貨幣について、桑原正彦へ 12

 

一昨日は
高円寺のバー鳥渡で飲んだ

叶 芳隆さんの写真展のオープニングだった
雲に流れて

叶さんが
奄美に行って撮った写真だった

帰りに
新丸子の東急ストアで買い物して帰った

技のこだ割唐辛子 150円
うす皮付落花生 198円
亀甲宮焼酎金宮 618円

 

 

 

ジョン・フォードに捧げる歌

 

佐々木 眞

 
 

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ジョン・フォード監督の「リバティ・バランスを射った男」を、またしてもみてしまった。

「リバティ・バランスを射った男」を何回みても、「リバティ・バランスを射った男」は、「撃った男」の間違いではないかと思ってしまう。

「リバティ・バランスを射った男」を何回みても、リー・マービンは悪い奴だけど、ジョン・ウェインはいい奴だなあと思う。

「リバティ・バランスを射った男」を何回みても、ヴァラ・マイルズ嬢のレストランのステーキ定食を食べてみたいと思ってしまう。

「リバティ・バランスを射った男」を何回みても、エドモンド・オブライエンの新聞社は、ジャーナリズムの王道を走っているなと思う。

「リバティ・バランスを射った男」を何回見ても、リー・マービンを撃ったのが、ジェームズ・スチュアートではなくて、じつはジョン・ウェインだったことを忘れてしまう。

「リバティ・バランスを射った男」を何回みても、ヴァラ・マイルズ嬢をジェームズ・スチュアートに盗られたジョン・ウェインが、可哀想になる。

「リバティ・バランスを射った男」を何回みても、『「リバティ・バランスを射った男」は、おもろいのお』と語った父のことが思い出される。

「リバティ・バランスを射った男」を何回みても、「リバティ・バランスを射った男」は、ジョン・フォードの傑作中の傑作だと思う。

「リバティ・バランスを射った男」を、私は死ぬまでに、あと何回みるんだろうか。

 

 

 

まゆだま

 

長田典子

 

 

でっぱったり ひっこんだりの
ひふのひょうめんを
すきまなく
うめあわせ
くっつけます
おたがいのせなかにうでをまわし
きつくきつくだきあったまま
ねむります
ひとばんじゅう

あなたのはいたいきを
わたしがすって
わたしがはいたいきを
あなたがすって
だきしめたり
だきしめられたり

あったかいねぇ
きもちいいねぇ

だきしめたり
だきしめられたり
めをとじて
あなたの
つめたくて かたい
ひたいに
くちびるをおしつけます

ぷるんとふとい
あなたのもものあいだに
わたしのほそいももをくぐらせて
ぷるんとふとい
あなたのもものうえに
わたしのほそいももを
まきつけます
あなたのふくらはぎに
わたしのふくらはぎを
からめます
あなたのあしうらはざらざらしている

あったかいねぇ
きもちいいねぇ

あなたのいきは
ふきそくに
とじたり ひらいたり するから
ときどき
そおっと
あなたの とんがった
けんこうこつを
さすります
はねに なってしまわないように と
いのります

ひとばんじゅう
だきしめられたり
だきしめたり
くちづけしたり
くちづけされたり

あったかいねぇ
きもちいいねぇ

よるのやみのなかで
とけあいます
あったかな
まゆだまに
なります

ときどき そおっと
あなたの とんがった
けんこうこつを
さすります
はねに なってしまわないように と
いのります

 

 

 

通学路

 

みわ はるか

 
 

石ころを代わる代わる蹴りながら小学校に向かう通学路は一直線にのびていた。
ただただ真っ直ぐ歩いていたら目的地に着く。
小学生の歩くスピードでおよそ20分ほどの距離だ。
まわりは田んぼに囲まれていた。
休耕の田んぼにはわざとれんげが植えられていたのでそこだけは濃いピンク色に染まっていた。

春は西洋タンポポが辺り一面に咲いて、そのまわりをみつばちやモンシロチョウが飛んでいた。
程よい気候がみんなの気持ちを高めているようだった。
梅雨は憂鬱だった。
そこいらじゅうにミミズがいた。
踏まないように最新の注意をはらって歩いた。
黄色い長靴が休むことなく降る雨を弾いた。
滝のような雨の日には靴下がぐしょぐしょになった。
真夏はとにかく暑かった。
サンダルで登校したかったが、鬼のように恐い生徒指導の先生がそれを許すはずはなかった。
じりじりと攻撃してくる太陽に勝てるはずはなかった。
滴り落ちる汗をポケットから取り出したハンカチで拭きながらしのいだ。
露出した肌はミートボールのような色に日焼けした。
小学校にやっと着いたころには喉はいつもカラカラだった。
秋は美しかった。
遠くに見える山々は赤や黄色に色づきわたしたちの目を楽しませてくれた。
特にイチョウの葉は形が独特で、舞っていく光景に目を奪われた。
沿道にはいわゆるくっつき虫がたくさんあった。
それを摘み取り、こっそり自分の前を歩く友達にくっつける。
くっくっくっと笑いをこらえながら歩き続ける。
ただ、考えることはみな同じだったようで、ふと気づくと自分の服にもくっつき虫がついていたことが何度もあった。
冬は雪がたくさん降った。
転ばないように、滑らないように、ふわふわした雪の上に足跡をつけていく。
きれいそうな雪を選んで球体を作る。
前を歩く友達にぶつけると当たり前だが怒られた。
そこからはミニ雪合戦の始まりだった。
いつの間にかジャンパーを脱ぎたくなるほどホカホカに体がなっていた。

色んな気候を体感しながら6年間ひたすら歩いた道。
まっすぐなまっすぐな道。
大人になった今は、こんなに狭い道だったかなと感じることはあるけれどあのときとさほど変わっていない道を見るとなぜか安心した。
わたしが卒業してからもたくさんの後輩が歩いただろう。
もちろん今も。
黄色い帽子をかぶって、列をつくって、まっすぐに歩いていく。
時々乱れることはあってもみんな何かを感じながらとことこと。

そこにはきっと小さな小さなドラマがある。

 

 

 

生き延びるための音楽

音楽の慰め 第10回

 

佐々木 眞

 

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古代ギリシアの吟遊詩人ヘシオドスは、大昔は「金」の時代だったけれど、次は「銀」の時代、「青銅」の時代、それから「英雄」の時代を経て「鉄」の時代がやってくると予言したそうです。

この節はテレビをみても、新聞を読んでも暗いニュースばかりで、お先真っ暗。もはや夢も希望もなくなって、生きているのが厭になるような「暗黒」時代に突入したような気がします。

そんなサムイ今日この頃ですが、みなさんはどんな音楽を聴いておられますか?

心身共に落ち込んだとき、私が聴く音楽は決まっています。
まずはピエール・モントゥー指揮ロンドン交響楽団が演奏する、ベートーヴェン選手の交響曲第4番第1楽章の出だしのところ。

次はお馴染み中島みゆき選手の「ファイト」。

最後は友部正人選手の「一本道」。

この3曲があれば、どんなひどい時代でも、なんとかかんとか生きていくことができそうです。
死なない限りは。

1)https://www.youtube.com/watch?v=F7vB1Eh1tMs
2)https://www.youtube.com/watch?v=MhiW_svhD28
3)https://www.youtube.com/watch?v=HrBTZvO7E8k

 

 

 

通学路

 

みわ はるか

 
 

石ころを代わる代わる蹴りながら小学校に向かう通学路は一直線にのびていた。
ただただ真っ直ぐ歩いていたら目的地に着く。
小学生の歩くスピードでおよそ20分ほどの距離だ。
まわりは田んぼに囲まれていた。
休耕の田んぼにはわざとれんげが植えられていたのでそこだけは濃いピンク色に染まっていた。

春は西洋タンポポが辺り一面に咲いて、そのまわりをみつばちやモンシロチョウが飛んでいた。
程よい気候がみんなの気持ちを高めているようだった。
梅雨は憂鬱だった。
そこいらじゅうにミミズがいた。
踏まないように最新の注意をはらって歩いた。
黄色い長靴が休むことなく降る雨を弾いた。
滝のような雨の日には靴下がぐしょぐしょになった。
真夏はとにかく暑かった。
サンダルで登校したかったが、鬼のように恐い生徒指導の先生がそれを許すはずはなかった。
じりじりと攻撃してくる太陽に勝てるはずはなかった。
滴り落ちる汗をポケットから取り出したハンカチで拭きながらしのいだ。
露出した肌はミートボールのような色に日焼けした。
小学校にやっと着いたころには喉はいつもカラカラだった。
秋は美しかった。
遠くに見える山々は赤や黄色に色づきわたしたちの目を楽しませてくれた。
特にイチョウの葉は形が独特で、舞っていく光景に目を奪われた。
沿道にはいわゆるくっつき虫がたくさんあった。
それを摘み取り、こっそり自分の前を歩く友達にくっつける。
くっくっくっと笑いをこらえながら歩き続ける。
ただ、考えることはみな同じだったようで、ふと気づくと自分の服にもくっつき虫がついていたことが何度もあった。
冬は雪がたくさん降った。
転ばないように、滑らないように、ふわふわした雪の上に足跡をつけていく。
きれいそうな雪を選んで球体を作る。
前を歩く友達にぶつけると当たり前だが怒られた。
そこからはミニ雪合戦の始まりだった。
いつの間にかジャンパーを脱ぎたくなるほどホカホカに体がなっていた。

色んな気候を体感しながら6年間ひたすら歩いた道。
まっすぐなまっすぐな道。
大人になった今は、こんなに狭い道だったかなと感じることはあるけれどあのときとさほど変わっていない道を見るとなぜか安心した。
わたしが卒業してからもたくさんの後輩が歩いただろう。
もちろん今も。
黄色い帽子をかぶって、列をつくって、まっすぐに歩いていく。
時々乱れることはあってもみんな何かを感じながらとことこと。

そこにはきっと小さな小さなドラマがある。

 

 

 

たたたたたっ

 

辻 和人

 
 

秋が深まってきたたたたたっ
ミヤミヤと玉川上水沿いをお散歩だだだだだっ
いつもの散歩道
お気に入りの散歩道
「こんな素敵な散策の場所があるなんて、
ここに家を建ててほんとに良かった。」
紅葉はまだだけど紅葉寸前の秋ってのもいいいいいっ
葉っぱの青に黄色が混じってるるるるるっ
つめたーくなってきた水のちょろちょろろろろろっ
歩道に浮き出た木の根っこに足を取られそうううううっ
津田塾大を過ぎて鷹の台駅
「ここでひと休みしましょ。」
昭和っぽい造りのケーキ屋兼喫茶店
おかっぱの昭和顔の娘さんに席を案内してもらい
コーヒーと一緒に本日オススメのスイーツを注文
運ばれてきたのは・・・・・・
皿に盛られたシュークリームの小山、その天辺で
クッキーのオバケさんが手を振ってるぞぞぞぞぞっ
オバケさん
ウィンクククククッ
そうかあ
ハロウィンの季節
TRICK OR TREATなんてやらない
祝祭の意味なんて知らない
日本人のハロウィンの味わい方
ぼくもそんな平均的な日本人の一員に
なりきってやろうじゃないのののののっ
ぬぬ、シュークリームの中はカボチャあじじじじじっ
「あら、かわいいお菓子。秋はカボチャおいしいよね。」
八百万のオバケさん、ウィンクククククッ
平均的な日本人、ウィンクククククッ
玉川上水、ウィンクククククッ
鷹の台駅、ウィンクククククッ
秋が深まってきたたたたたっ

 

空白空*今回は番外編です。

 

 

 

ダリだ、ダリだ、ダリだ。

~国立近代美術館で「ダリ展」をみて

 

佐々木眞

 
 

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なんというても、芸術の秋じゃ。
半蔵門で午前11時から午後4時15分まで「忠臣蔵」を見物したあとで、おらっちの大嫌いなロッポンギくんだりまで痩骨に鞭うってひいひいやってきた。

空白空0ダリだ、ダリだ、ダリだ。歌舞伎の後のダリじゃった。

ダリの作品は横浜美術館にあるので、ときどき覗いてみることはあったが、こんなにたくさんまとめて見物したのは、生まれてはじめてのことじゃった。

1920年ごろの初期の作品はまことにおそまつなもんで、世の大半の専門絵描きよりデッサンも、構成も、色彩もすべての面で劣っている。

誰かさんは、それらに対するコンプレックスから、たまたま23年当時流行し始めていたモダニズムの第一波に乗っかって、やれキュビズムだの、やれシュルレアリスムだのに、「あたらし恋しやホーヤレホ」なぞと喚きながら、ついつい夢中になっていったんではなかろうか。

空白空0ダリだ、ダリだ、ダリだ。軽佻浮薄、誇大妄想の男じゃった。

されどよーく眺めてみれば、そのキュビズムはピカソやブラック、そのシュルレアリスムはマグリット、タンギー、デルヴォー、まして元祖キリコに比べたら全然大したものではない。

空白空0じゃった、じゃった、言うちゃった。じゃった、じゃった、言い過ぎちゃった。

時代の流行の表層を巧みに掬いあげて、鬼面人を驚かせる絵巻物を次から次に展開してみせたが、そこに衝動的・商業的価値こそあっても、藝術価値など微塵もないことは、例えば米国へ亡命してディズニーと一緒に作ったアニメ映画「ディスティーノ」をみれば哀しくも一目瞭然だろう。

空白空0ダリだ、ダリだ、ダリだ。ディズニーランドの運命じゃった。

 

空白空0ダリ、ダリ、ダリ、お前は誰だ。ダリ、ダリ、ダリ、お前は無。 蝶人

 

 

 

ある男が語った母のはなし

 

サトミ セキ

 
 

え わたしそんなとしなの
母はいつも大口をあけて笑った
何度言っても
自分が九十五歳だということがわからないようでした
ケラケラと母は 笑って
えいえんに十五歳
でもわたしが息子だということは忘れませんでした
髪が無くなってシミが出ているわたしなのにね

ある夜のこと
母が居間の仏壇の前に正座していた
闇の中 時計の蛍光色の針が午前二時半を指していました
どうしたんですかおかあさん
あのいえにかえりたい どまのそば ごえもんぶろのあるあのいえ
部屋の灯りをつけた
でも母は繰り返しました
おふろをわかさなきゃ
おふろを
母の手を握りました 小さくからから乾いていた
和紙みたいに四隅を折り畳めそうな
九十五年生きている皮膚
空白この下にはあたたかい血が流れて 細胞がいきいき働いている
大丈夫 ここは良いところ
世の中のどこよりも いちばん安心できるところですよ

あのいえにかえりたい 大丈夫 かえりたい ここは良いところですよ
しばらくそんな夜がつづいたけれども
とうとう母は とうとう
十五歳の家に帰りたいとは言わなくなりました
徘徊も何もなかった
ただごはんを食べたことをすぐ忘れました
おなかがすいた
小さな声で母はひっそり独り言を繰り返しました

その日は
なんだか母が亡くなるような気がしました
家族が全員そろったのです
妹も息子も
どうして偶然がかさなったのかな
お酒でも買いにいこうかと思ったら 妻が
今日はどこにも行かないほうがいいわ
妻は母の食べものをじょうずに作ってくれました
わたしの仕事はおしめ替え
いつも下着と言っていました
おしめと聞いて嬉しいひとはいないからね
下着を替えてもいいですか
うん、
と言う母の声はその日聞かなかった
朝から目を閉じ でもかすかにうなずいた気配
いつもと同じようにおしめを替えました
歯のない口を薄くあけている
うとうと うとうとして
母のそばに座っている
ふっ
とつぜん空気を吐いて介護士さんが言った

空白息をしていないのではないですか

頸動脈に触れました
目の前にある時計の秒針よりも
ゆっくり
かすかに
きえた
もう一度鎖骨に近い別の場所で探しました
手首の脈を探しました
からだはずっとあたたかいままなのに
とうとう手首の脈もわからなくなりました とうとう
九十五年の間 流れていた血が止まった
結局いったいいつ亡くなったのか
見ていた誰にもわからなかった
たぶん
母にも

みなさんおっしゃいました
大往生ですね天寿を全うされておめでたいですね息子さん夫婦に自宅で看取られてお幸せでしたね何一つ悔いはないですね

でも
知っています
「もっと生きたい」
死ぬ瞬間までどんなからだも願っている
生きているからだ 生きている細胞はみな
母のからだも
もっと長く生きられたのではないかしら
もっと何かできたのではないかしら

あれからわたしはずっと悔いています