。場所は「磁場」ではなく、意識である。

「磁場の当事者性」と「語学で行使される意識」は、吉本隆明の語を借りれば、まったく「逆立している」。

「語学の場=意識」と「磁場に足をつけて生きる意識=当事者性」との間には、目も眩むような巨大なクレバスがある。日本人が英語をしゃべるよう になるということは、このクレバスをまたぎ超えるようなことである。あるいは跳び越えるようなことである。こちら側は、個の意識だけの世界、向こう側は場における当事者になる世界である。「目も眩むような巨大なクレバス」は大げさな言い方ではない。

という具合に、語学というものを考えてきたので、「英語圏」なんかという言い方では、とても考えを先に進めることはできなかったのである。

「磁場」あるいは「磁場の磁力」、あるいは「当事者性」というわずかな語を使えば、英会話学校に通っても、なぜ英語をしゃべれるようにならないかを私は説明することができる。

今回もまた、語学論をやる常として、ビールを飲みながらやったので、すでに言葉にアルコールが回る寸前になっている。英会話学校不能論は次回に やることとする。

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■素読舎 反英語フリーク「大風呂敷」
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根石吉久

 

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それほど広くはない畑で、草だけを使って野菜を作る実験ばかりしてきた。実際、実験ばかりであり、ろくに野菜は穫れてはいない。草は毎年豊作 で、草を作っているのか野菜を作っているのかわからない。周りの畑に来る人たちもわからないらしく、口に出しては言わないが、いったい何をやって いるんだろう 続きを読む