「夢は第2の人生である」或いは「夢は五臓六腑の疲れである」 第72回

 

佐々木 眞

 
 

 

西暦2018年霜月蝶人酔生夢死幾百夜

 
 

地球上のおそよ5万キロの地点から地球を見下ろすと、橙色の点が点滅していたので、そここをめがけて降下していくと、案の定、彼奴がいた。11/1

わが社のパリ支店の電子機器は、すべて一時代前のものなのだが、現地のスタッフは平然と構えているので、「最新版に取り替えろ」などとはと誰も言えず、そのために、ますます時代遅れなものになっていった。11/2

シェークスピアのナベショウによる翻訳があまりにも酷いので、思い立って自分でやってみたが、これまたかなり酷いので、大きなショックを受けているところ。11/3

それまでは無能の極みと評されていた僕だったが、ある日突然なんたら賞を受賞した途端、さながら掌を返したように、社内外の評価が改まったので、僕は今までと同じ人間なのに、どうして世間はこうも気まぐれなのか、と驚かずにはいられなかった。11/4

敷布団のすぐ下が奇麗な海になっていて、目の前に目の覚めるような紅色の甲殻類が遊ぶようにして泳いでいるので、捕まえてやろうと思って、手を伸ばした途端に、夢がちょん切れて、海は布団に戻ってしまった。11/6

3年寝続けていたら、カド君が、「起きろ、起きろ、早く起きろ、どうあっても即刻起きろ!」と騒ぎ立てるので、「うるさいなあ、それほどいうなら起きてやるけど、なんせノーパンだからなあ」とぼやくと、彼は急いでパンツを買いに行った。11/7

洗濯物の山の中から、茶色と黒の2匹の犬がノソノソ出てきた。なかなか可愛いので、いい名前をつけてやろうと思うのだが、「黒」と「茶」、「天」と「地」、とか「山」と「川」くらいしか思いつかないので、こんな筈ではなかった、と焦っている私。11/8

籠城中に「トロイの馬」のデザインをした黒い立体物が届けられたので、みんなでいじくっているうちに大爆発して、全員死んでしまった。11/8

サルガッソー海に船出をしようとしたが、私は「稲妻組」の連中を養っているので、なかなか難しいことがわかった。11/9

白雪姫からパーティに誘われたので、愛人を連れて出かけたところ、私に目をつけた白雪姫が、私を密室に連れ込んで優しく愛撫すると、驚いたことに長年に亘ってインポの私が勃起し始め、なんとか挿入も出来たので、射精は我慢して帰宅して、急いで愛人としたのョ。11/10

知り合いの女性と四方山話をしていると、彼女の旦那が資生堂の宣伝部で働いているというので「そりゃいいね、うらやましいな」というたら、彼女の隣にいた男性が振り向いて「そんなに羨ましがられるような職場じゃないッスよ」というたので驚いた。11/11

私は誰かに拾われた金魚として、ビニールの奥でヒレを静かにそよがせながら、この世のすべてのことどもを、じーっと観察していた。11/12

小学館のS編集長は、私の眼をじっと見据えながら、「それであなたが本にしたいという原稿は、どういうものですか?」と尋ねたので、私は、なんだか嫌な感じに襲われた。11/13

七夕広場で、大勢の男女が踊っているのを眺めていたら、見知らぬ女性がやってきて、私の腕の中で踊り始めた。11/14

毎年恒例の親睦会が、今年はタイのバンコクで開催され、わが社のスポーツ部門の記者7人が派遣されたが、生憎の集中豪雨で、ゴルフもできなかったそうだ。11/15

歩いても歩いても、見知らぬ町の見知らぬ道と建物が続いているばかりで、目指す駅は見つからない。いったいここはどこなんだ? 私はやっとこさっとこ、見覚えのある「なんとか会社」のビルヂングを見つけた。
それはシチズンだったので、「ああシチズンか」と思いながら門から中に入っていくと、技術者が待ち構えていて、「お名前は存じております。さっそく時計を作ってください」と頼まれたので、「早く駅に行かなければ」と焦りながら、時計を作っているわたし。11/16

絶海の孤島に、私を含む2組の男女が暮らしていた。そのうちの1組が旅立つというので、私たちは見送ったが、「いよいよ、たった二人になったのかあ」と思うと、心細さが一入募って来るのであった。11/17

死んだ黒澤監督が蘇って、待望の新作を撮るというので、エキストラの私らが現場に行くと、「全裸になって茶色に塗った体を、折り重ねるようにして横たわってくれ」という。白馬にまたがったヒロインが、その上を疾走するというのだが、はてさてどうしたものか?11/18

大至急、新しい住まいを見つけなければならない。しかし、妻が急病で動けないうえに、某不動産屋から派遣された担当者が、どうしようもない無能者なので、そいつを撒いて別の不動産屋に飛び込み、彼らの一押しマンションを即決した。11/19

「ではここでお別れしましょう」と、こもごも決別の挨拶を交わしたのち、パリ在住半世紀を過ぎた、3人の80代の女性を乗せたバスは、みるみる、私の視界から遠ざかっていった。11/20

「佐々木眞文学全集全1巻」という、見るからに枕より膨大な単行本が「らんか社」から出版されたので、思わず手に取ってみると、意外に軽いので驚いたが、その内容がもっと軽かったので、なおなお驚いた。11/21

東北一円にネットワークを張った魔女たちの、自立した生き方を取材するために、私は、勇んで出発した。11/22

彼女は、白いドレスで4つの曲を歌ったが、そのあとで、私らは4度交わった。11/23

氏は、私の質問に対して、最初はちゃんと答えていたが、しばらくすると、何も答えなくなったので、よく見ると、眠り込んでいた。氏は、しばらくしてから眼を覚ましたので、私がまた質問を続けると「私はdrawするものしか書きません」と言明したが、そのdrawとは、いったいどういう意味なのかが、さっぱり分からなかった。11/24

私は、すでに過去6年間にわたって「主」を探してきたのだが、見つからない。すると今度は、まだ行ったことのない西日本を調べてくれ、と頼まれたので、早速出かけた。11/25

アオキ選手からまたメールが入って、「ヤブキ色のマフラーを買って下さい」と強請るので、「ヤブキ、カヤブキ、ヤマユキ」と返信した。11/26

ガン検診の長い列に並んでいたら、ウッちゃんとその奥さんも並んでいたので、少し気が楽になったが、総身刺青のヤクザが割り込んできたので、みんな困っていると、魔法使いのお婆さんが、凄い裏技を使って、そやつをぶっ飛ばしたんだ。11/27

大久保卿の私は、激烈な政争と公務を慰藉するために、手当たり次第に美女を大奥に囲い込んでいたので、そこに紛れ込んだ女スパイは、いともやたすく卿の私を、暗殺することができたのだった。11/28

「八丈島で最期を迎えたい」と、そのカメラマンがいうので、私らは、江の島の港の桟橋まで、見送りに行った。11/29

以前職場で作った「こんな時にはこうしよう」という例題集を、肌身離さず持っていたおかげで、私はリストラされても、すぐに次の職場が見つかり、なんとか苦しい時代を生き延びることが出来たのだった。11/30

 

 

西暦2018年師走蝶人酔生夢死幾百夜

 
 

ここは下町のダサイ一角なのだが、その中にあって、はきだめの鶴のような、いつも身ぎれいにしている夫婦が住んでいた。あれはいったいどういう経歴の人だろう。いちど話してみたいものだ。12/2

電通映画社のマツオさんが「私はササキさんから、この仕事をいただきました。私のクライアントは、ササキさんです。ササキさんの上司が、横からなんといおうと、それは関係ない!」と厳かに言明されたので、私は大いなる感銘を受け、粛然と襟を正した。12/3

じつは私は、セゴドンの子孫なのだが、何となく言い出せないままに、時が流れ、気がつくと、大正時代になっていたので、もうどうでもいいや、と黙り通した。12/4

男のおしゃれの話で盛り上がっていたところへ、、ある流行作家が、1人の女に詰め寄った。彼女は、どうやらタカハシという人物と、二股をかけていたようだが、お陰でみんなは、しらけてしまった。12/4

そのだだっ広いフグちり屋は、昼間はカレー屋なので、うすいフグちりにカレーがついて、なんともいえない奇妙な味になるのでした。12/5

そのベレー帽の男は、ムニャムニャ言いながら近寄って来て、いきなり私の股ぐらに手をやったので、どたまに来た私は、あっという間に、彼奴を叩きのめしてやった。12/6

超貧乏監督の私は、ペイデイになると、スタッフ全員に給料を払ってやっていたので、たちまち、一文無しになってしまった。12/6

太刀洗の朝夷奈の滝の辺を飛んでいた2頭のキチョウを、ジャンプ一番バケツで捕まえたら、ミエコさんが拍手した。12/7

彼はアパレル業界、私はダンス業界で、「お互いに切磋琢磨しよう」と、誓い合っていたのだが、ふとしたことから、彼が憂愁のスカーレット・ヨハンセン似の女のどつぼに嵌りこんでしまったので、すべてハチャメチャになってしまった。12/8

1日に1本だけ走る1両編成の列車に乗り込もうとしたら、車両の中は、惨たらしい死体ばかりなので、いったいこれはどういうことなのか、と私は驚いた。12/9

私が長らく監禁されていた城塞に、突如火災が発生したので、私は部屋の高みの窓からの脱出を図って、窓ガラスをぶち破ったのだが、そこからは鳥のように飛翔する以外、切り立った城壁を降りる手段は、見つからなかった。12/10

彼は、ハワイで心臓、グアムで肝臓を手術したのだが、費用が高かったうえに、術後の経過も思わしくないので、「なんではじめから日本でやらなかったのか」、と後悔していた。12/12

各社の毎日の売り上げデータが、一列に並んでいるのを、順番にクリックして、月別のデータに、その数字を付け加えていくのが、私の仕事だが、時々自分が何をやっているのか、さっぱり分からなくなる瞬間がある。12/13

お隣のヒグチさんは、我が家との境界を超えた雑木を、火炎放射器で焼き払おうとしているのだが、どういう訳だか、その不思議な木は、いつまで経っても、燃えないのだった。12/14

新田義貞の私は、その時、よせばいいのに調子に乗って、敵を追い散らさんものと単騎田圃の畦道を全力疾走したのが運の尽き、さながら平将門のごとく、飛んできた鏑矢に額を射抜かれてしまったのだった。12/15

ケン君と一緒に、なんとかいう名前の大先生を訪ねて、講演の依頼をしにいったが、けんもほろろに断られてしまった。12/16

晴れた日に、宇宙船からぼんやり地球を眺めていたら、我が家の妻君が、露台で布団を干しているのが見えた。12/17

「私のもとで、あれほど合気道を徹底的にやっったのだから、3年間のムショ暮らしなんか屁でもないよ」と、ヨシダ師は励ましてくれた。12/18

一大飢饉に襲われた村で、ケンちゃんに似た1人の少年が、頭上に直方体の箱を乗せて立っている。人々が少年に近付くと、そこからは、夥しい清水が迸り出るのだった。12/19

乗りつけないトヨタ・プレジデントの後部座席に座っていると、運転手のハスイケ君が、「社長、ニコクの駐車場に入れていいですね」というので、「いいとも」と答えてふんぞり返っているのだが、ニコクっていったい何だろう?12/19

村人たちが、「今日はとてもきれいな夕焼けだねえ」と、溜息をつきながら西の空を眺めていると、突然太陽が爆発して、山々が燃えはじめ、火はたちまち村全体に広がって、すべての家屋敷が焼け落ちてしまった。12/19

こないだ大貫妙子が、「メトロポリタン美術館」を歌っていたホテルのロビーに、巨大な旅客機が舞い込んできて、出口が見つからないのか、エンジンをぶるぶるいわせながら、鯉のぼりの鯉のように、同じところを行ったり来たりしている。12/20

「あなたの会社で一等変な人に会わせてくれ」と、顔見知りの業界紙記者から頼まれたので、さる奇矯な男を紹介したのだが、それからしばらくして、あろうことか、その変な奴がわが社の社長になり、またしばらくしてから、会社を潰してしまった。12/21

私は、ササキマサミ先生の自閉症連続講演会で、ボランティアをしていたのですが、その都度預かっている子供の成長が著しいので、驚かされました。12/22

ふと気がついて、あたりを見渡したら、みんな死んでいた。12/23

この小屋では、心身に障ぐあいを持つ人々が、いつでも自分の芸を勝手に披露したり、飲んだり、食うたりできるのだった。12/23

「ササキ課長、今日のスキヤキ定食美味しいですよ。席までお持ちしましょうか?」とシミズ嬢がいうので、座ってじっと待っていたが、いつまで経っても持ってこない。そのうち社食の営業時間が終了して、食堂には誰一人いなくなった。12/24

いよいよアメミヤ氏がプレゼンする番になったが、彼は自分の服の上に、雪や霜のように降らせた白いフケを指さして、「これを大量生産して、海外に輸出すべきだ」と論じたので、経営者たちは、言葉を失った。12/25

ここは見渡す限りの大草原で、いろいろなところから家族連れでやって来た人々は、三々五々思い思いの場所に寝そべって、英気を養っていた。12/26

半裸の真梨邑 ケイが、追って来る。逃げても、逃げても、追って来る。もし追いつかれたら、どおゆうことになるか、よく分かっているので、逃げる、逃げる、懸命に逃げる、わたし。12/27

私はひとかどの能役者なのだが、一大野外公演のギャラが破格の高額だったので、「半額でいいよ」と申し出たら、何をどう誤解されたのか、「本日の出演者の出演料は、恵まれない子供たちに、全額寄付されます」とアナウンスされたので、急にやる気を失った。12/28

私らは、瑞西のトーンハレ劇場の前で、ひしと抱き合って接吻していたのだが、その姿は、ただちに映像化され、まるで油絵のような静止画となって、わが脳裏に焼き付けられた。12/29

私はレーサーだった。猛烈な勢いで、次々に車を追い抜いていたが、運転するのにも、追い抜くのも、飽きてしまったので、カーブを曲がり損ねて、転倒してしまった。12/30

左手にケータイを握りしめ、ミヤハラ・トモコを追い抜いていく。私らは、10キロの急勾配を、スケボーやフィギュアやローラースケートなどで滑り降りながら、短歌を一首詠んで、その出来栄えと着順の総合評価で、順位を決める競技に熱中していた。12/31

 

 

 

Les Petits Riens~平成30年私史

自1989年(平成元年)1月8日 至2019年(平成31年)4月30日

 

佐々木 眞

 
 

 

1989年1月8日日曜日 雨
今日から平成元年なので、その大祭を2月24日に新宿御苑で開催するという。大赦免もやるという。夜、田原総一朗氏司会のテレ朝の天皇制討論番組面白し。特に西部邁。少し昭和史を研究したいものなり。

1990年1月8日日曜日 はれ
女の疲れた顔を見るたびに、女心の掴みがたきを思う。部内のレイアウト変更案了承さる。プレス要員2名の追加を要請す。終日デスクに座せど心虚し。

1991年1月8日火曜日 はれ
夕方6時に成田を発ち、およそ5時間で香港啓徳空港着。時差1時間ありて、当地は午後10時10分なり。KOULOON HOTEL専用車でホテルに向うも、チップの持ち合わせなく、到着後に砕く。暖かき夜なり。香港、懐かしき顔顔、我との相性よさそうな街なり。

1992年1月8日水曜日
帰宅してテレビをみれば、来訪中の米ブッシュ大統領が、宮澤首相主催の歓迎晩餐会の席上で、インフルエンザ?にて突然倒れる。10分後には立ちあがって、迎賓館に戻ったが、心臓麻痺ではないかと一時騒然となる。

1993年1月8日金曜日 くもり 寒
J.CREW広告の制作にかかりきりとなる。プラトン読了。最近は鎌倉物に熱中。綾部の母、元気。老人なれど食事、便、自立せり。

1994年1月8日土曜日 くもり
かまくら泌尿器科にて薬もらい、図書館でCD借りる。次男は同級生の母校、相模工大付属高校のラグビー部優勝とかで、毎晩うかれている。

1995年1月8日日曜日 晴
妻は長男と図書館へ行きつつ、次男を駅まで送る。彼は造形大と多摩美の受験会場の下見に出かけたのだが、果たして無事に辿りつき、帰宅できるであろうか。

1996年1月8日月曜日 くもり一時雨
J.CREWの予算決まらず。折衝の難航が予想され、ストレスたまる。午後池袋にて「ピカソ展」。ケンタウロスと女のからみが生々しい。帰路雨降る。実に久しぶりの雨なり。仏蘭西でミッテラン死す。

1997年1月8日水曜日 晴
ワープロをやる。なかなか難しい。橋本自民党の政治改革、進まず。来年度予算不出来にて円急降下。株式市場大安値。日本経済危うし。

1998年1月8日木曜日 雪
午後雪となる。ことしの初雪なり。早く帰宅してもよろしいというので、3時に会社を出たら、図書館の傍でカツアゲされている若者を見たので、原宿駅から生まれて初めて110番通報をする。横浜でCDを12000円買う。夜に入りも雪降り続く。米通販会社バークシャ・アウトレットよりLDとCD到着す。

1999年1月8日金曜日 くもり 夕べ雪
終日J.CREWの経費の計算をやる。社員みな遅く来て、早く帰る。不思議な会社なり。現売でJ.CREWのサンプルパンツ@2000円×2点。タワーにて、リヒテル、ギーゼキング@1890円買う。

2000年1月8日土曜日 曇
妻と退職後の保険等の見通しをつける。いろいろと面倒くさい。次男は無事にレポートを提出したらし。昨日シマダさんの隣地の草を、すべて刈っていた。なにか建てるらしい。

2001年1月8日月曜日 くもり
昨夜雨降る。東北そして関東では雪が降り、折角の成人式が気の毒なことだった。ナカノ氏の原稿改訂を終え、文芸社に送る。次は大京不動産PR誌のゴミ特集に取りかからねばならない。

2002年1月8日火曜日 はれ 強風
あまりにも風強くして、ムクと散歩に行けず。妻はヘルパーの初仕事なり。親戚が車に悪戯書きされて警察に行ったが、面倒くさがって取り合ってくれないそうだ。資生堂のワード講座の原稿にクレームがついたのでやり直す。

2003年1月8日水曜日 はれ
布団干す。母と妻と3人でひるごはん。今年最後の京風白味噌のお雑煮を食す。スローフードなり。今年初めて小学館スクエアのU氏より℡。14日に神田に伺うこととなる。文芸社リライト第4章を終え、第5章に突入せんとす。

2004年1月8日木曜日 はれ
妻、母を連れて歯医者に行き、疲れて帰ってくる。余は講義の準備でフラフラなり。

2005年1月8日土曜日 はれ
やっと好天になり、布団を干す。これから長男は、なんと1か月もゆりの木ホームに滞在することになる。余は講義の準備なり。

2006年1月8日水曜日 陰* 寒し
ライブドア・ショックで東証パンクし、全銘柄扱い停止。昨日より妻の姉十二所に来たり4人で昼食す。夜「砲艦サンパブロ」見る。1926年の中国の話で、スティーヴ・マックイーン、キャンディス・バーゲン、アッテンボローなどが出る。

2007年1月8日木曜日 くもり
母は午前中に清川病院の脳外科を受診し、いろいろアドバイスを受ける。いよいよリハビリの開始なり。文芸社依然発注なし。熊野神社に行くと、謎のパタパタ眼鏡男がいた。

2008年1月8日金曜日 くもり
依然文芸社より電話来ず。頭に来る。本を読み、ミクシーを書くしかない。

2009年1月8日日曜日 くもり
3人でトヨタカローラ店に行き、修理の打ち合わせ。デニーズでランチ。午後から3人で熊野神社周回コースを歩く。

2010年1月8日月曜日 晴れ
文化で講義。「新しい広告論」。あと2回もあるがネタ不足で不安なり。歌手の浅川マキ、作家のミッキー安川、元投手の小林繁が死んだ。

2011年1月8日火曜日 晴
午前中、鼻水が猛烈に出る。新しい風邪にやられたか。

2012年1月8日水曜日 晴れたり曇ったり
寒し。長男ずる休み。文芸社仕事来ず。頭に来る。妻はご近所の日本画家、故小泉淳作氏の葬儀で建長寺へ。200名以上の参列者だったとか。

2013年1月8日金曜日 晴
妻と十二所へ行き、庭を片付ける。明日はペンキ塗りの外枠工事をするそうだ。

2014年1月8日土曜日 曇のち雪
コウは良い子なり。

2015年1月8日日曜日 いちおう晴
大過なし。妻と太刀洗へ散歩。民主党代表に岡田。細野を逆転す。

2016年1月8日月曜日 雪のち雨のち曇
昨夜ことしの初雪となる。長男、計画通りふきのとう舎を休む。

2017年1月8日水曜日 くもり
妻と流通センターへ行って、長男の靴を買う。鶴岡八幡宮に詣ず。

2018年1月8日木曜日 くもり
稀勢の里、また負けて1勝4敗。白鵬、怪我で休場。

2019年1月8日金曜日 はれ
きのう十二所の妻の実家の雨戸を閉めたはずなのに、今朝行って見ると、半分開けたままになっていた。わがボケ顕著なり。

2019年4月30日火曜日 雨のちくもり
夕方、天皇退位式あり。

 

 

 

かくある日日を楽しといふか

 

駿河昌樹

 
 

令和と呼ばれることになった
この列島だけの新時代もすでに六日目に入り
初夏というのに
うす曇りの朝はすでに秋めいている
枯れ果てた多くのものが
たんなる名称の変更では覆いきれずに
はやくも露呈してきてでもいるのか

斎藤茂吉の忠実にして有能な弟子
しかし慎ましやかで地味だった歌人柴生田稔が
戦中にこのように歌っていた

つきつめて新しき世も思はねばかくある日日を楽しといふか

 
時代と自己へのなんと見事な批評!
あまりに静かにさらりと一行に表わしてしまうので
細かく過去の詩歌を見直す目にしか
ともすれば
止まらなくなってしまうが

年老いて時におもねる文章は今日もひきつづきて夕刊に出づ

いたく静かに兵載せし汽車は過ぎ行けりこの思ひわが何と言はむかも

 
この列島に起こること
起こりうること
くり返されることは
すべて
柴生田稔がひそやかに歌って去っていってしまっているように見える
まるではじめて自分が発するかのように声高に
あるいは
新たな論や批判を提示するかのように矜持たかく
今さら言うまでもなしに
しかし
再三だれかが
くり返して言葉にしなければならないのも
たしかではあって

時すぎて人は説かむか昭和の代のインテリゲンチヤといふ問題も

 
 

 

 

そうそうに生前葬じみたことをしてみているのか

 

駿河昌樹

 
 

あまりになにもかもが過ぎていくので
あまりになにもかもが去って行くので
人間たちはお手製の時代の区切りなど作って
なにやかや身振りをしてみたいのだろうか
集まってしばし身もだえしてみたいのだろうか
果てのない宇宙の闇に浮いているほかないさびしさを
そうしてまぎらわしてみたいということか
そのさびしさを切々と感じるじぶんさえ
遠くないうちに過ぎていき去って行くことを
たまたま舞い落ちた星の上に今まだあり続けながら
そうそうに生前葬じみたことをしてみているのか

 

 

 

かわいそうで

 

駿河昌樹

 
 

だれを見てもかわいそうに見えてしまって
ときどき
見知らぬ人を見ながら
立ち尽くしてしまったりする

時間とよばれるものも
空間と呼ばれるものも
とりわけ人生とかじぶんとか呼ばれるものも
あんなに信じてしまって
あんなに真に受けてしまって

かわいそうで
だれを見ても
立ち尽くしてしまう

みんなみんな
あまりに
深く
だまされたままになっていて

かわいそうで

 

 

 

memorial ・ 代わりの人 ・(そのアルゴリズムを通して)・ 公正

 

工藤冬里

 
 

memorial

 

5000円くらいのブルゴーニュだったが捨てるのだと言った
かなり黒ずんで敗血のようであった
飲んでもう天に行こうかと冗談を言った
言葉は人間になった
既成の調性を捨て とラジオが言っていた
もう何十年言っているのだろう
挨拶は腰を浮かして
身代わりと等価が右から左へ私の体を透過していった
残るのはブルゴーニュの香だけである
こうして1986回思い出したのだ
食べず飲まないsupperは終わった
pink moon は 頭上に褪せた

 
 

代わりの人

 

代わりの人を探した
代わりの人は必ず見付かった
外に一人 内に一人 と
対応しているのではないか
頸椎にニッケル板を挟み
つばめはよく造られている と 呟く夫も
前の町に居た
痩せさせるために
奥羽街道を二週間北上した顎の肉も
三原の雲の中で直線を引かれた
細い目たちの 激流の
名残りの真雁は魚になり
川は海岸と平行に走り
最後まで海と繋がらなかった
トレーナーのトレーナーのトレーナーは
肩がなかった
アトピーの手袋は
まるで癩のようだった
銀髪と海底図は平行に波打ち
兎蛞蝓はキャベツの演壇を裏から透かせた
靨の民族は帆を下ろさず 島を躱す
幾つもの「トレーナーが猿」の王国を打ち破るためには
島を見ず 航路を追う
きみの代わりを探すために

 
 

(そのアルゴリズムを通して)

 

そのアルゴリズムを通して
かなしみは抽象されるか

死後硬直の煎餅は
地中で平面となり

窓のないタブローは
私の線を待つ

 
 

公正

 

暖色系の濃淡で構成された
意外な夕方
凱旋行列の甘い香り
牡丹色の傷

公正に殺されたい
濡れ衣を纏うのではなく
有刺鉄線を冠るのではなく

 

 

 

恐怖の下痢

 

みわ はるか

 
 

定期的に通っている定食屋さんで、平日の夜わたしは初めて定食以外のものを注文した。
当然何かご飯ものを頼むだろうと思っていたと思われる肌が雪のように白い店員さんは少し驚いていた。
アップルパイとアイスティーを注文したのだ。
甘いものがそんなに得意ではないけれどあのときのアップルパイは世界一美味しく感じた。
食べられる、美味しく食べられる。
ただただ嬉しかった。
そう、1日前までわたしはポカリスエットしか飲めなかったのだ。
1週間下痢に悩まされていたからだ。
頬はこけ、みるみる体重は落ち、布団から起き上がれなかった。
固形物を食すのがこの世の終わりかと思うくらい怖かった。
結論:下痢は辛い。

熱発や関節痛もあったためしばらく職場を休んだ。
ほとんどの時間を布団の上で過ごしたのだが、気分転換に少し外に出てみた。
そうすると、普段だったら知ることのない音や光景ががたくさん見えてきた。
マンションの上の方から布団を布団たたきでたたいて干す音。
ミニチュアダックスフンドをゆっくりゆっくり散歩させる高齢の夫婦。
何が建つか分からないけれど、まっさらな土地の上で何やら物差しで長さを測り続けている人。
畑をきれいに耕して立派なスナップエンドウを育てている人。
近くにある川はわたしの状況なんか関係なく淀みなく流れていたし、窓から見える中学校からは12時を知らせる
鐘が遠慮なく鳴っていた。

夕方になるとぺちゃくちゃおしゃべりを楽しむ中学生の集団が至るところに見られた。
テニスラケットを背負っている子、剣道の竹刀を担いでいる子、習字道具をぶら下げている子。
みんなケラケラ笑いながら流れる川の上の橋を渡っていた。
一日がこうして終わっていくんだなと思った。
客観的に見る機会は少ない。
これはとても不思議な気持ちで貴重な時間だった。

下痢は本当に本当に辛かったけれど、なんだかな、いいこともあったな。
そんな今回は汚い話。