uniform 制服

 

やらなきゃ
やらなきゃね

やらなきゃ
やられちゃうでしょ

号令の
あとにね

ひく
わけでしょ

引鉄を
ひくわけでしょ

バリバリと

おんなも
こどもも

としよりも

敵を

バリバリと
バリバリと

バリバリと
やるわけでしょ

バリバリと殺す

 

 

 

終生休日のわたしの日常ってそんなとこ、そんなとこ。

 

鈴木志郎康

 

 

五月六日の今日。
テレビのニュースが連休、連休と流すから、
あたしって、つまり、
連休って言えば、
年中連休なんだって思ってしまった。
学校にも勤めに行かないってこと。
とすると、
赤ちゃんも年中連休ってことかな。
赤ちゃんもあたしも一人では何処にも行けない。
食べて寝て、
うんこして小便して、
赤ちゃんは泣くけど、あたしは泣かない。
最近は麻理がよく笑うから、
あたしも笑う。
「なんで、そんなことがわからないの、
ほんと、バカ詩人ね、
アハハ、アハハ。」
「アハハ、アハハ、アハハ。」
麻理にバカ詩人ねって言われると、
嬉しくなって、笑ちゃう。
変だね。

五月十五日の今日。
「うえはらんど」に来た
須永紀子さんと懇談していて、
「もう八十歳だから」
と言ったら、
「若い!」と言われてしまった。
須永さんのお父さんは
九十歳で
丈夫で元気に過ごしているという。
須永さんの励ましに応えて、
せめて、
日本人男女合わせての平均寿命の
八十五歳までは生きたい。

五月十七日の今日。
野々歩一家が
ケーキを買って来て、
来合わせた麻理の友人たちと、
ハッピーバースデーの歌を歌って、
2日早く誕生日を祝ってくれた。
歌声の中心にパジャマ姿で座っているわたしに
瞬時、
その声が体に沁みてくるのだった。
この日、
麻理が
自分の難病と向き合うために、
ガレージを改造して、
地域の人の交流の場として、
この三月三日にオープンした
「うえはらんど3丁目15番地」
の来訪者は、
この二ヶ月余りで
219名に
達したのだった。

とうとう、その日の今日、
わたしの誕生日の
五月十九日になった。
iMacの前に座って、
SNSに投稿する、
「遂に80歳になった。シロウヤスさんご感想は如何ですか。ウーン、相変わらずの終生休日の日常が続くわけだから、めちゃくちゃが許されると勝手に思い、はちゃめちゃな詩を書き続けるってことですかね。」
すると
知り合いの人や、
見知らぬWeb友だちから
「お誕生日おめでとうございます」が次々に寄せられて、
わたしは、
「ありがとうございます」を返しまくる。
Web上のメッセージの交換、
ここにわたしの八十歳があるってことだね。
そして、
薦田愛さん井上弥那子さん樋口恵美子さん清水千明さんから
花のアレンジメントが贈られて来た。
左手に杖を、右手で手摺に掴まりながら
階段を降りて
大きなダンボール箱の宅急便を受け取った。
嬉しいやら、
面映ゆいやらの
そんなとこ、そんなとこ。

五月二十日の今日。
朝、朝日新聞を広げると、
一面に
「改憲へ 祖父の背中を追う」(注1)という見出し。
そして、安倍晋三首相は何年か前に、
「昔、おじいちゃんが安保闘争のとき、デモ隊にあんなに囲まれていたのによくやったよなあ。多分いまの支持率だったらゼロ%だろう。やっぱりすごいよな」
と、つぶやいたと印刷されていて、
さらに
「安倍は官房副長官だったとき、かつて岸がいた旧首相官邸の窓から外の景色を眺めながらつぶやいた。秘書官だった井上義行(52)=現参議院議員=の忘れられない光景だ。
岸の悲願は、憲法改正で『真の独立日本』を完成させること。云々」
と印刷されていた。
これを読んで、
そうかあ、
わたしの八十歳台は、
日本が生まれ変わる時代になるのか、
と思った。
ページを返すと、
「『満州国』岸元首相の原点
――産業開発進め 国家統制を主導」(注1)
とあり、
「国務院が完成したのは1936年。同じ年、やりての商工官僚だった39歳の岸は、関東軍の熱烈な要請を受けて満州に赴任した。岸の持論である『国家が産業を管理する』という国家統制論に、関東軍は新国家建設を託したのだ。岸は産業部次長と総務庁次長を兼務し、総務長官に次ぐ、満州国政府の事実上のナンバー2となった」(注1)
と印刷されていた。
1936年といえば
わたしが生まれた翌年だ。
それから戦中戦後を経た二十一年後、
1957年に
岸信介は日本の首相に就任したのだ。
わああ、あわわ、
安倍晋三首相のおじいちゃんって、
そんなすげー人で、
「岸の悲願は、憲法改正で『真の独立日本』を完成させること。」
なんだよな。
あわわ。
安倍晋三首相は
そのおじいちゃんの
憲法改正の悲願の達成に邁進してるってわけだ。
あわわ、あわわ、うんぐっく、
それで日本の歴史が変わっちまう。
日本は軍隊を持つ国家に変わって行くのかいな。
あわわ、あわわ、あわわ、
あわわ、あわわ、
明治の初めには江戸郊外の亀戸村で
農民だった
わたしの
お祖父ちゃんって、
段取り、段取りってのが
口癖で、
皆んなに
段取り爺さんって
言われてたけど、
どんな悲願を持っていたのやら。

わたしの誕生日から二日後の
五月二十一日の今日。
明け方、
目が覚めたら、
稲妻が光って、
雷鳴が轟いた。
雷様は久し振りだった。
早起きして、
花を贈ってくれた人に、
お礼のハガキを書いて、
終生休日の
一日が始まった。
そうしていると、
「蚊取り線香を穴に入れようかしら、
どうお」
と麻理。
「ええっ、どこの穴」
「決まってるじゃないの、
入り口の穴よ。うえはらんどの。」
「ああ、溝のことだろ」
「そうよ、決まってるじゃないの。
想像力がないバカ詩人ね。
アハハ、アハハ」
「アハハ、アハハ、アハハ」
わたしたち夫婦は
そんなとこ、そんなとこ。
歴史は変わるが、
わたしの日常は
そんなとこ、そんなとこ。

 

 

(注1)朝日新聞2015年5月20日朝刊

 「安倍晋三首相のもう一人のおじいちゃんの
   佐藤栄作元首相はノーベル平和賞を受賞してるのになあ。」
 この二行は長尾高弘さんの指摘により適切ではないと考えられるため作者の指示により削除しました。

 

 

 

fail 失敗する

 

うめいてた

グールドは
ピアノを弾きながら

うめいていた

音像の坂があり

そこを

のぼるとき
うめくだろう

わたしも
うめくときがある

ピアノは
弾かない

ふざけろよ

そう
言ったあと

などは
うめいている

ひかりの坂をのぼっていた