光の果実

 

原田淳子

 
 

 

きみが知らない
きみを葬ったそのときのことを

雪で埋もれたきみの墓のまわりを
一羽の尾長が
真っ黒な尾を振りながら舞い降りた

手向けられた花は凍っていた

尾長の彼はわたしのそばから離れず
歩きながら剽軽に尾を振った
わたしは笑って
尾とともに頷き首を振った
それが大地を刻むリズムであることを
生きてる彼は彼の体積で示した
彼のやり方で

それが鈴懸の木の実を揺らす歌であったこと

それが愛おしい歌と似ていたこと

終わりに吹く風は
始まりの歌であったことを
きみの土に口づけで伝えよう

まいにち、砂を噛む思いだと、
いつかきみは囚われた家の窓から呟いた

毒を培養する壁を
わたしはなぜ焼かなかったのだろう

送受信が緻密に発達したこの家を
わたしはなぜ壊せなかったのだろう

毒を薬に換える手立てを
まだわたしは探している

きみに似て非なる近しい者たちが
鈴懸の実を揺らす
ここそこに

これが時間なんだね

水と
歌が流れる
誰もが光の子どもだったことの標に

貝は傷ついて真珠を生むのですって

その光の粒は
埋もれても
汚れることはないでしょう

ゆきたいのは 春のむこう
触れても壊れることのない あたたかさ

 

 

 

MARIA

 

有田誠司

 
 

病室の小さな窓辺
其処から見える世界 それが全て

詩人達は皆んな狂っているんだろう

遠くの空を自由に飛ぶ鳥の姿を
ずっと見ていた

僕の大好きな君の詩は 今でも胸の中に
その祈りにも似た言葉は
君の命そのものだった

また君の詩が読みたい

神様お願い あの娘をかえして

 

 

 

ケラレタサ エス

 

道 ケージ

 
 

ボクけられた
それはボクでないけれど
ボクらしい

デカいブタが
いいかげんにして、ぶー!と
蹴ってきた

ボクじゃないけど
ボクらしい
なぜボクと気づくのか
ブタのくせにさ

ボクじゃないよ
でもボクかな
なぜオマエは気づくの
蹴るかブタ
ブタけったぶたけった

がはがは それエス
独り言だったようだ
ないないないって探してると
蹴られたさ
夜中にパノニカ探すな、マン!ってさ

 

 

 

最後の戦争

 

工藤冬里

 
 

Unifica mi corazón

きみが居なくなったら誰が打ち上げで会計やるんだ。コロナが退いてもきみがいなければ高円寺では打ち上げという文化そのものがなくなってしまうかもしれない。それでは学校側の思うツボだ。何の学校だか分からんけどとにかく学校だ。学校は敵だ。意識などなくても会計は西村がやる(多分)。だから死ぬな。

蛙は自分に似せたものに竦むだけだ。それは出会いではない。
https://twitter.com/katouikuya_bot/status/1490773754947203072?s=20&t=praaiLzcZmKGitLwCaqm3g

las cuerdas del amor

Feliz el hombre que sigue aguantando durante la prueba

既に過ぎ越す満月を観ている訳だからちょっと違うし晴れの予想は当たらなかったのも併せて鑑みるに総じて高等なケーキにしようとした駄洒落に過ぎない。
https://twitter.com/katouikuya_bot/status/1491528754677514240?s=20&t=praaiLzcZmKGitLwCaqm3g

最後の戦争

戦いは全て比喩的なものに変わったのだとばかり思っていた
安全ピンを抜かれ
宙空で爆発した手榴弾の記憶を
今度は天から投げる
オーストラレイシアは渚にての舞台となっただけではない
終わりを跨いで売られるワニガメのフィギュアは
私たちをやっと軍国少年の緊張状態に戻す
あゝそれでも今まだ生きている人々に
一人でいるのは健康に良くないと伝え
小規模な暴発を抑え込んでいる

El Diablo ha bajado adonde están ustedes lleno de furia, ya que sabe que le queda poco tiempo

ラジオで白い恋人たちが流れて、当時父と八重洲で観たのを想い出した。敗者だけにスポットを当てる小癪な自恃の垣間見える反米映画ではあったが、オーボエの音色とゴルソン的な編曲がその後の自分の芯のようなものになっているのを確認できた。冬季五輪はグルノーブルで仕舞、で良かったのではないか。

オートファジー16時間まであと少しだからジャズでもと思ってマリモに行ったら電電公社から20年前に解約した店のピンク電話の請求が今頃来たと言うのでスマホの操作を教えたりして2時間、高校の頃からだから親孝行してる気分。流石に珈琲はただにしてくれた。

フレデリック レオ=レオニ

さきこさんこりゃ凄いわ
https://youtu.be/Ro8uykwgWZQ

前線は、まだ生きている観客を無視し、復活してくる死者のために撮る、という映画史上前代未聞の段階に進んでおり、まだ生きている人々のアカデミー賞などは何の意味も持たない。

出だしの音程が低いのは彼のその日のルート音を表している。それはインタヴューのくぐもった調子からも明らかだ。
https://youtu.be/dTkPOt2L7sI

it is faintly audible but I joined in on the violin
https://youtu.be/58h70HgJGY8

Si el pie dijera “Como no soy mano, no soy parte del cuerpo”, no por eso dejaría de ser parte del cuerpo

@KURONECORD 最近右肩が上がらないのですがどうしたらいいでしょうか
@_YukioHakagawaこんにちは 痛いですか?
@KURONECORDはい
@_YukioHakagawaもし首を回せるなら、いろんな角度に回したりストレッチをしてみてください
力を抜いて ゆっくり 丁寧に
奥で繋がる場所を感じながら呼吸させます
痛みがある場所は無理せず、気持ち良いということを大切に行ってみて下さい
@KURONECORDふむふむやってみますありがとうございます
@_YukioHakagawa左手のひらで、右鎖骨下あたりを押さえながらやるのも良いです(できるなら逆も)
周りの筋膜が少しづつ動くようになってきたら、肩を動かす(腕を上げるではなく、肩だけを上下させるなど)ことも試してみてください
大事なのは「愛してる」と唱えながらです
@KURONECORDおお

帝王のものをたれにかへすか
https://twitter.com/katouikuya_bot/status/1492917882124386304?s=20&t=PYtAvBTjSb7-Qlfz7pvE3Q

五七五とはわがままな豚
https://twitter.com/tomizawakakio_b/status/1492981944904077312?s=20&t=PYtAvBTjSb7-Qlfz7pvE3Q

north脳にno snow
neige neigeと一人相撲
シベリア鉄道?jamaisここはサイゼリヤ
使い途ない傘はどうする
蛇の目で義太夫amplifier

 

 

 

#poetry #rock musician

結界

 

松田朋春

 
 

嫌われ者がいなくなった
ゴミ出しを咎めて袋をあけ玄関まで戻しにきた
犬がうるさいと騒ぎ
施設で遊ぶ子どもがうるさいと文句を言い
まちに注意書きが増えて
嫌われ者の家には監視カメラが幾つもついて
塀に上にはピカピカの防犯金具が並んだ

嫌われ者がいなくなる
と噂が流れて
喜びを感じた
たくさんの人が
犬が
施設の従業員が
雲が晴れたように
ほんとに

会ったことはなかった
理不尽さが周囲に
強い輪郭を張っていた
芯にあったのは
憎しみなのか
何への?

伊豆に越していった
いつか来る喜びの日は
あっけなくやってきて
家ごとの取り壊しがはじまって
新しい建売が建つ
新入りさんはとてもいい人にみえるだろう
嫌われものが作った
結界のことはすぐに忘れ去られるだろう
近所の公園で首を吊った
独居老人のアパートが
きれいなレントハウスに変わった時のように

株のデイトレーダーらしい
挨拶もなく見送る人もなく
まちの人に失敗を願われて

ひとりで住む新しい土地で
結界はまたゆっくりと
立ち上がるのだろうか

 

 

 

當傍晚無聲地抹去星辰
夕暮れどき沈黙のうちに星々を消し去る

 

Sanmu CHEN / 陳式森

 
 

當傍晚無聲地抹去星辰,前世
塵土,起伏如波瀾
黑暗的文件如晦,裏面好黑
大地蟄伏,花朵猶豫

最難將息,寒冬骨架
從來世生出肋骨,種子沉痛
家譜灰燼;那就重讀灰燼,從此無名
此刻退色,你是唯一的音節。

就是不屈服的石頭
那些在流亡裡往返的孤魂
洗滌我們的盲文,奧德修斯!
來到盡頭我一無所見

 

 
 
當傍晚無聲地抹去星辰,前世
 夕暮れどき沈黙のうちに星々を消し去れば、前世の
塵土,起伏如波瀾
 土ぼこりは、大波のように高まり鎮まり
黑暗的文件如晦,裏面好黑
 暗黒の文書は読みようもなく、中身は真っ黒だ
大地蟄伏,花朵猶豫
 大地は寒気に沈みこんだまま、花はまだ開きかねている

最難將息,寒冬骨架
 いちばんの災いは終わろうとして、 寒い冬の骨組みに
從來世生出肋骨,種子沉痛
 来世からあばら骨が生え出しても、種子は悲痛のうちにある
家譜灰燼;那就重讀灰燼,從此無名
 系譜は燃えかすとなり、ならば燃えかすを読みなおそうとも、それからもう名前はない
此刻退色,你是唯一的音節。
 この時間は色あせて、きみがただ一つの音節だ。

就是不屈服的石頭
 これこそ不屈の岩石たる
那些在流亡裡往返的孤魂
 流亡のうちに行き来する寄るべなき彼らの魂は
洗滌我們的盲文,奧德修斯!
 我らの点字を洗い清めるのだが、オデュッセウスよ!
來到盡頭我一無所見
 しまいまでいっても私にはなにも見えないのだ

 
日本語訳:ぐるーぷ・とりつ

 

 

 

 

きびしいこらしめ *

 

さとう三千魚

 
 

雪が降るのだという
春は近いのか

あたたかい昼には
突発性の

難聴が
すこし

ゆるむようだ

そう
思える

今朝
サティを聴いてみた

他人の耳を持つことはできない
わたしの耳で聴いた

いま
きみを

みている

きみは恥ずかしそうに笑った

 

* 高橋悠治のCD「サティ・ピアノ曲集 02 諧謔の時代」”(犬のための)本当のだらだらとした前奏曲” より

 

 

 

#poetry #no poetry,no life

立春大吉

 

工藤冬里

 
 

Una nación poderosa e innumerable ha invadido mi país

Los demás son superiores a ustedes

石原さんが都知事の頃、西東京で営業の仕事をしていましたがどうやら向いてなくて、どうやって生活したらいいのかまったく分かりませんでした。そういう時期に、都営にただで住まわせてもらってました。ありがとうございました。
私は最近まで都知事はずっと美濃部さんだと思ってましたからこういうふうにも言えると思います。東京は存在しない。いや、日本も存在しない。あるのは鈴木、スズキというような発音だけだ、だから東京ではなくて鈴木都だし五輪参加も鈴木国でいい。東京だと奥の細道が拡がり、鈴木はそれを狭めるのだ。
川の両岸には鈴木が生えている。2キロ歩かないうちに鈴木川河口くらい深くなる。鈴木の葉は若返りの茶にするので小判にも彫られた。鈴木弁を咄す人は代わりに煎餅を焼いた。鈴木には金山がなかったからである。

なにか潰れたと思ったら外では笑い袋のような鳴き声

Nadie tiene amor más grande que quien da su vida por sus amigos

沢庵カレーていいんじゃないの?ウコンだから
桜三里の心(しん)は手打ち麺で頑張っていて、二流でも三流でも六流でもない。が、一流ではない。
それはこの地方の鶏ガラの敗戦後の扱いに於ける先入主から来ている。この地方で唯一一流と言えたのは春光亭のみであった。
それは春光亭がヌーヴェル・キュイジーヌとしての和食史の文脈に位置付けられ、しかもフィールドとしての純ラーメン店群の只中で営業し得ていたからであった。
シロノトリコなどがいくら頑張っても、春光亭頓挫以降の愛媛のラーメン史は存在しない、とさえ言えるのだ。
その迷走を体現しているのがりょう花東温実験店であると言えよう。
それは甘苦い松山三井の呪縛と闘う日本酒業界にも言えることだ。
それらの退廃は、バップの超克に疲れたフュージョンや新建材の建売住宅群のように風土となって久しい。
どこに真の味覚が、音楽があるだろうか?それは各自が自分で創り出す以外にないのである。
そのような中にあって、真に大阪的とも言えるダイドードリンコが開発した「当社デミタスブラック史上最高峰のコク」と謳われるプレミアムデミタスは一流であり、山崎が書きに書いて最期に到達する掌編、のようなものがあるとすれば将にそのような味わいがある。

倉敷がビスケットを創るとこのようなものになるのか。
味覚面の情報を削ぎ落とすことによってのみ可能な、形と量に関わるデザインである。

Corramos con aguante la carrera que está puesta delante de nosotros

どんどん歳とって死んでゆくので
新台入替に並ぶ
皆200万くらい捨てていた
皿ヶ嶺から冷気が降りてきて
屏風の虎も飛び出る
鈍い金属の頬が
換気の必要に気付く頃には、頸骨は絵本のように磨耗して
きちんと飲まないと溺れてしまう
今は腰くらい
火挟の要らない森で
N極S極を探す

una vida tranquila y calmada

ヤマハとターナーがアーティスト支援の立場で一緒なら絵の具とデジタル音は同じ素材である。それは冷蔵庫や空気清浄機と結婚するようなものである。そうではなく、太陽を黒焼きにしなければならない。

椿山旧正月に来る賀状オリーブオイルが固まる寒さ

雪まるけ

抽象を目指していない具象は仏教的には業が深いというか過去を弄れてない。だから未来がない。組み直しの遠近法は建築家に与えられた特権だ。それが泥に沈もうともまずは描いてみることだ。

今図書館車に積んでいるのは晩年のこの三冊です。

https://twitter.com/library_nara/status/1489165204982095875?s=20&t=4lV1kauClFMnN8xifpsccA

今図書館車に積んでいるのは2017年の「芝公園六角堂跡」のみです。2019年の「瓦礫の死角」「掌篇歳時記 秋冬」は本館にあります。
https://twitter.com/kyodo_official/status/1489815762315677700?s=20&t=4lV1kauClFMnN8xifpsccA

「死ぬまで生きる 伊藤ひろみ」と書いたメモを持って来てくれましたが、それは「いつか死ぬ、それまで生きる わたしのお経 伊藤比呂美」でしょう。ズバリそうでしょう。

テキ屋にはつらい春だ

カイロの残りを風池に当てて低温火傷のような立春

立春大吉
映像美などというものが何の役にも立たない原の柩の列に倫理の雪
口を開けずに喋る両生類たちにゴムの継目
ぶら下がりぶら下がるカットソーは二種類の糸を織り交ぜたワールドリィの抜け殻
巣鴨も今は疎だろう弛んだ赤の勝敗
最初から覚える気のない動物の諦め切った發音
参道に出店は許されずテキ屋にはつらい春だ
カイロの残りを風池に当てて低温火傷のような立春
聖なる者は母を敬う鬼は線対象の過去と未来に立ち尽くす

Unifica mi corazón

 

 

 

#poetry #rock musician

ぼくはにほんごを知らない

 

駿河昌樹

 
 

 「ひとつの文体とは、
 自分自身の言語[自国語]において吃るようになることである。
 これは難しい。
 なぜなら、そのように吃ることの必然性がなければならないからだ。
 自らの発話において吃るのではなく、言語活動それ自身で吃るのである。
 自分自身の言語において外国人のようであること。逃走線を描くこと。
 私に最も強い印象を与える事例は、カフカ、ベケット、ゲラシム・ルカ、ゴダール
 である。」

 (『対話』、11)

  ジル・ドゥルーズ+クレール・パルネ『対話』

 
 

「書くことは正確な人間を作る」
という
小学校で
先生が強調した
フランシス・ベーコンのことばを
信じたわけでもないが

たぶん

ぼくは
ゼロから
にほんごを学ぼうとして
つとめて
ことばを記すようにしてみている

ぼくは
にほんごを知らないのだ
なんだか
よくわからない

しかるに
まわりのひとたちは
にほんごなんて
わかっているのが当たり前だというように
にほんごをじぶんたちは所有しているかのように
ぺらぺら
にほんごをしゃべっているし
さくさく
にほんごを書いている

こどもの頃から
それに
すごい違和感があった

にほんごは
なめくじのように
いつも
どこかどろどろしているし
ひとも来ない汚れた小さな神社の柱に
むかしに貼られたままの紙の
そらおそろしい字のように
きもちわるい

ぼくは
すこしでもどろどろしないように
きもちわるくならないように
にほんごに慣れよう
にほんごの裏の思いのようなものを見抜こう
と思って
にほんごを記してみている

そういえば
フランシス・ベーコンは
じつは
「読書は充実した人間を作る
 会話は気がきく人間を作る
 書くことは正確な人間を作る」
と書いたのだそうで
だったら
読書だけでいいかな

いまのぼくは思ったりする

本当は
充実vs気がきくvs正確
をこそ
ベーコンは問題にしたのだったかも
しれない

だいたい
小学校の先生が
ベーコンのことばを引用したのも
ノートのとりかたを
教えるときの
かっこ付けだったかもしれない

読書のすすめのときなら
「読書は充実した人間を作る」
のほうを
きっと
引用しただろう

学校の先生というものは
いつも
ご都合主義な
ものなのだから

 

 

 

餉々戦記 ( スティックセニョール、セニョリータ! 篇 )

 

薦田愛

 
 

大阪北辺午後四時ちかいスーパーで
かごを手にひとめぐり
あれ小松菜もほうれん草
ニラも並んでいない
あるにはあっても手が出ない
見切り品もない
なんて時
間引き菜だの小かぶの葉つきだの
あれば重宝なのに
それも見当たらないと本当に往生する
だからね
緑のものがみえると
手がのびる
そう
緑みっしりひと色の
げんこつもしくはブーケ
ブロッコリー
黒ずんだのやら少し黄色くひらいたのやら
積み重ねられた緑の確かさを
抱き取ってしまう
ああ でも
それだけ焦がれた緑だのに
いざつれて帰り
かたまりの半分をゆでてマヨネーズで食べると
鉢にふたつ三つ残る
あとの半分はゆっくり
野菜室の隅でしおれていく
どうしよう ああこれならと
ささみを削ぎ切り湯がいたのとナンプラーで和えてみても
んん
美味しいにはおいしいけれど
しみじみしない
しっくりこない
「なんだか、ブロッコリーっていうものは
どう食べたらいいのかよくわからないね」
と、つれあいユウキも微妙な顔
そうか やっぱりか
私もだよ
それなら買わなきゃいいのに
緑の引力なのかな

「いつか畑をやりたいな」
とユウキ
ふたりとも食いしん坊なうえに野菜が好きだし
貸し農園でも探してみる? 
私は探すだけだよなどと話すうち
瓢簞いや
ひょんなことから
東へ西へ
畑のできる住まいやぁいと呼ばわり呼ばわり
たずねあるくようになり
春が夏になり
あったのだった
大阪北辺の住まい近くをとおる国道の先の先
丹波という土地に
その秋ふたりで
引っ越した
直売所も近くにあって便利
ユウキ
畑をがんばってね

東京の友達とも大阪の知り合いとも
SNSでつながっている
と思うと心づよい
入谷でご近所だった
ヨガ講師で柴犬ママのマミコさんの
料理の写真が美味しそう
きくと最近
志麻さんのレシピ本でつくっているという (*1)
カリスマ家政婦として人気のひとだと
知った
その家の冷蔵庫にある材料で
おお、と唸る料理をつくるアイデアと腕のひと
おお、と図書館でレシピ本を借りてくる
付箋ふせんそしてカラーコピー
どうしてレシピはカラーじゃないと
つくる気がおきないのかな
モノクロコピーだと
仕舞ったままになるんだ
つくれるかもしれないメニューと
食べたことがあるもの
十あまりをコピー
なかになんきんやらブロッコリーやら
野菜をソテーするものもあった

今晩これをつくろうと
レシピをコピーしたりデータを保存したりするとは限らない
これ食べたいたぶん好き
できるかもしれない身体によさそう
そうやって溜まったコピーや切り抜きが
クリアフォルダーからあふれんばかり
束から引っ張り出しては
冷蔵庫の中を思い出し
時々開けてたしかめながら
これかな
これなんかどうかな、いや
ゆうべ鶏だったから
今日は豚か魚で何か、と並べてみる
一枚いちまいは端が折れ
破れかけを再コピーしたものもある
ユウキやきもき
ある日
「よかったらこれ使ってみて
もっとこんなふうにということがあったら
つくり直すよ」と
渡されたバインダー
大まかな食材別に分ければいいように
インデックスまで
二穴パンチで孔あけ
並べ直せば探すのに手間取らないよって
ほんとだね でも
メインが豚肉か鶏むねか
という分け方で綴じても、さ
ピーマンを軸に探したい時
見つけにくいよね
それに
A4サイズばかりじゃなくて
切り抜きやスーパーのラックから選んだカードとか
大小ばらばら
「コピーし直して揃えればいいんだよ」って
そのとおりだけれど
せっかくのバインダーも使えないまま
あふれかけた紙束のクリアフォルダーを持ち越して
こんにちに到る
面目ない
難儀なるかなわたくし

難儀なるかな
流行り病への対策が叫ばれつづけ
四人五人が集うこと
ねっしんに語りあうことももってのほかと
もとめられ
仲間との勉強会さえオンラインになった
そんな日の画面を閉じた午後五時すぎ
ユウキ、急いで何かつくるからね
ランチはつくってくれて洗い物まで
いつもはつくってもらった人が洗うのに
おかげで勉強会に間に合ったから
終わったあとは私が、と
気は急くものの手が遅い
ユウキの好きなホッケの干物おおきいのを焼いて
味噌汁は温めればいいから
そうだブロッコリー、あの
直売所で出くわした
スティックセニョール(*2)
袋づめのがそっくりあるからあれを

すっ と切り落とす
ひと枝
枝というより茎
包丁で
すっ すてぃっく
スティックセニョール、セニョリータ!
ブロッコリーの脇芽を集めましたという袋入りを買ったことがあったから
てっきりこれもそうだと思ったよ
げんこつもしくは緑のブーケは切ると粒つぶが散らばるし洗いにくい
細い茎を束のように詰めてあるのは扱いやすくてうれしい
すっと細く
すっと伸びた
く、き、茎ブロッコリーと呼んでいたら
いまひとつ広がらなくて
しげしげ眺めたのだろうか種の会社のひとが (*3)
すっと背が高いしね そう
セニョール、なんて感じかな
スティックみたいで、いやあと半ひねり
ステッキ持った紳士とか

すっ すてぃっく
スティックセニョールって
名づけてみたん
かな
などと独り言つ間もなく
すっと細い すっと長いのを
ざざっとざるに入れ
ざざあっと水換えてもう一度
さらに浄水かけて
ばさっと振る 床にもすこし降る
浅いフライパンにオリーブオイル熱し
にんにくのマッシュつとっ
ややあって
緑のス、スティックセニョールどさどさっ
並べて火を強く そして蓋
グリルにホッケも入れて点火
じじいっ わっ 蓋をとれば
ああちょっと焦げてきてなんだか
ほっこり香る

ス スティック
スティックセニョール 茎のみどりの
焦げるにおいってこんななんだな
岩塩ひとふた振り黒胡椒四、五振り
ハーブソルトもふた振り
ああ あれはどうかな
冷蔵庫からぽん酢つつっ じ じゃあっ
あっ ながれこんでくる
鼻腔の上奥へ
酸っぱからいこれ
「おっ、なんかいいにおい。なんだろ」とユウキ

へへ、なんだとおもう?
「え、うまそうだね
ビールがあいそうだ」
あっ あれっ
あのときカラーコピーした
志麻さんのレシピの中身はわすれて探しもしなかったけれど
こまって急いて
ええい
なんとなくやってみたら
「うん美味しいよこれ」
そうか、こんなのでもいいのかな
紙のレシピのファイリングじゃなくて
眼や頭のどこかに紛れていた残像が
知らずしらず美味しいほうへ誘ってくれたのかな
フライパンの焦げをおとすのでユウキに手間取らせてしまったけれど
「あれは美味しいよね」と定番になり
ス スッ
スティックセニョールを畑でふた株
つくってもらうこととなり
かぶや豚肉と炒めてもシチューに入れてもいいよねと
(つまるところ重宝なブロッコリーということだけれど)
次つぎのびる茎をもいできてもらっては野菜室におさめ
すっ すっくとのび続けるスティックセニョール
濃き緑を頬張りながら
スッ スティックセニョール、セニョリータ!
まだ知らないメニューを探している

 

*1 志麻さん・・・タサン志麻さん。フレンチ料理店の料理人を経て「予約のとれない伝説の家政婦」として人気の料理家
*2 スティックセニョール・・・ブロッコリーと中国野菜カイランを掛け合わせて作られた茎ブロッコリーの品種の名
*3 種の会社・・・スティックセニョールを開発・販売する会社、サカタのタネを指す