餉々戦記 (関西、夏の)

 

薦田愛

 
 

五月半ばからなんて長すぎた梅雨がやっと明け
冷凍庫の底に眠らせていた

はもですよ
今年も
はもの落とし食べたい
みみう(うつくしいうさぎ)の
はもちりそば
なつかしい
くくるっくるんっときゅるっと丸まる
ほねぎられたしろい身の
うかぶあっつあつのどんぶり
そえられた梅肉のくすむ紅
のっけて

ふっくら

もうね
恐るべき食いしん坊がいっぴき生まれ落ちたのは
ミルク缶かかえてにっこりしていた赤ん坊として
ではなくて
ええ
好き嫌いのすくない人間ではありましたが
駄々こねるほどの執着もない
手のかからない生い立ちであったろうよ
当人の記憶の限界はありますれど
大人になるいっぽ前
男親をうしない
けいていしまいもなくって

針仕事の腕のたつ女親とくらした
ふた親そろうころから
ゆたかではなかったから
奨学金という借金を負ってまなんでいたりしを
かえしきるまでに十年あまり
立ち止まればたちまち背中が
ひときわ重くなりそうで
やすむことも
やめる やむ ことも
ままならなかった
みちのりで
ままいただく
空腹を満たすのに
いろいろをもとめなかった
なあ
なんて回顧回想
蕎麦とか日本酒とか
魚とか
おりおり味わったものの
それきりだった
職場ちかくの蕎麦屋で昼どき
くるひもくるひも
あつもり(あつあつのもりそば)を頼んだり
そう
つれそうた相手が
蕎麦をうったり酒蔵にかよったり
していたのだったが
わたしは
ずずっ んぐっ ごくり
ずずずい んん んまいっ

よろこぶばかりで

「勤め人だったんだねえ
空0日本の多くの男の会社員のように
空0生活者ではなくて」
と、ユウキ
(まだつれそう前のこと)
そうだね
でも私ときたら
おいしいものは
調えてもらっていただくがわ
それだけの
技倆がないからね
「いや いいや
空0男でも女でも
空0生きて生活していくうえで
空0なんでもじぶんでできてこそ
空0いちにんまえ
空0やってもらう部分が多いのでは
空0不自由でしょうがないよ」
そうかな
たしかにいまどきは男のひとでも
じぶんで作ったりするよねえ

う~ん
ハードル高い
冷蔵庫には味噌も卵もトマトも玉ねぎも
干物なんかも入っているし
味噌汁は作れる出汁もとれる鍋で炊いたことはないけれど米はとげる
でも
じぶんが好きなもの
食べたいものを
ちゃんと作ったことないなあ
気がついたらちゃんと
食いしん坊に育ちあがっていたというのに

なぁんて
嘆きかつとまどい
いちばん食べたい何かじゃない干物やら
何となくの味噌汁やら
トーストにひきわり納豆やら
かき分けかきわけ
引っ越して大阪
ユウキと交互のち
ほとんど
刻んだり炒めたりすりおろしたり煮たり焼いたり
しているうちに

ああこれ

はもだ
はもの骨切りが並んでる
東京では見かけなかったな
並んでたけど
気づかなかったのかな
お店で食べるものって
思い込んでたからね
ちょっと予算オーバーだけど
たまにはいいか
細長いパックひとつをかかえて会計
帰りの急坂も駆けあがれる気分
骨切りされた白い身を細幅に
ぶつっ ぶつっ
とは
き、切れない
包丁へまな板へ
前のめりに
体重かけて
ぶっつっ ぶ ぶっつっ
ああ
お湯を沸かさなきゃ
初めてメニューはとりわけ段取りがわるい
まな板の上で乾いてゆく白
小さいほうのフライパンの中にようやく
ふつふつ
菜箸でつまんでひとつ
水泡 身肉が
くっ くるっ
ふたつ みっつ
くるっくるっ
あっ
氷水いるんだった――
ボウルに氷と水
火を止めなきゃ
コンロと冷蔵庫の前で
おお うおう
吠えませんが
おろおろ
右往左往
むだなステップが多すぎますなあ
氷水張ったぞ再点火さあ
菜箸で放り込むはしから
丸まるひときれひときれを
掬いあげ
ボウルに落とす
梅肉練らなくちゃ
洗ったまな板の上で梅干し五つぶん
削いでたたいて
このくらいでいいのかな
小鉢で
みりんに砂糖料理酒も少し
かな
ぐるぐる
スプーンの腹でつぶし
ぐるぐる
ああ
冷酒が欲しい今夜
あ、ベル
ドアの音
「ただいま!」
汗だくの帰還
ユウキだ
酸っぱいものはあまり好きじゃない
ユウキは
これはどうかな

この日
味噌汁ともう一品
たぶん肉料理を作ったはずなのだが
その顛末は
まるで思い出せない
さあ
そろそろ解凍できたころ
ちかくのスーパー開店セールで見つけた特大トレイをあける
湯を沸かす