ビリジアンを探して 

 

芦田みゆき

 
 

2012.6.10.

 

「…ビリジアンが死んだ。ぼくにはわかる。
窓のほそい縁に太陽が反射して白く光った時、ぼくは理解した。ビリジアンは死んだのだ。水源からゆるゆると水が流れだすように、ひとすじの血がひろがり、床に小さな湖ができる。ビリジアンは、そこに横たわっている。いずれ発見されるだろう。川沿いの湿った室内。
ビリジアンはぼくを見ることができない。
ぼくはビリジアンを抱くことができない。
ビリジアンは捨てられた植木鉢のように、割れた陶器の皮フから内側があふれだしたまま、眠っている。
ねぇ、ビリジアン、ぼくにはそれが見えるんだ。」

 

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たんたんタヌキの三太郎

 

佐々木 眞

 

 

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今朝、アクザワ先生が歩きながら投げ入れたハイライトを、滑川*は黙って呑みこんだ。

午後、カナイさんのお爺さんが投げ入れたポチの糞を、滑川は黙って呑みこんだ。

夕方、お隣のヒグチさんが投げ入れた垣根のサツキの枝を、滑川は黙って呑みこんだ。

真夜中、県道246号ではねられたタヌキを、滑川は黙って呑みこんだ。

そのタヌキは、時々私の庭にやって来て、サンダルを散らかして遊んだりしていた。

三本足なので、私が三太郎という名前をつけたタヌキだった。

三太郎のふさふさした毛皮は、カラスやセキレイの鋭い嘴によって綺麗にはがされ、秋の冷たい水は、無惨に露出した赤身の上をさらさらと流れてゆく。

たんたんタヌキの三太郎の白い骨も、ハイライトも、ポチの糞も、サツキの枝も、滑川は黙って呑みこみ、今度の大水で、相模湾に流し込むだろう。

 
 

*滑川は鎌倉市と横浜市に跨る朝夷奈峠の湧水より発して太刀洗川となり、鎌倉市十二所にてその名を滑川と改めて由比ヶ浜に注ぐ。なお呼称は「なめ」川に非ずして「なめり」川なり。

 

 

 

貨幣について、桑原正彦へ 10

 

それから
荒井くんと

神谷バーで電気ブランを飲んだ
荒井くんがご馳走してくれた

帰りには
新丸子のまいばすけっとで

QPフレンチドレッシング 169円
ミツカン卵醤油納豆 99円
たまご6個 149円
特濃調整豆乳 209円
キャベツ半カット 213円

 

 

 

貨幣について、桑原正彦へ 07

 

昨日はわたし

文化の日だった
遅く目覚めた

窓の外でもう
小鳥は

鳴いてた

コーヒーに豆乳を入れて
浴槽に

浸かってた
スティーヴ・ライヒを聴いた

文化の日って
なんだったかな

日本国憲法が公布された日だったのかな

コーヒーに
砂糖を入れた

 

 

 

貨幣について、桑原正彦へ 06

 

一昨日はわたし

昼に
門前仲町の

日高屋で
生中と空豆を食べた

生中が310円
空豆が170円

レバニラ定食が650円

それから夜に
神田の

葡萄舎で芋焼酎を飲んだ

賢ちゃんと
賢ちゃんの姉さんにも

焼酎をご馳走した
3600円だったかな

 

 

 

境遇

 

みわ はるか

 
 

地元から離れた土地に住みはじめてもうすぐ6年がたとうとしている。
5階建ての3階に住むわたしは最近おやっと思うことがおこった。
どうもわたしの上に新しく越してきた若い女性をどこかで見たことある気がするからだ。
ずっーと考えているのだがどうしても思い出せない。
黒いセミロングの髪に色白のすらっとした女性。
ゆっくり歩く後ろ姿がどこか懐かしい感じがするのだ。

秋にしては珍しいポカポカ日和の早朝、アパートの駐車場を歩いていると後ろから声をかけられた。
振り向くとあの女性が笑顔で手をふって近付いてくるではないか。
わたしもとっさに口角を上げて笑顔を作った。
あっ思い出した。
あのやや皇族の人がふるような手のふりかたは…中学の同級生ではないか。
すっーとどこかで引っかかっていたものが解消されてすっきりした。
同級生ながらに思う。
やっぱり20代の女性は年を重ねて大人っぽく美しくなる。

彼女とはクラスこそ一緒になったときもあったが塾で仲は深まった。
少し家から遠いところにある同じ塾にお互い通っていた。
そこで一緒に机を並べて勉強したり、自習したり、ご飯食べたり、色んなことを話した。ゆっくりと頭の中で整理したことをきちんとした順序で話そうとする彼女の話し方が心地よかった。穏やかな気持ちになれた。

彼女はわたしと同じ、お酒が強いということがわかった。
自然な流れでお酒をのみに出掛けることになった。
長年会っていなかったし、少し大人びた彼女と二人座ってご飯を食べに行くのは少し緊張したけれど、それ以上にわくわくした。
お店はわたしが予約した。
照明がやや薄暗く、お酒が豊富に置いてあるカウンターをお願いした。
対面で話すのにはまだ時間が必要だと思ったからだ。
カウンターから見える厨房は小綺麗にされていた。
食器やメニュー表も和を重んじた落ち着く感じになっていた。
わたしは最近大好きなハイボールを、彼女はビールをそれぞれ注文した。
初めこそお互い譲り合いながら、探りあいながら、ぎこちない会話が交わされたけれど、お酒と時間が私たちの空気を意図も簡単に和やかなものにしてくれた。
中学を卒業してから20代中盤にさしかかった今までの間を急いで埋めるように話続けた。
ケラケラと笑いながら、思いがけないことに驚きながら、共通の知人の結婚や出産を羨ましあいながら、あっという間に時は過ぎて言った。

帰り道、同じアパートを目指して夜道を歩いた。
行きに降っていた雨は嘘のようにやんでいた。
傘をぷらぷらふりながら、月が私たちの足元を照らし続けた。
今日一番驚いたことは私たちは同じ境遇を今生きていることだった。
同じだからこそ悩みも同じだった。
それを相談できる相手ができたことは素直に嬉しかった。
人はやっぱり一人では生きていけなくて、誰かに相談したり意見を仰いだりすることがものすごく大事だ。
その「境遇」は、わたしたち二人の秘密にしておこうと思う。

これも何かの縁だ。
それもものすごく意味のある縁だと感じる。