広瀬 勉
#photograph #photographer #concrete block wall
強くなりたいと
思うときがある
こころの芯のぶぶんで
猫が破り散らした障子をはりかえていたら
母にされた嫌なことが次々と思い出されてしまった
なにくそとのりを剥がすのだが
一度よみがえった悲しさが
蓋を開けたのか次々と
のりをごりごりむしりとる
なにくそと黙々作業をする
母にはその記憶はないらしい
腹が立ってくる
なにくそとその度に手を動かす
わたしを産んだそのときに
彼女にはつらいことがあったらしい
だからってとごりごりむしりとる
剥がした障子紙を破る
夕暮れも同じときがある
とても美しいその時刻
外に出されて不安だったこと
なぜ怒りをかったのかわからず
さみしさと不安との戦いだったこと
見かねた近所のおばあちゃんに
部屋に招かれるとき
あとでさらに怒られることに怯えながら
緑茶をゆっくり飲んだ
静かにそのひとの暮らしを覗く
そのおばあちゃんが好きだったチョコレートを
時々もとめる
一口ずつ頬張る彼女は
もうこの世にはいないのだけれど
たまにしか帰ってこないその人の息子家族を母は
親不孝だといった
冷たいと
けれどもそのひとたちは
とても優しいひとたちだった
静かでガミガミなにかをいうような人でもなく
個人タクシーの車をみがくおじいちゃんは
もっと穏やかで
ずっと傍で眺めているとニコニコして話しかけてくれる
こどもじだいには
そんな大人たちに観察されては
わたしも彼らを思っていた
大人のいう評価とことなる思いを持っていた
夕暮れの美しさとこころぼそさには
温もりもある
さみしいところにつれていかないで
わたしはこころのなかでいまも時々唱える
美しさのなかのさみしさ
9月21日―9月26日
悪意の朝食の席でしんじつの時計と日月星座表をバラした破片の歯車をプレートに積み上げてみせただけの
https://twitter.com/TiffanyAndCo/status/1426023962857803780?s=20
今井は僕の捨てた半分を活性化させようとした。彼のパフォーマンスはすべて繰り返さずに切られるべきで、それによって虚無があるいは押さえ込まれただろう
脅しと自虐が入り混じった
https://twitter.com/TiffanyAndCo/status/1426024405772029952?s=20



https://twitter.com/TiffanyAndCo/status/1426022919465967618?s=20
振り返ってヘーゲルをばかにすることができるのは、当のヘーゲルによって植え付けられた、歴史は進歩するという感覚によってなのである それは例の虐待のループに似ている
台湾のコマツナギはインディゴになるがこれはならない
でも揉むと指先がみどりに染まる

the ザッソウと呼びたくなる食べられないひょろっとした北米原産ヒメムカシヨモギは鉄道に沿って世界中に広がり原爆の広島ではしょうがなく団子にして食べた

9月23日
嘔吐バックスで老いる交換
街の灯りも月も同じだ
加工画像と言い切った

星雲・星団bot
フランツ君ご明察
レジェンド自演はある意味ジ・エンド
https://twitter.com/franzkafkabot/status/1440779012653993984?s=20
正しい人も正しくない人も、病気でも,貧しくても,年を取っていても、
伊予病院は景観条例的にはショッキングピンクのジャンボタニシくらいアウトである
ジョイフルがヒカルに縋ったのは東鳩が中田呼んだ頃とは明らかにちがう世界線だ
昔勤めていた府中の会社では蹴るとか胸ぐら掴むとか当たり前で、世の中の奴なんてそんなものだと思っていた ドライブ・マイ・カーで「パワハラになるわよ」というセリフがあり、TV的な温度に潜り込むだけではなく押し上げて台風消滅、みたいな前線を感じたが、それと似ている
鉄板でオーバーイージーとトーストを焼くダイナーがあれば通うし旧松葉や角打ち並の捌きの出来るギャルソンのオープンカフェなら座る
などと言いながらファミレスとユーチューバーのコラボメニューをひっくり返している←イマココ
内側に棘を探して
橋を探して
増水の
足が水に触れると
初めて遥か上流で止まった
遥か上流で
足を水に入れる勇気があるか
孤独な蜜蜂が貧弱なイネ科の花とは呼べない花の周りで仕事している
寒くはないが風を避けて体の横に流す
波風立てずに生きてきた
背骨の問題だ
成り行きに任せてはいけない
遠ざけないようにして
ひたすら触りたい海月
座り直して
風を避(よ)けて
zoomに映る私達
苦手な趣味に付き合って
歌を散文に
頭が男の女
ヨルダンの急流
今井の最期の楽譜群にover the rainbowの書きかけが歌詞付きでちらと見えてあ、と思った
今は虹を渡って裏側に行けるらしいから
あとgoodmanでは伊牟田のkazooで虹の鰹節というのをやっていたことがあって
虹は
上の水が減って下の水が凍ったのであれば
虹は
架け橋
渡れぬ川を渡る
渡った地点の30キロ上流に粘土質のテル・エ・ダーミエは在る
そこで青銅の鋳造が行われたのはそのためである
粘土
虹
ヨルダンの上流と下流に人類は二分される
9月24日
https://twitter.com/_YukioHakagawa/status/1441056264570621963?s=20
似た欲望が噴出する個所は面皰に似ている。断食が有効なのはそのためだ。
https://twitter.com/looking_awry_/status/1441162527644139535?s=20
だから食べ過ぎはやめとけってフランツ君。シュタイナーに会った時行成り玉子を食べてはいけませんと言われたぢやろ
https://twitter.com/franzkafkabot/status/1441156502530629637?s=20
恒大集団地価暴落リスト軽井沢に軽い騒めき
Ocúpense de sus propios asuntos
9月24日
ダルそうな山鳩君
https://twitter.com/_YukioHakagawa/status/1441318508067835907?s=20
9月25日
意訳意訳でここまで来たか筑後国から目眩く
僕のコロナ対策ですが、ardbegのスキットルを携帯していて痛くなってきたら喉で飲みます
https://youtube.com/shorts/aT2naWVF3BY?feature=share
多和さんの石の作品「風景ーレベル」、水平面が乱れてきています

三好さんのSIX TEEN FLAG、右下隅に一つだけ消えたはためきがあります

池の端から光体を見る
永遠にこのままだったらどうなんだろう
ふらつきながら階段を下りる
永遠にこのままだったらどうなんですか
真っ二つに割れている
永遠にこのままだったらどうなんだろう
永遠にこのままだったらどうなんだろう
永遠にこのままだったらどうなんだろう
どうにもならない
このままだったら
#poetry #rock musician
沼に差し掛かると
そこへ入るのだった
抜き身は
紫の波紋濡れ
悔いを落とす
月影は伸び
這うように後退りしたのだった
茅で傷だらけになり
黄色い目でマンセー
岸辺ではなく
丸みから肌を知る
時と月(突起と突き)
殺後
笑う
ここのところ絶句している。
ほとんど、
絶句している。
朝には窓を開けて西の山を見ている。
昨日の朝も、
窓を開けて西の山を見ていた。
絶句している。
6月の終わりに桑原正彦の死の知らせを聞いてから何も手につかない。
桑原とはこの疫病が終わったら神田の鶴亀でまた飲もうと思っていた。飲もうと約束もしていた。
もうあのはにかんで笑う桑原と会って話すことができない。
絶句している。
昨日の朝も、
窓を開けて西の山を見ていた。
それから松下育男さんの詩「遠賀川」と「六郷川」という詩を読んだ。
それらの詩は「コーヒーに砂糖は入れない」という今年18年ぶりに出版された松下育男さんの新しい詩集に入っていた。
それらの詩をわたしは既に読んでいてどこかわたしの川底のようなところに沈んでいたのだろう。
松下さんの詩は川底のような場所から語られた声だったろう。
そして、
窓の遠くに見えていた青緑の西の山に滝が流れ落ちるのが見えた。
幻影だった。
松下さんの詩を読んだことによる幻影だったのだと思う。
空0多摩川は下流になると六郷川と名を変えた
空0私が育ったのは六郷川のほとり
空0川は私たちの生活のすみずみを流れていた
空0日本人のふりをしていたが
空0私たちは実のところ川の人だった *
そう、松下育男さんは「六郷川」という詩で書いている。
わたしも川のほとり、雄物川という川の近くで生まれて育った。
子どものころ、
ただ、川を見に行くことがあった。
釣りをする人たちを後ろから見ていた。
夏休みには川で遊んでいた。
川に潜って川底を泳ぐ魚たちを横から見ていた。
川の人は魚の言葉がわかる人たちだろう。
声を出して話さないが魚たちにも言葉があるだろう。
西の山に真っ直ぐに落下する白い滝を見てわかったような気になった。
水は上から下に落ちるのだ。
それで川になる。
川は流れて海になる。
それからいつか海は空にひらかれる。
当たり前のことだ。そんなことが腑に落ちた気がした。
今日は日曜日だった。
雨の音がした。
朝から雨が降っていた。
西の山は灰色に霞んで頂は白い雲に隠れていた。
午後に雨はあがった。
姉から秋田こまちの新米が届いた。
高橋アキの弾く「Cheep Imitation」を聴いていた。
「Cheep Imitation」はサティの「ソクラテス」を題材としてジョン・ケージによって作曲されたという。
それはケージがサティに捧げた音たちだったろう。
そこに言葉はなかった。
そこに小さな光が見えた。
呆れてものも言えないが言わないわけにはいかないと思えてきた。
作画解説 さとう三千魚
* 松下育男 新詩集「コーヒーに砂糖は入れない」(思潮社)から引用させていただきました
9年目ともなれば
家の中には
あるある、が
あるある
夕ご飯の後
食器を洗い終わったら
背後
ぬっと立ってた
結婚9年目のミヤミヤ
「かずとん、洗い終わってスポンジの水切らないよね。
お風呂掃除の時もそうだよ。
いっつもあたしが気づいて絞ってるの。
スポンジの水切らないのって
かずとんあるあるの1つだよね。
かずとんあるある
かずとんあるある」
9年目の重みがこもった声だ
「あー、悪かった、悪かった。
すぐきれいにするからさ。
今度から気をつけるよ」
9年目のミヤミヤは
黙って
ぷいっ
2階に上がってしまった、よ
で、ですね
お風呂入る前にメールチェックしたら
おや、ミヤミヤからだ
「かずとんあるある、以下よろしく。
○スポンジの水気を切らない(細菌が繁殖する)
○マヨネーズやドレッシングの瓶は少しでも残っていると捨てられない(これらは構造上1滴も残さず使い切るのは無理なので、結果としていつまでも捨てられない)
○洋服は切れるまで買い替えない(ヨレヨレとか流行遅れという理由で買い換えることはない)(今の服は丈夫なので言われなければおじいちゃんになるまで着る)
○習慣になるまでは100回以上言わねばならないが、習慣になったものを辞めさせるのも100回以上言わなければならない。
○自分の分担の家事は真面目にこなすが、そこまで清潔好きという訳でないので、詰めが甘い。また、どうしてそう言われたか・家事の原理まで考えていないので、応用が利かない。
○炒めものには玉ねぎを多用。酢を少量加えるのがポイントとか。
○お財布は古いレシートや使わないポイントカードが一般で風水的にも良くないとよく注意されている。
○カバンに読むのかわからない本やバラけたホチキスの針など入っていて重く、毎日整理しろと注意されている」
胸、ドッキドッキ
これは問題
9年目の大問題だ
1つ1つ吟味してみましょう
スポンジ問題
食器洗い終わって、次、次
テーブル拭かなきゃっ
食器洗って→スポンジ絞って→テーブル拭いて
あっ、中間項が弱いか
ぎゅっとじゃなかったか
弱い中間項から細菌が繁殖し続けてたってわけか
絞ってることは絞ってるんだよぉ?
底にちょびっと残ってる問題
構造なんだよねぇ
最後まで使わないともったいないでしょ
まだ底に幾らか残ってる
まだちょびっと、まだちょびっと
永遠に減らないけどさ
ぼくのせいじゃないよ、構造のせいでしょ
洋服買い替えない問題
ほつれたって擦り切れたって
まだ着れるじゃん
流行遅れでも
気にしなきゃいいじゃん
20代で買った青いシャツ
襟に汗の染みついたまま
70代になっても元気に着るぞぉ、お店とかにも入っちゃうぞぉ
100回以上問題
1回でも100回でも
ぶっちゃけそんなに変わんないだよね
覚えてればやるよ
覚えてなければそもそもできないよ
詰めが甘い問題
家事の原理
かずとんには難しいよ
理解できれてればやるよ
理解できてなければそもそもできないよ
玉ねぎ問題
玉ねぎ好きだもん
ついでにお酢も大好き
古いレシート問題
ああ、これね
これは確かに良くないね
うんうん、良くない
けどさぁ
捨てるって作業、意外につらいんだよなぁ
捨てるって否定することでしょ?
否定って基本つらいでしょ?
カバンに読むのかわからない本問題
読んでることは読んでるんだよ
ちょっと読んでは
他に面白そうな本があれば
それも読む
その繰り返しの波がたまらなく快いんだけど
読み終わらない本たちが代わる代わるカバンの中で
起きたり眠ったりしてる様子が
たまらなくかわいいんだけど
あ、ホッチキスは片づけた、ごめんなさい
かずとんはさ
ただハイハイッて表面的に実行するだけで
あたしの言うことを
「心」で聞いてないって
言われたことあった
反省したさ
でもミヤミヤの思想はかずとんには深遠すぎるのさ
かずとんがやっと1歩進むうちに
ミヤミヤは100歩先に進んでしまう
「カズトさん、カズトさん」と呼ばれていたのが
ある時、「かずとん」に変わって、その瞬間から
あるあるとの共存が始まった
さ、これからお風呂沸かすけど
その前に洗面台きれいにしておこう
昨夜言われたもんな
洗面台いつもあたしがきれいにしてるのにかずとん気づかないって
ちゃんと気づいてますよ
「心」で聞いてますよ
でも明日もできるかはわからないですよ
かずとんあるある
9年目を走れ、走れ、走れ!