朝顔だったか

 

薦田愛

 
 

台風十一号がようやく温帯低気圧に変わり
なお曇天やや残暑
女子高のクラス会還暦記念で仲秋の名月を観に
私は
北茨城は五浦の海岸に行くのだった その前に
参加しないクラスメートのひとりが去年上梓した
風変わりで壮大な本にまつわる作品展が
東京の丸善から京都丸善へ巡回して来ている最終日だから会場に寄れば
もしや三十数年ぶりに彼女に会えるかもと
兵庫の東の端・丹波からJR福知山線
阪急宝塚線を十三で乗り換え阪急京都線烏丸駅から河原町通へジグザグ
人混みを回避しつつキャリーバッグを引いて向かったものの
会場はむじん会えなくてむねん市バスで京都駅にでて新幹線で
東京に向かったのだったが

その日二〇二二年九月八日
その朝八時五分
志郎康さんが
鈴木志郎康さんが
病院で
東京の病院で
腎盂腎炎で旅立っておられた

などとはむろん
つゆほども知らず
二ヵ月ぶりの東京に到着したのは午後五時すぎ
ぼおっと重いのはマスクのかけ通しで疲れたのだろうかと
上野駅前のホテルでかたい椅子にどさり座り込んだのだったが

さかのぼること四十年あまり
つまり
一九八一年四月の西早稲田
大学本部キャンパス四号館ロビー数多あるサークルの溜まり場ソファ
文学部文芸専攻に進んだ私がひらく講義要項をのぞきこむや
「えっ鈴木志郎康じゃないか!」と声高ぶらせた色白文学青年
政経学部政治学科の宮川先輩の指の先には
「文芸演習 鈴木康之(志郎康)」とあって
「これはアイちゃんぜひとも受講しなきゃ」と言われ
アイちゃんじゃありませんよぉとぼやきながらも
そうかぜひともか詩はときどき書いていたし
受講してみようかなと軽い気持ち無知の極み
志郎康さんの志郎康さんたるプアプアも極私的もなんにもしらずに登録
軽はずみをゆるされた
なんて幸運な道すじ ええ極稚的

階段教室だったか
ぶあつい眼鏡に茫洋を絵に描いたらこんなかなと
志郎康さんは
鈴木志郎康さんは教壇で
ある日は中島みゆきをカセットデッキで
ある日は尾形亀之助のはなし
そして鮎川信夫に吉岡実に高橋睦郎
伊藤比呂美やねじめ正一の名前を知ったのもこの教室
(物知らずにも程がある学生だった!)
ある日それぞれ次回までに作品を書いてきなさいと
言われたのだった六月だったか
現代詩というものにはじめてふれた教室へ
ううむううん
うなってひねってしぼりだした言葉をならべ
次の講義の時に提出それを
翌週か翌々週かに返された
返されて音読したのだったか
原稿用紙二枚か三枚の末尾に
「いいですね。
 もっと濃密にならないか」
記されたふといペンの青い文字
ふとい指で記されたと知るのは後のこと
もっと、って
もっと濃密に、って
どうすれば
なにをどうすれば
うなってもひねってもわからない
くるしい くるおしい
それが始まり
だったのだが

いわゆるレポート提出と同じですね
文芸専攻の学生は卒論としての研究の代わりに
卒業制作として作品を創作して提出することもできるのだったが
論理的思考や探求を深めるのは不得手と自覚していたから
ほそいほそい創作の道にすがった
けれど
もっと濃密に、の先をさぐる手立てがつかめない
詩ってゲンダイシってわからない
から卒業制作は
詩ではなく小説を 時代小説の習作を提出しようとしていて
つまるところ
志郎康さんの指導は受けなかった
のだったが
詩をもって研究室に来ればいいよ
言ってくださりドアは開けられていたのになかなか
もっと濃密にの先が空っぽのまま
手ぶらの学生は

つぎの春
出版社に就職すると耳にするや
志郎康さん
ええっ? というふうな顔
「編集者をやりながら、詩が書けるかなあ?」と
いやあ先生、好きな仕事をしながら書きますよと
言いはしたものの
そうかな、詩を書くのに向かない仕事かな
言葉も辞書もえんぴつも身近な職場だよね
高校生のころから学校新聞の編集も文芸部の雑誌づくりもたっぷり経験して
原稿整理やゲラの赤入れも心得ているつもりだったから
ゲンダイシの世界に踏み入ったばかりのつもりの私には
格好の環境だとおもえたのだった
ちなみにダンジョコヨウキカイキントウホウちょっと前
四大卒女子の就職氷河期といわれた

実務書を主に作る出版社でマスコミなんてイメージとは程とおい
「本郷三丁目壱岐坂上潮が鳴る」と詩に書いた壱岐坂から御茶ノ水駅におりる途中のビルの一フロア
その勤め先からあるとき
入谷の朝顔市に行った
行って歩いて次の年また
行ってあるき次の年またとくりかえし
引っ越した
年に三日の朝顔市まで歩いて五分
嬉しくてマンションのベランダにひと鉢
ではおさまらず
新宿五丁目の文壇バー風花へ提げていったり
送れると知ってからは四国の親戚やら花好きの友達にと
なにしろ
梅雨のさなか七夕の頃に送った鉢が九月か十月まで咲くのだ
二か月か三か月の間に何度かは思い出してくれるかもしれない
なぁんて計算高いなあわたし

でも
志郎康さん
鈴木志郎康さんに送ろうと思いついたのは少しあと
卒業して詩を書くのならここに来るといいよと教わって
渋谷東急プラザの東急BEで開講されていた
志郎康さんのクラスに通っていたのだったが
ある年の朝顔市じぶんに志郎康さん
入院なさった
花がとてもお好きなことは聞いていたのだが
あんどん作りの鉢で蔓がぐんぐんのびる朝顔は
病室では邪魔になるかもなあと
ほんの少し迷った末に
送ったのだった
JR鶯谷駅と地下鉄入谷駅のあいだ
昭和通りの西側の歩道沿いをびっしり埋め尽くす店店店店店店店の鉢鉢鉢鉢鉢鉢鉢の中から
ひらきかけのやぴんっと咲いたのやちょっとしおれたのや
ふいりのやら産毛密生する大きな葉を繁らせたのやら
ためつすがめつしてこれかな
送ったのだったが
その鉢を志郎康さん
退院されて持ち帰って
コンクリート打ちっ放しのお宅の中庭に
置いてくださったんだな
って
さかのぼってしまった
志郎康さんのブログ曲腰徒歩新聞
一九九六年九月に記された
「朝顔の種」
いらい毎年
朝顔の花を数えていらした
白が三つ青がひとつ
蔓が伸びた久しぶりに咲いた
雨に濡れた葉の陰に隠れた小さなしぼんだ
枯れた種ができた
まるくて太い指で摑まれた
カメラのちタブレットが
かざされのぞきこまれ
ぶあついレンズ越しの眼差しの先に
いくつもいくつもいくつもの朝顔、が
ほころんでは開きしおれては枯れ
種をむすび蔓を干からびさせていったんだな
そう毎年
二〇一六年までひと鉢ずつ
というのもいつの年だったか
今年もお送りしますねと話したら志郎康さん
ふうっと笑顔になって
「ああ助かるなあ! 花の写真が秋まで撮れるんだよねえ」と
ひとつおぼえのひと鉢をそんなふうに
むろん朝顔は付けたり
詩のこと映画のこと本のこと
その日志郎康さんをよぎった諸々を記す背景の彩りのひとつ
それでも
楽しみに眺めていらしたんだな

足腰がよわられ
庭に出られないからもういいですよと
言われそれでも気になって
二〇一七年七月はじめ
朝顔市の前々日だったか
志郎康さん
部屋の中でも窓のそばに置けば咲くそうですよ朝顔
東京や横浜なら十一月くらいまで花がつくんですって
どうでしょうとお聞きすると
コモタさんそれなら小ぶりの鉢をお願いしますと
(コモダですよぉと内心つぶやきながら)
それでお宅へ提げて伺ったのだったが
ところが
その日二〇一七年七月二三日の志郎康さんのSNSによれば
朝顔の写真を撮ったあと
転んでしまってひとりで起きられなかったと
なんてこと
念押しなどして
送らなければよかったな
そうすれば志郎康さん
転んだりせずに済んだはず
SNSに朝顔の写真はそれっきり
転ばないように
しゃがまないように
撮らなくなってしまわれたのだろうか

東急BEのクラスに通いはじめて三年か四年
「ちゃんと書かなきゃダメじゃない」と
真顔で叱られた
言わんこっちゃない 編集者やりながら書けていないじゃないか
つぶやくじぶん
ええいどっこいしょ
はじめての詩集をやっとこさまとめるという時に
詩論を書きなさいと
ええっ無理です論理的思考は苦手なんですと
言ったのだったか
七転八倒して小文・苧環論を書き上げると
写真を入れなさい
おばあさんが書いた詩じゃないんだとわかるように
えっ写真ですかあるかなあ使えるの
ダメだよちゃんと撮りなさい
あわてて
舞台写真も撮っているという知り合いに頼み込み野外撮影会ところが
詩集本体には入れたくないなあと
志郎康さんが橋渡ししてくださった版元・書肆山田
そこでポストカード型の栞にいわゆる著者近影
紹介文はこれも志郎康さんが、若いひとのほうがいいときっぱり
大学のあの階段教室で出会った川口晴美さんに書いてもらった
そんなふうに遅々と
遅々とした極遅かつ極稚的教え子は志郎康さんのブログに
「詩人の○○さんが」と書かれているひとが羨ましくて
「薦田愛さんから入谷の朝顔が」
と書いておられた時に
なかなか詩が書けないから私は
詩人ではなくなってしまいましたと嘆いたのだったが
そうかあとつぶやいて次の年から
「詩人の薦田愛さんが」と書いてくださるようになったのだった

志郎康さん
郵便物がたくさん届くから
記念切手を貼ってあるものしか開封しないんだよねと
真顔で叱るせんせい、いえ、
志郎康さんがおっしゃるのだからと
旧い手持ちのや出たばかりの記念切手を選んで貼って
送っていたけれど
あれはほんとうだったのですか
メールやSNSがなかった頃の話だけれど
いまメールでもなくSNSでもなく
記念切手をたくさん貼った封書を投函すれば
お手許に届けることはできるでしょうか
それともあの
鉢植えの朝顔を日にあて
蔓を高々とのばしてやれば
くるくるきゅうくつに屈伸しながら
産毛の密生する葉やつぼみのひとつふたつもつけながら
志郎康さんの膝のあたりに
到達するのだろうか
そこは乾いた風が吹き抜ける見通しのよい広場
あるいは
ぽかぽかとねむくなる常春の庭をのぞむ窓辺
志郎康さん
まるくて太い指にふれたそれを
あっ朝顔か 朝顔だったかと
眼鏡をかけなおしながら
じっと

 

 

 

消せない夜

 

たいい りょう

 
 

夢という名の消しゴムで
果てしなく長く寂しい夜を
消してみた

何度も 何度も
消してみた

しかし
夢は 夜をさらに
長く深遠な静寂(しじま)へと
私を連れ去った

何度となく 訪れる
黒いマントを身に纏った悪魔たち

すべてを消し去ろうとするが
夜は 私の前に 敢然と
立ちはだかった

朝という夢を現実(うつつ)に
変容する魔術師が
現れるまで
私は 独り
暗い闇の中に佇んでいた