朝の挨拶

 

辻 和人

 
 

頭やった?
頭やって!
そうそう、ウチには
「頭やる」って言葉がある

出勤前の慌ただしい時間
とんとんとん
かずとん、急げ
急げ、急げ
ネクタイ締めながら洗面所に入ると
洗濯機の上で待ってるのはミヤミヤが出してくれたドライヤー
鏡に映ったのは
寝ぐせ全開のぼくの姿
「頭やる」ぞ
指を水で濡らして髪の毛を
もしゃもしゃもしゃ
注意点は
「外からだけじゃなく、
髪の内側からも、まんべんなく、ね」
うねっていた髪は水分になだめられてしんなり
こんなもんか
今度はクルクルドライヤーで濡れた髪を整えながら乾かしていく
ゆっくりゆっくり
えーと、確か
「髪っていうのはね、水分と熱で形を作っていくんだから」
それから櫛の部分を左から右へ、そして右から左へ
「同じ方向ばかりでなく逆方向からもやらないと、
髪のクセは取れないよ」
最後にざっと全体に櫛を入れる
こんなもんかな

いつものようにミヤミヤの前に立ちますよ
ぐるっと回って
はい、裁定は?

「かずとん、ほんとにこれでいいと思ってるの?
左後のここ、まだ立ってるよ。
鏡ちゃんと見てない証拠。
あと、いつも言ってるけど、前髪少し散らさないとカッコ悪いから。
はい、まっすぐ立って。
背筋しゃんとする!」

ぼくより7センチ背が低いミヤミヤ
踵を微かに浮かし
腕いっぱい伸ばし
ぼくの髪を直していく
上目遣いにして上から目線
その尖がった先が
ぼくの頭をツンツン
7センチ下から突き上げる
「まあ、これでいいかな。
かずとん、この歳までよく社会人やってこれたね。
少しはカッコいいと思われたくないの?
もおぅー、あんまりひどいと私が恥ずかしいんだから。
ネクタイも曲がってるよ。
それじゃ、いってらっしゃい、気をつけてね」

これ、ずっと、毎朝
これがない日は落ち着かない
「頭やる」って
頭髪を整えることとは違うんだ
「頭やる」は
7センチ下から
上から目線
「いってらっしゃい」とセットの
朝の欠かせない挨拶
ここには
優位性ってものが働いてる
不平等ってものが働いてる
恥ずかしいから何とかしなきゃっていう
大義名分がしっかり支えてる
だから、ぼくも応えなきゃ
7センチ上から
下から目線
上と下から目と目がぶつかりあう
朝の大事な7センチ
「うん、いってきます。なるべく遅くならないように帰るから」