michio sato について

つり人です。 休みの日にはひとりで海にボートで浮かんでいます。 魚はたまに釣れますが、 糸を垂らしているのはもっとわけのわからないものを探しているのです。 ほぼ毎日、さとう三千魚の詩と毎月15日にゲストの作品を掲載します。

ひとと会う **

 

さとう三千魚

 
 

詩を
読みたいのか

詩を書きたいのか

詩に
会いたいのか

どう
なんだろう

猫のいる
本屋で

ひとと会っている

 

** この詩は、
2024年1月31日 水曜日に、書肆「猫に縁側」にて開催された「やさしい詩のつどい」第1回で、参加された皆さんと一緒にさとうが即興で書いた詩です。

 

 

 

#poetry #no poetry,no life

武器を楽器に

 

佐々木 眞

 
 

能登半島地震では、家が潰れ、230人もの死者が出て、遭難者は寒さに凍え、
水や食物もなくて泣いているというのに、おらっちときたら、朝から晩まで、
コーヒーメーカーがコーヒーを抽出しない、と大騒ぎしていた。

ガザでは、悪辣非道なイスラエル軍が、おんなこどもを含むパレスチナ人を、
見境なしに殺しまくっているというのに、
おらっちは、昼ご飯をラーメンにするか、讃岐うどんにするかで、ごっつう悩んでいた。

ウクライナでは、怪僧プーチンが、おんなこどもを含むキーウ市民を、
ミサイルや無人機で、見境なしに殺しまくっているというのに、
おらっちは、川柳がうまくできないので、終日いらだっていた。

でも、
あっちは戦争、こっちは平和
あっちは地獄、こっちは天国

と、簡単には決められなくて、
戦火のさなかにいるひとが、かえって生き甲斐をかんじていたり
いっけん平和のなかにいるひとが、半分死んでいることだって、ありえるのよ。

でも、でも、
おらっちが悪いのか、そっちが悪いか、知らんけど
にんげんが悪いのか、神さんが悪いのか、知らんけど

いくさ、やめないか?
いくさ、もう、もう、やめないか?
いくさ、はよ、はよ、やめてけれ。

ああ、世界中の人々が願っているように、
すべての武器が楽器になればいい。
そうすればおらっち、もっと大きな声で、生きてる喜びなんかを、歌えるのに。

 

 

 

手紙をポストに入れる

 

さとう三千魚

 
 

昨日

詩を
読んでいた

朝から

詩を
読んでいた

尾形亀之助を読んだ

鈴木志郎康さんと
清水哲男さん
松下育男さんを読んだ

亀之助は

“ガラスのよごれ” *
“二人は淋しい” *

と書いていた

“生きのびることが、” **
“生きのびることが、” **

と志郎康さんは
二度くりかえしていた

“暑いなあ” ***
と哲男さんは言っていた

“「助けてくれ」” ****
と育男さんは夢の中で二度叫んだ

どうなんだろう
わたしは夢の中で二度叫ぶだろうか

彼らは低い土地に佇っていた
詩を書いていた

きのうまで
“以無所得故” が *****

わからなかった

風が
吹いてきた

手紙をポストに入れる

 

* 尾形亀之助 詩集「美しい街」より引用しました
** 鈴木志郎康 詩「赤ちゃん」(浜風文庫掲載)より引用しました
  ・赤ちゃん
https://beachwind-lib.net/?p=21235
*** 清水哲男 詩集「換気扇の下の小さな椅子」より引用しました
**** 松下育男 詩集「コーヒーに砂糖は入れない」より引用しました
***** “以無所得故”は、般若心経の一節

 

 

 

#poetry #no poetry,no life

裾野を走る馬

 

工藤冬里

 
 


https://operatingtheatre.bandcamp.com/album/spring-is-coming-with-a-strawberry-in-the-mouth-rapid-eye-movements
随分と昔に音程ではなく音響による即興を考えていたものだ
その後無音による即興に行くわけだけれども
今はDJがそれらを一手に引き受けているが
一人でやる場合は「小さい政府」みたいな勘違いで民営化に加担したりしてはいけないよ
いつだって、ルーじゃないけど、
「リアルタイム、それが問題だ」
平行世界とのリアルタイムが無音室という見立てだったんだな

「ゲルマントのほう」を久しぶりに読んでいたら昔山谷の永山則夫研究会で会った日雇いの爺さんが「日本にはサロンさえない」と嘆息していたのを思い出した。ドレフェス事件を巡る上下左右の言論を活写するようにして事に当たれ、という意味だったのだろう。

終に語り始めたと思ったら
駝鳥のことだった
陸と呼び海と呼んだものの中で
other words,
一日が先に進んで仕舞い
永遠に取り残され続ける
一日遅れ続けている
このまま一日遅れ続ける
頬被りして遅れ続ける
大きな視野から違いを見ていると
裾野の馬が凍っている

銀次の言うように北鮮絡みの工作員に金を渡されていたかどうかだけ知りたい
国単位で考えるところから始めたんで最後は宇宙人とか言い出したんだった
落ち葉がガサゴソと街路を走るセンチメンタルな時代は終わったんだ
あとはにちゃっとした陽光にしがみつけ
月光でにおいは消えない
行をいくらかさっぴいた谷川癌たれ
とおれはおれに思う

reputation risk
虐殺のADHDは
ものをひとつひとつ
洗おうとするが
世界は片付かない
暖房は切ってよい
啓蟄だからね
雛人形のように撫で肩の
汚れ易い生木の母性を擦る
姿勢が良かった
表で考える
石を運ぶ熱意は削がれた
インドから久し振り
濁音で陽が射す
カンビュセスに宿舎
禁令の中赤貝が好きだった
山が平らになった
裾野で栽培したい
今は片付けする時ではないと考え始めた
政情不安が積み重なって
意気揚々としている時に迫害が来た
前に進めない理由は泪ではなかった
確信できたのは尽きない力による
 と言うのですから
大軍
再建を第一にするならサポートする
何よりも大切にした時

1月29日、朝、愛媛新聞の書評欄を見る。「おわりのそこみえ」というタイトルは、岡田利規の「わたしたちに許された特別な時間の終わり」を思い出させる。

 

 

 

#poetry #rock musician

生きている、ふり

 

藤生すゆ葉

 
 

ふくろが飛んだ
宙に舞い上がり 風を泳いで
縁石の補助で一回転
追い風で膨らむ透明の膜は
木に阻まれ形を変える
枝の形に添うように
平らな膜に

遠くにいたグレーの空は
水音と両手を組んで
仲間と共にやってくる
透明の膜には透明の水が集まって
茶色も交わり地面をつくる

小さな長靴が足踏みすると
突然始まる 3小節のワルツ
埋もれた膜を知らせるように
日が沈んで陽が昇る
手を振るように会う風は
逆さの景色を空に問う

あたたかな手が触れ
知らない膜に入り込む
隣の枝がトンネルをつくる
遠くを繋ぐその道を
透明の膜は知っている
その景色は今しか出会えないことを

流れるままに 在るままに

花びらの入ったふくろが
舞い上がる
一つの花のように
息をするふりをして

 

————–
自由に受け取っていただけますと幸いです。
ふと道に落ちていた透明の袋、網膜、生命の膜、
3視点をくっつけたり離したりして書きました。

追伸
空からの景色はどうですか?

 

 

 

新しい診察科目

 

ヒヨコブタ

 
 

思えば昔から頻脈だった。
スポーツ少年団では長距離を走ったあと、脈を測るのだが、しばらく経っても脈がはやく、コーチに走り込みが足りないと叱られては
苦しいなと思っていた。
走るのが好きで、誰も見ていないところでも走り込んだりしていたが脈が戻ることはなかったのだ。
よくわからぬまま時折心臓の痛みを感じながら大人になり
せんだって、叔母を心臓の病で亡くした。
どうにもこれは頻脈だけではないだろうと
病院に。
血圧が高いですね。脈もはやい。
医師はとても優しいのだが気分はよくない。
血圧が高いのは予期していなかった。
それぞれが都合し合って生きているのだから、となんとなく自分をなぐさめて
帰宅する前に血圧計を買う。
この年でまさか血圧計のお世話になるとは、と医師にもらった血圧手帳を眺めながら
毎朝毎夜血圧計とにらめっこなのだ。
なんとも情けなく血圧は高く脈もはやいまま。
まだまだ始めたばかり、力をそっと抜いて
腕を通してしっかり布を巻きつける。