michio sato について

つり人です。 休みの日にはひとりで海にボートで浮かんでいます。 魚はたまに釣れますが、 糸を垂らしているのはもっとわけのわからないものを探しているのです。 ほぼ毎日、さとう三千魚の詩と毎月15日にゲストの作品を掲載します。

おじさんは総理大臣

 

長尾高弘

 
 

総理大臣の一族が総理公邸で忘年会をやってた。
そのときの写真が流出して世の中がもめた。
そんなことをやっていいのか悪いのかって言えば
悪いに決まってる。
でも、その前に言っときたいことがあるんだよな。
総理たるもの、
そんな状況で写真に収まってていいのかよ、
ってことだよ。
写真なんか撮ってなけりゃあ、
得意の減らず口で何とでもごまかせただろうに、
写真が流出したからぐうの音も出やしない。
コンビニのおでんの具材を口に入れて出したアルバイトとか、
回転寿司で寿司や醤油差しをペロペロなめた客とか、
わざわざ動画を公開したからバレたわけだけどさ、
その点ではそういう連中と変わらないのが
このニッポン国の総理とその親族ってことだよ。
誰かがうっかり写真を撮っちゃっても、
決してそれを流出させないってぐらいの常識が
参加者全員にあればまだいいよ。
でも、本当なら禍根のもとはもっと根本のところから取り除いておくべきだろ。
公邸に入るときに全員のスマホとカメラを取り上げろってことだよ。
それができないなら、公邸で宴会なんかするんじゃねえよ。
なのに総理が写真に写っててどうすんだよ。
危機管理ってやつの初歩中の初歩ができてないってものさ。
これはおっそろしいことだよ。
こいつが中国、朝鮮、ロシアに
何かと挑発的な態度を取ってることを考えてみろよ。
ロシアとウクライナの戦争でも、
アメリカの息がかかった遠いウクライナを絶賛大応援して、
北海道のすぐ目の前に領土があるロシアと露骨に対立してるけどさ、
なんで日本は憲法前文に書かれているとおり、
中立を守りますって言えねえんだよ。
アメリカが今度は台湾をネタに中国を叩こうと思ったら、
ウクライナがロシアに領土を取られてるのと同じように、
日本は中国にボコボコにされるんだよ。
二言目には国土防衛だの安全保障だのとわめいて、
社会保障費を削って防衛費を二倍にするんだとか息巻いてるけどさ、
この危機管理の「か」の字も「ん」の字も「り」の字も知らない
「き」の字だけのバカを総理大臣にしといて
安全が保障されんのかよ。
なんで、マスコミがそういうことを言わねえんだよ。
倫理だとか責任感だとかそういうこと以前に、
バカすぎるんだよ。
こんなやつが総理大臣で
枕を高くして寝てられるかってんだよ、べらぼうめ!

 

 

 

ぼくら

 

駿河昌樹

 
 

いつも
はるかな…とか
遠い…とか
言ってたでしょう?
ぼくら?

それでいて
小さなカニとか
アサリとか
たまにはフグの子とか
獲ってばかりいた

あの頃が
いまは
はるかな…とか
遠い…とか
呼ぶべき
かなた

そうして
もう
「ぼくら」
とは言わない

言っても
だれにも届かない

 

 

 

しゅうきょう ***

 

無一物野郎の詩、乃至 無詩! 44     pintarou 様へ

さとう三千魚

 
 

きみは
あさ

って
言った

けど
麻じゃないとも

言った

あさの
花って

わからない

わからないで
祈ることもある

 

 

***memo.

2023年6月4日(日)、静岡駅北口地下広場での即興詩イベント、
「 無一物野郎の詩、乃至 無詩!」第十四回で作った44個めの詩です。

タイトル ”しゅうきょう”
好きな花 ”あさの花”

 

 

 

#poetry #no poetry,no life

Pandemický Pieces

 

工藤冬里

 
 

『tar』、或いはMonster Hunter Orchestra
指揮者にとってのモンスターはオーケストラだがハンターはモンスターの格好をした観客だった
オーケストラにとってのモンスターは観客だが、ハンターは指揮者なのだった
観客にとってのモンスターはハンターの恰好をした指揮者だが、ハンターはオーケストラだった
ハンターとモンスターとの闘いを誰もが担うが勝利できないのはそのためだ

 

『Pandemický Pieces』
去年水上音楽堂でやったパンデミッキーな仕事をそのままピアノで再現してみました
https://stand.fm/episodes/646589f806cfda46b91150f2

 

 
『Helmut Berger, 29 May 1944 – 18 May 2023』
よくDOLL主催のビデオコンサートで観たけどその頃の映像はもう転がってない。
https://youtu.be/xKg87SBFsEs
彼は70年に2本目のB級ドリアン映画に出たのであった。84年のに出ればもっと良かっただろう。
池袋で万引きの師匠だった戦旗派のナカジョーさんは彼にちょっと似ていた。敏子さんを公然と口説くので周りが困っていた。いずれにせよあの曲の前半のように皆半分タイハイしていたのだ。

 

 
『Aaron Boulogne (11 August 1962 – 20 May 2023)』
「ぼくはちいさな騎士なんだから
天にかけて恐れてはいけないって教わった
だから地にかけて父さんに会いに行く」
と解釈してみた
https://stand.fm/episodes/646c7d315dcad4ce4eaf7ee8
 

 
『Invisible Shark (2023)』
コージーがまたサメ映画放出したぞ
https://youtu.be/Eu5wxxzH7Lw

 

新しき枕に替へて寝ねたれば夢見枕と人は言ふなり

 

『Kenneth Anger 3 Feb 1927 – 11 May 2023』
真のデカダンとは?というのが、いまはそうでもないけど、あの頃はテーマだった。わたしだけ?というアルバムのジャケはこれを念頭に置いているとすぐ分かった
馬場に行けばいつでも上映していたのは今考えれば、考えなくても、ハッテン場だった
40年経っても、水は生きている、などと踊っているな
Eaux d’artifice https://youtu.be/yUO6Q9RQPG0

 

 
石垣は三支点を確保しながら積んでいく。佐田岬の緑泥片岩の積み上げはコツウォルズに劣らず見事なものである。隙間に手を翳すと蛇が出るよと脅されたものである。蛇の石垣の下から温泉が出たこともある。僕は石垣にセメンを詰めるのは反対である。隙間を作って生き物のアパートにしてやるべきである。

 

『アートで田んぼ』
https://youtu.be/zjJdRKSKSZM

 

 
すごい雨と言っても
水がすごいのか
音がすごいのか
それは近さなのか
大きさなのか
多さなのか
速さなのか
珍しさなのか
全部なのか
いや
言葉の惰性なのだ
雨なんてすごくない
所詮水の粒だ
粒の水はすごい

 

 
『アル中女の肖像』
冒頭飲むことは生きることで生きることは飲むことみたいなナレーションが流れて金子を思い出しその後は致死量ドーリスのタベアさんの表情を見ているだけで良くて最終的には壁崩壊前の表現としてよく引き合いに出されるHeroesやベルリン天使の詩よりも成功しているのではないかと思えた

 
『フリーク・オルランド』
宝塚を寺山修司が演出して松本俊夫が撮ったようなものだと思った

『タブロイド紙が映したドリアン・グレイ』
ドリアン・グレイというとキム・フォーリーの「ロックンロールのドリアン・グレイ」https://youtu.be/OuXXhTAuxj8が思い浮かび浦島太郎みたいな結末なのかと予想していたがドリアンの部屋の鏡が意図的に銀色に曇らされていて竜宮城だけの映画と知れた

ベルリン三部作まとめ
いかにもドイツっぽいかなしい大道具でファスビンダー組の妹バンド、みたいな先入主を確認する体験だったがただ執拗な男女入れ替わり強迫はオッティンガーだけのものでそれが今観るべき映画として選ばれた大きな理由なのではないか
 

 

こんな時にいやこんな時逆流
https://youtube.com/shorts/8AEITyiPaLo?feature=share

土砂降りに青梅踏みたる硬さ 哉

 

『小説家の映画』
小説家が映画を撮ると映画の人よりも遥かに指示が細かい、というセリフのある홍상수の映画を観て、各トラックごとに音質を決めるのが当たり前と思っていた頃の聖蹟桜ヶ丘のオープンリールのスタジオを思い出した。
「歌うラッパー」的な非常にメタな構造をもっているが、あくまでも小説的な一人称の処理が主題であり、LGBTQをだしに使った恋愛映画ともいえる。

 

水半ば澄んで晴れ間の暑さ 哉

 

雨でミモザが根本から倒れて出入りできなくなったんで土建屋を呼んだところ

 

 

 

#poetry #rock musician