辻 和人
たっだい、まぁー
(おっかえ、りー)
たっだい、まぁー
(おっかえ、りー)
いっぱいいっぱい詰めて
いっぱいいっぱいいなくなってしまった
新古書店から帰って
空っぽになったバッグを放り出して
ふゅるるるん
ぱっ
迎えてくれるのは
いつもの
直立している君たち
肌が冷たい君たちだ
天上近くまでぐらぐら積まれた本
横倒しになったCD
「晴明神社」のステッカーが貼られた箪笥
小学生の時から使っている傷だらけの学習机
冷やっこくて
気持ちいいな
湯気の立つコーヒーカップを手にして
閉めっぱなしのカーテンをちょっと開くと
庭のミカンの木の枝で遊ぶスズメたち
湯気が冷気の中にひゅるひゅる溶けていって
ひゅっ
消えた
ほら、見てよ
スズメはあんなに楽しげに飛びまわっているのに
凍ってる
静止してる
熱は、どんな熱でも
ひゅっ
空中に消えてしまうのさ
さあて、のんびりしてる暇はない
あとひと月半でお引っ越し
武蔵小金井の2LDKにお引っ越し
「要る君」は、君かな?
「要らない君」は、君かな?
「売る君」は、君かな?
「業者に引き取ってもらう君」は、君かな?
段ボールとポリ袋がバカでかい口を開けて
君たちを次々飲みこんでいくんだよ
思い入れのある君たちをポイ
思い入れのない君たちもポイ
部屋がだんだん初めて訪れた時の姿に近づいてくる
祐天寺のモルタル木造アパート102号室
ここに住んで20年
入居したての頃はそれなりにきれいだったけど
さすがに安普請を隠せない
壁はところどころ変色してるし
天上から吊るされた裸電球のスイッチ紐なんか今にも切れそうだよ
もともと3年も住んだらサヨナラのつもりだった
それでもここを離れなかったのは
肌の冷たい君たち
君たちが増殖しすぎたからさ
増殖しすぎた君たち
引っ越しが頭に掠めるたびに
冷たい肌をびたっと押しつけてきて
ぼくを支配しようとしてきた
ふゅるるるん
ふゅるるるん
あはっ
ぼくはすっかり支配されてしまったよ
君たちの隙間でご飯を食べたよ
君たちの隙間で歯磨きしたよ
君たちの隙間で着替えをしたよ
本の山とCDの山と脱ぎ捨てた服の山の隙間で
20年も眠ったよ
この部屋の主人はぼくじゃなかった
部屋の主人は君たちだった
ぼくは君たちの影みたいだった
ぼくは君たちにつき従って
隙間から隙間へ
ふゅるるるん
移動していただけだったよ
20代から40代へ
大好きな熱いコーヒーを浴びるように飲み
バッチリ醒めた目で
窓の外のミカンの木を凝視しながら
ふゅるるるん
ふゅるるるん
と
眠り続けたよ
たっだい、まぁー
(おっかえ、りー)
君たちの冷たい肌に巻かれると
安心する
眠くなる
午前0時に借りた「カリガリ博士」のDVDを
コーヒー何杯も飲みながらギンギンに醒めた目で見て
午前2時
チェーザレと一緒に冷たい肌に巻かれて眠りにつく
といって実は映像に見入っている間も
ふゅるるるん
ふゅるるるん
眠り続けていたよ
時計の針は動き続けていたのに
時間は止まったままだったよ
ぶっちゃけ
孤独な死っていうものをさ
どう受け入れていこう、なんて考えてたんだよね
シミュレーション、シミュレーション
明るい日差しがカーテンから零れる爽やかな朝
君たちに埋まって、というより
君たちの隙間を埋める格好で
止まったきりになったぼくがいる
元気に出勤したり食器洗ったりする賑やかな音の波に洗われてる
発見されるのは何日後か
その時、目は開いているか閉じているか
あ、別に長生きしたくないわけじゃないよ
老後に備えてしっかり貯金もしてたしね
ただぼくは君たちと死ぬまで一緒にいる気でいたのさ
痺れるような眠りの快感から離れられない
これでいい
これでいいんだよ
寂しくないんだよ
肌の冷たい君たち
君たちに見守られ、看取られるなら
本望なんだよ
……だったんだよ?
それがまあ
突如としてノラ猫の一家が現われたじゃないか
あのミカンの木をツツツーッと登って
隣の家の屋根に
ひょいっ
飛び乗ったりするじゃないか
肌の冷たい君たち
君たちに看取られて息を引き取るっていうプランがさ
狂い始めちゃった
君たちの肌の感触が
少しずつ、ほんの少しずつ薄れていったのはその頃からだ
あったかいのもそう悪くはないかな
いいって程でもないけど悪いってことはないかな
ま、そんな風にね
地面から屋根へ
屋根から屋根へ
ひょいひょい飛び移る猫ちゃんの自由自在な空間の活用の仕方に
すっかり驚いてしまってね
目を見張っているうちに
熱が
少しずつ、ほんの少しずつ
ぼくの部屋に差し込むようになっていったってわけ
残業を終えて21時過ぎ
くたくたに疲れてアパートに至る細い行き止まりの道に入る
と、並んで待ちかまえていたファミ、レド、ソラ
大家さんの家の屋根の上からさーっと降りてくる
目は光りに光り
爪は尖りに尖り
あれっ、時間、動き始めた
次々部屋に侵入してくる彼らの体は熱い
抱き上げると
ドキドキドキドキドキドキ
何でこんなに鼓動が速いんだ
脇に手を入れると毛むくじゃらの両足がだらーっと開く
何でこんなに無防備なんだ
熱くてびょーんと伸び縮みする体、体、体
これが
生身
瞳は、細くなったり丸くなったり、忙しい
鼻も、ひくひく周囲の様子を鋭く探って、忙しい
一瞬たりとも静かにすることのない生身が
屋根からするする降りてぶつかってきて
肌の冷たい君たち
君たちの支配を少しずつ突き崩していった
ってことだね
「もしもし、引っ越しの準備進んでますか?」
「うん、進んでるよ。お互い荷物多いし頑張ろうね。」
猫たちがいなくなって
ガバッと起きた
ガバッとだ
そしたら
ミヤコさんが降りてきた
ミヤコさんの手はあったかい
お尻もあったかい
息もあったかい
欲張りな意志もあったかい
どっこいしょ
また一つ「不要な君たち」の山を作ることができた
今度は業者に引き取りに来てもらうことにするか
肌の冷たい君たち
君たちとの縁が薄くなっていくのは寂しいよ
冷たい肌に巻かれて眠る、これも一つの
安心の形だったから
たっだい、まぁー
(おっかえ、りー)
こんな当たり前の会話もできなくなる
あったかい肌と作り出すあったかい時間の始まりは
不安の始まりでもあるんだね
ミヤコさん
不安を踏み台に、ぼく頑張ります
ノラ猫の一家が残してくれた生身の感触が
ミヤコさんと出会ってどんどん育って
ふゅるるるん
ふゅるるるん
ぱっ
今びゅーびゅー時間が動いてるんです