Treasures in May

 

正山千夏

 
 

もうフォーカスするのはよそう
ちょうど老眼も入り
筋肉もほどよくへたってる
白髪まじりのごましおあたま
二か月に一度染めないと
はえぎわにまるで霜柱のよういつのまにか
ざくざくとそれを踏んでまわりたいの
まだあの頃の冬の朝の記憶
優雅に取りだして
ふっと息を吹きかけ埃をはらう

そう、今は五月
みどりの風に吹かれて遠くを見る
疲れ目を癒して
見たいものはなんだったのか
フォーカスしようとがんばっていたものは
引いて見れば
そんなに近いわけでもないけれど
もうそんなに遠いわけでもない
花をつんで花びらを一枚一枚
好ききらい好ききらい

中年期のただの女が
五月の宝箱を開けたのだった
母の宝箱のオルゴールのあの曲が
風と街の音の向こうで鳴っている

 

 

 

由良川狂詩曲~連載第24回

第7章 由良川漁族大戦争~赤目の謎

 

佐々木 眞

 
 

 

「おや、あれは何だ」
と、ケンちゃんが、もういちど確かめるように見やったときには、その赤い点は、すっと消えていました。

ケンちゃんは、後続の若鮎特攻隊に、テテレコ・テレコ、すなわち「俺に黙ってついてこい」の信号を送りながら、スロットルを起こし、再び川底からの急速浮上を開始しました。

さすがにこの深さですと、水温もかなり低く、ケンちゃんは思わず、ブルルと身震いしました。
いつもは柳の木が茂る水面のところからかすかに光が差し込んで、見通しもそんなに悪くないのですが、今日に限って水がよどみに淀んで濁り、一足キックするたびに、泥がそこいら全体から湧きおこってくるような錯覚にとらわれます。

5メートルほど上昇した時だったでしょうか、ケンちゃんは虫の知らせか、なにげなく後ろを振り返りました。

アユたちが見当たりません。

ついさっきまで、ブルーハーツの「リンダ・リンダ」と、山本リンダの「狂わせたいの」をかわるがわる歌っていた、可愛らしいアユたちが一匹もいない!
ケンちゃんの背筋に、冷たいものが走りました。

冷たいものとは、何でしょうか?
それは単なる冷や汗とか、摂氏零度の寝汗とかの生易しい水分ではなくて、
「もしかしたら僕の12年の生涯が今日終わってしまうかもしれない」
という恐怖のH2Oが、ケンちゃんの全身を、ぐっしょりとおねしょのように濡らしたのでありました。

………そして心臓がかき鳴らす驚愕と恐怖の二重奏を聞きながら、茫然と立ち泳ぎするケンちゃんの目の前に、さっきちらっと見かけた赤い点が、再び現れたのです。

しかも、二つ。

いつの間にか、あたりは漆黒の闇にとざされ、真夜中のエルシノア城を思わせる深く濃い闇の奥底で、ケンちゃんをじっと凝視している、不気味な二つの赤い点。

その赤い点は、突如サーチライトのように強い光を放ちながら、ネモ艦長が運転するノーチラス号のようなものすごい速さで、ケンちゃんに接近してきました。

4メートル、3メートル、2メートル。

あと1メートルの至近距離までそいつがやってきたとき、ケンちゃんは、口にくわえた短刀を利き腕の右手に持ちかえ、東大寺南大門の金剛力士のように、そいつの前に立ちはだかりました。

怒涛のように押し寄せる巨大な黒い影の最先端。そこにはおよそ15センチの間隔で、2つの瞳孔が真紅の色にキラキラ輝いています。
全身、黒と金で覆われたいかつい無数のウロコがすべて逆立って、「お前を殺すぞ!」と威嚇しているようでした。

実際そいつは衝突を回避するてめにケンちゃんとすれ違いざま、押し殺したような声で、「俺は、おめえをゼッタイに殺すぜ!」
と囁いたのでした。

その声を耳にした途端、ケンちゃんは、初めてそいつの正体を知りました。

――目が赤い。赤目、赤目、アカメ。そうだ。こいつはアカメだあ!
泳ぎながら、オシッコをちびりながら、ケンちゃんは、学校の図書館で魚類図鑑を眺めたおぼろげな記憶を呼び戻しました。

「アカメ。学名LATES CALCARIFER。熱帯性の淡水魚で、日本、台湾、中国南部、フィリピン、東南アジア、インド洋、ペルシア湾、オーストラリア北部などに分布。日本では宮崎、高知の両県にのみ棲息。」

――確かそう書いてあったのに、なんでこいつが京都府の由良川の上流にいるんだよ!

「大河川の河口部やこれにつづく入り江に棲むが、純淡水域にも侵入。餌はエビ類、小魚など。」

――アユがなんで小魚なんだよ。僕の友達をみんな食べちまって。でもいくら腹を空かしているからといって、まさかお前は、人間様まで喰ってしまおうてんじゃあないだろうな。

「産卵習慣は不明だが、稚魚は秋から出現する。食用。南方地域では重要魚。」

――くそっ、南洋ではお前は人間にバンバン食べられてるからって、由良川でその仕返しをしようってか!

「日本では分布が限られているので、一般には知られていない。ふつうに漁獲されるのは50センチ以下の未成魚。

――しかし、このアカメときたら、全長ゆうに2メートルはありそうだぜ。

Woooおおう!

無我夢中でとびのいたケンちゃんの、やわらかなお腹のあたりを、先端が鋭く尖った6本のナイフを1本に束ねたような真黒な背ビレが、横なぐりに襲いました。

あの6段のギザギザにちょっとでも触れようものなら、ケンちゃんの手足は一瞬のうちに切断されてしまうでしょう。それは背ビレではありません。完全な凶器です。

アカメの背ビレの強襲が空振りに終わって、やれやれと一息ついたせつな、「てらこ」のお店においてある座布団くらいの大きさの真黒な尾ビレが、ケンちゃんに顔をまともに一撃しました。

右のほっぺに、深さ3センチの裂傷を、7か所にわたってつけられたケンちゃんは、一瞬意識を失い、川底めがけてまっさかさまに落ちていきました。

 
 

つづく

 

 

 

夜の瞑想

 

鈴木志郎康

 
 

雨の夜
窓のカーテンを
閉めて
わたしは
テーブルに寄りかかり
昼間の庭に
ビョウヤナギの黄色い花が
咲き揃っていたのを
思い浮かべて、
瞑想する。
今日も
充分に食べて用も達した。
下剤無しでは排便できないってことも、
こんな風に
わたしは生きて行くのだ。
ビョウヤナギの沢山の花は
咲いては
散って行く。
この先、
わたしは
何年生きるのか。
家の中で
歩行器無しには
歩けない。
外に出るってこともない。
ベッドで
テレビの画面に映る
世間の出来事に、
現を抜かしているってこと。
これが、
今の、
このわたしつてことよ。
しつっこいぞ。

 

 

 

嘘っぱちでも進め

 

ヒヨコブタ

 
 

嘘っぱちなじぶんにうんざりしないうちに歩き出せ

まだ慣れていないじぶんがもどかしくて
変えていくじぶんをどこかでうっとうしく思って

もっとシンプルになればいい
もっと素直になればいい

簡単なことがもどかしいとき
ぽろぽろなみだ

それでもぐいぐい気持ちだけはぐいぐい歩き出せ
よたよた歩いていたとしても
着実に進めるんだよじぶんしだいで

 

 

 

体と体

 

辻 和人

 
 

ぼくの体を包んだ
車の体
高齢の父がもう運転しないからって譲ってくれた
スーパーの駐車場にのろのろ侵入
ラッキー、空いてる
失敗しても隣の車を傷つける心配がない
かれこれ30年以上運転していないぼく
慌ててペーパードライバー講習受けて
時には助手席のミヤミヤから怒られながら週1回は運転を続け
すこーしは上達したかな
近所であれば何とか走れるくらいにはなったんだけど
トホホなのが駐車
今日は駐車の練習にここに来てるってわけ
よし、このスペースがターゲットだ
一旦止まって周りの様子をうかがって
まず右にハンドル切る
車の体はのろのろと
ぼくの体を包んだまま
右斜めに移動
ちらっと左のミラーに見えてきた白線の先端
それ、今だ
ギヤをバックにして今度は左にいっぱい
ピィー、ピィー、ピィー
のろのろ左後ろに旋回
車の体に包まれた
ぼくの体
運ばれてく
ただただ運ばれてくぞ
ストップ、この辺かなあ
窓開けてきょろきょろ、タイヤまっすぐにして
ピィー、ピィー、ピィー
ゆっくりゆっくり後退
ちっ、こんちくしょう
ぼくの体を包んだ
車の体
右に寄りすぎ
しかも30度も斜めに傾いてるぞ
しょうーがない
前進してハンドルを右、右、あ、ちょっと左
やっと白線と並行になった
窓開けて、タイヤまっすぐにしますよ
ピィー、ピィー、ピィー
車の体に包まれた
ぼくの体
運ばれてく、ただただ運ばれてくだけ
くっ
後輪が微かに留め具に当たる感触だ
やっと所定の位置に止まりましたよ
バタンと
降りて
外の空気を吸ってみる
ふぅー、ふぅー、ふぅー
大きな買い物袋抱えたおかあさんを小走りで追っかける
風船片手の男の子の姿があるなあ
安心・安全そのもののだだっぴろいスーパーの駐車場に
薄黒い緊張に縛られたままの2つの体が
5月の風に吹かれて立ち尽くす
ぼくの体を包んだ
車の体
お疲れさま
車の体に包まれた
ぼくの体
お疲れさま
いつか2つを合体させられるように頑張るから
どうか今しばらく練習にお付き合いくださいね

 

 

 

素晴らしいモーツァルト

音楽の慰め 第27回

 

佐々木 眞

よくモーツァルトの音楽は天真爛漫なので、まだスレた大人になっていない純粋無垢な子供が演奏するのがいちばんよろしい、という人が昔からいますが、そうでしょうか。

私はそうは思いません。そもそもモーツァルトの音楽は天真爛漫ではないし、この節、純粋無垢な子供もあんまりいそうにないからです。

モーツァルトのピアノソナタは全部で18曲ありますが、名曲が多く、特に彼の母親が亡くなった直後にパリで作曲した第8番イ短調K.310、第3楽章でトルコ行進曲が演奏される第11番イ長調K.331などは有名で、皆さんもどこかで耳にされたことがあるのではないでしょうか。

今宵私がご紹介したいのは、両曲の中間にあって、同じ1783年に作曲された第10番ハ長調K.330のソナタです。

演奏は1956年ポーランド生まれでショパンを得意とするクリスティアン・ツィマーマンです。

彼は、我が国で東日本大震災の被災者支援コンサートを行うなど東京に家を持っているほどの親日家ですが、ここに聴くモーツァルトの素晴らしさを、何にたとえたらいいのでしょう。
その映像からも、音楽することの楽しさ、生きることのよろこびが伝わってくるではありませんか。

いつもお世話になっているYouTubeさんが、いついつまでもこの稀代の名演奏を、後世に伝えてくれることを、切に願わずにはいられません。

 

 

 

 

麻理が笑っている

 

鈴木志郎康

 
 

麻理が笑った
笑っている
隣のベッドで
テレビを見ていて
芸人の言葉に
声をあげて
笑っている
笑っている
その声に
わたしは
急に
奥深い
悲しみに
襲われる
何時か訪れる
進行性難病の
麻理が
いなくなったときの
悲しみの
前触れだ

 

 

 

新緑の候

 

狩野雅之

 
 


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FUJIFILM X-E3, FUJINON XF18-55mm F2.8-4 R LM OIS

 


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FUJIFILM X-E3, FUJINON XF18-55mm F2.8-4 R LM OIS

 


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FUJIFILM X-E3, FUJINON XF18-55mm F2.8-4 R LM OIS

 

 

 

由良川狂詩曲~連載第23回

第7章 由良川漁族大戦争~赤い点

 

佐々木 眞

 
 

 

さあ、喜んだのは由良川の善人善魚たち。死んでしまったライギョの数を勘定しながら、「丹波数え唄」の大合唱が、あたり一面から湧きおこりました。

♪一番はじめは一の宮
二で日光東照宮
三で讃岐の琴平さん
四で信濃の善光寺
五つ出雲の大社
六つ村々地蔵尊
七つ成田の不動さん
八つ八幡の八幡さん
九つ高野の弘法さん
十で所の氏神さん
これだけ信心したならば
浪ちゃんの病気もなおるでしょう
ポッポッと出る汽車は
浪子と武雄の別れ汽車
再びあえない汽車の窓
鳴いて血をはくほととぎす

ここで、ネットに突き刺さったきりのライギョたちの前で、パンツを脱いで白いお尻を振り振りしながら、ひょうきんナマズのテッちゃんが、「もういっちょう!」とアンコールをせびりました。

♪一かけ二かけ三かけて
四かけ五かけて橋かけて
橋の欄干腰おろし
はるかむこうを眺むれば
十七八の姉さんが
花と線香を手に持って
姉さん何処へとたずねたら
わたしは九州鹿児島の
西郷隆盛娘です
明治十年戦役に
撃たれて死んだ父上の
お墓詣りをいたします
お墓の前で手を合わせ
南無阿弥陀仏と眼に涙
もしもあの子が男なら
アメリカ言葉をならわせて
胸に鴬とまらせて
ホーホケキョと鳴かせたら
どんなに喜ぶことでしょう

今夜ここでのひとさかりが終わると、喜びの次には、怒りがやってきました。
この時とばかりに宿敵の喉笛にくらいついて、日頃の鬱憤を晴らそうとするスッポンのポン太。
口ぜんたいが吸盤になっているのをいいことに、ライギョのお腹にぶちゅっとキスをして、まるで吸血鬼のようにチュウチュウと音を立てながら、血を吸いだしたカワヤツメのヤッちゃんなど、親子兄弟親戚の多くを毎日のように殺され、(なかにはイオカワのオイカワ三世のように一家全員が皆殺しの目にあった悲惨な家族も少なくありません)か弱い魚やその仲間たちは、にっくきライギョたちに思い思いの復讐をしようとしました。

その時でした。現役最長老のオオウナギが、右の胸エラを静かにあげて、みなを制しました。

♪みなの衆、みなの衆、お待ちなせえ。事をせいては、いけないよ。
アラーに唾するものは、自分に唾するも同じこと。
左の頬を殴るものは、あの世で右の頬をナイフで抉られん。
ブッダの妻を奪いしナーガンダも、ついには地獄に落とされた。
地には愛。天には星。仲佳きことは、善きことなり。
人にやさしく、とブルーハーツも歌っておる。
岩窟王エドモンド・ダンテスも、罪を憎みて魚を憎まずと申しておった。
みなの衆! どうかもうそのへんで無益な殺生をやめてくれえ。

最長老の説得が功を奏したのか、さしも怒り狂っていた魚たちも、次第に落ち着きを取り戻し、何年振りかで戻ってきた川の静けさを確かめるように、仕掛けネットの近くをぐるぐると旋回しながら、手に手をとって「美しく青き由良川のワルツ」を踊ったりしているのでした。

さてその頃、ケンちゃんは、若鮎特攻隊の残党たちと共に、天井からわずかに朱色の光が差す千畳敷の大広間に、疲れきった身をお互いに労わっていました。

「ははあ、ライギョの奴らめ、まんまと仕掛けにはまったな。ざまあみろ。アユ君、君たちも命を投げ出し、多くの犠牲を出しながら、由良川に生きる友達みんなのためによくやってくれたね。ありがとう! ありがとう!」

と興奮さめやらず、べらべらしゃべりまくるケンちゃんは、お父さんに似たのでしょうか。

「さあ、もうこれで大丈夫だろう。そろそろ仕掛け網のところに戻ってみよう。きっと大漁だと思うよ」

と、アユたちに声をかけながら、ナイフをぐいと口にくわえ、タンホーザー序曲をBGMにしながらゆっくり浮上しようとしたその時、ケンちゃんの視線の隅っこで、なにやら赤い点のようなものが、チラっと動いたような気がしました。

「おや、あれは何だ?」

と、ケンちゃんが向き直って、もういちど確かめるようにその方向を見やったときには、その赤い点はすっと搔き消えていたのです。

それからケンちゃんは、後続の若鮎特攻隊に、「テテレコ・テレコ」、すなわち俺に黙ってついてこい、の信号を送りながら、ふたたび急速浮上を開始しました。
さすがにこの深さですと水温もかなり低く、泳ぎながらケンちゃんは、思わずブルルと身震いをしました。

いつもは柳の木が茂る水辺のところからは、かすかに光線が差し込んで、見通しもそれほど悪くはないのですが、今日に限って水がよどんで濁り、一足キックするたびに、泥がそこいらから湧きおこってくるような錯覚にとらわれます。
それでも、もう少しで仕掛け網のところまでやってきたケンちゃんは、何気なく後ろを振り返ってびっくりしました。後に続いているはずの若鮎特攻隊がいないのです。
ついさっきまでブルーハーツの「リンダリンダ」と山本リンダの「狂わせたいの」をメドレーで歌っていた可愛らしいアユたちの姿が、どこにも見えないのです。

ケンちゃんの背筋に、冷たいものが走りました。

そして呆然としてあたりを見回しているケンちゃんの目の前に、さきほどの赤い点が、再び現れたのです。しかも、2つ。

 

 

つづく

 

 

 

八十三歳の優しい気持ち

 

鈴木志郎康

 
 

庭のビョウヤナギの花が
次々に咲いて、
初夏の
爽やかな風に揺れている
2018年の、
五月十九日の
今日、
わたしは、
八十三歳になった。
なってしまった、
ね。
ね、
相手に向かった、
ね、という終助詞。
そのねの相手って、
誰なんだろうね。
ね、
っていうと、
優しい気持ちになってくる。
八十三歳で、
優しい気持ちになってくる。
なんか、
いいね。