忘年会

 

佐々木 眞

 
 

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詩人、詩人、詩人
詩人だって忘年会をひらく。
さとう三千魚さんの「浜風文庫」の忘年会だ。

詩人、詩人、詩人
夜の神田の「葡萄舎」で
これから詩人の忘年会さ。

ちょっと早く来すぎたので、駅から歩いて鎌倉橋へ。
1944年11月、この橋を米軍機が爆撃したんだ。
よって33個の弾痕が残ってる。

さてお立ち会い、今からザッと半世紀近く前
私は鎌倉河岸のほとりに建つ、小さな会社に通ってた。
五階建ての、小さな、小さなビルだった。

今宵、その跡地を訪ねてみると、
巨大なビルが建っていた。星なき夜空に、聳えてた。
コープビルという立派な、立派なビルジング。

「もしや昔ここにあったRという会社をご存知ですか?」と尋ねると、
守衛さんが「はい、名前だけは聞いたことがあります」と答えたので
ああ、これだけでも神田へ来た甲斐があった、と私は思った。

詩人、詩人、詩人
詩人だって忘年会をひらく。
10人集まる忘年会さ。

さて「葡萄舎」を目指したが、
何回地図を眺めても、さっぱり場所が分からない。
煙草屋のおやじに尋ねたら、「葡萄舎」なんてわしゃ知らん。

知らん、知らん、知らん
「葡萄舎」なんて、わしゃ知らん。
忘年会なんて、わしゃ知らん。

さんざめく交差点の信号の下で、
キョロキョロ辺りを見回していたら
「おにいさん、どこいくの、あそばない、ね、あそびましょ」と誘われちゃった。

「あそびたいのは山々だけど、これから忘年会であそぶんだ」と答えたら
「そんなのやめて、あたいと遊びましょ。3千円、3千円、3千円」
って、言われちゃった。ちゃった。ちゃった。

うんにゃ、いま冷静になって思い返してみるに、
「3千元、3千元、3千元」と言ってたかも。
3千元は高いかも。ちよっと、ちょっと、高すぎるかも。

「おらっちは、これからどうでも詩人の忘年会へ行くのだ」と宣言したら、
ちょっと綺麗な上海帰りのルリちゃんは、
あっと言う間に、伊集院光似のリーマンの方へ飛んで行っちゃった。

ちゃった。ちゃった。ちゃった。
「葡萄舎」なんて、知らないわ。
詩人なんて、知らないわ。

ちゃった、ちゃった、ちゃったって、
我が敬愛する詩人、鈴木志郎康さんの極私的パクリなんだけど
ネエちゃん、分かってくれるよね。

詩人、詩人、詩人
詩人だって忘年会をひらく。
さとう三千魚さんの「浜風文庫」の忘年会だ。

詩人、詩人、詩人
夜の神田の「葡萄舎」で
これから詩人の忘年会さ。

 

 

 

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雨は

止んで
いた

アファナシエフの

ピアノを
聴いて

帰った

ブラームスの118-2だった

雨に濡れた
夜道を

帰った
小さな紅い花が咲いてた

泥酔して

無いところから
われに

帰って
きた

紅い花が咲いていた
鳥の声は聴こえなかった

 

 

 

ありがちなこと

 

長尾高弘

 

 

ダメージってのはあとになるまでわからないものだな。
いつまでも頭の隅にこびりついて離れない。
悪いのは自分だってわかってるんだけどさ。
どうしてこう苦しいんだろう?
言われたことが、
自分では気付いていないことだったから?
意外な欠点を指摘されたからって、
いつもここまで落ち込むものでもないだろう。
指摘された欠点の中身がみっともなかったから?
そもそも人にダメージを与えたのは俺の方だったな。
しかもダメージを与えたとは思ってなかった。
まだ十分に思っているとは言えないかもな。
(こんなことを言ったら悪いけど、
(あなたの家はデリカシーのない家だったから、
(それが当たり前になっちゃっているのかもしれないけど、
(あれはデリカシーがなさすぎる。
家で覚えたことは、
無意識のうちに染み付いてる。
五十年も生きていれば、
それくらいのことは気がついてる。
総論ではね。
ただ、各論の部分ではびっくりすることがある。
落ち込んだのはそういうことか?
それだけではなさそうだな。
よりにもよって一番染み付かないように
意識して避けていたはずのものが、
やっぱり染み付いていて、
しかも自分ではそのことに気付いてなくて、
その事実から逃げ隠れできないような証拠を突きつけられて、
ぐうの音も出なくなったからか?
それとももっと単純な話で、
感受性豊かなふりをして、
詩みたいなものなんか書いてるくせに、
無神経だ、鈍感だと言われたからか?
わからないなあ。
そうかもしれないし、
そうでないかもしれない。
理屈以前の本能的なもののような気もする。
だいたい、なぜ苦しい気分の理由を考えているんだ?
その苦しさから逃げ出したいからか?
心の傷とはよく言ったもので、
小さな擦り傷や切り傷が
できたばかりのときには痛くても、
だんだん傷口が塞がっていって、
治ってしまえば、
傷があったことさえわからなくなるのと同じように、
放っておけばだんだん痛みがやわらいで、
傷があったことさえわからなくなる、
つまり忘れてしまうものだぜ。
そんなにもがく理由がどこにある?
しかし、考えてみれば、
あの言葉がなければ、
ダメージを受けることはなかったんだよなあ。
あんなこと言われなければ、
今苦しい思いをすることもなかったんだよ。
だからって、言った相手を恨むのかい?
それはないよな。
悔しいけど、自分のなかからは、
ああいう考えは出てこなかったんだ。
だからこそダメージがあるんだろうけど、
あんな風にはっきり言われなければ、
自分の無神経に気付くこともできなかったわけだよ。
感謝しても恨む筋合いのものじゃないだろう。
だいたい、本当に心配しなきゃいけないのは、
俺が傷つけた相手の方じゃなかったのか?
自分のダメージのことばかり考えていて、
結局、自分のことしか考えてないのか?
完治しない大怪我があるように、
忘れられないでいつまでも苦しさが残る心の傷もあるぞ。
本当に心配しなきゃならないのは、
お前が人に与えた傷が、
そういうものじゃなかったのかってことじゃないのか?
そして自分に何ができるかだ。
自分がしてしまったことを少しでも打ち消して、
相手の傷を少しでも癒やすこと。
気の利いた方法は思いつかないけど、
やっぱりちゃんと謝ることはしないとな。
やり方次第ではかえって逆効果になるから、
注意しないといけないぞ。
先が見えてきたら、
少し自分の気分もよくなってきたようだ。
やっぱりこれはプライドの問題だったのかもな。