広瀬 勉
#photograph #photographer #concrete block wall
アニソンを通してしか真理を語ることが出来ないのでアキシュの王を騙す
格上シャンベルタン対密造ビオのような敗戦が繰り越されている
名前を見てから花を見るのと、花を見てから名前を見るのとどう違うか比べながら歩いた
どうも言葉が先らしい
脳は誰だか分からぬまま一枚づつ着せられて何処に戻るか
薔薇は花ではない
ヴィブラートが滅びを跨いでいる
怯えたヴィブラートは無駄な信仰
石の上の奇矯な行動によって認められる
娼婦の行動も記念として垂れ下がった
個人の墓から思いの中に取り出して
さらに餅をください
生来の意欲の前段階をimmnotherapyで強めてください
中間色の版画家の石の色した物語りの中で
家族は
民族浄化の決定がなされてからエステに意味を付与するしきたりが始まった
王にもフィッシング・メールを送ったので
教授の講義のテーマが変わった
仮面の内側の大三島は
ビールだけではない
royce’は信じない
負けない
親しくならない
死ななくていいので地上の体の各部を殺せば
プレス機で押し潰される前に弁当箱を救う
トイレで平手打ち
あゝ無理なことではないんだ
石化した盾型の白や青ざめた孔版画のヴァージョン
無理だと分かるには時間がかかる
毎日が宴会
限界だが離れたくはない
新しい人形の筋膜注射
音声案内のAI嬢にG.I.joe
思い出グラスシャンベルタン
東西南北ではなく上下内外を見る
今は木はみどりではなく黄色
石手川のほとりで枯れなかった
嘘をつくことだけ不可能
形式を遡る
踵を砕くとはもう地上でサンダルを履くことはないから
見えるものは張りぼてなので
ものづくりに価値はなかった
時間は水とは違って溜めることができない
午後の秋
のいろどり
従順な行動を伴っている千人に一人
の花
#poetry #rock musician
Suis-je amoureux ?
―Oui, puisque j’attends.
Roland Barthes
〈Fragments d’un discours amoureux〉 1977
雨がうつくしい
たぶん
迷子になったまま
歩いて
あるか
なきかの
こころの
花ばな
つよくはない
やさしく降る雨に
打たして
歩いて
やわらかい葉が
もう
いっぱい出ていて
雨に打たれて
わたしも花ばな
あるか
なきかの
こころの
花ばな
逝ってしまったひと
逝くひと
はじめから
いなかったひと
雨に打たれて
花ばな
夜ですから
くらい
くらい
もっとくらいところへ
行こう
歩いて
こころの
花ばな
《わたしは愛しているのか?
―そう、
わたしは待っているのだから》*
*ロラン・バルト『恋愛のディスクール・断章』(1977)
Roland Barthes 〈Fragments d’un discours amoureux〉, Seuil, 1977
茶碗蒸し、て、みた
いつもしきりに食べたいああ食べたいと
唱えるほどではない
けれど好きなのだった淡いあじわいの ぷるる
と言ってすぐ食べに行ける先も思い当たらないのなら
つくるのが早い
と思えるくらいに少ぅしずつ
つくることに慣れてきた
ちょっとくやしいけれどつれあいユウキの作戦に落ちた気がする
「男でも女でも生きていく上で何でもじぶんでできれば
困ることがないよ」
って たしかにね でも
蒸し器もあるのに仕舞いっぱなし
なぜだろう 毎日使うフライパンや片手鍋が気楽
っていうのは言い訳でたぶん
じっさい出して使ってみれば同じくらい
気楽で便利なんだろうな
新聞の小冊子や日曜版の
カラー写真つきレシピにそそられるとスイッチが入る
つくったことはなくても食べたことのあるものはなおさら
なになにフライパンに水張ってつくれちゃうの
蒸し器出さなくてもいいのなら一段と楽
茶碗蒸し、て、みた
蓋つきの器はあったはずが見当たらなかったから
百均でありあわせの白いのふたつ
新聞紙に包んでエコバッグの底へ
あれは勤め先が大手町、お濠端に移り
にょっきにょっき高さを競うオフィスビル林立するのを逃れて
大通り隔てた隣に
小さなビルや路地の多い内神田という町があるのを知ったころ
ふるびた長崎料理店をみつけた
ランチメニューのちゃんぽんや特別定食という文字と並んで
茶碗蒸し定食七百円
ちゃ ちゃわんむしですか
釘づけになったのだった食べてみた
小ぶりのどんぶりに満ちみちる
なるとだったか鶏肉に椎茸
海老も入っていたはず ああ
ゆるいめの出汁がにじみ出すクリーム色の
卵の生地 たぷったぷぐじゃあ
ふうふう冷ましながらうずめる匙をあふれる
たぷっふるっぐじゃあっ
出汁のいってきまで平らげたっけ
いったい卵いくつぶんだったろう
そういえば
タルトやミルフィーユ、シュー皮にずっしりつまったカスタードクリーム
だいこうぶつ
出汁巻き玉子にスクランブルドエッグにプリン
つまるところ卵ものが好きってことなのかな
茶碗蒸し、て、みた
その夜何度めかの
茶碗蒸し、蒸してみた
雛の節句にさむい雨いえ雪まじり
前の日もその日も出かけそびれて身もこころも屈託
日脚は日々のびているのに雲が低いと
暮れるのもなんだかはやい
紙箱にねむる小さな陶人形のお雛さまも飾りそびれ
玄関に生けた桃のはなびらかじかんでいる
ちらし寿司はハードルが高いけれどせめて
蛤のお吸い物くらいつくってみたいなと
去年みつけたレシピもファイルの紙束に埋もれたまま
せめて せめてもと
畑でとれて冷凍してあった黒枝豆を茹でて剝くむく
おおつぶの黒いうすかわやぶるなかから
あさみどり
地物の椎茸四つ割りボイル済みの小海老も
ふたつの器におさめ
卵ひとつに出汁一二〇ミリリットル
醤油とみりん小さじ一杯ずつ加えてざるで漉っすっ
のだけれど
らっらんぱくううっとスプーンにも菜ばしの先にもあらがい
ざるっううっの目をとおっらなぁいいっ
ああぁっ
ごぞごぞティースプーンでこするざるの
金属のあまいにおい
うっぐうっぐ
初めてつくったとき何げなく茶こしで漉したらぜんぜん通らなかった
ううっぐんっぐ はあ
すこし白いものがのこるけどこのくらいでいいや
そそぎ分けて蓋 あ フライパン
水は張ったまままだ沸かしてなかったよ
ぐつりぶくりぐらりぼこっ
あわのさなかへ並べて中身の半分の湯量でって
蓋したままじゃ置けないから外し
ぐらっ あつっ 並べてからかぶせて
湯気よけのキッチンペーパー畳んでのせフライパンの蓋
弱火にして十五分 タイマーをセットしてスタートし忘れることもしばしば
ああもうこんな時間
出すのずいぶん遅くなるな
百均でみつけた器は小さく
レシピどおりの量だと卵液が余るので
三分の二に減らし醤油とみりんも半量にしたらちょうどいい
濡れてあつあつなのをまた蓋を外し
落とさないように救いだしてぬぐって蓋
冷めないうちに食べたいなあ
と思っていたのに
雛の節句
さむくて身もこころも屈託
仕事帰りのつれあいユウキはバスタブに湯を張ると着替えをとりに二階へ上がる
その
すれ違いざま
なにか
なにを言ったのだったかわたし
なんと応えたのだったかユウキ
「きみの声は小さくてよく聞こえないんだよ」
ということもあったから
聞こえなくていらだったのだったか
うつむく気持ちが身体のふちをあふれて
せきあげる
声をのみ玄関わきの部屋でダウンコートと帽子
次の日からふたりで出かけるので着替えを入れてあったリュック
大きな傘と手袋も手に引き戸をあける
降っている 斜めに
みぞれまじりだ
斜めがけサコッシュには懐中電灯も入っている
鍵をかける
四方が山の町は街灯もまばら
田畑広がる集落は大通りまで真の闇
懐中電灯のちいさな明るみを差し出しさしだし
歩く
きのう家の中の急階段を踏み外して尻餅をついた
ガラス戸にぶつけた膝もかすかにいたい
躓かないように転ばないように
ああすっかりばあさんだ
雛の節句
なのに
なあ
十八分歩けばショッピングモール
路線バスは走っていない時間だけれど
家から四十五分歩けば駅
大阪に出れば宿はある
その前になにかお腹に入れよう
閉店まぎわのモスバーガーでラテに照焼バーガー
食べたかったのはこれじゃない
みぞれまじりの中へまた傘をひろげ
通りに出る
と
トタラトラタン トテラトラタン
握りしめていたスマホが鳴る
ユウキだ
「どこにいるの」
ゴダイの前だよ *
「ごはん食べよう 迎えにいくよ」
湯冷めするよ
「いいから ゴダイの前だね」
たちどまる
まっすぐ駅まで歩いていれば
一時間に一本の電車に乗れていた
白い車を待ちながらゴダイで
地酒と
ユウキの好きな赤ワインを買う
白い光の中を
歩く
歩きたかったんだと
独りごつ
雛の節句
ダウンコートをぬぎリュックをおろし
ソファに並び
ふたり
冷めた茶碗蒸しに匙をいれる
灯油ファンヒーターが音をたてる
すぅーっふぅーっずこんっこん
透明プラスチック越し
頑張ってる音、聞こえそう
ちょっと低体重で生まれたコミヤミヤ
保育器のお世話になってる
口には管、胸にも手にも足にもセンサーが貼られて
横のモニターには刻々変化する数字が映し出されてる
「お父さん、娘さん順調ですよ。
ぐったりしてるみたいに見えますけど違うんです。
保育器の中でいろんなことを勉強してるんですよ。
呼吸の仕方とか
体温の調節の仕方とか
栄養の摂り方とか
一生懸命覚えてるんです。
すごく活動してるんですよ。
応援してあげて下さいね」
ぼくの横にそっと並んだ先生が言う
確かにコミヤミヤ、動いてる
今、それっ
口をちょぼっとさせた
手の先をぴくっとさせた
お腹をひゅういっとしならせた
緩慢に見えるけど
緩慢どころじゃない
呼吸も体温も栄養も
力いっぱい勉強して
その結果がモニターの数字を
刻々突き動かしている
すごいね、コミヤミヤ
すぅーっふぅーっずこんっこん
頑張ってる
頑張ってる音、聞こえそう
大きな喪失感に包まれている。
有限な人生の限界を真正面から突き付けられたような気がした。
3月下旬。
その日は休日出勤で14時頃に仕事が終わり、リュックを抱えながらおもむろに携帯を取り出した。
1件の、これまたメール嫌いな幼なじみからの連絡の様だった。
珍しいこともあるもんだなと疲れた頭で何だろうと考えていた。
階段をのろのろと降りながら中身をチェックする。
「はっ」と心の声が出ていたのかもしれない。
すれちがう人が怪訝な顔をわたしにむけていた。
わたしは、必要最低限書かれたその文面を何度も何度も繰り返し目で追った。
にわかには信じられないものであった。
「◯◯亡くなった。今日の未明。」
それ以下でもそれ以上でもなく、ただそれだけが書かれていた。
ただその文面がわたしに与える衝撃はどんな長文よりも大きいものだった。
守衛さんにいつもと変わらない笑顔をなんとか作り挨拶をし、駐車場まで歩く。
座席に座りゆっくりとメールの送信者に電話をかける。
コールの時間はものすごく長いように感じた。
彼も詳しいことは分からないようであったが、紛れもない事実であることは確かなようだった。
30代前半、働き盛り、奥さんもおり第2子妊娠中であった。
駐車場からしばらく動けなかった。
久しぶりの晴天で雲が流れるように漂っていた。
何十年かぶりの雪もやっと通り過ぎ、快適な気候がこれからやってくる。
街の人の気分も高揚し始めている。
いつもと変わらない日曜、になるはずだった。
わたしの心はぐちゃぐちゃと、せっかく積み上げたブロックが一気に崩れていくような気持ちになった。
彼も含めた幼なじみ3、4人でSNSでグループを作って、近況や集まって犬の散歩をしたりご飯を食べたりしていた。
お互いの結婚を祝ったり、同じ業界で働いていることもあり悩みを相談したりしていた。
住んでいる所はバラバラだったけれど、誰かの帰省に合わせてよく地元の焼肉屋さんに行った。
きれいとは言い難い所だったし、店員さんもさして愛想がいいわけでもないし、匂いや油はベトベトに服につくようなとこだけど、育った町のそこにある焼肉屋、小さいころから変わらず在り続けてくれるというだけで安全地帯だった。
わたしは知っている、遅れてきたメンバーのために、一度焼いて皿に移してあった肉をそっと網に戻して温めなおしていたことを。
急に写真を撮って、こういう何気ない瞬間を大事に保存していたことを。
みんながアルコールを飲みたいと言ったら、必ず運転手をかって出ていたことを。
うちの実家の犬を可愛がってくれたことを。
注文1年待ちの鉄のフライパンをこっそりと注文し、わたしの結婚に間に合わせようとしてくれていたことを。
みんなきっと知っている。
彼の家族は誰に対しても親切で、例外なく彼も親切であるということを。
わたしは今でも連絡できる他の幼なじみに事の顛末をゆっくりと、正確に電話で伝えた。
誰も知らずに過ぎていくのはあまりにも不憫だと思ったからだ。
みんな相当驚いていたし、中にはその日結婚式だった人もいた。
人生はむごい、そして神様は意地悪だと思った。
みんながまたそこから知りうる限りの人に連絡してくれたようだ。
最後のお別れに行ってくれた人もたくさんいたと人づてに聞いた。
わたしは、GWに伺う予定だ。
現実を突きつけられるのはかなり怖い。
しかし、行かねばと、残された人間はそれでも生きていかなければいけないのだと思っている。
11年前、事故で同級生を2人すでに亡くしている。
空を見ると3人の顔が思い浮かぶ時がある。
死後の世界が本当にあるのだとしたら、3人でもう何もストレスや苦労もなく穏やかに焼肉でもしてるのかな。
お酒も二日酔いを気にすることなくたらふく飲めるね。
いつかわたしもその日が来たら仲間にいれてよね。
グループメッセージの既読の数が1つ減った。
何日待っても既読にはならない。
アイコンの写真だけが笑っている。
人生は幻だ。