空中に浮かぶ傘

 

神坏弥生

 
 

家を出ると外は雨だった
僕は傘を差し歩いた
駅へ行き
発車間際の列車に乗り
座席はいっぱいで
つかまって、立っていた
しばらくして車窓を見ると
雨が上がっていた
「見て!虹よ!」
車窓の向こうに大きく東から西へと
路線に向かって虹がかかっている
列車を下りると
また雨が、降りだしている
傘を差し、街へと向かう
UMBRELLA
とドイツ語訛りの男の声が聞こえた時
一斉に虹の向こうへ、街中の傘という傘が全部、飛ばされたことに気が付いた
気付けば街中を
行合い
向き合い
行き交う人々の
全ての色んな色や模様や絵柄の傘が
空中に浮かんでいる
その下で、人々がパイプをふかしたり、お茶を飲んだり、ダンスを踊ったりしてくつろいでいるのだ
雨のない夏を思わせる
たくさんの傘が、雨を遮断し滴ですら落とさず支えているのだ
雨音だけがしばらく聞こえていた
雨が上がってゆくとすべての傘は、空高く吹き上がっていった
街にあふれていた人々はもう誰もいない
僕だけが街の中に居る
空から僕の傘が降って来た
あおむけに開いたまま転がっていた
雨上がりの空
もう虹は見えない
夕日のない曇り空が暗くなってゆく夕刻
また、予感している
雨が、降ってくるのを

 

 

 

ラーメン店にふらっと来る

 

神坏弥生

 
 

仲間と飲んで、歌って最後の盛り場を出た後
深夜1時半からしか開店しないラーメン屋がある
ラーメン店に来たのは夜中、一時半だったな
店主はカウンターの暖簾に隠れて顔は見えないが
白い制服と二の腕と手が見える
「閉店は何時だ?」
と、尋ねるとぶっきらぼうに太く低い声で
「3時」と答える
赤い暖簾が目印で白くラーメン店としか書かれていない
「おまちどぉ。」
カウンターからぬぅーとだした腕先の手につかまれたラーメン鉢には、なるとやチャーシュー、シナチク、ネギが等がのっており
湯気は有るんだが、
酔いのせいか記憶がない
憶えてんのは、あのラーメン店の店主が
さっとラーメン鉢を下げて店の奥に引っ込んじまった
で、辺りを見ると三畳一間の下宿に居るが、布団は無い
こんな時間だが、知り合いの親しくあの界隈に詳しい奴に
「あそこにラーメン屋ないか?」
と尋ねても、「そんな処に、ラーメン店は無い。それどころかそこで昔、人が死んだんだよ。おまえさぁ、終電ぐらいまでに帰れよ。こんな話なんだけどな、夜見のものを食ったら帰れんて知ってるか?」
恐ろしくて、黙って電話を切った
窓から夜鳴きそばのラッパ吹きの音がする
窓を開けても姿形もない
「俺は、どこに居るんだ?!」
今晩当たり、あの夜鳴きそばのラーメン屋のラッパが聴こえてきたら、潮時だ
夜見のもん食っちゃねぇ。
帰ろう帰ろう、あーさぶいっ。
終電のドアは閉まった
終電の終わった時間に、

 

 

 

馬の王

 

道 ケージ

 
 

浜辺にいる馬の王が
首を外し
入水するらしい
しょうがないので
見に行く
そして
馬の胴体の中で考える

こんな世の中
ではないはず
おかしいじゃないか

しかし
なぜオズワルド
驚愕の顔で撃たれる
(同じさ 殺られるときはね)

ワタリ島に
入り陽
西方に
突き出る呼子
松もああ、何もかも
イカレタらしい

「終ったから」
すれ違いに「美がな」
素っ頓狂な省略で
誰もが胡麻化す

うまくかわしな

賢明な人々よ

未来はないのだから

帰宅した途端

修羅場かよ

十字を切りながら
歩く
眼帯はずしな
見えてんだろ
最後のクラゲが
砂浜でヘタれている

 

 

 

新・冒険論 20

 

帰ってきた

過ぎて
いった

その後に

歌は
生まれた

昨日
桑原正彦の個展「夏の日」を見に渋谷に行ってきた

夏の日に
桑原は

工業地帯の海岸に生きるものたちを見たのだろう
砂地に踠いていた

酸素も愛も
ない

歌には
いない父もいらない

夏の日に
歌は

ひとりで帰ってきた

 

 

 

喩えの話

 

萩原健次郎

 
 

 

抜けていったね、恋が。
ふたりでするものが、ふたりとも消える。
黒い穴だ。
焼けて、破れて、焦げて、透けて、
透けると、きもちいい。
何十年も、きもちいい。
人生って、恋みたい。
いつでも失恋している。
唇が空に浮かぶことだってある。
そのときは、あたりいちめんに菓子の匂いがする。
コンガが鳴る。
猿が役者の喜劇がはじまる。
おれもその劇団の役者となって
おんなじ芝居をする。
きもちわるいことと
きもちいいことの繰り返しで
空中ぶらんこみたいだなあと
たとえてくれればそれでいいのに
だあれもたとえてくれない。
だから、人生って恋みたい。
自問しているうちに、胸焼けする。
ムラサキいろの胸になる。
黄色いセキセイインコが飛んでくる。
いっしょに、籠の中の巣の中の、綿の中で
あなたが卵を産んで、あたためて
おれは、毎日巣を出て、まあまあよく働く。
とつぜん、巨大な渦潮がおれの恋を
海に戻していく。
唄っている人に退屈しては駄目だ。
芝居する猿たちを蔑んではいけない。
恋が一個の果実だとすれば
その一個の中で生きてきただけで
それは、ある季節になると
ぽとんと、落下して、
きれいに割れる。

 

 

 

家族の肖像~親子の対話その35

 

佐々木 眞

 
 

 

お母さん、イソウロウってなに?
何もしないでおうちに居続ける人のことよ。

ぼく、光触寺と報国寺好きですお。
そうなの。じゃあ行きましょうか?
いやですお。

ぼく、岡田准一になりました。
こんにちは、岡田准一さん。

お父さん、加藤の藤は、藤沢の藤でしょ?
そうだね。
ぼく、藤沢好きですお。
そうなんだ。

ぼく、ふじさん牧場、好きですお。
そうなの? そういう牧場があるの?
ありますよ。

明日は図書館行ってえ、西友行きますお。
分かりました。

どうぞお入りください、どうぞお入りください。
「どうぞお入りください」って誰に言われたの?
小児療育で。

ササキマサミ先生、なんで小児療育やめたの?
定年で、だよ。

ぼく、イクタナオヤ君、好きですお。
イクタ君、どうしてるんだろうね?
わかりませんお。

ぼくは、線香花火、好きですお。
そうか。今年の夏にやろうか。
やらなくていいですお。

太田胃酸、胃が痛いときでしょう?
そうだよ。耕君、胃が痛いの?
痛くないお。

ぼく、オオヤさん、好きですお。
そう、お母さんも。
オオヤさんが「お仕事がんばってね」と言ったお。
そう。良かったね。

お父さん、比嘉さん、泣いてたよ。
そう。「比嘉さん泣くなよ」と言ってあげなよ。

お母さん、おくれてるみたいって、どういうこと?
おくれてることよ。

お父さん、イグサ、水の中でしょう?
そうだね。

証明ってなに?
どうしたらこうなるかっていうことよ。

お母さん、なんとなくって、なに?
お母さん、なんとなく、耕君好きです。

お母さん、集金ってなに?
お金を集めることよ。

お母さん、われらって、なに?
わたしたち、ってことよ。

ぼく、学校、好きですお。
そうなんだ。どこの学校?
鎌倉の。

お父さん、ホームって、とまるところでしょ?
そうだね。
お父さん、ぼく八百屋さん、好きだお。
そうなんだ。

お母さん、お腹いっぱいって、なに?
お腹いっぱい食べることよ。

お父さん、うろついちゃダメでしょう?
そうねえ、うろついちゃダメだよ。

お母さん、髪の毛をバサっとしてください。
はいはい、分かりましたよ。

お母さん、今日トマトシチュウとサケご飯にしてね。
はい、分かりましたよ。

お父さん、埼京線、終点は大宮でしょ?
そうなの?

お母さん、ぼく、ドクダミ好きですお。
そう。お母さんも。
ド、ク、ダ、ミ、好き!

お母さん、一人ぼっちって、なに?
一人だけのことよ。

お母さん、このさい、ってなに?
お母さんはねえ、このさい耕君にも、元気でいてもらいたいのよ。

お母さん、ややこしいって、なに?
ややこしや、ややこしや、のことよ。

ウオーキング、散歩でしょ?
そうだよ。耕君、ウオーキング行かないの?
行きませんよ。ぼく、お仕事しますよ。
そうなんだ。

お母さん、ぼく、タイムショック、好きでしたお。
そうなんだ。

お父さん、ハスはジュンサイに似ているでしょう?
そうだね。似ているね。

お母さん、ぼく、鬼は外、好きですお。

お母さん、平和ってなに?
とてもなごやかで、しあわせなことよ。

西城秀樹、脳梗塞だったの?
そうだよ。
おばあちゃんといっしょですね。
そうだね。

ぼく、キャプテン翼、好きだよ。
そう。

解除って、なに?
もう大丈夫、ってことよ。

なんで信号機切れたの? 大水出たからでしょ?
そうだよ。

比較的って、なに?
くらべてみると、よ。

お母さん、ガチャピンとムック好きですよ。ぼくポンキッキ好きだったんですお。
そうなの。

お母さん、なごむって、なに?
やさしくなることよ。
感じることでしょう。
そうねえ。

湯治場って、なに?
ゆっくりするところよ。

コウ君、血液型、B型なの?
そうよ。いやO型だったかな?
事故に遭ったときに、間違ったやつを輸血されると、ヤバイんじゃないの。
わああ、止めてください。止めてください。
コウ君、大丈夫、大丈夫。地獄耳だね。

おじいちゃん、おばあちゃん、具合悪かったでしょう?
そうね。

トラブルは、故障でしょう?
まあそうだね。

ぬきは、いらないことでしょう?
ぬき? 耕君ぬき、のぬきか。耕君なしで、ってことだよ。

103系すべてうしなわれた、ってなに?
それって何に書いてあったの?
「鉄道ファン」だお。
そうか、103系の電車が全部無くなったということだよ。

頭に入れとくって、なに?
頭のなかで覚えておくってことだよ。

大雨警報解除って、なに?
雨はもう大丈夫、ってことよ。

 

 

 

水のひと

 

長田典子

 
 

ひとびとが並んで登って行く
坂道
いまにも雨が降り出しそうな
暗い 霞んだ
崖の淵を
かみだれ ひらひら かぜに舞い
水色の装束のひとびと
そろそろ 進む
靄に浮かぶ四角い木の箱
ぐらぐらゆれて
そらに向かう船のよう
あかい火 あおい火 きいろい火
ゆらゆら灯し

けんろくさんだ
ひいじいさんだよ
おむかえがきたんだよ

船は靄のなかをそろそろ進み
進み
いまごろ
とがり山の8合目
夜中に目が覚め
ふとんの中で
思いだす
けんろくじいさんは四角い船で
おそらにおでかけ
あかい火 あおい火 きいろい火
ゆらゆら灯し

かみだれ ひらひら かぜに舞う
なんにちなんねんいくせいそう
めぐりめぐりて

あかい火 あおい火 きいろい火
ゆらゆらゆれて
ひとり ふたり さんにん と
ひとびとは 崖を上に上に登って行った
それぞれの火を残したままに
ばらばらに
おむかえもなく 船もなく
そらではなく
電気の町へ

村は水底(みなぞこ)にしずみました

かみだれ ひらひら
なんにちなんねんいくせいそう
めぐりめぐりて

あかい火 あおい火 きいろい火
靄でかすんだ水底で
灯っている
水中火(すいちゅうか)
泳いでいる

けんろくじいさんは
水底にもどっているそうです

電気の町で
溺れたひともいるそうです

 

※連作「不津倉(ふづくら)シリーズ」より

 

 

 

ほかには

 

駿河昌樹

 
 

他人のひもじさや
いたみを
さびしさを
こころもとなさを
見ないでおける
こころが
何十億もこびりついているうちは
地球でできることは
なにもない

空気の温度や湿度のうつりかわり
風の誕生や消滅
空の色彩の変化のかぎりなさ
雲の形状の無限の多様さ
木や草のそよぎ
いたるところに踊る
ひかりと闇のたわむれ
それらを見続け
感じ続け
いつもいつも
追いつくことのできない
ことばの情けなさに
親しみ続けていく
ほかには