広瀬 勉
東京・杉並高円寺南。
意思に任せて
すぼみゆく豪語
入らないよ
入らないよ
廃語になれたら
入らないよ
もう白けている
寄りかかる谷間の熱
出られないかも
この場所も昔と違うから
待ち疲れたことにする
出られないかも
嘘も承知で
出られない人が認められる
役立たないのに認められる
気持ちがいい
抱きあって平坦な気持ちよさ
やさしく入ってないよ
まだ
ファミちゃん
レドちゃん
先日はありがとうございました
久しぶりに実家に帰って君たちの元気そうな顔を見て
安心しましたよ
もうぼくより両親の方に懐いているようで
少しさみしい気もしましたが
ぼくにもいっぱい頭を撫で撫でさせてくれてありがとう
えーっと
今日はぼくにとって特別な日になるだろうから
応援してくれると嬉しいです
そんじゃ行ってきます
ミヤコさんと横浜美術館前で待ち合わせて
奈良美智展を見る
入ってすぐのところに展示されている
女の子の頭のでっかいブロンズ像にいきなり度肝抜かれちゃった
「いやあ、ド迫力だね。」
「こういうこと思いつくのが奈良さんのすごいトコなんでしょうね。」
細いライトに照らされて
暗い展示室にぽっかり浮かんだ数体の巨大なおかっぱ
かわいいというより
深沈とした悟りきった表情
まるで大仏の首のよう
眺めながら心をうろうろさせたら
怖いかも
押し潰されるかも
でも気持ちをぴたっと岩のように静めていたら
守ってくれるかも
「面白かったですね。」
「たくさん作品見ましたけど、最初の彫刻のインパクトはすごかったです。」
美術館を出て、さてどこ行きましょう?
じゃ、赤レンガ倉庫に寄りましょうか?
ってことで
9月も後半なのでもう暑くもなく寒くもなし、時間もあるしで
ぶらぶら
「あれ、大道芸人さんかしら?」
「無料の野外ライブかな? ちょっと見ていきましょうか。」
鼻を赤く塗った若い男女2人が軽快な音楽に合わせて
器用にピンをジャグリング
3本ずつ持ったピンを空中でコロッと回転させながら交換
背中で受け止めたりして
うまいもんだねえ
20程用意された丸椅子は全て小さな子供たちに占められていて
みんな声も出せない程熱心に見入っている
あっ、男性の方が1本落としちゃった
気にしない気にしない
ペロッと舌を出して肩をすくめる仕草をしたかと思うと
以前に倍するスピードで放り始めた
演技がひと段落、盛大なパチパチパチ
「思わず見入っちゃいました。
やっぱり芸人さんとの距離が近いから。生は迫力が違います。」
うんうん、生きている体の量感と躍動感は確かに違う
見入ってる子供たち、それに
ミヤコさんの刻々変わる表情も
ぶらぶら、ぶらぶら
赤レンガ倉庫へ
外見は重々しい感じだけど、中はお店でぎっしり
それも女性が好きそうな店ばかり
アクセサリーにスカーフ、アジアン雑貨……と
「今日は買わないですけど、ちょっとだけ見ていいですか?」
今度は石鹸屋さん
色とりどりの石鹸が何やら高貴な佇まいで鎮座してる
肌にも環境にも優しいしっとりした質感、ですか?
フルーティな香りが誘う甘い眠り、ですか?
100円の石鹸しか買ったことのないぼくにはまさに別世界だな
「私、昔から香り関係が好きで、
良い香りのものには目がないんですよ。
アロマテラピーや香道にも興味があります。」
「うっとり」と現実をクールに両立させながら
ミヤコさん、楽しんでる
周りの女子の方々もみんな真剣に楽しんでる
いいなあ、楽しんでいる生身の姿ってのは
ヒクヒクッ、ピクピクッ
意志が生きて、動いてる、動いてる
いいぞ、ヒクッ、ピクッ
「つきあわせちゃってすいません。満足しました。さ、行きましょうか。」
ぶらぶら、ぶらぶら
山下公園へ
午後3時半の長閑な海を眺めながら
白い客船がボーッと通り過ぎるのを眺めながら
カモメが悠然と空に浮かんでいるのを眺めながら
しっとり手をつないで
ぶらぶら歩く
9月下旬ってのは本当に穏やかな時季
夏の名残りを感じさせながら、暑くもなく寒くもなく
「のんびりしてていいですね。波もとっても静かで。」
「ええ、山下公園久しぶりに来ましたけどきれいでいいところですね。」
海があってまっすぐな道があって花壇があってところどころベンチがあって
つまりはまあ
平板な眺めなんだけどね
ぶらぶら歩くのには向いている
奈良美智展鑑賞したし赤レンガ倉庫寄ったし
大道芸なんてのも覗いたりして
この後中華街で食事だけど、それまでまだたっぷり時間がある
このたっぷりの時間
ただぶらぶら歩こうと当初から決めている
それはね……
「ねえ、ミヤコさん、港の見える丘公園の方に歩いてみませんか?」
氷川丸を左手に橋を渡れば港の見える丘公園のふもとだ
ここからちょっと急な登り道
ぼくたちは歩くの好きだしそんなのちっとも苦にならない
イギリス館、フランス領事館遺構
「この辺、ハイカラ文化の発祥の地だったんだって改めて思いますね。」
「ヨーロッパ風の噴水多いですしね。ハイカラを意識した造りにしたんでしょう。」
平坦な山下公園と違って
港の見える丘公園は起伏があるのが特長だ
上がったり下がったり
曲がり角も多い
噴水と花壇が点在して
ベンチにはカップルの姿が
定番だなあ
デートの定番
ぼくたちもゆるい潮風に吹かれちゃったりして
定番の姿の一つに収まってるわけだ
いいね、定番
そしてもうすぐ展望台
「わぁ、ベイブリッジですね。写真でも撮りましょうよ。」
夕暮れ近い、と言ってもまだ明るい横浜港をバックに
定番の写真、撮り合っちゃいました
横では、中国人観光客の団体さんが派手にはしゃいでいる
「天気が良くてラッキーでしたね。
あの方たちもはるばる日本まで来て、いい景色見られて、良かったですね。」
「いやあ、本当に天気には恵まれましたよ。
中国の方たちにもいい土産話のネタになるんじゃないかな。
ところでだいぶ歩いたし、ちょっとあそこのベンチで休みませんか?」
さてさて
ここからが今日の本番なんだ
ファミちゃん、レドちゃん、見ててよ!
展望台からちょっと離れたところにポツンとある
さっき密かにチェックしておいたベンチに向かって歩き出す
……おい、不思議だな
思ったより緊張してないよ
花壇に植えられたマリーゴールドがすごくよく見えるし
すれ違う人の表情もよくわかる
時間がぼくのために
ゆったりゆったり流れてくれてるって感じだよ、おい
「ミヤコさん。お付き合いしてきて、ぼくは、
ミヤコさんのことがとても好きになりました。
ぼくと結婚していただけませんか?
ぼくはミヤコさんを幸せにしたいし、ぼくも幸せになりたいんです。」
「……ありがとうございます。お申し出お受けします。」
マジか?
お受けしてもらっちゃったよ?
家庭持っちゃうってことだよ?
奈良美智さんのジャイアントおかっぱ少女が見守ってくれてたのか
深沈とした表情の大きな岩の塊が、まだ明るい青い空に浮かんで
うんうん、と
ぼくの願いにOKを出してくださったのか
やったね!
今更ながら心臓がバクバクしてきた
プロポーズ記念にミヤコさんの写真を1枚撮らせてもらった
スマホに残されたのは
頬を紅潮させた
いつもよりちょっとみっともない表情の顔だった
そのみっともない顔を何よりも大事に思うぼくが
まさに今ここにいるってこと
ファミちゃん
レドちゃん
応援ありがとう
今日の最大のミッションは無事成功
まだ4時すぎ
ぶらぶら歩きをもうちょっと続けてから
中華街でおいしいお店を見つけてご飯を食べることにするよ
来月、御礼と経過報告を兼ねて君たちに会いに行くから
その時はまたいっぱい頭を撫で撫でさせておくれよ、ね?
めざめて
facebookをみてたら
日記のようだ
と思った
ひかりの記憶を写真で
止めておく
ことばも
すこし添える
画面を
指先でたどれば
みんなの記憶のなかに
わたしの記憶のひかりも
ある
先週の日曜日
500m泳いで
港の水面を見てたんだ
言文一致体だとか口語体だとか言うけどさ、
誰かを相手に話してるときに、
「だ」とか「である」で言い切ったりする?
たとえば、「今日は何曜日だっけ?」と訊いてさ、
「水曜日だ」って答えられたらびっくりするよね。
「水曜日である」だったらぶっとんじゃうよ。
「水曜日だよ」とか「水曜日じゃない?」とか
ただ「水曜」とか、そんなもんでしょ。
「だ」で止められちゃうのはキツイよ。
壁にぶつかってぽーんと跳ね返されるような感じがしちゃう。
「そんなこと聞くんじゃねえよ、バカヤロウ」かなんかが
ついてきてるような感じまでするよ。
普通ならさ、
相手の様子を見て、
機嫌を損ねないようにしゃべるものじゃん。
「水曜日だよ」ってさ、「よ」を付けてくれるだけで、
ちょっとほっとするんだよなあ。
逆に「水曜日だ」って、「よ」がないだけなのに
えらく横柄な感じがするよ。
「だ」でもそうなんだからさ、
「である」なんて絶対使わないでしょ。
「である」を口で言うってことで
ちょっとイメージできるのは演説かなあ。
でも、演説で「である」なんて使ってたのって、
自由民権運動とかそういう時代だよね。
今は政治家がしゃべるときでも、
「ですます」を使うと思うよ。
あの傲慢な総理大臣でもさ、
国会でマイクの前で話すときには、
「ございます」まで使ってるもんね。
そのくせ座っているところから、
「早く質問しろよ」とか汚い野次を飛ばしたりもするけどさ。
「である」はないよ。
「吾輩は独裁者である」なあんてね。
ありえない。
「である」については柳父章さんがこう書いてるよ。
《「である」という言い方は、
《実は、beingなど西欧語の翻訳の結果として、
《いわばつくられた日本語なのである。*
翻訳の結果だってさ。
つくられた日本語なのであるだって。
最初っから文章語ってことじゃんねえ。
柳父さんの文章も、
文章だから「である」てんこ盛りだよ。
そこへ行くと、「です」とか「ます」は
言い切ることがあるんだよね。
「今日は何曜日だっけ?」
「水曜日です」
こんなふうに「です」を付けて答えるってことは
対等な関係じゃないからだよね。
距離があるから言い切りの断定がびゅんっと飛んできても
手前でぽとんと落ちちゃうのかな?
でも、「ある」とか「ない」とかは対等な相手に言うんだよなあ。
「なかなかうまいことを書けたぞって思ったときに限って
あんまりリツイしてもらえないもんなんだよねえ」
「あるある!」
「ねえねえ、右から二番目の子とかどう?」
「ないない!」
ふたつ続けてでも言っちゃうよ。
「ある」なんて「である」と一字ちがいなんだけどねえ。
どこが違うんだろう?
話がばらけてきちゃったけどさ、
文章に出てくるのに、
しゃべってるときに使わねえなあってのを
あとひとつ、
逆説の接続助詞の「が」ってやつね。
「昨日は晴れだったが、今日は雨だねえ」
とは言わないでしょ、普通。
「昨日は晴れだったけれども、今日は雨だねえ」
とも言わないと思うんだよね。
「けれども」ってちょっと長ったらしいからさ、
そんなくどくど言ってらんねえよって感じだよ。
やっぱ、普通は
「昨日は晴れだったけど、今日は雨だねえ」
ってなところだよね。
別に最後は「だねえ」じゃなくていいんだけど。
でも文章で「けど」とか書いたら、
きっと呆れられるよね。
女子高生のLINEじゃないんだからって。
おっさんだってLINEじゃあ「けど」って使ってると思うけどなあ。
TwitterやFacebookでもね。
話がすっかりばらけちゃったけどさ、
言文一致体なんて言ったって、
文章の言葉は口でしゃべる言葉からは
ずいぶんずれてるってところは
最低限間違いないと思うんだよね。
前はあまり意識もしなかったんだけどさ、
最近ようやくね、
そういうことって大事だなって
考えるようになったのよ。
って言うのもさ、
詩ってのはやっぱり声を必要とすると思うんだよね。
ってことは普通の言文一致体の散文ってやつよりも
ちょっと本物の口語に近づけてみたらどうかな
ってなことも思うわけ。
でもやり過ぎると、
ちょっとうぜえよって感じになっちゃうけどさ。
そう言えば、
ちっちゃい頃、
口でしゃべったそのまんまを書くやつは
バカみたいに見えるからやめろって、
教えこまれたような気がするよ。
それで大人に褒めてもらえるように
一所懸命文章の書き方を覚えこんで、
気がついたら、
口語と文章語の区別もつかないくらいに
なっちゃったんだねえ。
変なの。
*『翻訳語成立事情』岩波新書、1982年、114ページ。