michio sato について

つり人です。 休みの日にはひとりで海にボートで浮かんでいます。 魚はたまに釣れますが、 糸を垂らしているのはもっとわけのわからないものを探しているのです。 ほぼ毎日、さとう三千魚の詩と毎月15日にゲストの作品を掲載します。

この夏に、きこえる

 

ヒヨコブタ

 
 

夏祭りのお囃子が
空耳のようにきこえてくるのは
こどもじだいのすりこみか

故郷は遠く、盆踊りも遠い昔になった今でも
歌える歌がきこえてくる
海沿いのとても短い夏に
浴衣を着せてもらってなれない下駄をはく
恥ずかしくて輪のなかに入れないわたしを
大人たちが誘う

そのうちに夢中になって踊る
さいしょは忘れていたような振り付けも
真似しているうちに思い出して
手拍子が揃うと嬉しくて

確かなわたしの記憶が
そこにつれていく

このはやり病のなかでは
それさえこどもたちには届かないのか
大人の無茶で理不尽な混乱を
堪えているのか

願ってやまないのは
こどもらの記憶に
少しの糧が残ること
下駄を脱いだあとの足の裏の違和感を覚えている
かつてのこどもが
この夏の少しの記憶を
いまのこどもたちひとりひとりに
楽しかったと残ること

これもまた大人の無茶な要求だろうと
百も千も承知のうえで
口ずさむ
盆踊りの歌を

 

 

 

夢素描 16

 

西島一洋

 
 

部屋

 

十九歳から五年ほど、木造モルタルアパートの二階に住んでいた。六畳一部屋で、西側の窓の突き出しが、洗面台というか流し台というか、ガスコンロも置ける台になっている。一畳ほどの押し入れもある。南側にも窓がある。陽当たりは良い。一ヶ月の家賃は確か七千円だった。

南の窓の下は、飯田街道で、車だけでなく人の通りも多い。窓の正面はアイスキャンディー屋だ。売ってはいるが、主に菓子屋向けのアイスキャンディー製造所だ。そして、そこは三叉路でもあり、名古屋の市バスの停留所が往復で四つもある。つまり、窓下はバス停、とても交通の便が良いということだ。

部屋の真下の一階は饅頭屋だったが、息子の代になって途中で洋菓子店になった。洋菓子店になった時はびっくりした。通っていた美術研究所から夜に帰ると、南の窓がオレンジ色のテントで覆われている。スチールの骨組みに張った本格的なビニールテントである。もちろん、洋菓子店の店名のロゴも描いてある。朝になると、悲惨だった。部屋の中がオレンジ色なのだ。もちろんすぐに取り外してもらった。

西側の窓の下は路地というか狭い通路になっている。この通路の奥には、別棟のやはり木造モルタルのアパートがある。ここも人の出入りは多い。この路地を挟んで三階建ての鉄筋コンクリートの建物がある。美容院だ。一階が駐車場で、二階が美容室になっていて、三階は店の主人と家族、それから住み込みの若い女性従業員数人が住んでいる。西の窓と美容室の窓とは対面で、僕の部屋からは美容室の中がすっかり見えた。

深夜のある時、覗くつもりでもなく、ふと見ると、若い女性従業員が淡い黄色のネグリジェ姿で鏡に向かって髪を研いでいる。しかも、衣服に落ちた毛を払おうとしたのか、裾をまくし上げ、下半身が露わになった。僕は慌てて、部屋の電球を消した。

東隣の男性の部屋からは深夜、麻雀の音がする。北隣の女性の部屋からは男女のまぐあいの声がする。そして、床下からの洋菓子店のバニラの匂いが部屋を充満している。

ベッドは自作だった。1センチ厚のベニア板で造った。とこ下は、収納スペースだった。寝れれば良いので、市販のベットより幅はぐんと狭い。そのかわりと言ってはなんだが長さは充分にある。このベッドの上に敷く布団は、古い布団をはさみでジョキジョキ切って、縫って繕った。可動式の簡単な手すりもつけ、ベットから落ちないように工夫もした。

このベッドはそのまま飛ぶこともできた。寝たまま、宙空に浮かび、飛び交うことができた。

寝っ転がった状態で、足元の向こうが、ドアだ。このドアには、小さなガラスがはまっている。20センチ✖️30センチくらいの縦型長方形。すりガラスではないけれど、ギザギザのガラス。このガラスには、女性を僕が描いた肖像が貼ってあった。その女性とは現在の妻である。

どっと、今に跳ぶ。

寝っ転がって、目を瞑る。
そうして、あの部屋の、あの、空間感を、イメージしてみる。
そうすると、あの、出窓の台所も、ドアの向こうの黒光りした短い廊下も、ボロボロとあちこちが落ちてくる土壁も、南側窓下の群衆の強烈な労働歌も、畳、そういえば、鏡、自画像を描くために壁に取り付けた大きな鏡板、1メートル✖️2メートルくらい、大枚をはたいて買った、西側の窓が部屋の内側に突然倒れた、ガスコンロに長いホースをつけて、部屋の中央で焼肉中、びっくり、布団の下に、一万円札を何枚も並べてはさんで、ちり紙交換で、最初の月は二十万円、次の月は三十万円、古新聞紙、1キロ三十円した時だった、それにしても、バニラの匂いはきついなあ、麻雀の音も一声かけてくれればいいのに、あーうるさい、うるさい、まぐあいの声はしょうがない、それにしても、こっから、飛べるのかしらん、よし、飛ぼう、で、というか、このベッドだと、簡単に宙空に浮かぶ、そして、天空に、スイ、スイーッと、…。

そんなところかな。

入子状という言葉の意味を知らない。
知ろうとも思わない。

奥に、もう一つの部屋があって、その部屋はやけに広い。
というか、その部屋の向こうに、さらにもう一つ部屋があって、その部屋は押し入れのように狭いし、ベニア板でかこまれていて、極めて殺風景なのだが、そこに寄り添うことにする。

なぜか、暖かい。
ただ、光はない。

 

 

 

モコといる

 

さとう三千魚

 
 

朝になる

窓を開けて
西の山を見ている

西の山は灰色の薄い空の下にいる

青くいる

蝉が
いる

蝉が鳴いている

モコが足下にいる

暑いからか

朝早く
ベッドで

モコは起きてしまう

わたしの部屋についてきて

机の
足下にいる

抱きあげて
膝の上にのせる

モコ
呼吸してる

モコ
あたたかい

モコの鼓動がわかる

桑原正彦は逝ってしまった

わたし
モコと

女の

傍らにいる
なにも残されないところにいる

無いものの
隣りに

いる

わたしを立てている

 

 

 

#poetry #no poetry,no life

ナガコガネグモのナガコさん

 

工藤冬里

 
 

7月20日
あたまいたい
いたいまたあ
たいいあまた
あまいいたた
たたいまあい
いまあいたた
ただあいまい
あまたたいた
あたまたいた
たいたまたあ
あいたたいま
あいたまいた
あいまたいた
あたいたいま
まいたいたあ
あたまいいた
まあいいたた
あたいたまい
いまたいたあ
いたいあまた
たまあいたい

安心しろ、エヴァン爺は正しい。何故なら苗字がバードと同じだからだ。思えばジャズも拡散と分断の二方向だった。汎に対するパン(デミック)のいじめだ。小山田近田などと騒いでいる場合ではない

hay un amigo que se apega más que un hermano

黄金律を現代風に変えたものとして、ジョン・ロールズは、自分がその状況に置かれているかどうかを前もって知らない限り、誰もその状況を変えないという仮想的状況が、公平であると提唱している。
ほとんどのことは、事後にかいつまんだものだある。
理知的に考える能力よりもクオリアを主観的に経験する能力の方が重要である
生命とは自らのゴミ屋敷化を加速させる現象である
おもな商品は情報である
問題となるのは絶滅するかどうかではなくどのようにして絶滅するかということになる

雲の見える夜

7月21日

生き残ることを考えて気候デストピア主義本を著すならその必要はない。生き残らないからだ。

今日も浮き上がって運ばれてゆく
https://youtu.be/6nOC13XuOsQ

https://youtu.be/fGx7nrjn0ic
https://youtu.be/ALClUDTFSWw

7月22日
車の助手席に蜘蛛が巣を張っている

7月23日
今日の乗り切り方は卑怯だった
それしか今日を生き残れなかった
本を書くようにして乗り切ったのだ
五輪もサーフィンなのかもしれない
月はあと一日の歪

Los planes del que es trabajador tendrán buenos resultados

部屋が脳
部屋の外で仕事する
バイパスしかない

何か餌をやらなければならないと思い窓を開けている

ナガコガネグモ、かなあ

アレチノギクは病気になり剣は錆びた
https://youtu.be/wKLsUSWnfzY

マトリックス下でチャンスオペレーションは滅び、「窯に任せて」は廃れる。しかし、シンギュラリティーや引き寄せは撲滅させられる。残るのは「たまたまや」という微笑のみでありたい。

人々は変化できる

私が彼らの悪全てを覚えているということを,彼らは考えもしない
今,彼らは自分の行いに取り囲まれている
彼らは私の顔の真ん前にいる (hosea7:2)

平行世界を生きている

7月24日
上のドローンと下のドローンを入れ替えて
下で空爆上でソルフェージュ周波数
タイトルはmegomego

ガロとジャンプを入れ替えて
以下略

避難都市から引き摺り出されて
バビロンから遠く離れて
新しいセミの軍団
ワクチンに罹ってコロナ打たれて

ドローンごっこをする若いアケビ

今朝見ると、ナガコさんはいなくなっていました。早々と見切りをつけていい日旅立ちをされたようです

7月24日
confusionは墓碑銘ではなく目的であった
分断は嘆かわしい現実ではなく意図された手法であった
敗北とは対立に絡め取られることであり
対立することではない

7月25日

すべての山に登れ
https://twitter.com/suzukimikikosun/status/1416273458229440515?s=20
そういえば学校に登るて言いますもんね

オーストラリアに人間の都合で輸入されたラクダや馬やロバは、車の普及によって用済みとなり野生化し、土地を酷使する牧畜業にとって脅威となるので間引きされています。なぜ間引かなくてはならないのか、と心優しい人間は自問し、管理することの非情さを憎み、刈り取ることを放棄して、神を呪います。
https://twitter.com/uchugohan28/status/1418869232843034631?s=20

松屋のカレー皿が気に入って、それしか作る気がしない。駅前カレーライスの雛型である。チェーン店のプラスチック食器は料理史に則っているので概ねすばらしい。と思う。それらをコピーすればたいへんなものになる。筈だ。

萩原朔太郎
『ワクチン』

その菊は醋え、
その菊はいたみしたたる、
あはれあれ霜つきはじめ、
わがぷらちなの手はしなへ、
するどく指をとがらして、
菊をつまむとねがふより、
その菊をばつむことなかれとて、
かがやく天の一方に、
菊は病み、
饐えたる菊はいたみたる。
https://youtu.be/Ailsy0rf9BI

弱くなる
生い立ちで全てが決まるわけではないが
薪が湿っている
灰になったぜ
pslm119:99
声は後ろから
夢を持ち続けなさいと言われ続けるが
愛の火を燃やすほうが先だ
https://youtu.be/e321fon0D9M

ひきこもりの男の予約した野枝の本を積んだまま
暑い

https://youtu.be/45jK-4OXn0M

紫陽花は王冠のように枯れていくが
カジノキは紋章のように栄えている


 

 

 

#poetry #rock musician