陽春白雪

 

工藤冬里

 
 

例えば春に、遠くの雪山をスマホで撮ると、頭で考えているより小さくてがっかりすることがありませんか? 遠近法を無視したり変えたりするのが絵画史であったと言えます。例えばソ連の素朴画家の「わが息子」という絵は息子が山より大きいし、松山の三津浜駅の「三津浜図」は遠く富士山まで俯瞰していて、これらの遠近法は地球が平面であるのと同じくらい正しい。
さて祖父の描いた戦前のモンパルナスです。彼の場合、遠近法はそのままに、強調したい丘のみを物理的に他より厚塗り(二センチくらい)するわけです。ですから絵というよりもはや立体に近い。ルオーは絵の具を削り落としてはまた塗るという作業を繰り返したそうですが、祖父の場合はケントリッジか石田尚志かというくらい途中経過も全て残しながら層を堆積させていったのです。それが僕の最近の、ボイスメモをGarageBandで重ねた「練習!パフォーマンス」という声の作品の情報処理の不器用さとふと似ていると思ったのです。

 

 

 

 

#poetry #rock musician

Turn off the radio.
ラジオを消しなさい。 *

 

さとう三千魚

 
 

I’ve been walking

morning
along the river

I walked to the estuary

I met stray cats

the sun was rising high above the peninsula

on the west mountains
there was a big white cloud

for tangerines on the windowsill

yet
white-eyes have not come

to the sign
because they fly away

be quiet
waiting

Turn off the radio *

 
 

歩いてきた


川沿いを

河口まで歩いてきた

ノラたちに
会った

半島の上に朝日は高く昇っていた

西の山の上に
白い大きな雲がいた

窓辺の蜜柑に

まだ
メジロたちはきていない

気配に
飛び去ってしまうから

静かに
待っている

ラジオを消しなさい *

 

 

* twitterの「楽しい例文」さんから引用させていただきました.

 

 

 

#poetry #no poetry,no life

 

塔島ひろみ

 
 

じゃがいもの窪みが黒くなってて、包丁のヘリで掘っても掘ってもどこまでも黒くて結局向こう側に到達しちゃって、なんだこのいもダメじゃん、てことがよくある。この前はナスでも同じことがあり途中で青虫の死体みたいのが出てきたので捨てた。

そのいもの窪みと似た傷が手の甲にある老人が、公園で子供に傷を見せていた
戦争で、ラバウルという南の島で、弾が当たって、それがまだ手に入っている、とウソを言って見せている 
子供たちは「やばい」と言いながら熱心に「弾の入った手」を見つめる みんな100円ずつ払っている
「さわらして」とひとりが言った 
「じゃああと100円」子供たちは財布から小銭をつまみだし、老人に払う
「イタタタタタ!」触られたとたん老人は悲鳴をあげる
「まだ痛いの?」
「手の中でタマが少しずつ溶けているんだな、それで痛いから優しくさわろうね」
こどもたちはこわごわなでるように傷をさわり、それから念入りに手を洗って遊具に戻った
老人は集めた小銭を首からぶら下げた小袋に入れ、次の公園に行き、えものを探す

公園では私がひとりで鉄棒で遊んでいた
声をかけられ100円払うと、垢だらけのがさついた手が差し出された
中指と薬指の間がおぞましく窪み、奥まで黒く、中はどうなっているのだろう。掘ってみたい。青虫の死体が入っているのかしら。切り刻んでみたい。捨ててみたい。
もう100円払って触らしてもらう 硬くなっている所を押すと、老人は飛びあがり、泡を吹いてベンチから落ちた その泡だらけの口にもう100円、もう100円と入れていく
もっと触らせてよ、暴かせてよ、男にまたがり、顔面をなぐり、抱きしめる
男は臭くて、私は泣いていて、男は優しかったが、傷の正体は最後まで見せてくれない

その手が乾いたコッペパンを持って、口のところへ運んでいった 口が開きカサカサのコッペパンを飲みこんでいる 唾液が出て乾いたコッペパンが湿った 口の上には髭があり、髭の先にコッペパンのカスがつく 口の下方に首があって喉仏がびくんと大きく動き、コッペパンは老人の体内に深く入り、老人になった
髭についたパンカスはコッペパンのままなのに
手の傷も老人にならず傷のままなのに

スーパーで、大きなグレープフルーツをかごに入れた老いた女が、次に苺を選んでかごに入れ、ああ、何か違うとカートにもたれて考える
そして自分はいまグループホームに住んでいて、食事はそこで配されることを思い出した
女の手の甲には、じゃがいものウロのような、黒く深い傷がある いつか見たことがある傷がある
左手でさわるとむずむずし、押すと痛い
ああなんだ、これは私の傷だ、と女は気づく 
かごには大きなグレープフルーツと真っ赤な苺が入っていた
傷を左手で包み、大事に隠しながら、女はカートを押した ぐいぐいと押した
レジへ並ぶ 
今日はこのフルーツを食べようと思う   

犬と老人 夕焼けのベンチ
犬が老人の右手を舐める
ああ気持ちいい ああ気持ちいい ああ気持ちいい
傷は深くやさしく 老人の体の奥へ広がって
少しずつ老人になっていく

ベンチには穏やかに腐りかけた老人が ポツンとじゃがいものように座っている

もう子供たちは寄り付かない

 

( 2月某日 公園で )

 

 

 

The mountain is about 1,000 meters above sea level.
その山は海抜約1000メートルだ。 *

 

さとう三千魚

 
 

from morning
it was raining

it was raining hard

on the windowsill
neither white-eye nor bulbul came

I couldn’t see the west mountains
rain clouds fell and wrapped around the port town

is the west mountains about 500 meters above sea level
there seems to be a big hawk

someday
photographers had come to shoot in “Collapse”

the big hawk will fly

will fly high
will turn

The mountain is about 1,000 meters above sea level *

 
 

朝から
雨だった

強く降っていた

窓辺に
メジロも

ヒヨドリも来なかった

西の山は見えなかった
雨雲が降りて港町をつつんでいた

西の山は海抜500メートルくらいか
大鷹がいるらしい

いつか
カメラマンたちが

大崩れに撮影に来ていたことがあった

大鷹は
飛ぶだろう

高く飛ぶだろう
旋回するだろう

その山は海抜約1000メートルだ *

 

 

* twitterの「楽しい例文」さんから引用させていただきました.

 

 

 

#poetry #no poetry,no life

Snow is falling thick and fast.
雪がどんどん降っている。 *

 

さとう三千魚

 
 

sunday
afternoon

I talked to my old sister in Akita on the phone

“already”
“the snow on the road has disappeared”

“it’s sunny today”
“ate lunch with my friends”

so
my old sister said

her husband is gone
the dog also died

her child went out to the city

she lives with a cat
she said she was up at 4am and shoveling snow

it was snowing
it is snowing

Snow is falling thick and fast *

 
 

日曜日
午後

秋田の姉と電話で話した

もう
道路は

雪が消えたよ

今日は晴れて
友達とランチを食べてきたの

そう
言った

義兄は逝き
犬も死んだ

子どもは都会に出た

姉は猫と暮らしている
朝4時に起きて雪かきをしていると言ってた

雪が降っていた
雪は降っている

雪がどんどん降っている *

 

 

* twitterの「楽しい例文」さんから引用させていただきました.

 

 

 

#poetry #no poetry,no life

旅立ちが遺すものは

 

ヒヨコブタ

 
 

真っ黒に焼けた顔でにかっと笑うとき
少し黄ばんだ歯がのぞくのを覚えている
その口で
俺は学がないからねといつも口癖のように

学がないということの意味はそのうちにわかってきた
祖父母の意向で長男だけは上の学校に進めなかったこと
代々の土地を
畑作を守るためのひとだという理由で
さして年も変わらぬおばは女学校に
兄弟姉妹を親が働く間子守りまでしていたのはそのひとだというのに
にかっと笑うその笑顔はすこしさみしそうで
自嘲気味のことばも
意味がわかってくるたびにかなしくて

存分に与えられたのはお金だったろうか
本当に欲しいものは
ほんとうは
愛情だったのではないかと

気弱な父と姑に逆らえぬ母をそれでも慕う
そのおじが
旅立った
いつもかあさん、いるかい?
と裏口から入ってきて
人形遊びをしている姪にちらりと視線をくれるひと

親同士が仲違いをしてもうしばらくになった
会うこともかなわなかった

こうしてひとりひとりのおじやおばが
旅立っていく
わたしにすこしのさみしさと
温もりのある記憶をおいて

行かないでと幼ければ泣いたろう
いまは
行ってしまうことの安らぎを願う
またあたらしい日々が戻れば
週明けにはにかっと笑うのではないか
幼いわたしに残したおじの笑顔が
焼きついて消えない

 

 

 

I remember this poem in particular.
私は特にこの詩を覚えている。 *

 

さとう三千魚

 
 

this morning too

you came

from morning
it was raining

I didn’t go for a walk

that man
what are you doing

are you looking at the tree and plants which died of the rainy garden

this morning too
you came

white-eye was beaking the tangerine at the tip of the driftwood branch on the windowsill

green body
the area around her eyes is white

cute

when I was 18

I was reading a poem by Junzaburo Nishiwaki at Sakurajosui’s apartment
it was the poem “eggplant”

“Apollon” **
“Silk tree”
“Human feces”

and
a few years later

I met “Puapua” in Higashi-Nakano

“Grotmantica” ***
“Grotmantica”

“Nipe Porto Pain”
“Good good good good”

I remember this poem in particular *

 
 

今朝も

来てくれた

朝から
雨は降っていた

散歩に行かなかった

あのヒト
どうしているのかな

雨の庭の枯れた草木を見ているのか

今朝も
来てくれた

窓辺の流木の枝の先の蜜柑をメジロは啄ばんでた

緑のからだで
眼のまわりを白くして

いて
可愛いな

18の頃

桜上水のアパートで西脇順三郎の詩を読んでた
“茄子”という詩だった

空0アポロンよ **
空0ネムノキよ
空0人糞よ

そして
数年後に

東中野で”プアプア”に会った

空0グロットマンティカ ***
空0グロットマンティカ

空0ニーぺポルトペイン
空0イイイイイイイイ

私は特にこの詩を覚えている *

 

 

* twitterの「楽しい例文」さんから引用させていただきました.
** 西脇順三郎「茄子」より引用しました. (新潮文庫 村野四郎編 西脇順三郎詩集)
*** 鈴木志郎康「口辺筋肉感覚説による抒情的作品抄」より引用しました. (思潮社現代詩文庫22 鈴木志郎康詩集)

 

 

 

#poetry #no poetry,no life