駿河昌樹
夜も更けて
ちゃぽちゃぽ
風呂に浸かっていて思い出したのは
めずらしくも
祖母のこと
母方の祖母のこと
ひとに話す時には祖母って言いなさい
おばあちゃんなんて言ってはいけません
タカピーだった母にはきつく言われ通しだったが
祖母と呼ぶにはふさわしからぬ
いつまで経っても田舎まるだしの
子どもの目にはでっかくて
塗り壁みたいで逸ノ城みたいなおばあちゃんだった
風呂に浸かっていて思い出したのは
どうしてだろう
おばあちゃんの家に行った時には
いつもいっしょにお風呂に入れられて
ちゃんと何十か数えて温まってから出ることになっていたからか
落ち着かない幼児には
けっこううんざりな
めんどくさい
がまんがまんのあったまりの時間
あれがよみがえったからか
何十か数えるといっても
東京の言い方ではない口調でおばあちゃんが数えるので
「いーちーに
「さーんし
「ごーろく
「しーちーはち
「きゅーじゅ…
とのんびりしたおばあちゃん節
ぼくはよくノボせてしまって
上がるとたいてい気持ち悪くなって
「まあ大変だ
「はやくお醤油を飲みなさい
「ちょっと舐めれば治るから
と母やおばさんたちから
ノボセの特効薬の醤油をちょこっと飲まされて
畳の上にぶっ倒れたり
椅子にだらっとなったり
後からおばあちゃんが出てくると
「まったく弱いンだからねえ
「おばあちゃんなんか
「天皇陛下の名前をぜんぶ言いながら温まったもんだ
「じんむすいぜいあんねいいーとくこうしょうこうあんこうれいこうげんかいかすーじんすいにんけいこうせいむちゅうあいおうじんにんとく…
とかなんとか
ぼくには記号とか暗号でしかない音をしばらく発しながら
「よっこらしょーのしょ
とかけ声かけて
重い鍋を食卓に移したりしはじめる
なにかと弱っちかったぼくは
食べるのも遅いし
すぐ疲れるし
ちょっと外出するとすぐに「タクシー乗ろう」となまいきに言い出すので
ニッポンじゅうが二十四時間働ける大人ばっかりだった時代
男の子の風上にも置けない情けない感じだったらしく
おばあちゃんにも言われっぱなしだったのは
「そんなんじゃ
「兵隊さんに取られたらすぐに死んじまうよ
「さっと食べてパーッと走っていけなきゃだめなんだよ
「乃木さんみたいにコップ一杯で歯磨き洗顔もできなきゃね
などなど
「そんなこと言ったってセンソーはもう昔のことだし
と反論すると
「センソーなんてまたいつ起こるかわからないんだよ
「赤紙が来て兵隊さんに取られっちまったら
「ぐずぐず食べてちゃだめなんだよ
「食べ終わらないうちに鉄砲担いで行かなきゃいけなくなるんだよ
と
またまた言われっぱなし
こんな幼時のことがあるから
おばあちゃんはやっぱり昔のひとで
センソー時代の考えのひとだと思い続け
学生時代が終わっても
おばあちゃんとはソノヘンのことは
話してもしょうがないだろうと思って
あらためて話をむけようともしないできたものの
ショーワテンノーの死んだ後
話がテンノーのことになったら
「まったくひどいセンソーを起こして
「あたしたちはさんざんな目に遭ったのに
「テンノーさんはのうのうと安泰だ
「食べ物もなかったし
「なんにもなかったし
「子どもたちは疎開にやって
「お父さんとあたしとおばあちゃんは
「空襲の火の中を右往左往してなんとか逃げて
「田端の家もぜんぶ燃えちゃって
「セメントのお風呂だけが燃え残って
「そこにお湯を入れて焼け跡の中で浸かったりした
「なにもかも燃えちゃったから
「田端から海の方までぜーんぶ見渡せた
「お父さんなんか馴染みの下町や隅田川のほうまで
「ずーっと歩いて見に行ってきて
「死んだ人が山になってるのをさんざん見てきて
「ひどいひどいひどいと言い続けてたけれど
「テンノーさんはのうのうと安泰だ
「あんなセンソー起こして
「平気で立派なところに居続けて安泰なんだ
と言い続けた
嘆くようにでもなく
吐き捨てるようにでもなく
つぶやくようにでもなく
まるで教科書に書いてある事実のように
ためらいもなく
つよく
はっきり言った
おばあちゃんは昔のひとでセンソー時代のひとだが
そういう昔とセンソー時代の鋭さを
ぼくは見直さないといけなかった
新鮮だった
晩年になるとおばあちゃん
だいぶボケが出てきたが
アタマのはっきりしている時もけっこうあって
ボケVSはっきり
ボケVSはっきり
が交互に点滅
そのせいでか発言も
ボケVSはっきり
ボケVSはっきり
かと思いきや
けっこう
はっきりはっきりはっきり
なりまさり
ちょっと家族が集まって話していて
なにか
世間の話題になっていた性的不祥事の話になった時
「だってしょうがないよ
「ニンゲン
「セックスはしなきゃいけないからねえ
「それは止めようがないからねえ
「抑えられないからねえ
と
はっきりはっきりはっきり
発言
これにはみんな一瞬黙り
このひと一体いつの世代のおひとか?と
一気に追い抜かれていく感覚
ひょっとして
タダモノではなかったかと
おばちゃんの顔をまじまじ見つめ
ぼくも思い直した
そんなこんなで
とうの昔に死んだおばあちゃんを
いまの時代に強引に結びつける気なんかさらさらないが
おばあちゃんは福島のひと
福島は四倉のひと
そこから見合い結婚で東京にひょこっと出てきて
姑相手の苦労も
つき合いのひろい遊び人の夫相手の苦労も
東京大空襲までのセンソーの苦労も
さんざん味わってきたひと
福島がまだフクシマでなかった頃の豊かさとゆとりを肥やしに
昭和の妻として
母として
大きな体で十全に生き切ったひと
「とにかく人間は勉強しないといけない
と言っていて
「大正生まれだのに
「おばあちゃんなんか
「女学校に行くのに毎日片道二時間歩いて通った
「毎日毎日往復四時間歩いて通った
「おばあちゃんなんかの勉強は大したことはないけれど
「それでも人間は勉強しなきゃいけない
「毎日毎日往復四時間歩いてでも
「勉強
「勉強
「女だって勉強しなきゃいけない
「これからの時代は女だって
「と思って
「毎日毎日往復四時間
「雨でも晴れでも暑い日でも
「毎日毎日往復四時間
「毎日毎日往復四時間
おばあちゃんのこんな言葉の記憶から
浮かび上がってくる
若い福島の女の子
女子高生の
歩く歩く歩く姿
「これからの時代は女だって
「これからの時代は女だって
と学校に通う姿
「毎日毎日往復八キロ
「毎日毎日往復八キロ
ぼくの目では
ほんとうは見たこともないこんな姿が
今になって
もっとも鮮烈に見え続ける
おばあちゃんの姿
夜も更けて
ちゃぽちゃぽ
風呂に浸かりながら
見たこともない
そんなおばあちゃんの
娘時代の姿に
ぼくは呼びかけてみる
毎日毎日往復八キロ
あなたが
おばあちゃんでなかった頃
歩いて通った
福島
おばあちゃん
いまのあなたには見えてますか?
おばあちゃん
どう見えてますか?
おばあちゃん
まだ歩きますか?
あなたなら
おばあちゃんでなかった頃なら
まだまだ歩き続けますか?
八キロでも
何キロでも
毎日毎日
毎日毎日
おばあちゃん…