漢俳九句

 

Sanmu CHEN / 陳式森

 
 


所有的音節
在你名字的季節
我駐足不前


回聲,再一次
等奧登詩中的鹿
靜靜地入雲……


零碎的殘骸
關於未來的懷念
如指骨一般


輕微的痛楚
昏暗的光陰動刀
折斷了寂寥


一再地潦草
詩爲你心跡賦格
擦傷了薑花


猶豫的樂譜
莫扎特降E大調
麋鹿,我的心


餘下的緘默
在深處風暴深處
最暗涌,不期。


萋萋失芳草
第二個天空,忽焉!
忽焉萬千劫。


堅硬的淚水
……這些日後的硝煙
敲打著金鐘!

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しじみのカケラ

 

村岡由梨

 
 

今春小学校を卒業した花の荷物を整理していたら、
彼女が昨年書いた作文を見つけた。

 

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「しじみ」

しじみは四月の終わりごろに死んでしまいました。
しじみは一昨年の十二月に、家の近所でニャオニャオ鳴いているところを拾った猫です。
たった一年とちょっとの少しの間しか、一緒にいれなかったけれども、しじみは私たち家族にとって、とても大切な存在になりました。

しじみは、出会ったときはボロボロで、皆最初は野良だと思っていましたが、そうとは思えないくらいおっちょこちょいで可愛らしい猫でした。それにとてもおとなしく、白い足袋(足袋をはいているように足だけ白い)や白い胸毛、かぎしっぽがチャームポイントです。

しじみの名前の由来は、母の好きな小説、「クレヨン王国の赤とんぼ」にでてくる死なないトンボ「ふじみ」を少し変えて「しじみ」という名前になりました。母は昔、白文鳥と桜文鳥、ラブラドールレトリーバーの三匹のペットを亡くし、死なないでほしい、という願いからつけられた名前だそうです。

けれどしじみは出会う前から心臓に腫瘍があり、動物病院のお医者さんからもあまり長くない、明日死んでもおかしくない、と言われていました。

明日死んでしまってもおかしくない毎日を一年以上も頑張ってくれていました。私は、しじみの写真をたくさんとりました。死んでしまったとき思い出せなくなったりしないようにです。

今年の四月ごろ、しじみがあきらかに、具合が悪くなっていきました。
死んでしまう一日前、しじみはめずらしく私にすりよってきてくれました。もしかしたらこの時以外、しじみからすりよってきてくれたことはなかったかもしれません。しじみはカタカタふるえていました。きてくれたことに喜びもありましたが、ふるえていることがとても心配でした。この時とった動画が、しじみが生きているとき最後の動画になりました。

しじみはさらに容体が悪くなってきたため、その日に夜間にやっている大きな動物病院へいきました。
翌日の早朝、父が冷たくなったしじみをつれて帰ってきました。
しじみは片方の肺が腫瘍でうめつくされていたらしく、常に高山にいるような状態だったそうです。

父は声を出してずっと泣いていました。私が初めてみるくらい泣いていました。私は、最初意外と落ちついているなと思いましたが、寝ているようでぴくりともしないしじみを見て、もう一生帰ってこないんだ、と急に悲しくなってきて、泣きました。

私たちは、しじみを保冷ざいで囲み、バスケットに入れ、生花でしじみをうめました。私と姉は、小さく可愛らしいマーガレットのような花で花かんむりを作り、しじみにかぶせました。そして写真をとったり、肉球に朱肉をおしあて、いろんなものに肉球はんこをおしたり、ブラッシングして毛をとったりしました。

しじみが死んで、約四ヶ月。いつも形に残すことの重要さがとても身にしみます。
今、私の家には三匹猫がいます。全員一才のメスです。皆保護猫カフェで私たちが選んだ猫たちで、とても甘えん坊です。

この子たちには、しじみの何倍も元気に生きて、どんどん甘えてほしいです。そしてこの子たちが死ぬまで、たくさん思い出を形に残していきたいです。
 
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グレーキジのナナ。
キジ白のサクラ。
キジトラのクルミ。

今年で2歳、元気盛りの3匹の
どんな姿も仕草もかわいくて、
一日に何度も写真や動画を撮る。
よく撮れると人に見せたくなって、
インスタグラムやフェイスブックにアップする。
すると、「いいね!」がつく。
こんな時、しじみが遠くなる。
私は、自分が、配慮に欠けたひどく薄情な人間に思えてしまう。

そんな風に慌ただしい日常に飲み込まれて、
かわいかったしじみの記憶が薄れていくのが
ただただ、悲しい。

そんな時、花のこの作文を読んで、タイピングしながら、
胸の奥からこみ上げてくる涙を抑えることが出来なかった。

少量のご飯を一生懸命に食べていたしじみ。
食事の後、陽のあたる部屋の片隅で、
気持ち良さそうにグルーミングしていたしじみ。
時々私の撮影部屋にそっとやってきて
広げたダンボールの上で日なたぼっこしていたしじみ。

しじみ しじみ しじみ
忘れない
忘れたくない
忘れられない

しじみのようなちっぽけな猫が
生きようが死のうが
この世界はビクともしない。
何事も無かったかのように、事は進んでいくだろう。

けれど、時には時間を止めて。
確かに、しじみはここで生きていた。
間違いなくこの世界の一部だった。
そして花も私も、その一部なんだろう。

世界はそんなちっぽけなカケラが集まって出来ている。
猫とかヒトとか関係ない。
どのカケラも、世界は平等に愛するべきで
どのカケラが欠けても、悲しく虚しい。
欠けたカケラの空白に
ぴったり収まるようなカケラは存在しない。
空白は空白のまま。

そんな不完全で不器用な世界に、
私たちは生きているんだね。
たくさんの空白を抱えたまま、
今日も生きていかなければならないんだね。

そんな悲壮な決意をいだいて
私たち家族は、
しじみの空白を胸に抱き
今日も生きた形を残していく。

 
 

しじみへ

あの時
私のベッドで
痩せた体を横たえて
苦しそうに呼吸をしながら
遠くを見ていたしじみ。
一体何を見て何を考えていたの。
部屋の灯りが両眼に反射して、とてもきれいだった。
今どこにいるの。
もう一度しじみに触れたいよ。

 

 

 

 

松田朋春

 
 

一日中コーヒーを焼いて
たまりかねた隣人が小言をいいにきた
ベランダではアスパラがぐんぐんのびて
いちごが赤くなって
めだかは一匹ずつ死んで
キャベツの芋虫がまた大きくなって
風がふくとすべてが揺れて

黄色い靴の夢をみた
あとでその意味を調べようと思って
もういちど眠った

何を書いても暗示してしまう
みんながつながってしまった世界に
ほんとうの他者はいない

 

 

 

voyage・航海 空の旅

 

さとう三千魚

 
 

今朝も

5時に
スマホは振動した

モコと

女を
起こさないよう

ベッドを
離れた

部屋の窓をあけた
西の山をみた

晴れあがった
空に

燕たちは飛んでた

川面の虫を
捕っているのだろう

この季節
燕たちは遠く

南アジアから
渡ってくるのだという

遠い空を飛んで

この国の
家々の

軒下に

子どもたちを産み

育てて
帰っていく

燕たちは曲線を曳いて飛んでいる

チキチキ
鳴いて

飛んでいる

赤い首をまわして飛んでいる

燕たち
風の中を

 

 

*タイトルは、twitterの「楽しい英単語」さんから引用させていただきました.

 

 

 

#poetry #no poetry,no life

ジャスミン

 

工藤冬里

 
 

嫉妬するジャスミンはおだやかにものを言うことができなかった
金持ちすぎて女の子として育てられた
あっけらかんと夢を語ったので
マグロ船に売り飛ばした
嫉妬を宿してウグイス色の盲目に
生まれた時赤く、土地も赤く、スープも赤かった
自宅待機で髭が伸びた奴が多い
わかりやすい話をするのはなぜ大切ですか
空気に話すのはドルフィ
下書きからジャーゴンを削除せず置き換えてありふれた雲を演奏
全部貰い物で食べに行ったよ
一つ以上の見方があることも知っている
持ち出し袋に十九年分の責任を入れる
委ねられた二十キロの銀
持っていない人は、持っているものまで取り上げられる
川崎の馬
を念頭に置いて
クッキーの型を押す
エッヂがきれいだ
差し出すほどに愛して
エッヂが嘘つきです
できないからです
馬も愛さなければなりません
瞼がみどりの
感情を犠牲にして平和島記念を取り戻せ
他の人がすれば良い
最後まで蝕まれるのを許さなかった
端からみどりの腐食、

 

 

 
#poetry #rock musician

district・地区 地方

 

さとう三千魚

 
 

夕方

モコを
車に乗せて

港まで行った

海浜公園も

港の
駐車場も

閉鎖されていた

行き場もなく
帰って

近所を散歩した

小川の土手の韮の花の白く咲いている

道端には
オルレアの

花も
白く咲いている

オルレア
セリ科の花だという

芹の花も
白だ

秋田では田圃で育てていた
納豆汁に入れた

薬草なのだろう

一昨日みた
“火口のふたり”という映画を

思い出している

秋田が
舞台だった

象潟だろうか
海が見えた

西馬音内の盆踊りの景色もあった

セックスばかりしていた

男と女には
そうしたこともあるだろう

“火口のふたり”

もう
夜になった

西の山も見えなくなった

 

 

*タイトルは、twitterの「楽しい英単語」さんから引用させていただきました.

 

 

 

#poetry #no poetry,no life

lol

 

工藤冬里

 
 

表層が剥ぎ取られ
惨めな層と交代する夜更けに
節節は散けて
投げ出された骨は
絵文字の丘で
発掘されるのを待つ
水枕ガバとある種の恐ろしい予期だけが骨となっているlol

耳鳴りの視野に検出されたされないで幸不幸は入れ替わり
警告なしで点滅する運不運を速報する
フォーマットされてからのDNAの回復はない
爆報とはよくも言ったもので
IT用語に換骨された器形を裏返しにして
戻ってはならない後ろを振り返らせる
後ろを安全に守ろうとする者はデータを失い
失う者はデータを生き長らえさせる
その夜、二人のデータが一つの寝床にいるだろう
一方は移動され、他方は消去される
その時二人のデータが(たぶん有機の)畑にいるだろう
一方はコピーされ、他方はごみ箱からもいなくなる
二人のデータが車なんでグラスは一つ〜とか偽って同じ瓶ビールから飲んでいるだろう
一方はクラウドに保存され、他方は共有を切られた前機種と共に消滅する
死体置き場には鷲も集まっているだろうlol

音の立ち上がりは敵味方をはっきりさせる
幸不幸運不運に関わりなくCOVID-19PANDEMICの間でも
だめなものはだめだ
顔の左右非対称が進む政治家のように
なぜ?と訊かれたら
終身パスポートをもらってもウォルトに愛は感じない、と答える
遠くの絵文字の丘から毎日摘んで来てくれたらだんだん感じるかもしれない
“彼(lol coxhill)の音楽にはユーモアがあったが、フリーの演奏は冗談ではないことを観客に伝える必要があると時々感じさせるものだった” (wiki)
愛しているか知るために試しているんです
行おうとします
しかも一生懸命にそうします
デレク・ベイリーとリチャード・タイテルバウムの二人のデータ(あまりおもしろくない)が左右対称性の後ろをあるく
鳥は鳴く
変わらないなら罔(クラ)く殆(アヤ)うい

 

 

 
#poetry #rock musician

ふいに真の恋に

 

駿河昌樹

 
 

わたしの詩の読みかたなんぞ
いいかげんである
なにをするのもいいかげんだが
詩なんかを相手にするときなんぞ
なににもまして
いいかげんである

けれども
いいかげんな読みかたをしてさえ
りっぱに引き込まれちゃったりするか
どうか
詩の見分けかたは
そこにあるような気がしている

いい詩というのは
読み手のいいかげんさを貫く
まるで
怠け者でぐだぐだで
あたまも悪い愚か者が
ふいに真の恋にだけは貫かれるように

 

 

 

発生即思い出

 

駿河昌樹

 
 

いまとなってはいい思い出だ と よく 言う

これもいつか いい思い出になるよ とも けっこう 言う

ぼくのいま現在の感覚をしゃべらせてください
毎瞬毎瞬が発生即思い出です
いつの頃からかそうなってしまって
もう
ありありと発生即思い出です
一瞬一瞬なにかが起こったと同時に思い出として思い直しているのです

あ 洗濯機がピーピー言って
洗濯の一回分を
はげしく懐かしんでいる!