michio sato について

つり人です。 休みの日にはひとりで海にボートで浮かんでいます。 魚はたまに釣れますが、 糸を垂らしているのはもっとわけのわからないものを探しているのです。 ほぼ毎日、さとう三千魚の詩と毎月15日にゲストの作品を掲載します。

今日も駄目の人

 

根石吉久

 

 

私は、百姓の真似事をやる他に、英語塾もやっている。主にインターネット上で、スカイプというソフトを使っているので、生徒の住所はあちこちだ。かつては北海道から九州まで、今は山形県から福岡県までか。よくわかっていない。一度も顔を合わせたことのない人たちにレッスンしているので、なかなか住所も覚えられない。レッスンを始めるときに、一応住所を教えてもらってあるが、手紙でも出すようなことがなければ住所を調べることもない。
スカイプを使うのにカメラを使うと、音声が途切れたりすることがあるだろうと思いレッスンでは音声だけでつなぐ。この場合、都合がいいのは、私の顔や着ているものが相手にわからないことだ。
畑で百姓をやっていて、軽トラックに戻って時間を確認したら、レッスン開始まであと10分しかないというようなことが何度かあった。百姓仕事の道具もやりかけの仕事もほったらかして帰宅する。シャツにモミガラがくっついているし、手の指の爪の先には黒い土が入っているし、顔は日に焼けてまっくろけのケだし、ぼさぼさアタマだし、要するに英語のレッスンのコーチにはとうてい見えない。カメラを使わないでいてよかったと思う時は、そんな事情の時でもある。
ところが、通塾の生徒の前で姿を見られないままレッスンすることはできない。仕方がないので、畑から舞い戻ったばかりの格好でレッスンすることがある。泥のついたシャツ、泥のついた手、砂埃でジャリジャリする顔や首。

入塾したばかりの生徒が、私の格好を見て馬鹿にしたような顔をすることがある。

そういう生徒は、なるべく早く退塾してもらうようにしている。がんがん怒鳴りつけたりもする。英語なんかやる以前の問題が親にあるのだと思う。泥がついていたり、砂ぼこりが髪の毛の間から落ちて、机の上がジャリジャリしたり、英語で言うところのred neck であったりする者を、小馬鹿にするような目つきで見る者の家の中でも、親たちにそういう感覚があるのだと思う。言ってみれば、第一次産業の格好を馬鹿にする感覚と言えばいいのか。第一次産業の人口がどれだけ減っても、泥や砂を馬鹿にするような者は、俺がお前の英語を馬鹿にしてやんだよ。そんな根性のやつが英語なんかできるようになったってろくでもねえし、くだらねえ。

その昔、家を自作したので、コンクリートをよく練った。コンクリートも服に付着するとなかなか取れない。
東京で娘が学生をやっていた頃のある日、現場でコンクリートを練ったまま、着替えもせずに新幹線に乗った。新宿の紀伊国屋の前で待ち合わせていたので、紀伊国屋の前で娘が現れるのを待った。なかなか来ない。かなり待ってから、娘が人混みの中に立ち止まってこちらを見ているのをみつけた。こちらから娘に近づいて、なんで立ち止まっているんだと訊いたら、「わかんないの?」と言った。「お父さんの周りだけ、人が何十センチも離れて立ってるんだよ。汚い服に触るといやだから」と娘が言った。そういえばそうだったかもしれないが、別に気にもとめなかった。
住んでいる千曲市というのは田舎で、田舎にいれば人が10センチとか20センチのところまで近づいて来るなんてことはまずない。長野駅に行けばあるだろうか。長野駅でも30センチやそこらは人と人が離れている。50センチや60センチ離れていることだっていくらでもあるので、紀伊国屋の前でも60センチや70センチ人が離れていても普通だと思っていた。

新宿を歩きながら、レストランの脇を歩きながら、「ここで飯食うか」と聞いたら、「駄目だって」と言われた。曇りのないガラスから店内を見ると混んでいたので、あまり味で外れないんじゃないのかと思ったのに。

私は今日も「駄目だって」のままだ。
今日は里芋の種芋を土の中に埋めた。

 

 

 

幸福な時間

 

みわ はるか

 

 

給食をかきこむように口に運んで、時計を気にしながらいそいでトレイを片づけた水曜日の午後。
一番に到着したと思った図書室にはもう大勢の下級生の姿が。
いつもは均等に配置されている4人掛けの机は隅においやられ、椅子だけが同じ方向をむくように列をなしてきれいに並べられている。
その先にはちょっとしたカウンターがあり、みんなを少しだけ上からみおろせるようになっている。
これから始まる有志の保護者による「お話玉手箱」、本の読み聞かせの会をみんな心待ちにしている。
小学校6学年のほとんどが集うこの時間、図書室は満杯になる。

図書委員長のわたしははじめに 簡単なあいさつをすませ、いつものポジション、一番後ろの壁にもたれかかる。
すぐ後ろの窓からはさわやかな風が舞い込んでくる。
不思議なのは普段そんなに図書室で見かけないような顔がたくさんあること。
毎週この時間だけは広い運動場がいつもより寂しく見える。
みんなが同じ方向を食い入るように見ている。
少しも聞き逃さないようにと耳を傾けている。
そんなみんなの頭を後ろから眺める自分。
感じることは違っても、同じ時間、同じ場所、同じものを共有する。
こんな時間が大好きだった。

トイレの中にも本をもちこんで長い間籠ることがあった。
一度読み始めると食事や睡眠の時間でさえも惜しいと感じた 。
卒業文集の友達への一言の欄には「もっと外で遊んだほうがいい。」と書かれたのはいい思い出だ。
そのせいかどうかはもう覚えていないが中学生時代テニス部に所属している。
図書室にある本は全部読んでやると本気で思っていた。
自分の好きな作家の新刊が出続ける限り生きていく。
大袈裟かもしれないけれどそう心から強く誓ったのもあのときだ。
小説、エッセイ、詩、伝記、専門書・・・・・あらゆる分野の本に目を通した。
田舎の小さな町で育ったわたしにとって、色々な世界を見せてくれる図書室はまるで宝石箱のようだった。

成長して、ふと母校に立ち寄ることがある。
自然と足がむくのは決まって図書室だ。
そこには配置こそ変わっているが、ところせましと本がぎっしり並べられている。
少し黄ばんだページを見つけるとなぜだか妙に懐かしい気分になった。
あのとき読んだ本を、あのときの自分と同じくらいの年の子が手にとっていると思うと無性にうれしかった。
残念なのは当時あった「お話玉手箱」の時間がなくなってしまったこと。
いつか復活することを願っている。

雲ひとつない青空が広がるとある日。
こんな日でも無意識に本に手がのびる。
「こらっ、たまには外で体でも動かさないと!」
旧友の声がどこかから聞こえたきがした。

 

 

 

一族再会  ~短歌詩の試み

 

佐々木 眞

 

 

もうええわ、わたしおとうちゃんとこいきたいわというて母身罷りき 蝶人

 

 

祖父、小太郎は、「主イエスよ」といいながら琵琶湖ホテルで亡くなった。

祖母、静子は、急を知らせるベルを押しながら亡くなった。

父、精三郎は、お向かいの堤さんに頼まれた反物を運びながら、駅前の病院で亡くなった。

母、愛子は、寒い冬の夜、自宅で風呂上りに櫛梳りながら亡くなった。

愛犬ムクは、自分を山で拾ってくれた私の次男に、「WANG!」と叫んで亡くなった。

さて恐らく、次は私の番だ。

私は、どんな風にして死んでいくのだろう?

それを思えば、そら恐ろしい。ほんまに恐ろしい。

私は最後の審判にかけられたら、いったいどんなところへ行くんだろう?

人殺しこそやってないけど、人さまには口が裂けても言えないこともやってきた私。

天国になんか、到底行けそうにない。

絶対に行けそうにない。

では地獄か? 地獄に落とされるのか?

地獄の沸騰した釜の中で、生きたままグツグツ煮られて、閻魔さんだか大天使ミカエルだかに、ヤットコで、えいやっと舌を引っこ抜かれるのか?

それを思えば、そら恐ろしい。ほんまに恐ろしい。

ほんまに恐ろしいが、ちょいと面白くもある。

ワクワクするところもある。

あっちへ行ったら、お母ちゃんやお父ちゃんやおじいちゃんやおばあちゃんやムクに、ほんまに会えるんやろうか?

先に亡くなったお母ちゃんは、またお父ちゃんと一緒に下駄の鼻緒をすげているんやろうか?

おじいちゃんやおばあちゃんは、中庭の奥の八畳の間で、「十年連用日記」をつけたり、裁縫をしたりしているんやろうか?

ムクはムクゲの根方で、朝寝して宵寝するまで昼寝して、時々起きてWANGWANG吠えているんやろうか?

そこへ私が「ただ今」なんて、もにょもにょ言いながら姿を現すと、
みんなびっくりしたような顔をして、
「なんや、まこちゃんやないか。よう戻ったなあ!」
と、口々に声を上げるんやろうか?

ムクはWANGWANG鳴きながら、私に飛びついてくるんやろか?

そうだと、いいな。

そうだと、いいな。

ああ、ほんまにそうなら、ええな。

 

 

 

光の疵  ふたつの川

 

芦田みゆき

 

 

あたしは橋のうえに立っている。
光が欲しくて、
光が欲しくて、光を欲して、
皮フに切れ目を入れる。
眼前の川から、
色分けされていない
大量の光線がなだれこむ。
その時、
皮フの裏側で
川が開始する。
頭部から爪先へ、
ゆるゆると、
あたたかな川は流れて…

 

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FH020019-6

 

R0008156-7

 

 

 

 

yard 庭 中庭

 

今朝は
ぼんやりと日射しが

降っていた

西の山も
霞んでいた

そのヒトの庭にも
日射しは

届いているだろう

もう
君子蘭も

小手毬の花の色も

濁って
しまった

花も
いつか

腐って
落ちるだろう

日を
浴びて

いつか
中庭の地面に落ちる

 

 

 

再婚、煮てたよね

 

爽生ハム

 

 

あどけない、それはない、
容姿の鶏を煮てたよね
半永久に、出会った鶏は
あの虫を納得させるために
出現した鶏

もうキカナイ、このカタカナ
融通、決まりきっている
錆びついた鍋は離婚の勲章
綺麗な離婚だな、楽器のよう

そういえば、というか
前から、思っていた
夕方のピアノの指は
まるで鶏だった

人さし指は交通事故を起こし

薬指は川の水位をあげた

小指は男を浮気させ

親指は口座の金を増やした

中指だけが痛かった

中指は長いからかな
外側ってかんじ
丘ってかんじ、鶏って容姿は
どこ行ったんだいキタナイなあ、
突然、君主が
目の前の桜に止まった

群青だった、グレーの君主を見ると
あどけなく笑ってみせた
無意味だろう
虫は体に入ってくるから
いい貰い手が来る

 

 

 

earth 地球

 

まわって
るんだろうね

ぐるぐる
とね

ものすごいスピードで
ずっとね

誰も
気づかない

墓のまえで
あぐらをかいて

酒を飲んでたりする

滅びに
むかっている

青空に
ぽかんと

きみは浮かんでいたね

サヨナラ

この世は
ずっとまわっていたさ

 

 

 

茅野、そして高遠の

 

薦田 愛

 

 

ダム湖のへりを歩いてお昼の会場へ向かいながら
傘が手放せない
お天気よかったら、もっと暖かかったらねぇ
でも満開だったし、おなかいっぱい
これ以上ないくらい桜ばっかり
そうね、それならよかった
高遠城址公園からさくらホテルへ
下り坂とカーブをきる道は湿っている
よかった、辿り着けてよかった
どうなることかと思ったもの
今朝は

ぬかった
スーパーあずさ1号に乗り遅れてしまった
四月十三日月曜午前七時新宿発の
中央本線茅野駅九時八分着の
母とふたりぶんの席をぽかんとあけたまま
目の前で発車した
低い低い空の朝

高遠の桜をみに行こう
寒いからとやめた二月の河津のかわり
そこにしかないという
タカトオコヒガンザクラを
みに行こう
母と話したのは三月初め
高遠城の名前は知っていたけれど
運転もしないから
長野の山あい高みはるかなところ
行くこともないと思っていたのに
タカトオ、と母が
上田さんからきいたのか、細川さんだったか
口にしたから
行ってみるとしたら、と調べた
ああ、行けないことはない
というか行ける
遠い
遠いよ
それでも日帰りのほうがらくだという
母の誕生日の翌日
週末の混雑を避け
休みをとって行けばいい
散ってしまうよりは咲きかけでも
茅野からはバス
目的の城址公園で三時間
ただし昼食時間を含む
そのあとに梅苑――梅苑?
桜のころに梅の花?
そんな日帰りツアーに申し込んだ春彼岸
カウンター越しに渡された旅程表の
赤で印をつけられた緊急連絡先が
まさか役だつことになるなんて
乗り遅れた場合はクーポンだから
まるまるダメになると思っていたら
違った

新宿駅でみおくってしまったスーパーあずさ
そうと気づいたのは上野でのこと
余裕をみて出かけたはずが
いつのまにか費やされ
JR上野駅山手線外回りのホームで
まっしろになる
ここじゃない
地下鉄銀座線で行かなくては間に合わない
平日朝六時半、東京のただなかで
今しがた行った一本の次はいつなのか
まっしろ
待つのがよいのか経路を変えるのが正解か
いまさら検索しなおしても、とくちびるをかむ
むなしくページを繰る私の干からびた脳
ちいさすぎるケータイの画面
立ちつくす母がことさらちいさくみえる
はらをくくる
ごめんなさい新宿から乗るあずさに間に合わなくなった
なんとかするから、とにかく向かいましょう
いやなんとかなるかどうかわからないけれど
わびるしかないではないか
私はわからないからついて行くしかないよ
そう言って母は

早くしなさい、なにやってるの
ぐずぐずしないで
せきたてられるこども
要領のわるい気質はのこって
年を重ねた
ひとりだけ育てた母も
年を重ねた
連れだって歩いて、つい足早になると
置いて行かれそう
仕返しされてるみたい、と苦笑
仕返しだなんて
せきたてていたのは躾だったんじゃないの?
尋ねたことはない
だから言ったでしょ
もっと早く出かければよかったのに
矢継ぎ早に言われても不思議はないのに
だまっている
言われればくちおしいが
言われなければ心配になる
埋め合わせる言葉を
探したいのに
なんとかできるか考えることで手いっぱい
次の中央本線下り特急新宿発は三十分後
茅野に九時五十一分
ツアーのバスが九時半に出ると次は二時間後
タクシーしか足がない
お城でツアーに合流できるのか
そもそもツアー参加は目的じゃないはず
合流に意味はあるのだろうか
思いが逸れる
ひとりならやめてしまうかもしれない
けれど今日は
母を誘ったのだから
いな
タカトオの桜、という
母の言葉に誘われたのだから

乗り遅れた場合、当日の後続列車、自由席に限り有効
という一行を旅程表に発見
でも中央本線だから新宿発とは限らない
千葉からぎゅうぎゅう詰めで着いたらどうしよう
三両のうち二人ぶんの席
なければ指定席
二時間立ったままは母には酷だ
もしも満席だったら……
不安がふくらむのに待ち時間は充分
駆け寄って駅員さんに聞くとやはり千葉方面発
紛らすように
現地バス営業所すなわち緊急連絡先に電話すると営業時間外
八時まで緊急事態の解消は延期
やがてぎゅうぎゅうのあずさが入線、ドアから降車に次ぐ降車
そう、月曜の朝だった通勤電車なのだ
ひとのあふれ出たあとの車両へ身体をねじ込む
ああ座れる
指定ではないし遅れてはいるけれど
向かっているね
高遠へ
地図の上なぞる思いでたしかめたしかめ
バス営業所へもう一度

あずさに、そしてツアーバスに遅れたと言うと
運転手さんは大笑い
いやいや、だからあなたにお願いするわけで
茅野駅前からアルピコタクシー、午前十時前
鼻先を逃れる
いな
乗り遅れたツアーバスに電話
城址公園で桜をみたあと
さくらホテルの食事会場で合流してください
添乗員の女のひとの声
バスのなかに響いているね
はずかしい
食事のあとバスで梅苑へ向かうから
後半で合流ってことになるのかな
山ひとつ越えて
高遠は茅野より標高が低くて暖かいんですよ、と
運転手さん
高くて遠いところと思っていたけれど
伊那、いえ、否、山あいの
お城は平山城と
あとになって読んだ案内ちらしにあった
山ひとつ越えて近づく道みち
ほのかに赤らむ木々が群れていて
このあたりはまだ木が若いから
色も濃いの
お城のほうが白っぽいかもなあ、とつぶやく

お礼を言って下りる足もとは水たまり
ライナーつきコートに携帯レインコートを重ねた母に
駅で見つけた使い捨てカイロを渡す
濡れながら広げる傘の先ほら
タカトオコヒガンザクラ
小さなほの赤みの差す花は
きゃしゃで小柄な母の手にするデジカメにも易々とおさまる
傘に鞄にデジカメ
両手いっぱい身体いっぱい桜にあずけるように母は
いっぽんからいっぽんへ
カメラを向けて
むちゅう
ねえ、そろそろ行かないと
お城に着く前にメモリがいっぱいになるよ
促す私も深々と息をついて
ケータイで一枚
タカトオコヒガンザクラタカトオコヒガンザクラタカトオコヒガンザクラ
いちめんのタカトオコヒガンザクラならぶ城址のぬかるむ凹凸を靴裏に写し取りながら
山肌おおう花はな花の綿あめ
融けかけた綿あめの甘い赤みに似た花を追ううち
ふりかえりざま羽がいじめ
低い花枝に阻まれる
しなる枝の鞭
花の虜にならよろこんでなる
母にちがいない
いな、私は
ああ、お昼の時間に
遅れないようにしなくては

 

 

 

ファミレス

 

みわ はるか

 

 

「ファミレス」に来た。
一人で。
いつも来てから後悔するのに。
もう一人で来るのはやめようって思うのに。
忘れたころにまた足を運んでしまう。

略さずに書くと「ファミリーレストラン」。
日本語にすると、「家族で食事する場所」と言ったところだろうか。
食器と食器が触れ合う音とともに楽しそうに会話する家族の声が聞こえてくる。
家族が同じテーブルを囲み、各々好きなものを注文し、それを口に運ぶ。
そんなほほえましい姿を第三者である他人が怪しまれることなく垣間見ることができる。

気の強い母だった。
不器用な父だった 。
小学生のとき参観日に両親の姿を見ることはなかった。
入学式と卒業式、ピースサインで二人の間に自分が収まっている写真は貴重だ。
学校から帰って一番に鍵穴に鍵をさすのは自分の仕事だった。
飼っていた牛みたいな模様の犬だけがしっぽを盛んにふって毎日出迎えてくれた。
家の中に入ってまずはじめにテレビをつけた。
電気ではなくて、テレビ。
自分に話しかけてくれているわけではないけれど音がするということに安心した。

耳をそばだてていた。
母の運転する車が家の敷地に入ってくる音を聞き逃さないように。
一目散に走った。
今日あったことを報告するために。
音読のテストですらすら 最後まで読めたこと、給食に大嫌いなサバがでたけれどできる限り食べたこと、友達が新しい自転車を買ってもらってそれがものすごく羨ましいこと、来週の家庭科の調理実習には人参を家から持っていかなければならないこと。
話すことなんてたくさんあった。
どうでもいいことから本当に大事なことまで。
それでも全部伝えたかった。
自分のことは全部知っていてほしかった。
仕事から帰ってきた母はとても忙しそうだった。
留守電の確認、夕飯の準備、明日の天気予報の確認・・・。
人を寄せ付けない雰囲気がそこにはあった。
今、成人し仕事をするようになった自分にはそのときの母の気持ちや行動が理解できる。
仕事を遅くまでやり 、帰ってからは家族のためにご飯やお風呂の準備、愚痴をはくこともなく毎日こなしてくれたことに感謝しかない。
しかし、当時それを理解するのには幼すぎた。
寂しかった・・・寂しかったのだと思う。

何かを確認するために、何かを取り戻すために自分はファミレスに行くのだと思う。
5、6人掛けの椅子にひ1人で長く居座るのは少し目立つけれど。
きっとまたファミレスに自分は行くのだと思う。

 

 

 

厚くてガッチリ

 

辻 和人

 

 

すぅーっ
はぁーーっ
すーっ
はぁーーっ
深呼吸、深呼吸
はぁーーっ
さすがに緊張してます
滅多に着ないスーツとネクタイが
ぎゅぎゅっと体を締めつけてきます
(職場は自由服だもので)
今日はミヤコさんのご両親にお会いする日
下北沢のドーナツショップでミヤコさんと待ち合わせてるんだけど
アイスコーヒー、味が全くしない
すぅーっ
はぁーーっ
すーっ
はぁーーっ
あ、ミヤコさん、来た

先週、ぼくの両親にミヤコさんを紹介したんだ
それがさ
いきなり和気藹藹なのよ
いきなりバンザイなのよ
食事の前に母が経営している(といっても一人でだけど)陶器の店に連れてったんだけど
「これ、きれいですね。」
「あら、そうでしょう。有田の若い作家さんが焼いたものでね。」てな調子
ホテルの和食レストランに移動した後は
「インドに出張されたんですか?……あははっ、そりゃ愉快ですねえっ。」てな調子
何しろ女性を両親に紹介したことなんか初めてだからなあ
それだけで両親は舞い上がってる
もちろん、ミヤコさんのきちんとした受け答えがあってのことだけどさ

しかし、逆もこういくとはかぎらない
お父様は「頑固者」だそうだし
……はぁ、腹を括るってこういうことか
えーいっ、何のこれしき
ノラ猫だったファミを実家まで運んだ苦労を思えば
「辻さん、お待たせしました。今日はよろしくお願いします。」
「こちらこそ。緊張してますが、頑張りますのでよろしくお願いします。」
いざいざ
相模大野へ、出発

祐天寺のアパートで面倒をみていたノラ猫ファミを
伊勢原の実家で飼ってもらうことにしたのがかれこれ6年前
猫狩りに遭うんじゃないかと心配してね
アパートじゃ飼えないので両親に頼みこんだというわけ
今では家の主みたいな顔してるけど
連れてくる時は大変だったんだよ
運ばれる最中
ファミは猫キャリーの内側を狂ったように引っ掻いて暴れた
引っ掻く、鳴く
引っ掻く、鳴く
ああ、思い出してきちゃったな
その同じ小田急線の電車に
ぼくは手足を硬くさせたまま揺られてマス
深呼吸が途中でふぅっとため息に変わってしまいマス
こりゃ、元気がある分ファミの方が上だ
ちょっと怖いけど大丈夫、なんて言ってたのにさ
ただの顔合わせ、挨拶しにいくだけなんだって
幾ら自分に言い聞かせてもダメなんだよね

相模大野駅で降りてバスに乗り換えて10分
ラーメン屋さんを過ぎて細い路地に入って
すぅーっ
はぁーーっ
すーっ
はぁーーっ
「ここが私の家です。じゃあ、頑張りましょう。」
はい
植木がいっぱい並んだそのお家のブザーを
意を決して
えいっ
押した
すぅーっ
押しちゃったぞ
はぁーーっ

「お待ちしていました。さ、どうぞおあがり下さい。」

出迎えてくれたのは
頭髪はちょっと薄くなっているけれど
精悍な感じのお父様、それに優しそうなお母様

「今お茶お持ちしますからね。楽になさって下さい。」
「はい、ありがとうございます。」
楽になんかできるわきゃないけど
―どこにお勤めですか?
―お休みの日は何をなさっているんですか?
そんな質問に一つずつ答えていくうち少しずつ落ち着いてきた
サルサのバンドを学生の時からもう30年やっている話をすると
「はははっ、それは結構ですねえ。」
おいおい
フレンドリーな雰囲気じゃないか
お母様は短歌を詠まれているそう
同好の方々と共同で刊行した歌集を見せていただいた
良い歌が幾つもあった
詩集を出したことのあるぼくとしては
「今度単著で歌集を出されてはいかがでしょう?」と
先輩風(?)を吹かせてみた
「いやあ、私なんかがとてもとても。」
謙遜されていたけれどまんざらでもないような……

答えるばかりじゃ会話は成り立たない
余裕も出てきたし、攻勢に転ずるか
「お父様はフィリピンで印刷の仕事をされていたとお聞きしましたが?」
すると
待ってました!

「私はね、若い頃は○○印刷に勤めていたのですが、
その後、縁があってフィリピンの印刷会社に入り
経営に携わることになりました。
ミヤコがまだ小学生の頃でしたかねえ。」
そこからの話はマジで面白い
フィリピンの人たちに印刷についての知識を授けて
信頼を勝ち取っていったというのだ
「日本人が評価されるのはですねえ。
現地の人にノウハウを教えて自分たちの手でできるようにさせるところですよ。
他の国の人はそんなことしない。ただこき使うだけ。
日本人は現地の人と一緒にやろうと考える。
だから信頼されてどんどん次の仕事がくる。」
「フィリピンではたくさん友人ができましたよ。
印刷会社の社長の弟さんでカルロスさんという方がいらっしゃるんですけど
今でも大親友ですよ。
フィリピンに来い来いっていつも言われてまして
前に遊びに行った時は一家で大歓迎でした。」
―日本はフィリピンに侵攻したことがあったじゃないですか?
「そう。すごい迷惑をかけた。
でも、日本を恨んでいるフィリピン人はあんまりいない。
××さんという方なんて
日本軍の捕虜にされたんだけど収容所がそれはそれはひどいところ。
海の近くにあるんだけど
潮が満ちてくると収容所に海水が流れ込んでくるっていうんだ。
それでも自分からはそんな話一言もしない。
後で知った時はびっくりしたねえ。
戦後の日本は戦前とは違うってわかっているんだ。」

熱のこもった話がいつもまでも続く
テレビのドキュメンタリー番組を見ているよりもずっと面白い
日本の繁栄を支えてきた人の中にこういう人がいたんだなあ
まあ、こういう草分け的な仕事をする人は
多少頑固なところがないと務まらないよな(笑)
話題の先を仕事から趣味に変えてみた
「お父様は陶芸がご趣味とうかがっているのですが
この棚にあるお皿やカップはお父様の作品ですか?」
こちらの反応もすごい。

「ええ、ええ、だいたい私が作りました。
引退してから陶芸を始めましたけれど、今では出品して販売もしています。
最近あちこちで陶器市が開催されるようになってきてましてね。
月に何度も展示販売することがあるんです。
仲間と一緒に店を出してね、これが楽しくて仕方ない。」
横からお母様が嬉しそうに口をはさむ
「これだけやってて赤字じゃないんですって。」
「そうなんです。多くはないんですけどね。利益が出てるんですよ。
そのためにはちゃんと使えるものを作らなくちゃいけない。
例えばこの急須は取っ手のところが難しい。
ぽきんと折れちゃったらどうしようもないですから。」

棚に収めてある作品は
母の店の有田焼と違い
分厚く、ガッチリ作られている
でも
マグカップはお茶が飲みやすく
皿は料理が並べやすく
使う人のことを一生懸命考えて作った末にできた形だ
しかも遊び心も忘れていない
「これ何だと思います?
瓢箪みたいな形でしょう。
これ、徳利を真っ二つに切ったものなんですよ。
面白い形のおかず入れができるなと思いついて
切ってみたら意外と使いやすくて評判もいい。
飽きがこないようにするには工夫が必要なんですよ。」

それら線の太い造形物は
にょきっと足が生えていて
踏ん張っているように見える
滑らかではない厚手の体は
紛れもなく生きている者の生きている手で
ヨイショヨイショとこねられたもの
土だけど
生身だ
スキを見て
乗せてある料理を
パクッと
食べちゃう
ん? 一つ残しておいた肉だんご、どこ行っちゃたんだ?
なんてことが起こってしまうかも

後半はすっかり聞き役に回ってしまった初顔合わせ
「またぜひおいでください。」の声に送られて
お家を後にする
「お疲れ様でした。」ミヤコさんが笑う
「ふーっ、疲れたけど、何か楽しかったですよ。」
涼しい風が吹いている
夕暮れが近いな
振り返ると
家の前に並べられた山野草の鉢が
来た時よりずっと鮮やかに見えた