あきれて物も言えない 03

 

ピコ・大東洋ミランドラ

 
 


作画 ピコ・大東洋ミランドラ画伯

 
 

敗戦の日なのだ

 

昨日は終戦の日だった。
太平洋戦争が終わり74年が過ぎたわけです。

敗戦の日と言ってもいいのでしょう。

夏になりますと戦争ということが思い出されます。
人の死ということが思われます。

昨日、8月15日の全国戦没者追悼式での新天皇のおことばが、
今朝、新聞の一面に掲載されています。

“本日、「戦没者を追悼し平和を祈念する日」に当たり、全国戦没者追悼式に臨み、さきの大戦において、かけがえのない命を失った数多くの人々とその遺族を思い、深い悲しみを新たにいたします。
終戦以来74年、人々のたゆみない努力により、今日の我が国の平和と繁栄が築き上げられましたが、多くの苦難に満ちた国民の歩みを思うとき、誠に感慨深いものがあります。
戦後の長きにわたる平和な歳月に思いを致しつつ、ここに過去を顧み、深い反省の上に立って、再び戦争の惨禍が繰り返されぬことを切に願い、戦陣に散り戦禍に倒れた人々に対し、全国民と共に、心から追悼の意を表し、世界の平和と我が国の一層の発展を祈ります。”
(2019年8月16日 朝日新聞 朝刊より引用)

戦争により死んだ、あるいは傷ついた、日本人と世界の人々に、これらの言葉は届くでしょうか?

「ここに過去を顧み、深い反省の上に立って、再び戦争の惨禍が繰り返されぬことを切に願い、戦陣に散り戦禍に倒れた人々に対し、全国民と共に、心から追悼の意を表し、世界の平和と我が国の一層の発展を祈ります。」
という誓いと祈りを大切にしたいとも思います。

 

人はいつか死ぬんでしょうけれど、
戦争というのは国の命令で人が敵国の人を殺したり殺されたりするわけなんでしょう。

ウィキペディアで「第二次世界大戦の犠牲者」を調べると第二次世界大戦の死者数は5000万〜8000万人ということです。

※参照ウィキペディア「第二次世界大戦の犠牲者」

これは傷病者を含まない死者数だといいます。

日本では約312万人の死者数で、軍人が212万人、民間人が100万人が死んでいるということです。

朝鮮(日本統治)では民間人死者数が約48万人、軍人は日本軍の数字に含まれるようです。
中国(中華民国)では約1,000万人〜2,000万人の死者数で、軍人が約400万人、民間人が約1,600万人、
フィリピンでは約105万人の死者数で、軍人が約5万人、民間人が約100万人、
インド(イギリス領)では約258万人の死者数で、軍人が約8万人、民間人が約250万人、
東インド(オランダ領)では民間人の死者数が約400万人、
インドシナ(フランス領)では民間人が約150万人、死んでいます。

ドイツでは700万人〜900万人の死者数で軍人が約550万人、民間人が約350万人、
ソビエトでは2,180万人〜2,800万人の死者数で軍人が約1,385万人、民間人が約1,800万人、死んでいます。

また、
イギリスでは約45万人の死者数で軍人が38.3万人、民間人が6.7万人、
アメリカでは約41.8万人の死者数で軍人が41.6万人、民間人が1,700人、死んでいます。

これらの死者数の単位は万人です。
アメリカの民間人の死者数以外は全て単位は万人なのです。
死者は一人一人で死んでいったでしょう。
単位が万人とはじつに大雑把です。
約1万人の死者の姿さえ想像することができません。
約5000万〜8000万人という死者の姿など想像できません。

日本人が310万人死んでいる。
朝鮮の民間人が48万人死んでいる。
中国人が2,000万人死んでいる。
フィリピン人が105万人死んでいる。
インド人が550万人死んでいる。
インドシナ人の民間人が150万人死んでいる。
ドイツ人が900万人死んでいる。
ロシア人が2,800万人死んでいる。
イギリス人が45万人死んでいる。
アメリカ人が41.8万人死んでいる。

それ以外の国の人びとも死んでいる。

また、この数以上に恐らくは傷ついた人たちがいる。
国から捨てられた人たちがいる。
慰安婦にされた少女たちもいる。

人類はこんなことをまたいつか繰り返すのでしょうか?

わたしの母の母、祖母は、一人息子、わたしの叔父を沖縄の戦いで失いました。
祖母は大切な一人息子を「天皇陛下万歳」と言って送り出したのでしょう。
老いた祖母が着物姿で庭の生垣の野ばらの白い花を窓越しから眺めていたのを思い出します。
いつまでも灰色になった眼玉で野ばらの白い花を見ていました。

日本人の多くが戦争を体験しました。
ほとんどの人びとは天皇の名の下に戦ったわけです。
世界の多くの人びとも国の名の下で戦ったのでしょう。
戦闘だけでなく病気や飢餓、大空襲、各都市での空襲、沖縄戦、広島の原爆、長崎の原爆、外地での敗戦による自決や暴力や殺害などなどを体験しました。

国や天皇の名の下に人は通常では犯罪となる殺人や暴力行為を大量に行ったのです。
いまやこの世界ではAIやロボットや小型化された核兵器による戦争までも行われつつあります。

あきれて物も言えません。
あきれて物も言えません。

 

作画解説 さとう三千魚

 

 

 

また旅だより 12

 

尾仲浩二

 
 

島根県の江津に泊まった。ごうつと読む。
七月の終わりから約二週間のひとり旅。
この日は夏休みはじめての土曜日で、観光地はどこも宿代が高かった。
仕方なくこのちいさな町のビジネスホテルに泊まったのだ。
どうやら東京からの移動時間距離がいちばん遠い町らしい。
そこは気になったけれど、なにしろ強烈な暑さだった。
なので陽が落ちる頃に宿の回りを散歩しただけで、翌朝はすぐに駅へ向かった。
でもそんなついでに泊まった町が妙に記憶に残ったりする。

2019年8月3日 島根県江津にて

 

 

 

 

「夢は第2の人生である」あるいは「夢は五臓六腑の疲れである」 第75回

西暦2019年皐月・水無月蝶人酔生夢死幾百夜

 

佐々木 眞

 
 

 

町内会長が、駅前広場の真ん中に座りこんで、「オラッチは町内会費をちょろまかしてモンブランの万年筆をたった70円で手に入れた」と自慢していたら、たまたまオート三輪で通りかかった男がそれって犯罪じゃんというてエンジンを吹かした。5/1

A社の思い出撮影機のお陰で、私の父の映像は、かつてない鮮明さと、深みを、併せ持つようになった。5/1

鍾乳洞のように真っ白な巨大なU字溝の下を、高速鉄道が走っている。少女とムク犬がU字溝をぴょんと飛び越して、向こう側に行ったので、私も真似をしようとしたが、怖くてできないので、U字溝の内部を歩いて、昇り降りしながら彼らの跡を追った。5/2

そこは70年代の夏の以前どこかで見たような街だったが、どこかから性風が吹いてくる。ミモザの花の香りだ。これが吹くと、男も女もセックスをしたくて堪らなくなるのだ。とある店先に、さっきの少女が座っているが、この店の主人に抱かれる順番を待っているようだ。

目の前を、やたらと奇麗で淫美な女たちが、行き来している。どれでもいいからいい女を早く捕まえてモノにしよう、と焦っているのだが、選択を誤るとヤバイ結果になるに違いないと思うと、なかなか手が出せず、ますます焦り狂っているわたし。5/2

おらっちはロイヤル・シェイクスピア・カンパニーで「テンペスト」を演じているんだが、途中で腹ペこになってしまい死にそうだが、ここで止めるとみんなから怒られそうなので、じっと我慢してる。5/3

L社では、年に一度軽井沢でお客様を招いて、特別謝恩会を開催している。今年は売れっこふぁっちょんアイコンのヨシダヨシコ嬢が登壇しておしゃれセミナーを開始したが、客層とかけ離れた自慢話ばかりだったので、30分もたたないうちに誰もいなくなった。5/4

朝夷奈峠のてっペんまで登ったら、オオシマさんがいたので、アクアの新車には自動停止装置がついているのかどうか、を尋ねたのだが、彼がいるのは、なんせ奥深いほら穴の中なので、声が反響して、なにをいうているのか、てんで分からなかった。5/4

その施設が丸焼けになってしまったので、焼跡を見に行ったのだが、その入口にまだ辛うじて残されている「千客万来」の歓迎の辞が、哀しかった。5/5

映画を鑑賞しながら世界1周するクルーズツアーの最後の晩餐会で、出てきた豪勢な料理をおいしく頂戴していたら、サイトウさんが鍵を呉れた。きっとこれで荷物をロッカーに入れてからレジで精算するのだろう、と思いながら、なおも喰っていたら、誰もいなくなってしまった。5/6

真夜中に物音がするので階段を降りて明かりをつけて居間をみると、チュウチュウネズミがとうとう罠にかかってもがいていたが、10連休の間、林檎を食べたり、ドアを齧ったり、糞をまき散らしたり、悪さのし放題だったので、誰からも同情されなかった。5/7

半永久的に戦前のはずだったのに、新年号に切り替わってから突如戦中になってしまって、ほとんどの若者が徴兵されてしまったが、私は透明人間に変身したので、何枚赤紙が舞い込んできても、平気の平左で銀座通りを闊歩できるのだった。5/8

官憲の弾圧が、だんだん酷くなっていた。まだ召集されない大学生たちは、喫茶店や定食屋にたむろしていたが、時々やけくそになって素っ裸になり、裏通りで、「猫じゃ猫じゃ」踊りをおどっていた。5/8

このほど○×党に納品した×○社製作のCMは、かなりシュールなテイストに仕上がっているが、担当者の凸凹部長によれば、それは編集の隠し味として、随所に2人の人妻の嬌声を入れ込んだからだという。5/9

東京駅からスカ線に乗ろうと思ったが、気が変わって久し振りに市電に乗ってみたら、東京は全面的に昭和の風景だった。運転手が気まぐれな奴で駅でもないところで勝手に止めて、客と一緒に楽しそうに酒を飲んでいる。5/10

そうだ、ついでに昨日無くしたカバンを探そうと思って、運転手に頼んで展示会場駅まで行ってもらったが、あんなに数多くのバイヤーたちで賑わっていたのに、驚いたことには建物の影も形もない。5/11

戦争になったので、急に物不足になり、八百屋に行っても私の好きなミカンやイチゴもない。なんとかしてくれえやと怒鳴っていたら奥の方から親父が10個500円の格安で林檎を出してくれた。5/12

私の授業は、学生が少ないので、いつも1つの丸テーブルに座ってゼミを始める。今日は全部で10名だったので、私は「さあ今日は2人づつ5つのグループに分けるから2人一組で他のチームと闘論してくれ給え」というて右手で4回手刀を切った。5/13

困っているその子に向かって、「将来はどんな仕事に就きたいの?」と親切な振りをして訊ねてみるのだが、いかなる言葉も発しようとはしない。5/14

早く早くと急かされて駆けつけるとなんと昔別れた女の結婚式だった。相手の男も私よりも遥に男前で堂々としており、羽振りもよさそうで、私はなんとなく引け目を感じてうなだれていた。5/15

ホテルのバーで人と会う約束があったので、先に来てジュースを飲んでいたら、周りの人たちが次次に斃れていく。後で聞いたらどうやら全部のアルコール類に毒が入れられていたらしい。医師の禁酒命令を守っていてほんとに良かった。5/16

その外国人の女を殺したのは私だが、そのことは誰も知らないと思っていたのに、ある朝彼女の家族と称する人たちが突然我が家に押し寄せてきたので、冷汗三斗のわたし。5/17

アジアの片隅でほっそりとした夜の女が近付いてきて、身をひさごうとしたので、どうしようかとひるんでいたら、その後にその女の夫と子供と思われる2人が物陰に潜んで事の成り行きを見つめていたので、驚いて逃げ出した。5/18

私が入っている刑務所ではどんどん人が増えるので、不審に思って観察していると、真夜中になるとこの国に押し寄せた世界各国からの難民が、三食昼寝付きの安住の地であるこの国立刑務所に潜り込むことが分かった。5/19

ビルの通路の向こう側の植木鉢の葉っぱに蝶の幼虫がくっついているのが分かったので、コウ君と一緒に駆け寄ったがいつまで経っても辿りつけない。善チャンも出てきて手伝ってくれたが見つからないので朝食をとることにしたが既に済ませているコウ君はどうしよう?5/20

絶海の孤島で絶世の美女と2人だけの生活をしているのだが、3日間にわたる壮絶な性生活を終えることなく私は絶命していた。5/21

ハ長調のドは分かるが、ト長調とかへ長調のド、まして変ロ短調のドがどこなのか、そしてそれらはピアノのどこを弾けばいいのか、がさっぱり分からなくなっていたので、パニック寸前のわたし。5/22

「大川周明の3つの遺言を聞かせようぞ!」という声が聞こえたので、外に飛び出すと、幸福の科学の大川隆法が街宣車に乗って叫んでいるのだった。5/23

犯罪に巻き込まれた私は、無実を証明するために、私が映っているビデオを証拠品として警察に提出したが、それは私が誰かに脅されて誰かの寝室に連れて行かれると、そこには近所の奥さんが横たわっているよという実に珍妙な代物だった。5/24

いつか夢見た夢をまた見ようとして特別ドレームフェアなる催しに出席しているのだが、会場に設置された即席簡易ベッドの中で何回トライしても、絶対におなじ夢を見ることはできず、途中から他の夢に変わってしまうのだった。5/25

将軍は私らにカレンダー付きの鍵を呉れたのだが、その鍵は1日に2回しか使えないので、私らは往生した。5/26

獅子舞になって子供の頭を1回がぶりと噛むと100円頂戴するという仕事で長年にわたって生き延びてきたのだが、少子高齢化の大波に呑みこまれてもはや二進も三進もいかなくなっていた。5/27

前回は2500回だった名人の連続太鼓叩きは、今回はなんと8500回という驚異的な数値に達し、わたしら弟子どもはただただ怖れ慄くしかなかった。5/28

その男は時代がバブリーになると謹厳実直に、バブル期が終わると途端に衆酒池肉林状態に突入するという特色を持っていた。5/29

若い女性モデルたちを石垣の上に横一列に並べて撮影しようとしているのだが、言うことを聞かないで勝手に動きながらおしゃべりしている彼女たちに頭にきているカメラマンの私。5/30

パン屋の私の前に、突然見知らぬ女が現われて、むかし学生時代に私との間に子をなしたが後に堕したというのひと違いではないかと驚いているが、梃子でも動こうとしないで、私が作ったアンパンをむしゃむしゃ食べている。5/31

大宴会で合計8皿のフルコースの御馳走が出されたので、夢中で食いまくったが、だんだんお腹が痛くなって来た。しかも最後の7皿目と8皿目しかそのメニューを覚えていない。豚に真珠とはこのことなり。勿体ない限りだ。6/1

マエダ女史の紹介でサンダース氏に会った私は、彼から懇切丁寧にフライドチキン事業経営のノウハウを伝授されて大感激した。6/2

疲れきっていたが一睡もできずにいた私の頭の中では、あの悪名高いハズキルーペのCMが朝まで流れ続いていた。6/4

土曜夜の試写会でゴダールの新作映画「スプラッシュ」をみていたら、「これから私はしろうやすの世界を立ち上げるんだ」とゴダールが呟いていたので、近くのカフェに入ってコーヒーを飲んでいたら、なんと鈴木志郎康氏がいたので、かくかくしかじかと報告したが、「あ、そうですか」というつれない返事だった。6/5

240円で出来立ての冷たい薬?を売っていたので、私はすぐさまそれを買った。6/6

妻が足利学校の校長になるという話を聞いて、私は耳を疑った。妻もどうしてそうゆう次第になったのかについてまったく知らないという。足利に移住して、就任の挨拶の原稿はたぶん私が書くことになるのだろうが。6/7

テレビ局で仕事をしているヤシマ嬢のシャツの上に「ネコテペス」という意味不明の西洋文字が刺繍されていたので、私はさりげなくその「ネコテペス」を触ってみた。6/8

巷の噂では、この食堂では蛇や猫や人間の肉まで惜しみなく味付けに投入しているので、ラーメンのみならず何を喰っても旨いという定評があったが、臆病な私にはあえて試してみる勇気はなかった。6/9

ついに宿敵と相まみえた日、私は腹を撃たれるのを避けるために左半身に構えながら、右手で握りしめた拳銃で、彼奴のどてっぱらに熱いダムダム弾を撃ち込んでやったのさ。6/10

今は江戸時代なのだが、その隠密は100メートル10秒フラットの記録保持者なので、藩主が参勤交代をするたびにその先導役として東海道を何度も往復して安全警護に貢献したので、ついに第3家老に出世したそうだ。6/11

病院長はその患者は政治的に特別に重要な人物なので、財前教授とその反対派の有力教授の2人が1日おきに完全かつ徹底的に看護するよう厳命を下した。6/12

2人の宿命の対決が始まった。2人とも抱いて殺して煮立った鍋に投げ入れた女をもう一度甦らせよと天主から命じられたので、懸命に祈りを捧げているところだ。6/13

水兵の私は軍艦に乗り込み、敵艦の外壁にとりついてガリガリ穴を開けようとしていたが、味方のコンパス銃は0.1ミリ口径、敵は0.3口径なので作業が捗らず、先に撃沈されてしまった。6/14

せっかく新床教授の授業に出ようと早くから下宿を出たのに道草を食って開始時間を5分過ぎてしまった。2人連れの学生にEW教室がどこにあるのか尋ねたら、「今日はもう諦めて、助手のフクダさんに来週から出るからよろしくと根回ししといたほうがいいですよ」と言われた。6/15

お上の不在を衝いて私は裏山のウサギ穴に潜り込んで、秘密の財宝を探し出そうと意気込んだが、穴があまりにも深すぎて帰り道を見失ってしまい、途方に暮れている。6/16

手や胸や腹が痒くて痒くて堪らないので、もう狂ったように目茶目茶に掻き捲っていると、突如得もいわれぬ快感がどこかから湧き起ってきて、これはいかなる生理現象に起因するのかと考え込んでしまう。6/17

私は新種のサルだったが、友人サル宅を訪ねて玄関口の靴脱ぎの置き石の断面を見ると、「令和はかなし」と刻んであったので、これは「令和は悲し」と読むべきか、はたまた「令和儚し」と読むべきかいずれとも決めかねてその場に立ち尽くしていた。6/18

「佐々木眞文学全集」のどの箇所に「世界最短詩の試み」が挿入されるのかを、いちいち検証していくので、眠るに眠れない夜だ。6/19

「2年間あんたをよその飛ばして悪かったけど、今月からまたうちの課の戻ってもらうから、すぐに来年度予算を案を作っといて」とタナカ課長は平然とのたまうのだった。6/20

息子にいい嫁を見つけるために、ゴッドマザーはどんなことでもした。朝から晩まで影のように息子に張りつき、息子の目となり手となり足となって、よさそうな女性を血眼で探しまくったのである。6/21

お父さんの仕事の都合で離れ離れになっている私たち。お父さんは田舎の実家に、私はお母さんと一緒に都会の一部屋で暮らしている。お父さんは「もうちょっとでみんな一緒に暮らせるようになるからな」、というて私を励ましてくれた。6/22

その男は、いやあ美味いなあ、ウマイ、旨いと言いながらその料理に舌鼓を打っていたが、良く見るとその口元は○というより△なので、小さな魚などはどんどんこぼれて逃げ去っていくのだった。6/23

半世紀ぶりに訪ねてみると、その下宿はいまなお京都の左京区にあった。私が2階の部屋に入ると2人の大学生がいたが、構わず押入れの中を開けると、その中には私がこの部屋の住人であった頃に買い集めた「世界文学全集全100巻」がそのまま出てきた。6/24

また新しい戦争が始まりそうなので、私はアシスタントの女性に命じて長さ10メートルの鋭く尖った竹竿をたくさん用意させた。いったん事があれば、これで雑兵集団を武装して敵に先制攻撃を仕掛けるのだ。6/26

ネーミングに関しては業界ナンバーワンの私は、完成まじかの高層ビルを見学しながら、その呼称を考えていたが、その間にも世界中の建設業者からネーミング依頼の電話が殺到するので、脳味噌が破裂寸前だった。6/25

まったく仕事がないので新企画をでっち上げて某出版社の重役に売り込んだら、幸い興味を持ってもらえた。その夜西麻布のバアで重役の意を受けた坂谷由夏似の編集長に会ったのだが、完全に化けの皮を剝がれてほうほうのていで逃げ出したわたし。6/27

生まれて初めてみたアフリカのセネガル映画があんまりおしゃれでシックで素晴らしかったので、会う人ごとに吹聴していると、ふぁっちょん評論家のフジオカさんという方が、「あらあなたご存じなかったの、セネガルは最近モード界でも注目されているのよ」と仰った。6/28

「今後のあらゆる創作基準はこのメートル法原器に準拠していきます。これは「2001年宇宙の旅」で原始猿が初めて他者を殺害し、宇宙に抛り投げた堅骨片の長さと形状と重量に匹敵します」と私が宣言すると、一同は諾諾諾!とうべなった。6/29

いつまで経っても大学を卒業できない私は、真夜中に突如その原因に思い当たった。毎年の新学期に履修科目を登録していないし、学校に行かないし、授業も試験も受けないから何年経っても卒業なんかできるわけがないのだ。6/30

 

 

 

あきれて物も言えない 02

 

ピコ・大東洋ミランドラ

 
 


作画 ピコ・大東洋ミランドラ画伯

 
 

海の日なのだ

 

今日は海の日だったのかな。

この港町にも、
参院選の宣伝カーが回ってくるようになった。

候補者の名前が連呼される声は、
やかましいが、今回はやかましいとは言えない場合なのかな。

参院選の争点は、Y!ニュースの88,045人が回答したアンケート結果を見ると、
1)経済政策 33.2% 2)社会保障 26.3% 3)憲法改正 17.8% 4)外交・安全保障 9.6% 5)働き方 2.5% 6)子育て 2.4% 7)原発・エネルギー 2.2%
となっています。

選挙民の関心は、直近の自己メリットということなのでしょうか?
各政党は選挙民の自己メリットに訴えてくるのでしょう。

優先するべき「働き方」や「子育て」、「原発問題」、「憲法」など人間の基本的な問題が後回しになっている。

そう言えば、「経済で勝つ!」というコピーのポスターが数年前の町々には貼られていた。
それでその政党は勝ったのだった。その政党の選挙参謀は人々の自己メリットへの傾斜を見据えていて勝利したのだったろう。

人々は直近の自己メリットを生きている。

さて、海の日なのだ。
海には、魚たちやフナムシたち、亀たち、海豚たち、鯨たち、カモメたち、海鳥たち、貝たち、ゴカイたち、などなどなどがいる。

今朝の「天声人語」には島崎藤村の詩「椰子の実」が引用されていた。
<名も知らぬ遠き島より/流れ寄る椰子の実一つ/故郷(ふるさと)の岸を離れて/汝(なれ)はそも波に幾月(いくつき)>

新聞には引用されていませんが、詩はやがて<我もまた渚を枕/孤身(ひとりみ)の/浮寝の旅ぞ>と藤村の心情が歌われる。

しかし最近は、椰子の実よりもプラスチックの洗剤容器、レジ袋、サンダル、ペットボトルなどが、浜辺には打ち寄せているのだろう。嵐の後などは浜辺にうずたかく堆積しています。
わが港町の浜辺だけじゃない。どこの浜辺でも似たようなものでしょう。

海は繋がってますからね、国を超えて繋がっている。

今朝の「天声人語」では、2050年には海に捨てられるプラスチックが世界中の魚の総重量を上回るという試算が述べられています。

海には、あまり自己メリットはないから、捨てちゃえ、ということでしょうか。
わが港町の突堤にも土曜、日曜にはたくさんの釣り人たちが集まります。
子どもを連れて釣りにきている若い夫婦もいます。
それで土日の休みが終わると突堤はゴミだらけになるんです。
そのゴミを常連の釣親爺たちが月曜日に片付けていたりしてるんですね。

わたしも以前は遊漁船に乗って釣りをしました。
それでコンビニ弁当やカップラーメンを食べたりしますと最後に船頭さんがゴミを集めて、
海にポイと捨てたりするのを見てしまうんです。

もう何も言えません。

たまたまわたしたちヒトに生まれちゃったのです。
ちょっとした遺伝子の組み合わせでヒトではなくわたしたちゴンズイやコノシロ、サヨリ、キュウセン、オジサンであったかもしれない。フナムシであったかもしれない。

一度、真夏の海に一人でボートで浮かんでいて、ウルメイワシの大群の上に浮かんでいたことがあります。

海がウルメイワシの背中で真っ黒になるんです。
サビキの仕掛けを海中に下ろすとウルメイワシはいくらでも釣れちゃうんです。
それでその海中をよく見ると無数のプランクトンが泳いでいるのです。
ウルメイワシの大群はそのプランクトンに集まっていたのでしょう。

海は生命のスープなのだと思ったのを覚えています。

 

作画解説 さとう三千魚

 

 

 

また旅だより 11

 

尾仲浩二

 
 

且つて阿佐ヶ谷で古いアパートを借り写真ギャラリーをやっていた。
5年前に大家さんが亡くなり取壊しのために立ち退いたのだった。
人づてに、まだ街道のアパートが残っているよと聞いてはいた。
でも朽ち果てた姿や、更地になっているのは見たくはなかった。
その日は天気も気分も良く散歩のつもりがついつい遠くまで、そして街道はまだあった。
それほどひどくもなっていない、今にも誰かが出てきそう。
ありがとうと言って階段は登らずに駅に向かった。

2019年6月13日 東京 南阿佐ヶ谷にて

 

 

 

 

「夢は第2の人生である」或いは「夢は五臓六腑の疲れである」 第73回

西暦2019年睦月蝶人酔生夢死幾百夜

 

佐々木 眞

 
 

 

8時頃に8人前の武器が届くことになっていたが、10時になっても届かないので、私は洞窟から出ていった男の武器を身につけて、完全武装してから彼奴を殺しに出かけた。1/2

彼は自分が見た夢を、抽象絵画に仕上げようと悪戦苦闘していたのだが、いっこうに完成しないし、暮らしに窮するようになってきたので、とりあえずいま流行のリアルな絵を描いて、急場を凌ごうとしていた。1/3

そのオールドタイプの元革命家は、1920年代のロシアの文学書の復刻を目指して悪戦苦闘していたが、反動的政治家たちの妨害に遭って宿願を果たせず、とうとうこの世を去った。1/4

寝た切りの夫を支えるために、彼女はクリル語を習得して、クリルの代表的作家の全集の翻訳を開始した。その作家は、内容は空疎なのだが、やたら細部の描写に凝るので、ページ数が膨大になり、賃労働の効率がよいのである。1/4

ゆっくり寝ようとしていたら、突如A子がベッドに潜り込んできたので、これ幸いと抱きしめたら、B子が飛び込んでいたので、驚いて飛び起きると、C子が傍に立っていたので、私は泡を食って逃げ出した。1/5

「あの子は、ちょと変だ」と思うと、即座にケイサツにチクッって牢屋に入れてしまう「チョット変だ法」が、与党の強行採決で国会を通過したので、私らはその子を、庭に掘ったシェルターに隠した。1/6

ところがやっぱり「隠すよりあらわるるはなし」で、隠し子は、お隣のヒグチさんにばれてしまい、通報されたその子は、警察にしょっ引かれて、強制収容キャンプに入れられることになってしまった。

良く晴れた冬の朝、セイ・ハシモト画伯と一緒に、その子を駅前まで見送りに行ったら、その子は駅前広場をよろよろ歩きながら、時折くず折れたりしていたが、やがて自力で立ち上がると、「ぼくオオヤさん、大好きですお!」と叫んだ。1/6

どういう風の吹きまわしか、私は北朝鮮の幹部になってしまったが、大首領に拝謁する日に着ていく服がないので、もしや、と思って床下を探すと、スーツの代わりに生みたての卵があった。1/7

五条か六条か七条か、京都駅の近くのいつもの建物の中で、ケン君と女の子を連れた私は、飯を食おうとして料理屋を探しているうちに、2人を見失い、必死になってあちこち駆けづり回っているのだが、イシカワサユリ似の女将が、なぜか私の邪魔立てをするのだ。1/8

2006年にスポーツ庁を退いた私は、やたらと尿が近くなってしまったので、尿漏れ吸い取り特別製パンツを、それこそ、肌身離さず身につけていた。1/9

「ハロピン8地点で、ヒラヤマ部隊の全員が姿を消した」という速報が舞い込んできたので、私ら捜索隊は、ただちに出発した。1/10

シガ君は、私が弥仙山で捕まえた巨大なオオヒカゲ亜種の標本を、「しばらく貸してくれや」と頼むので、しぶしぶ了承したのだが、その写真付きのレポートを、権威ある昆虫雑誌に自分の名前で発表しておきながら、私には知らん顔をしていた。1/11

我々は、ベテイーちゃんにえらい世話になって、あまりにも嬉しかったものだから、「日米軍事同盟は、円滑に機能しとりまっさ」などと、と大げさな謝辞を述べたて、やがて彼女は、単身オートバイに跨って走り去っていったのが、誰一人そのベテイーちゃんの正体を知らなかった。1/11

風の噂では、西本町の遊び仲間だったノブイッチャンは、日仏両国でレストランのシェフをやりながら、オーケストラのメンバーとしても活躍している、というので驚いた。1/11

英文科を卒業していた私は、社長のお供でNYに行ったが、ブロードウエイでみた「バックツウザフュウチャア」のあらすじを説明できず、ケネデイ空港の9つのターミナルのどこで乗り換えるのかも分からず、乗り遅れたので、即リストラされてしまった。1/12

灼熱の砂漠の不毛の地で、残虐と奇計の限りを尽くして私は王冠を勝ち得たが、その代わりに、「愛と人間性」という言葉が意味するすべてを失った。1/12

大切な使命を果たすために、長い長い旅に出た私は、そんな私にどこまでも付いてくる、見知らぬ犬を、心を鬼にして山の中で射殺した。1/13

アサダマオ似の娘と知り合いになった私は、彼女の家に入り浸りになったが、そこでアサダマイ似の姉と知り合って夢中になってしまったので、マオから激しく嫉妬されるようになってしまった。1/14

いよいよ会社が倒産して、最後の日を迎えたので、私は営業所を巡って、知り合いに挨拶して廻ったのだが、その途中で、たびたびオオミチ君とヤマサワ君に出会った。1/15

みんなで金沢八景の花火大会に行ったんやけど、オラッチが景気づけにカニ人間に変身したら、周りの人がびっくり仰天して、みな逃げ出したあ。1/16

その頃渋谷駅からは、電車の替わりに巨大な鉄棒が、吉祥寺まで一直線に敷かれていた。その鉄棒の右側に出張っている3人乗りの横棒が、高速で前進するのだが、立ったままの我々のうちの誰かが、横棒から転落すると、おおかた命を落とすのだった。1/16

「これはかっぱえびせんではなく、はっぱえぴせんです」、とササン朝ペルシアからやってきた少女は教えてくれたのだが、そのはっぱえぴせんときたら、いくら食べても袋の中身が減らないのだった。1/17

私の牧場で働いている親友の息子のジョンが、一匹の仔馬を自分のものだと主張しているので、「これはお前のじゃない。私が市場で買った馬だ」というのだが、「これはお父さんが僕に買ってくれたポニーだ」と譲らないので、「そんならお父さんに問い合わせるぞ」というと、黙ってしまった。1/18

死んだタダさんと、千歳烏山の自宅でマージャンをしている。彼のお兄さんも、由緒ある雑誌「昴」の著作権所持者のお母さんも、一緒だ。タダさんが「ほら、通してみろ」といってイーピンを出したので、私は「ロン!」というて牌を倒した。1/18

明日2時からショウが始まる。全社員が集合する朝礼で、社長に集合時間を告げてほしいと頼んだが、黙っているので、仕方なく私が「あしたは12時半に全員集合!」と叫んだら、一斉にブーイングが殺到したので、なんで社長が無言だったのかが分かった。1/19

ヨシダタクロオは、4声のリチュリカーレを奔放に操る振り付けで踊り狂っていたので、私らは今日の宿舎に向かったが、なんと昔の女が傍にいたのでときめいたが、最早お互いに無言のままで海を見下ろすと、赤白の紋様の巨大な肺魚が泳いでいた。1/20

奇麗な海の底には、その他にも数多くの魚たちが泳いでいたので、ヒロシさんたちと写真を撮りながら、鑑賞していたら、突然大きな純白のチャウチャウが、海岸から駆け上がってきて、ヒロシさんの背中に飛び乗って、ワンワン吠えたが、ただ喜んでそうしただけだった。1/20

日向に寝そべっている牛さんの写真を撮っていたら、お腹の中から、突然人間の胎児が出てきたので、非常に驚いた。1/21

里山できれいな水が湧いて出たので、これはもしかすると「聖水」ではないか?と科学者が調査に乗り出したのだが、担当者の私がその「聖水」と比較対照すべき「水道水」とをごっちゃにしてしまったので、この件は、いつしか有耶無耶になってしまった。1/22

ともかく夢の世界なので、ふわふわしてはいるが、自由そのもので、何でもやろうと思えばできそうなので、ははあ、これが無政府状態というやつか、と思うた。1/24

マガジンハウスのO氏も、朝日新聞のA氏も、リーマンをやりながら自分の会社を持っているというので、「よーし、オラッチも!」と意気込んで、会社を立ち上げたのだが、はてさてどういう仕事をしていいのか分からないのだ。1/25

「これでも詩かよ」の原稿を持ち歩いていたら、版元が経営している画廊で、他のアート作品と組み合わせて、なにやら意味ありげに陳列してくれたのだが、素直に喜べない複雑な心境のわたくし。1/27

夜中に、妻の叫び声が聞こえたので、飛び起きると、闇の中に、小人の姿が見えた。そいつは、松明だか、燈明だかを、左手で掲げながら、畳の上を、滑るようにゆっくりと、私に向って歩いてくる。1/28

私とKは偽京大生で、いつも西部講堂に出入りし、学食でランチをとっていたのだが、Kはいつのまにか文化祭の総合プロデューサー役に任じられ、それを見事に成功させて、本物の京大生たちの拍手喝采を浴びていたので、私は激しく嫉妬した。1/29

その作家は、皇居前広場を埋め尽くした人々のど真ん中に突っ立って、昨夜完成したばかりの7つの短編小説を、大きな声で朗読していた。1/30

私は、木造13階建ての集合住宅の最上階に住んでいて、各階の住人たちと仲良く暮らし、朝から晩まで、東西南北全方位の眺めを堪能していたが、風が吹く度に、部屋全体が左右に揺れるので、まるで船酔いのような状態になるのだった。1/30

トレーダーの私の同僚の女性は、夢遊病患者で、仕事中に突然意識を失ってしまうので、私は、別に誰から頼まれた訳でもないが、彼女のピンチヒッターを務めて、時には大儲けさせてやったりしていた。1/31

私は、昔から企画室のデザイナーに憧れていたのだが、ふとしたことから、MDのナガタ氏の部下の女性たちと仲良くなって、毎日のように、会社の近所の原宿のレストランでランチをするようになった。1/31

 
 

西暦2019年如月蝶人酔生夢死幾百夜

 

麻薬、毒物、酒、歌、女……。私の船にはこの世の悪の一切が乗っていたので、たとえ世界が終ろうとも、ノアの箱舟と違って、滅びることなど、けっしてなかった。2/1

オクムラ氏と夜の街を一晩中うろついてから、氏の講演会場に入った。いよいよ高尚な講演が始まったというのに、どこの誰とも知れない婦人が、一心不乱に毛糸を編んでいるので、私は気が気じゃない。2/2

私が夢の中で思いつき、下町ロケットの佃製作所で造ってもらった「全自動自撮りキャメラ&ビデオ機」は、世界中で大ヒットし、特許権と独占販売権所有者の私は、あっというまに阿呆莫迦ゾゾタウンを凌ぐ大金持ちになった。2/3

長い間、東京拘置所に収監されていたコムラ夫妻の無罪放免、それとは別に、何故だかしばらく誘拐されていた家内の無事解放を祝して、我々は祝杯をあげた。2/4

ベートーヴェンの交響曲を演奏するために、イタリアの大富豪の別荘に、往年の偉大なるマエストロとスカラ座フィルの面々が勢揃いしていたが、誰がどの曲を担当するのかで、おおおもめに揉めているようだ。2/5

ようやく発表された結果、3番はクナパーツブッシュ、4番はクライバー、5番はトスカニーニ、6番はワルター、7番はチエリビダッケ、8番はクレンペラー、9番(合唱無し)はフルトヴェングラー、1番と2番は若手のカルロ・マリア・ジュリーニが指揮することに決まった。2/5

戦争が迫ってきたので、企業は即席テントを用意して、社員が寝泊まりできるようにしているのだが、新聞記者の私は、それらの寝心地の快適度を採点するために、もう何か月も家に帰っていない。2/6

日本から泳ぎだした2人の若者が、南洋諸島に辿りつき、2人の女性を恋するようになったとさ。メデタシ、メデタシ。2/7

白鵬が休場したので、「よーし、今場所こそわいが優勝したる!」と意気込んでいたいた平幕のオラッチだったが、全休のはずの横綱が、要所要所で出場するので、すっかり当てが外れてしまったわい。2/8

京の木屋町の路地で、おいらの後をつけてきたチンピラが、いきなり無言で背中にドスをぶちこんできたのだが、さいわいおいらは、脊中にも目があったので、素早くかわして、事なきを得た。2/8

少年ペガサスの右目を抉りとったのは、チュニジア在住のイグチという男だったので、私はその下腹にナイフを深々と刺すと、彼奴は、声もなくゆっくりとくず折れていった。2/9

私が引き籠っているいる図書室に、ドレスを着た1人の女がやってきて、「あたし、ジョンソンよ」という。見上げると、部屋の上空は無数の自転車が密林のように繁茂していて、その葉っぱがキラキラと輝いていたのだが、彼女はじつは男だった。2/9

僕らは、郊外の森の傍に家を建てようとしたが、骨組みを作ったところで、お金が足らなくなってしまったので、仕方なく、外側をガラスで覆った状態のままで、放置せざるを得なかった。2/10

「カウント1-2から、どんな球を投げるのか? 2-2、そして3-2になったらどうするのかを、すべての打者について、具体的にそれぞれの投手に向って教えることができるのが本当のコーチなんだ」と、ゴンドウ氏は語った。2/11

百貨店の中で、着物をきた娘たちが「キャアア!」と悲鳴をあげたので、私はさっと駆け寄り、「大丈夫だよ、おじさんについてきなさい」というて、エレベーターで屋上に連れて行って、アイスクリームを舐めさせた。2/12

パーティにお偉いさんが3人もやって来るというので、私はテーブルの上の和紙に、3名様への挨拶を墨で書いて待機していたのだが、いざ彼らが到着すると、どの挨拶を誰に渡したらいいのかさっぱり分からなくなって、ヘドモドしたのでハシモト課長に怒られた。2/12

朝いちに出かけていったはずのムラタ君が、2階の自室で倒れている。口から泡を吐いて伸ばした右手には濡れたテイッシュを握りしめているので、これはてっきり遺書に違いないと思った私は大声で助けを求めた。2/12

どうしても必要な「サンデー毎日」の記事があったので、京橋まで出かけたが、貸し出しを編集長が言を左右にして許可しないので、広告部のH氏を呼び出し、2人が「あっちむいてホイ」をやっている間に、私は当該の記事を、素早く撮影することに成功したんだ。2/13

当然私が担当すべきブランドのCM製作を、どういう訳か女社長が勝手に差配しているので、どたまに来た私が「勝手にしろ!」とすねていると、彼女は完成したフィルムを持って、私をなだめすかしにやってきた。2/14

小さな会社なので、その夫婦は、お手盛りでどんどん出世競争に励んでいた。夫が専務になれば、妻は常務、夫が社長になれば、妻は副社長になったが、夫が会長になったので、社長になった妻は、夫が名誉会長になっても、社長を辞めようとはしなかった。2/15

クマザワ天皇の私は、今朝も斎戒沐浴して、爪を切ってから玉座にしゃがみ込み、寄る年波もあって、退位と譲位について考えようとしたのだが、そもそも私には、誰一人身寄りなどないのだった。2/16

女社長が私に呉れた新しい仕事は、1)いつも彼女の傍に控えていること。2)朝から晩まで彼女の傍で待機すること。3)彼女の指示には迅速に対応すること。というもので、本来の業務内容とは、まるで無関係だった。2/17

「第3者」というものが苦手な彼女は、なんとかしてすべての「第3者」を「第2者」に変えようと、ありちあらゆる算段を尽くすのだった。2/17

その車は、4種類のガソリンを、4つの保管ゾーンに入れなければならない、という厄介な車種だったが、誰も運転したことがないというので、結局免許も持たない素人の私が、運転する羽目に陥った。2/18

私は、いつもパルジファルと生活を共にしていたので、常に仕合わせでした。2/19

2年前にケツのケバまでそいつに蹂躙された私だったが、ここで会ったが百年目。捲土重来けっして逃がさぬ。テッテ的に復讐して絶対に止めを刺すぞ、と私は固く決意した。2/20

長野の山奥に住んでいる同級生のF君が亡くなった、という知らせを受けて、そんなはずはない、なにかの間違いではないのか、と激しく動揺しているわたくし。2/21

以前はあれほど繁盛していた駅前はすっかりうらぶれ、寂れて、人影ひとつすらなかった。2/22

山形交響楽団のファゴット奏者の即興演奏を録音したら、これが素晴らしかったので、彼に頼んでドボルザークの交響曲第8番なども録画録音し、来日していたシカゴ響のオーナーに聞かせたら感激して、たちまち米国公演が決まってしまった。2/23

広告屋の私は、ワインの盃を上げている半裸の女性の写真を用いて、「一杯の夏」というキャッチフレーズで新聞広告を作ったのだが、「わが社は衣料品を作っているが、アルコールは製造していない」と言われて、却下された。2/24

ヤギのように白い顔をした少女が、こちらに向かって歩いてきたので、私は、ただちに恋に落ちた。私らは、販売チームのコンビとなって、全国津津浦浦まで、カジュアルウエアを売り捌いて回った。2/25

反戦運動をしていた私は、10名ほどの仲間たちと一緒に捕まり、同じ牢屋に入れられたのだが、どういう訳か、私は彼らに毛嫌いされ、口も利いてくれないので、仕方なく牢の隅っこでいじけていた。2/26

あるPR会社からDⅤDが送られてきたので、映画かと思って再生してみたら、さにあらず、野原でピクニックしている美貌の母娘の映像が停止して、「あなたはこの2人のどちらと思いっきり楽しみたいですか?」という問いかけが出て、イエスかノウをクリックせよと迫るのである。2/28

 

 

 

あきれて物も言えない 01

 

ピコ・大東洋ミランドラ

 
 


作画 ピコ・大東洋ミランドラ画伯

 
 

いい男は信用できない

 

このまえの夜、
高円寺のバー鳥渡で飲んでいたら、
離れた席からピコ・大東洋ミランドラ画伯が隣の席に座って、
わたしの似顔絵を描いてくれた。

なんだか下ぶくれしたメガネをかけたおじさんが描かれている。
わたしなのである。

あきれた。

似顔絵なのにこんなに正直に現在のわたしを描くのであるか!
この画伯には礼儀というものがないのか!
もうちょっとロマンスグレーの素敵おじさんに描いてよと内心では思った。

だが、もう生涯ない。
否、しょうがない。

安い東名高速バスで港町から出かけて来て、
深夜に高円寺の飲み屋でクダを巻いて新宿のカプセルホテルに泊まろうとしている、
ダメダメなおじさんなのだ。
酒を嫌と言うほど飲んで安い焼き鳥を食って知らず知らずに下ぶくれのおじさんになったのだ。

さて、隣に座った画伯は、
なんだかにんまりとしてチャーミングである。

可愛いというのかな、憎めないというのか、
バカな奴というのか、
どこか少年のままというのかな、
そんな画伯なのだとわたしは睨んだのだった。

それでなにか一緒にやろうよとわたし、言った。
セクスとかじゃなくて、
も少し、疲れない、楽しい、なにかを画伯とやろうと思った。

で、
画伯に「あきれて物も言えない」というタイトルで絵を連載で頂戴して、
わたしが絵の解説を書いて、
浜風文庫に連載かなと思いました。

「あきれて物も言えない」という状態にはわたしは日頃あまりならず、
だいたい「ふ〜ん、そう」と思ってしまうタチですが、
「あきれて物も言えない」苦手意識を克服しようと思いました。

ですので、
意外と、
当たり前の当然について「あきれてしまう」ことになってしまうのではないかと心配しています。

最近では、
福島の除染で集めた汚染土を農地造成に再利用するとか、
廃炉に外国人を使うとか、
厚労省の年金運用が昨年の10月、11月、12月の三ヶ月で14.8兆円の運用損を出したとか、
この国の副総理・金融相が都合が悪い審議会指針を受け取らないとか、
その本人が自分の年金の受け取りがどうなっているか知らないとか、
米国の大統領は根拠ないがタンカーを攻撃したのはイランだと決めつけたとか、
普通にあきれてしまうこともたくさん聞こえて来てしまいます。

世の中、狂ってる、と、思います。

狂った大人たちがやってることを子どもたちは見ていると思います。
それで子どもたちも、あきれていると思います。

さて、話をもとに戻します。

昨日の深夜、
荒井くんと長電話したのでした。
荒井くんは、三十年来の、わたしの数少ない友人の一人です。

世間のこととか、美術のこととか、友だちのこと、などを話したのでした。
で、作家の話になり、
小川国夫さんのことに話が至ったときに、
いい男は信用できないと、荒井くんは言いだしました。

静岡だったら小川国夫じゃなくてブ男の藤枝静男だろう!と荒井くんはわたしに言いました。

ほう!
と思いました。

荒井くんは固く信じて言っているのです。
小川国夫ではなく藤枝静男なのだ!
ブ男の藤枝静男を激しく推挙する根拠がどこにあるのだろうか?

わたしは、ほう!と、
絶句し、
あきれたまま別れの言葉もおぼつかなく電話を切ったのでした。

 

作画解説 さとう三千魚

 

 

 

また旅だより 10

 

尾仲浩二

 
 

写真展で韓国に行ってきた。
市場を歩くのは楽しい。
ヨーロッパや東南アジアの市場も楽しいけれど
日本とほんの少し違うこの国の市場を
子供の頃に戻ったような眼で歩いた。

2019年6月7日 韓国 蔚山にて

 

 

尾仲浩二 個展
「Sleeping cat」
6月23日まで
神保町 スーパーラボ東京

 
尾仲浩二 出展グループ展

『韓国ウルサンスナップ展』
6月22.23.29.30日
中野 ギャラリー街道

「平成・東京・スナップLOVE」
6月21日~7月10日
六本木 FUJI FILM SQUARE

 

 

 

また旅だより 09

 

尾仲浩二

 
 

寺泊の港に座り一杯やった。
つまみはスーパーのカニカマとオカラ。
酒は芋焼酎。
せっかくの日本海なのに。
気がつけば三杯もやっていて
とっぷりと暮れていた。
ちょっと寒くなって宿に戻った。

2019年5月9日 新潟寺泊にて

 

 

 

 

「夢は第2の人生である」或いは「夢は五臓六腑の疲れである」 第72回

 

佐々木 眞

 
 

 

西暦2018年霜月蝶人酔生夢死幾百夜

 
 

地球上のおそよ5万キロの地点から地球を見下ろすと、橙色の点が点滅していたので、そここをめがけて降下していくと、案の定、彼奴がいた。11/1

わが社のパリ支店の電子機器は、すべて一時代前のものなのだが、現地のスタッフは平然と構えているので、「最新版に取り替えろ」などとはと誰も言えず、そのために、ますます時代遅れなものになっていった。11/2

シェークスピアのナベショウによる翻訳があまりにも酷いので、思い立って自分でやってみたが、これまたかなり酷いので、大きなショックを受けているところ。11/3

それまでは無能の極みと評されていた僕だったが、ある日突然なんたら賞を受賞した途端、さながら掌を返したように、社内外の評価が改まったので、僕は今までと同じ人間なのに、どうして世間はこうも気まぐれなのか、と驚かずにはいられなかった。11/4

敷布団のすぐ下が奇麗な海になっていて、目の前に目の覚めるような紅色の甲殻類が遊ぶようにして泳いでいるので、捕まえてやろうと思って、手を伸ばした途端に、夢がちょん切れて、海は布団に戻ってしまった。11/6

3年寝続けていたら、カド君が、「起きろ、起きろ、早く起きろ、どうあっても即刻起きろ!」と騒ぎ立てるので、「うるさいなあ、それほどいうなら起きてやるけど、なんせノーパンだからなあ」とぼやくと、彼は急いでパンツを買いに行った。11/7

洗濯物の山の中から、茶色と黒の2匹の犬がノソノソ出てきた。なかなか可愛いので、いい名前をつけてやろうと思うのだが、「黒」と「茶」、「天」と「地」、とか「山」と「川」くらいしか思いつかないので、こんな筈ではなかった、と焦っている私。11/8

籠城中に「トロイの馬」のデザインをした黒い立体物が届けられたので、みんなでいじくっているうちに大爆発して、全員死んでしまった。11/8

サルガッソー海に船出をしようとしたが、私は「稲妻組」の連中を養っているので、なかなか難しいことがわかった。11/9

白雪姫からパーティに誘われたので、愛人を連れて出かけたところ、私に目をつけた白雪姫が、私を密室に連れ込んで優しく愛撫すると、驚いたことに長年に亘ってインポの私が勃起し始め、なんとか挿入も出来たので、射精は我慢して帰宅して、急いで愛人としたのョ。11/10

知り合いの女性と四方山話をしていると、彼女の旦那が資生堂の宣伝部で働いているというので「そりゃいいね、うらやましいな」というたら、彼女の隣にいた男性が振り向いて「そんなに羨ましがられるような職場じゃないッスよ」というたので驚いた。11/11

私は誰かに拾われた金魚として、ビニールの奥でヒレを静かにそよがせながら、この世のすべてのことどもを、じーっと観察していた。11/12

小学館のS編集長は、私の眼をじっと見据えながら、「それであなたが本にしたいという原稿は、どういうものですか?」と尋ねたので、私は、なんだか嫌な感じに襲われた。11/13

七夕広場で、大勢の男女が踊っているのを眺めていたら、見知らぬ女性がやってきて、私の腕の中で踊り始めた。11/14

毎年恒例の親睦会が、今年はタイのバンコクで開催され、わが社のスポーツ部門の記者7人が派遣されたが、生憎の集中豪雨で、ゴルフもできなかったそうだ。11/15

歩いても歩いても、見知らぬ町の見知らぬ道と建物が続いているばかりで、目指す駅は見つからない。いったいここはどこなんだ? 私はやっとこさっとこ、見覚えのある「なんとか会社」のビルヂングを見つけた。
それはシチズンだったので、「ああシチズンか」と思いながら門から中に入っていくと、技術者が待ち構えていて、「お名前は存じております。さっそく時計を作ってください」と頼まれたので、「早く駅に行かなければ」と焦りながら、時計を作っているわたし。11/16

絶海の孤島に、私を含む2組の男女が暮らしていた。そのうちの1組が旅立つというので、私たちは見送ったが、「いよいよ、たった二人になったのかあ」と思うと、心細さが一入募って来るのであった。11/17

死んだ黒澤監督が蘇って、待望の新作を撮るというので、エキストラの私らが現場に行くと、「全裸になって茶色に塗った体を、折り重ねるようにして横たわってくれ」という。白馬にまたがったヒロインが、その上を疾走するというのだが、はてさてどうしたものか?11/18

大至急、新しい住まいを見つけなければならない。しかし、妻が急病で動けないうえに、某不動産屋から派遣された担当者が、どうしようもない無能者なので、そいつを撒いて別の不動産屋に飛び込み、彼らの一押しマンションを即決した。11/19

「ではここでお別れしましょう」と、こもごも決別の挨拶を交わしたのち、パリ在住半世紀を過ぎた、3人の80代の女性を乗せたバスは、みるみる、私の視界から遠ざかっていった。11/20

「佐々木眞文学全集全1巻」という、見るからに枕より膨大な単行本が「らんか社」から出版されたので、思わず手に取ってみると、意外に軽いので驚いたが、その内容がもっと軽かったので、なおなお驚いた。11/21

東北一円にネットワークを張った魔女たちの、自立した生き方を取材するために、私は、勇んで出発した。11/22

彼女は、白いドレスで4つの曲を歌ったが、そのあとで、私らは4度交わった。11/23

氏は、私の質問に対して、最初はちゃんと答えていたが、しばらくすると、何も答えなくなったので、よく見ると、眠り込んでいた。氏は、しばらくしてから眼を覚ましたので、私がまた質問を続けると「私はdrawするものしか書きません」と言明したが、そのdrawとは、いったいどういう意味なのかが、さっぱり分からなかった。11/24

私は、すでに過去6年間にわたって「主」を探してきたのだが、見つからない。すると今度は、まだ行ったことのない西日本を調べてくれ、と頼まれたので、早速出かけた。11/25

アオキ選手からまたメールが入って、「ヤブキ色のマフラーを買って下さい」と強請るので、「ヤブキ、カヤブキ、ヤマユキ」と返信した。11/26

ガン検診の長い列に並んでいたら、ウッちゃんとその奥さんも並んでいたので、少し気が楽になったが、総身刺青のヤクザが割り込んできたので、みんな困っていると、魔法使いのお婆さんが、凄い裏技を使って、そやつをぶっ飛ばしたんだ。11/27

大久保卿の私は、激烈な政争と公務を慰藉するために、手当たり次第に美女を大奥に囲い込んでいたので、そこに紛れ込んだ女スパイは、いともやたすく卿の私を、暗殺することができたのだった。11/28

「八丈島で最期を迎えたい」と、そのカメラマンがいうので、私らは、江の島の港の桟橋まで、見送りに行った。11/29

以前職場で作った「こんな時にはこうしよう」という例題集を、肌身離さず持っていたおかげで、私はリストラされても、すぐに次の職場が見つかり、なんとか苦しい時代を生き延びることが出来たのだった。11/30

 

 

西暦2018年師走蝶人酔生夢死幾百夜

 
 

ここは下町のダサイ一角なのだが、その中にあって、はきだめの鶴のような、いつも身ぎれいにしている夫婦が住んでいた。あれはいったいどういう経歴の人だろう。いちど話してみたいものだ。12/2

電通映画社のマツオさんが「私はササキさんから、この仕事をいただきました。私のクライアントは、ササキさんです。ササキさんの上司が、横からなんといおうと、それは関係ない!」と厳かに言明されたので、私は大いなる感銘を受け、粛然と襟を正した。12/3

じつは私は、セゴドンの子孫なのだが、何となく言い出せないままに、時が流れ、気がつくと、大正時代になっていたので、もうどうでもいいや、と黙り通した。12/4

男のおしゃれの話で盛り上がっていたところへ、、ある流行作家が、1人の女に詰め寄った。彼女は、どうやらタカハシという人物と、二股をかけていたようだが、お陰でみんなは、しらけてしまった。12/4

そのだだっ広いフグちり屋は、昼間はカレー屋なので、うすいフグちりにカレーがついて、なんともいえない奇妙な味になるのでした。12/5

そのベレー帽の男は、ムニャムニャ言いながら近寄って来て、いきなり私の股ぐらに手をやったので、どたまに来た私は、あっという間に、彼奴を叩きのめしてやった。12/6

超貧乏監督の私は、ペイデイになると、スタッフ全員に給料を払ってやっていたので、たちまち、一文無しになってしまった。12/6

太刀洗の朝夷奈の滝の辺を飛んでいた2頭のキチョウを、ジャンプ一番バケツで捕まえたら、ミエコさんが拍手した。12/7

彼はアパレル業界、私はダンス業界で、「お互いに切磋琢磨しよう」と、誓い合っていたのだが、ふとしたことから、彼が憂愁のスカーレット・ヨハンセン似の女のどつぼに嵌りこんでしまったので、すべてハチャメチャになってしまった。12/8

1日に1本だけ走る1両編成の列車に乗り込もうとしたら、車両の中は、惨たらしい死体ばかりなので、いったいこれはどういうことなのか、と私は驚いた。12/9

私が長らく監禁されていた城塞に、突如火災が発生したので、私は部屋の高みの窓からの脱出を図って、窓ガラスをぶち破ったのだが、そこからは鳥のように飛翔する以外、切り立った城壁を降りる手段は、見つからなかった。12/10

彼は、ハワイで心臓、グアムで肝臓を手術したのだが、費用が高かったうえに、術後の経過も思わしくないので、「なんではじめから日本でやらなかったのか」、と後悔していた。12/12

各社の毎日の売り上げデータが、一列に並んでいるのを、順番にクリックして、月別のデータに、その数字を付け加えていくのが、私の仕事だが、時々自分が何をやっているのか、さっぱり分からなくなる瞬間がある。12/13

お隣のヒグチさんは、我が家との境界を超えた雑木を、火炎放射器で焼き払おうとしているのだが、どういう訳だか、その不思議な木は、いつまで経っても、燃えないのだった。12/14

新田義貞の私は、その時、よせばいいのに調子に乗って、敵を追い散らさんものと単騎田圃の畦道を全力疾走したのが運の尽き、さながら平将門のごとく、飛んできた鏑矢に額を射抜かれてしまったのだった。12/15

ケン君と一緒に、なんとかいう名前の大先生を訪ねて、講演の依頼をしにいったが、けんもほろろに断られてしまった。12/16

晴れた日に、宇宙船からぼんやり地球を眺めていたら、我が家の妻君が、露台で布団を干しているのが見えた。12/17

「私のもとで、あれほど合気道を徹底的にやっったのだから、3年間のムショ暮らしなんか屁でもないよ」と、ヨシダ師は励ましてくれた。12/18

一大飢饉に襲われた村で、ケンちゃんに似た1人の少年が、頭上に直方体の箱を乗せて立っている。人々が少年に近付くと、そこからは、夥しい清水が迸り出るのだった。12/19

乗りつけないトヨタ・プレジデントの後部座席に座っていると、運転手のハスイケ君が、「社長、ニコクの駐車場に入れていいですね」というので、「いいとも」と答えてふんぞり返っているのだが、ニコクっていったい何だろう?12/19

村人たちが、「今日はとてもきれいな夕焼けだねえ」と、溜息をつきながら西の空を眺めていると、突然太陽が爆発して、山々が燃えはじめ、火はたちまち村全体に広がって、すべての家屋敷が焼け落ちてしまった。12/19

こないだ大貫妙子が、「メトロポリタン美術館」を歌っていたホテルのロビーに、巨大な旅客機が舞い込んできて、出口が見つからないのか、エンジンをぶるぶるいわせながら、鯉のぼりの鯉のように、同じところを行ったり来たりしている。12/20

「あなたの会社で一等変な人に会わせてくれ」と、顔見知りの業界紙記者から頼まれたので、さる奇矯な男を紹介したのだが、それからしばらくして、あろうことか、その変な奴がわが社の社長になり、またしばらくしてから、会社を潰してしまった。12/21

私は、ササキマサミ先生の自閉症連続講演会で、ボランティアをしていたのですが、その都度預かっている子供の成長が著しいので、驚かされました。12/22

ふと気がついて、あたりを見渡したら、みんな死んでいた。12/23

この小屋では、心身に障ぐあいを持つ人々が、いつでも自分の芸を勝手に披露したり、飲んだり、食うたりできるのだった。12/23

「ササキ課長、今日のスキヤキ定食美味しいですよ。席までお持ちしましょうか?」とシミズ嬢がいうので、座ってじっと待っていたが、いつまで経っても持ってこない。そのうち社食の営業時間が終了して、食堂には誰一人いなくなった。12/24

いよいよアメミヤ氏がプレゼンする番になったが、彼は自分の服の上に、雪や霜のように降らせた白いフケを指さして、「これを大量生産して、海外に輸出すべきだ」と論じたので、経営者たちは、言葉を失った。12/25

ここは見渡す限りの大草原で、いろいろなところから家族連れでやって来た人々は、三々五々思い思いの場所に寝そべって、英気を養っていた。12/26

半裸の真梨邑 ケイが、追って来る。逃げても、逃げても、追って来る。もし追いつかれたら、どおゆうことになるか、よく分かっているので、逃げる、逃げる、懸命に逃げる、わたし。12/27

私はひとかどの能役者なのだが、一大野外公演のギャラが破格の高額だったので、「半額でいいよ」と申し出たら、何をどう誤解されたのか、「本日の出演者の出演料は、恵まれない子供たちに、全額寄付されます」とアナウンスされたので、急にやる気を失った。12/28

私らは、瑞西のトーンハレ劇場の前で、ひしと抱き合って接吻していたのだが、その姿は、ただちに映像化され、まるで油絵のような静止画となって、わが脳裏に焼き付けられた。12/29

私はレーサーだった。猛烈な勢いで、次々に車を追い抜いていたが、運転するのにも、追い抜くのも、飽きてしまったので、カーブを曲がり損ねて、転倒してしまった。12/30

左手にケータイを握りしめ、ミヤハラ・トモコを追い抜いていく。私らは、10キロの急勾配を、スケボーやフィギュアやローラースケートなどで滑り降りながら、短歌を一首詠んで、その出来栄えと着順の総合評価で、順位を決める競技に熱中していた。12/31