丘の欅

 

道ケージ

 
 

坂の上
その行く果てに
けやき そびえ
別に
そこに
呼ばれたわけではないけれど

たまに
行く図書館帰り
誰に
呼ばれたわけではないけれど

のぼり上がり
そこに
たたずみ仰ぎみる
何に
なるわけでないけれど
特に
何もないけれど

行くことだけに
こだわって
坂の上の欅が気になって

誰もいない
この坂
のぼることに

下る人はいない
上る側に
いく


背中から憎悪が剥がれ落ち
何か大切なものが
坂を転がっていく

あの夏
「死ぬ間際の光景、見たことがある?」
死にたがりのマリーが
坂を上がるや
振り返りざまに聞く

蓮の葉一つに

「あるわけないじゃないか
あったら死んでる」

蓮の葉さらに

「涙を拭おうとすると
手が骨になって
丸くて
白すぎて
拭えない…」

蓮の葉に
つばきす

けやき
空に
青い

 

 

 

ありがとう さようなら

音楽の慰め 第19回

 

佐々木 眞

 
 

 

油蝉が鳴き、向日葵咲き、黒揚羽舞い、夏は命輝く季節。
しかし太陽に焼き尽くされた生命は、あっけない終末を迎えます。

生病老死は瞬きの間、
信長が、「人間わずか五十年」と幸若舞の「敦盛」を謡うのを待たずに、この世を去る人も多いのです。

西暦2017年の夏も、死は身近にあります。
毎日毎日人は死んでいくけれど、わたしの知人もどんどん姿を消しているのです。

一平君、大田ティーチャー、オトゾウさん、飯塚さん、
荒川さん、佐々木正美先生、阪口さん、そして井出隆夫クン。

天命か否かは誰知らず、
老いも若きも、魅せられたように泉下に赴くのです。

井出君は、はるか昔の大学生時代の同級生でした。
彼は西武新宿線の武蔵関、私は隣の東伏見という田舎村に下宿していました。

キャンパスの長いスロープ下に、5つの部室があって、
私は03部室で「経哲草稿」や「ドイツ・イデオロギー」を読んでいましたが、
井出君は、05部室の「ミュージカル研究会」というところに出入りしていた。

私はなぜだか彼を、「軽薄でちゃらちゃらした輩」、と軽蔑の眼で睨んでいたが
井出君は知らん顔して、ノートブックになにやら歌詞を書きつけていた。

ちょっとお洒落でハニカミ屋さんの井出君は、女性にもてたことでしょう。
きっとモーレツにもてたろうな。
源氏物語の「若紫」のような少女を見つけて、大切に囲いつつ妻にしたいとほざいていたな。

彼が山川啓介という名前の作詞家として、一世を風靡したことを知ったのは、それから何年も経ってからのことでした。

印税で大もうけした彼が、軽井沢に別荘を建て、そこに若くて美貌の妻と住んでいるという、嘘かほんとか分からない風の噂を耳にしたのもその頃のことだった。

ある日、たまたま私がテレビをつけると、それがNHKの教育テレビの「みんなの歌」というコーナーで、「ありがとう・さようなら」という知らない曲が流れていました。

「ありがとう さようなら 友だち」ではじまるその歌は、学校を卒業する子供たちの、先生や学校への感謝と別れを告げる短い歌でしたが、私の胸をつよく打ちました。

さいごの「ありがとう さようなら みんな みんな ありがとう」のリフレインのところは、中原中也の詩のパクリじゃないかと思いながらも、ほろりと涙がこぼれたのです。

歌が終わってクレジットが出ると、それが井出隆夫という名前でした。
福田和禾子という人の曲も良かったが、井出君の歌詞は、私の心にじんと響いた。
一生に一度でもこんなに素敵な歌詞を書けたら本望だろうな、と思ったことでした。

井出隆夫の霊よ、安かれ。
みなさん今宵は、西暦2017年7月24日、72歳で身罷った旧友の絶唱を聴いてください。

 
 

 

 

 

あしたの花火 2

 

長田典子

 
 

あさ
呼ばれたような気がして
庭に出ると
いっせいに
テッポウユリが
咲いていました

ミントグリーンの葉のうえで
あさつゆが
はずんでいました

つるつるの球体に
白や赤や緑や青を
にじませて

ふいに
シランの茎をたわませ
滑り降りてきたのは
オナガでした
何かを確かめるように歩き回ってから
いきおいよく
飛び立っていきました

目が合いました

テッポウユリは
純白の声で
言いました
くちぐちに

撃ち殺せ!
血を流せ!

わたしは 頭をたれました
胸に手をあて
ひざまづきました

ミントグリーンのはっぱの上で
あさつゆは
ぶるぶると
ゆれました

白や赤や緑や青が
マーブリング模様さながら
混ざりあっていき

ぐちゃぐちゃ

なりました

ぐちゃぐちゃの
かやくだまです

わたしは います
ここに います

ぐちゃぐちゃですが
ぐちゃぐちゃのまま

「けっ、詩人さんよ 気取りなさんな」

撃ち殺せ!
血を流せ!

そら たかく
オナガがぴゅるぴゅる
聞いたこともない
あをーい声で
なきました

 

 

 

あしたの花火 1

 

長田典子

 
 

まな板のうえに
牛肉を ひろげる
側面に
どろっとした
血のかたまりが付いていた
見た 見てしまった
赤黒く
ひかる血液

下着に
親指くらいの
かたまりを見た
毎月ある
やがて子を宿すためのじゅんび

赤黒く ひかっていた
あのころ
惜しみなく
いのちの花火を上げていたのだった

あさの 教室で
からだじゅう
血の塊となって
こぶしをふりあげてきた
きみの 花火は
あをあをしく
まぶしくて

わたしは きみに
負けました

安政5年
広重の「両国花火」は  ※
しみじみと
遠く
絵葉書となって
台所のカウンターに飾られている

毎月 見ないことにしていたから
わたしは分身をもたない主義です
から

血の塊のことは
すっかり忘れたことにして

牛肉をサイコロ型に切る
熱したフライパンに投げ込み
焼く

じゃ、 じゃ、 じゅっ、 ………

丸い玉のうちがわ
肉たちはわたしたちは
あしたの花火について
かまびすしく
談義している

 
 

※歌川広重の浮世絵『名所江戸百景』・「両国花火」より引用

 

 

 

エロイ・エロイ・ラマ・サバクタニ *

 

佐々木 眞

 
 

 

ソーリ、ソーリ、ソーリ
今年の7月、核兵器禁止条約条約採択の場に、唯一の戦争被爆国である我が国の代表の姿が見えなかったことは極めて残念です。

ソーリ、ソーリ、ソーリ
あなたは、核兵器を禁止する条約に加盟すると、核保有国と非核保有国との隔たりが深まって、核兵器のない世界の実現を遠ざけてしまう、とおっしゃる。

ソーリ、ソーリ、ソーリ
しかし核兵器を禁止する条約に加盟しないとすると、核保有国と非核保有国との隔たりがなお一層深まって、核兵器のない世界の実現をさらに一層遠ざけてしまうのではないでしょうか?

ソーリ、ソーリ、ソーリ
そんな子どものような言い訳を持ち出して、条約をボイコットするということは、つまり「核兵器を禁止する条約なんかに入りたくない」「できればおらっちも核兵器を持ちたい」、というておるのと同じではないでしょうか?

ソーリ、ソーリ、ソーリ
1945年8月に落とされた原爆による死没者数は、広島で30万5940人、長崎では17万5743人。2つの都市と市民が壊滅的打撃を蒙ったというのに、あなたはまったく懲りずに、亡き祖父とおなじ過ちを犯したいのですか? **

ソーリ、ソーリ、ソーリ
あなたは、被爆者たちが、「私たちは、あなたとあなたの政府に対し、満腔の怒りを込め、強く抗議します」と叫んでいる声が聞こえないのですか? ***

見よ!
「憲法第九条」という伝家の宝刀はとっくに錆びつき、「世界で唯一の被爆国」という一枚看板は腐り果てたぞよ。

見よ!
広島長崎の死者たちは、血の涙を流しながら立ち上がり、山を越え、河を渉り、ドドシシドッドとやって来るぞよ。

ソーリ、ソーリ、ソーリ
あなたは、どこの国の総理なのですか? **

ソーリ、ソーリ、ソーリ
あなたは、私たちを見捨てるのですか? **

ソーリ、ソーリ、ソーリ
今こそ、わが国が、あなたが、世界の核兵器廃絶の先頭に立つべきではないのですか。**

 

 

*「旧約聖書」詩篇第22篇「わが神わが神なんぞ我をすてたまうや」
** 2017年8月10日朝日新聞朝刊掲載の記事および「長崎県平和運動センター被爆者連絡協議会」川野浩一議長の言葉
***2017年「長崎被爆者5団体要望書」より自由に引用。

 

 

 

嗚呼、おらっちも「めっちゃくっちゃな詩」を書きたくなったずら。

鈴木志郎康著「とがりんぼう、ウフフっちゃ。」を読んで

 

佐々木 眞

 
 

 

わが敬愛する詩人の手になる、なんと3年連続の詩集の、最新版が出ました。

それにしてもタイトル自体が、なんと軽やかなステップで、人世と詩が一体となった微笑ましくも楽しげなリズムを弾ませていることよ!

らりらりらあんとページを開けば、森羅万象に対する旺盛な好奇心の炸裂です。

「三度の食事に5回のうんこ」という糞詰りの苦しみの吐露から、若き日の「プアプア詩」との再会、戸田桂太の「東京モノクローム」を読み、初めて三か月と一日の孫を抱いた日のよろこび、「権柄面のおっさん」に出くわした際の不愉快と金正男暗殺事件の不可解、オバマ前大統領の広島訪問と小池東京都知事の「活躍」に向けられる鋭い目、さらには天皇制と天皇退位問題への揺れる考察まで、いまや詩人が手に触れ、目にするありとあらゆるものが、日々の詩作の、楽しくも苦しい、つとめとなりおおせたようです。

ひとたび詩人がウンコをひりだせば、たちまち黄金のポエムになるのである。

加齢と病気によっていくぶん行動の自由を奪われた詩人の好奇心は、かえって反比例して、その飛翔の広さと高さを旺盛に押し広げていくようですが、そのありさまは、どこか明治時代のはちゃめちゃ八方破れの革命的詩歌人を思い起こさせます。

正岡子規は、「病床六尺」という切点にて、彼の六感を通過する森羅万象を、(あたかもカメレオンの長い舌が、蝶や蜻蛉を一瞬にしてとらえるように)、得たりや応と大脳前頭葉に取り込み、それを直ちに当時の最先端の文章に変換しては吐き出しましたが、その「赴くところ詩ならざるところなき突貫小僧精神」は、そのまま平成の鈴木志郎康氏の行状にものの見事に継承されていると思います。

よく世間では「元気をもらった」などというセリフを軽々しく口走って物笑いのタネになる人がいますが、よしや笑われても構わない。この詩集で何回読んでも私が感動するのは、次のような一連であります。

 

「春一番が吹いたっちゃ。
俺っち、
元気が出て来たっちゃ。
気持ちが先走ってるっちゃ。
身体がまだまだ動かせないので、
めっちゃくっちゃな詩を
書きたくなったっちゃ。
めっちゃくっちゃな詩、
めっちゃくっちゃな詩。
ヘヘ、
ヘヘヘ。」 

(「俺っち、気持ちが先走ってるっちゃ」より引用)

 
 

嗚呼、嗚呼、おらっちも、めっちゃくっちゃな詩を、めっちゃくっちゃに書きたくなったずら。

 

 

 

おくらバッシング

 

塔島ひろみ

 
 

お腹におくらが入っている
おくらが少しはみ出している
そこをツンとつついてみる
なでてみる
引っ張ると痛い
私はお腹におくらを入れて
仰向けに寝た
おくらと一緒に 夜空を泳ぐ錦鯉を見た
岩本医師が登場
おくらに優しく話しかけ、なだめている
おくらは泣いていた

糸が抜かれ
もうおくらは 私のお腹の牢獄から
抜け出すことは不可能だ
3ヶ月そこにいて
そのあとおくらは私の皮膚になる
そして私はおくらになる

触ってごらんよ

 
 

(2017・7・21(金)医科歯科大皮膚科待合室で)

 

 

 

激情の指揮者、トスカニーニ

音楽の慰め第18回

 

佐々木 眞

 
 

 

フルトヴェングラーと共に20世紀を代表する偉大な指揮者、アルトウーロ・トスカニーニは、1867年にイタリアのパルマに生まれ、1957年にニューヨークに自宅で89歳で亡くなりました。今年は生誕150年、没後60年ということで、記念CDボックスなどが発売されました。

チエロ、ピアノ、作曲に高い技能を発揮したトスカニーニは、イタリアのトリノのレージョ劇場を振り出しに、ミラノ・スカラ座やニューヨーク・フィル、メトロポリタン歌劇場、NBC交響楽団など世界有数のオペラハウスや管弦楽団を指揮し、その正確なテンポと楽譜に忠実な演奏で高く評価され、後続の指揮者、たとえばカラヤンなどに、決定的な影響を与えたのです。

さて今宵皆様にご紹介するのは、1940年代から50年代にかけてNBCスタジオやカーネギーホールで収録されたワーグナーのライヴ映像です。*

タンホーザー序曲やワルキューレ第三幕の「ワルキューレの騎行」、トリスタンとイゾルデの「前奏曲と愛の死」などのいずれも全曲からの抜粋がいくつか演奏されたのですが、はじめて目にするトスカニーニの指揮振りの精悍さと正確さ、そしておのが音楽の精髄を聴衆に届けようとする真情あふれる姿に大きな感銘を覚えました。

いずれの演奏も、音楽の内容よりも、その厳密なテンポや音量の制御などの形式面にまずは耳を奪われます。

生前の偉大なライバルであったフルトヴェングラーと違って、トスカニーニの指揮は、テンポを制御する右手と楽器の入りと、その流通を管理する左手に加えて、千変万化する顔の表情が大活躍します。

彼は、自分がリハーサルのときに指示した楽器が正しいときに、正しい音量で、正しく演奏されていないときには、まるで仁王様のように柳眉を逆立て、楽員たちを眼光鋭く睨みつけます。

しかし「トリスタンとイゾルデ」の終結部などで、彼の手兵NBC交響楽団が見事な演奏をやってのけている最中には、突如童顔に帰って、まるで餓鬼大将のように微笑む姿には、驚くと同時に感動させられました。

この“音楽の鬼軍曹”は、たしかにオケをアホバカ呼ばわりもしたのでしょうが、問題は、彼が面罵した楽員たちとともに、どのように音楽を演奏したか、です。
ご覧のようにここには、誰のものでもない、トスカニーニだけのワーグナーの音楽が鳴り響いています。オーケストラの面々は、「トリスタンとイゾルデ」に替わって歌い、また歌い、さらに歌い続けているのです。

そこに光り輝いていたのは、音楽そのものでした。
トスカニーニと音楽することの無上のよろこび、そして連夜の奇跡的な演奏の成就がなければ、誰がこの天才指揮者の無礼と独裁に唯々諾々と従ったでしょうか。

さてトスカニーニの最も激情的な演奏記録は、ヴェルディの「諸国民の讃歌」という珍しい曲を、ピーター・ピアーズの独唱と合唱付きでスタジオ収録したものです。

故国イタリアのファシスト政権が崩壊し、第2次大戦が連合国の勝利によって終結したことをことほぐ1943から44年にかけてのこの演奏では、勝利国の英仏米の国歌のほかに、なんと当時旧ソ連の国歌であった労働歌「インターナショナル」が鳴り響きます。**

大いなる過ちを犯した母国イタリアも含めて、「全世界よ、恩讐の彼方に新たな平和を構築しようではないか!」とばかりに「諸国民の讃歌」が高らかに謳いあげられるのですが、その後の世界が、どのような変転を辿ったかを知る者にとっては、様々な感慨が胸に浮かんでくる映像です。

1954年4月4日のオール・ワーグナー・プログラムの演奏会で、一時的な記憶障害のために「タンホイザー序曲」を振り間違えたトスカニーニは、翌日引退声明文を発表しますが、ニューヨーク・タイムズに載ったその「The sad time has come when I must reluctantly lay aside my baton and say goodbye to my orchestra」という、簡潔にして万感の思いのこもった文章こそ、この稀代のマエストロの人となりを、よく後世に伝えていると私は思うのです。***

*『Arturo Toscanini The Original Ten Televised Concerts 1948-1952 with NBC Symphony Orchestra アルトゥーロ・トスカニーニ TVコンサート』(DVD5枚組)東芝EMI、 2002

**ヴェルディの「諸国民の讃歌」

***「トスカニーニ、その人と芸術のドキュメンタリー」