ある日の休日 その後

 

みわ はるか

 
 

前回の知人とテニスをしたあとの話。

わたしたちはものすごく空腹だった。
久しぶりに大量の汗をかくほどの運動をした後だからなのか、9月下旬とは思えないほどのぎらつく太陽にエネルギーを奪われたからなのか・・・。
とにかく何かを胃に放り込みたかった。

そのスポーツ施設は主要幹線道路沿いに位置していたため飲食店はわりとたくさんあった。
休日だからだろう。
どこのお店も家族連れや友達同士、カップルなどで賑わっていた。
わたしたちは少し考えた。
そこから幾分移動しなければならなかったが、昔ながらの家々が立ち並ぶ地域まで足をのばすことにした。
その辺りには昔から家族で代々経営しているのであろう飲食店がいくつかあった。
車も時々しか通らないような静かな場所だった。
そんな町の中を知人と一緒に歩くのも楽しかった。
わたしたちはある中華料理店を見つけた。
小さな平屋造りの店だった。
2人で顔を見合わせ思い切って入ってみると、カウンター10席ほどの場所に先客は1人だった。
小太りの40代半ばと思われるお腹がぽっこりと出たおじさんだった。
その男性はわたしたちのことを一瞥したもののすぐに何事もなかったように食事にもどった。
わたしたちは遠慮がちにその男性から2席空けて座った。
見下ろすように設置してあるテレビからは今日のニュースをアナウンサーが読み上げている。
白髪、小柄、白のユニフォームを着たおじいちゃんがその店の店主だった。
たくさんのメニューがある中からラーメン、餃子、串カツを注文した。
その少し後知人が遠慮がちにわたしに尋ねた。
麻婆豆腐を追加で頼みたいというのだ。
もちろん好きなもの食べてと伝えるとにこーっと笑みを浮かべた。
わたしは今まで知らなかったが知人は麻婆豆腐が死ぬほど好きらしかった。
知人の新たな面を知れた瞬間だった。

黙々とその店主は料理を作っていた。
慣れた手つきで黙々と。
すると、奥から40代くらいだろうか、1人の女性が入ってきた。
栗色に染めた髪はよく手入れされていて、決して派手ではないが小奇麗な人だった。
そこに嫁いだお嫁さんであることは容易に想像できた。
店主とはとくに目を合わすことや、談笑することもなく料理の手伝いを始めた。
ただそれは見ていて自然というか、不快なものではなく、長年一緒に生活を共にしていてできあがった形な気がした。
むしろ心地いいものだった。

料理は一気に運ばれてきた。
わたしたちはそれを分けっこして食べた。
知人は何よりも先に麻婆豆腐をむしゃむしゃとほおばった。
よっぽど気に入ったらしくずっーとそればかり食べていた。
このままでは全部食べられてしまうとわたしも横から自分のレンゲを入れ、すくい、口に運んだ。
ぴりっと辛いそれは申し分なくおいしかった。

1人で食べていたらきっとちーっともおいしくもなく楽しくもなかっただろう。
お店の敷居を一緒にまたぐ、椅子に座る、メニューを一緒に覗き込む、料理が運ばれてくるまで一緒に店内をみまわす、運ばれてきたらもぐもぐと口を動かす、感想をぺちゃくちゃと言い合う、そしてまた始めと同じ敷居をまたいでその店を後にする。
ただそれだけのことなのに、誰かと一緒に時間を共有するのはこんなにも自分を愉快にしてくれる。

別れの時間だった。
次いつまたこんな時間が作れるかはわからない。
お互いわかっているのに「またね。またテニスしよう。」とどちらからともなく言い合った。
「またね」なんて無責任な言葉だ。
けれど自分たちに言い聞かせるような言葉でもあると思った。
知人はいつもわたしの背中が見えなくなるまでずっとにこにこと手をふってくれる。
少し寂しそうにも見えるその笑顔をいつもわたしは忘れられない。
「またね」が近いうちにあることを願ってわたしも最後に大きく手を振った。

そんなある日の休日はこれで終わり。

 

 

 

薄々、は、やっぱり

 

辻 和人

 

 

予想はしていたんですけどね
ああ、ミヤコさんの本質というものについて、です。
薄々、と思っていたことが、やっぱり、だった
そんなお話を
皆様に聞いていただきたいと思います(ぺこり)

銀座駅で待ち合わせ
今日は婚約指輪を買いに行く日です
そもそも婚約指輪とは何ぞや?
男性が婚約の記念に妻になる女性に贈る指輪のことで
なぜかダイヤモンドの指輪が一般的で
男性は貰えず、貰えるのは妻になる人だけだそうです
婚約指輪という名前ですが
なぜか結婚後もはめて良いそうです
そのため長くはめられる質の良いものを選ぶそうです
なぜか「給料3カ月分くらいの値段が相場」と言われていますが
「35万円から50万円まで」にまけてもらえました(ホッ)
なぜかお返しに指輪の値段の半分くらいのものを買ってもらえるそうです(ラッキー)
指輪を買う店は既にリストアップされていて(式場探しの時と同じだな)
なぜかもへちまもなく
ぼくはミヤコさんが選んだものを追認するのがお役目
ってことになりそうです

「まずはここ。前にピアスやネックレスを買ったことがあって、良いお店ですよ。」
ほおっ、シックな感じのお店
2階にあがると……高価そうなダイヤの指輪がズラリ
やっぱり婚約指輪っていうのは宝石屋さんの稼ぎ頭なんだな
みんな真剣に探してる、緊張するなぁ
来たぞ、来たぞ、来たぞ
「いらっしゃいませ。指輪をお探しですか?」と上品な感じの店員さん
あら、意外と怖くない(笑)
柔らかな口調でダイヤモンドの見方を説明してくれる
「ダイヤモンドの品質は“4C”という4つの基準で決められます
1番目は色。カラーのCで、無色に近い程良いです。
2番目は透明度。Clarityで、傷や内包物がない程上質です。
3番目は質量。カラットという単位で測ります。
4番目は研磨。カットですね。正確にカットされたものは美しさが違います。
この4Cを頭に入れてお選びいただければまず間違いはありません。」
何と、説明を聞いてからケースを覗くと
ついさっきまでみんな同じようにしか映らなかった指輪と値札との関係が
だんだんわかってくるではないか!
店員さん、ありがとう
その間、真剣な視線を何度となく気になる指輪に向けるミヤコさん
3つくらいケースから出してもらって
黙ったまま何十秒か見つめて
「ありがとうございました。また来ますね。」と戻してもらった

初めてのジュエリー体験にいささか興奮
店を出て「ねえ、どうだった? どうだった?」とミヤコさんに聞くと
「相変わらず良いお店だったですけど、今回はイメージに合うのがなかったです。」
とクールなお返事
普段に比べてなぜか言葉が少ない
なぜか
なぜか

次に行ったのはぼくらが入っていた結婚情報サービスのオススメの店
婚約指輪専門店なんてのがあるんだね
にこやかに、そしてギラリと振る舞うアイライン濃いめのお姉さんから
これでもか、とオススメを見せてもらう
さすがにダイヤモンドの質はいい
さっき教えてもらった4Cを一生懸命思い出してみても
うん、条件クリアじゃないかな
でも、ミヤコさんは「いろいろ見せてもらってありがとうございました。」と言って
そそくさ店を出てしまう
なぜか
なぜか

その次は和のデザインが人気というお店へ
どの指輪にも素敵な漢字の名前がついている
微かに波打っていたり、形もひねりがあってユニークだな
熱心に見入っていたミヤコさん
「これ見せてください。」と店員さんに頼むと
はい、と言って出してくれるが、それきり一言も喋らない
「他に同じくらいの値段でオススメのはありませんか。」と聞いたら
「すみません。私はまだ商品をお客様にオススメできる立場にないので、
担当の者を呼んできます。」
短大を出たてに見える真っ黒髪の店員はまだまだ緊張いっぱいの様子
ジュエリーの世界は厳しいんだなあ
代わりに来た中年の女性店員の接客はさすがに安定している
見せてもらった自慢の品、なかなかいいんじゃない? と思ったが
ミヤコさんは「ありがとうございました。また来させていただきます。」
なぜか
なぜか

足が疲れたので喫茶店で休憩
「いろいろ見てきたけどどう? 結構良い指輪あったような気がするけど。」
ミヤコさん、遠くを見つめるような目つきになって
「どれも悪くないですね。でも、どれもちょっとずつどこか足りなくて。
心を動かされるってところまでいかないんですよ。」
それでもって自分自身に確認を取るかのように
深く頷いたんだよね
はーっ、わかった
モノが人生において占める比重がさ
ぼくとミヤコさんとじゃ比較にならないくらい違うんだな
気に入ったモノを選び抜いて買うっていうのがさ
生き方の問題なんだよ
哲学なんだよ
人間の芯が、質が、問われてるんだよ
はははーっ
プロポーズの時に指輪を用意なんかしなくて
ほんっとに良かった
激怒されてたトコだった
ミヤコさんは自分が大切に使いたいモノはとことん吟味するんだ
ぼくなんか服でも靴でも何でもいいのに(!)
これから気をつけなくっちゃ、だ

そう言えば、ファミちゃん、レドちゃんは住処には執着するけど
モノには全然執着しないなあ
ボールとかネズミの人形とか
猫用のオモチャを買ってあげたことがあるけど
しばらく珍しそうに見て
くんくん臭いを嗅いだら、後は見向きもしない
それを使って遊んであげると喜ぶんだけどね
揺らしたり上げ下げしたりすると
姿勢を低くして
しっぽを左右に、ユラユラ、ブルブル、振って振って
それっ、ガーッ、飛びかかってくる
ファミとレドにとってはモノより「動き」が大事だってこと
ぼくもどっちかって言ったらそっち派だ
でも、ミヤコさんは違うんだ

疲れも取れて、総本山のティファニーへ
混んでる、混んでる
広いスペースがカップルで埋め尽くされてる
不況、不況と言うけれど
みんなこういうところにかけるお金は持っているんだよね
でも、これは贅沢とはちょっと違うようだ
見よ、あの眼差し
指輪に見入る女性たちの中に笑顔を浮かべてる人なんかいない
むしろ眉をしかめるような
苦悶の表情を湛えている
店員さんの説明を聞いて、重々しく頷き
ケースから出してもらった品物に、全身全霊で対峙する
それに比べて、男たちのまあ何とマヌケなことよ
彼女さんのお尻にくっついて
自信なさげに辺りをキョロキョロ見回し
ケースの中の指輪をいかにも価値がわからない風に眺め
彼女さんが移動すると慌てて小走りで後をついていく
それは取りも直さず
トホホ
ぼくの姿でもあるんだけどね
いや、ぼくは4Cについてはちょっと権威だからあいつらよりはマシだ
……なんて思っているうちに、あれれ
ミヤコさんは奥のケースに移動、追いかけなくっちゃ
「いらっしゃいませ。気になるものがあればお出し致します。」
若い男性店員がミヤコさんに話しかけている
「それでは、こちらとあちらを見せていただけますか。
あと他にもオススメのものがあれば。」
しばらく待っていると、5つの指輪を持ってきた
途端、一粒ダイヤの脇に小さなダイヤをちりばめたものに
ミヤコさんの目が釘付けになった
「この指輪はティファニーセッティングと言って、
ダイヤの美しさを最大限に際立たせるため6本の立爪で石がセットされています。
こう、斜めからでもダイヤがとても輝いて見えますね。
こちらの方は新しいデザインの指輪で……。」
ミヤコさんはその新しいタイプの指輪もちら見したけど
すぐ一粒ダイヤの脇に小さなダイヤをちりばめた指輪に向き直る
刺すようだった視線が微かに潤んでいる
どうやらこれだ、値段は?
50万! 予算上限ギリギリだな、チクショー
「和人さん、私これです。これが気に入りました。これに決めていいですか?」
はいはい、いいです
大丈夫です

ミヤコさんが見つけ出した指輪に
ミヤコさんの本質が宿っているのを感じて
薄々、は、やっぱり、だったなあ、と
しみじみ思ったのでした

お店を出るともう夕暮れ
「お疲れ様でした。満足できる指輪が見つかって良かったですね。」
「ありがとうございました。見た瞬間、これだ、と思いました。」
「それはそうと、お腹空きましたね。夕ご飯にでも行きませんか?」
「そうですね。韓国料理なんてどうでしょう。
和人さん、嫌韓デモなんてけしからんって言ってたじゃないですか。
アンチ嫌韓ってことで、韓国料理。」
というわけで
銀座から新大久保という、対照的な土地柄の場所にこれから移動します

なぜか
なぜか
なんて、これからは簡単に言っちゃダメだぞ
和人、お前にとって「なぜ」でも
ミヤコさんにとってはこの上なく「必然」なんだぞ
ミヤコさんの持ち物はミヤコさんの精神を表現してるんだぞ
和人、お前とは違うんだぞ
このことは多分、何事においてもそうだろうから
和人、よく覚えておくんだぞ
それにファミちゃん、レドちゃん
君たちもいずれミヤコさんと会うことになるだろうから
しっかり覚えておくんだぞ

 

 

 

ある日の休日

 

みわ はるか

 

 

久しぶりにテニスラケットカバーのチャックを開けた。
中には中学時代部活で使用していたテニスラケットが収まっている。
しかし、もうあれから10年もたっていたせいかグリップが死んでいた。
ところどころ破れていて、そこに手をやるとあっという間に黒くなった。
これでは満足にラリーが続けられない。
知人とのテニスの約束は明日の午前9時。
今はその前日の午後10時。
お店は空いていない。
絶望的だ。
そこでいそいそとわたしは携帯を手繰り寄せメールを打った。
宛先はその知人だ。
「こんばんは。明日 すごく楽しみ。ところで新しいグリップ持ってませんか?持っていたらわたしのグリップ巻いてほしいです。グリップが死んでいます。」
人に何か頼むときなぜか敬語になってしまうのはわたしだけだろうか。
それが数年来の知人だったとしても。
すぐに返信は来た。
「おけ」
知人らしい返信だった。
出会った当初から知人の鞄には何かとその時々に必要なものが用意されていた。
不思議な鞄だなといつも思っていた。
まるでドラえもんみたいだなと。
その夜わたしは早めに眠りについた。

「オムニコートでいいかね?」
そのスポーツ施設を運営する60代後半と思われるおじいちゃんはわた したちにコートの種類を確認してきた。
それも何度も。
この施設にはテニスコートのほかに野球場、バレーボールや剣道ができる体育館、大きな芝生、ちょっとした公園があった。
木々もたくさんあり自然に満ち溢れていた。
わたしたちが到着したときにはすでに少年野球が始まっていたし、中学生がコーチとともにテニスをしていた。
体育館は今日は剣道場として使われているらしく威勢のいい声と音が聞こえてきた。
わたしが大学時代借りていたアパートのすぐ横はスポーツに力をいれていた高校が建っており、休日の朝は体育館から聞こえてくる竹刀の触れ合う音で起こされたことを思い出した。
無性に懐かしくなり体育館をのぞいてみ たくなった。
知人にも一緒に行こうと誘ったが答えはNOだった。
仕方なく一人で見に行った。
予想通りの迫力で朝から元気をもらった。
と同時に、そういえば知人は長い間剣道をやっていたと聞いたことがあることを思い出した。
戻ってそのことを伝えるとただ一言
「剣道は嫌いなんだ。」
と返ってきた
どうしてかと尋ねてもそれ以上言葉を発することはなかった。
わたしもそれ以上追及することは辞めた。
自分にとっていい印象の事象が、必ずしも他人にとって同じ印象だとは限らない。
真逆のことだって往々にしてある。
わたしたちはコートに入るための鍵を借りてそこをあとにした。
去り際、そのおじいちゃんはまたも
「オムニコートだけどよかったかね?」
と尋ねてきた。

人工芝だった。
わたしたちが借りたAコートの種類は人工芝だった。
あのおじいちゃんのことを思い出してわたしたちは顔を見合わせて笑った。
他の場所のコートときっと勘違いしているに違いないとまた笑った。
人工芝でもなんの問題のなかったわたしたちは用意を始めた。
知人はごそごそと鞄の中に手をいれて、そこから新しいグリップがはいった袋を出してくれた。
おもむろにわたしのラケットを手繰り寄せ、丁寧に丁寧に巻き直し始めた。
知人はたいていなことをそつなくこなすタイプだった。
あっという間にわたしのグリップは生き返った。
グリップを新しくしただけでこんなにもよく見えるのには少し驚いた。
透き通った青空のもと気の置けない知人とお互い好きなテニスをしている時間は幸せだった。
趣味が同じなのはいいなと思った。
テニスに飽きると、近くの芝生に2人して寝転がった。
芝が服の下からちくちくとあたったがすぐに慣れた。
野球場ではコーチに怒鳴られながらちびっこが一生懸命白球を追っていた。
小さな小さな体だった。
近くにそびえたつ山の輪郭が今日ははっきりと見えた。
山の頂上にいる人がこっちに手を振っているのが見えるとか、そこの売店で売っているソフトクリ ームが今日は大繁盛だとか、見えもしないことをお互い面白おかしく言い合った。
ただただそんな時間がものすごく楽しかった。
久しぶりに心が透き通る感覚に浸っていた。
何ににも代えがたい時間だった。
ずっとずっとこの瞬間が続けばいいのにと。
雲はゆっくりゆっくりと移動していた。
目をこらして見ていないとわからないぐらいのゆるやかなスピードで。

鍵を返す時間になった。
せっかくだから他のテニスコートも見てから帰ろうということになった。
どこのコートも人がいっぱいだった。
それぞれの時間がそこにはあった。
知人とまた来たいね、絶対に来ようと約束してそこをあ とにした。
スポーツを楽しむこともそうだが、もっともっと知人のことを知りたいと思ったから。
一緒にいたいと思ったから。
できれば死ぬまでこうやっていい関係を続けていきたい。
テニスができなくなったらまた違う形で時間をともにできればいい。
どんなくだらないことでもその知人とならきっとものすごく面白いことに転換できるはずだ。
お互いのおかれる環境が変わっても会う手段はたくさんあるはず。
バスだって、電車だって、新幹線だって・・・・。
便利なものが周りにはたくさんあるから。

最後に、わりと重要なことが1つわかった。
ここの施設にはオムニコートは存在しないという ことが。