ああここはこの世の涯かあかあかと花がだまって咲いている
夜中に目覚めて
朝になった
雨が
降ってる
波多野 睦さんの歌を聴いてる
からたちの花が咲いたよ
白い白い花が咲いたよ
一昨日
こだまから由比の光る海をみた
それは経験界の事物だったが
光っていた
夜中に目覚めて
朝になった
雨が
降ってる
波多野 睦さんの歌を聴いてる
からたちの花が咲いたよ
白い白い花が咲いたよ
一昨日
こだまから由比の光る海をみた
それは経験界の事物だったが
光っていた
牛の骨で作った船は
槍のような何かを突き出している
骨一面に
クレーターのような孔
肋骨の穴倉は
鉄塔の内部のよう
激しく小虫が
舞い飛ぶ
忙しくて作れないわけではない
眠りたいだけなのだ
河原の石に
安定を祈り
流木のキールに
十三の羽根を刺す
作らねば
生きていけない
そんなこともあるまい
おこぼれで生きてきたのさ
人の不幸を食い物に
鉄路に冷え冷えと
横たわっていると
細かな振動は
近くでしか感じない
星を刻みに牛に戻ると
散歩の男が
いいご趣味で
と宣う
必死必敗の取っ手が
外れた
どす黒い念がこぼれ落ち
クズの葉で止める
行かねば河原
必ずや復讐―しなびる決意
隣りのソファーの
ナンプレめくる音かわし
眠りながらでも
続けるのだ
三丁目の角で
いずれも濃い人格で
佇立する者ども
見張っている?
笑っている?
ブルーマンよりは薄い
失われている向日葵に手を合わす。
左右の手に、わたしの血がめぐってその人の消息を知りたいと思う。
目前の小道の真ん中に棒のように立っている花茎の静かさは、花畑を世話していた人の不在を語っている。
枯れた人が植えたであろう一茎は、その人が長く生きてきた敷地の空気と交信している。
生にはぐれている茎の立ち姿は、哀れに強く、諦観のその先で無言を貫いている。
言葉ではなく言葉などは枯れて、枯れてと記して
この近隣のすべての路傍の、切り取られた点景のいたるところに湿潤が途切れ、生血の抜き取られた角の線域に、無数のやぶ蚊がハミングしている。
景ごと蛇に呑まれ、わずかな湿潤も蚊に吸われ、
――この向日葵ももう、忘れられるわなあ
床のあるところで寝ていた時に、背が板にぴったり添って、わたしを直立させて、
ああ、向日葵の茎と直角になあ
ある時、その人に会釈した。こんばんわだったか、花の手入れもたいへんですねだったか。
交信が頼りで、背の離宮の山が、
わたしたちを拝んでいる。
――生きてやるわい
わたしとその人は、山の信仰になり、枯れた血が木像に流れる。他愛のない声が郷の主となり山を見下す。蹴る。息を吐き、唾をかける。蚊に吸われ、
どこからか、三味線、太鼓、囃子、笛、犬、猫、鳥、ちり紙交換のマイク音、サイレン、
それからヴィオラも、ハープも、啜る音も瀬音も、
滝に吸われる。
――ああ、もう不足している
生きていることの、だれかとの挨拶が。
それから
ぼくは
望遠鏡で
看板のメニューを確かめて
ランチにでかけた
日替わり定食を食べていると
うしろで
「詩人」とか
「絵本」とか
声がする
こんなところに
同業者がいるなんて
と振り返ると
さっきまで
打ち合わせをしていた二人だった
どの道で帰るのか
ずっとベランダから
見てたのに
見つけられなかった
また会えてうれしいよ
思いがけないと
なおさらね
液体セッケンの時代をへて
オーガニックでひとまわり
ふたたびかたちあるあのセッケンを
手に取る今日この頃です
小さくなったセッケンを
新しいセッケンの背中にくっつける
くりかえしくりかえし
うまくくっついて一体化してくれると
なんだかうれしいのです
思い出すと辛いことも
忘れてしまうとかなしい
けれどご心配なくそういうことは
落とせないひつこい汚れのように
あの頃は
どんな汚れだって落とせるものと
言葉は水のよう蛇口からあふれ
いや、それは熱い湯だったかもしれない
いま頃は
電車の中で腰掛けた腰が重い
人々はスマートフォンにおおいかぶさり
親指はめまぐるしく動いて
乗り換え通路を高速ですり抜けて行く
今日も
小さくなったセッケンを
新しいセッケンの背中にくっつける
くりかえしくりかえす寿命のリセット
やがて
古いセッケンはいつのまにか消え
ぴかぴかのまあたらしい人生が
ふたたび忘却を演出する
いまでは
落ちない汚れがある
のも知っている
セッケンの洗浄力というよりは
いや、それは落としたくないのかもしれない
一体化すると
なんだかうれしいのです
セッケンの白さも脆さも
まるであたしの骨のようで
(1993年 詩集「忘却セッケン」より)
雑誌で
自分はどこからきて
どこへいくのかということを考えている科学者の話を
読んだ
その時 私は
電車の中で
家へ向かっていた
遠い遠い昔に
忘れ去られたことを再び
憶い出そうとする
その人の顔のところに私の親指があたっていた
家にたどり着いたら
また、私は
忘却セッケンで手を洗ってしまった。
机に向かって
自分はどこからきたのか
憶い出そうとした
(私は、多分、男と女が結合してそして女の人の中からきたみたいだ
けれど、
私の体液の表面張力で(それは、コトバかもしれない)
その細かな水の玉に強引に
くるめてくることができる記憶は
ほんのちょっとです(科学者の言う宇宙のチリより小さいみたい)
その夜 お風呂に入って
また、私は
忘却セッケンで身体を洗ってしまった。
この忘却セッケンが
どんどん小さくなって
しまいになくなるとき
私は終点に着くのだ