焼き芋屋になりたい

根石吉久

 

写真 2013-08-31 16 10 28

 

佐藤さんから、夕方、フェイスブックのメッセージ経由で、原稿を書くようにとのお言葉があった。それはほんとに「お言葉」なのであり、いまどき俺に原稿を書けなんて言ってくれる人はいねえやと思って生きてきたので、佐藤さんが毎月書くようにと言ってくれたのがうれしく、神棚があれば神棚にあげるべき「お言葉」だったのである。神棚はない。神棚がないからといって、仏壇にあげるわけにもいかない。そもそもその仏壇も、実はないのだ。どうにかしなければいけない。

佐藤さんの言葉が「お言葉」であるのは、私に原稿を書けと言ってくれたから「お言葉」であるだけではない。もともと、佐藤さんの言葉は「お言葉」だったのである。

フェイスブックやツイッターで読む佐藤さんの言葉が、ときどき、なんでだろうと思うくらい透明感がある。これはどこからくるものかわからない。一般には資質という言葉で済ませられるものだろうし、そうだろうが、その資質がどこから来たものかがわからない。
ヒヒョーの言葉が苦手なので、ただ短く断言することしかできないが、佐藤三千魚の言葉はとても透明なのである。透きとおっているのである。我が家は乱雑なので、どこに誰の本があるのかわからないが、私の好きな本は我が家のどこかにある。山本かずこの本、奥村眞の本、佐藤三千魚の本、中村登の本、松岡祥男の本。
脳梗塞をやったが、余命いくばくもないほどではなく、もうちょっとあると思っている。が、それはわからず、好きな本は乱雑な不透明な部屋の中から掘り出して並べた方がいい。並べてみたこともあるが、並べても、妻や娘は、またこんなところに本を出して、と言って、片付けてしまう。私から言わせれば、彼女らは本を再び乱雑の中に埋めてしまうのである。

佐藤三千魚の本は詩集だった。その詩集を読んだ頃から、なんでこんなに言葉が透き通っているんだろうと感じてはいたのだ。
日立の洗濯機ではなかったと思う。冷蔵庫だったのか、エアコンだったのか、何か空気をひんやりさせる製品だったと思う。ヒーターや足温器ではなかったと思う。なにかひんやりさせる日立の製品の製品名が詩集の中にあった記憶がある。こんな製品名でさえ、この詩集の中ではひんやりと透明だ、と感じていた。詩集の言葉だけではなく、フェイスブックやツイッターに佐藤さんが書く言葉もそうだ。(日立はヒタチと書かれていたような…ひんやりさせる製品ではなく、電気こたつだったかもしれない…だが、ひんやりと透きとおるという言葉の印象については訂正する必要はない。)
だから、何も足さない、何も引かない、のサントリー(?)のコマーシャルの言葉通り、佐藤さんからの原稿依頼は私には光栄なのである。私の好きな本を書いた人からの光る「お言葉」なのである。

生活雑記みたいのしか書けないなあと、佐藤さんから原稿を書くように言われた時に携帯電話で話したのを覚えている。メディアの種類はネットだということなので、それなら「枚数」はあんまり気にしなくていいのかなと思った。「枚数(字数)」を気にしなくていい生活雑記みたいのなら、フェイスブックにも書いているし、その延長でいいなら、緊張しなくてもいいのかなとも思った。
原稿、という言葉にわりと緊張する。それがうまくはたらいて、まあまあのものが書けることもあるし、ぎくしゃくしたままでおもしろくないままになることもある。どうせどっちかになるのだが、知ったこっちゃねえという太い根性が私にはある。その時書けるものしか書けやしない。
最近、フィリピンの大学生や若い人のアルバイトで、エーカイワができるネット上のレッスン(?)がある。私が使っているのは、一回30分、月に5回で月額2000円の Sralie とかいうやつである。 フリートーキングの太い根性の生徒である私は、毎回ビール片手にエーカイワの練習をしている。講師に「あなたはとてもスポンティニアスだ」と言われた。エーカイワは下手だから、口から出任せになってしまう。
原稿という言葉に緊張することは嫌いではないのだが、そういえば、エーカイワだけじゃなくて、ゲンコーを書くときも、割と出任せだ。昔から出任せだったのだ。出任せというと語弊があるのかないのか、語弊がある場合は誰に語弊があるのかもよくわからないが、スポンティニアスと言っとこう。

英語の塾をやって生活費をかせいできた。最近になって、負けたんだなと思う。今でも、塾はやっているし、ネット上でスカイプという電話みたいなものを使うレッスンもやっているが、負けたんだなと思う。ついに、人々の幾重にも重なった幻は破れなかった。今、生徒として私のレッスンを使ってくれている人たちは、わずかな人数だ。その人たちは、私が書いてきた語学論に何ごとかを感じてくれたから、私の生徒になってくれた。
大勢の人たちが着込んでしまっている幻想は、どうにもできなかった。まあ、しかし、語学論は少しずつ整理して、ネット上に置いておくべきだろうと思っている。

これもスポンティニアスだが、焼き芋屋をやろうかとピザ窯の作り方を特集した雑誌を読んでいて思った。ピザ窯で焼き芋は焼けないのかとネットで調べたが、ピザを焼く温度より焼き芋を焼く温度の方が低い。だったらできる。焼き芋兼用のピザ窯の設計図を何枚か描き、何度か描きなおした。兼用にしたのは、夏だったらピザも焼くからである。トウモロコシなども焼けたらいい。
実際に煉瓦を積み始めたら、設計図はまるで見ない。すべてが頭の中に入っていて、何も見なくても煉瓦が積めるのである、というのではなく、設計図を見ないのは、設計図とはまるで違うものを作ってしまっているからだ。
久しぶりにブロックや煉瓦を積んでいたら、自宅を自作していた頃の勘が戻ってきて、ああそうそう、こんなふうにやったなと思い出すことがいくつもあった。さすがに家は設計図を無視しなかったが、窯を築く段になったら無視に継ぐ無視。しかし、設計図を描いたのは無駄ではないのだ。ピザ窯というものは基本的にこういう構造なんだなというのは把握したのだ。
屋根をおっぱいみたいに丸くして「おっぱい窯」と命名しようかとか、キノコ状にしようかとか、男根型にしようかとか、お尻がいいなとか、桃みたいな割れ目を入れようかなとか、セメントを捏ねながら、あるいはグラインダーで煉瓦を切りながら、もうもうと煉瓦の赤い粉をあげながら、妄想することすること。
まあ、なんにせよ、エロチックでなくちゃいけないと思い込み始めている。なぜだかわからない。

焼き芋、売れるかなあ。ずぼらなので、庭で焼いて、庭先で売るつもりなのである。売れるかなあ。

英語屋を縮小して、焼き芋屋として終わる。いいんじゃないかと思っている、と書いていたら、急にステンレス板を使った釜の構造を思いついた。描いておかないとすぐに忘れるので、ちょっとそっちに取りかかります。
では、次回。

 

 

month 月 一ヶ月

ひとつきが
過ぎ去ったのだろう

一瞬のように
過ぎ去ったのだろう

一生のように
過ぎ去ったのだろう

過ぎ去らない
ものはないのだろう

すべてが過ぎ去るのだろう

暗やみのなかに
小さな赤い薔薇の花をみてうれしかった

うれしかった一瞬があった

 

はなとゆめ 07

かつて

水色の花をみました

そのヒトの庭に
水色の朝顔の花が咲いていました

でも一日で萎れてしまうのですね

そのヒトはいいました
そのヒトはいいました

わたしには朝顔は遠い母に憶われました

遠い母に

コトバを届けたいとおもいました
無いコトバを届けたいとおもいました

水色の朝顔の
無いコトバを届けたいとおもいました

一度だけ
母を旅行に連れて行ったことがありました

沖縄で死んだ
たくさんの人々の名前のなかに
母の
兄の名が
石に刻まれていました

母はその石の前で崩れてしまいました
母はその沖縄の石の前で泣き崩れてしまいました

でも一日で萎れてしまうのですね
そのヒトはいいました

わたしは一度だけ

水色の朝顔の
無いコトバを届けたいとおもいました