青空

 
 

さとう三千魚

 

目覚めて

ベッドの
なかで

“ラーメンが食べたい”

ぽつり
女は言った

朝ラーが食べたい
という

くるまで30分ほどの街道の町に
朝ラーの店はある

歯を磨き
顔を洗い

着替えた
女もそうした

女の運転するクルマの後ろの座席に座り
カーナビになる

空は晴れて雲ひとつなかった
青空だけがある

店では
女は

名古屋コーチン醤油

わたしは
鯖節醤油ラーメンを

食べた

鯖節醤油はさっぱりして
名古屋コーチンには鳥油の旨みがある

二軒目と女は言ったが開店前で
それで帰ってきた

空の下
通勤で渋滞する朝の国道を

帰ってきた
空は晴れて雲ひとつなかった

青空だけがあった

 

 

 

#poetry #no poetry,no life

11 NOV 2025

 
 

さとう三千魚

 

工藤冬里の

ライブ
“過去過去の幸福”が終わった

先週の
月曜日

祝日だった
文化の日だった

街は大道芸人で溢れていた

一週間が過ぎた
一週間ぼんやりしてた

満観峰に登った
里山で珈琲を飲んだ

昨日

近所の
小川の傍を歩いた

白鷺が佇っていた
白い鯉が泳いでいた

風が草の葉裏を白くしていた

詩野さんが
ゲラを送ってくれた

女が電動自転車で
街に出かけていった

友だちと夕方まで話していたと言った

それから
エアロビに行ったのだと言った

地震の後で

 ドスンと一回だけ

 ありがとう
 それより熊が怖くて

 夜は
 開けられない

秋田の姉からラインで返信があった

これって
夢じゃないのか

過去過去の幸福じゃないのか

リュビモフのピアノで
サティのソクラテスを聴いている

リュビモフの顔は死んだ
義兄に似てる

いつまでも
聴いている

 

 

 

#poetry #no poetry,no life

丘を下る **

 

さとう三千魚

 
 

向こうの
池の

ほうから
ヴァイオリンの

音の
する

まるい池の
蓮の葉の浮いている

丘を下る
丘を下ってゆく

子どもたちの声が聴こえる

遠い声
遠い声が

ママ
ママ

と言っている

 

・・・

 

** この詩は、
2025年11月1日 土曜日に、長泉町 クレマチスの丘にて開催された「やさしい詩のつどい」出張版で、参加された皆さんと一緒にさとうが即興で書いた詩です。

 

 

 

#poetry #no poetry,no life

クレマチスの丘 **

 

さとう三千魚

 
 

小高い
丘の上に

いる

お母さんと
ぼくと

いる

丘の上では風が吹いて

お母さんの
髪がゆれる

ぼくの髪もゆれる

丘の上で
お母さんのおにぎりが食べたい

 

・・・

 

** この詩は、
2025年11月1日 土曜日に、長泉町 クレマチスの丘にて開催された「やさしい詩のつどい」出張版で、参加された皆さんと一緒にさとうが即興で書いた詩です。

 

 

 

#poetry #no poetry,no life

白と黒の **

 

さとう三千魚

 
 

遠くを見てた

本棚の
上にいた

座っていた
まるく澄んだ眼は

遠くを
見ていた

遠くにいる人がいる
遠くに行った人がいる

白と黒の
毛皮を着ていた

 

・・・

 

** この詩は、
2025年10月24日 金曜日に、書肆「猫に縁側」にて開催された「やさしい詩のつどい」第22回で、参加された皆さんと一緒にさとうが即興で書いた詩です。

 

 

 

#poetry #no poetry,no life

水平ということ

 
 

さとう三千魚

 

昨日かな
昨日だな

朝には
近所の人たちと

小川の土手の草刈りをした

昼前に
帰って

朝ごはんを食べた

女に駅までクルマで送ってもらい
東名高速バスに乗った

バスから
由比の海を見た

いつもそうする
いつも

由比の海を見る

遠く雲の下に半島が浮かんでいた
灰色の海の上に青い半島が水平に伸びていた

中野では
ギャラリー街道で

佐藤春菜さんの写真を見た

写真には人びとがいて
街があった

お母さんの皺だらけの手が水平に伸びている写真があった

荻窪の公会堂では
高橋悠治さんの曲 “この歌をきみたちに” を聴いた

この曲は3楽章に別れていた

“きみたちは解放の道をあゆむ”
“ラレスに会いにきて”
“幸福の歌”

ここにも
水平があるように思えた

道があり
生があり
夢がある

“この歌をきみたちに”を聴いていた
なんどか眠りそうになった

そこに懐かしい水平があった
水平な夢があった

 

 

 

#poetry #no poetry,no life

波が寄せてる

 
 

さとう三千魚

 

今朝も

女と
スーパーに行った

キャベツと
人参と

ブロッコリーと

秋刀魚と
明太子と

あんパンを買った

ノンアルビールも
買った

女がレジに行く間に
スーパーの花屋に行く

いつも
そうする

そこに
花たちは売られている

売れ残った
夕霧草の

鉢に
ヤブタビラコの花が咲いている

ミモザの
花芽も

膨らんでいた

それで
帰って

家の玄関で
ハグロトンボを見た

ふわりと
飛んできた

午後
電話の後で

浜辺にクルマで行ってみた

クルマでは
チチ松村の”イスにもたれて”を聴いてた

波が高かった
大風が近くにいるんだ

女のコたちと男のコたちが
波打ち際で

キャーキャー叫んでいる

クルマのバックドアから
イスを出して

座ると
鳩が来てくれる

餌は持たないが
鳩が来てくれる

鳩は
すぐに

歩いて
いった

浜辺には
タコさんがいた

ランニングシャツを着て笑ってる
浜辺には

波が寄せている
波は寄せている

 

 

 

#poetry #no poetry,no life

腐る

 

さとう三千魚

 
 

女が

家に
いる

このところ
いる

昼過ぎに
比呂美さんの若い頃の「カノコ殺し」の朗読を聴いた

野々歩さんがvimeoに上げてくれたのだ
痛かった

午後に
女とデパートに行った

デパートの8階で美味いもの市があるのだという

女は
わたしに

米沢の老舗牛めしと
他の店の搾菜とモツ煮を買ってくれた

それで
ひとり帰ってきた

女は友だちと食事するのだという

帰って
夕方に

小川の傍を歩いてきた

土手に紅い彼岸花が朽ちていた
赤黒く花は腐っていた

小川の水面を見ていた
水面に空が映っていた

空を見て
歩いた

灰色のまるい雲が空に浮かんでいた

比呂美さんの朗読を聴いて痛かった
ガザの地で人々が虫けらのように殺されている

どうだろう

言葉はどうだろう
言葉はどうだろう

痛かった
紅い花が腐っていた

 

 

 

#poetry #no poetry,no life

そこにいた **

 

さとう三千魚

 
 

どこにも
いなかった

テーブルには
緑茶のグラスがあった

台湾みやげの
お菓子が皿に盛られていた

しばらく前には
いたんだとという

白と黒の猫は撫でられてもいた

という
どこにもいない

 

・・・

 

** この詩は、
2025年9月26日 金曜日に、書肆「猫に縁側」にて開催された「やさしい詩のつどい」第21回で、参加された皆さんと一緒にさとうが即興で書いた詩です。

 

 

 

#poetry #no poetry,no life

鳥がいた

 

さとう三千魚

 
 

今朝も

ゴンチチの
ラヂヲを聴いて

小川の傍を歩いてきた

小川には
白鷺がいて

川鵜もいる

雀も
磯ヒヨドリも

たまに翡翠もいる

春には
燕たちもやってくる

小川には

野花も
咲いている

ラヂヲからは
遠藤賢司の”カレーライス”の歌が聴こえてた

ばかだなばかだな *

だれかがおなかをきっちゃったって *
う〜ん とってもとってもいたいだろうにね *

一昨日の夕方には
HIBARI Booksの店の前の木立に

雀かな

たくさん
群れてた

たくさん
たくさん

群れて鳴いていた

たくさん群れて
たくさん鳴いて

いまを
いた

鳥がいた
生きていた

 

* 遠藤賢司「カレーライス」の歌から引用しました。

 

 

 

#poetry #no poetry,no life