2015年を振り返る

 

みわ はるか

 

 

12月の早朝。
山間からこぼれる日の出の光が美しかった。
オレンジ色と一言で表すのにはもったいないような光景だった。
もっと深い、そして暖かい色。
ほんの一瞬、忙しい朝の時間を忘れさせてくれる。
窓を通して室内から凝視する。
まばたきする時間さえも惜しいと感じさせられる。
そんなパワーを自然はもっている。

2015年が去ろうとしている。
どんな年だっただろう。
思い返すと本当に色んなことがあったなと驚く。

朝ごはんを食べようと誓った。
大学1年のなかごろから急に朝ごはんを食べなくなったから。
時間がないからというわけではなかった。
もともと朝からそんなに食べるほうではなくて、胃があまり受け付けないというか・・・・。
あるときを境に食べるのを好んで止めてしまった。
しかしながら、それに対する罪悪感は常にあった。
朝何かを食べるのは非常に大事だということは十分に分かっていたから。
頭を働かすのにも、体を動かすのにもその源となるものが必要だ。
湯気の立つ白米、味噌汁、ちょっとしたおかず。
きっとこんな感じが理想的な朝食なんだろうけれど、それに挑戦するのにはその時のわたしには無謀だった。
だから、野菜ジュースから始めることにした。
毎日同じ味では飽きると思い、数種類買ってきて毎日200ccほど飲む目標を作った。
これが意外にも難しかった。
飲みやすい味とはいえ好きになれなかった。
好きでないものを朝一から200ccも、それも毎日となると憂鬱で仕方なかった。
あっという間にリタイアしてしまった。
次に挑戦したのはお茶碗半分ほどの白米とこれまた同量ほどの味噌汁。
まだきちんと朝ごはんをとっていたときはこの倍量食べていた。
だから容易なのではないか・・・と思っていた。
ブランクが大きすぎた。
朝起きて、白米や味噌汁から漂ってくる香りは今の私にとっては心地いいものではなかった。
箸を口元まで運んでみるもののそれ以上進めることができなかった。
結果落ち着いた今の私の朝ごはんは前日のおかずを少しつまむというもの。
最大限の努力の結果ではあるものの、少しずつでも以前のようなしっかりとした朝ごはんに戻せるようにしていければなと思う。

10月グア ムに観光で訪れた。
パスポートの期限がせまっていたのだ。
運よく幼馴染と休みを合わせることができたので急いで旅行会社で飛行機と宿泊施設を確保してもらった。
久しぶりの旅行で珍しく興奮していた。
さんさんと降り注ぐ太陽の下には、広い広いそして青い青い海が広がっている。
風通しのいいワンピース、ビーチサンダル、サングラスなんかも身につけたりして歩くビーチ。
観光雑誌に載っているような「THE グアム」な風景を想像していた。
3時間半の飛行時間を無事終えて降り立ったグアムは・・・・・・暴風雨に見舞われていた。
実はそのとき、グアムの近くには大きな台風が存在していた。
それの影響で雨 、風はもちろんのこと気温も低く、半袖の服だけでは寒いほどだった。
グアムの空港に着いてすぐキャリーバックから長袖のカーディガンをとりだしたほどだ。
3拍4日の滞在中、連日雨風に悩まされた。
予定していたオプションの船でのツアーはもちろん中止。
雨がやんだ隙をねらって行ったプールと海からは早々に寒くて退散した。
専ら買い物に時間を費やす形になってしまったがこれはこれでよかったかなと思うことにした。
いずれはリベンジしたいとは思うけれど。
帰国する日、グアムの空港で搭乗手続きをしていると雲の切れ間から久しぶりの太陽が顔をのぞかせ始めていた。
それを幼馴染と見た。
顔を見合わせて どちらからともなくゲラゲラ笑った。
怒りを通り越し、あきれて笑いがこみあげてくるというのはきっとこういうものなんだろう。

色んなものを見て、聴いて、触れて、感じた。
まだまだ人生経験が浅い私に人生経験が長い立派な大人がためになることをたくさん教えてくれた。
辛いことも数えきれないくらいあった。
そのたびに奈落の底におとされて落ち込み、泣いた。
時間とともに、そしてさしのべてくれる手にすがりつきながら復活した。
感謝しなければいけない人がたくさんいる。

2016年はもっともっと多くの人にとって幸せな年になりますように。

 

 

 

吸殻の風景 2015

 

もり

 

 

ひさしぶ り
ひさ しぶり
ヒサシブリ
ひ さしぶり
ひさし ぶり
ひさしぶりっ
よぉ、ひさしぶりっ!

すったもんだあったけど
今日のため
鏡の前でリハーサル
出来は上々
駅前の喫煙所で
開演を待てば
改札抜けてひょこっと
現れたおまえ
ブラックなめた
子どもみたいなカオして
手招きすれば
人差し指と人差し指で
ばってん作ってから
カバンにつけた
マタニティーマークと
光る薬指を
恥ずかしげに
ちらり!

(音もなく火はついて)

あたためていたとっておきの
ノンフィクション
書きかけのミラクルストーリー
雑踏にポイ捨てて
聞かなくたっていいけれど
こうなったからには
聞いてあげなきゃいけないこと
それなりの相づちで
聞いていた
ときどきは本気で笑った
お気楽な街の
車道側を意識して

(もくもくと もくもくと)

最後のミルクティーを飲み干して
今日はどうもありがとう
もうこれいらないからあげるよ と
差し出された 半箱のマルボロ
それは
そっくり
そのままの
おれ
今日はたぶん
「はじめまして」が
お似合いのふたりだった

「カラダ、キィツケロヨ」
駅で見送ったあと
マルボロに火をつける
ひと息ごとに
暮れゆく街角
まるごと
咳きこませたくなったなら
一心不乱にすうは すうは
特別な味がするでもなく
ただ身軽になっていく
そんな5分間にちがいはない
もくもくと
もくもくと
遠いあの煙突のほうまで

グッドラック

(じゅぅ・・)

そして、グッバイ

 

 

 

大人になりかけの途中で

 

みわ はるか

 

 

7年ぶりに会う友人から再会の場所に指定されたのは名古屋のとある地下鉄の駅の地上だった。
夕暮れ時、少し早く到着したわたしはコートに身をすくめ大きなビルの前で彼女の到着を待つことにした。
少し遅れるとのメールを数分前に受け取っていたので、もうしばらくはこの寒さと戦うことを覚悟していた。
名古屋に来るのも数カ月ぶりだった。
名古屋駅周辺や繁華街の栄、大須等は休日でなくとも人であふれているが、少しはずれるとそうでもないことは大学の4年間をここで過ごしたことで学んだ。
毎日のように利用した満員電車の地下鉄。
サラリ ーマン、学生、老人。
あらゆる人に押しつぶされぺたんこの煎餅のようになった。
1限の授業が他大学より少し早く始まる大学に通っていたわたしは、地下鉄の遅延を告げるアナウンスがかかったときには舌打ちをしたい気分になった。
しかし今となっては不思議なことに、あんなにも億劫でうんざりだった地下鉄がものすごく懐かしく感じる。
時がたつと色んなことが美化される、美化してしまう自分がいる。
そうでなかったにも関わらず。

久しく逢った彼女は少し痩せたきがした。
もともと彫が深いはっきりした顔立ちだったが、もっとはっきりしたように感じたからだ。
それを伝えると「そうかな~そうかもしれない ~」と相変わらずの天真爛漫な明るさで答えた。
・・・・・様な気がした。
目をそらしながら放たれたその言葉の裏にはもっともっと深い意味があった。

彼女との初めての出会いは中学生の時だった。
学校は違ったが、それぞれのテニス部に所属しており市大会でよく顔を合わすうちに話すようになったのだ。
彼女はいつもきらきら輝いた笑顔を絶やさなかった。
テニスの選手としても有望でわたしの憧れだった。
そうこうしているうちに同じ高校を目指していることが分かった。
わたしは本当にうれしかった。
高校の入学式で再会できることを約束してわたしたちは最後の試合を終えた。
わたしたち はお互いいい結果を残せず、有終の美は残念ながら飾れなかった。
入学式で彼女を見つけた時胸が高鳴るような気持ちになった。
お互い、希望の高校に合格することができたのだ。
在学中は同じクラスになることもなく、目指す方向も違ったためほとんど話す機会はなかった。
彼女は色んなことに果敢に挑戦するタイプで、部活のマネージャー、生徒会、校外活動等あらゆることに参加していた。
わたしは遠くから羨望のまなざしで見ていた。
なんだか自分のことのように嬉しかった。
彼女のことで悪い噂は聞かなかった。
それに本当にかわいかったからきっと色んな人に言い寄られたんだろうなとも勝手に想像していた。
そんなかんじでわたしたちの高校生活はあっという間に終わった。
楽しい部分ももちろんあったけれど、やっぱり大学受験は大変だったし、つまらない授業をうけるのは辛かった。
可もなく不可もなく。
みんなもそんな感じで結局は卒業式を迎える。
お決まりのように「色々あったけどいい3年間だった」とどこからともなく誰かが叫ぶ。
そういうもんだと信じて疑わなかった。

わたしたちは駅からさほど遠くない韓国料理店に入った。
客はまばらにおり、韓国人の方が経営されているお店だった。
4人掛けの椅子にとおされたわたしたちは料理を3、4品注文した。
彼女がわたしと違ってアルコールに弱いこと、普段 は右利きだが食事の時だけ左利きになることをその時知った。
なにせ、わたしは彼女の大学生活をこれっぽっちも知らない。
食事に行くことも初めて。
考えてみればこうやってゆっくり話すのも中学のテニスの大会以来だ。
変な緊張は全くなかった。
他愛のない話をしばらく続けた。
彼女の口から意外な言葉がでてきたのはそのあとだった。
辛いときがあった、今ももしかしたら自分はその延長線上にあるのかもしれないと。
その予兆は高校生の時からで・・・・。
高校生になって褒められるということが少なくなって、それが生きがいだった自分は不安になった。
ただただ一生懸命に色んなことに挑戦したけれ どそれが埋められることはなく。
いつのころからか自分を構成するねじが少しずつゆるんできたのだと。
誰にも気づいてもらえず、心から相談できる相手もおらず、徐々に自分の中と外の差は開いていった。
誰にも会いたくなくなって、生きることに疑問をいだいて、迷走した。
「今までいいこちゃんすぎたのかな」
彼女は押し出すような声で、わたしの見たこともないような悲しい顔でぼそっとつぶやいた。

そんな面が彼女にあることを微塵も思っていなかったわたしは本当に驚いた。
わたしもどちらかというとネガティブで、朝が非常に辛くて、人にあーだこうだとアドバイスできる立場でもないけれど、わたしが思うこと感じ てきたことを伝えた。
一生懸命にうなずきながら聴いてくれた彼女の顔をわたしは忘れない。
打ち明ける相手にわたしを選んでくれたことが嬉しかった。
20代後半になったばかりのわたしたちの人生は周りからみたらまだまだで実は何も始まっていないと言われてしまうかもしれない。
でもやっぱり何か確かな転換期を迎えていて、それを右にも左にも持っていける自由な期間なんだとも思う。
それにはパワーが必要で、エンジンがかかるまでに長い時間がかかったり、かけきれずに収束してしまったり、かけることを諦めてしまったり。
そんなとき何か心のよりどころ、手を差し伸べてくれる人の存在があったらいいなと思う。

彼女は帰り駅まで送ってくれた。
お互いまた必ず会う約束をして手を振った。
彼女の顔は少しだけ会った時よりもやわらかく緩んでいるような気がした。

地下鉄に揺られながら、そういえば彼女は一度もキムチの皿に箸をつけなかったことをふと思い出した。
次は辛くないお店を探そう、どんなお店がいいかなと頭の中でぐるぐる考えた。

 

 

 

年の暮に考える

 

みわ はるか

 

 

今年も早々と紅白歌合戦の司会が決まった。

外をものすごい勢いで通過する風が身に染みるほど冷たい。
去年の薄手のコートをクローゼットからだして着てみたら少しナフタリン臭い。
色も買った時より褪せてきた気がするし、デザインもどこか気に入らない。
新しいのが欲しいなと思うけれど、こんな寒い中外出するのは億劫だ。
できればもこもこの布団の中でずっーと過ごしたい。
1年でこの時期だけ熊になりたいと思う。
彼らのように冬を冬眠という形で過ごしてみたいと思う。
もこもこの布団の中で色々考える。
そういえば、「ナフタリン」に似た名前の果物をこないだ食べたな。
なんだったかな。
あっ、そう「ネクタリン」。
ものすごくこういう時間が好き。

ある映画監督の密着番組を見た。
その人の人生は山あり谷ありで、わたしの心にぐっとくる何かがあった。
「絶望から希望が生まれる。」
「毎日地道なことを続けていれば幸せな瞬間が来るんだよ、来ると信じてるんだよ。」
「映画というのは、明日はきっといいことがあるよと大声で言っているようなもんなんだよ。そうでないにもかかわらずね。」
録画したこの番組をもう何十回も見ている。
実は彼の作品は一度も見たことがないのだけれど。
朝がくることが怖いと思うときがある。
新しい一日が始まるのが恐怖としか捉えられない時がある。
いいこともあるんだろうけど、それ以上に辛いことがあって。
後者に比重をおきすぎて、前者が完全に隠れてしまった。
でもそうではないんだと、そのほんの一瞬の喜びのために生きるのも悪くない。
そう思えた。
朝が辛いことは変わりないけれど、どこかいつもより洗面所までの足取りが軽くなった。

最近初めて心の底からライブに行ってみたいと思えるミュージシャンと出逢った。
なんといっても彼の考え方、歌の詩がいい。
某テレビ番組のメインテーマ曲にもなっている。
かざる部分が なく、人間の心の奥深くでくすぶっている部分までもきれいに言葉になっている。
改めて言葉のパワーや威力の強さを知った。
人の心を両手で優しく救ってくれる言葉は本当に素敵だ。
そのミュージシャンの出演番組やライブの日程をポチポチと検索してみた。
瞬時に欲しかった情報が手に入る便利さに改めて感動しつつ、それを紙に書き留めた。
当分の間は、その人の出演番組はすべて見るつもりだ。

学校の教壇に立っている先生は昔からずっと先生だと思っていた。
自分が赤ちゃんから保育園、小学校、中学校、高校、大学へと間違いなく成長しているにも関わらず先生は生まれた時から学校にいると思っていた。
年 をとらないと思っていた。
悩みなんてこれっぽちもないスーパーマンだと思っていた。
いつも強く元気で、学校の催し物がおこなわれるときには先頭に立って活躍する。
何十人もの生徒から毎日提出される日記に怠ることなくきちんとコメントを書く。
給食は残さず生徒よりもやや多めの量を食べる。
動きやすい機能性のいい服を着て長い長い廊下を大股で歩く。
○と×をつけ続けるテストの採点にあんなに時間がかかるものだとあのときはこれっぽっちも思っていなかった。
職員室はそんなものすごい大人の集まりだと思っていた。
そんな職員室の扉を開けるときはものすごく緊張した。
扉のノブをおそるおそる回し、少 しだけ押して中の様子をうかがう。
ほとんどの先生は机の上の書類とにらめっこ。
そんないつもの様子に安堵しながらするっと中にお邪魔する。
あの空間にはきっと色んな悩みや、困りごとが渦巻いていたにちがいない。
そんなそぶりはみせないけれど。
先生もみんなと同じように生まれてきて、大人にかわいがられた時期があって、試験を受けてあの教壇に立っている。
そんな「先生」という魔法のトリックが解けたのは案外自分が社会人になってからなんじゃないかなと思う。
もっと前から知っていたはずなのにうまく完璧な解答までたどり着けていなかったきがする。

そんなことを貫々と考えるのは季節のせいなのだろうか。
2015年ももう11月に突入している。

 

 

 

ある日の休日 その後

 

みわ はるか

 

 

前回の知人とテニスをしたあとの話。

わたしたちはものすごく空腹だった。
久しぶりに大量の汗をかくほどの運動をした後だからなのか、9月下旬とは思えないほどのぎらつく太陽にエネルギーを奪われたからなのか・・・。
とにかく何かを胃に放り込みたかった。

そのスポーツ施設は主要幹線道路沿いに位置していたため飲食店はわりとたくさんあった。
休日だからだろう。
どこのお店も家族連れや友達同士、カップルなどで賑わっていた。
わたしたちは少し考えた。
そこから幾分移動しなければならなかった が、昔ながらの家々が立ち並ぶ地域まで足をのばすことにした。
その辺りには昔から家族で代々経営しているのであろう飲食店がいくつかあった。
車も時々しか通らないような静かな場所だった。
そんな町の中を知人と一緒に歩くのも楽しかった。
わたしたちはある中華料理店を見つけた。
小さな平屋造りの店だった。
2人で顔を見合わせ思い切って入ってみると、カウンター10席ほどの場所に先客は1人だった。
小太りの40代半ばと思われるお腹がぽっこりと出たおじさんだった。
その男性はわたしたちのことを一瞥したもののすぐに何事もなかったように食事にもどった。
わたしたちは遠慮がちにその男性から2席空けて 座った。
見下ろすように設置してあるテレビからは今日のニュースをアナウンサーが読み上げている。
白髪、小柄、白のユニフォームを着たおじいちゃんがその店の店主だった。
たくさんのメニューがある中からラーメン、餃子、串カツを注文した。
その少し後知人が遠慮がちにわたしに尋ねた。
麻婆豆腐を追加で頼みたいというのだ。
もちろん好きなもの食べてと伝えるとにこーっと笑みを浮かべた。
わたしは今まで知らなかったが知人は麻婆豆腐が死ぬほど好きらしかった。
知人の新たな面を知れた瞬間だった。

黙々とその店主は料理を作っていた。
慣れた手つきで黙々と。
すると、奥か ら40代くらいだろうか、1人の女性が入ってきた。
栗色に染めた髪はよく手入れされていて、決して派手ではないが小奇麗な人だった。
そこに嫁いだお嫁さんであることは容易に想像できた。
店主とはとくに目を合わすことや、談笑することもなく料理の手伝いを始めた。
ただそれは見ていて自然というか、不快なものではなく、長年一緒に生活を共にしていてできあがった形な気がした。
むしろ心地いいものだった。

料理は一気に運ばれてきた。
わたしたちはそれを分けっこして食べた。
知人は何よりも先に麻婆豆腐をむしゃむしゃとほおばった。
よっぽど気に入ったらしくずっーとそればかり食べていた。
このままでは全部食べられてしまうとわたしも横から自分のレンゲを入れ、すくい、口に運んだ。
ぴりっと辛いそれは申し分なくおいしかった。

1人で食べていたらきっとちーっともおいしくもなく楽しくもなかっただろう。
お店の敷居を一緒にまたぐ、椅子に座る、メニューを一緒に覗き込む、料理が運ばれてくるまで一緒に店内をみまわす、運ばれてきたらもぐもぐと口を動かす、感想をぺちゃくちゃと言い合う、そしてまた始めと同じ敷居をまたいでその店を後にする。
ただそれだけのことなのに、誰かと一緒に時間を共有するのはこんなにも自分を愉快にしてくれる。

別れの時間だった。
次いつまたこんな時間が作れる かはわからない。
お互いわかっているのに「またね。またテニスしよう。」とどちらからともなく言い合った。
「またね」なんて無責任な言葉だ。
けれど自分たちに言い聞かせるような言葉でもあると思った。
知人はいつもわたしの背中が見えなくなるまでずっとにこにこと手をふってくれる。
少し寂しそうにも見えるその笑顔をいつもわたしは忘れられない。
「またね」が近いうちにあることを願ってわたしも最後に大きく手を振った。

そんなある日の休日はこれで終わり。

 

 

 

ある日の休日

 

みわ はるか

 

 

久しぶりにテニスラケットカバーのチャックを開けた。
中には中学時代部活で使用していたテニスラケットが収まっている。
しかし、もうあれから10年もたっていたせいかグリップが死んでいた。
ところどころ破れていて、そこに手をやるとあっという間に黒くなった。
これでは満足にラリーが続けられない。
知人とのテニスの約束は明日の午前9時。
今はその前日の午後10時。
お店は空いていない。
絶望的だ。
そこでいそいそとわたしは携帯を手繰り寄せメールを打った。
宛先はその知人だ。
「こんばんは。明日 すごく楽しみ。ところで新しいグリップ持ってませんか?持っていたらわたしのグリップ巻いてほしいです。グリップが死んでいます。」
人に何か頼むときなぜか敬語になってしまうのはわたしだけだろうか。
それが数年来の知人だったとしても。
すぐに返信は来た。
「おけ」
知人らしい返信だった。
出会った当初から知人の鞄には何かとその時々に必要なものが用意されていた。
不思議な鞄だなといつも思っていた。
まるでドラえもんみたいだなと。
その夜わたしは早めに眠りについた。

「オムニコートでいいかね?」
そのスポーツ施設を運営する60代後半と思われるおじいちゃんはわた したちにコートの種類を確認してきた。
それも何度も。
この施設にはテニスコートのほかに野球場、バレーボールや剣道ができる体育館、大きな芝生、ちょっとした公園があった。
木々もたくさんあり自然に満ち溢れていた。
わたしたちが到着したときにはすでに少年野球が始まっていたし、中学生がコーチとともにテニスをしていた。
体育館は今日は剣道場として使われているらしく威勢のいい声と音が聞こえてきた。
わたしが大学時代借りていたアパートのすぐ横はスポーツに力をいれていた高校が建っており、休日の朝は体育館から聞こえてくる竹刀の触れ合う音で起こされたことを思い出した。
無性に懐かしくなり体育館をのぞいてみ たくなった。
知人にも一緒に行こうと誘ったが答えはNOだった。
仕方なく一人で見に行った。
予想通りの迫力で朝から元気をもらった。
と同時に、そういえば知人は長い間剣道をやっていたと聞いたことがあることを思い出した。
戻ってそのことを伝えるとただ一言
「剣道は嫌いなんだ。」
と返ってきた
どうしてかと尋ねてもそれ以上言葉を発することはなかった。
わたしもそれ以上追及することは辞めた。
自分にとっていい印象の事象が、必ずしも他人にとって同じ印象だとは限らない。
真逆のことだって往々にしてある。
わたしたちはコートに入るための鍵を借りてそこをあとにした。
去り際、そのおじいちゃんはまたも
「オムニコートだけどよかったかね?」
と尋ねてきた。

人工芝だった。
わたしたちが借りたAコートの種類は人工芝だった。
あのおじいちゃんのことを思い出してわたしたちは顔を見合わせて笑った。
他の場所のコートときっと勘違いしているに違いないとまた笑った。
人工芝でもなんの問題のなかったわたしたちは用意を始めた。
知人はごそごそと鞄の中に手をいれて、そこから新しいグリップがはいった袋を出してくれた。
おもむろにわたしのラケットを手繰り寄せ、丁寧に丁寧に巻き直し始めた。
知人はたいていなことをそつなくこなすタイプだった。
あっという間にわたしのグリップは生き返った。
グリップを新しくしただけでこんなにもよく見えるのには少し驚いた。
透き通った青空のもと気の置けない知人とお互い好きなテニスをしている時間は幸せだった。
趣味が同じなのはいいなと思った。
テニスに飽きると、近くの芝生に2人して寝転がった。
芝が服の下からちくちくとあたったがすぐに慣れた。
野球場ではコーチに怒鳴られながらちびっこが一生懸命白球を追っていた。
小さな小さな体だった。
近くにそびえたつ山の輪郭が今日ははっきりと見えた。
山の頂上にいる人がこっちに手を振っているのが見えるとか、そこの売店で売っているソフトクリ ームが今日は大繁盛だとか、見えもしないことをお互い面白おかしく言い合った。
ただただそんな時間がものすごく楽しかった。
久しぶりに心が透き通る感覚に浸っていた。
何ににも代えがたい時間だった。
ずっとずっとこの瞬間が続けばいいのにと。
雲はゆっくりゆっくりと移動していた。
目をこらして見ていないとわからないぐらいのゆるやかなスピードで。

鍵を返す時間になった。
せっかくだから他のテニスコートも見てから帰ろうということになった。
どこのコートも人がいっぱいだった。
それぞれの時間がそこにはあった。
知人とまた来たいね、絶対に来ようと約束してそこをあ とにした。
スポーツを楽しむこともそうだが、もっともっと知人のことを知りたいと思ったから。
一緒にいたいと思ったから。
できれば死ぬまでこうやっていい関係を続けていきたい。
テニスができなくなったらまた違う形で時間をともにできればいい。
どんなくだらないことでもその知人とならきっとものすごく面白いことに転換できるはずだ。
お互いのおかれる環境が変わっても会う手段はたくさんあるはず。
バスだって、電車だって、新幹線だって・・・・。
便利なものが周りにはたくさんあるから。

最後に、わりと重要なことが1つわかった。
ここの施設にはオムニコートは存在しないという ことが。

 

 

 

日常

 

みわ はるか

 

 

新しいシャンプーを使った。
ダークグリーンのチューブタイプの入れ物。
白いジェル状のものが中には入っている。。
黒くて長い髪の先まで丁寧に洗った。
何度も何度も指をとおす。
少し熱いと感じるお湯で流す。
つやつや、きらきら、つるつる。
髪が生き返るように潤いをもつようになる。
ぱんぱんと軽くたたきながらバスタオルでふく。
柔軟剤でふわっふわになっている布。
風量が強すぎるほどのドライヤーで髪を靡かせて乾かす。
水分がだんだんなくなって軽くなる。
少し持ち上げるとなんの抵抗もなくすとんと落ちるようになる。
分け目をいつもの場所と変えてみる。
でもやっぱり気に入らないからもとのようにセンターに戻す。
いつまでもいつまでも鼻をくすぐるようないい香り。
自分の鼻に近付けていい気分になる。
そのいい気持ちのままするんとベッドに入る。
眠る。
いい夢を見られるはずだ。

自分専用の急須を戸棚から出す。
お湯を沸かす。
通販で取り寄せた京都で有名な茶葉を用意する。
陶芸教室で自分で焼いた湯呑をテーブルの上におく。
沸いたお湯で湯呑を温める。
茶葉を急須に入れてお湯を注ぐ。
数分してから湯呑に投入する。
きれいな淡い緑 色の液体。
じっと見る。
上から覗き込むようにじっと見る。
口にふくんでみる。
苦味成分のカテキンがいい仕事をしているなと感じる。
美味い。
心が不思議と落ち着く。
昔住んでいた田舎町の茶畑をふと思い出す。
あの時汗を流して茶摘みをしていたおばあさんは元気だろうか。

歩く。
ひたすら歩く。
川沿いまで着てみると高架下で若者たちが楽しそうにバーベキューをしている。
黒いタンクトップ、花柄のロングスカート、厚底のサンダル、蛍光グリーンの小さめの鞄、肉肉肉肉肉野菜。
あのクーラーボックスにはよーく冷えたコーラが入っているに違いない。
さらに歩く。
新しい建売の住宅が並んでいる。
広い庭がついた洋風の家が目立つ。
よそものの集まりなんだろうけれど、そこからきっと新しい組織ができていくにちがいない。
どの家も日当たりはよさそうだ。
雪が多くて寒い地域だからだろうか。
窓が厚くできているような気がする。
近い将来この辺一帯の家々には色んな名字の表札がかかるのだろう。
それぞれの人生がそこにはある。

普段のなんともないことや想像の世界をを文字にしてみる。
それをつなげて文章にしてみる。
ただそれだけのことがものすごく楽しい。
さらに幸せなのはそれを多くの人が見てくれるところ 。

「見て、聞いて、触れて、感じたこと、想像したことをこれからも文章にしたい」
と思う。

 

 

 

 

みわ はるか

 

 

青銅色の風鈴がベランダの物干しざおに吊らされていい音色を届けてくれる。
少し重い響きがいい。
ゆらゆらとゆれるかんじがいい。
風がない中じっと暑さに耐えるかのような姿もまたいい。

からんころん、からんころん、からんころ~ん。
いくつもの下駄が楽しそうにアスファルトの道を行き交う。
浴衣姿の女性はやはり美しい。
まっすぐな道に隙間がないくらいにたたずむ屋台。
中身よりも包んでいる袋のキャラクターにつられて買ってしまう綿あめ、食卓によくあるのにチョコレートでコーティングしただけで魅力を感じてしまうチョコバナナ、金魚 すくい、水風船、その日の夜だけ光るアクセサリー・・・・・・・。
フィナーレの打ち上げ花火。
水面に映る反射した花火はよりいい。
見ているだけでもうきうきするそんな夏祭り。

すっと伸びた茎のてっぺんに大きな花弁を何枚もつけて元気よく咲くひまわり。
太陽の光を存分に浴びてのびのびと育った最終産物。
本当に濃い黄色はこのことなんだろうなと思う。
みつばちがとまる。
みつばちが立ち去る。
また他のみつばちが遊びに来る。
みんなから愛されるそんな花。

これでもかというくらいの金切り声で鳴き続ける。
その命は1週間しかないという。
土の中には何年もいるという のに。
なんだか切ない。
生きるということを身をもって教えてくれているような気がする。
蝉。

じりじりと照りつける太陽。
それを遮る麦わら帽子。
ぽたぽたと落ちる汗。
それをふきとる手。
薄着になる季節。
小麦色の肌。

そんな夏はもう目の前だ。

 

 

 

金木犀の香り

 

みわ はるか

 

 

その香りが金木犀だと知ったのは随分あとのことだ。

向かいのお姉さんの家の庭は常にきちんと剪定されていて、いい香りがするその植物はその庭の端にちょこんと植えられていた。
隅のほうにあったけれど存在感は抜群だった。
そんな香りのベールにつつまれてお姉さんは毎日決まった時間に大きな玄関から出勤していた。
黒く長い髪をひとつに束ね、赤い小さめの鞄を肩からさげていた。
洋服は職場で決められているのだろう。
白いブラウスの上にチェックのチョッキのようなものを着ていた。
紺色のスカートはひざ下まであり、それにあわせて黒いヒールを履いていた。
当時部活の練習で日に焼けた肌をしていた中学生のわたしにとって、憧れの存在でとてつもなくまぶしくうつった。
いつかわたしもあんなふうに颯爽と歩くオフィスレディにでもなるのかなと勝手に夢をふくらませていた。
こんなわたしにもニコニコした笑顔をむけ挨拶をしてくれた。
お姉さんに会うときはなぜか少しどきどきして恥ずかしかった。
特別親しく遊んでもらった記憶はないけれど、長女のわたしにとっては本当の姉ができたようで嬉しかった。

そんなお姉さんもいつもいつも明るかったわけではなかった。
少し伏し目がちで大きなため息をついて家から出てくることもあった。
きっと人に言えない辛いことや苦しいことがあったのだろう。
そんな日が続くとものすごく心配になったけれど、またあの笑顔ですれちがえたときは心底ほっとしした。
やっぱりお姉さんの笑っている時の姿が一番好きだった。

それから月日は流れた。
お姉さんはその家から居なくなった。
遠いところにお嫁にいってしまったらしい。
遠いところってどこだろう~、元気にやっているのだろうか~。
想像することしかわたしにはできなかった。
そして、少しずつお姉さんのことを忘れていった。

わたしも大事な高校受験や大学受験を経験し、少しずつ大人の階段をのぼっていた。
前はお肉を好んで食べていたけれど、今は有機野菜や消化にいい食べ物に興味をもつようになった。
夏は紫外線なんか気にせずさんさんとふりそそぐ太陽の下部活のテニスに精をだしていたけれど、今はいかにしみやしわを防ぐ化粧品を見つけられるか
に時間を使うようになった。
キャラクターがプリントされているTシャツよりも、少し品がある無地の洋服を好んで着るようになった。
お菓子はあまり食べなくなった。
マンガや恋愛もののドラマよりニュースを見るようになった。
多少のことではわたわたと怖がることがなくなった。
遠足の前日のようにうきうきやわくわくすることが減った。
いつもいつも明るい明日が来るわけではないということを悟った。
時間的制約がある限り限界というものがあることを知った。
色んなことが自分の知らないうちに確実に変わっていった。
私は少し大人になれたのだろうか。

お姉さんをまた見るようになったのはそんなふうにわたしが大人に近付いているときだった。
金木犀の香りに包まれてあの玄関から出入りする姿があった。
一人ではなかった。
お姉さんの腕で大事そうに抱かれた小さな小さな赤ちゃんも一緒だった。
白いふわふわの生地で包まれたその子は天使のような微笑みをお姉さんにむけていた。
それを見ているお姉さんの顔はそれ以上の笑顔だった。
守るべき存在ができたお姉さんは前よりもたくましく見えた。
日が陰ったころ、ベビーカーにその子を乗せゆっくりとゆっくりと歩いていた。
聞き取ることはできなかったが何か優しく話しかけながら。
その時、一つ間違いなく言えるのは、その瞬間確かにお姉さんは幸せだった。
そしてきっと今も幸福な人生を送っているに違いない。
そうであってほしい。

わたしも結婚を機に地元を離れてしまったが、金木犀を見ると思いだす。
金木犀のお姉さんのことを。

 

 

 

生きる

 

みわ はるか

 

 

沈んでいく太陽を1人でずっと、ずーっと見ていた。
まっすぐにのびた川が流れる河川敷の階段に座って。
お尻が痛くなっても目をそらさずに西の空を見続けた。
山にかかった雲は夕日の光を吸い込んだように黄金に輝いていた。
美しいというのはこういうことを言うんだろうと思う。
この日、この時間、ここにいることができたわたしはラッキーだ。
1日の終わりをこうして終えることができたとき、今日は人間らしい生活がおくれたなと感じる。
1人ででも強く生きられたなと安堵する。

「その人」はとても明るい人だった。
たいていの物事はポジティブに捉える人だった。
そして入社したてのわたしを娘のように可愛がってくれた。
誰になんと言われようとも常にわたしの味方になってくれた。
少しめんどくさがりで、ずるいところもあったけれど、「女は愛嬌よ。」といって生きている人だった。
わたしは「その人」のことを心から信頼していたし、ずっとわたしのよき上司として一緒に働いていけるものだと思っていた。

私は元来、常に最悪の場合を想定してしまう癖がある。
どうしよう、どうしよう、どうしよう・・・・・・。
もしも・・・・・・のあとに続く言葉はいつも否定的な内容になりがちだ。
こうやって意味もなく、当てもなく悩んでいるうちに1日はあっという間に終わっていく。
何もたいして解決しないまま。
無駄な時間だとは頭ではわかっていてもこの思考回路をストップさせることができなかった。
だから、「その人」は私に対して救世主だったのだ。
「なーんだそんなこと、気にしなくていいのに!」
「大丈夫大丈夫、もっと楽に考えて。たーいしたこじゃないから。」
「そんなことより新発売のあのチョコレート売店に買いに行こう。」
笑うと八重歯が見え隠れする口を大きく開けてそう悟してくれた。
話を聞いてもらうだけで楽になれた。
平易な言葉だったけれど、「その人」からかけてもらう言葉には魔法がかかったかのように人をリラックスさせる効果があった。
滝のように涙がでた次の日に笑って出社できたのも、「その人」が自分のことのように一緒に悩んでくれたから。

でももう「その人」はいない。
「その人」の「仕事辞めます」という宣告は急だった。
そして本当に次の日から「その人」は来なくなった。
ロッカーもデスクも「その人」のものは何一つ残っていなかった。
毎日コーヒーを飲むために使っていたマグカップだけが忘れられたように食洗器の中に取り残されていた。
辞めたのは家庭の事情だと、あとから上司に聞いた。
嘘か本当か確かなことはわからないけれど・・・・。

「その人」のいない次の日がやってくる。そのまた次の日もやってくる。
時間は規則正しく毎日を動かしている。
人もそれにのっとって動き出す。追いてかれないように。
強くたくましく生きていかなければならない。
「その人」はもういないのだから。

朝、東の空から昇ってくる太陽はわたしには眩しすぎる。
1日の始まりをつきつけられたようで朝日は苦手だ。
それでも、その光を背中に感じながらぐっと前に1歩ふみだす。
それができたら、次は反対の足をそれよりももう少しだけ前に運ぶ。
頑張りすぎずに頑張る。
なんて都合のいい言葉なんだろうと思うけれど、なんていい言葉なんだろうとも思う。
こうして「その人」のいない戦場に向かう。
ゆっくりと、でも着実に。
「その人」を 心の支えにして。