音楽の慰め 第7回
佐々木 眞
誰もがシューベルトのように「白鳥の歌」を歌います。
松尾芭蕉の生前最後の句は、「旅に病で夢は枯野を駆け廻る」でした。
与謝蕪村は「しら梅に明くる夜ばかりとなりにけり」と歌って死にました。
子規の絶筆3句は、「糸瓜咲て痰のつまりし佛かな」「 痰一斗糸瓜の水も間に合はず」
「 をとゝひのへちまの水も取らざりき」でした。
また時代を大きく遡って、「古事記」で大活躍するヤマトケケルノミコトの最後の4つの歌は次のようなものでした。
○倭(やまと)は国の真秀(まほろ)ば たたなづく青垣 山籠れる 倭し麗し
○命の 全(また)けむ人は 畳薦(たたみこも) 平群(へぐり)の山の 熊白檮(くまかし)が葉を 髻華(うづ)に挿せ その子
○愛(は)しけやし 我家(わぎへ)の方よ 雲居立ち来も
○嬢子(をとめご)の 床(とこ)の辺(べ)に 我が置きし 剣(つるき)の大刀(たち) その大刀はや
そして今宵わたくしが皆様にご紹介したいのは、リヒャルト・シュトラウスの「白鳥の歌」です。
リヒャルト・シュトラウス(Richard Strauss1864~1949)はドイツの後期ロマン派を代表する作曲家で、リストの交響詩やワグナーの楽劇を華やかな技法をもって発展させましたが、戦後は第3帝国の音楽院総裁を務めるなどナチスとの悪い噂も取り沙汰され、あまり幸福な晩年とはいえなかったようです。
彼が死の前年の1948年に作曲した「最後の4つの歌」は「春」「9月」「眠りにつく前に」「夕映えの中で」の4曲からなっていますが、とりわけ私の心に迫って来るのは廃墟となった故国と老人の絶望を身を捩るようにして呟く「夕映えの中で」という昏い暗い歌曲です。
ヨーゼフ・フォン・アイヒェヘンドルフという詩人の言葉に、シュトラウスが曲をつけたのですが、これを吉田秀和氏の最晩年の邦訳でご紹介しましょう。
私たち、困苦と喜悦を切り抜け
手に手をとって やってきた
そのさすらいから 休もう
今こそ 静かな国の上で
あたり一面、谷は身を傾け
大気はもう暗くなってきた
ただ雲雀が二羽上へ上へとのぼってゆく
夢からさめやらぬまま 靄の中へ。
こちらにおいで、鳥たちには勝手に囀らせておけ
もうじき眠りにつく刻になる、
私たち、お互いはぐれないよう
この人気の全くないところで。
おゝ、広々と静かな安らぎ、
夕映えの中で かくも深く
私たち 何とさすらいに疲れたことか
もしかしたら、これは、死?
(吉田秀和「永遠の夜」より引用)
さあ、それではこの名曲中の名曲を、ドイツの名歌手シュワルツコップの独唱で聴いてみましょう。
伴奏はアッカーマン指揮フィルハーモニア管弦楽団、あるいはジョージ・セル指揮ベルリン放送交響楽団の演奏がお薦めです。
「最後の4つの歌」の最後の曲の最後の言葉「Ist dies etwa der Tod?」の問いかけが響きわたるとき、私たちの心もまた、地球最後の日の夕闇に沈んでいくような悲哀を覚えるのです。