おやすみなさい~ブラームスの子守唄

音楽の慰め 第6回

 

佐々木 眞

 
 

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私は花鳥風月にだけは恵まれた田舎で育ちましたが、音楽的な体験はほとんどありませんでした。家にあったヤマハの古いオルガンで賛美歌を自己流ででたらめに弾くくらいが関の山で、家でクラシックのレコードを聴いたことなど一度もありませんでした。

ところが私が小学5年生だったころ、ある日、大本教の本殿のすぐそばにあった体育館に全生徒が集まるように命じられました。

そして校長先生から、「今日はアメリカからやって来られた歌手の方が、みんなに歌を聴かせてくださるから、静粛に聴くように」という前触れがあり、続いてうらわかい、おそらくは20代のソプラノの歌手が、年長の女性ピアニストとともに登壇しました。

そこで彼女が歌ったシューベルトやモーツアルトやブラームスのリートが、思えば私の音楽体験のはじまりでした。

「野ばら」の愛らしさや「魔王」の不気味な恐ろしさ、「菩提樹」の旅情、とりわけコンサートの最後に歌われたブラームスの「子守唄(原題はWiegenlied)」の、あの母胎に回帰していくような優しい旋律は、歌い終えた彼女の美しい面立ちとともに、あれから幾星霜を経た閲今日も、ありありと瞼の裏に残っています。

その後私は、田舎の町の映画館で、「菩提樹」という映画をみました。これはウォルフガング・リーベンアイナーという人が監督した1956年製作のドイツ映画で、あの有名な「サウンド・オブ・ミュージック」と同じタラップ一家のアメリカ亡命旅行を描いていましたが、その「菩提樹」の最後のシーンが、今なお忘れられません。

ナチスを逃れて無事にニューヨークでのコンサートを成功させたマリア(美貌のルート・ロイヴェリック)が、この素敵な曲を美しい声で歌っていました(同じロイヴェリックが主演した「朝な夕なに」も、トランペットが活躍した主題歌とともに忘れがたい映画でした)。

私はこれは実際はロイヴェリック自身の声ではなく、おそらく名歌手ルチア・ポップの吹き替えではないかと想像しているのですが、歌い終わったルート・ロイヴェリックが、まるで聖母のように微笑みながら、ドイツ語で「 Gute Nacht(おやすみなさい)」と観客(わたし)に囁いて、ザルツブルグからの逃避行が「めでたし、めでたし」で終わる無量の浄福感は、私の心に長く揺曳したものです。

それからまた長い長い年月が経って、私はドイツ・グラモフォンが特別限定版で発売した46枚組のブラームス作品全集を購入し、1曲1曲をなめるように聴いていたある日のこと、久しぶりにこの子守唄に出会いました。

作品49「5つの歌曲」の4番目のこの曲を、女声ではなく、なんとバリトンのフィッシャー・ディスカウがしめやかな声で歌っています。

ということで、どちらさまもここらで Gute Nacht!

 
 

*参考 ウイーン少年合唱団によるブラームスの「子守唄」