工藤冬里
コロナは私の所為で興った
私を再び独りにならせるために興った
私の為に店は潰れた
私の所為で空は墜ちた
私が生きるためにコロナは興った
私の益の為にコロナは興った
私がカドカワにならない為に興った
私の所為で人が死んだ
人の所為で私も死んだ
私が死ぬためにコロナは興った
#poetry #rock musician
コロナは私の所為で興った
私を再び独りにならせるために興った
私の為に店は潰れた
私の所為で空は墜ちた
私が生きるためにコロナは興った
私の益の為にコロナは興った
私がカドカワにならない為に興った
私の所為で人が死んだ
人の所為で私も死んだ
私が死ぬためにコロナは興った
#poetry #rock musician
その1 ウンチを我慢する
宇治拾遺物語の第76段に「仮名暦誂えたる事」という短いコラムがある。
そこには3日連続で「雲古すべからず」と書き込まれた偽カレンダーを信じた生女房が、
「左右の手して、尻をかかへて、いかにせん、いかにせん、と、よぢりすじりするほどに、物も覚えず、してありけるとか。」
団鬼六のロマンポルノではないけれど、我慢に我慢した挙句に、とうとうしてしまったんだあ。
可哀想に。
その2 ウンチを見る
むかしむかし、京の北白川にあった重度の障害児(者)施設で、黄色い風呂を見たことがある。
黄色と映ったものは利用者が排泄した雲古で、それは冷めた風呂水と上から下まで完全に混ざり合って、微動だにせず午前10時の太陽に浮かんでいた。
そのとき私は、福祉の仕事というのは、このウンチがいっぱい浮かんだ風呂に飛び込んで、障害者の体を洗ってあげることなんだ、と思った。
その3 ウンチを踏む
私はうっかりしていて、(恐らく石ころの上にとまっている小型の茶色いチョウがテングチョウかヒメアカタテハかを確認しようとしていて)道端のウンチを、ムギュっと踏んだことがある。
運動靴がズヌっとぬめって、明後日の方角にずれてしまって、相当不気味だった。
義姉のエイコさんは、蛇を何回か踏んだことがある、そうだ(今度会ったら確かめてみよう)。
私はまだ蛇を踏んだことはないが、あの明後日の方角にズヌっとぬめっていく感じは、限りなくそれに近いのではないかと、密かに考えている次第である。
ウンチを踏んだズックは、洗っても、洗っても、臭かった。
その4 ウンチを掴む
むかしむかしのそのむかし、丹波の綾部の上野の丘に小学校があって、私は放課後に、同級生と便所掃除をしなければならなかった。
便所は汚れている時と、そうでない時があったが、汚れている時には、おおかたでぶでぶのオオツキマサト君が、率先してキレイにしてくれるので、僕らは、ほとんど何もする必要がなかった。
するとある日、突然そのことに気づいたように、オオツキマサト君が「お前らあ、いっつも、いっつも、ずるいやないか。わいらあ、今日はなんもせえへんさかい、お前らあで、しっかりやらんかいな」と怒鳴って、ぷいと校庭に出ていった。
オオツキマサト君が去ったあと、便器の傍には、プリプリの巨大なウンチが、ぐんにゃりと横たわっていて、微かに湯気が立ち上っていた。ついさっき誰かがやらかした出来たてのホヤホヤ、ちゅうやっちゃ。
アカオ君やキタハラ君やカワギタ君と一緒に、僕はしばらくその黄色いプリプリの巨大なウンチを眺めていたが、いつまでたっても誰も手を出さないので、これはもう僕がやるしかないと思って、僕は恐る恐る、その臭い立つ巨大なやつに両手を伸ばして、ぐウンとつかんだ。
えいやっと、つかみとって持ち上げたら、そいつは結構重くて生温かで、「これはいったい、どこのどいつが垂れたんだろう」と、不思議な気がした。
その日、僕はこの世の「実在」という奴に、初めて触れたのだった。
その5 ウンチを垂れる*
毎日トイレで便器に跨るたびに、私は遠い親戚の言葉を思い浮かべる。
「人間はトイレに入る時には生まれたままの姿で、本音も建前もない。これこそ人間の真の姿である」
「大事なのは、ウンコを垂れるあの気持ちだ。堅からず、柔らかからず、ロクロの廻るにまかせて、なんの技巧もなく生まれてくるのが、ほんとうの茶碗だな」
この「ウンコ哲学」を唱えたのが、ほかならぬ私の伯祖父、上口作次郎(1892-1970)である。
彼は明治25年に谷中に生まれ、小学卆業後、宮内省御用の大谷洋服店に弟子入りし、大正末期に「超流行上口中等洋服店」を開店した。
最高級オーダーメイドスーツでしこたま儲けた金で、江戸時代の大名時計や長谷川利行の作品を収集したり、東京の土を捏ねて陶器を焼いたり、ぐるぐる廻る茶室「眩暈庵」や樹上の茶室「巣寝る庵」を作ったり、「雲谷斎愚朗」と称して、いつも裸で過ごしたこの破天荒の野人を、私は好きである。
その6 ウンチを忘れる
それからおよそ半世紀の歳月が流れた。と思いねえ。
私は今ではそんじょそこらの三等リーマンになりおおせていて、ある日大阪支店に出張して取引先の営業マンに会って名刺を交換したら、すっかり「難波のアキンド」になった、でも昔と同じようにでぶでぶの、オオツキマサト君だった。
私は彼の顔を見た瞬間、黄色いウンチのことを思い出し、2人だけの密かな西田哲学的な体験!?について語り合いたいと思ったのだが、彼はそんな私の胸中をいささかも忖度することなく、破顔一笑うれしそうに叫んだ。
「おやまあ、綾部のてらこのマコちゃんやないか! これはこれは、粗末に扱う訳にはいきまへんな。あんじょう勉強させてもらいまっせ!」
ホカホカのウンチを入れたマッチ箱振り回しつつ学校へ行く 蝶人
*参考文献 片山和男編・「闘う茶碗~野人・上口愚朗ものがたり」
百年か
千年か
以前、以降、が生まれた夜明け
胸に宿る黒い炎
蘇生する白い炎
ガーゼは吊るされ
光を濾過して、わたしの衣服となった
窓辺のフレアスカート
輪郭を失くした軒先で
主人は煙草をふかしてる
わたしは罹災の地図を舐めて歩く
有線だけは威勢がよくて
プラットホームで空回って
乗客の肩に乗る
涙でピアスが痒い
“動くな、死ね、蘇れ”
ひとびとは触れられない細胞壁のむこう
戻れない世界、はじめまして。
きみの名は?
わたしの胸に燃えたぎるフレア
みえないから、きっとグレー
慈しむべき、まるごとの身体
試練と観察は愛を発明する
つまづいた石のうえに物語がある
希望は石の下に、密やかにある
( 死なないために )
まだ、ことばは地面のなか
詩なんて時じゃないだろう
潔癖と寛容の天秤座は泣き顔の雨
謝らないで、
あなたごと抱きしめてあげる
わたしに腕があれば
死と生の双子座は風花
春を謳う
築いた城は朽ちる
いつか観た、『王と鳥』ね
完膚なきまでに
打ちひしがれ打ちのめされ
約束は、脆く、淡く
オンラインは苦手
カメラは怖いから回さない
夢であえたら
夢がなければ、千年のあとに
夜の大学通りのベンチにて
心臓で電報を打つ
珈琲に滲んで文字は消えた
遺されたのは周波しかないなんて
文明の墓です
太陽の審判
朝
粥をつくる
香草を刻む
いちにちの身体
まだ生かされている
命は器に盛られている
糸は切れ切れに、波を縫う
夜が明けて朝になった。
今日も、
朝が来た。
カミナリが鳴っている。
こんな朝早く鳴っている。
ピカッと光って、
ドドーンと驚くほど近くに落ちたような音だ。
犬のモコも目を覚ますだろうと隣の部屋のわたしは心配です。
モコはカミナリや花火の音が怖くて怖くて、
ブルブルと震えるのです。
今日は、嵐になるのだということです。
世界でもコロナが吹き荒れている。
新型コロナウイルスの感染者が世界で、200万人を超えたと朝刊の記事にあった。
日本では感染者数が8,000人を超えたのだという。
パンデミックというのですか。
パンデミック(英: pandemic)の語源は、
ギリシア語のpandēmos (pan-「全て」+ dēmos「人々」)だという。 * 1
感染症が世界中に流行することをパンデミック、世界流行というのだという。
日本や世界中で医療関係者が、
このウイルスに感染した人々を救うために尽力している。
日本では、4月16日、全国に緊急事態宣言の対象が拡大された。
この国の首相が指示し466億円かけて各戸に2枚の配布が決まった布製マスクが、届きはじめた。
マスクが小さいではないかという問い合わせがあるようなのだが。
アメリカの金髪の大統領は、
世界保健機構(WHO)が「中国寄り」だとしてWHOへの拠出金支払いの停止を表明したという。
いまやアジアやアフリカや世界の新興国にも感染症が拡がり、
世界中が大変な時に、アメリカの大統領は自国のために世界を分断しようというのだろうか?
新型コロナウイルスに対応する医薬品や医療機器の開発や製造は先進国が行っている。
それらを各国と共有できなかったらどうなるのか?
自国第一主義は世界に混乱を生むように思える。
食料やマスクや医薬品や医療機器の輸出規制など、これからの政策が心配だ。
また、今、日本では種苗法改正法案が国会に上程されている。
外国の巨大資本に種子が独占されるのではないかという危惧が日本の農業現場にあるようだ。
カミナリの音はもう聴こえなくなった。
雨音が聴こえる。
窓ガラスに雨粒が音を立ててぶつかり流れている。
窓の向こう、
西の山が雨に煙っていて頂上が見えない。
ここのところわたしは自宅でモコと三密状態です。
外出から戻ったら必ず手を石鹸でよく洗います。
犬のモコにコロナを感染(うつ)したらかわいそうだからです。
帰宅したら飛びついてくるモコをそのままに、
手を洗ってから、
モコを抱きしめます。
それからソファーに行くとモコはわたしの膝の上から大きな瞳で見つめ返します。
しばらくそうしていると、
モコは安心して眠ってしまいます。
モコも、もうだいぶ年を取りましたからね。
モコを見ているとテミちゃんを思いだします。
テミちゃんはいとこのお姉さんでした。
小学生の一年か二年の頃に遊びに行くとテミちゃんのふんわりとした話し方に子どものわたしは魅了されたのでした。
テミちゃんは顔つきも体つきも白くぽっちゃりとしていて、
絵が上手で、
とてもゆっくりふんわり静かに話すお姉さんでした。
あ〜こんなにゆっくりふんわり話して、いいんだ・・・。
そう、子どものわたしが思ったことを今でも憶えています。
それからそのことを大切に思ってきました。
いまでも思っています。
わたしが青年になり大人になり社会に出てみたら、
そのゆっくりふんわりを大切とする人はほとんどいない事に気付きました。
世の中は、とにかく早く処理することが大事なんだなあ!とショックでした。
勉強も仕事もそうでした。
ゆっくりふんわりなんかまったく大切にされていませんでした。
わたしは、
二十歳を過ぎて、
東中野にある木造の建物の中の詩の教室に通い始めました。
そこには鈴木志郎康という詩人がいました。
その詩人は私たちの詩をひとつひとつみんなの意見を聞いた後に講評してくれるのでした。
青年のわたしは、やっと素敵な大人に会えたと思いました。
その詩人が「徒歩新聞」という冊子をたまにくれました。
表紙は赤瀬川原平という人がイラストを描いていて、
舗装されていない野原の道路のようなところを下駄と靴だけが歩いているようなイラストでした。人がいないのです。
表紙を開くと扉に、毎号、同じような歩行についての言葉が並んでいました。
“トボトボと歩いている。散歩するという気分でもなく、歩いていると、気もそぞろになって、躓いてしまうということがある。躓いてしまったときの、あの心理というのは、これは面白いものだ。・・・・” * 2
わたしはやっとテミちゃんに似た大人を見つけたのでした。
それからその詩人の詩の真似をはじめました。
そして、それから、ずっと詩を書いてきました。
いやいや、少し、休んだりしながら、トボトボと詩を書いてきました。
今回の新型コロナウイルスの流行が終わって、生き残っていたら、
また、ずっと詩を書いていきたいと思っています。
テミちゃんはどうしているのかな。
もう、おばさんで、孫がいて、おばあさんかもしれないな。
世の中、呆れて物も言えないことだらけです。
わたしのところにはまだ二枚の布製マスクが届いていません。
でも、この世の中には、
わたしの知らない”ゆっくりふんわりした人”が、たくさんいるのだと思います。
作画解説 さとう三千魚
* 1 「ウィキペディア」より引用しました。
* 2 「徒歩新聞」20号より引用しました。
タカハシ先生、傘貸してくれたお。
そう、良かったね。どこの先生?
鎌養の。
赤羽線、埼京線になったよ。
へええ、そうなんだあ。
ジュンサイ、美味しかったですよ、お母さん。
そう、良かったね。
今日、比嘉さん、見ます。
見てね。
解消って、なに?
元に戻すことよ。
停電、解消したってよ。
良かったね。
クイズ・タイムショック、好きでしたお。
そうなんだ。
お母さん、ぼくムクゲ好きですよ。
ムクゲ、お庭にありますよ。
咲いてないでしょ?
今はね。
おめおめって、なに?
仕方なく、よ。
お母さん、無条件て、なに?
何も条件をつけないで、よ。
おばあさん、車いすに乗ってるねえ。リハビリしてるの?
そうよ。
モリタ先生、バカたれと言ったんだよ。
いつ?
昔。
お母さん、ぼく「わろてんか」好きですお。
そう。お母さんもよ。
部分って、なに?
全体の反対。
なに?
全体の中の一部だよ。
なに?
さっさと、早くして、でしょ?
そうだね。
ぼく、アサザ好きですお。
そうなんだ。
お母さん、4千円になりましたよ。千円下ろしてね。
分かりました。
ミエコさーーん、お母さん、ぼくジュース1本にしましたよ。
そうしてね。
お父さん、トオルさん、おうちでお仕事してるの?
そうなの? しらないけど。
このへんで、ってなに?
ここらへんで、よ。
お母さん、もろいって、なに?
壊れやすいことよ。
お正月、みんな来るから大丈夫?
大丈夫よ。
縁起でもないって、なんのこと?
良くないことよ。
ちっとも知らなかった。
検出って、なに?
なんかが出てくることだよ。
げんに、って、なに?
実際に、よ。
こまめに、って、なに?
細かく、よ。
お母さん、証明ってなに?
ハッキリさせること。
圧倒的って、なに?
ともかく物凄いことよ。
圧倒的、圧倒的。
お母さん、言いつけるって、なに?
言いつけるはね、言いつけるよ。
なんてチエ先生、注意したの?
さあね。
―石原さとみのテレビ番組をみて
お母さん、ボク、ずっとさとみと遊びましたよ。
そうなの。良かったね。
図書館で本借りてえ、藤沢で定期買ってえ、東急でケーキとお弁当買いますよ。
分かりましたあ。
お母さん、農作業って、なに?
畑でお野菜なんか作ったりすることよ。
お別れ、悲しいですね?
悲しいね。
モロ難しいって、なに?
ほんとに難しいことよ。
誰が言ったの?
ケンちゃんが。「エキサイト・バイク」で。
そんな難しいゲームだったんだ。
そうなんですお。
ご褒美って、なに?
頑張ったお礼よ。
イケダ先生、介護しているの?
そうよ。
一同って、なに?
みんな一緒よ。
一同の同は、おなじ、でしょう?
そうよ。
うるわしいって、なに?
とても素敵なことよ。
オオタヒロシさん、ひげがあったんだよねえ?
あったねえ。
家元って、なに?
お花やお茶の先生よ。
イエモト、イエモト、イエモト。
ドはトに点点でしょ?
そうだよ。
お母さん、切りのいいところでって、なに?
ちょうどいいところで、よ。
お母さん、ぼくはマリオ好きだよ。
お母さんも好き。
お母さん、悔しいってなに?
残念、残念よ。
比嘉さん悔しくて泣いていたよ。
そうなの。
体調不良って、なに?
体調が悪いことよ。
意外に難しいって、なに?
思ったより難しいことよ。
パブリカって、なに?
ピーマンみたいなものよ。
「ごめんなさい」入るときでしょう?
そうだね。
十字架って、なに?
人を張りつけにするものよ。
「竹やさお竹ー」ってなに?
竹買いませんか、よ。
お父さん、「ばか!」「嫌い!」って言いましたよ。
いつ?
昔。
そうか。もう、言わないからね。
病院って、ケガしたときでしょ?
そうだね。
難しいって、難波の難でしょ?
そうだよ。
難波って、大阪でしょ?
そうだよ。良く知ってるね。
ナンバ、ナンバ、ナンバ
プロは専門家のことでしょう?
そうよ。
コウ君は、何のプロ?
ふきのとう舎のキャップのお仕事の。
そうだよね。コウ君偉いぞ!
お父さん、よっぱらっちゃダメでしょう・
ダメだよ。コウ君よっぱらったの?
よっぱらわないよ。
消失点が一つの時
原理主義者が月夜の廃墟の大通りを歩いている
消失点が二つの時
死んだことのない善人と生き返って憑物の落ちた悪人が辻で鉢合わせする
消失点が三つの時
俯瞰した宮の外に犬を探す
消失点がそれ以上の時
苦い現実にパンを浸す
〈それを見ている〉〈それを見ている〉の視線のメタ連鎖が
まなこが二つ、太陽が一つの遠近法を振り出しに戻す
安息はカメラの中で反転している
雨戸の穴から障子に映った逆さの映像
あれが原点だった
そこから無数の消失点が生え出て
一葉の花の写真にさえ到達できなくなって
#poetry #rock musician
同性婚の家の子が、うちのお父さんは女です、
と言うので
それは話が合いますね、
実はわたしの親も、男でも女でもないんです、
と返してみる
親子を語るときだけ人は厳粛になれる
no joking official publicである
有線では、たいていビリー・ホリデイかモンクがかかっている
マル・ウォルドロンばかりかかかっていたこともある
そういうのを親だという人もいたけれど
そんなとき、言うほうも聞くほうもまじめだったのを思い出した
子はあなたのことを二百回おとうさんと呼んだ
あなたは男でも女でもないので
イエのアレゴリーは便宜上のものだったと知っている
それでも
それは唯一効果的な説得の仕方だった
いくら家庭内暴力で評判を弱めようとしても
終わりのときまで家族に対する思い入れの大枠は生き続けた
エディプスはそれだけ筆に乗せやすかった
それでわたしも
実はわたしの親も、男でも女でもないんです、
と返したのだ
家族が重要なのではない
その制度を使った比喩こそが実体のアルファ・オメガなのだ
#poetry #rock musician