長野充宏@黒猫.
今日の空
泣かず
強い空
大きな空
泣かず
けして泣かず
地球の裏で
静かに
泣いて。
今日の空
泣かず
強い空
大きな空
泣かず
けして泣かず
地球の裏で
静かに
泣いて。
桜咲く
今年の春も
君に会え
風と流れる
花びら愛し。
僕が生きてる事が
罪なら
毎日生きてる事が
罪なら
瞳よ私に闇を
心臓よ黙って
魂よ空へ
脱け殻は
どうしても君へ
ただの
ぬいぐるみに
なるよ
だって君が
可哀想だから
だって君が
可哀想になる
毎晩君の隣で
寝かせてね。
曇り空
グレーでも
この空の色
全ての色が
踊る集まり。
白い紙
君なら何を
書くのかな。
何となく
空を見た
何となく
雨が降ってた
何となく
涙が出た
何となく
微笑みながら。
最近過疎地域へ都会からの移住者が増えてきているそうだ。
わたしの故郷の町も例外ではない。
四方を山や田んぼにに囲まれ、空気は澄み、そこでとれるお米は本当においしい。
川に行けばきれいな水にしか生息しない生き物に出会えたし、夏には蛍がたくさん飛び交っている。
豊かな自然に恵まれたそんなところだからこそ都会の人の目には美しく映るのかもしれない。
ビルばかりの街並みで、時間に追われた生活から癒しを求めて。
先日久しぶりに故郷の友人に会いたくて実家に帰った。
友人とはあるピザ屋さんで待ち合わせをしていた。
場所を確認するとわたしははて?と思った。
こんなところにそんな洒落たお店があったとは記憶していなかったからだ。
待ち合わせ場所に着くと、確かにそこはピザ屋さんだった。
なんとそのお店の隣には山羊を数匹飼っていた。
友人の話によると古民家を改装して、東京から移住してきた人が経営しているのだそうだ。
中も落ち着いたお洒落なかんじに仕上がっていてお客さんで賑わっていた。
メニューも豊富で、メジャーな種類のものからこの町で採れる野菜をふんだんに使ったものまで幅広かった。
味も申し分なく、価格も適正だった。
しっかり食後の紅茶までいただいた。
なんだかとても幸せな気分になった。
外に出ると、小さなお土産屋さん売り場が併設されて いた。
これもこのピザ屋を経営している人が切り盛りしているらしく、温かい雰囲気のお店だった。
決して大きくはないけれどこの町の特産物や、手作りのアクセサリーなど、ここの風土に合ったものがたくさん売られていた。
この町で生まれ育ったわけではないのにも関わらず、こうしてこの町のアピールをこんなにもしてくれていると思うとほっこりとした気分になった。
それと同時になんだか自分が恥ずかしいような気分にもなった。
ここ数年、この町では使われていない空き家を求めて都会からの移住者が増えている。
そこを改装し、そこに住んでいるのだ。
お店をやったり、畑や田んぼなどの農業に従事したり、いい土が採れるのでそれを使って陶芸をしたりと生き方は様々あるようだ。
この町を出ていったわたしが言うのも説得力がないかもしれないけれど、願わくばこのままこういう人たちが増えていってほしいと思うし、10年20年先までずっと居続けてほしい。
故郷が衰退していくのはやっぱり見たくない。
自分が通った学校はそのままで在り続けてほしい。
運動場からは子供たちの声が聞こえ続けてほしい。
道沿いに植えられた桜が満開になるころに開催される歩け歩け大会、多くの人からの善意で集められた鯉のぼりを一番大きな公園に泳がせてその下でお弁当を多くの人が食べる光景、町の有志で結成された太鼓チームの演奏や多くの屋台・みんなの楽しそうな笑い声・大輪の花火で締めくくられる お盆のお祭り、木造でできたドームの中で行われる綱引き大会、たくさんの雪が降った日には小さな子供たちが集まってかまくらをつくる。
四季折々のこんな光景も昔は当然やってくるものだと信じて疑わなかったけれど、大人になった今はそうではないことがよくわかる。
どれもこれも人の力が必要で、人が動くことで出来上がっている。
これからは、内の人の力だけでなく外の人の力も借りてこの町の活性化が進んでいくことを望んでいる。
わたしも今まで以上にこの町に足を運ぼうと強く思った。
今見えぬ未来を
今に問う未来を
待てども
待てども
鏡に映る僕は
何時も同じ
君の現実は夢?
夢は静かに深い
海の底
今気付かぬ明日を
今に来る明日を
孤独と
孤独と
僕の見る情景は変わらず
君の現実はどこ?
夢は届かぬ
青い空の彼方
しかし
君が望むならば
海は君に扉を開き
空は君に光を注ぎ
そして
君はあの
美しい虹の橋を
渡る。
同じ繰り返しの毎日の中で、ふとしたとき人は何を考えるのだろう。
これからの明るい、しかし、それ以上に不安で満たされた未来なのか、もう二度とは戻れない楽しくもあり苦い思い出もたくさんした過去なのだろうか。
わたしは後者のほうが実は多いのではないかと思う。
予期せぬ事態に遭遇するよりは、たとえ苦しかったことであろうとも、一度コンプリートしたものを思い返すほうがずっと安心感が得られるから。
それはまるで結果がわかった対戦型のスポーツを録画したDVDで見るのとなんだか似ているようなきがする。
自分の中にある何かをそっと思い出してその時間に浸る。
そしてまたそっと蓋をする。
丁寧に丁寧に蓋をする。
そんな時間の中で思い出したある友人の話。
うっそうと茂った山々や、どこまでも果てしなく続く田んぼばかりが広がる町。
町と言うよりは村といったほうが適しているかもしれないが・・・。
人口は当時で約6300人。
人口密度の値はとても小さく、子供の人数も少ない。
会う人会う人がどこの誰かがわかるような地域。
小学校は4つあったがどこも1クラスが当り前だった。
それでも教室はすかすかだった。
男子も女子も性別という垣根を越えて一緒に遊ぶのが当然でそれが普通だった。
田んぼに水が張れば、バケツを抱えてオタマジャクシ採りに夢中になり、夏休みになれば朝早くからクヌギの木に蜜を塗りクワガタやカブトムシが来るのを今か今かと待ち望んだ。
水泳の授業では誰か泳げない人がいればみんなで励まし練習に付き添った。
その子が25m泳げるようになったときはクラス中で飛び上がって喜んだ。
そのとき担任の先生がこっそりみんなの分買ってきてくれたオレンジジュースは格別においしかった。
秋の大運動会は「大」がつくのが今ではなんだか恥ずかしいようなこじんまりしたものだった。
人数が少ないのだから仕方がない。
それでも時間をかけて創り上げた組み体操は達成感があったし、みんなが選手のリレーは盛り上がった。
赤と白の2色にわかれて競い合った応援合戦はどちらが勝ってもすがすがしい気持ちになれた。
冬はこれでもかという量の雪が降った。
朝まだ日が出ていないころから起こされ、スキーに行く人みたいな格好を強いられ、手には雪かき用のシャベルを持ち、寒い寒い外に出る。
家の敷地や道路の雪かきをするというのはものすごく体力がいる。
しんしんと降り続ける雪に心の中で舌打ちをした。
今までウインタースポーツにまるで興味がないのもこんな経験があるからなのだろう。
教室の中央におかれたストーブは360度どこにいても温まれるようなつくりになっていた。
そのストーブの周りの床に赤いサージカルテープを貼った。
正方形になるように貼って、ここから中には危ないから入らないようにという印にした。
みんなでストーブに手を近付けて暖まった。
なんだかほっこりした気分になれた。
こんな1年間を当然だけれど6回も過ごした。
その中で彼とはうまが合うというか、わりと仲が良かった。
当時小学生の同級生だった彼は豆みたいなかんじの人だった。
本人に言ったらきっと怒るだろうけど、顔の輪郭というかなんというか、ころんとした感じのかわいらしいタイプ。
かわいいと言われるとあんまり嬉しくないという男子がいるというけれど、きっと彼もそう言うようなちょっとクールな性格の人。
算数がよくできて、バスケットボールが大好きで、通っていたそろばん塾が同じだった。
初めてバレンタインのチョコレートをあげたのも彼だった。
今よく考えるとそれがわたしの初恋だった。
なんとなくいいなと感じる淡いものだった。
ただ、これから先の話になるけれど、この感情はそんなに長くは続かず、中学校にあがったあたりからはいい友人という印象に変わった。
何かあったわけではないけれど、人の感情というのは勝手きままな部分がある。
もちろん今も。
そしてこれから先もきっと。
中学校は4つの小学校の生徒が一緒になった。
初めて経験したクラス分けというものに当時はものすごく感動した。
こんなどきどきという感情を味わったのは初めてだった。
彼とは3年間同じクラスだった。
相も変わらずなクールな性格だった。
成績は優秀で、大好きなバスケットボールを本格的に始めなんだか輝いて見えた。
わたしも負けずに頑張れた時期だった。
何か特別に会話を交わしたことはないけれど、お互いがお互いを認め合って過ごした3年間だった気がする。
ある時、同じ高校を目指していることを知り、相手のテストの点数を少し気にしながら、同じ関門を突破できるようにただただ黙々と勉強した。
わたしたちは無事2人とも希望の高校に進学することが決まった。
一緒に合格できたことが心の底から嬉しかった。
卒業アルバムの彼からのメッセージはたった一言。
わたしを鼓舞する内容だった。
今でもその言葉はわたしにとって大切な一言として心の奥に眠っている。
高校からは別々のクラスになった。
彼がいない教室を初めて味わった。
そして、このころから自然な流れで彼とはそんなに顔を合わせなくなり関係も希薄になっていった。
2年に進級するときには、理系のわたしと文系の彼とで進む方向が全く反対のこともあってもっと疎遠になっていった。
ただ、彼は意外にもアクティブで彼の名前は色々なところから聞こえてきた。
大好きなバスケットボールはキャプテンとして最後まで続けていたし、成績優秀者だけ名前を貼り出される紙には彼は常連だった。
そんな中で彼と出会う機会があった。
それは駅のホームや電車の中だった。
わたしたちの町からその高校に通うには電車は必須で、本数も限られていたためたまに顔を合わせることがあった。
挨拶のあとの会話がなんだかそんなにはずまなかった。
だからといってきまずかったわけではなかったけれど、彼には彼の人生があるんだなと少し悲しくもなった。
そんなとき、学部こそ違うものの同じ大学を目指していることがわかった。
あー本当に腐れ縁なんだなと感じた。
こうやってまた同じ目標にむかっていけることが嬉しかった。
推薦入試の合格を知った次の日、たまたま、また駅のホームで彼に会った。
そのことを報告すると彼は微笑して喜んでくれた。
次は自分の番だと、必ず合格すると意気込んでいた。
わたしも深くうなずいて微笑み返した。
この次に彼に会うことになった場所は喜ばしいことに大学の入 学式となったのだ。
大学生になると学部の異なる彼と会うのは奇跡に近かった。
学食で一緒になるとか、道ですれちがうとか、図書館で会うとか、その程度。
けれども、今わたしがいるこの大学に彼もいるんだと思うだけで心強かったし不思議とパワーが出てきた。
3年生の前期の試験が終わって夏休みがやってきた。
図書館で会った彼とどれくらいぶりだろう、夜ごはんを食べに行く約束をした。
わりと都会の大学に通っていたので、界隈にはお洒落なお店がたくさんあった。
その中でもTHEお洒落なお店を選択した。
お酒の種類が多かったのもそこを選んだ理由だった。
そう、わたしたちはお酒を酌み交わせる 年にもなっていたのだ。
わたしたちはそれぞれ好きなアルコールを注文してお互いの近況を報告した。
そのあとに口から出てくるのは昔の思い出話ばかりだった。
ひざ小僧に傷口をつくりながら田んぼや運動場を駆け回っていたわたしたちが、今こうしてここにいられることを誰が想像しただろう。
2人そろってあんな小さな町からこんな都会の大学に通えるように成長できたことが不思議で不思議でたまらなかった。
世間のことなんてこれっぽっちも知らなかった。
井の中の蛙だって驚くほど無知だったのではないかと思う。
わたしたちは少しだけ自分たちを褒めた。
お酒がこんなにも人を饒舌にしてくれることを知ったのはこのこ ろだ。
その後、わたしは地元の近くに戻って社会人となった。
彼は日本ではない別の国で邁進している。
「元気になってはやく学校へきてね」
クラスみんなからメッセージ
ぼくはなんの病気なんだろう
黒いランドセルに積もったほこりを
ふぅーっと吹きながら考えた
机の上で彫刻刀の先が熱かった
「レンジで2分温めてください」のメモ
つめたい焼き飯を食べながら
ニュース番組を見た
子どもは学校へ通う
大人は会社に行く
母さんは・・知ってる、ぼくのせい
みんなが大なわとびをとんでいる
そうしてぼくを呼んでいる
なんで? どうして? どこが痛いの?
山ほど呼び名があってとまどった
だから言葉を探してた
はだしのままで おそるおそる
背中で声をうけながら 歩きはじめた
スニーカーショップへ
歩きはじめたんだ