michio sato について

つり人です。 休みの日にはひとりで海にボートで浮かんでいます。 魚はたまに釣れますが、 糸を垂らしているのはもっとわけのわからないものを探しているのです。 ほぼ毎日、さとう三千魚の詩と毎月15日にゲストの作品を掲載します。

餉々戦記 (むしょうに茄子が 篇)

 

薦田愛

 
 

墨色の扇子を
ひらいてはとじ開いては閉じしているような
ものしずかなオハグロトンボに代わって
今朝
うすあおい羽根のシオカラが
目の高さをよぎる
夜中の雨がまだ乾かない
ウッドデッキの下には
ツユクサが二輪

なんだろう なんだか
つっと
むしょうに茄子が
と頭をかすめ これは
食べたい、という係り結びになるのだろうが
いやいや
そうではなかろう

意識をさぐる
茄子は茄子だけれど
むしょうに
ではなくって
むやみやたら 
めったやたらと
やみくもに
辺りだろうか

ユウキが仕事ではやく出かけて二時間
日が高い
ひとりの朝食の洗い物を済ませた手をタオルでぬぐい
冷蔵庫の最下段
野菜室をあける
今夜なににしようと
指先がおもうのだ
つくるのは夕方でも
レシピのプリントを探りだし
肉を解凍
足りないものは買いにゆく
今朝
庭先で
シオカラの青がよぎるや
どうしてか
むしょうに茄子が
いや
むやみやたら
めったやたらと
やみくもに
そう
たわわというのか
まるく張りつめたのや
「し」の字に曲がったのや
むんずと摑まれぐいぐい引き延ばされたろうやけに細いのや
向こう傷のひとつふたつ刻んだのや
おととい夕方ユウキが
たらいいっぱい
ピーマンやらキュウリやら名残のトマトやらと
盛り合わせるように畑から
その
両手にあまる色いろ色の重さのなか
ひときわ艶つるみっしりきゅるん と
茄子
やみくもに
レジ袋にふたつほど
ああ
やみくもに
なった茄子をひときわ美味しく
食べたい
茄子の速度に追いつきたい

ただいまの総菜の在庫
ゆうべつくった黒酢酢豚の残りはユウキが弁当箱に詰めてあらかたなくなり
カレー粉で仕上げたきんぴらが小鉢にすこし
そうだな茄子のメニューといえば
くったり煮て生姜のすりおろし入れるのやら
輪切りもしくはタテ割りにして焼き味噌田楽やら
三センチ角に切って椎茸と鶏むね肉と炒めるのもよく登場するけれど
今夜はメインに使わない
メインはホッケか鯵の干物を焼くことにして
茄子は味噌汁に入れよう
そう
あの味噌汁つくるんだ

ユウキとふたり大阪に移った翌年だったか
地元で人気の日本料理の店でどうしても
ランチを食べてたくて
電話した
ハローワークの帰り道
最後の一席にすべりこめた
最寄駅から徒歩十五分とあったろうか
アーケードの商店街をぬけ国道を渡り高校のフェンスの横を
ずんずん歩いてお腹の隙間がひろがった
窓の大きな打ちっ放しの壁がすっきりした小体な構え
カウンターで供された
お造りも炊き合わせもうっとりする味わいと眺めで
さいごの小さな最中も美味しかったけれど
何より
あのひと椀
焼き茄子の味噌汁
香ばしくてやわらかい
鼻腔の右奥をふるわせたのだったか
どうしてもユウキに食べてほしくて
家でつくってみたのだったが
茄子をどんなふうに焼いたのか思い出せない
三口ガスコンロだったから
フライパンで素焼きにもしたのだったか
トースターで炙ってみたかもしれない
あの
鼻腔の奥がふるえた匂いに届かない
あの
ぎゅっと濃いい味わいに届かない
その年の誕生日だったか
ユウキと店に出かけたけれど
季節が違って味噌椀は茄子ではなかった

あの味噌汁を

午後五時半
野菜室のレジ袋その一をあける
ぎゅうっと引き延ばされたように細長いのと
はじけそうに丸いのを洗う
二口コンロの下グリルの網に並べる
まずは十分くらい焼いてみよう
火力は勝手に調整されるようだから最小でスタート
その間に軒先から取り入れてもらった玉葱を四分割
ざっくざっく大まかに刻んで平底鍋に
血圧数値高めのユウキも気にせず食べられるように
出汁の素から無添加出汁パックに切り替えて一年
濃い目にとって冷蔵してあるのを注ぐ
しめじ半パックをほぐして浄水をまわしかけた時
ブッと低く音がした 
あ コンロの中のほう
もしやとグリルをあけたら あっ
うす黄緑の こ れは
バクハツ事件です
茄子の
――というのは
今日の今日のことではなく
このあいだ二度目に焼いた時のこと
今日は包丁で皮に何本かスリットを入れたから
だいじょうぶ だいじょうぶ
グリルのタイマーを最長の十五分に設定
皮が焦げるまで入念に ね 実がくたっとろっとなるまでね
鍋にしめじと水を加えて蓋を少しずらし火にかける
しまった せっかくなら茄子は
味噌汁のぶんだけじゃなく
ぽん酢と生姜でもりもり食べるぶんも一緒にぎっしり並べて
焼くんだったよ
ピピッ ピピッ
グリルが知らせてくる残り三十秒
ボウルとトングをスタンバイ
グッ ジャラッと引き出すと
網の上に艶消しの焦げ色トングでつかむ
ふにゃっ ぐにゃ 
ボウルで受けて浄水つつっ
ふふ いい匂い
焦げたお尻がわから するっ あつっ
おわっとあふれる湯気が指紋をとかすっ あつっ
ぽろっ崩れる焦げの薄いいちまいのなかに浅みどりの
くたっと汗ばむ実があらわれ
キッチン鋏でヘタを落とし
ぶつっとふたつ 長いほうは三つに分け
まだあつっ 指で裂いては鍋へ すとっ
ぐらっぐら 出汁のなか玉葱は透けて
うん ちょうどいいな 火を止め
冷蔵庫から麦味噌を出した
ああいい塩梅に階段を下りる足おと
ユウキ また焼き茄子の味噌汁しちゃったよ
「いいじゃない 時期なんだから
農家だったら当たり前のことだよ」
そうかな もっといろいろ食べ方があるのに
「美味しければ何でもいいんだよ
食べよう」
出汁の味わいに慣れたユウキは
よその味噌汁の味が濃すぎると言う
「うちの味噌汁の味がいい」と
グリルで十五分
すっかり焦げてくったりした茄子はもちろん
皮ごと輪切りで入れるよりふわっと美味しい
けれど
まだあのランチの味噌汁の香りに
届かない
もっと
もっと長く焼いて焼き目をつければいいのか
何か掛け算する工夫があるのか
そもそも茄子や味噌の出来栄えが違うのか
私のなかの食いしん坊が
むしょうに悔しがって
地団駄を踏んでいる

 

 

 

水のかたち

 

塔島ひろみ

 
 

橋は鮮やかな水色に塗られている。それは空と雪を混ぜたようなきれいな色だ。その下の川にはおそらく本物の水が流れるがこれは水色とは似ても似つかない淀んだ暗い、夜の戦車のような色をしている。川はたっぷりとそんな水をたたえながらダイナミックにここで曲がり左方向に逸れていく。小刻みに水面が揺れている。
川の生命を感じさせるこの曲線はしかし人工のものでかつて川は男が今立つこの場所の後方に広がる総合グランドの位置にあった。
グランドでは少年の野球チームが練習していて横の児童広場では年寄りが1人備え付けの器具を使って体操をしている。肩から黄色いタオルをぶら下げている。
その脇にかつて土手だった道に沿って神社がある。そこは水神ー水波能売神を祀る水神社で「水は万物生成の根源であり一日片時も欠くことのできないものであると共に、この水を飲むと邪気を払って下さる」と塀に神徳が書かれていたが水は男の手の届かないところにあった。整備された護岸から川は遠く男はこの水色でない物体が果たして本当に水であるか手を差し入れて確かめることもできない。公園の水道の蛇口をひねると他の川で採取・浄水された水が出てくる。透き通っているが生あたたかく男はグランド付近をうろちょろして自販機を探しそこで富士山麓のおいしい水を2本買った。
堤防を兼ねてグランドは高台になっている。急坂を斜めに下りていく。角地に壊された2階屋の残骸があった。HITACHIと書かれたオレンジ色の重機が1台コンクリートをくわえたままのショベルを下に向けてかつて家だった場所に乗っかっている。枯れた木の枝や幹が横倒しになって1か所にまとめられ家財らしきものは残っておらずコンクリート片がいくつか散らばっているだけで荒涼としていた。基礎部のコンクリートがそのままのため土も見えない。
そのすぐ横にトラックが1台停まっている。荷台にはパンパンに膨れたうす茶色の袋がいくつも積まれ今にも落ちそうなのを無理に紐でしばっている。袋は特殊加工のプラスチック製で中には壊された家の天井や壁、屋根板なんかが無造作に詰まる。そのすべてがアスベストを含んでいた。
灰色の作業服を着た男がトラックの運転席にすわりアスベスト袋のミニチュアのような色も形もそっくりな物体を手に持ちむしゃむしゃ食べていた。
川の方から下りてきた男はドアを開けてトラックの助手席に上がり座った。中はエアコンがきいていて涼しい。運転席の男に今買ってきた水を渡し自分もキャップをねじって一口飲み袋からうす茶色の物体を取り出し口に運んだ。中にはぬっちゃりとした少し甘いやわらかいものが入っていた。
運転席の男は先に食べ終わると外に出て「あちーー!」と言いながら小便をした。かつて川べりのヨシ原だった場所かつて2階家が建ってた場所今はコンクリートでおおわれただけのその上にサンサン照りつける太陽の下小便は弱弱しい弧を描いてコンクリートのがれきを濡らしちょろちょろの筋になって低い方低い方へ流れていく。
男は助手席でくちゃくちゃ口を動かしながらそれを見ていた。富士山麓の透き通った冷たい水を飲む。男の粉じんだらけの体内で水はただちに戦車のような色に変わる。
おしっこという声がした。
振り向くと後ろの方の席でMが半ズボンから汚い細長いチンチンを引っ張り出し、と思ったらそこから噴水のように小便が飛び出た。
小便はホームランの打球まがいの見事な弧を描きながら男の席を通り越し、ずっと離れた前から2番目の女子のイスの後ろに着陸した。しぶきを浴びながらも驚きのあまりクラス全員が息をのみ、静まり返った4年2組の教室で普段おとなしくて目立たない、やせて不健康に浅黒いMの股間からほとばしり出る金色の、生きもののような水のワンマンショーを見守った。それは数十秒のことだったかもしれないが男には、おそらくMにもクラス全員にとってももっと全然ながい、永遠の時間のように感じられた。
女子のイスの後ろにはこんもりとした水たまりができた。Mは保健室へ行ったきり戻って来ず誰も手をつけようとしないそれは時間とともにつぶれ板張りの床にしみ込んでいき放課後には床の模様としてその存在を示すのみとなったがそのしみを雑巾で拭くように男は「ボス」から命じられた。
男は床に膝をつき濡れ雑巾でしみを拭いた。しみはまだ生々しい水気を含んでいてバケツで雑巾を洗うとムッとアンモニア臭が鼻をつく。「まだだ、まだだぞ」と笑いながら「ボス」は言った。確かに一度拭いただけでは臭い小便のしみはとれない。「リンチ」が恐いから男はまた四つん這いになって犬のように四つん這いになって豚のように四つん這いになってゴシゴシゴシゴシゴシゴシゴシゴシゴシゴシゴシゴシゴシゴシゴシゴシゴシゴシゴシゴシゴシゴシゴシゴシMの小便がしみ込んだ床を雑巾で拭いた。いびつなしみは拭けば拭くほど大きくなっていくようだった。
下着まで汗びっしょりになった。泣いてしまったので顔を上げられず気づくと「ボス」はいなくなっていた。男はバケツの水を誰もいない暗い廊下の水道に流し雑巾を水道の水でじゃぶじゃぶ洗った。水は低い方へ低い方へ流れていって排水溝に飲みこまれた。Mの小便はどこか男の知らないところMも「ボス」も知らないところへ水やゴミと混じって流れていった。
そんなことを思い出しながら男はトラックを下り、運転席の男の皺だらけのチンポコから出た小便が重機なしでは太刀打ちできない頑強なコンクリートに描いたしみを見に行った。その形を、見たいと思った。

 
 

(奥戸2丁目、水神社近くで)

 

 

 

もうケーキを焼かなくていいよ、の夏

 

ヒヨコブタ

 
 

8月の誕生日、その前後の子ども時代の後遺症が体やこころからとびだしてくる
もらえなかったのはものじゃなくて気持ちだった
ほしかったのも、誕生日を喜ぶふつうの親だった
わたしはもう、ひとのぶんもじゅうぶんにケーキを焼いた
誰かが喜ぶのを見たくて
けれども私に焼いてくれる人は現れない

ならばもう焼かないのだ
誕生日はケーキを買ってもらうのだ
ランチも少しだけ豪華に
後遺症を慰める薬にはなるかもしれない

親が祝わなかろうと何もない普通の日と変わらなくてつらかろうと
わたしはそんな子どもたちに伝えるよ
あなたが生きていれば嬉しい

ごちゃごちゃに絡まったただでもややこしい世の中が更に絡み合って息苦しい
心臓が苦しい時もある
さてもうここまでというときまで、
誕生日ケーキをほおばる夏でいい、これからずっと

 

 

 

小さな灯火のお話

 

村岡由梨

 
 

古びた金槌。
この場合、金槌は親の頭を砕くためにある。
切れない安物の包丁。
これは親の全身をメッタ刺しにして、
失血死させるためにある。

殺される準備は、もう出来ている。
子殺しは良くないけれど、
子供が親を殺すのは、仕方がないんじゃない?
だから、誰も娘たちを罰しないでください。
「偽善者!」(声を震わせて)
「うそつき」(蔑むような目で)
「本当はママ、私たちのこと殺したいんでしょ」

家族って何?
「全員死んでくれればいいのに!」
そう言って屈託なく笑う、寝ぼけ眼の17歳と、
「こんなに苦しめるのに、どうして私を産んだの?」と
涙をポロポロこぼす、14歳。
「穢らわしい!」(吐き捨てるように)
「親ぶってるんじゃないよ!」(笑いながら)
そんな本気なのか冗談なのかわからない娘たちの
些細な言葉でいちいち傷つく、面倒くさい母親の私。

池ノ上の踏切内で、幼い女の子二人とその母親が
電車に轢かれるのを見た。
首を綺麗な一直線に切断され、
ゴム人形になった女の子の
巨大に膨れ上がった頭部を抱えた母親が
全身血まみれになって
喉を破くように泣いていた。
私も含めた周囲の人たちは、
声をかけるのでもなく
助けるのでもなく、
ただボーッと
ボーッと見ているだけだった。
所詮他人事に過ぎなかった。

 

このお盆、ふと思い立って、
初めて迎え火と送り火をやった。
ネットで調べながら でも
全く形式に則っていない 適当な迎え火と送り火。
経堂のOdakyu OXで158円のオガラと
おもちゃみたいな作り物のナスときゅうりで作られた
598円の精霊馬を買った。

夜、玄関の外で迎え火を焚いた。
「今、しじみちゃん、お馬に乗ってやってきてるのかな」
しじみは3年前闘病の末に亡くなった猫だ。
痩せてボロボロだったしじみ。
あの時しじみは、自分の死をもって、
バラバラだった私たち家族を
ひとつにしてくれたのだった。

雨がポツポツと降り始めた。
しじみのことを思って泣いた。
泣かずにはいられなかった。
祈らずにはいられなかった。
泣く私を、
娘が「ママ、泣かないの」と笑って
優しく抱いてくれた。
「私が長生きしたいのは、
パパさんやママさんが幸せに死んで行くのを
娘として見届けたいからなんだよ」

愛してるの?嫌いなの?
優しいの?優しくないの?
オガラがパチパチとはぜていた。
そんな真っ暗で小さな世界の、
小さな灯火のお話。