島へ

 

さとう三千魚

 
 

昨日か

河口まで走った
川沿いを走った

歩道にミミズたちの死骸がいた
たくさんいた

乾いているものもいた

ゴンチチの
ラジオを聴きながら

走った

Archie Sheppのサックスで
“Embraceable You” という曲が鳴った

“抱きしめたいきみ”

というのか
聴いていた

しばらく川沿いの歩道に佇ち止まって聴いていた

まだ
元気だったころ

母を連れて
南の島へ行ったことがあった

島の南端の海の見える公園に
たくさんの四角い石が並んでいた

ひとびとの名が刻まれていた

その石の前で
母は

泣き崩れた

そこに
母の兄の名もあった

母との旅は一度きりだった
母にはなにも返さなかった

その後母は病気で横になった
死んだ母を抱きしめなかった

 

 

 

#poetry #no poetry,no life

伊地知一子「ソング」のためのライナー
「腐乱死体が流れていく」

 

工藤冬里

 
 

上京したのが同じ頃で、早速というか「セチュアンの善人」も観に行ったし、本屋には目の前に内臓アルトーと背骨ブレヒトがいたし、いくつかの河原テント芝居にも出入りしていたのだから、僕らはいつか三丁目で串を抜いて平等にした七寸皿で劇団喰いしていたかもしれないのだ。
演劇が音楽の上にあるというのは最早自明のことだが、そのような立場にありながら音楽を使う演劇は音楽のインスピレーションの問題を背骨に関しても内臓に関しても棚上げしてきたように思う。その間に音楽は行くところまで行ってしまい、脳内インスピレーションを解体するところまで進んだ。
そうした冷酷なコロナ後の情況下で、正義感の強い一子さんの、シャンソンでもスペクタクルでもなく(「ひとりアームジーク」とも「水牛」とも少し違う)「ソング」が今更ながら「ソング以外」を刑事告訴してみせたのが本作である。プレカリアート・コンニャク・ベルカントは終わりを迎えた中央線の身体であり、倍音を旧世界に収監されたまま、獄窓から若かった頃の自分の腐乱死体が流れていくのを見る。僕らは串を抜いたうたの腐乱死体が流れていくのを見る。

 

 

 

#poetry #rock musician

野島夕照

 

廿楽順治

 
 

日の当たりたる
(あれが)

焼け跡となる
こともあるだろう

喫茶「オリビエ」の奥で

ひとのいる気配がある
(でも死んでいたかもね)

湾のずっとむこうを
誰かの長い首が

くるしげに
上下したようにみえた

あれが
クレーンというものだ

(ひとびとのあかく枯れた声)

 

 

 

「夢は第2の人世である」第108回

 

佐々木 眞

 
 

 

2024年12月

ある寄合に出ていたらいまさっきあなたそっくりの人物に会ったというので、早速外に出たらほんとにおらっちそっくりの人物がいたので、色々話をしているうちに、彼こそほんとうのササキマコトであって、自分はニセモノではないかと激しく疑った。12/1

おらっちが起きると、隣の部屋からイデッチも起き出して朝飯も食わずに飛び出すので、「どこへ行くんだ」と訊ねたら、「チューリッヒへ」と答えて、たまたまやって来た市電に飛び乗って、角っこを曲って行ってしまった。12/2

おらっちは証券会社のせーるすまんじゃったが、上司のお墨付きの安全安心な投資の代わりに、一攫千金のリスキーな投資ばかりを唆していたので、ほどなく解雇されちまったのよ。12/3

そして僕らは、この地区で最も危険なブドウ坂下のヒカリ沼の岸辺にたつ、カブト屋旅館を拠点として、日夜活動していた。12/4

その新入社員は、物凄い音痴なのに、人事課の書類には歌が得意で、「カラオケでは、クラシックやシャンソンの名曲を持ち歌にしている」と書いてあったので、驚いた。12/5

お嬢様誕生の佳き日だというので、天井裏から煤だらけの茶器を取り出し、大掃除してからお嬢様の駕籠かきになって、東海道をえっさほいさっさと下ってるとこ。12/6

仲良し3人組で豆腐屋の内職をしている。豆腐はとても柔らかいので、第3指ががっつり食い込んでいる。12/7

スカ線の2本の線路のうち、こッち側はおらっち、あっち側はオグロ選手の領分で、おらっちは黄色いひよっこを、あっち側では白いニワトリを遊ばせていたが、おらっちはオグロ選手と違って今まで侵入してくる電車にひよっこを轢かれたことは一度もない。12/8

おらっちは、自分を、熱砂の上で身悶えしながら、飛び跳ねている、1匹の魚のようだ、と感じていた。12/9

私は老齢で亡くなった大詩人の元原稿が入ったカバンを運んでいたが、坂道で転んだ拍子に飛び出した1枚の原稿が目に入ったので、偶然読んでしまったのだが、その1行の詩句に戦慄して、身動きできなくなった。12/10

撮影所のゴミ箱に大量の百円札を見つけたので、きっと偽札だろうと思いながら、じっと眺めてみたら、なんと本物だったので、これ幸いと、ごっそり抱え込んで、いそいそと家路に急いだ。12/11

「お前はもう俺の女だ。お前はもう俺の女だ」と、無意識に呟きながら、ふらふら歩いていたら、後ろから歩いていた女性が、おらっちを不審者と思ったのか、道路を渡って反対側の歩道に移った。12/12

ハイフェッツによって演奏されたブラームスは、宇宙の彼方めがけてまっすぐ飛んで行った。12/13

わが資生堂では、社員の自由研究課題として、「どんな姿かたちでもよいから、1時間でイメージビルドせよ」とかいうお題が出たので、おらっち、一番美しいのと、一番醜いのと、2型を作ってやったずら。12/14

わいらあ、「第2次おまんた音頭」ブームが来るのを、じっと待っていたが、それは、いつまで待っても、訪れなかった。12/15

天道、人間道、修羅道を経て畜生道、餓鬼道、地獄道の門に到ると、その入り口に翼をつけた麒麟が静かに羽ばたいていたので、余はその背中に飛び乗った。12/16

横大路の西から東を見ると八幡宮を経て宝戒寺に至るが、いつもは多い観光客も今日は誰一人見当たらず、霜月騒動で平頼綱に殺されるとも知らず悠々と宝戒寺に向かって歩いていく安達泰盛の姿が見えた。12/17

さる大詩人が命終して、なんと2億円という大金が詩人団体に寄贈されたので、その使途を議論する会合が何度もホテルや銀座のバーで行われたのだが、そのうち会合が行われなくなったのは、彼らがぜんぶ呑んでしまったからだった。12/18

切りたった断崖絶壁をよじ登っているのだが、これ以上うえに登れず、かというて戻るに戻れない絶体絶命の危機に余は立ち至った。12/19

我はハワイ群島にあって、カメハメハ王朝に先行するバリハイ王朝の祖先の血を引く者であるが、米国と一体になったカメカメハ王の弾圧をくらって、家族もろとも光の見えない牢屋の中で日を送っているのだ。12/20

私は、公園で幼い男の子をあやしていたが、その子が大切にしていた鳥籠を壊して、鳥を傷つけてしまったので、母親に謝ってその子を返し、今度は、可愛い女の子に、カエルを取ってやったが、そっぽを向かれてしまった。12/21

おらっちは、神田鎌倉河岸にあるオフィイスの1階のフロアから、断崖絶壁を爆走できる特殊車両に、女の子を乗せて、大手町から銀座方面へと、走り去ったのよ。12/22

「レコ藝」の取材だというので、われわれライターは全国各地の主要音源地を訪ねては、当地の重要人物に取材しているのだが、それらVIPの大半は、時代物の再現道具と膨大な音源を隠匿したまま、とっくの昔に物故者となっているのだった。12/23

チャンドラグプタの知財育成講座が終わると、すぐにもアインシュタインの原発破壊講座が始まるので、我々聴講者は、深夜の市電に乗るために、急な坂を喘ぎ喘ぎ登らなくてはならなかった。12/24

一匹狼がウリのササキ組だったのに、どういう風の吹きまわしか、気がつけば巨大財閥のワタベ・コンツェルンに呑み込まれそうになっていたので、おらっちは「こんななはずではなかった」と、そのイメージダウンの大きさに衝撃を受けていた。12/25

隣国の女王を愛してしまった国王の私は、両国が戦争して、我が方が勝利した時にも、断固として女王の身を守ったのだが、翌年再び戦争して敗れた時には、女王の助命嘆願も空しく、断頭台の露と消えたのだった。12/26

「エイコさんとヒロシさんを探して」とミエコさんがいうので、ヒロシさんが消えた路地に入ったら、陽気なガイジンが町トロッコに乗っていたので、「ヒロシさんもこれに乗ったんだ」と思って乗り込んだら、反対側の駅前方面に動き出したので、急いで飛び降りたんだ。12/27

親戚の裕福なおじさんが、渓谷の入り口に豪勢な別荘を構えたのだが、渓谷にハイキングにくる人たちの邪魔になるので、早く移転するように誰からも言われているのだが、断固として動かない。12/28

自分は所謂書けない作家なので、しばらく市民大学の自由講座を受講したり、市民公園でなんとなく散歩したりして気分転換を図り、そのうちに面白いプロットが脳裏に浮かんでくるのを待っているのだ、があ。12/29

7人目のててなし児が生まれたので、みんな一斉に出家して、あわよくば得度したいと阿弥陀如来に祈ったのだが、その願いは、ついに聞き届けられなかった。12/30

フランクリン家は、先祖代々の墓地の半分を、死刑囚のために寄付している篤志家だったが、この夏家なき子孫たちが、そこに家を建てて住みたいと言い出したので、大騒ぎになっている。12/31

 

2025年1月

吾は、障害者だけの住区と長く思い込んでいた地域に住んでいるのが、障害者と偽る健常者ばかりだったので、非常に驚いている。1/1

伝説的なJ.ワシントン家と、栄光のJFK家に加えて、禍々しきトランプ家の血を引き継いだ社交界の花形娘が結婚するというので、人々は、喜んでいいのか、悲しんでいのか複雑な表情だった。1/2

ヨモタ氏にぱったり出会ったので、自己紹介したら名刺を呉れた。さりながら無職の余はそんなものは持っていなかったので、ありあわせの仙花紙の雑記帳に名前を書き始めたら、ヨモタ氏がカラーマジックで悪戯書きを始めたので、しばらく2人でジャムセションしたずら。1/3

おらっち五大マフィアの一角になんとか食い込み、世界新興任侠集団を立ち上げて、その旗手となったのよ。1/4

公園の中に、禁止事項などを書いた注意書きがあったが、それらの文章の、ピリオドの部分に、〇ではなく、ドングリの実をくっつける作業に熱中しているところ。1/5

あれやこれやの世間話を電車で乗り合わせた徳島からやって来たという男と楽しんでいるうちに、電車が私もよく知らない駅に停まったので、男は降りていったが、彼が東京駅にたどり着けるかどうかを危ぶんだ。1/6

ふとポスト現生人類のシン人類が大量に発生し、彼らが我が国の兵庫県知事選挙にも甚大な悪影響を齎しているのではないかと思ったが、プーチンとかトランプ、周近平、死んだアベ、まだ生きているタマキなんかもそれではなかろうかと、疑心暗鬼に駆られた。1/7

会社の人事用パンフの撮影をしていたら、ソームのワタナベが「ちゃんと許可撮ってるのか?」と偉そうに聞くので、「んなもん同じ会社の社員の仕事にいちいち許可もへちまもあるもんか。ソームハはソームの仕事をしてろ!」と怒鳴ると、こそこそ逃げていった。1/8

次男がやってきて、カメラのデータのPCへの正しいコピーの仕方を、手取り足取り教えてくれたが、今までにない親切な態度なので、驚いたなあ、もう。1/9

青山通りのプレゼンに参加しようと、おんぼろトラックに乗って駆け付けたが、どこのビルヂングが会場だか分からないので、うろうろしているうちに、時が流れていく。1/10

たとえ安物でもスピーカーを変えると、音色が劇的に変わることが分かったので、次々に買い漁っているうちに、狭い書斎がスピーカーだらけになってしまい、誰も入れない開かずの間になってしまった。1/11

「もう老い先は長くないのだ」と呟きながら、学研のヨコヤマ君が、山手線池袋駅のプラットホームすれすれをよろめくように歩いているので、おらっちは、彼が今にも電車に巻き込まれるのではないかと案じていた。1/12

歌舞伎役者になりたくて、しばらく修行していたら、師匠から「お前さんは、意気地なくめそめそ泣いている役はいいけど、元気はつらつの役は、からきし駄目だね」と言われたので、めそめそ泣いてしまった。1/13

電車に乗ろうと、物凄く天井が高く、物凄く広い空間を彷徨していたら、階段教室の麓のような一画に、見覚えのある仲間たちが、歌を唄っていた。1/14

国連から同僚の女性とアフリカに派遣されたおらっちは、真っ黒なバルバロイたちの捕虜になり、いましもロシア製のカラシなんとかいう機関銃で殺されようとしていたが、形だけでも彼女の盾になろうという余裕の持ち合わせがないのに気づいて、二重に絶望していた。1/15

巴里のお客さんが注文した品物は、東京からではなく、やはりNYから届けなければ感動と信用がない、と上司に力説して、おらっちは、今年も海外出張できることになったのよ。1/16

アラビアのロレンスならぬオレンスの私は、なんとかきゃんとかアラブの烏合の衆を寄せ集めて、一気に敵陣に迫ろうとしたんだが、大将に据えた王子が、なんと誤って地雷を踏んで自爆したので、万事休した。1/17

昔水道橋でちょっとクマグスのような顔をしたスズキ・シロウヤス氏の詩作教室で知り合ったコモダさんが持っていた詩集が、まるで巨大なシイタケのようにたっぷり水気を帯びていたので、持っていたモンブランの万年筆でぎゅぎゅっと押さえつけると、味わいのある青い水が滲み出るのだった。1/18

サンフランシスコの石油汲み上げクレーンが蠕動している、モハーヴェ砂漠の近辺から、彼女の電話があったが、生憎取り損ねてしまったので、生きていることは分かったが、詳しい事情が分からないので焦る。1/19

おらっちは、自分を歓迎してくれたその町の海と空に向かって、最後の挨拶をしたいと願っていたのだが、その希望が叶えられたので、町で一番高い山に登って、「海よ有難う!」「空よ有難う!」と叫んでから、その町を後にした。1/20

阿呆莫迦ナベ野郎が、値段が安いからというて、婦人服の生地で紳士服を作ったら、案の定全部返品になってしまったので、社員たちが、それを定価で給料から天引きされて強制的に社員販売され、毎日泣いているのよ。1/21

黒板に、なんかを書こうとしていたその瞬間、震度10の大地震が、天地を揺るがしたので、わいらあ、なんもかんも分からんように、なっちまったずら。1/22

芯から絶望した人間が、ふらふらと街頭に出て、たまたまやって来た大型トラックに弾き飛ばされて、舗道に叩きつけられたので、五体バラバラになって、顔といわず、頭といわず、鮮血が淋漓と流れ出たのだが、その人間は、立ち上がって、よろよろ歩き出した。1/23

後期高齢者は、法令により、今年から、冬季は冬眠を強制されることになったようだ。1/24

凄惨な市街戦が始まったが、我々は前回に敵が奪った村々の大半を取り返したので、鼻高々だった。1/25

仲良し兄弟のおらっちは、今までその証拠のようにして弟の丹波焼の茶碗でお茶を飲んできたのだが、側近の勧めで、今年から自分の近代デザインの茶碗で飲むことにしたら、すぐに弟がへそを曲げたので、超驚いた。1/26

うつらうつら眠っていると、巨大なダイオウイカがやってきて、その長い手足をギュンと伸ばして、おらっちの顔に触るので、右転左転して、ケタクソ悪いイボイボの感触から逃れよう、逃れようとするのだが、なかなか朝が来ない。1/27

長いだけが取り柄のような長大愚作を、生憎満席のために立ちん坊で見終わった映画評論家の佐藤忠雄氏と淀川長治氏が、口を揃えて「僕はこういうのはどうも苦手だな」と言い置いて帰っていかれたのはショックだった。1/28

いつもあたしに引っ付いてキスしまくっているあおせあかコタル川がうんともすんとも言わなくなったのはどうしてだろう?もしかすると死んぢまったのか?1/29

せっかく世界剣道大会で優勝したというのに、何を食ってもうまくない。どうやら舌の味蕾がやられてしまったらしい。1/30

長らく絶縁状態だった大家族が、一堂に会してにこやかに挨拶を交わしたり、楽しげに会話しながら食事をしたのだが、数時間後には全員が離れ離れになって、もう二度とまみえることもないだろうと、皆が分かっていた。1/31

 

2025年2月

綾部の田舎の家の2階のベランダからケン君がひょいと顔を出すと、緑色をした小鳥が近づいてきて右手の掌に乗ったので、ケン君は小鳥をつまんで、軒下にあった鳥の巣の中に入れてやると、驚いたことに、巣の下から赤や青や茶色い小鳥たちが次々に顔をのぞかせたのでした。2/1

荒野に聳え立つ、大中小様々な姿かたちをした、青紫色のアスパラガスのような陰茎を、次々に咥えこもうとするので、思わずおらっちは「アスパラガスを咥えるな!」と叫んだのよ。2/2

向こうに景色の良い原っぱが見えた。あそこでケンと一緒に寝転んで「大きくなったらなにになる?」というような遠大な噺をしたのだが、あれから何十年も経ってしまった。2/3

昔々、大風が吹けば、たちまち吹き飛んでしまうような、バラック仕立ての犬猫ツインタワーがありました。2/4

あの吉田秀和翁が、御年百歳にして初めて映画を撮ったというので、みに行くと、なんとホームムビーだったので、驚いた。2/5

私が作ったテレビCⅯのナレーターに根津甚八を起用して「多情多感な毎日です」という文章を読んでもらったのだが、全部で7つの録音の内テーク2とテーク5をOKにしてそのどちらかを使うことにしたら、甚八選手が「このうち1つは俺もOKです」と言うのでそれで行くことにした。2/6

その時プロダクションのデラの社長の江尻京子さんがスタジオにやってきて、「事務所は税務署が押し掛けてくるのから「ここに逃げてきたの」と言うのだが、ほんとはダビングの様子を見に来たのかもしれない。2/6

どういう風の吹き回しか、図書館の貸出カードを、青砥橋から滑川に投げ込んでしまったので、「ああしまった!」と途方に暮れたが、これはきっと夢の中の話なのでから、朝まで待ってカードを探そうと思いついて、安心したのよ。2/7

犬ビルの社長は、犬博士。猫ビルの社長は猫博士。世間では2人の博士を犬猫の、いや犬猿の仲だと噂していましたが、それは表向きだけのこと。ほんとは2人の博士は大の仲良しで、時々社長室の窓を開け放って、資生堂の「ナチュラル・グロウ」をアカペラで唄っていたのでした。2/8

あらかた宿敵を退治した三宝帝は、新たな後継者を指名して、東宮、宰相、貴族や武将などを新都の皇居近辺に住まわせて、指導体制を確立したかにみえたが、僅か半年でことごとく瓦解してしまった。2/9

もうすぐ獰猛な人喰い族がやって来るというんで、おらっち、あちこち隠れ場を探したんだが、どこもヤバそうなんで、これはほんとにタバイぞ。2/10

第3次世界大戦が終わったので、ようやく能世界の改革が始まったが、旧流派が全部破壊されてしまったので、新しいスクールが登場するまで、相当時間がかかる見込みだ。2/11

大学の創立記念日で関係者1人ひとりに1つずつ福袋が貰えるというので、我らあさましく、少しでも中身がよくて重そうなのを、矯めつ眇めつ選りに選っているところ。2/12

何事もナアナアで済ませようとする大人たちに鋭くノンを突き付ける若者たちのアンソロジーが発売され、大ヒットちゅうだ。2/13

昨日会社で仕事をしていたら、超美人の女医さんがやってきて、さあ皆さん、どなたでも只で診察してあげますよ、というたので社長から闇バイトの小僧まで全員仕事なんかほっぽり出して門前市をなして診てもらったのよ。2/14

犬猫ツインタワーの中には、それぞれ大きな事務所があって、それぞれ全世界の優良会社から派遣された100名の社員がデスクに陣取り、朝から晩まで、仕事のような、遊びのような仕事に従事していましたが、中には「あたし墨田区のタバコ屋さんで働いてたのよ」と告白する中年のオバサンもおりました。2/15

そんなある日のこと、犬猫2人の博士がそれぞれ発表したラテン語の年頭所信表明の文書が、ふたつながらに意味不明なので、ミラノのスカラ座宛にファックスを入れたら、たまたま居合わせた指揮者のトスカニーニが、たちどころに解読してくれました。2/16

それによると、犬博士は「能登地震の被害から立ち直るには、世界最大の地震国イタリアに学ぶに如かず」と説き、これを受けて猫博士は「紀元62年のポンペイ地震とその17年後のベスビオ火山の大爆発を、テッテ的に研究せよ」と論じていたのでした。2/17

ようやく懸案の謎が解明されたので、犬猫ツインタワーの200名の全社員は、ビルヂングの窓を開け放って、例の資生堂の懐かしいCⅯソング「ナナチュラル・グロウ」をアカペラで大合唱したのでした。2/18

するとどうでしょう。その時早く、その時遅く、どこからともなく大風が吹き付け、と同時に犬猫ツインタワーを揺るがす震度10の大地震が天地を揺るがしたので、2人の博士と200名の社員たちは、ガタンガタンと大揺れに揺れる地上100メートルのツインタワーの窓から、全員大空に向かって投げ出されたのでした。2/19

どの遺品を貰おうかとわしとセイサンは焦りまくったが、なんのことはない結局2人共生絹の洒落たジャケツを1着ずつ貰うことで噺がついた。青と緑のジャケツやった。2/20

夜中に台所の窓の外で白い影が蠢いているのでさっと開けると土管工事をしているので、「夜中に工事なんかするな!」と怒鳴ったら、ナンチャラ星人がこっちを向いた。2/21

60年に天安門広場で開催されたというエポックメーキングなふあっちょんしょおについて取材しようと北京を訪ねたが、誰もがそんな噺は聞いたこともないと首を振るのだった。2/22

ミラノ公国とバイエルン公国がまたしても戦争しようとしていた時、アンタラ公国のさる公爵が、毎度おなじみの人殺しではなく、手を一切使わない足だけ戦争をしてみてはいかが?と提案したのが欧州における蹴球の始まりらしい。2/23

巨大工場で最新兵器の展示会が開かれたのだが、何の説明もないので、仕方なく門外漢のおらっちがテキトーなことをシャベっていたら、マスコミ各社が迫って来たので蹌踉と逃げ出したのよ。2/24

デザインする時のビジョンが不完全だったので、それをなんとかカバーしようとしたがうまく行かず、結局また別の霊感がやってくるまで待機することにしたのよ。2/25

母校参観日に出かけたら、行ったことがないからよく知らないけど、まるでキャバクラのオネイサンみたいな大勢の若い女性が、立錐の余地もなく犇めいているので、驚いた。2/26

中居2代目のおらっちだったが、1代目と同じ失敗は許されないと武道館で日本一盛大な記者会見を行うことにしたのだが、誰一人現れなかったずら。2/27

他人と同じことをすれば殺されるというお触れがあらかじめ出回っていたにもかかわらず、愚かなニッポンチャチャチャは、隣と同じ振舞いしかできなかったので、全員銃殺されてんげり。2/28

 

 

 

島影

 

さとう三千魚

 
 

一昨日から

雨は
降りつづいた

夜中に
風がでて

鎧戸を叩いた

雨は

昼前に
やんだ

西の山の頂きは雲に隠れている

ここは
港町で

西の山が
港町を抱いている

西の山が風をしのいでくれる
机の上には「島影」がある *

鹿児島県 吹上浜
大阪府 大正区
三重県 南伊勢
新潟県 新潟

撮影地一覧が
あとがきの前の頁にある

好きな写真はどれも
水辺の写真で

いつか見たような光景だが

行ったことのない
土地だった

風が吹くと
水辺は

恐い

春の海に
ボートが沈みかけたことがあった

「島影」に

懐かしい人は
いない

ひとりもいない

写真家がいた
そこにいた

 
 

* 「島影」は、白石ちえこ写真集「島影」(蒼穹舎 2015年刊)のこと

 

 

 

#poetry #no poetry,no life

スカッとする縦型ショートドラマ

 

工藤冬里

 
 

クズの非対称の葉に教えられることは多い
楽しむ能力はあるが
治める能力はない
夏は剣のようだ
山の内部に金を溜め
AIは土に歌を唄わせる
フナムシとゴキブリ若し戦わば
セメントを詰めてない石垣の隙間から覗く
隙間のない石積みの機序を聳え立たせるが
修練してはいけない
弾丸は発砲した兵士自身に、また発砲を命じた者に向かうように
その死体は挽肉にされ、マクドナルドのパティに混ぜられるように

 

 

 

#poetry #rock musician

五月のうた

 

原田淳子

 
 

 

夜明け、
ヒナドリたちが瑠璃色の口笛を吹く

樹木の姿のあなたは
となりの光を揺らす

白粥の湯気が陽に輝く
器の曲線がわたしを撫でる

ブラウスに袖を通し
透きとおった歌を着る

猫に時間を告げて
夜までの約束をする

蔦を滑り、花の露をのむ

駅までのまっすぐな道
髪を逆立て、車輪を漕ぐ
雲が青く、高く、膨らんでゆく

太陽の輪のなかを
魚たちが行き交いする

夜道は魚影の群れ
服は潮に濡れている
泥の足跡

貨幣は泥からつくられる
最後の雨のあと
虹といっしょに海へ還してあげよう

遠く
果てない海に浮かんでいるのは
いつかの日の
きみのうた

 
 

<「詩(うた)をひらく」記 >
―5月24日(土)、大磯souiにて

2022年より、友人の野上麻衣さんと、詩の持ち寄り会、「詩をひらく」を始めた。
詩を声にすることで、じぶんのなかに在った言葉が身体から離れ、シャボン玉のように宙に浮いてゆく。
うたは、光のかたちをとり、ころころと、ひらひらと、ひらかれてゆく。
詩をひらく時間、その不思議のなかにいる。
集ったひとの詩が一瞬、触れ合い、また離れて、わらわら、泳いでゆく。

5月24日の土曜日、大磯のギャラリーsouiさんにて、四回目の「詩をひらく」を開催した。
この日は、さとう三千魚さんをお招きし、数名の方が詩を持ち寄り、あるいは聴く身体として参加してくださった。

ひとりひとりの詩が船のように、大磯の海のうえを浮かんでいった。
ひとの声はなんて柔らかな波なのだろうか。

わたしは、近年父が書いたメモから、ふたつの詩をひらいた。

.

父に認知症の兆候がみられるようになったのは、三年程前のことだ。物事の整理が疎かになり、記憶が欠け始めていった。
あるとき、荒れた父の机を整理をしていたら、父の角張った字のメモがふと目に留まった。

「ゆゑもなく海が見たくて 海に来ぬ こころ傷みてたへがたき日に」

それは『一握の砂』に収められた石川啄木の歌の一片であった。
弱音を嫌い、常に明るかった父が、こんな傷心の歌を記したことが意外でもあったけれど、父の筆跡にはなにかを残そうとする衝動が感じられ、胸を掴まれた気がした。
もともと父は文学や音楽を愛する青年であった。
戦後の貧しさから小学校はろくに通えず、中学卒業後は市の助成を受け夜間の商業高校に通い、昼は労働、夜は授業の傍ら、図書館で借りていた本を読み漁っていたという。
あるときには貸出冊数が市内でトップとなり、図書館から表彰を受けたこともあると聞いた。
実家には父が集めた図書館の廃棄本が山ほどあり、わたしは幼いころ、父の残した古書を読み漁っていた。
父は卸売業に勤しみ、日夜働いていた。
勤勉な清貧そのものの父から、「蟹工船」という言葉が漏れることが度々あった。
父はふとした光景から、すきな歌詞や短歌、詩の一片を口ずさむことはよくあったが、発見した啄木の歌のメモから、苦学生の頃に彼の労働を支えた文学や音楽が、認知症が進行する父のなかでもまだ生きていることを知った。
中度アルツハイマー型認知症を患い、委縮してしまった父の海馬には、彼の青春に輝いていた、うたや譜が、いまもやさしくぷかぷか浮いているのだ。
そのことにわたしは爽やかに感動し、わたし自身にとっても救いのような気がした。
そしてそのうたの一片は、いまのわたしの胸に新しい労働詩として沁みた。
労働歌というものがあるならば、労働詩というものもあるのだろう。
労働歌がひとが連なるためのもの、コミュニティの連帯を生むものならば、詩はその書いたひと、読んだひと、その個人のもので、孤独であるものに思う。
歌になるまえの、音の分子。

わたしはこの4月から求職中で職業安定所に通っているのもあり、日々、労働(job)と仕事(work)のこと、活動と生産のことを考えている。
ハローワークで、時間と対価に換算された数字ばかり追っていると、生きている時間の計算をしているようで、ますます分からなくなってくる。

一方、わたしは、昨年から定期的に大久保にある「ひかりのうま」というライヴハウスを、体調不良となった店主の支援のため、有志の友人たちとボランティアで手伝っている。
日中の仕事のあと、深夜まで受付やドリンクを作るのは体力的にはしんどいけれど、その場所にやってくるひとたちが、そこに流れる音楽を聴いて、そのひとの背中から羽根が生えるように解放されてゆく姿を目の当たりにすると、なんだか自分自身も解放されてゆく気がした。
そんなふうに、その人が社会的役割を脱ぎ捨てて、純粋な個人に還ることができる音楽、うた、言葉がある場所、そこに来るひとにむけて、わたしは心から「いらっしゃいませ」ということが出来る。
そこには貨幣という対価はまったく発生していないが、ハンナ・アーレントがいう「job(労働)」はこういうものではないかしら、少なくとも、わたしのなかの「労働」というはこういうものだと信じている/ 信じたい。
貨幣に結び付ける「仕事」ではなくても、心の「労働」なしの仕事はあり得ない。
わたしは芸術家でも生産者でもなく、あるいっときの労働を貨幣に替えて生きている労働者だ。
そして、労働と引き替えた何かしらの産物に齧りついて生きている。
米や本や衣服や、わたしの身の回りにあるものすべて、労働の対価だ。
それらには汗と涙だけでなく、わたしの労働の傍らに在った詩/ うたが染み込んでる。
父のそれと似て。

五月の「詩をひらく」では、父の海馬に浮いている詩を想い、そして、さとう三千魚さんの詩集『貨幣について』の返詩として、わたしなりの労働詩をひらいてみた。
そして最後は海へ。

” 貨幣はどこにあるか?” (『貨幣について』)

貨幣は泥から作られる。
貨幣は、ひとの汗と涙の、潮の泥だ。だから海へ還すのだ。
詩/うた の姿で。

.

5月24日に集った皆さま、
さとう三千魚さんに、
うた/詩に、
心より感謝いたします

” それゆけ、ポエム!”(鈴木志郎康)

 

文責 原田淳子

 

 

 

河口へ

 

さとう三千魚

 
 

川沿いを

はじめは
歩いて

川の曲がるところで
佇ちどまり

水面を見ている
水面に空がいる

屈伸して
膝と

足首を弛めながら

水面を
見てる

土手の斜面に
オオキンケイギクかな

ランタナも
咲いている

どちらも
外来種か

それから掌をひらいて
空にひらいて

走っていく

土手の雨上がりのアスファルトの
歩道を

カタツムリや
ナメクジや

ミミズ

ゆっくり
歩いてる

いくつか
踏み潰されている

やがて

河口の
水門の前で

不二を見る
いつも見る

見えない時も見る

河口には
野良たちがいる

野良たちは餌を待っている
おじさんたちが

おとなしく
餌をやっている

野良のそばに鴉もいる

野良も
鴉も

やがて土に帰る
ひとも土に帰る

カタツムリや
ナメクジや

ミミズ

ゆっくりと
歩いている

ゆっくり河口を行く
ゆっくりと土に帰る

そこにいる
みんないる

 

 

 

#poetry #no poetry,no life

古い唇は黄土色の喜びを

 

工藤冬里

 
 

ハライソまでもうひと眠り
鳥は空からの感情
Jegar-sahadutha(エガル・サハドタ)
敵たちさえ友好的になる
当面は正しいように見えるので
即興で悪を利用する
柳井港から暴力の光市へ
殴り合う政治家たち
半島経由の少しだけ手の込んだスカッとするムービー
断酒も祈れるのか
張り合いでラクダ色してんじゃねーよ
古い唇は黄土色の喜びを
彫刻は3Dプリンターから
記憶の映像はAIから作られていて
何もない荒野でどうやって焼き鳥屋を
渇望の墓場Kibroth-hattaavah(キブロト・ハタアワ)
古い唇は黄土色の喜びを

 

 

 

#poetry #rock musician

オンカーには逆らえないよ

 

道 ケージ

 

殺さるるより殺す
殺すより殺される
どっちもいやだなぁ
だから逆らわねぇだよ

オンカーの言うことは間違いねえだよ
そうすとくんだ
家族は皆連れんられた
どっかいいとこへ

何も話さないさ
何も言わねぇよ
何も考えない
逆らわないことだよ

なぜなんだかね
生き残るのは
弱いからだね
強い順に死ぬわな

オンカーってどこ行ったんですか

知らねぇな
そこいらにいるんじゃねぇの
オメェはどうなんだ