ザビーネ・マイヤー

 

加藤 閑

 

20130715_閑さん_3つの貝殻と5つの人形(途中)4

 

吉田秀和の『私の好きな曲』の三番目には、モーツァルトのクラリネット協奏曲イ長調K622がとりあげられている。その書き出しは、ブラームスの調べ物をするうちにクラリネット五重奏曲にぶつかったら、モーツァルトの同じ編成の室内楽がひびいてきたというもので、それに続けて次のように書いている。

「両者の違いは、もう、どうしようもない。ブラームスの曲の、あの晩秋の憂愁と諦念の趣きは実に感動的で、作者一代の傑作の一つであるばかりでなく、十九世紀後半の室内楽の白眉に数えられるのにふさわしい。けれども、そのあとで、モーツァルトの五重奏曲を想うと、『神のようなモーツァルト』という言葉が、つい、口許まで出かかってしまう。」

こう書かれると、たしかにそうかも知れないと思ってしまう。だが、神とは何だろう。人知を超越した作曲の才能をモーツァルトが有していたということか、あるいは一種宗教に近い高潔さをこの曲に感じるということなのか、いま一つはっきりしない。吉田秀和はしばしばこういう書き方をする。彼は、豊かな音楽の知識と教養に裏打ちされた評論家であると同時に、いや、もしかしたらそれ以上に、言葉による表現を実践する文学者なのだ。彼が、みずから表現の素地を形成するにあたって影響を受けたとする交遊録に登場するのが、中原中也であり、大岡昇平であり、富永太郎といった、詩人や小説家であるのも頷ける。

文章を読み進むと、「神のようなモーツァルト」という言い方は、この章の主題であるクラリネット協奏曲が、モーツァルト最晩年の作品であり、洗練されたかなしみともいうべき精神性を獲得している曲であることを語るための伏線だったことが分かってくる。ピアノ協奏曲第27番ロ長調K-595と並んで、しばしば「天上の音楽」と称される曲であれば、それをつくった人が「神のよう」であるのは当然のことである。

吉田秀和が、常に読者を意識しながら文章を書いているのも、彼がいわゆる「音楽評論」ではなく、「読み物」を目指していたからではないかと思うことがある。いつぞやは、グレン・グールドがシューベルトの最後のソナタ(第21番ロ短調、D-960)を弾いている夢で目が覚めたという文章を書いていた。クラシック音楽の愛好家でグールドに関心を持っている人なら絶対に考えずにはいられないこと(それこそ夢のまた夢)を寝覚めの夢として書くことで、音楽評論の立場から一歩退いてみせるのは、心憎いばかりだ。

わたしもはじめはモーツァルトの曲に惹かれた。クラリネットに弦楽四重奏という編成が同じであるため、この二曲は1枚のCDにカップリングされることが多い。最初よく聴いていたのはアルフレート・プリンツの演奏したディスクで、その頃はモーツァルトが終わるとブラームスは聴かずにプレーヤーを止めていた。しかし、何度か続けて聴くうちに、ブラームスの曲に心を奪われるようになった。神の高みよりも人間の猥雑さの方が面白いと思ったのだろうか。

ふたつの五重奏曲の楽譜を開いて見ると、「神」と「人間」の違いがよくわかる。モーツァルトの方はどのページを開いても見た目に大きな違いはなく、音符も適度に散らばっていてすっきりそしている。(わたしは音楽の勉強をしたわけではないので、ここでは純粋に視覚的な意味で楽譜を見た印象を言っているにすぎない)そして、クラリネットと弦楽四重奏があたかも会話をするように、旋律を交互に演奏するようなかたちが全編にわたって続いている。

一方、ブラームスの方はというと、音符の密度の薄いばらけた感じのページや、やたらと細かな音符が絡み合っているページが順不同に出てくる感じで、なるほど人間の世界とはこういうものだと改めて実感させられる。クラリネットと弦楽器も、対話をするかと思えば一緒に同じ旋律を奏でたり、あるいは喧嘩をしたりといった塩梅で、モーツァルトよりよほど落ち着かない。しかし音楽を耳で聞いてみると、楽譜を見較べたときほど違う性質のものだとは思えないから不思議だ。そういう意味では、あの単純に見える楽譜でこれほど深みのある音楽を聞かせるモーツァルトは、やはり神に近いのかもしれない。

吉田秀和の『私の好きな曲』のせいでわたしはあまりに「神」と言いすぎてしまった。実際、「神のようなモーツァルト」という言葉は、あの本の中でもっとも印象深い忘れられない文句だった。しかし、ふたつの五重奏曲を繰り返し聴いたり、楽譜を眺めたりしていると、やはり二曲の間に横たわる時間というものを考えないわけにはいかない。モーツァルトのクラリネット五重奏曲の成立が1789年。ブラームスのそれは1891年。わずか100年あまりと言うこともできるが、産業革命が起こって世界の変化の車輪がにわかに加速していく時代の100年である。精神や表現の世界にも大きな変化が生じることに何の不思議もない。二つの楽譜の印象の違いは多分この100年に起因している。

ブラームスのクラリネット五重奏曲は、ザビーネ・マイヤーとアルバン・ベルク弦楽四重奏団のCDを聴くことが多い。有名曲だから録音は多いが、演奏はこれが傑出していると思う。ザビーネ・マイヤーは、カラヤンがベルリン・フィルの首席奏者にしようとしたが、楽員の総スカンをくって実現しなかったことで一躍有名になった人。美人だけれど唇が薄く(クラリネットやオーボエの奏者で唇の厚い人というのはあまりイメージできない)、ちょっと酷薄な印象を与える顔立ちだ。

一緒に演奏しているアルバン・ベルク弦楽四重奏団がまた上手い。ウラッハはもちろん、ライスターなどかつての名人のディスクでは、クラリネットが強すぎると感じることがあったが、この録音では、(当たり前のことだが)5人でひとつの曲をつくっているという印象に終始する。強音も弱音も、その移り変わりも、あくまで自然に流れる。それでいて聞き終わった後の充足感は他のどの録音にも負けない。この曲に関する限り、当分わたしにとってのベスト盤は動かないような気がする。

実は、わたしはザビーネ・マイヤーについては、これ以上のことはほとんど知らない。たくさん出ているディスクも、聴いたのは数点にすぎない。その中にはアルバン・ベルクとの共演盤の8年前に録音されたウィーン弦楽六重奏団とのブラームスの演奏が含まれている。そしてそのディスクには、ブラームスのクラリネット五重奏曲からさらに100年近くの歳月を経て書かれたもう一つのクラリネット五重奏曲収められている。

作曲者はユン・イサン(尹伊桑)。彼は生涯に二曲クラリネット五重奏曲を作っているが、これは1984年に書かれた最初の方。昔「オーボエ協奏曲」を聴いたときもそうだったけれど、彼の曲は聴き手に「耳を澄ませ」と命じるかのようにはじまる。しかし聴いてみると、わたしの感覚では、ブラームスよりもモーツァルトに近い。近いけれど、多分、神はもういない。

クラリネット五重奏曲はブラームス最晩年の作品のひとつだ。遺書まで書いて生涯の店仕舞いをしようとしていた彼の前に、ミュールフェルトというクラリネットの名人があらわれた。ブラームスは彼の演奏に触発されて、二曲のクラリネット・ソナタと、ピアノとチェロによるクラリネット三重奏曲と、そしてこの五重奏曲を書いたのだった。いずれ劣らぬ名曲揃いだが、やはり五重奏曲が素晴らしい。ブラームスの音楽に対して、よく哀愁とか諦観とかといった評言がつかわれるけれど、この曲はそうした彩りに満ちている。

何日か前、わたしはたまたま一人だった。夏の夕暮れの芝生が眼の前にあった。ふと子供じみたことがしたくなって、芝生のうえに仰向けに寝転んで空を見上げた。暗みかけた空を雲や鳥たちが横切って行った。そのときわたしは、青い空に無数の黒い線や影が広がっていることに気がついた。ちょうど傷だらけのガラスを顔の前に置いて空を見上げているような感覚だった。それが自分の眼についた傷だとわかったとき、こんなに眼を傷めるほどの時間をもう生きてしまったのだという思いが急にこみあげてきて、すぐには立ち上がることができなかった。眼は空いたままなのに、空はどんどん暗さを増していくのだった。