そのように 六月の歌

 

佐々木 眞

 

 

中国の愚公という九十歳にもなるよぼよぼの老人が
家の前にある大きな山を動かそうと、朝から晩までセッセと土を運んだ。
人々は嘲笑ったが、天帝は老人を見捨てなかった。
そのようになった。

弘法大師は「では私が井戸を掘って旱魃を救ってあげよう」と仰って
手にした錫杖をぐさりと地面に突き刺し、
グリグリと回転させてから、エイヤっと引き上げられた。
そのようになった。

カール・ドライヤーの『奇跡』を見よ!
ヨハネスが「インガ、生命に立ち戻りなさい」と命じると
彼女はゆっくりと目を開く。
そのようになった。

「これ、信徒の者よ、汝らの身近にいる無信仰者に戦いを挑みかけよ。彼らにおそろしく手ごわい相手だと思い知らせてやるがよい。アッラーは常に敬神の念敦き者とともにいますことを忘れるでないぞ」(『コーラン』井筒俊彦訳)
そのようになった。

「アーナンダよ、久しからずして修業完成者(ブッダ)は亡くなるであろう。これから三か月過ぎたのちに、修業完成者は亡くなるであろう。修業完成者が生きのびたいがために、この言葉を取り消す、というようなことは有り得ない」(『ブッダ最後の旅』中村元訳)
そのようになった。

幣原喜重郎(第44代内閣総理大臣)の亡霊が70年ぶりに現われ出て
“そうせい侯”(長州藩第13代藩主毛利敬親)の亡霊に額ずいて曰く
「あなたの地元の代官であり、私の後輩でもある悪賢い男が、せっかく私が提案した憲法第9条を無きものにしようとしています。至急御成敗を!」
そのようになった。

西暦2015年6月4日
慈しみ深き主なるエスは、
鎌倉十二所のバス停の隣の家の主人とツバメに
二階の軒下に巣をつくるように命じられた。
そのようになった。

 

 

 

光の疵  溶けた町

 

芦田みゆき

 

 

奇妙な体験をした。

 

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あたしはハーフ判カメラ-OLYMPUS-PEN-を持って、電車に乗り、知らない土地に降り立った。
止むかと思っていた雨は、さらに激しくなり、濡れて黒光りした町は湿気に満ちていた。

あたしと
風景と
フィルムに映し出されるはずの光景

すべては取り乱したかのような雨に打ちつけられ、塗りつぶされ、やがて、溶けていった。
しかも溶けた町は魅惑的な姿で、あたしを手招きするのだ。

おいで、ひとつになろうよ。

あたしは駆け寄り、いったい何が映っているのか、いないのか、暗すぎるのか、明るすぎるのか、ぶれているのか、静止しているのか、何もわからないまま、夢中でシャッターを切った。

 

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カメラは、壊れてしまった。

 

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深夜、あたしは眠れない。
目をつむると、写真が次々と降りてくる。
まだ見ぬ無数の写真が、現れては消え、現れては消える。
シャッターのリズムに合わせて重ねられたり、散ったりを繰り返す平板な写真たち。
失われた界面。
波立つ町。
あたしは、溶けた町に溺れていった。

 

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bench ベンチ

 

こだまは
熱海を過ぎた

モーツァルトの
ピアノ・ソナタ へ長調 K.280を

聴いて

こだまに乗ってる

また
叙情かよ

そう荒井くんは言うだろう

四谷三栄町の
公園の

ベンチが好きだ

だれも
拒否しない

そんなベンチになりたいな
ことばも

 

 

 

farm 農場

 

どうかな
どうなんだろ

わからない
わからないな

この道がどこまでつづくのか

あの山が
どこまでひろがるか

わからない

母がいて
姉がいて

祠のまえで
ひざまずいていた

牡丹の紅い花が咲いていた
笑っていた

農場の農道の
奥に

祠はひらいていた