山崎方代に捧げる歌 14

 

くちなしの白い花なりこんなにも深い白さは見たことがない

 

このところ

志郎康さんの詩集
とがりんぼう、ウフフっちゃ。を読んでる

明るくなって、
庭に、
五月の風が流れ込んで、
若緑の葉が、
さわさわって揺れたよ。

そう
志郎康さんは書いてる

そこに死があり
生がある

 

 

 

なくしていたもの

 

たかはしけいすけ

 
 

さっき
同級生と
電話で話した

同窓会のお誘いだった

つい最近まで
同窓会で
ぼくは行方不明だった

剣道部でいっしょの
その人と話したのは
四十年振り

もはや知らないに等しいその人に
感じた親和性は何だろう?

なつかしく
あたたかい

なくしていた
なにか大切なものを
取り戻したような気がした

というのは
大きな勘違い

間違えないようにしよう

 

 

 

丘の欅

 

道ケージ

 
 

坂の上
その行く果てに
けやき そびえ
別に
そこに
呼ばれたわけではないけれど

たまに
行く図書館帰り
誰に
呼ばれたわけではないけれど

のぼり上がり
そこに
たたずみ仰ぎみる
何に
なるわけでないけれど
特に
何もないけれど

行くことだけに
こだわって
坂の上の欅が気になって

誰もいない
この坂
のぼることに

下る人はいない
上る側に
いく


背中から憎悪が剥がれ落ち
何か大切なものが
坂を転がっていく

あの夏
「死ぬ間際の光景、見たことがある?」
死にたがりのマリーが
坂を上がるや
振り返りざまに聞く

蓮の葉一つに

「あるわけないじゃないか
あったら死んでる」

蓮の葉さらに

「涙を拭おうとすると
手が骨になって
丸くて
白すぎて
拭えない…」

蓮の葉に
つばきす

けやき
空に
青い

 

 

 

ありがとう さようなら

音楽の慰め 第19回

 

佐々木 眞

 
 

 

油蝉が鳴き、向日葵咲き、黒揚羽舞い、夏は命輝く季節。
しかし太陽に焼き尽くされた生命は、あっけない終末を迎えます。

生病老死は瞬きの間、
信長が、「人間わずか五十年」と幸若舞の「敦盛」を謡うのを待たずに、この世を去る人も多いのです。

西暦2017年の夏も、死は身近にあります。
毎日毎日人は死んでいくけれど、わたしの知人もどんどん姿を消しているのです。

一平君、大田ティーチャー、オトゾウさん、飯塚さん、
荒川さん、佐々木正美先生、阪口さん、そして井出隆夫クン。

天命か否かは誰知らず、
老いも若きも、魅せられたように泉下に赴くのです。

井出君は、はるか昔の大学生時代の同級生でした。
彼は西武新宿線の武蔵関、私は隣の東伏見という田舎村に下宿していました。

キャンパスの長いスロープ下に、5つの部室があって、
私は03部室で「経哲草稿」や「ドイツ・イデオロギー」を読んでいましたが、
井出君は、05部室の「ミュージカル研究会」というところに出入りしていた。

私はなぜだか彼を、「軽薄でちゃらちゃらした輩」、と軽蔑の眼で睨んでいたが
井出君は知らん顔して、ノートブックになにやら歌詞を書きつけていた。

ちょっとお洒落でハニカミ屋さんの井出君は、女性にもてたことでしょう。
きっとモーレツにもてたろうな。
源氏物語の「若紫」のような少女を見つけて、大切に囲いつつ妻にしたいとほざいていたな。

彼が山川啓介という名前の作詞家として、一世を風靡したことを知ったのは、それから何年も経ってからのことでした。

印税で大もうけした彼が、軽井沢に別荘を建て、そこに若くて美貌の妻と住んでいるという、嘘かほんとか分からない風の噂を耳にしたのもその頃のことだった。

ある日、たまたま私がテレビをつけると、それがNHKの教育テレビの「みんなの歌」というコーナーで、「ありがとう・さようなら」という知らない曲が流れていました。

「ありがとう さようなら 友だち」ではじまるその歌は、学校を卒業する子供たちの、先生や学校への感謝と別れを告げる短い歌でしたが、私の胸をつよく打ちました。

さいごの「ありがとう さようなら みんな みんな ありがとう」のリフレインのところは、中原中也の詩のパクリじゃないかと思いながらも、ほろりと涙がこぼれたのです。

歌が終わってクレジットが出ると、それが井出隆夫という名前でした。
福田和禾子という人の曲も良かったが、井出君の歌詞は、私の心にじんと響いた。
一生に一度でもこんなに素敵な歌詞を書けたら本望だろうな、と思ったことでした。

井出隆夫の霊よ、安かれ。
みなさん今宵は、西暦2017年7月24日、72歳で身罷った旧友の絶唱を聴いてください。

 
 

 

 

 

あしたの花火 2

 

長田典子

 
 

あさ
呼ばれたような気がして
庭に出ると
いっせいに
テッポウユリが
咲いていました

ミントグリーンの葉のうえで
あさつゆが
はずんでいました

つるつるの球体に
白や赤や緑や青を
にじませて

ふいに
シランの茎をたわませ
滑り降りてきたのは
オナガでした
何かを確かめるように歩き回ってから
いきおいよく
飛び立っていきました

目が合いました

テッポウユリは
純白の声で
言いました
くちぐちに

撃ち殺せ!
血を流せ!

わたしは 頭をたれました
胸に手をあて
ひざまづきました

ミントグリーンのはっぱの上で
あさつゆは
ぶるぶると
ゆれました

白や赤や緑や青が
マーブリング模様さながら
混ざりあっていき

ぐちゃぐちゃ

なりました

ぐちゃぐちゃの
かやくだまです

わたしは います
ここに います

ぐちゃぐちゃですが
ぐちゃぐちゃのまま

「けっ、詩人さんよ 気取りなさんな」

撃ち殺せ!
血を流せ!

そら たかく
オナガがぴゅるぴゅる
聞いたこともない
あをーい声で
なきました

 

 

 

あしたの花火 1

 

長田典子

 
 

まな板のうえに
牛肉を ひろげる
側面に
どろっとした
血のかたまりが付いていた
見た 見てしまった
赤黒く
ひかる血液

下着に
親指くらいの
かたまりを見た
毎月ある
やがて子を宿すためのじゅんび

赤黒く ひかっていた
あのころ
惜しみなく
いのちの花火を上げていたのだった

あさの 教室で
からだじゅう
血の塊となって
こぶしをふりあげてきた
きみの 花火は
あをあをしく
まぶしくて

わたしは きみに
負けました

安政5年
広重の「両国花火」は  ※
しみじみと
遠く
絵葉書となって
台所のカウンターに飾られている

毎月 見ないことにしていたから
わたしは分身をもたない主義です
から

血の塊のことは
すっかり忘れたことにして

牛肉をサイコロ型に切る
熱したフライパンに投げ込み
焼く

じゃ、 じゃ、 じゅっ、 ………

丸い玉のうちがわ
肉たちはわたしたちは
あしたの花火について
かまびすしく
談義している

 
 

※歌川広重の浮世絵『名所江戸百景』・「両国花火」より引用

 

 

 

エロイ・エロイ・ラマ・サバクタニ *

 

佐々木 眞

 
 

 

ソーリ、ソーリ、ソーリ
今年の7月、核兵器禁止条約条約採択の場に、唯一の戦争被爆国である我が国の代表の姿が見えなかったことは極めて残念です。

ソーリ、ソーリ、ソーリ
あなたは、核兵器を禁止する条約に加盟すると、核保有国と非核保有国との隔たりが深まって、核兵器のない世界の実現を遠ざけてしまう、とおっしゃる。

ソーリ、ソーリ、ソーリ
しかし核兵器を禁止する条約に加盟しないとすると、核保有国と非核保有国との隔たりがなお一層深まって、核兵器のない世界の実現をさらに一層遠ざけてしまうのではないでしょうか?

ソーリ、ソーリ、ソーリ
そんな子どものような言い訳を持ち出して、条約をボイコットするということは、つまり「核兵器を禁止する条約なんかに入りたくない」「できればおらっちも核兵器を持ちたい」、というておるのと同じではないでしょうか?

ソーリ、ソーリ、ソーリ
1945年8月に落とされた原爆による死没者数は、広島で30万5940人、長崎では17万5743人。2つの都市と市民が壊滅的打撃を蒙ったというのに、あなたはまったく懲りずに、亡き祖父とおなじ過ちを犯したいのですか? **

ソーリ、ソーリ、ソーリ
あなたは、被爆者たちが、「私たちは、あなたとあなたの政府に対し、満腔の怒りを込め、強く抗議します」と叫んでいる声が聞こえないのですか? ***

見よ!
「憲法第九条」という伝家の宝刀はとっくに錆びつき、「世界で唯一の被爆国」という一枚看板は腐り果てたぞよ。

見よ!
広島長崎の死者たちは、血の涙を流しながら立ち上がり、山を越え、河を渉り、ドドシシドッドとやって来るぞよ。

ソーリ、ソーリ、ソーリ
あなたは、どこの国の総理なのですか? **

ソーリ、ソーリ、ソーリ
あなたは、私たちを見捨てるのですか? **

ソーリ、ソーリ、ソーリ
今こそ、わが国が、あなたが、世界の核兵器廃絶の先頭に立つべきではないのですか。**

 

 

*「旧約聖書」詩篇第22篇「わが神わが神なんぞ我をすてたまうや」
** 2017年8月10日朝日新聞朝刊掲載の記事および「長崎県平和運動センター被爆者連絡協議会」川野浩一議長の言葉
***2017年「長崎被爆者5団体要望書」より自由に引用。

 

 

 

山崎方代に捧げる歌 13

 

あばら家に突っかい棒して住んでいる死にたくもなく思わなくなっている

 
 

朝にはモコと散歩した
道端の草花をみて綺麗と思った

海辺の病院の七階から海を見た
平らだった

静かで
淡い

感じというの

死んでゆく自分をみていた
ナースセンターの前で老婆が叫んでいた

 

 

 

山崎方代に捧げる歌 12

 

明け方の酒はつめたく沁みわたるこれも供養というものなのだ

 
 

夜中に
目覚めた

枕元の
茶を飲んだ

もう
朝になる

月が青空にいる

白く
いる

昨日は長崎に原爆が落とされた日だった

長崎では
飛ばされた石の天使の首をみた

教会の鐘が鳴るのを聴いた

 

 

 

山崎方代に捧げる歌 11

 

一本の傘をひろげて降る雨をひとりしみじみ受けておりたり

 
 

また
朝になった

西の山の
上の

月は

浮かんでいる
蝉の声を聴いている

このまえ比呂美さんは国分寺の講演で

着地点はわからない
踏切地点を探すのだといった

若い俤があった
底が抜けてた