志郎康さんとお昼寝マット

 

辻 和人

 
 

お昼寝マット騒がしい
どったんばったん
いち早く寝返りに成功したコミヤミヤ
ぷっくり太くなった両腕で上半身支え
お腹大きくしならせ
ぷっくり太くなった膝曲げて
ぷるぷるぷーる、そーれ
マット、蹴るっ、蹴るっ
惜しい
もうちょっとでハイハイ成功なんだけどなあ
出遅れた感のあるこかずとんもこのところ寝返り成功してる
苦手だった右回りも成功した
そーれ、マット、蹴るっ、蹴るっ
ぐらっ、勢いつけすぎか
あーらら、転がっちゃってマットの外へ
マットの厚さ2センチだけど
この2センチ、乳児には高い崖と同じ
仰向けになって手足バタバタ
あーらら、泣いちゃった
しょーがない、助けてやるか

なことしてる合間にスマホ覗いた
えっ
「この度9月8日、父・鈴木志郎康は腎盂腎炎により他界いたしました」
志郎康さんのアカウントで息子の野々歩さんより
ご病気重いことは聞いてたので内心覚悟はしてたんだけど
もう会えないのか、声聞けないのか、この世にいないのか
心臓にぎっと来た

志郎康さんとは長い長いおつきあい
いろんな思い出があるけど
やっぱり最初にお会いした時のインパクトがすごかった
社会人2年目の4月だ

現代詩は好きで読んでいたけど遂に自分でも書きたくなってね
有名な鈴木志郎康氏が講師をつとめる詩の講座へ
ごっつい眼鏡のごっつい顔は雑誌で見た通り
書いてきた作品を恐る恐る提出
「ふーん、ツジさんは随分面白い感性してますねえ」
あ、ほめられた
「でも、ここ、おっかなびっくり瞼の上を歩くんでしょ?
 ただの道が危険地帯みたいになるんだから緊迫感が必要なんじゃないの?」
そーかあ、残業終えて深夜書き直し書き直し
で、次回
「テッポウウオに狙われるっていう発想はいいね。
 熱のある日だから/くねった道を直線として捉えてしまうんだ、も秀逸だと思う」
秀逸だって、やったー
「だけどその後、ミミズのような/赤味を帯びた道たちとの 情交、のところ
 唐突なんだよね
 迷った末にそういうところに出ていくというのが
 実感としてきちんと描かれていなければならないと思う」
休日、家に籠ってウンウン言いながら書き直し書き直し
で、次回
「道が女性のイメージになるでしょ?
 道と女性が重なる、ということは何らかの姿があるはずです。
 それが全然見えてこない。
 うまくいってたのに馬脚を現したな、という感じ」
難しいなあ、どうすりゃいいんだ、書き直し書き直し
で、次回

志郎康先生、初心者なのに容赦ない
そんなこんなで一編を半年書き直し書き直し
他の受講者の方々、おんなじ作品を何度も見せられてあきれ顔
ごめんなさい、ぼくもしつこいよな
でも志郎康先生、何度提出しても涼しい顔
作品を手に取ると眼鏡の奥一瞬ぎろっとさせて
次の瞬間には「ああ、この人これが言いたいのね」って顔する
で、「これが言いたいんならちゃんと言いなさい」ってなる
「肩は弓なりになって、ってことは最初と呼応する感じになるわけね。
 ま、これで完成ってことでいいでしょう。
 次は、道なら道を歩くイメージをしっかり持った上で
 その場にいる気持ちで言葉を展開させていくといいかなあ」
はい、次に生かします

お昼寝マットの上でどったんばったんやっている
コミヤミヤとこかずとん
実は朝5時くらいから練習してるんだ
夢うつつの中
隣のベビーベッドから体を回転させるどたって音が聞こえてくる
ひねって
転がって
うまくできないとひぇーんうわぁーん
朝起きると頭髪は汗びっしょり
赤ちゃんはいつでも真剣勝負
お気楽なんてことはない
それを受け止めてあげるのがパパの仕事さ
それで
ぼくもどったんばったん
ひねったり転んだりしたのを
たまにはひぇーんなんてしながら
志郎康さんに受け止めてもらったってわけ
志郎康さん、ありがとうございました
ぼくには詩の生徒なんかいないけど
コミヤミヤとこかずとんがいる
その場にいる、気持ち
わっ、こかずとんの足がベビーサークルの柵に絡まった
救出しないとな
救出してもまた柵ぎりぎりまで転がってくるだろう
「ああ、こかずとんはこれがやりたいのね」
「やりたいんならちゃんとやりなさい」
お昼寝マットの中央に連れ戻す、その場で
蹴るっ、蹴るっ

 
 

*この詩は、2022年9月に、師であり友人であった鈴木志郎康さんが亡くなった知らせを聞いて書いたものです。

*取り上げられている詩は「きょとんとした 曲がり角まで」詩誌「卵座」9号(1989年4月1日発行)に掲載

 

 

 

夏の終わりに迎えた柴犬

 

みわ はるか

 
 

数週間前、我が家に生後3ヵ月程の柴犬がやってきた。

昔から犬がいる生活をしており、以前から飼いたいなと考えていた。

今年の6月からペットに対する法律が厳しくなった。

ICチップ埋め込みの義務化、1匹に対するゲージの大きさはある一定以上に・・・・・・等々。

多頭飼育やペットを捨てることを防ぐための改正だ。

さらに、このコロナ化で在宅ワークが増え動物を飼う人が増え、ペットの価格が高騰した。

そんなこんなで、犬を飼うことにちょっと尻込みをしていたのだけれど、ちょうど生まれましたよとの連絡をブリーダーさんから受けえいやっと決意したのだ。

 

家の中で飼うため、ゲージ、フローリングの上に敷くマット、尿とりシーツ、餌、空気清浄機、考えることはたくさんだ。

家の外でしか犬を飼った経験がないので思った以上に頭を悩ませた。

人間と犬とのスペースを完全に分けたかったので、狭い賃貸の1部屋を犬用に捧げることにした。

その代償で、わたしがPC作業をしたり本を読んだりするスペースは畳1畳程度となってしまったのだが・・・・。

受け渡し日前日の夜になんとか犬用スペースが完成した。

なんともまあ立派な贅沢な広さだなと見惚れてしまった。

かわいい柴のためだ、わたしは狭いスペースで我慢しようと頭をポリポリ掻いた。

 

手のひらにのるくらいの柴を予定通り翌日迎えた。

わりと鈍感な性格の柴を選んだつもりだったため、案の定すぐに我が家に馴染んでいった。

おそるおそる色んな所を嗅ぎまわっていたが、数時間後には元気いっぱい走り回るほどとなった。

くりくりした何の疑いのない目、焦げ茶色の整った毛並み、ピンとたったきれいな三角形の耳。

ずーっと見ていたくなるほどにかわいかった。

これ以上大きくならなくていいからねと何度も話しかけたが、小首をかしげられてしまった。

 

しかし、大変なのはこれからだった。

おしっこや便は指定した所ではしない、甘噛みが結構痛い、フローリングを守るためのマットをかじりだす・・・・・。

まだ1才にもなっていないのだから当然なのかもしれないのだが、何度もため息が出た。

特に朝の時間のない時に粗相をされるとたまったものではなかった。

朝の弱いわたしは、いつもより早目におきるようにはしたものの、てんやわんやであっという間に時間が過ぎていった。

イライラがマックスに溜まると、どうしても柴に当たってしまって大声をあげることもあった。

きゅーんと悲しい鳴き声を聞くたびに、しまったなと後悔した。

日にちを重ねると、以前より容量よく世話ができるようになり自分にも余裕がでてきた。

少しずつ大きくなる体を見ていると逞しさも感じた。

わたしが出かけるときは、カチャリと玄関が閉まるまで、きちんとお座りをして見送ってくれる。

帰宅したときには、やはりカチャリという玄関の音を聞きつけお座りで迎えてくれる。

洋犬のようにべたべた甘えてくることはないが、忠実で誠実だ。

そこがまた色々悪いことをしても、まあ仕方ないかと許してしまう所以なのかもしれない。

 

もうすぐ、3回目のワクチンも打ち終わる。

狂犬病やフィラリアの注射も打ち終われば、外に連れ出せる。

彼女の視野が格段に広がることは間違いない。

好奇心旺盛な彼女とこれから色んな経験ができることを楽しみに、今日も朝から尿と便の処理をしている。

 

 

 

IT‘S ALL OVER NOW, BABY BLUE

 

工藤冬里

 
 

そんなもん貰っちまったら立小便もできゃしねえ
高柳と間はまだ対立した儘だ
https://youtu.be/p0oMt3bsDCc

2000年新宿ロフトのライブCDのためのジャケットのイメージとライナー

It’s all over now, baby blue

岩田の遺品の中にあったよとフィラデルフィアのジョルダン・バージェスが送ってくれたライブのカセットをそのままあまり弄らずに台湾で焼いたのが本作である。 ライブの日付は新宿ロフトのホームページを遡ると2001年3月9日、日本に帰ってきてベアーズ、法政学館、スターパインズカフェ、と続くライブの、4 番目だった、といったことが思い出されてきた。メンバーの詳細は定かではないのでここには載せられなかった。
呼ばれたのが少し大きめの場所だったのでいろいろ考えた。その頃はリアルタイムで拾ってリアクターで変調させるのが流行っていて、大体そうしていた。そのひと月前はスライド フィルムを使った短い曲ばかりやったので、長いのをやることにした。対バンにメルツバウがいて、矢張りラップトップだった。マヘルは「夜の稲」を録音したばかりで、顔を想像しながらスコアを書ける情況だったので、変わり目やコーラスの合図だとか、かなり深く案曲することができた。

track1 冒頭は、「その楽器の最低音と最高音を交互に出しなさい」という指示のみで構成される「マカール・ジェーブシュキン」が前奏代わりで、それに続く部分は、return visit to rock mass からの、モンク~ドルフィー風のベースラインで始まる 「揚雲雀 (soaring skylark)」 が元になっているが、間奏部の牧歌調のユーフォ二重奏に代わって “It’s all over now, baby blue” という、当時ブライアン・フェリーがカヴァーしたディランのタイトル詠唱が、労働党政権下のロンドンで老人介護派遣ヘルパーの仕事をしていた礼子が扮する四人の思い出の老婆の述懐の合間に挟まれる、という構成になっている。
tack2 器用な植野君には触ったことのない楽器をその都度与えると良いだろうということでこの日はシタールを演奏してもらった。
tack3 間奏部分のギターがジュヌスの再構成という特徴的な衝上断層を眺めるのに良い。このトラックは既にロック画報8の付録に入っている。

The original sound source for this album is a cassette of our live performance, which was sent to us by Jordan Burgess of Philadelphia, who said he found it among the belongings of the late Yuzo Iwata. Then “mshb direct trade” has converted it into a CD at a factory in Taiwan without much formal mastering.
According to the Shinjuku Loft website, the date of the concert was March 9, 2001, and it was the fourth in a series of concerts that followed Bears, Hoseigakkan, and Star Pine’s Cafe after I had returned to Japan. I am not sure of the details of the members at that time, so I cannot include them here.

I thought about it a lot because it was a slightly larger place than previous shows which I had been offered. At that time, it was popular to pick up all of the sounds in real time and modulate them with Reactor, and I generally did so. A month before that, I had done only short pieces with slide film, so I decided to do a longer one. My counterpart was Merzbow, who had also changed to a laptop.
Maher had just recorded “Night Rice,” so I could imagine each performer’s face as I wrote the score. So I was able to specify in great detail the turns of the song, the cues for the chorus, and so on.
track1 soaring skylark
The beginning of track 1 begins with “Makar Devushkin,” which consists only of the instruction to “alternate the lowest and highest notes of the instrument,” as a prelude. The following part is based on “soaring skylark” from “return visit to rock mass, which begins with a Monk~Dolfi style bass line. However, the pastoral euphonium duet of the interlude is replaced by Dylan’s title “It’s all over now, baby blue,” the verse of which was covered by Bryan Ferry at the time. The song is interspersed with reminiscences of four elderly women, played by Reiko who worked as a temporary care helper for the elderly in London under the Labour Party government.
tack2 what’s your buisiness here, Elijah?
As I thought it would be a good idea to give Ueno an instrument he had never touched before each time. So I asked him,who is very dexterous, to play the sitar on this day,
tack3 soldier of Lead
The guitar in the interlude is a good way to view the characteristic impulsive fault of reconstruction of Junus. This track was already included in the appendix of Japanese vintage rock’n notes magazine 8.
                                          September 11,2022

金木犀つぼみもすでににほひたり

デジタル喧嘩

嵐の夜に鼬は家守は
https://stand.fm/episodes/6332f04390f80b613fa5ba83

トレン動員
タイムライン
やっぱりTwitter社は買いたくなくなる
買いたいのは沢だけだ
棚田の新米がブランド化されて三内農協に売ってる
日本語おかしいか?
まず石垣だ おぼっちゃま小林兄69歳 狼にはいいポジションだ

Muéstrense tierno cariño

社会なんて世代が平行移動して繰り上がる管理職の趣味が風靡してきただけの、電通に揺れる葦に過ぎないと分かってくるが、総理だけはオムリの後のアハズのようにいつの時代も史上最低と言われ続けていて可笑しい

自分も寄与したMix CD “au contraire”のためのライナー
「過去は未来が決めていた」  墓川雪夫
フラットになってからジョッキーが始まったワケだがなにも構文ガーとか言ってるわけじゃなくて前世紀のその頃ってnuance。法の下での平等はイカサマだったってんで911で突き破りブッ刺しブース周りの環境音、ひいては行きの電車からピクニクは始まってんだよとばかりに運命的なチャンスオペレーションとしての窯に任せたスクリューとリヴァースの意味深中性焔シャワー雨ミックスという現在。過去は未来が決める。波を点に変えてゆくなかで抱えたヴァイナルは愛のデジタル献花。そんなこんなでノイズ・エッセイ化してゆくDJ。過去は未来が決めていた。

Heb13:7 ἡγουμένων  (hɛː.ɡuː.mé.nɔːn) は「指導者」ではなく「率先している人」と訳すべきである事

高松の燦庫(https://san-ko.site/)で大晦日に行われるライブのためのプロフィール「香川県と私」
2000年以前の話 有岡さんという香川の木工の匠の息子と受験の頃つるんでデッサンなどしていた。かれは工芸科に受かったがぼくは挫折し、ニューヨークに行って音楽をするようになった。

200①年 丸亀でヤン・ファーブル展を見、シャッター街に貼られたポスターも含めてうつくしいと思う。
牟礼で友人の結婚式があり、帰りに庵治石の工房で石粉をもらい、筒形の碗を焼いてみたらみどり色だった

2006年 映画UDONの、小西真奈美との冒頭シーンで香川にも「山中」というものがあるのだと気付かされ、以後まんのう公園などという標識のある下道が味わい深くなったがよく迷った

20①0年 直島の第一回に行き、ロードコーンの白が良いと思った。open fieldという曲を録音したことがあったので、同名の作品を見ることができたのもよかった。同じ作者の人工夕焼けの作品はtateで見た。

2012年
6月 アートで田んぼ
イメージしていたのは麦刈りだった。ピアノの周りを麦を持った人々がピナ・バウシュの四季の振り付けのように廻り、ピアノには麦のように真っ直ぐに立った竹籤を挿し、それに松脂を塗って指で擦ることで共鳴させる。それを増幅しディレイをかける。その後参加者は次々に風景と自分の関係を考えた上で短いフレーズを弾き、それはループされ、積み重なってゆく。そのループの上にさらにそれぞれの楽器による即興を加え、最後にまた竹籤による静かな共鳴に戻っていく。というのが大まかな案曲だった。
7月 東京でmeltdownというイベントをやった。ガセネタ好きの善通寺のギタリスト福田君は不安障害と双極性障害を抱えてしょっちゅう死にたいと電話をかけてきていたけれど、バトミントンではトップクラスのプレーヤーなので、マヘルではラケットを振り回してもらうことにした。PAを通さなくても空を切るその音は客席の奥にまで届いた。その数日後にかれは自分を殴って死んだ。

2013年 アートで田んぼ
香川ではランチタイムのことをタイムランチと言う
だから田んぼでアートからアートで田んぼになったんだな、くらいに思っていたが

マームとジプシーという劇団のオーディションの話から始まった。自分で3種類の振付を考え、その番号が呼ばれるとそのポーズをとる、というのを集団で一時間やり続ける、という過酷なワークショップで、そのポーズの「裏」とか「逆」、つまり線対称と面対象のポーズも指定されるので、合計9つのポーズに向けて瞬間的に体を動かさなくてはならず、最初はぎごちないが、だんだん体が慣れてくると疲労を通り越してある種のトランス状態になる、その集団としての動きを中空から見ている者が居れば、その者はそれを美しいと感じるであろう、と思いながらやっていた、と。それは各人の身体能力を審査するためのものなので、直接音楽とは関係ないわけだけれども、その振付を音に置き換えれば、演奏のフォーマットとして少なくともゼロ地点にまではもっていけるのではないか、去年は土地と穀物の、水平と垂直のメソポタミア-エジプト的な起源に向き合ったが、今年はそのワークショップのメソッドを借りて草刈りの動きをやろう、と思った。システムとして高柳の集団投射、漸次投射といった言葉も頭を掠めた。振り付けに当たる奏法のための素材は「草刈り」と「雨」に絞った。「草刈り」には、単純労働、ベトナム戦争の落とし児としての農薬、原罪としての単一プランテーション、モンサント、TPP、といった人間的な営みと葛藤の一切が含まれ、「雨」には人智の及ばぬ天の一切が含まれることになるだろう。奏者は鳥の声が聞こえる範囲に意識を保ちつつ、「草刈り」ではブギーの腰の入れ方で低 音をループしてみせたり、つんのめるようにバスドラをキックしながらシンバルに頭突きしたりし、「雨」では造形作品の竹の枝を拝借して揺すったり、ギターを高く掲げてハウリングさせたり、お馴染の吊られた天蓋を揺さぶって音を出したりしていた。ピアノを弾いていると、「草刈り」と「雨」が不規則に入れ替わる度に一瞬で空気が変わるのを感じた。特にミニマルな奏法で「草刈り」を演奏しているまま「雨」になった時、選ばれている音は同じなのに風景が変わるのが分かった。「さまざまな作品や音が水を張られた水田に沈み、そこに田植えをしていく時、水面の上のおれはぞくっとするのだ」、と河野さんは言う。その感じがアートで田んぼなのだな。だいぶ分かってきた。

2014年 アートで田んぼ
オトノタニよりユルいと言われてきたその裏で、どんどんテーマが先鋭的になってきているフェスからの三回目の招待です。
今年はリズムボックス対バスドラダブルキックで、リズムを土に刺します。
バスドラダブルキックの人はすぐに疲労困憊して土に倒れます。
それから這って後ろ向きに麦藁の玉を蹴りながら旗のところまで転がします。
フンコロガシが夜中に後ろ向きになって玉を転がしながら直進できるのは太陽や月ではなく、天の川銀河によって方角を知るからです。

宇宙史はすべて誤謬、と言う埴谷さんに励まされて言ってしまえば、農業史もまた誤謬なのであって、ほんらい、土地は産出的であるかそうでないかの二つしかなく、弟殺しによって呪われる前のそもそもの始まりは、ただただ産出的であったのである。

それに、農業者の基礎体力や整理整頓能力を賛美するというのは、自衛隊員のそれを言挙げするのと同様の本末転倒であって、こちらとしては、切り取られた近代の尺だけで、オキュパイによって不法占拠した空き地に肥料袋で野菜を栽培するアクティビストの群れを、歴史の筋肉の美として賞揚する訳にもいかないのである。雑草から麦が生まれたのではなく、麦から雑草が生まれたのだ。牧畜もそうだ。豚は家畜化した猪なのではなく、猪が野生化した豚なのである。抱きつき猟が残酷なのは、近代化した猪に自分が豚であることを思い出させてしまうからなのだ。

前年までは近代における草刈りの疲労を微分することを考えてきたが、今年は「疲労」だけに絞った。「農耕など、労働がかもす二項対立の構造を捉えることでアートは日常に帰る。」という2014年のテーゼは圧倒的に正しい。”労働”も”アート”も資本主義の幻想だからだ。
その上で、誤謬の宇宙史の中で「帰るべき日常はあるのか」ということがテーマになるだろうとばくぜんと思っていた。

リズムボックスとバスドラのダブルキック、という二つの素材が偶然手に入ったことで、それを「疲労」に使うことにした。
貧乏揺すりのように両膝を動かすことで、打ち込まれた機械のバスドラの速さにある程度までは付いて行ける。その後に「疲労」が来る。倒れ込んだその衰弱体から始まる”アートのようなもの”が”ほんらいのデザイン”とぶつかる時に、我々はほんとうの卑屈さを手に入れる。
フンコロガシが天の川銀河の光を頼りに後ろ向きに直進するナビゲーションシステムを持っていて、我々はそれを持っていない、という現実が日常である。旗を立て、旗のところから方向を持った音が鳴らされる。
それを頼りに竹で編んで麦藁を詰めた玉を後ろ向きに這いつくばって野生化した家畜のように後ろ足で転がした。フンコロガシは誰に向かって糞を転がしているのか。それは銀河の先の、遠いけれど生々しいあの始まりに向かってではないのか。

7月 「蟻の首大音楽祭」@razybones
香川県三豊市詫間町蟻の首という地名をそのまま使ったノイズイヴェントで、発酵の音に合わせて憲法9条を切れ切れに朗読してみた。

2015年 1月 高松市塩江美術館の大木裕之展でピアノを弾いてくれと頼まれ、大木さんとのトークもあるというので出かけた。

録音してくれるということだったので、これが最後のピアノと思って弾こうとしていたのだが、大木さんに邪魔されて弾けなかった。僕も大木さんの頭にパンを被せたりしたが、大木さんはさらに暴れ、若い男の子をバリカンで虎刈りにしたり、ペンキをぶちまけたりして館員に止められお開きとなった。

塩江

いじめられいじめてみせたおれたちは強者であるのか弱者であるのか

最後のピアノにしようと思っていたのにパンを与えなければならなかった。私の肉はパンではなかったので私はかれにピアノを与えた。
私は命のパンではなく死のピアノだった。
ピアノは血を流せない。
ピアノから流れたのは滑稽だった。
諸君は滑稽のコラボを観たのだ。
滑稽が命に繋ぎ止めようとした。
過渡的な宙ぶらりんの命に。
絶対音と調律の乱れが整列した。ゴミ屋敷の秩序を求めて。
延命の哲学。
そしてアートはまたもや延命した。
延命して塩江温泉に入った。
ピアノが、温泉に入ったのだ。

5月 アートで田んぼ MSHB

12月 ノイズ喫茶ill
ダニエル・ジョドシーと地元ノイジャンのイヴェントに呼ばれた。ダニエル・ジョドシーはシャルルマーニュ・パレスティンと今井次郎とマクラウド・ズイクムースを足して割ったような音楽だった。サウンドクラウドに挙げられている虫の音源に、二つの携帯を通話でハウリングさせ、それをマイクで拾って混ぜてみた。主催の河野君は、いや、ほんとに虫のこえに聞こえてきました、と感想を述べた。この機械の音は八〇〇倍遅くしたらどんな声がするのだろう、とちらと思った。

2016年 9月 「この島のこと」@てしまのまど
島の各所で採った土を焼いたインスタレーション

Burnt Teshima
地域活性助成金排除ファインアートの時勢にあって口承や戦時の聞き取りに向かう一連の民俗的流れは、一種のそれもまた拠り所を求める崖っぷちの足掻きであったにしてもある種物わかりのいいヒッピーのネットワークを形成しており、
これまた外人コレクター依存雑貨屋主導工芸の時勢にあって火成水成を採集焼成する漏れる鬱陶のフィールドワーク的流れは、一種のそれもまた拗ねたドジンの居直りであったにしてもある種分かり合える貧乏体力勝負のカウンターの情けなくはあるがギルドめいた四国ものづくりの幻想を形成しており、
要するに上記ふたつのパラグラフが出会ったところにアキリカの豊島は在ったのであり
それが香川に居ながら辺野古ゲート前に居ることであり遠野に居ることでありまたそれぞれのふだんの居場所に居ることであった。
横に繋がって四国を伸びていたのは古琵琶湖の地層であり垂直に掘られて焼かれたのは地球であり地球のゴミであり無駄ではあったが一瞬というかふた月半展示された自分の営為であった。ジョセイキンで自分は土を焼いたのである。焼かれた土が提示されていたのである。

10月 ill
アキリカ企画 自由奏/ジューソー/重層、吉濱君が組んでくれたMax/MSPで、サンプリングしたコオロギや鳥の声を数百倍遅くしてヒトの声にしようとしてみた

10月 やまなみ芸術祭三豊市財田町エリア道の駅たからだの里さいたサイタデリックという催しに呼ばれ、2tトラック上で楽器を演奏しながらエンジンを空ぶかししてみた

2019年 アートで田んぼ MSHB
蛍の頃だったので蛍という曲を普通に演奏した

2021年 アートで田んぼ
他県から呼ばないということだったが一人で行って板橋さん~渋谷さんの「グッドバイ」を弾いた

2022年
5月 塩江美術館
四国巡回展の最後、愛媛の菊間瓦土(讃岐土と菊間ゴミ土のブレンド)と砥部の磁土を組み合わせたものを焼いてへたらせる「安部ちゃん」という作品を展示した

初日には、安土さんとのパフォーマンスがあり、ピアノの鍵盤に触らずにE-bowで音を出す、というのをやってみた
同時期のアートで田んぼでは、 弾かない楽器を並べ、演奏じたいを持ち込んだ草刈機とE-bowのピアノの遠近を組み合わせる絵画と考えてみた

なんだランダムじゃん
偶然を利用するときは2つではなく3つの要素を使うこと。
https://namiberlin.com/wp-content/uploads/2018/10/P9260157.jpg

ヒマ
https://youtube.com/shorts/YSZFRyIx2uA?feature=share

星を探求する必要があったのだろうか

ロシアの粘土、という洞察

建築とは建物ではなくクラッシュした愛のヘルパーが背中を摩るということ
順番と優先順位の調合の割合はやや違う

 

 

#poetry #rock musician

向こう

 

塔島ひろみ

 
 

むかしそこに川はなく 向こうとこっちはひとつだった
境がなく 向こう、というものがなかった
橋をかける必要もなかった
そこにどうしてか川ができた
家をどかし畑をどかし 犬をどかし 木を引っこ抜き 大工事をして川ができ
川のこっち側は「こっち」、川の向こう側は「向こう」
つながらない 別の土地になった
団地の4階から川を眺める
川があるから眺めがよく 川があるからなにかと窓から景色を見る
護岸工事が終わり ようやく緑が戻りつつある河川敷
川面には黒っぽい大きな影がうつり 揺れている
それは10階建てぐらいの大きなマンションで 100人以上の人が住んでいそうだ
向こう側の知らない世界が
川に映って蜃気楼みたいに揺れている
ベランダに干した布団が川の上で揺れている
もうずいぶん向こうに行っていない彼は げっそりやせこけた黄色い顔で
川を渡ってきたのかと聞いた
私んちもこっち側だから渡ってないよと言うと
笑って じゃあこれからオレが渡るから
と言うのだった
昔なかった川を渡って 昔なかった向こうへ行く
息が苦しい 口をあける
声が出ない ベッドに体を横たえる
目を閉じる 川を渡るときが来たなと彼は思う
向こうに行くのが少し楽しみになってくる
かつて嫌いだった大きなマンション
その10階建ての どのフロアに どの部屋に住もうかしらと想像する
だから優しい表情で微笑んでいる
泳ぎ始める
どうして川を作ったのか 隔てたのか
昔はいつまでもいつまでも一緒でひとつだったのに
別れたり 泣いたり 手を合せたりしなくてもよかったのに
向こうなんて幻なのに ウソなのに
ないものに向かって彼は泳ぐ
行ってしまった

 
 

(9月某日、細田2丁目アパートで)

 

 

 

マンキー

 

鈴木志郎康 追悼

 

道 ケージ

 
 

ボク、マンキー
さるやない
マンキだってさ
マンキーマンキー
ラッキーなんだぜ
ボク、マンキー
返済終了!
おぅ、カッキー

生命保険確認の通達
もうすぐ満期

で、死んでほしい
と言われる
満期で支払い額が
下がるらしい

その前に死んでほしい
そう懇願され
やむなく死ぬことにした

ボク、マッキー
最後の言葉は
マンキー、ラッキー
またじゃあな

でもな
そう簡単には死なんで

「気合いで死ぬんや
 息飲んで死ね」

本末転倒だろ?
そりゃそうだが、聞いてない
こんなに額、下がるなんて
と妻

あんた末期
よく考えな、マッキ―
ジャッキー上がらん
タッキー翼折れ
どうする

「あたきなら死ぬ」
グッキー笑う
あやまりなく
殺める
雨やむ
見当つかない死に様よ

「大きな損になる
 やるだけやってみて」

まぁ、しゃあない
案外難しいんだぜ
それに自死は
降りないよ、保険

「だから気合いで
 マッキー
 なんとかしな」

そうかそうかと
息を詰め

ボクマッキー
あぁ、ラッキー!
アンラッキー!

「ドン ドン ドンガラガッチョ
 血の海だ
 やだなあもうこれだから」※

 
 

※ 鈴木志郎康「実践十円家族の皆様」より引用

 

 

 

存在するわたし

 

長田典子

 
 

ああ 
息苦しい
ソファに横たわる人を見降ろして
一方的に罵倒する
口が臭いんだよ、とか
野菜が嫌いなくせにケーキばっかり食べるなんてバカか、とか
なんで一緒にデートしてくれないんだ、とか
髪が少ないなら少ないでいいけど散髪屋で
「渡辺謙と同じ髪型にしてください」ってそれだけのことを
なんで言えないんだ、とか
お腹が出すぎで虫唾が走る、とか
だからってベッド離して寝るな、とか
まくしたてる
なにもかもあんたのせいなのだからと
重労働で曲がった指をあてつけに見せつける
あの人は目を三白眼にしてわたしを斜めに見上げる
頬を凍り付かせてもう終わりだという顔をする
わたしはぜったい終わらせたくないと続ける
いやだ終わらせてたまるか
吐いた罵詈雑言で喉がつまる
息苦しい

耐えられなくなったところで
目覚める
飼い猫が胸の上で丸まって
鼾をかいている
そうだった
猫もわたしも鼻を患っている
飼い主が病院嫌いで
疫病がもう何年も蔓延していて
嫌いな病院がもっと嫌いになって
死にそうでなければ気にしないでいいと過ごしているうちに
あそこもここもと気になるところが増えていき
猫のあれもこれも病のせいではないかと気になるところが増えてしまい
けっきょく病院には行かない連れても行かない
どんどん行かねばならない病院が増えてしまい追い詰められいく
息苦しくなる

息苦しくなると猫に噛みつく
口の中が毛だらけになるまでハグハグ猫に噛みつき続ける
猫はこっちの気が済むまで噛まれるままにさせている
猫はわたしをぜったいに裏切らない
知っている
あの人もぜったいにわたしを裏切らない
この鼻の病の息苦しさ
この疫病蔓延の息苦しさを
あの人にもぶつけたくなる
いやだ
夢の中のようにもう終わりだという顔が本当になったら
いやだ
疫病の恐怖 テレビニュースの執拗さといい加減さ
息苦しくてたまらない
バス通りを
目を空洞にして大声でわめきながら
あてもなく歩いて行く人の気持ちがわかる

ああ 息苦しい
夢の中で
あんな酷いこと言わなきゃよかったな
終わらせてたまるか
あの人とわたし それから猫

きょうは二か月ぶりにあの人が出張から帰ってくる
出張中は毎晩電話をして
すき?って聞く すきって返ってくる
無限大?って聞くと わざと三つ分と言ってくる
そのまえは地球三個分以上じゃないと嫌だった日が続いていた
だんだんエスカレートして
無限大が無限大じゃなきゃやだ、って言うと
無限大無限大無限大無限大と早口で呪文のように言ってきて
最後はいつもお互いに大笑いしながら電話は二分で終わる

あの人が服を着替えてうがいをして石鹸で手を洗うのを確かめてから
広くて深くてハーブ石鹸の匂いに少しだけ機械油の匂いが混じった懐に
顔をうずめて深呼吸する
匂いを嗅ぐ
今夜のおかずはあの人が出張先で調達してきたアジの干物と田舎風煮物
わたしは朝の残りの味噌汁を温め食器を並べればいいだけ
猫にも少しだけ温めたミルクを与える
あの人がわたしに多めによそった野菜の煮物をさりげなくあの人の皿に取り分ける
鼻うがい液や猫の餌の話などする
猫は男嫌いであの人がそばに寄るとシャーシャー威嚇する
あーあ、やっぱりかあさんがすきなんだ、わたしが笑う

寝る前には必ず曲がった指の関節にテーピングをする
これは指の酷使と加齢によるもので
確かに何十年も一日中重い荷物を運搬したり指を酷使する仕事をしていたけど
小学生でリリアンにハマりその後は編み物クラブで手提げバッグやマフラーを編み
高校生以降は勉強もせずに彼氏のセーターばかり編んでいたのも原因かもしれない
彼氏が変わるたびに何枚編んであげたんだろう嫌な奴ばっかりだったのになんで……
わたしという存在はないと同じだと思っていたから懸命に自分の形を象っていたのかも
中学生の頃ピアノばかり力まかせにぶっ叩いて弾いていたのもいけなかったのか
事あるごとにあの人に曲がった指を見せつけて
「あんたのせいだ」って言うことにしているのは
猫のマーキングに似てるのかも
あの人はいつもわたしのところにいて 
ぜったいに裏切らないから
わたしは今ここにこの場所に存在しているって感じられるようになったから
曲がった指を一瞬ちらつかせれば
事足りるのだ
すくっと立っていれば
枝がしなっても もとにもどる
息苦しさも 疫病も
ひゅー、っと ぬけていくだろう 

歯磨きをするあの人の後ろに立って言う
鏡を見ながら隅々までしっかり、とか 時間をもっとかけて、とか
寝る前にケーキ食べるなんてサイテイ、とか
買ってあげた増毛剤ちゃんと使ってよね、とか
夢の外でもやっぱり声を荒げている

あの人って夫というか古い友だちというか幼馴染みたいなものなのか
我が家の順位は最下位のあの人もやっぱりわたしの猫なのだ
ふらっと帰ってきてふらっと出かけるあたり
猫とわたしとあの人が揃う場所は
どんなときも
深く深く呼吸ができる

ここに存在する
存在し続ける
わたしは

すくっと立っていれば
枝がしなっても