ジャン・フォートリエ

加藤 閑

 

フォートリエ林檎1940-41

 

 

7月9日、東京ステーションギャラリーでジャン・フォートリエ展を観た。
フォートリエのことは何も知らないと言っていいほどだったのだが、なぜかこの展覧会の開催を知ったとき、これは見たい、いや見なければという気持ちが湧いた。
これまで図録などで見た何点かの作品の記憶と、誰だったか作者が思い出せないけれど「フォートリエの鳥」という題の詩があったはずだとか、アンフォルメルという今一つ自分の中で明確でない概念を確かめたい等、いくつかの思いが重なっていた。

この展覧会は大々的に宣伝されたものではなかったし、東京ステーションギャラリーもそれほどメジャーな美術館ではないのが幸いして、大きく混雑しているというようなことはない。なによりも、ほんとうにこれを見たいという人が一人(団体でなく)で来ていて、それが会場の雰囲気をよいものにしていたのも有難かった。
しかし、作品の質の高さは群を抜いていて、わたしが今年見た展覧会ではいちばん、もしかするとここ何年かでいちばんかもしれないと思うほどだった。優れた展覧会は会場に一歩足を踏み入れたときに感じるものがある。並んだ作品が醸し出す空気の厚みのようなものがあって自分はそこに入るのだという意識を覚える。かつて横浜美術館で開かれたセザンヌ展(1999)には圧倒的にそれがあった。フォートリエの作品を見ていくうちに、セザンヌ展の会場に立ったときの感覚が甦ってくるのを感じた。
もっと新しいところでは、同じ横浜美術館での松井冬子展(2011)にも少しだけれどそれがあった。というより、意図的にそれをつくろうとしてある程度成功したということだろうか。松井冬子展の最高傑作は池に映る桜の巨木を描いた「この疾患を治癒させるために破壊する」(デュラスの小説のようなタイトル)だが、展覧会を成功させるにあたってさらに重要な役割を果たしたのは、「ただちに穏やかになって眠りにおち」という、沼に沈んでゆく象の絵だった。わたしはそう確信している。これがはじめの方の部屋にあるからこそ、グロテスクな傾向の強いその他の多くの作品が絵画作品として実際よりも一段高められて見える。この絵を描いたこともそうだが、それ以上にここに展示したことに彼女の才能と見識を感じさせられた。

フォートリエ展に話をもどそう。林檎の絵がふたつあった。これがわたしにとって今回の展覧会のピークを成していた。展示としては、有名な「人質」のシリーズが中心なのだろう。会場を一巡すればわたしにもそういう印象がないわけではない。しかし、「人質」についてはレジスタンスとの関連で多くが語られているし、他の美術展に比べれば宣伝が少ないとはいうものの、展覧会の案内などではやはり中心作品として扱われているのは間違いない。するとどうしても、既視感というか、先入観にとらわれて絵の前に立つことになる。情報があるということは、必ずしも幸福な結果をもたらすものではない。

初期(1920年代)の具象から「人質」に至る作品はみなすばらしい。「森の中の男」をはじめとする油絵や、「左を向いて立つ裸婦」などのドローイング、どれも胃の中に石を投げ込まれるような絵だ。会場が静かなのもわかる気がする。目つきの悪い少女を描いた「セットの幼い娘」と題された油絵の前に立ったとき、唐突にルノワールの「ルグラン嬢の肖像」を思い出した。まったく対極にある絵なのに、鮮明に頭の中に画面が開かれた。その絵は2007年のフィラデルフィア美術館展で観たのだった。その愛らしさをわたしは何人かの友人に告げてまわった記憶がある。だが、この「セットの幼い娘」を同じように扱うことはできない。この絵からわたしが受け取っている情報は、わたしの中で極めて個人的に処理されていると思う。別の人が見ればその人なりの、また別の人が見れば別の見方で感得されるような作品なのだ。「ルグラン嬢」のように誰が見ても同じ愛らしさというのでは決してない。

フォートリエの作品は、すべてそのようにわたし一人に語りかけてくる。いや、語りかけるというようななまやさしいものではない。わたしの心の扉をこじ開けてはいってくるようだ。だから彼の絵から受ける感動は、瞬時に人生を生きなおすような衝撃がある。
一連の人物画を経て、果物などを描いた静物画の部屋にはいると、わたしの中につよくこみ上げてくるものがあった。描かれているのは梨や蒲萄、しかも筆致はぞんざいで緻密なものではないのに、わたしの深い感情をざわつかせた。そしてその正面に「林檎」の絵はあった。たまたま同じころ会場に入り、だいたい同じペースで進んできた男性が、この絵の前に立ったときほんとうに深く深く息を吐いたのが印象的だった。ものすごく個的にそれぞれの作品に対峙するような絵なのに、感銘は等しく訪れる。もう一つ、「醸造用の林檎」という、もはや林檎の形象をとどめていない絵があった。この二つの林檎があったからフォートリエは「人質」を描くことができた。それは疑いを容れない。先に二つの林檎がピークだと描いたのにはこの意味も含まれている。奇しくも15年前に訪れて生涯に何度めぐりあえるか分らない最高の展覧会と感じたセザンヌ展で、もっともわたしを捉えたのが「リンゴとオレンジ」という静物画の傑作だったのもなにかの符牒のようだ。

しかし、「人質」以後のフォートリエの作品をなぜアンフォルメルというのかはわからなかった。会場の途中でフォートリエがジャン・ポーランと語る短いビデオが放映されていて、フォートリエ自身が自分の作品を指して何度も「アンフォルメル」と言っているが、なんだか面倒だからそう言っておくかというように見えた。ただ、その中で「抽象は繰り返し繰り返し考えるが自分はそうではない」というようなことを言っていたのが興味深かった。ちょうどこの半月ほど前に東郷青児美術館で「オランダ・ハーグ派展」を見た。モンドリアンが4点来ていたので見に行ったのだが、「ダイフェンドレヒトの農場」という良い作品があった。もっとも、モンドリアンを見に来ようと思ったきっかけは、新聞で「夕暮れの風車」の図が紹介されていて、風車の背景となっている暮れゆく空が美しいと感じたからだ。その美しさは抽象を予感させる美しさだった。モンドリアンは有名な「樹」もそうだけれど、種明かしのように抽象への過程を作品でなぞってみせる。考えたかどうかは知らないが、思索的に見えるのは確かだ。それに比べるとフォートリエの方が直接的だ。樹や雲で抽象への道筋を示唆しようとするモンドリアンよりも、そのまま「林檎」や「人質」に入っていく。フォートリエは晩年の作品を、モンドリアンが「ブロードウェイ・ブギウギ」を描いたようには、描いていない。「アンフォルメル」とみんなが言うから名乗ってみたが、案外最初から最後まで、根は同じところにあったのかもしれない。