電車

 

みわ はるか

 
 

真冬の夜中、寒いので体を縮こめて布団の中で丸まっていた。
世間では梅の花が開花したところがあるとニュースで言っていたけれど、とても同じ日本とは思えなかった。あー明日の朝も布団から出るのが億劫なんだろうなと思って眠りに落ちようとしていた。
そんな時、遠く駅の方から軽快な音が聞こえてきた。
どこかで聞いたことあるなとよくよく考えていると、踏切で遮断機が降りているときのメロディーだった。
夜中、静かだと家の中まで聞こえてくるんだと驚いた。
その音が聞こえなくなるまでわたしは布団の中でずっと耳をそばだてていた。

高校、大学と合わせて7年間、わたしはJRにお世話になった。
朝は通勤ラッシュで車内は混んでいたし、それが夏なら汗臭く、雨なら濡れた傘の置き場に困ったものだ。
たいてい、通学の学生や通勤の社会人と一緒になった。
新聞を読んでいる人、ガムを噛んでいる人、マナー違反だが化粧をしている人、英単語帳を開けている人。
みんながみんな眠い目を擦りながら電車に乗っていた。
同じ時間の車両に乗れば大体顔ぶれは同じで、その人の着ている服から季節が感じとれたりもした。
ニットのセーターにコート、マフラーで完全に防寒対策されていた服装が、麻の白いワンピースを着てくるようになった社会人らしき女性を見て、冬から夏の到来を肌で感じた。
人身事故や機械的トラブルで電車が急に止まることが多々あった。
どこからともなく舌打ちする音や、無意識に腕時計を確認する人、会社や友達へ遅れるという連絡をする人へと雰囲気が変わった。
みんなイライラしていた。
中には耐えきれなくなって車掌に罵声を浴びせる人もいた。
誰も悪くないのに、悲しいけれどそれはよく目にする光景だった。

夜はこれまた学校帰りの学生や、会社終わりの社会人と一緒だった。
朝と違うのは疲れてはいるけれどどこかみんなほっとした顔で椅子に座ったり、吊り輪につかまっていたところ。
1日の終わり、真っ暗になった景色を窓から見ながら安堵しているように見えた。
金曜の夜は特にお酒に酔った人をよく見かけた。
頬を赤らめ、同僚や後輩だろうか、肩を借りて立っているのがやっとというような感じだった。
肩を貸している方はなんだか大変そうだったけど、決して嫌な顔ではなくてむしろ嬉しそうに見えた。
きっとものすごく気心知れているんだろうなと思った。
そんな人と金曜の夜にお酒を飲みに行けるなんて、なんて素敵なんだと羨ましかった。
一生のうちでそんな人に出会える確率は思っている以上に低いはずだ。
気のせいだとは思うけれど、電車がホームに入っていく音が朝よりも夜の方が静かなような気がした。
疲れた乗客に気を使うように遠慮がちにそっと停車しているかのようだった。

電車の中の人を観察するのが好きだった。
そこには一人一人小さなドラマを抱えている。

 

 

 

鰺フライ

 

塔島ひろみ

 
 

ハサミでアジをさばいていた
生臭いにおいが立ち込めている
頭部を開くと目玉が飛び出る
あー手が痛い
リウマチで日ごと動かなくなっている指を押さえ、Jは言った

栃木から上京し、下町のこの地に美容店を開業した
八百屋、鶏屋、駄菓子屋なども軒を連ね、小さな商店会を作っていた
今は住宅地にJの店だけがポッツリとある
「どうしてもっと早く来なかった」
と、Jは責めるように言い、
バケツに、切り刻まれたアジの死体を放った

今日はマウスピースを受け取りに来た
歯軋りで奥歯が痛むので、型を取ってもらったのだ
ところがうまく嵌まらない
この間に歯列がずれ、歯型が変形しているという
昔の私の口に合ったこのマウスピースは
昔の私以外に合う人はなく
行き場を失くした

Jの強張った手が
私の歯ぐきをグイと持ち、押す
イタタタタ
私でなく、Jが叫ぶ
私の口に突っ込んだ手を押さえ、
Jはその手に
ハサミを持った

ジョキン ジョキン
バサッとまとめて 髪の毛が落ちる
イタイ イタイ イタイ イタイ
リウマチの指は 何度もハサミを取り落としながら、また拾い、
私を、昔の私に戻す努力をする
ジョキン ジョキン、イタイ イタイ
ジョキン ジョキン、イタイ イタイ
生臭いにおいが充満する
切り刻まれた口中にマウスピースが押し込まれ、歯に嵌った

診察室に入ると 老いぼれた私が
アジフライを食っている
バリバリ ボリボリ 歯ぐきを真っ赤に染めながら 旨そうに食っている

 
 

(2018年2月19日、江橋歯科医院待合室で(Jに遇って))

 

 

 

ちいさなアスリート

 

ヒヨコブタ

 
 

失ったと感じるのは
なぜだろうか
あまりにも安直な導きでしか
あの雪のなか
勝つことなど求めず
ただひたすら前を向きゴールにたどり着いたころの

じぶんには
ことばもなく
それでも夢みたのは

なぜだろうか

雪は見た目より冷たくもなく
そこに横たわるとあたたかく包まれて

わたしはほっとしたのだと

氷柱はすこし鉄の味がする
血に似ているんだ

氷柱を食べていた頃から
世の中はいつも不思議だらけ

 

 

 

2月の風鈴

 

正山千夏

 
 

もっとも陽当たりの悪い月が終わる
太陽はよたよたとビル平線のきわをうろつき
私をイライラさせる

どこかで季節外れの風鈴が鳴っている
まるで雪の妖精の魔法のきらめき♡
ロマンティックで迷惑な涼しげ効果

20年前の自分の詩を翻訳する
不思議な運命のめぐりあわせか
それとも根強いカルマか
今の私の心情とまったく変わらないことに
あ然とするとともに
モーレツな共感にふるえる心
ロマンティックで迷惑な涼しげ効果

に耐えられず分厚い布団にくるまって
ひたすら眠ってしまう2月
ほんとうは20年間こうして
眠っていたのだろうかとも思う
そのあいだも忘れ去られた風鈴は
やむことのない風に翻弄されながら
遠くでりりんりりんと鳴っていたのだ

まるで熊
皮下脂肪に貯めた養分も
今ではすっかり消化され痩せ細った熊が
寒さに耐えきれず起き出してきて
また何かをさがしている
2月の風鈴が
遠くでりりんりりんと鳴っている

 

 

 

そだねー、そだねー

——茨木のり子詩集「倚りかからず」を読みて歌える

 

佐々木 眞

 
 

題字をみると、「寄」りかからずじゃなくて、「倚」りかからず、なんだなあ。
でもお客さん、
「倚」りかからずなんて、辞書でもパソコンでも出てこないぜ。

しゃあけんど「倚りかからず」のほうが、「寄りかからず」より、よりかからないで、
なんちゅうか、
毅然と立っているような感じの漢字、に見えないか?

そだねー、そだねー。*
さすが茨木のり子さんは、詩人だなあ。
というか、もともと自らを恃むすべを身につけた、立派な人だったんだなあ。

ところがぎっちょん、軟弱なおらっちときたら、
できあいの宗教にこそ倚りかからなかったが、
できあいの思想には、相当倚りかかってきたような気がする。

そもそも学問なんか出来ない、というより、しなかったので
できあいの学問になんて、倚りかかりたくてもできなかったが、
権威という奴には、昔からかなり倚りかかりたがって、きたようだ。

そんなおらっちが、いまどっぷり倚りかかっているのは、
椅子の背もたれ、
でなくて、うちの奥さん。

私は彼女から、
「にんげんいつ死ぬか分からないんだから、なんでもかんでも、わたしに頼るのは、やめなさいよ」

とか、
「わたしはあなたの母親ではないのよ。いい加減に自立してくださいね」
(きょうママンが死んだ!)**

などと、再三再四にわたって、つよーく警告されているのだが、
私ときたら、基本的には、彼女より先に死ぬつもりなので、
なかなかその気になれないのだ。

でも、突如彼女がいなくなったら、
私はすってんどうと「高ころびに、あおのけに、転んで」***
涙が枯れるまで、エンエンエンと泣くだろう。

そだねー、そだねー。
西御門の寂しい洋館で、愛する妻に先立たれた江藤淳のように、
オイオイオイと泣くだろう。

けれども私は、
自分が江藤淳のように、風呂の中で血管を切って、
哲人セネカのように自死する勇気と根性はない、と知っている。

その時になって、はじめて私は、妻君に倚りかかりすぎてきたことを、
激しく悔やむに違いないのだ。
でも、それではもう遅すぎるのだ。

そだねー、そだねー。
全国の学友諸君! いまのうちから、否、否、本日只今から、
たとえほんの少しずつでも、妻君に倚りかからないように努めようではないか。

倚りかからないぞ!
倚りかからないぞお!
私は、もう誰にも倚りかからないぞお!

そだねー、そだねー。
「奥さん、おらっちは今日から、絶対あなたに倚りかからないようにしますから」
と呟きながら、私は茨木のり子の詩集「倚りかからず」を、パタンと閉じたんだ。

 

 


*平昌五輪日本女子カーリングチームの合言葉
**アルベール・カミュ「異邦人」より
***安国寺恵瓊「井上春忠宛書状」より

 

 

 

寒くなくなった

 

辻 和人

 
 

寒い寒い
ドア閉めて部屋に駆け込んで
つけたオイルヒーターを抱きかかえるみたいにして
ようやく落ち着いてきた

ふぅーっと息をいっぱい吸い込んで
はぁーっと一気に吐き出して
「寒くなくなったよ。」と言ってみる

ミヤミヤはいない
国分寺丸井に買い物に出かけてる

昨日抜きっぱなして片づけなかった使い古しの乾電池が2個
転がっているのが目について
しばらく意味もなく見つめていたけれど
すると、さっき呟いた「寒くなくなったよ。」という言葉が
2本の間をシュッと走り抜けて
痛いくらいに鮮やかな炎が
立ち上ったんだ

炎を見て
薄いススのような
寒い寒い

ささっ
部屋の隅っこに逃げてく

ミヤミヤはいない
買い物に出かけていて
午後6時戻り予定
何かおいしいもの買ってきてくれるかな
あと1時間もあるよ

でさ
ぼく、割合に落ち着いて
ふぅーっと息をいっぱい吸い込んで
はぁーっと一気に吐き出してから
乾電池2個を指でぐりぐりかわいがって
もう一度ゆっくり口にしてみたんだ
「寒くなくなったよ。」