音楽の慰め 第19回
佐々木 眞
油蝉が鳴き、向日葵咲き、黒揚羽舞い、夏は命輝く季節。
しかし太陽に焼き尽くされた生命は、あっけない終末を迎えます。
生病老死は瞬きの間、
信長が、「人間わずか五十年」と幸若舞の「敦盛」を謡うのを待たずに、この世を去る人も多いのです。
西暦2017年の夏も、死は身近にあります。
毎日毎日人は死んでいくけれど、わたしの知人もどんどん姿を消しているのです。
一平君、大田ティーチャー、オトゾウさん、飯塚さん、
荒川さん、佐々木正美先生、阪口さん、そして井出隆夫クン。
天命か否かは誰知らず、
老いも若きも、魅せられたように泉下に赴くのです。
井出君は、はるか昔の大学生時代の同級生でした。
彼は西武新宿線の武蔵関、私は隣の東伏見という田舎村に下宿していました。
キャンパスの長いスロープ下に、5つの部室があって、
私は03部室で「経哲草稿」や「ドイツ・イデオロギー」を読んでいましたが、
井出君は、05部室の「ミュージカル研究会」というところに出入りしていた。
私はなぜだか彼を、「軽薄でちゃらちゃらした輩」、と軽蔑の眼で睨んでいたが
井出君は知らん顔して、ノートブックになにやら歌詞を書きつけていた。
ちょっとお洒落でハニカミ屋さんの井出君は、女性にもてたことでしょう。
きっとモーレツにもてたろうな。
源氏物語の「若紫」のような少女を見つけて、大切に囲いつつ妻にしたいとほざいていたな。
彼が山川啓介という名前の作詞家として、一世を風靡したことを知ったのは、それから何年も経ってからのことでした。
印税で大もうけした彼が、軽井沢に別荘を建て、そこに若くて美貌の妻と住んでいるという、嘘かほんとか分からない風の噂を耳にしたのもその頃のことだった。
ある日、たまたま私がテレビをつけると、それがNHKの教育テレビの「みんなの歌」というコーナーで、「ありがとう・さようなら」という知らない曲が流れていました。
「ありがとう さようなら 友だち」ではじまるその歌は、学校を卒業する子供たちの、先生や学校への感謝と別れを告げる短い歌でしたが、私の胸をつよく打ちました。
さいごの「ありがとう さようなら みんな みんな ありがとう」のリフレインのところは、中原中也の詩のパクリじゃないかと思いながらも、ほろりと涙がこぼれたのです。
歌が終わってクレジットが出ると、それが井出隆夫という名前でした。
福田和禾子という人の曲も良かったが、井出君の歌詞は、私の心にじんと響いた。
一生に一度でもこんなに素敵な歌詞を書けたら本望だろうな、と思ったことでした。
井出隆夫の霊よ、安かれ。
みなさん今宵は、西暦2017年7月24日、72歳で身罷った旧友の絶唱を聴いてください。