@150708音の羽  詩の余白に 6 

 

萩原健次郎

 

 

赤山 池

 

なにかの果実が熟れていく。熟れていくとそれが腐っていく過程や枯れていく過程と同じになる。芽吹く、枝葉が伸びる、花が咲く。これも滅の道筋のひとつとなる。そんなことを思ってもしょうがない。
池の鯉に餌を与える。獣たちの侵入を防ぐために針金を池面に張り巡らす。ああこういうささいな仕事も、滅のための行いなのだと、バケツを持って細道を戻りながら、ぶつぶつと呟いて帰ってきた。

あっ、それは、モミの実ですよ。
―なんだかかわいいですね。鈴をいっぱいつけてるみたいで。

参道を行くお参りの客が、庭師の私に語りかけてくる。
あれは、どう考えても、かわいいなんてものじゃない。ぽとぽとと地上に見境なしに降るように落ちてくるのを、せっせと掃除をしてまわっているのは、わたしなのですから。

やっかいなんですよ。カラスがいたずらで落とすんです。
―遊びごころみたいなものですか。
よくわからないけど、カラスにとっては愉快なんでしょかねえ。

部屋に戻って、寝床に入っていると、この部屋中に充満している、果実酒や薬草酒の熟れた匂いに、寝床ごと浸される。この匂いには慣れているのに、なぜか寝入る直前の瞬間に、匂いの混濁が解けて、植物それぞれの発する固有のなにかが鮮明に見えてくる。
清い蒸留酒に溶かされた、生の、滅の澱み。
「そういう、直情の」と、
わけのわからない独り言をつぶやいて枕元の、モミの実をまさぐった。ぽろぽろと、鈴みたいな実が畳のあちこちに散らばっていく。
「なるほど、カラスの愉快は、こんな情景までも想像していたか」と思いながら、なぜだか心得た。
蒲団も、カラスの笑い声も、池の鯉も、それを狙う獣たちも、
寺域の草木も、それらがみな眠りながら、静かに静かに熟れていく。

果実酒は、あと数日で美味くなる。

 

 

 

 

みわ はるか

 

 

青銅色の風鈴がベランダの物干しざおに吊らされていい音色を届けてくれる。
少し重い響きがいい。
ゆらゆらとゆれるかんじがいい。
風がない中じっと暑さに耐えるかのような姿もまたいい。

からんころん、からんころん、からんころ~ん。
いくつもの下駄が楽しそうにアスファルトの道を行き交う。
浴衣姿の女性はやはり美しい。
まっすぐな道に隙間がないくらいにたたずむ屋台。
中身よりも包んでいる袋のキャラクターにつられて買ってしまう綿あめ、食卓によくあるのにチョコレートでコーティングしただけで魅力を感じてしまうチョコバナナ、金魚 すくい、水風船、その日の夜だけ光るアクセサリー・・・・・・・。
フィナーレの打ち上げ花火。
水面に映る反射した花火はよりいい。
見ているだけでもうきうきするそんな夏祭り。

すっと伸びた茎のてっぺんに大きな花弁を何枚もつけて元気よく咲くひまわり。
太陽の光を存分に浴びてのびのびと育った最終産物。
本当に濃い黄色はこのことなんだろうなと思う。
みつばちがとまる。
みつばちが立ち去る。
また他のみつばちが遊びに来る。
みんなから愛されるそんな花。

これでもかというくらいの金切り声で鳴き続ける。
その命は1週間しかないという。
土の中には何年もいるという のに。
なんだか切ない。
生きるということを身をもって教えてくれているような気がする。
蝉。

じりじりと照りつける太陽。
それを遮る麦わら帽子。
ぽたぽたと落ちる汗。
それをふきとる手。
薄着になる季節。
小麦色の肌。

そんな夏はもう目の前だ。

 

 

 

supper 夕食

 

神田で

刺身の
盛り合わせを

頼んだのだったか

それから
ホッケの塩焼きを頼んだのだったか

しょっぱかった
ホッケは

しょっぱかったな

それで曽根さんとのんだ
朝までのんだ

帰りは
銀座線で帰ったのだった

明治神宮前を通ったが
銀座線にはない