母の
誕生日には
母のもとに
家族が
集う
一番
元気だったのは
甥の子供の
しんのすけちゃんだった
はしゃいでいたね
母は
家族の
元気な声を聴いていた
集って
美味しいもの食べて
飲んで
笑う
わざと馬鹿を言う
わざと馬鹿を言った
母の
誕生日には
母のもとに
家族が
集う
一番
元気だったのは
甥の子供の
しんのすけちゃんだった
はしゃいでいたね
母は
家族の
元気な声を聴いていた
集って
美味しいもの食べて
飲んで
笑う
わざと馬鹿を言う
わざと馬鹿を言った
前回の知人とテニスをしたあとの話。
わたしたちはものすごく空腹だった。
久しぶりに大量の汗をかくほどの運動をした後だからなのか、9月下旬とは思えないほどのぎらつく太陽にエネルギーを奪われたからなのか・・・。
とにかく何かを胃に放り込みたかった。
そのスポーツ施設は主要幹線道路沿いに位置していたため飲食店はわりとたくさんあった。
休日だからだろう。
どこのお店も家族連れや友達同士、カップルなどで賑わっていた。
わたしたちは少し考えた。
そこから幾分移動しなければならなかったが、昔ながらの家々が立ち並ぶ地域まで足をのばすことにした。
その辺りには昔から家族で代々経営しているのであろう飲食店がいくつかあった。
車も時々しか通らないような静かな場所だった。
そんな町の中を知人と一緒に歩くのも楽しかった。
わたしたちはある中華料理店を見つけた。
小さな平屋造りの店だった。
2人で顔を見合わせ思い切って入ってみると、カウンター10席ほどの場所に先客は1人だった。
小太りの40代半ばと思われるお腹がぽっこりと出たおじさんだった。
その男性はわたしたちのことを一瞥したもののすぐに何事もなかったように食事にもどった。
わたしたちは遠慮がちにその男性から2席空けて座った。
見下ろすように設置してあるテレビからは今日のニュースをアナウンサーが読み上げている。
白髪、小柄、白のユニフォームを着たおじいちゃんがその店の店主だった。
たくさんのメニューがある中からラーメン、餃子、串カツを注文した。
その少し後知人が遠慮がちにわたしに尋ねた。
麻婆豆腐を追加で頼みたいというのだ。
もちろん好きなもの食べてと伝えるとにこーっと笑みを浮かべた。
わたしは今まで知らなかったが知人は麻婆豆腐が死ぬほど好きらしかった。
知人の新たな面を知れた瞬間だった。
黙々とその店主は料理を作っていた。
慣れた手つきで黙々と。
すると、奥から40代くらいだろうか、1人の女性が入ってきた。
栗色に染めた髪はよく手入れされていて、決して派手ではないが小奇麗な人だった。
そこに嫁いだお嫁さんであることは容易に想像できた。
店主とはとくに目を合わすことや、談笑することもなく料理の手伝いを始めた。
ただそれは見ていて自然というか、不快なものではなく、長年一緒に生活を共にしていてできあがった形な気がした。
むしろ心地いいものだった。
料理は一気に運ばれてきた。
わたしたちはそれを分けっこして食べた。
知人は何よりも先に麻婆豆腐をむしゃむしゃとほおばった。
よっぽど気に入ったらしくずっーとそればかり食べていた。
このままでは全部食べられてしまうとわたしも横から自分のレンゲを入れ、すくい、口に運んだ。
ぴりっと辛いそれは申し分なくおいしかった。
1人で食べていたらきっとちーっともおいしくもなく楽しくもなかっただろう。
お店の敷居を一緒にまたぐ、椅子に座る、メニューを一緒に覗き込む、料理が運ばれてくるまで一緒に店内をみまわす、運ばれてきたらもぐもぐと口を動かす、感想をぺちゃくちゃと言い合う、そしてまた始めと同じ敷居をまたいでその店を後にする。
ただそれだけのことなのに、誰かと一緒に時間を共有するのはこんなにも自分を愉快にしてくれる。
別れの時間だった。
次いつまたこんな時間が作れるかはわからない。
お互いわかっているのに「またね。またテニスしよう。」とどちらからともなく言い合った。
「またね」なんて無責任な言葉だ。
けれど自分たちに言い聞かせるような言葉でもあると思った。
知人はいつもわたしの背中が見えなくなるまでずっとにこにこと手をふってくれる。
少し寂しそうにも見えるその笑顔をいつもわたしは忘れられない。
「またね」が近いうちにあることを願ってわたしも最後に大きく手を振った。
そんなある日の休日はこれで終わり。