杖花咲き驕傲茁す(つゑはなさきたかぶりめざす)

 

工藤冬里

 
 

土地に向かってこう言う 終わりが来る! このあなた(土地)という女性単数形の 大凶大風呂敷たる四隅の 翼の果てにまで終わりが来ている 今土地に終わりが来ている 土地に怒りを送り、道に道を被せて虐待の責任を問う
no way やってしまったことの報いを受け、ピラミッド内部の死体の処理に苦しむ 災いが来る 類を見ない災いである 耳鳴りの果てに終わりが来る 終わりは必ず到来し,この土地のために必ず目覚める 終わりは来て,女性単数形に襲い掛かる それは来る 花輪が必ず男性単数形のあなた(住民)のもとに来る この土地の住民(あなた)の番が来た その時は来る その日は近い 混乱がある 山々の叫びではない 百姓の喜びはない もうすぐ全住民にデキャンタからあかい怒りを注ぎ切る 道を道で覆い、忌まわしさを結審させる もったいないとはもう思わず、同情もしない やってしまったことを中身に注ぎ、ワクチンより苦い結実が内部に居据わることになる 打たれていることを知らなければならなくなる その日が来る! それは来る! 朝、葬式の花輪は出て行った プーチンと習近平の杖に萌芽としてのバチカン停電の花が咲いた イーロンマスクに僭越が芽生えた この住民の番が来たのだ 虐待昂じて邪悪の杖となった 富も、群衆も、名声も残らない その時は来る その日はやって来る 買い注文の人は喜んではならず、売る人は悲しんではならない 激怒は住民全てに向かうからである 土地を売却した人は,たとえ命拾いしたとしても、そこに戻ることはない 預言は住民全体に対するものだからである 誰も戻らず、過ちのせいで誰も生き延びることはない ラッパが吹かれても、誰もバチカンを助ける戦いに行かない 憤りは住民全てに表されるからである
外には闘い、内には怖れ 自宅待機の部屋の中に疫病と飢餓がある 生き延びて逃れた者は山々に行き、谷間にいるハトのようにくーくーと過ちを嘆く 銃剣が追い付くと抵抗する気力も失くし、失禁する ユニクロを纏う住民は震えに襲われた 皆恥ずかしくて、どの頭も禿になる 住民は自分たちの銀を通りに投げ捨て、自分たちの過ちの元となった金を憎むようになる 銀本位制も金本位制も激怒の日に住民を救うことはできない 箪笥預金紙幣も使えず、自分たちの腹を満たすことができない 住民に背を向ける 強盗は偶像の金を持ち出して汚す 逃げないように鎖を作りなさい この土地は冤罪の死刑だらけで、暴力に満ちているからである そして 国々の中でも最悪のヤンキーみたいなのを連れて来る 樺太とか尖閣とかきみの家とかを手に入れる ネトウヨの誇りは奪い去られ,不動産は外国人に売却される no peace for the wicked 災難が相次いで降り掛かり、次々に闇動画が届き、人々はユーチューバーの占星術師に預言を求めるが、未来予測の占い師は教えることができず,セミナー経営者は助言を与えることができない 王は目の前で家族を殺され、Qはユニクロを着たまま絶望に陥り、住民は恐怖で手が震える 行いに応じて扱われ、裁いた仕方で裁かれる

 

 

 

#poetry #rock musician

末日記

 

工藤冬里

 
 

何かのことを考える時に
実際はそれ以外のことを気にしていることが多い
例えば「女は存在しない」と言う時
実際は男のことを考えているのだ
情報が平たい画面の上だけに現れるようになって以来
Aは非Aとなった
月はホログラムに
地球は平らに
人はディープフェイクにより不死となったのだ
耳鳴りのことを考えないようにするために
呼吸のことだけ考えよというのを思い出して
耳鳴りのことだけを考えていた
子供の狸が轢かれて死んでいた
なれはそも なみにいくつき
諳んじている文語詩のように
赤白ピンクの馬の佇ち
紫と白のドレスは散って
春はファッションショーだった
春はファッションショーだった

 

 

 

#poetry #rock musician

trailer

 

工藤冬里

 
 

予告編があれば本編がある
全ての映画が予告編だったら
本編とは畢竟予告編のことであった、ということになる
予告編だと思っていたものが突如断ち切られそれが本番だったと知れる
時間は映画であり映画とは予告編であり
予告編とは本編であり
本編とは切り刻まれたわたしのホラーである
詩を経験しないで命を得る
予告編でわたしを亡くしたわたしにはそこにしか希望はない

 

 

 

#poetry #rock musician

あきれて物も言えない 22

 

ピコ・大東洋ミランドラ

 
 


作画 ピコ・大東洋ミランドラ画伯

 
 

モコという犬と、女と、暮らしている

 

朝になった。
机の前の窓の障子を開けると雨が降っていた。

ガラスには雨粒があり西の山は雨雲に覆われて灰白色の雲の中にいるのだろう。
時々、強く雨は降ったりしている。

朝の散歩には行けないだろう。
モコと女は、まだ眠っている。

モコというのは飼っているわたしの犬のことです。

ペットショップから連れて帰ってきたんです。
モコは、ミニュチュア・ダックスフンドの赤ちゃんでした。
ペットショップの低い柵の中で他の兄妹たちが元気に遊んでいる柵の奥の隅で、
ちいさく震えていたのです。

その震えているちいさな子が可愛くて連れて帰ってきたのでした。

顔がクリーム色のハート形で、その中に大きな黒い瞳ふたつと黒い鼻がありました。
ハート顔の外側は暗い茶色で頭と耳がついていました。
その暗い茶色が背中まで続いてお腹がクリーム色の熊の赤ちゃんでした。
熊の赤ちゃんの丸い顔は一年も経たないで鼻がすらりと伸びて大きな瞳の少女になってしまいました。

モコは小さいので夏の暑い日や冬の寒い日には散歩が苦手です。
体が小さくて足が短いので夏の地面やアスファルトの熱さや冬の寒さに弱いのです。
でも車の助手席に乗ってドライブするのは大好きです。

ペットショップからモコを連れ帰ってもう12年が過ぎました。
モコの仕草や吠え方でモコの言うことはほとんど理解できるようになりました。
モコもわたしが外出することを日本語で伝えると理解して仏壇の前の座布団に行って眠るようになりました。
仏壇は女の母の仏壇です。
義母が亡くなった時、義母の枕元にいてモコは義母の顔を舐めていました。
犬が舐めるというのは愛の行為なのです。

小さくてか弱いモコも少女になり、もう12年が過ぎて、おばさんになってしまいました。
でもわたしには、いまも、可愛い”少女”のように思えてしまうのです。

少女のように可愛い”おばさん”というのも、この世にいると思います。
できれば、そのような”おばさん”に会いたいですね。

 
昨日の夜は、深夜まで女が録画した相撲中継をソファーで見ていました。
モコは女の横で添い寝していました。
女がベッドに眠るときモコも連れていくのですがモコは寝てくれないのです。

わたしのたてる微かな物音を聞いてモコはベッドに来てと吠えるのです。
わたしは本の部屋で本を読んでいましたが、読書は中断してベッドのモコに添い寝しました。
そしてそのまま朝まで眠ってしまいました。

モコの体はふあふあで、あたたかいのです。
ふあふあのモコといると幸せになるのです。

 
あの地震が起こって、あの光景を見て、10年が経ちました。

まだまだ、大切な人や大切なものを失い避難されている方たちや、心や体に傷を抱えた方たちがいるでしょう。
福島の原発の処理はまだ終わらないでしょう。
オリンピック・パラリンピックは海外からの観戦者の入国を断念したそうです。
しかし震災からの復興を世界に示すという茶番は終わらないでしょう。
疫病の蔓延もまだ終わっていないです。
世界で紛争はまだ続いています。

流浪する人びとがいます。

たくさんの流浪する人びとがいます。
私たちもその一人です。
モコのふあふあのあたたかい体を抱いて、眠って、朝になりました。
流浪する私たちは私たち自身の底を破って、流浪する人びとと底の底で繋がるほかありません。

そこに小さな光が見えています。

 

呆れてものが言えません。
ほとんど言葉がありません。

 
 

作画解説 さとう三千魚

 

 

 

millennium,
beddellium

 

工藤冬里

 
 

不満を口にする人々を焼き尽くしていった
焼かれる時は熱かった
トンコツ味のマナを所望すれば良かったのに
今年の春は花を見る余裕がない
去年もそう思った
ゼカリヤのスオウが咲き始めた
去年もそう思った
千年生きるとかメドベッドとか言ってるけど
千年はとても短い
この春が十倍伸びたくらいじゃ何も成し遂げられないだろう
焼かれる時は千年後も熱いだろう

 

 

 

#poetry #rock musician