撓垂れた *

 

姫林檎の

植木鉢が
玄関にある

胡蝶蘭と
紫蘭の鉢も

置いてある

胡蝶蘭は
義母の

葬式に兄と姉が送ってくれた

ひとつでは

仏壇が寂しいから
もひとつ

女が買った

もう
白い花は落ちて

緑の厚い葉が光っている

紫蘭は
義母が育てていた

姫林檎はいつだったか
義母の誕生日に

玄関に飾った

春には

白い花が咲き
夏には

小さな実をつける

玄関のポストの下にはアロエが生い茂っている
盛り上がってトゲトゲの緑の葉をひろげている

義母のアロエだった

毎朝
水をやる

姫林檎にも
胡蝶蘭にも
紫蘭にも

新聞を取りに出た時には水をやる

それでも
夏の午後には撓垂れていた

撓垂れるの”撓”は”しほる”とも読むようだ

しほる
しほる


目覚めてしほる

朝早く目覚めてしほる

新聞を
取りに出る

花に水をやる
植木鉢の土の窪みに水は溜まる

 
 

* 工藤冬里の詩「holy sunameri moters」からの引用

 

 

 

分離 *

 

絵を見た

絵を見て
帰ってきた

高速バスで帰った
由比の港の横を通ってきた

絵には
灰色の顔の男がいて **

スープをのんでた
ちいさな子どもの手をひいていた

子どもは
いつか灰色の男になる

男は
いまも

浮かんでいる
ポッカリと浮かんでいる

夏風邪をひいている

ポッカリと白い雲が浮かんでいる
ちいさな子どもの手をひいている

 

* 工藤冬里の詩「アルシーヴ」からの引用

**一条美由紀さんの個展で見た灰色の顔の男

 

 

 

愛とはなにか *

 

断崖の病院の窓から

平らな海を
見たことがある

海辺では
カモメたちが

空中に浮かんで停止しているのを
見たことがある

西の山の上に
雲がポカンと浮かぶのを

見たことがある

ちいさな黄色の花が風に揺れるのを見たことがある

しゃがんでオシッコしたモコが
ふりかえるのを

仏壇の前で
女が泣くのを

見たことがある

女が泣くのを見たことがある
女が泣き叫ぶのを見たことがある
女がふっと微笑むのを見たことがある
女が黙って見つめるのを見つめ返したことがある

義母の心臓が止まり
眼を見開くのを見たことがある

死んだ母の小さな体を抱きしめる姉を見たことがある
死んだ義兄が焼かれて太く白い骨になるのを見たことがある

見たことがない
見たことがない
見たことがない
見たことがない
見たことがない

TVニュースでは香港の若者たちが警官に警棒で何度も殴られるのを見た

見たことがない
カタチのある愛を見たことがない

 

* 工藤冬里の詩「愛とはなにか」からの引用

 

 

 

それらのことがあるなかで *

 

おととい
かな

夕方
モコと散歩してるとき

荒井くんに電話した
荒井くんは

いま
香港

といった
これからデモを見に行く

といった

このまえまで
タイにいて

いま香港なのか

昨日は
今井さんから

“ヴァギナのかたち”という詩が届いた

そこには性愛のことが書かれていて
だいじょうぶかなと

思った

なにがだいじょうぶかな
なのか

人の尊厳とか
人権とか

だいじょうぶかな


思った

香港には
だいじょうぶじゃない人たちがいる

中国にも
だいじょうぶじゃない人たちがいる

チベットにも
だいじょうぶじゃない人たちがいる

モンゴルや
ロシアや
シリアや

他の国々にも
だいじょうぶじゃない人たちがいる

だいじょうぶじゃない人たちは
口をつぐんだり

亡命して生き延びたりしている

亡命できずに
死んだ人たちもいる

たくさんいる

本国に引き渡されたら投獄され殺される
本国に引き渡されたら投獄され殺される
本国に引き渡されたら投獄され殺される
本国に引き渡されたら投獄され殺される
本国に引き渡されたら投獄され殺される

それらのことがあるなかで *

荒井くんは
香港にいる

姉からは
暑中見舞が届いた

三年ぶりに
西馬音内の盆踊りで踊ったと書かれていた

義兄の供養に
踊ったのだろう

はじめて一人暮らしは悲しいと感じました
では酷暑に負けずにご自愛ください

そう
書かれていた

 

* 工藤冬里の詩「in all these things」からの引用

 

 

 

昔は葉を食べていた *

 

いちど
会った

品川のホテルの広い部屋で

雑誌の対談だった

その後で
そのひとは海で死んだ

仙台育英の頃
ボクシングの練習でランニングして

道端の草の葉を食べていた

本で読んで
知ってた

家で飼っていた牛が

売られていくのを見て
泣いた

それも
知ってた

ニーチェのようだ
ニーチェのようだ

色紙を
書いてもらった

あまり
話せなかった

昔は葉を食べていた *

 
 

* 工藤冬里の詩「高知」からの引用

 

 

 

あきれて物も言えない 03

 

ピコ・大東洋ミランドラ

 
 


作画 ピコ・大東洋ミランドラ画伯

 
 

敗戦の日なのだ

 

昨日は終戦の日だった。
太平洋戦争が終わり74年が過ぎたわけです。

敗戦の日と言ってもいいのでしょう。

夏になりますと戦争ということが思い出されます。
人の死ということが思われます。

昨日、8月15日の全国戦没者追悼式での新天皇のおことばが、
今朝、新聞の一面に掲載されています。

“本日、「戦没者を追悼し平和を祈念する日」に当たり、全国戦没者追悼式に臨み、さきの大戦において、かけがえのない命を失った数多くの人々とその遺族を思い、深い悲しみを新たにいたします。
終戦以来74年、人々のたゆみない努力により、今日の我が国の平和と繁栄が築き上げられましたが、多くの苦難に満ちた国民の歩みを思うとき、誠に感慨深いものがあります。
戦後の長きにわたる平和な歳月に思いを致しつつ、ここに過去を顧み、深い反省の上に立って、再び戦争の惨禍が繰り返されぬことを切に願い、戦陣に散り戦禍に倒れた人々に対し、全国民と共に、心から追悼の意を表し、世界の平和と我が国の一層の発展を祈ります。”
(2019年8月16日 朝日新聞 朝刊より引用)

戦争により死んだ、あるいは傷ついた、日本人と世界の人々に、これらの言葉は届くでしょうか?

「ここに過去を顧み、深い反省の上に立って、再び戦争の惨禍が繰り返されぬことを切に願い、戦陣に散り戦禍に倒れた人々に対し、全国民と共に、心から追悼の意を表し、世界の平和と我が国の一層の発展を祈ります。」
という誓いと祈りを大切にしたいとも思います。

 

人はいつか死ぬんでしょうけれど、
戦争というのは国の命令で人が敵国の人を殺したり殺されたりするわけなんでしょう。

ウィキペディアで「第二次世界大戦の犠牲者」を調べると第二次世界大戦の死者数は5000万〜8000万人ということです。

※参照ウィキペディア「第二次世界大戦の犠牲者」

これは傷病者を含まない死者数だといいます。

日本では約312万人の死者数で、軍人が212万人、民間人が100万人が死んでいるということです。

朝鮮(日本統治)では民間人死者数が約48万人、軍人は日本軍の数字に含まれるようです。
中国(中華民国)では約1,000万人〜2,000万人の死者数で、軍人が約400万人、民間人が約1,600万人、
フィリピンでは約105万人の死者数で、軍人が約5万人、民間人が約100万人、
インド(イギリス領)では約258万人の死者数で、軍人が約8万人、民間人が約250万人、
東インド(オランダ領)では民間人の死者数が約400万人、
インドシナ(フランス領)では民間人が約150万人、死んでいます。

ドイツでは700万人〜900万人の死者数で軍人が約550万人、民間人が約350万人、
ソビエトでは2,180万人〜2,800万人の死者数で軍人が約1,385万人、民間人が約1,800万人、死んでいます。

また、
イギリスでは約45万人の死者数で軍人が38.3万人、民間人が6.7万人、
アメリカでは約41.8万人の死者数で軍人が41.6万人、民間人が1,700人、死んでいます。

これらの死者数の単位は万人です。
アメリカの民間人の死者数以外は全て単位は万人なのです。
死者は一人一人で死んでいったでしょう。
単位が万人とはじつに大雑把です。
約1万人の死者の姿さえ想像することができません。
約5000万〜8000万人という死者の姿など想像できません。

日本人が310万人死んでいる。
朝鮮の民間人が48万人死んでいる。
中国人が2,000万人死んでいる。
フィリピン人が105万人死んでいる。
インド人が550万人死んでいる。
インドシナ人の民間人が150万人死んでいる。
ドイツ人が900万人死んでいる。
ロシア人が2,800万人死んでいる。
イギリス人が45万人死んでいる。
アメリカ人が41.8万人死んでいる。

それ以外の国の人びとも死んでいる。

また、この数以上に恐らくは傷ついた人たちがいる。
国から捨てられた人たちがいる。
慰安婦にされた少女たちもいる。

人類はこんなことをまたいつか繰り返すのでしょうか?

わたしの母の母、祖母は、一人息子、わたしの叔父を沖縄の戦いで失いました。
祖母は大切な一人息子を「天皇陛下万歳」と言って送り出したのでしょう。
老いた祖母が着物姿で庭の生垣の野ばらの白い花を窓越しから眺めていたのを思い出します。
いつまでも灰色になった眼玉で野ばらの白い花を見ていました。

日本人の多くが戦争を体験しました。
ほとんどの人びとは天皇の名の下に戦ったわけです。
世界の多くの人びとも国の名の下で戦ったのでしょう。
戦闘だけでなく病気や飢餓、大空襲、各都市での空襲、沖縄戦、広島の原爆、長崎の原爆、外地での敗戦による自決や暴力や殺害などなどを体験しました。

国や天皇の名の下に人は通常では犯罪となる殺人や暴力行為を大量に行ったのです。
いまやこの世界ではAIやロボットや小型化された核兵器による戦争までも行われつつあります。

あきれて物も言えません。
あきれて物も言えません。

 

作画解説 さとう三千魚

 

 

 

帰ってみれば *

 

シンガポールに行ってきた

女と
行ってきた

シンガポールは
金融と情報と娯楽の多民族国家だった

ナショナル・ギャラリー・シンガポールで

Lee Wenの
イエローマンのビデオと写真を見た

Lee Wenは
2019年3月3日に

死んだ
この世にはいない

夜にはナイトサファリというツアーで動物たちを見た
夜の動物たちは小さく集まっていた

吠えなかった
話さなかった

翌日は
インド街に行き

辛いカレーを食べた
西瓜ジュースを飲んだ

それからベイエリアで
植物園を歩き

夜には光のショーを見た

翌朝
シンガポール航空で羽田に向かい

こだまで
帰ったきた

帰ってみれば *
モコはいない

ガランとした蒸し暑い部屋がいた

モコは
動物病院のホテルに預けていた

 

* 工藤冬里 詩「なりすましのバラード」より引用

 

 

 

“何をどのようにどれくらい” *

 

午後の浜辺に
人びとは

いた

泳いでいた
子どもたちを波に遊ばせていた

犬をつれて

浜を
歩く婦人もいた

フナムシと蟹が波を避けて
消波ブロックに

這うのを
見てた

フナムシや
蟹や

人は

波を避けて
這う

波を避けて這う

モコは
暑いから付いてこなかった

“何をどのようにどれくらい” *

見つめれば
現われるのか

遠景には

物語があり
近景には死者がいた

韮の花の

白く揺れるのを
見た

渦巻いていた

 

* 工藤冬里の詩「何をどのようにどれくらい〜漢字だけ読む」からの引用

 

 

 

どこから言葉を出してもいいわけだけれども *

 

先週
金曜日

夕方に

表参道の
スパイラルというところの松田さんの

依頼で
わたし詩について話した

自己に拘泥して60年が過ぎて詩を書いている
というタイトルでした

わたしの来歴を話した

その後
いまの仕事と浜風文庫のこと話した

それから
わたしの好きな詩をみっつ読んだ

西脇順三郎 茄子  **
鈴木志郎康 なつかしい人  ***
谷川俊太郎 おばあちゃん  ****

西脇順三郎の詩は18才のころ
鈴木志郎康の詩は21才のころ

谷川俊太郎の詩は最近に読んだ

どれもわたしには
かなわない

詩とおもえた

それからわたしの詩をよっつ読んでみた
書いたときわたしのなかに不思議な感覚があったのを憶えている

“どこから言葉を出してもいいわけだけれども” *

渦巻くものがある

わたしのなかに
わたしでないものが渦巻いている

 

 

*工藤冬里 詩「EINGANG」からの引用
**西脇順三郎 詩集「宝石の眠り」より
***鈴木志郎康 詩集「わたくしの幽霊」より
****谷川俊太郎 詩集「はだか」より