爽生ハム
深夜のポテチ、たばこの光が蛍
どこで手に入れる、そんな回路
これが蛍ならぶらさがってみる
これが蛍なら
これが蛍なら誰をおもってみる
蛍光灯の下、数える
夜と昼、でも、なぜか夜は稼げる
街灯に出会わない
とおいとおい街、夜景を見透かす
底辺の夜は、まがる
消費する昼に会いたい
破裂した深夜のポテチ
円盤が街を侵略する
寝ている人を棺桶にそっと移して
花が寝ている、場所へ連れていく
もう少し待て
湧き水が別れて
銀幕のスターが夜を
まわす、まざる、あける
深夜のポテチ、たばこの光が蛍
どこで手に入れる、そんな回路
これが蛍ならぶらさがってみる
これが蛍なら
これが蛍なら誰をおもってみる
蛍光灯の下、数える
夜と昼、でも、なぜか夜は稼げる
街灯に出会わない
とおいとおい街、夜景を見透かす
底辺の夜は、まがる
消費する昼に会いたい
破裂した深夜のポテチ
円盤が街を侵略する
寝ている人を棺桶にそっと移して
花が寝ている、場所へ連れていく
もう少し待て
湧き水が別れて
銀幕のスターが夜を
まわす、まざる、あける
もうあれから5年たつのかとカレンダーを見ながらふと思った。
5年前の今日、転勤により全くなじみのない町に一人で引っ越してきた。
住み始めたアパートには若夫婦とその子供からなる核家族が多く住んでいた。
その中の1つ、わたしの隣には当時小学校1年生だった少女が両親とともに生活していた。
わたしはその少女に心を救ってもらったことを今でもとても感謝している。
当時、わたしは仕事で何をやってもうまくいってなかった。
自分をさらけだして相談できる友人や同僚もおらず、途方に暮れ心を病んでいた。
生きる意味さえ見出せずにいた。
そんなとき、ふと窓を開けベランダに出て下を見ると、黄色い帽子に真新しいランドセルを背負ったその少女と目が合った。
屈託のない笑顔に、きらきらした目をわたしに向けてくれていた。
その顔からは、大袈裟かもしれないけれど、明日や未来に希望だけを見出しているかのように見えた。
残暑が残る8月下旬、その子の髪から滴り落ちる汗さえも美しい結晶のように感じた。
わたしの顔にも自然と笑みが表れ、もう少しだけがんばってみよう、そんな気がわいてきたのだ。
来年の春、彼女は中学生になる。
「♪オオレエ、オレ、オレ、オレエ。お父さん、僕歌ったよ」
「何を歌ったの?」
「サッカーの唄だお」
「お母さん、歴史ってなに? 歴史ってなに?」
「それはね、昔何が起こったかっていうことよ。たとえばわが家の歴史はね」
「そうですよ、そうですよ。もう分かりました、分かりました」
「僕、おとぞうさん、好きですお!」
「そうなの」
「おとぞうさん、大好きですお。僕、おとぞうさん」
「こんにちは、おとぞうさん」
「こんにちは」
「みんないなくなっちゃったねえ」
「大丈夫、お父さんもお母さんもいるわよ」
「みんないなくなっちゃったねえ」
「大江光の『人気のワルツ』好きですお」
「どんな曲?」
「ラララア、ラララア、ラララア、ラララア」
「そうか、そういう曲なんだ」
「お父さん、夏は『夏美』の夏でしょう?」
「そうだよ。NHKの『どんど晴れ』の若女将だろ」
「『私は夏美です』」
「小林さんのおじさん、ダンボ知ってる?」
小林理髪店主「知ってるよ、大きな猫でしょ」
「違いますお。ダンボは象ですよ」
小林理髪店主「そうか、象かあ」
「ぼく、タカハシさんに『手とまってる』『ちゃんとやりなさい』っていわれちゃったよ」
「お母さん、しりとりしよ。ファミリーナ宮下」
「た、た……たぬき」
「----」
「お母さん、頑固者てなあに?」
「自分勝手でひとのいうことを聞かない人のことよ。耕君って頑固者?」
みなまで聞かず二階に去る子。
四月の曇り空の下に風が吹く。
風は狭いわたしの家の庭にも吹き込み、
咲き始めた山吹の黄色い花を揺らす。
ところで、捩れるってことなんだけど、
二〇一五年三月三十日に、
新しく出来たシャワールームで
わたしゃ、初めて三十四歳の息子の野々歩に、
シャワーで身体全体を洗って貰ったのさ。
身障者用の椅子に座って、
頭からつま先まで洗って貰った。
ペニスもくりくりっと洗ってくれた。
萎んだペニスをくりくりっと、
くりくりっと、
身体が捩れるって感じ。
半回転のねじり、
うふふ、うふふ。
今日は窓辺に置いた鉢植えのハイビスカスが
二つ花を咲かせた。
赤い花、
真っ赤な花だ。
沖縄のねじれが始まってるよ。
辺野古埋め立てを止めさせようとする翁長知事さん。
そうだ、ねじ込め、と思っても見るが、
日本列島のねじれだ。
ひどい捻れだ。
わたしゃ、どうにもならない傍観的態度。
ここで一つ自分をひねってみるってことができない。
amazonで
「きなこねじり菓子」を買った。
きなことさつまいもでんぷん粉のしんねりした
幅2センチ長さ12センチ厚さ7ミリの生地のを
ふたひねりしてあった。
ほんのり甘くて美味しい。
近くのセブンイレブンで麻理が
「ひねり揚チーズ」と
「カリカリトリプルチーズ」っていう
ねじり菓子を買ってきた。
こちらは、
両方とも幅1センチ長さ3ないし4センチ厚さ数ミリの生地を五,六回ねじってあって、
まるでネジの形態だった。
塩辛いので
後を引く旨味だった。
ひねり、
と
ねじり。
二三回なら単にひねりでいいが、
十回もひねると、
螺旋になって、
ネジになるね。
凸のねじり、
それを
凹のねじりに嵌めれば、
オスネジとメスネジで、
合わさって、
二つのものを締め付けて留めてしまう。
ところで、
人間の頭を
比喩でひねると、
いい考えが浮かぶが
実際に両手で押さえてひねると、
殺人になっちゃう。
人生にも、
ひねりってことはあるんだ。
うちの麻理が難病になって、
非常勤講師を辞めて、
家のガレージを改造して、
友人や地域の人たちに来てもらえる
「うえはらんど3丁目15番地」を開いたのも、
彼女の人生をひとひねりしたってことだ。
そういえば、
わたしなんぞは、
ひねりの人生を送ってきたと言えるね。
(歳を取ると直ぐに自分の人生を語りたがるんだ。
まあ、いいや、聞いてね。)
戦時中の集団疎開から始まって、
戦災で焼け出されていくつもの小学校を転々。
そして大学浪人、
フランス文学を目指した学生から、
ひねって、
NHKの映画カメラマンに転身、
それから、文筆業に転身、
更に大学教授に転身、
そして定年で年金生活者に転身、
この次の、
人生のひねりは
最後のひねりで、
わたし自身が写真に転身するってことだ。
これだけひねりゃあ、
わたしの人生って、
一本のネジですね。
先日、
平竹君が久しぶりに遊びきて、
帰り際に、
この次に会うのは、
わたしが写真になってだね。
と言ったら、
ブラックジョークですね、
悪い冗談はやめてください。
と言って帰って行った。
西暦2013年神無月蝶人酔生夢死幾百夜
撮影を任された新米マネージャーの私は、カメラを持った男に話しかけて細部の打ち合わせを始めたが、どうも要領を得ない。モデルもクライアントもやってきて、「いよいよ撮影だ」という段になって、初めて私が打ち合わせしていた男が、ただカメラを持って現場にいた人物だとわかった。10/1
久しぶりに渋谷のデパートでぶらついていると、突然猪八戒のような男が出てきて、そこいらの客を恫喝しながら金品を強奪している。これはヤバイと思った私は、全速力でフロアを駆け抜けて外へ出ようとした。10/2
偏執狂の女に追われた私は、高橋君が運転するオート三輪に乗り込んだが、そこには彼の細君や娘や情婦もぎゅうぎゅう詰めに詰め込まれたうえに、高橋君の運転が滅茶苦茶なので、その間ぐっと噛みしめていた私の歯は6本がかけおち、うち4本は炭になっていた。10/4
夢の中で私は「天の松原」で終わる和歌を読みあげながら、「おや、この歌には3つも掛け言葉があるぞ」と気付いたので、夢から覚めたら「逆引き広辞苑」でよく調べてみようと思って、すやすや寝りこけてしまったのだった。10/5
上司の川村さんの依頼で私が押さえている会議室に、誰かが勝手に入ってお茶や煙草をのんだりしている。私は頭に来たが、そこでずっと見張っているわけにもいかないので、終日仕事が手につかなかった。10/6
マガジンハウスが、ライター志望者に対して朝3時に銀座の本社に来るように命じたので、その時間に行ってみると、何百人もの若者たちが詰めかけ、押すな押すなの盛況だったので、ロートルの私は、首をうなだれてとぼとぼもと来た道を引き返したのだった。10/7
私はこのたびの世界ダンス選手権では、絶対優勝してやろうとひそかに猛練習を続けていた。どのコーチも私を指導などしてくれなかったが、私は見事に栄冠を勝ち取ることに成功したのだった。10/8
大学の老朽校舎の中でトイレを探しているのだが、なかなか見つからない。「こっちです」という学生の後を追うと、彼が壁の中に潜りこんだので、その後から潜ったとたん、私は黄金色の魚に変身して、水の中を泳いでいるのだった。10/9
市長になったばかりの私は、側近の勧めるがままに「売上3割拡大計画」を立ち上げ、毎日駅前に置いたみかん箱の上から声を嗄らして「もう1品買い上げ運動」の旗を振ったのだが、誰も見向きもしなかった。10/10
横須賀線があまりにも混雑しているため、ドアから潜り込めなくなった私は、思い切って最後尾に両手でぶら下がり、少年時代に帰った気分で楽しく鎌倉駅に到着することができた。10/12
ワンマン社長の命令で、全社員がバス借り切りのゴルフ旅行にでかけた。私はゴルフなんてできないのだが、みんなが楽しそうにしているので見物していたら、突然暴風雨がやって来て、ゴルフ大会は中止になったのだが、ホテルで食事をしているうちにまた快晴となった。10/13
頃は明治。バイエルンからやって来た男が日本滞在の最後の夜に、私が貸した弾でイノシシを撃ったが、斃れなかった。そこで彼は、別の弾を私に返して横浜から帰国した。10/14
女社長の甘言に騙されて巨大な玩具の競技場に無理矢理連れ込まれた私は、その販売促進政策を下問されたので、早速答えようとして彼女の顔を見たら、自民党の超右翼の政調会長そっくりだったので、急激なめまいと嘔吐に襲われてその場でしゃがみこんでしまった。10/14
謎の美貌の女性によって完全なMに仕立て上げられた私は、彼女の奴隷となって日夜奉仕を続けていたのだが、その女があろうことか私の敵のマッチョな男に犯されてSからМに変身したことを知り、なんとかその屈辱的な豚のような日常から逃れる機会を窺っていた。10/14
ある日彼らの性愛の決定的瞬間を盗撮することに成功した私は、その卑猥な動画を武器に女を恐喝して暴力で意の儘にし、逆に女を隷属させただけでなく、彼女に命じてそのマッチョな男を罠にかけ、完全なSだったはずの男を完全なM奴隷に転換させたのだった。10/14
いつも高論卓説をSNSで書き飛ばしている男とたまたま知り合いになったが、その文章と同じか、あるいはそれ以上に高慢ちきな人物だったので、「なんのおのれが櫻かな」というメッセージを送って絶縁したつもりでいたのに、彼奴はその意味も分からず、ひたすら未練がましいメールを寄越すのだった。10/15
かつて私の恋人だった女性が、文机の奥に全裸でその身を隠しているのは、よほど酷い目にあわされたのだろう。私がそっと両腕を差し伸べ、ゆっくり体を引き寄せると、はじめは抵抗していた彼女も、しばらくすると諦めたように私の胸に飛び込んできて、まるで蛸のように両手両足でしがみついてきた。10/16
北朝鮮国籍を偽らず本邦で活躍してきたデザイナーのA氏が、「古希を契機に現役を引退する」と宣言したので、彼のラストショーをコンベンションセンターに観に行ったら、同年齢の日本人女性デザイナーのBさんが、「じゃあ私はどうししたらいいの?」と聞くので、「そのまま行ける所まで行けば」と助言した。10/17
岸本歯科へ行って、「奥歯が痛いから、もうブリッジを全部はずしてください」と頼み、その通りにしてもらったら、嘘のように痛みが消えた。10/18
軍隊で「行軍中に脱糞した奴のパンツを貰い下げてこい」と上等兵に命じられ、新兵の私が洗濯場に行くと、そこは広大な糞尿の池になっていて、猛烈な悪臭が漂う水面に無数のパンツが浮かんでいるのだった。10/19
社内の派閥抗争にいつのまにか巻き込まれていた私。副社長の娘とも、専務の娘とも情を交わしあっていたために、にっちもさっちもいかない雪隠詰めの状態となり、しばらく会社に出ないで町をうろついていた。10/20
夢の中で夢を見ていると、脳内に「1時脳」「2時脳」「3時脳」というふうにその時間が来ると点灯する枠があって、その枠内に自分が見ている夢の内容が同時再生されているのだった。10/21
私のお陰で、暴力団の急襲から1度のみならず2度まで危ういところで助かった女は、そのお礼をするつもりかバスの後部座席に私を押し付け、両腕でしっかり抱きしめて接唇したが、その蛇のような冷たさに私は慄いた。10/22
某大学で晴れて「てなもんや文化論」を講ずることになったのだが、英米文学の専門莫迦講座を持つ先輩たちが、私の教室に押し掛けてきて悪さや嫌がらせをするので、私はノイローゼになり、奥歯と顎が痛むようになってしまった。10/23
家が完成したというので現地へ行くと、業者が「やっと1階が出来ました。2階と3階はこれから見積もってお金を頂戴してから工事にかかります」というので驚いた。こんな話は聞いたことが無い。そもそも私は発注すらしたことがないのだ。10/24
いつのまにか私たち3人は、お馴染みのパリのカンブラン広場にやって来ていて、お腹が空いたのでどこかレストランにでも入ろう、ということになった。先頭の女性が狭い横長の日本料理屋に入っていったので、その後を追おうとするのだが、それには先客の一列になった食膳の隙間の上を歩かねばならなかった。10/25
米国の外資系企業に勤めている昔の恋人が、久しぶりに帰国して同じ部署に配属になったので、私はまた彼女と自然に情を通じるようになってしまったのだが、それがあまりにも自然なので、これは本当に同じ女性なのだろうかと何度もいぶかしんだ。10/26
皆で浴衣を着てシャネルの盆踊り大会に出かけたら、女医Xのなんとか嬢や作家の川上なんとか嬢が、下半身を激しくくねらせながら踊りまくっていた。あらえっさっさあ!10/25
「樹冠の日」という映画を製作するために、私たちは何年間も世界中の樹木の映像を撮影していた。10/27
行きはアマチュアとして人知れず乗り物に座っていたのだが、帰りはもう立派なミュジシャンとして認知されていた私は、座席指定券を買って貰って、久しぶりに満ち足りた思いで座っていました。10/28
新宿での講習会が終わった。Aさんが私とBさんを御馳走してくれる約束があったので2人でビルの外に出たが、足元を見ると私は裸足だ。仕方がないので近所で靴を買ってから合流する旨Aさんに電話しようとしたが、なぜか私がAさんの携帯を持っているのだった。10/29
友人が柳橋の料亭で、「皇太子のビオラソロを聴いたんだが、この人も苦労しているんだなあと思うと、涙が出た」と語っていると、それまで陽気に騒いでいた女将の鹿のように大きな瞳が突然曇ったのだが、タクシーに乗ってから雅子妃だったと気付いた。10/29
広報室長の今井さんのところで打ち合わせをするんだ、という4人の女性を逃れ、私は市ヶ谷駅の辺でランチを取ろうと商業施設の中をうろついた。けれどもろくなものがなかったので、仕方なく電車を待っていたのだが、いつのまにかプラットフォームがなくなっていた。10/30
ブルーノ・ガンツに良く似たフィンランド人が、日本からやって来た私たちを歓迎してくれた。ガンツは手招きしながら細長い通路の奥にどんどん入ってゆく。羊腸のごとく細長いレストランで、彼は「何を食べますか」と聞いてくれたが、私は既に済ませていたので、コーヒーを飲みながら商談に乗り出した。10/31
女を殺した
好きすぎて殺した
ほっぺたに花弁を並べて
女の夏の涙と
生きてることへの興味を
不快にうばった
チョコレートを食べたら
帰ろう
異を唱える
女は漬物をつけていた
茄子だったと思う
女も仕事へ行った
女とは、よく車ででかけた
地図をピンクのマーカーでなぞり
来た道は消すようにした
空について
雲について
語り、景色を交換した
女は骨がなかった
病気らしい
女の身体はやわらかく
人差し指でつくと、腫れ物のように女の身体の裏側へ、女の裏側の肉が膨らんだ
乳首が増えていくようで
必死に母乳をのんだ
甘い塗装で車の盗難は
すぐ暴露た
盗難車でよく自殺をした
朝焼けが綺麗な日は
女を連れてよく自殺をした
女は綺麗だった
余計に申し訳なかった
女はプレハブのようだった
簡易的な匂いで
吐き気を誘う。女の前で吐くと
よく殺された
本当に美しい鈍器だった
水のような音がした
よく女とコンクリートになった
飛行機が上空を飛んでゆく
女は裸で手をふった
それを見て笑っていた
ずっと
もう3月も終わりに近いのに
1月のような寒さが続いている
Take a walk on the wild side
Hey! Hey! という叫び声で目醒める
今朝も
目醒める直前まで
ここはヨコハマ、ジャパン、だと思い込んでいた
ここはヨコハマではなく ジャパンでもないのに
叫び声は今も怖い
Take a walk on the wild side
「お父さんは、いません」
玄関先で早朝から訪れる借金取りに言うのがわたしの役目だった
父は逃げて行方不明
次々と商売を始めては失敗に次ぐ失敗
恋人の家に隠れているらしかったが
夜中になるとまた借金取りが来て 家のドアを怒声を上げて叩き続けていたっけ
Take a walk on the wild side
隣の部屋のドアを誰かがノックしている
日本人はコツコツとツービートのテンポが普通
アメリカ人はコツコツコツコツとエイトビートのテンポが普通
エイトビートの方がずっと心地いい
Take a walk on the wild side
Doo, doo, doo, doo ,doo, doo, doo, doo, doo ,
(ドゥッ、ドゥ、ドゥッ、ドゥ、ドゥッ、ドゥ、ドゥッ、ドゥ、)
起き上がって窓の外を見る
相変わらずの曇天 冬枯れの景色
100年以上前からそこにある窓は隙間風が遠慮なく入ってくる
Doo, doo, doo, doo ,doo, doo, doo, doo, doo ,
(ドゥッ、ドゥ、ドゥッ、ドゥ、ドゥッ、ドゥ、ドゥッ、ドゥ、)
Take a walk on the wild side
それにしても
この国はなぜ紙類がこんなに高いのだろう…と考えながら着替えをし
トイレットペーパーとキッチンペーパーと猫の餌を買いに
3ブロック先のファーマシーに出かける
ファーマシーにはうさぎや卵が描かれたカードがずらっと並んでいた
たくさんの風船が天井の一角を独占し
頭をくっつけて泳いでいる
復活祭が近づいているらしいと気がつく
わたしは今日も無人機械に品物を通して清算するやり方ができなくて
店員さんに手伝ってもらう
Take a walk on the wild side
父は10年近く家を留守にした後
普通に帰宅し普通に家長の座に返り咲いた
Doo, doo, doo, doo ,doo, doo, doo, doo, doo ,
(ドゥッ、ドゥ、ドゥッ、ドゥ、ドゥッ、ドゥ、ドゥッ、ドゥ、)
Take a walk on the wild side
そんな父を見て
将来はなぁんにもなりたくないと思っていた
Take a walk on the wild side
今年のNHKの朝ドラの出だしはまるで我が家そっくりだったから驚いた
違ったのは我が家では娘が本当に手堅い仕事に就いたことだった
Take a walk on the wild side
Candy came from out on the island,
In the backroom she was everybody’s darling,
But she never once lost her head even she was giving head
(キャンディは田舎町からやってきた
裏部屋で彼女はみんなに可愛がられたけど
キャンディは一度も自分を見失わなかった たとえ口を使ってやっている時でさえ)
Take a walk on the wild side
ファーマシーで スーパーマーケットの前で 交差点で
額に灰を十字に塗り付けた人たちと擦れ違う
灰の水曜日という言葉を思い出す
Take a walk on the wild side
思い出す
手堅い仕事は大変に立派だった
手堅い仕事は満身創痍であった
手堅い仕事は大変に屈辱的であった
手堅い仕事は4冊の自作詩集と建売住宅を与えた
手堅い仕事はそこで終わりにして
わたしは異国で暮らし始めた
永遠に遂げられなかった愛を成就するみたいに
New York City is the place where they say hey babe take a walk on the wild side
(ニューヨークではみんなが言う 怖がらないで冒険しろって)
復活祭前の
灰の水曜日
ひたすら寒くて雪ばかりの冬も もうすぐ終わるのだろう
Doo, doo, doo, doo ,doo, doo, doo, doo, doo ,
(ドゥッ、ドゥ、ドゥッ、ドゥ、ドゥッ、ドゥ、ドゥッ、ドゥ、)
ああ お父さん
あなたは冒険者だったのですね
わたしたちの知らない果実や穀物をたくさん収穫したのでしょうね
Take a walk on the wild side
わたしもここでもう一つの命を始めよう
She never once lost her head
(彼女は一度も自分を見失わなかった)
やがて冬枯れの景色から
花や緑が芽吹くでしょう
Take a walk on the wild side
ファーマシーの
無人の清算機械にもすぐに慣れるでしょう
異国の言葉も少しずつわかるようになるでしょう
そのようにして
わたしの愛を成就させるのだ
Doo, doo, doo, doo ,doo, doo, doo, doo, doo ,
(ドゥッ、ドゥ、ドゥッ、ドゥ、ドゥッ、ドゥ、ドゥッ、ドゥ、)
Take a walk on the wild side
お誕生おめでとう! おめでとう! おめでとう! おめでとう!
Take a walk on the wild side
Doo, doo, doo, doo ,doo, doo, doo, doo, doo ,
(ドゥッ、ドゥ、ドゥッ、ドゥ、ドゥッ、ドゥ、ドゥッ、ドゥ、)
Doo, doo, doo, doo ,doo, doo, doo, doo, doo ,
(ドゥッ、ドゥ、ドゥッ、ドゥ、ドゥッ、ドゥ、ドゥッ、ドゥ、)
※英文はすべてLou Reed 作詞・作曲の “Walk on the Wild Side” より引用。
( )内の和訳は筆者による。
腹痛だ
記憶の雨にうたれて
また腹痛だ
凍るバイクにえぐられた
それに近い全滅なのか
雨が入ってくる
にゅうこ 気づく にゅうこ にゅうこ触りで
のけぞる 見えたままの記憶
君の時間が見える
暮らしが灯る
腹痛の底になにかいる
優しく愛でた私の露悪が
汚い言葉ではない
いつものお茶のように
煎れて出して
君が作った飲みものだ
君が作った人がいる
私のような私がいる
暮れて産科を学びだす
凍るバイクにまたがった君が去ってゆく じとじとと投げだされた
ミルクと実技
きっと放心した被害の立像で降ろされる
呂律が怪しいならピン留めして
その言葉だけを喋ればいい
言葉が必要なら本物の言葉を返せばいい
ここまでにしとくか
キツく締まった娯楽に殺されそう
白梅が塵のように架かっている木のそばを通り過ぎました。いつだったか、父に手を引かれてこの道を歩いたことを思い出していました。きょうと、同じ季節。白い塵が、老木のぐにゃぐにゃした枝ぶりの輪郭を隠して、遠くから見ると木の全体に靄がからまっているみたいでした。
父が死んだのが、十年前だったか、五年前だったかはっきりとわからなくなるときがある。何年か前の春先の、できごと。
すこし日がたつと、ここからすぐ近くの椿の群生地が燃えたように炎に染まる。
私は、父の娘と思う。
白梅と真紅の椿と、引かれた手の温もりと。
ふたいろに、塵———-色彩の魔が吹かれる時間、
曼殊院から、まっすぐに伸びている道は、住宅地を貫いている。この道は、叡山から流れ落ちてくる雨水の束だろうと思う。きのうは、紅葉で、きょうは、白梅、あしたは、桜花が舞い、すぐにまた蝉しぐれにつつまれるみたいに、私の時間の感覚は、どうかしていると、記憶が頭の中で混在して、まるで眼前の塵と同じなんだと、感じている。
感じていながら、この光景に抱かれたり、あるいは、時にこの光景に裸体の私の身体のすみずみが見られているように錯覚している。
ああ、あの雪が横殴りに顏面を、ひゃひゃと叩いた日のことを思い出した。
それから、凍てついた池に落ちていく夢。鯉が全身を舐めていく。くすぐったい感じが濃くなってくると息苦しくなって、その苦しさに溺れる気がして、目が覚める。
助かったと覚醒したときには、同時に鳥の鳴き声が聞こえてくる。抱かれ、見つめられているこの光景も、命の犇めき合う、隙間のない器のようで、私はそうか、そこに密閉されているにすぎない。
ほんとうは、色彩や音楽に窒息しそうになっている時間が、生きていることで、音羽の川は、ただ喩えとして山から、宅地にまで貫いている。
私は、梅の木の下にいました。
死んだ父の手のぬくもりが、光景に線を描いて、天からの穴がここまで差してきて、ストローの管を伝わり私の口へ息を送ってくれる。胎盤で通じているなどと思うのが、可笑しい考えだとすぐにはわかるけど。
雑音とは、ほんとは、混じりっ気のない純音で、真空で、
その音を嫌な感じで聴いている。